2012年2月29日水曜日

北国では『かまくら』、我が家は寝正月。。


  練馬は昨日の夜から雪が降っている。宮崎生まれ宮崎育ちの僕は雪など見ると、僕の中にいる乙女心、モトい、少年の心をくすぐる。きゃっきゃしたくなるのだ。未だに雪合戦などした事の無い30代のおじさんとしては、はしゃぎたくてしょうが無いのだが、大人だからこらえている。本当はかってに隣の家(都会なのに庭がある!)などに行き、雪だるまなどを作りたいのだが、いかんせんここは東京。絶対に捕まるし、訴えられる。まあ我慢するしかなさそうだ。大人なんだし。。

  日本の北国に行けば、かまくらと言う物がある。僕はこれは単に子供達が遊びで作るものだと思っていたが、ちゃんとした正月の行事なんだそうだ。かまくらの中は比較的あったかく、そして結構長持ちするらしい。もちろん長持ちすると言っても、北国だから出来るのであろうが。。作り方は掘って掘って掘りまくるそうだ。僕はてっきり土台をつくって、そしてドーム上に雪を固めていくと思っていたが違うらしい。ではどうやって作るのか?最初に必要な雪を確保してそして堅めながら形を整えていく。そして入口を出来るだけ小さくし、そして最後に中の雪を掘っていく。壁の厚みは10cmぐらいだろうか。そして床をひく。そんなふうにして出来ているらしい。使われ方は、これはかまくらは水神様のために作るらしいので、ちゃんとお供え物をする。お供えをしたら後はこっちのもの。きゃっきゃいっているに違いない。お餅も食べるだろう。酒も飲むであろう。そんな正月を北国の方々は送っているらしい。実にうらやましいかぎりだ。そんな風景が広がっている東北の風景ってうらやましい。

  日本に正月の遊びが無くなってきて久しい。凧をあげて遊んだのは僕が小さい頃ぐらいまでだろうか?毎年正月になったら凧揚げがしたくなるのは僕だけだろうか?まあ上げる前にお年玉の準備に追われる正月となってきている。まあそんな年と言えばそうなんだからしょうがないのだが、どことなくせつなくなる。いつか凧揚げを盛大にやってやるつもりだ。もちろん我が家の前の電信柱をなんとかせないかんのだ。最初にね。。

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2012年2月28日火曜日

芝生の庭と、栗の木の話。

栗の木です
 多くの日本の家庭では庭を造るときに芝生を植えている。もともと日本には芝生を植える文化は無かった。これは文明開化以降に西洋化から入ってきたわけだが、日本の家々にしっくり来るのかどうか、最近考え出している。

 僕の実家は芝生で覆われている。これは父親がゴルフが好きなので、練習用に植えたものだ。なので芝生が中心の庭となった。家族が歩くスペースは栗の木を置いてある。以下は余談だが、栗の木と日本人の歴史は古い。縄文時代は栗の栽培が盛んであったらしい。もちろん食用としての栗であったのだろう。しかし、食用だけではない。縄文時代では家の建材はほとんど栗の木を使用していた。栗の木は腐れにくく堅い。なので土台などには今でももってこいだ。建材以外でも鉄道の枕木や家具などにも使われていたが、最近では在庫の確保が難しいらしい。ではなぜ昔は在庫が確保できて今は出来ないか?昔は冬になれば農家は栗の木を鉄道会社などに売っていた。これしか収入源が無かった地域もある。しかし現在は枕木はコンクリート製になり、商売上の売り手がいなくなった。なので売り手も栗の木を植えなくなったようだ。

 話を元に戻す。日本の芝生は西洋のそれと比べ、どうしても黄色い。調べてみたら黄色い芝生というものは水が足りないらしい。確かに日本人は庭に手を入れない。僕が手を入れないと行っているのはあくまで西洋と比べえてだ。アメリカの家々は必ず夜になると、スプリンクラーなどで散水している。また業者と契約して芝を刈ってもらっている。なのでアメリカの芝は青々としているが、日本は黄色いのだ。

 夏の世に芝生の上を通り抜ける風は涼しくて良い。しかし、手入れをしなければ芝は美しくはない。日本芝は大体月に4回ほど刈らなくてはいけない。でないと芝は雑草となってしまう。下手に芝を植えて汚くするより他の方法で庭を美しく持って行くようにしても良いのかも知れない。

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2012年2月27日月曜日

業界トップと会ってきた。

 今日は仕事の打ち合わせで、東京はS事務所というホームインスペクションのトップ企業に出向いてきた。僕はここのホームインスペクションのパートナーとして働こうと考えている。いわば乗り換えを検討しているのだ。今所属しているところはどうも仕事が少ない。これではこちらがもたない。なので乗り換えざるおえないのだ。

 さてこのS事務所さん。12年前から建物診断業務をされている。月に多いときで800ぐらいの依頼があるそうだ。たいしたものだ。専属の広報の方々がちゃんと宣伝されているし、また社員研修もばっちりやってらっしゃる。日本企業に入って社員研修など受けた事がない僕は非常に興味がある。配慮ができるホームインスペクターとしてがんばって行きたいものだ。

 しかしどうしても機材をそろえなければならないし、車も必要となってくるだろう。色々大変だががんばって行くと決めた世界。がんばるしかない。まあ夜は設計をやるつもりでいる。寝る時間がまた少なくなるのはつらいが、これも愛する日本のため。がんばって建物と人との良い関係を築いていけたら僕としては嬉しい。

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2012年2月26日日曜日

もうちょっと安い機材はないのだろうか?

見た目じゃ、5・6万だが。。
  僕は耐震診断に興味がある。耐震診断とは建物の地震に対する強さを、計算式により算出する仕事だ。なぜだか分らないが都道府県によって算定法が違っていたりする。宮崎では計算ソフトが8,000円なのだが、なぜか東京では20万を超えているらしい。本当かどうかは東京でやっていないので分らないが、そうだと聞いた。すべてが高い東京。まあ仕方ない。

  僕がやるホームインスペクションでは決して必要ではないのだが、耐震診断では役に立つものがある。赤外線カメラだ。これがあると非破壊検査で建物を調べる事ができる。たとえば筋交いがちゃんと入っているか?断熱材がかけていないか?筋交いとは地震力や風圧力から建物を守る柱と柱に掛ける斜めの木材だ。この赤外線が無いと、詰まるところ建物の一部を壊さないと調べる事が出来ない。しかしこの赤外線カメラが最低でも14万もする。何故そこまでするのかよく分らないが、とにかく高い。ドイツ製の赤外線カメラが主流なのだそうだ。何をやっとるんだ日本勢は!

  またホームインスペクションをする場合も結構お金がかかる。レーザーレベルや含水率を調べる機械類などは高い。多分、ホームインスペクション機材を一式そろえるだけで、20万は軽くいくと思う。しかし無いと出来ない僕の商売。結構大変なんです。。

  まあ愚痴を言ってもしょうが無い。僕らの仕事は勉強勉強の世界。明日試験があるので勉強せなあかん。まあ建物のお医者さんなんだからしょうが無いのだ。

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意外と高い、アニソンの音楽センス。。


  最近韓流ブームなるものが日本を謁見している。僕は自分の経験上韓国の方々はあまり好きでは無い。なので韓国の歌手やタレントが出ている番組は全くと言って見ない。音楽が好きな僕は日本の音楽、『Jポップ』(名前が嫌いだが。。)をさぐりさぐり聞いている。なぜさぐりさぐりか?あまり特徴的な音楽が出てこないからだ。個性的な人間の音楽はどこに行ったんだろう。。

  しかしふとYoutubeなどを流していると、アニメの音楽などにヒットした。これが結構良い。アニメ自体は全く見ない僕だが、その音楽のセンスは非常に良かったりする。K-POPなどを流さずに日本のクリエーターにチャンスをあげても良いと思うのだがどうだろう。。って思わない?

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2012年2月25日土曜日

シーガイアと、Tバックの夢。

  一昨日だと思うが、宮崎市にあるシーガイヤが、セガ様に回収されたというニュースをみた。ベルギーの投資会社に運営されていたが、大型アミューズメント運営のノウハウを取り入れたいセガ様が株を取得して運営に乗り出すそうだ。外国企業から株を買い取る。もちろん円が強い今。まさに攘夷だ!

  僕がまだうら若き、高校三年生の時にシーガイヤはオープンした。なので同級生が大勢就職した。僕は当時から変わり者で、『誰が海の横のプールに行って、ちゃぷちゃぷするんだ!』 なんて言っていた。だが先生を含めみ~んなノリノリ。『何を言っているのだこの田舎者!』 と言った様な感じで見られていた。オープンの特別番組では、今は故人となった飯島愛(まだ当時はAVを卒業したばかり。。) などが出てて、そのTバックをさらしていた。若干だが、行きたくなった事は否めない。。しかしいつも小馬鹿にしていたので、卒業の時にみんなに配られた無料招待券が僕には回ってこなかった。嗚呼、Tバックの恨みは忘れまじ。。

  第三セクターとして始まったシーガイヤ。確か入場料金が4500円だった(あくまで僕が10代の頃です) これは年間の平均所得が230万円の宮崎県民には非常に高い。それに恋人達が戯れる施設ってなんか行く気がしない。なぜ人前でチチクる必要があるのかよ~くわからんからだ。アメリカでも人前でいちゃいちゃするのは基本的にアホな奴という印象だ。そそんな施設を半分税金で作る必要があるはずがない。確かシーガイヤが出来たとき、右翼の男性がそのホテルのロビーで腹を切った。切腹しているのだ。反対している人間は僕や切腹した彼以外にも結構いたはずだ。しかしそんな人々は、しらけた目で見られていたのを覚えている。

  以前NHKである棚田(たなだ)で有名な町の特集をやっていた。その棚田は非常に素晴らしく、町としてはこれから観光に力を入れていくそうだ。そこまでは良いと思う。しかし、棚田が見える高台が元々あったらしいのだが、そこに町のお金でハート型のベンチをたくさん作った。恋人達に多く来て頂きたいらしい。映像ではこれで若者が来るみたいな事を町の色々な人々がにっこり笑ってインタビューに答えていた。本当に良い人々が多い町だなとは思う。しかしこれで本当に良いのだろうか?間違いなく夜中に行ったら、アホなカップルがア〇~ンな事をし出す奴だって出てくるに決まっている。実際シーガイヤでも色々なアハ~〇な事件は起こっていたりする。発想が安易すぎないだろうか?僕がその地元に育っていたら、そんな地元は嫌だから間違いなく捨てる。

  どこかに安易さが漂うこの日本という国。もう少し深く考えて欲しい。正直言ってシーガイヤは壊しても良いと思うんだが。。発破で、発破!宮崎は観光の県から脱却を考えるべきなのだ。

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2012年2月24日金曜日

土産物屋のある風景について

昔の嵐山だそうです
  京都に嵐山と呼ばれる観光スポットがある。仕事で京都の観光業務に携わっていた頃、よく写真を撮りに行ったものだ。嵐山には色々な観光スポットがある。有名なのが渡月橋。結構交通量が多いのだが美しい。まだ僕が京都でアパートを探していた頃、『たしか渡月橋って名前の橋がこの辺りにありましたよね?』って仲介業者のお姉さんに聞いたら『はい、今走ってますよ』って言われた事がある。ポスターなどでは車は走ってないのに!なんて思ったりした。しかしその2年後には『ポスター撮影しますので車はちょっとだけご協力下さい』など言っていた僕がいる。よくJRとかで見る渡月橋の写真はだまし絵です(僕の。。)嵐山には他にも見るべきスポットがある。有名な竹林や寺院。そして桜に紅葉。日本の美意識が詰まっていて素敵な場所だ。しかしこの美意識の片隅には必ず落とし穴がある。

  嵐山には観光客がどっと押し寄せるので、観光客目当てのお土産屋が並ぶ。まあ仕方が無いと言えば仕方ないのだが。。なぜか芸能関係のお土産屋さんが目立ちまくる。ジャ〇ーズの土産店や美空ひ〇り記念館(今は非難が多かったせいか、美空ひばり座となっているらしい。。) ひ〇りちゃんは僕も尊敬する歌姫だ。林檎追分などの曲は本当に名曲だと思うし、彼女しか歌えなかったとは思う。しかし、僕の少ない脳みそで考えても嵐山には似つかわしくない。もちろんジャ〇ーズなどは必要無いと思う。うら若き女子高生諸君が修学旅行で買っていくのはよ~く分るが、どうも違うような気がする。確かに僕も修学旅行でZIPPOを金閣寺の横で買ってしまったが。。

  日本の観光地は必ずお土産屋さんが並び、結局は同じ風景が立ち並ぶ。僕の友人が白川郷に行ったときも、その商売根性に負けて何故か旗を買ってきた。。白川郷ってその風景が美しいのに土産物屋さんがあるせいでどことなく違う風景に見えるのは僕だけなんだろうか。。

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2012年2月23日木曜日

地震保険の盲点

  NHKのクローズアップ現代を見た。昨年起きた東日本大震災の地震保険の査定の事についてやっていた。仙台では震度6強の揺れが起き、戸建て住宅だけではなくマンションにも大きな被害が起きている。戸建ての住宅の場合は被害額が大きいのもあるが、マンションとはその被害額と比べればそれほどでもない。しかしマンションとなるとなかなか査定が難しくもめる元となっている。

  RCのマンションの場合、見る場所は主要構造部と言われる柱と梁だ。なぜそこだけかと言うとRCの建物の場合は主要構造部のみで建物は建っている。つまりその他の壁などが無くてもも建物は建つのだ。しかしこれがもめる元となる。例えば柱の上に化粧としてタイルが貼られていたとする。そのタイルが地震でボロボロになったとしてもその内部の柱は傷がついているのかいないのか、実際に調査してみないと分らない。タイルとは簡単にはげ落ちるもの。なのでもめるのだ。お客さんは必死だし、こちらも出してあげたいが証拠がそろわないと出せるものも出せない。そんな世界なのです。

 知っておく必要があるのは、実際の被害が出ている金額と地震保険で支払われる金額は別と言う事。地震保険というものは、そもそも地震などの広域で起きる災害に対し支払われる。その性格上、迅速に支払う必要があり、細かな査定区分を設定してはいない。つまり地震保険とは被害額を払うのではなく、見舞金なのだ。

  実際僕が仙台で査定したマンション住人の話。その女性は僕と全く同じ年の方で震災の2ヶ月前にマンションを購入した。そして地震に遭い、売ろうかどうか考えてらっしゃった。玄関の横の腰壁(上部は窓ガラス)は孔があき、内部が見えていた。そしてベランダのタイルがはげ落ち、内部の木製の壁もボロボロになっていた。しかしこのマンションのRCの主要構造は一部損判定。僕が見たところでも彼女の部屋も一部損だった。あまりにもかわいそうなので、実際の被害額から判定する方法をとった。これは壁などの修理費がどれくらいかさむかというマンションの専有部分の判定法だ。しかしこれも一部損。まあこっそり家財で多めにとってあげたが、それにしてもついていない。かわいそうだった。

  現在、地震保険の査定区分は3種類しかない。全損・半損・一部損。全損は50%の被害が出たときに保険金満額が支払われる。半損とは20%の被害認定ができれば半額の支払い。一部損とは3%の被害で5%の支払いとなる。せめて30%ぐらいの査定で25%ぐらいの支払いが出来るようになれば、もっと多くの人々が救われる。なんとか変わって欲しいと思う。

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2012年2月22日水曜日

最低限度住宅という妄想

灯台に住みたい。。
  僕はいつかは『最低限度住宅』と言う物を作ってみたい。最低限度住宅とは、まあ僕が勝手に名前をつけた住宅で、地方に住む一人の人間が豊かな暮らしを享受できる最低限度の住宅だ。もちろん性別によってその形は変わってくるのだろうが。このは仮定の構想なので、予算上の都合や敷地に関しては無視をする。一人で生活するには一体どれくらいのスペースと機能があるべきか考えてみた。

  まずは快適に生活していく上でどんな室が必要か考える。ベッドルームに居間。キッチンに倉庫。本棚のスペースにトイレや風呂場。洗濯をするスペースに乾すスペース。庭に車の駐車場。もちろん自転車置き場に物置場。贅沢は承知の上でプランを考えている。なぜなら海外では当たり前のクォリティーだからです。ベッドルームにはウォークインクローゼットを配置する。まあ洗面と風呂とトイレは同じで良しとする。リビングは基本は書斎とする。そしてご飯もそこで食べれるぐらいのスペースは必要だろう。洗濯と乾燥のための小さい庭があれば事足りると思う。それにバックヤードに持ってきて植栽を入れれば目隠しにもなる。

  それじゃどのくらいの大きさの室が必要か?あくまで仮定なのでど~んと取ります。まあベッドルームは6畳あればちょうど良いと思う。畳が6個分って事です。ウォークインが2帖。トイレが1帖に風呂が2帖。やはりリビングは8畳は欲しい。勉強机もあるしソファーだって置きたい。出来れば書斎のために本棚で空間を分割したい。できればキッチンは玄関から直で入り、バックヤードに抜けたい。キッチンは別に一人暮らしを想定した場合、大きくなくて良い。

  どうだろう、意味分らんって方も多いだろうが、一人の人間が『快適』に過ごすとはこんな事だと思うのですがどうでしょう?合計は20帖くらい。贅沢だと言われても、これが海外では当たり前の基準なんです。そんな事を6帖の部屋に住みながら考えた。暇があったらCADで書きます。ちと忙しいのでまたの機会に。

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2012年2月21日火曜日

夏風と日本の知恵

  来週ちょっとした建築の試験があるので勉強している。建築士の教科書などを引っ張り出して読んでみると、以外と忘れていた建築の知識がたくさん書いてあり僕にはありがたかったりする。日常の建築デザインでは、結局は自分の経験で物事を判断しているので、これからじっくり本を読みながら建築の事を再び勉強するのも良いのかも知れない。

  以前このブログで『死に際の庭』なんて文章を書いた。幸いにも多くの方々が読んでくれた事は、書いている僕としては嬉しい。一般のハウスメーカーや工務店にとって窓の配置とは、そこから何が見えるか。またどういった表情となるのか。そう言う事は全く考えていないに等しい。あるとしたら、隣の家の窓が真っ正面ではクレームが来るからずらそう。。なんてぐらいだ。窓一つとっても実は生活に大きな影響を与える。もちろん見える風景もあるのだが、配置によっては室内の空気の流れをコントロール出来るし、結露を防止できたりする。また高い位置にある窓は室内の明るさの明暗を和らげたりしてくれる。家を作る場合はよ~く考えねばならない。それにはちゃんとした設計屋さんと話す必要がでてくる。営業さんではちと頼りにならない。

  昔、吉田兼好が徒然草で書いた言葉、『夏をもって旨とすべし』 これは現代でも非常に有効な考えだ。冬は着込めば良いと言うような単純なものではない(もちろんそれは正解なのだが。。) 四季がこれほどはっきりしている日本で夏は高温多湿だ。温度が高く湿度も高いという事は住む人間からいったら非常に不愉快だ。昔の人々は色々工夫をした。夏には御簾(みす)を垂らして、風鈴をつるす。つくばいに水をやり、土間や通りには打ち水。これらは現代でも生かせる生活の知恵だ。

 また設計段階で考えておかねば、もったいない事がある。風の計画だ。どちらの方から風が来てどちらに抜けるのか。建築の本などによると夏の一番風が吹く方向に開口部を持ってくると、家の中に引き込みやすいと言われている。また出来るだけ多くの開口部を持つと自然の力である風圧力により家中に風が行き渡る。田舎の家などは窓を開けて寝る方々が多いだろうと思うが、夏の夜長の蒸し暑さを防ぐには、窓の配置がちゃんとしてないと結局意味がない。もちろん窓の外には緑化した庭が必要だ。コンクリートだったら結局ぬる~い風が入ってくるだけで気持ちが悪いからだ。

  家を完全に断熱材で囲う事が良しとされる現代の住宅。しかし、やはり昔の知恵も取り入れたい。そうしないと結局は電気代は高く。それに日本人として先達の知恵を借りないようでは、なんかもったいない。せっかく日本人として生まれたのだからもったいないと思うのです。

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2012年2月20日月曜日

日本語は美しいが、現状はどうだ?

  ふとNHKニュースを見ているとハローワークの新しい取り組みを放送していた。その中でジャブサポーターなる制度の説明があった。仕事を探している方々にとってはそのジョブサポーターなる人々のお手伝いを受け就職に向けがんばって欲しい。だが僕は横文字を日本に使う必要があるのか?ちょっと疑問だ。民間では横文字の職名などが大流行しているが、決してかっこよいものではない気がする。CEOの意味をちゃんと言える人ってどれくらいいるのだろうか。。またハローワークと言えばガッツリ公務員。その公務員の職名が横文字とはどこか悲しいと思う。サポートって言葉はどこか援助より介護に近いイメージの英語だ。何となく英語ではピンとこない日本の英語。日本語の方がかっこよいのにとなど思う。

  そう考えたら明治の先人達は偉かった。多くの外国語を日本語に移植したからだ。多くが作家だったり何かと日本の歴史に貢献した人々が多い。例えば西周(にしあまね)などがこの主役だったりする。例えば哲学なる言葉。英語から直接輸入している平成の御代なら必ず『pilosophy』 がそのまま入ってきていただろう。これでは何とかフィーばかりの英語だから混乱を招く。よくぞ新たな言葉を作ってくれたものだ。

  日本は外国の文化を輸入して消化してきたなどと言われる。よくこれは日本文明の長所だとか、柔軟性などポジティブにとらえている事が多いが、実は諸外国にもこの例は結構多かったりする。決して日本だけの専売特許ではない。例えばアイスランドなどの小さな国でも外国語を自分の国の言葉にする時は、専門家の会議を経てその国の母国語としていたりする。その反対の国もある。モンゴルなどの言葉のボキャブラリーなどが元々少ない国(草原の国のため言葉の語彙数が伸びなかった) は、旧ソ連の影響からロシア語を借りながら柔軟に使いこなしている。まあやむを得ないのだ。

  明治の影響とはスゴイ。日本が大嫌いと言いながら実は大好きお隣の中国。現代北京語の7割は日本語から来た漢字を使用している。新しい横文字が入ってきてもちゃんと漢字を使おうと努力している。これは共産主義のなせる技か?それとも中華主義の意地か?僕にはよく分らない。日本が治めていたのに日本の事を全く知らない韓国。日本嫌いが国是のため漢字まで捨ててしまったのだが、おかげですべての言葉が日本語でいうひらがなだけみたいになってしまって読みにくい。。僕みたいなものからみれば何故に京城をソウルなどと現地読みせなならんのか分らない。。漢字の読み方って国によって違いがあっても意味が分るから素晴らしいツールなのに。。まあ彼ら自身が今読めないのでしょうがないのだが。。

  明治の先達を見習って横文字を日本語に変えていくべきだと思う。公文書まで英語の意味が若干間違ったカタカナを使うべきではないと思うんだがどうだろう。

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2012年2月19日日曜日

Broken Windows 理論

ジュリアーニ元市長です。
 今日本の富裕層が海外へ移住しだしている。もちろん景気が悪く仕事をそのまま海外へ持っている人。また現在は超円高なので、今のうちに資産を海外へ持って行った方がとくと言えば得。また仕事もクラウドの時代。賢くやれば社長さんだろうが日本にいる必要はないと言う事か。ついに始まったかっと言える。そもそも日本にいるメリットが少ないのだ。日本に住む事の恩恵とはなんだろう。やはり日本語がしゃべれる。日本食がどこでも食べれる。親戚がいる。。ぱっと浮かばなかったりする。日本食、特に居酒屋。日本の居酒屋のメニューの多さといったら海外では味わえなかった。しかしこれは10年前の僕の経験のお話。現在はきっと違う。外国語ができるのなら、この国から出て行くのは当然の流れかも知れない。海外に住めば、メイドさんを雇い広い庭にプール。なんならヨットや飛行機だって簡単に手に入る。場所によっては気候も住みやすく、そして治安の良い場所だってある。日本食も食べれるし、日本には帰りたいときに帰ればよいのだ。日本に住んでいるとどうも悲しくなるときがある。プールもなければ、庭もない。隣近所に気を使わねばいけないので家を作るときなど窓の配置にも気を配る。どこかフリーダムというものがない。そして何より景観は絶望的に悪い。

 Broken Windows 理論をご存じだろうか?これはアメリカのある学者さんが提唱した理論で、要は窓などが壊れていたら軽犯罪を犯す人々が増えるというもの。実際に前のニューヨーク市長が実践し治安の改善に大成功した。ニューヨークといったら、よ~け人が死んでいた街。それが今やそんなに殺されなくなった訳だ。例えば、ニューヨークといったら以前は風俗の街でもあった。ストリップ劇場が並び立ちほぼすっぽんぽんの女性などの写真がど~んと飾ってあった。これをなんとつぶしてディズニーのキャラクターショップなどに変えて行った。もちろん反対もあった。ニューヨークとはそんな汚いところも入れてニューヨークみたいな意見だ。しかし今はミッキーさんがど~んと立ち並んでいるそうだ。

 日本はどうか?日本は風俗店は普通にあるし、それに街が本当に汚い。よく日本は美しいという外人さん方がいらっしゃるが、それは道路が箒などではわかれているって事。街並自体が綺麗なわけとは違うのだ。もう少し美しい景観を取り戻さないと日本は犯罪も増えるし、金持ちが海外に逃げてもっと貧乏になります。

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2012年2月18日土曜日

床がヌルぬ~る!

  今日は天皇陛下が心臓の冠動脈のバイパス手術を行われ、無事終わったそうだ。天皇陛下の手術はしゅっとうは4時間もかかられたそうだが、無事終わって一安心。一臣民である僕もほっとしている。良かった良かっただ。術後の医師団のほっとした顔がテレビで写り、また微笑ましいシーンも流れ、喜ばしい限りだ。僕の中の右翼のおじさんもほっとしている。

  そんな陛下が手術をされていた頃、僕はすっかりその事を忘れ、餃子の王将に行っていた。実に情けない事だが、僕にとって王将は4年ぶり。京都ではよく食べていたが、宮崎にはない。宮崎から読んでいる『僕の子猫ちゃん』のために言えば、餃子の王将とは日本で一番有名な中華料理店だ。特に餃子は非常においしい。まあ、そんな場所だ。

  僕はこの王将のポスターがやけに気になる。以前京都でそのポスターをみたとき『前進!』と書いてあった。確か2007年ぐらいのことだと思う。そして年が明け2008年のポスターが『さらに前進!』。。写真の構図もまったく一緒。2007年に作った時についでに2008年分も作っていたのではないか、と感くぐっている。その適当な感じの経営陣がなんとなく素敵だ。そして店によって味が違う所もなかなかのくせ者だ。

  行かれた方々は知っていると思うが、この餃子の王将の床がぬるぬるすぎる。床が滑るのだ。もちろんそれはこのお店が多くの餃子を毎日作り、そして油っぽい料理が多いからだ。しかしよく考えて見ると日本のキッチンの床は実は相当ぬるぬるしているのではないのだろうか?単に王将みたいに床がタイルではないので木材に染みこんで分らないだけのような気がしている。今まであんまり考えて来た事はないのだが、何か考えなくてはいけない気がしてきた。まあまだ答えは出ていないのだが。。

  もちろん景観を考えて生きている僕には、餃子の王将の派手なお店の構えは遺憾だ。黄色とか赤とかは中国ではいざ知らず、この日の本では合わないと思う。まあ今まで中華と言えばこの色がなくては雰囲気が出なかったのだろうと思うが、時代は変わってきた。実際こんなしょうもないブログを読んでくださる、ありがたい方々もいるのだ。いつか餃子の王将のお店の雰囲気が変われば、日本の景観も変わる。そんな気がするです。

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2012年2月17日金曜日

乃木希典の生き方と影響、そしてその賛否。

  たまには本の事も書こうと思う。年がら年中建物の事を考えてはいるが、息抜きにはちょうど良い。それに建築をやる人間は歴史も知らないと面白い建物は出来ない気がするからだ。

  乃木希典という人がいる。この方は戦前は、日本海海戦で連合艦隊を率いた東郷平八郎と並び、『聖将』 とよばれた人。また戦後では評価は一変し『愚将』 などという評価をする人もいる。では何をした人か。日本人は歴史に興味がないという方が多いので、詳しくは福田氏の本を読んでもらうとして簡単に説明する。

  日本がその国力をすべて賭けて戦った日露戦争。西暦で言うと1904年から1905年にかけて帝政ロシア(ロマノフ王朝)と戦った戦争なのだが、結果から言ったら日本の勝利。だいぶ辛くもあったがとにかく勝った。一般の人々はこの意義を分っていない。大航海時代に始まった白人至上主義以降、白人以外の国で白人国家に勝った事はないに等しい。そして世界的に見ても久しぶりの大きな戦争だった。人によっては世界第0次戦争などと言う人もいる。特にアジアやアフリカに与えた衝撃は非常に大きい。当時当地域は植民地支配を受け、人々は白人に奴隷扱いをされていたから、その白人に同じ有色人種である日本人が勝つという事は、天と地がひっくり返ったぐらいの衝撃を与えたわけだ。

  この戦争で乃木将軍は旅順を攻めるという、自殺に近い命令を受けそれを実行し成し遂げた。この旅順は永久要塞と呼ばれ、コンクリートで固められた当時世界最強の要塞。海軍が取り逃がした旅順ロシア艦隊を打つため、旅順湾港がすべて見渡せる203高地を肉弾で奪取した。肉弾とはまさに字のごとく、機関銃で撃ってくる敵めがけて真っ正面から攻める事を言う。愚かな作戦と思うかも知れないが、当時はこの方法しかなかった。この戦術が変わるのは第一次世界大戦でイギリスによる戦車が登場するまで待たねばいけない。そして水師営という場所で敵将による降伏を受け入れる時、敵将に完全武装を許し、敵を敗軍の将としてではなく、友人として扱った。また世界中のカメラマンには写真一枚以外はとらないよう厳命している。この行為は世界に大賞賛され、戦後は各国から勲章をもらっている。

  そして日露戦争後は、自分の子供への教育は失敗したと考えていた明治帝の命令で初代学習院校長に就任し昭和天皇の教育係となっている。そして彼の最後は非常にドラマティックだ。明治帝が崩御したのち大喪の礼を見届けた後、妻静子夫人と共に自宅で自刃している。その理由は、西南戦争のおり連隊旗を敵に奪われて事。また日ロ戦争において多くの将兵を死なした事だと言われている。

  その後日本の社会に残した乃木の影響は大きいと言えるだろう。各地に神社が並び立ち、戦前は乃木将軍と言ったら日本の道徳教育に役立った。日本人はかくあるべしみたいになっていったわけだ。しかし戦後に批判が出てきた。司馬遼太郎などがその代表だったりする。

  しかしその道徳精神は最近再評価されてきている気がする。8月15日に靖国神社などにいったら、いっぱい乃木将軍がいたりしても誰も文句を言わない。まあ知らないだけかも知れないが。。上記写真の本は福田和也氏による。僕はこの人の本は分りやすく面白いので、他の本と共に僕の蔵書の中でも目立つところにおいてある。

  昭和20年8月を持って日本人は大きく変わった。良いところもあるし悪いところもあると思うが、知らないでのほほんと生きている。それでは人間として全く面白く無い。知識とは知ってどうこうするものではなく、知って楽しむものだから。

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2012年2月16日木曜日

ホームインスペクターの集いで飲む

右の方にいます、僕。。
  寒い寒い練馬の夜。ふと晩飯を食べていると雪が降っとった。。雪を見るのは多分5年ぶり。体は寒いが、若干だが心の中は『キャッキャ!』 言っているそりゃ寒いはずだ。。ふと我が家から外を見ると雪止めがついている。雪止めとは雪がど~んと落ちてこないように屋根に設置してある。しかし南国で育った僕にはなじみがなく、仕事で仙台に行くまで見た事がなかった。練馬ってこんなに寒いのね。

  昨日は前日のブログに書いたようにホームインスペクションのスタータープログラムに参加してきた。どうやってホームインスペクションをやった行くのか、始めるのか。またこれからの住宅需要についてどうなのかなどを聞いてきた。集まった人間は70名。海千山千の方々がい~ぱい来てらっしゃった。これから伸びるであろう業種に手をだそうと言うのだから、そりゃそんな人ばっかりだ。そんな海千山千の中のひとりである僕も改めた勉強していかないけないと思うようになってきた。

  日本の新築と中古の住宅の比率というものは、外国のそれと比べるとだいぶ違う。例えば平成15年の新築は約1200万戸が作られているが、中古住宅は40万戸の取引となっている。それに比べアメリカの場合は新築約190万戸に比べ中古は600万戸の取引となっている。いかに日本が新築ばかり一生懸命作っているかよ~く分るのだ。また日本の場合、土地と建物の値段の比率は約3対1となる。しかし海外ではその逆になっている。つまるところ日本は住宅と土地の関係から住宅のメンテナンスに至るまで、めちゃくちゃなのだ。

  昨夜は、がんばってホームインスペクションをやっていくと改めて誓って来た、そんな日だった。

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2012年2月15日水曜日

北朝鮮でエンジョンいる!


  今宵は銀座にてホームインスペクターの集いがあるである。集いって言っても講座の事。なので勉強せなイカン。のだが、ど~も気が乗らない。北朝鮮の動画でも晒します。ちょっとかっこよく見えたりするのが不思議だ。きっと偉大なる金正日将軍のおかげだ。。

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2012年2月14日火曜日

Principle がない宮崎の景観

なぜか観光客が来る県庁
  僕はは練馬に住んでいる。僕の住んでいるシェアハウスは禁煙のため、庭に出て吸うのだが、そこに何故かフェニックスの木がある。このフェニックスの木は宮崎県の木なのだそうだ。日本名は椰子の木。まあ南国の風情を出すために宮崎のあちらこちらで見る事が出来る。宮崎では大正の御代から植えられ始めたようだ。このフェニックスの木はよく僕の仲間内で話題になる。

  宮崎では昭和の半ばに新婚旅行ブームと言うものがあった。多くの新婚カップルが宮崎の南国風情にあこがれてきたわけだ。多分一番の理由はハワイに行きたいのだが、ハワイは遠いし銭がいる。なら何となく宮崎がハワイっぽいって事で多くの観光客が訪れた。当時ハワイと言ったらまだまだ庶民から見たら高嶺の花。石原裕次郎さまや長嶋茂雄さまぐらいしか行けなかった時代のお話だ。その時代ぐらいから色々な場所、特に道路沿いの街路樹として宮崎に植えられてきた。もちろんの事だが、言わばハワイの代わり。。僕は日本は日本らしくしておけばそれで良いと思うのだがどうだろう。現在新婚旅行で宮崎に来る人なんて皆無に近い。この円高でハワイの方が安い。それに宮崎よりハワイの方が絶対に面白いのだ。ハワイの代わりに植えられたフェニックスは現在では台風の来る度に被害が出ていたりする。なんか寂しい景観に見えるのは僕だけだろうか。いつまでハワイの代わりを自慢して行くつもりだろうか?

マスゲームで大はしゃぎ
  また宮崎に妙な名前の音楽会館がある。『オルブライト・ホール』という名前だ。決して大きくないが何故に横文字か?実はこの名前はアメリカのクリントン政権時代に国務長官だったオルブライト女史の名前を頂いている。これは宮崎で2000年にサミットが開かれたわけだが、宮崎県としてはアメリカの国務長官さまにどうしても来て頂きたかった。ってことで名前が『オルブライト・ホール』になった訳だ。この名前が入ったとき彼女は『まだ私は死んでないのよ、ウフッ』みたいな事をコメントしていた。それに結局来なかった。。オルブライト女史は経営者としてそしてトップリーダーとして尊敬できる所もあるのだが、北朝鮮に非常に甘かったクリントン政権の国務長官。サミットに来て欲しいからと言って、税金で作った音楽堂に、外国人の名前を冠する事に恥じいらなかった宮崎県は問題だろう。僕からみればこれは県知事以下、関係各位は切腹ものだとも思う。彼女らの政権のおかげで現在日本は核兵器の標的になっているのだから。。日本人として僕は非常に悔しい。『嗚呼、奴隷根性ここに極めり。。』みたいなものだ。

  東国原県知事のおかげで宮崎は少しは元気にはなった。しかしそろそろ覚醒しても良い頃合いだとは思うのです。

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帝冠様式 軍服を着た建物

京都市美術館、以外とモダンです。
  景観の事を常々考えていると、それじゃ景観って何なんだろうなんて考えてくるわけだが、僕から見ると『見ていて悲しくないもの』 と言う事につきるのではないかと思ってきたりしている。もちろん高さ制限(道路からの斜線ではなく。。) や色合いや文字の規制もさることながら、ちゃんと業者ががんばって作っている。または施主のためだけではなく社会のために考慮して作っているかと言う事になるのかもとも思う。もちろん行政による絶対的なルールも設けて欲しい。そこには建築協会もばっちり入って欲しいもの。建築家達が真剣に街の事を考えてこれからの日本をデザインして欲しいのだ。が、この建築家さま方がどうしようもなくやっかいだったりする。最近ではだいぶ減ったが奇抜なデザイン、新しいデザインを作る事が本物の建築家であり、一般住宅や伝統的なものを作るのは建築家ではないという風潮があった。たしかに建築家を目指す学生の考えは非常に優秀であるし、努力家であったりする。しかし神社をコンクリートで作ったり、京都の町屋を壊してRC造の近代建築を周りの反対を押し切ってまで作る事はどうかと思う。もちろんその京都の建物は表面上は配慮し、目隠しなどを設けていたが、その程度で良くなるほど建築とは浅いものではない気がするのだが。。

  コンクリート製の神社の話がで思い出した。僕の卒業設計は『京都会館の改修に伴う音楽の総合私設への拡張案』(そんな名前だったかな。。) と言う物で京都会館の隣の公園を掘って、総合音楽施設と大きい音楽ホール、そして野外音楽堂なるものを狭い敷地に作るというものだった。京都会館は建築家『前川國男』 と言う方の作品で素晴らしいし実によく出来ている。しかしその京都会館の隣にコンクリート製の神社があるのだ。別にコンクリートでなくても良いのではと言うくらいコンクリート。つまり全く木製の神社と変わらない。そして使用法はどうやら倉庫だった。神社の形をとる必要もなく、また何となく壊すと罰当たりそうだ。な~んとなくだが、単に作りたかったんでは。。と考えてしまった。

満州国の象徴でも人気です。。
  この京都会館の隣に京都市美術館がある。ここの建物は『帝冠様式』 と呼ばれる建物。通常この様式でははRC造の建物に日本風の屋根を取り付けている。これはモダニズムに反抗するように、昭和初期から作られ出した様式の建物で、日本が戦争に負けるまで日本のみならず満州や台湾に作られていた。軍服を着せた建物と言う別名もあったりする。誰が読んだか分らないが、よいニックネームだと思ったり僕はする。やはりその軍服のイメージか、戦後は一切作られなくなった。もちろん戦後にモダニズムが盛んになり、勉強さえされなくなったという理由もある。しかしだ、景観的に見ると結構シックリする。なぜか、やはり古典主義的な建物なので、歴史的にずっとそこにあるように錯覚するかも知れない。さすがに最近ではモダニズム運動やポストモダンに対抗するように、帝冠様式などに近い建物が出てきている。たとえば近江八幡図書館。RCなのだが大屋根が瓦で作ってあり、昔の日本的な感じが出ている。これは近江八幡が瓦の一大産地だったからなのだが、やはり瓦屋根がしっくり来るのでRC独特の寒々しさを感じさせず、景観にしっくり来るわけだ。また満州にも帝冠様式は残っていたりする。昭和初期の夢であった満州帝国なのだから当然と言えば当然なのだが、中国人があれだけ嫌いな満州帝国の象徴である、関東軍司令部(現中国共産党吉林省委員会会館)が壊されずに残っているのは、その威厳に満ちた風格と、景観にばっちり溶け込んでいるからだと思う。帝冠様式という建物たち、その屋根は意味がないと言えば意味がない。しかし景観的には意味がある気がしている。

  新しい考えでものを作る事はよいと思うのだが、新しいの中にちゃんと古いも入れていくと景観にも合うような気がするのだが、どうだろう。

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日本にはPrincipleがない 街の作り方編

後藤新平さん
  昭和初期のカラー映像をたまたまyoutubeで見ている。これが非常に美しい。日本本来の美しさというものが見えてきたりする。昭和初期なので実は本来の美しさとなんて言うと、当時の人々からおしかりを受けるかも知れないが、現代から見たらだいぶ日本的だ。ふと考えて見ると戦争が終わったのが昭和20年(1945年) 今から67年前。二十歳で戦争を終わったとすれば大体87歳ぐらい。では昭和20年に87歳だった方々が生まれたのが1858年。幕末にあたる。明治維新が1968年って事は、昭和の初めにはまだまだお侍を見ていた人々がうじゃうじゃいたわけだ。凄い事だ。その方々から見て激動の明治・大正・昭和はどう見えたのだろうか。江戸時代の町並みなどに興味がある僕は、カラー映像を見ながらそう思った。

  多くの人々が江戸時代の町並みは戦争によって失われたと思っているが、それは違う。東京の場合で言うと関東大震災によって街割(まちわり)は変わった。後藤新平帝都復興総裁による事業が街を変えて行ったのだ。大きな震災が起こった時でないと、人々は街の計画を変える事を良しとしない。たぶんここには大きな心理的ショックがあるのだと僕は思う。復興に際し、その後の防災や来るべき自動車社会への対応という事が後藤の案にはあったのだが、すべては通らなかった。そのせいで後の東京大空襲の被害は広がり、また高速道路整備に支障を来す事になる。この時代に景観への規制も入れて欲しかったが、今となっては詮無き事。。では地方はというとけっして震災や空襲(もちろん少しはある。)などで町並みが変わったかというとそうではない。これは完全に経済がその理由。京都を見てみると分りやすい。京都は大規模空襲を免れた。少しは空襲を受けてはいるのだが中心部は全く受けていない。しかしいわゆる町屋は毎年100件ペースでなくなっている。維持して伝統的な暮らしを追求するより、安易にマンション業者に売ってしまった方が楽なのだそうだ。それは建築的な美しさや、改修する事によりよりよい生活を手に入れる方法を知らない人々が多い事を示していると思うのだが。。僕の恩師が言っていたのだが『日本は一生懸命古い建物を壊して、新しい家を作って来た』 本当にそのとうりなのだ。ちょっと哲学がないような気がするのは僕だけか。。

気持ちはよ~く分る!
  諸外国はどうか。例えば城郭都市などの場合。その城や城壁をどうするか20世紀初頭に建築家のあいだで議論が交わされている。例えばフランスの首都パリ。城壁がぐるっとパリ市内を囲んでいたわけだが、今は高速道路となっている。この城壁を高速道路とタイプの都市計画は世界中の主要な都市でよく使われている方法だ。もちろん反対もあった。なのでがっちり残っている国々だってある。名前は忘れたが、城壁などを残したいため高速は地下に埋めたって国もある。観光に力を入れている国々は昔の町並みをちゃんと残していたりするのだ。またフランスにかぎらず古い町を残すという取り組みは法律や条令で決められている。それに景観を残さなイカン!という団体が多いのだ。もちろんその中にはごっつい圧力団体もいたりする。景観をいびると敵を作るのが諸外国だったりする。しかし諸外国はとにかく議論する。それも市民まとめてではなく、ちゃんとプロフェッショナルな建築家や建築協会だったりする。日本の建築協会といったら見学会や清掃活動。。ついでに焼き肉会だったりするのが現状だ。。外国に負けない日本の建築協会になって欲しいとせつに願う。

  日本はこれからどう往くのかは分らないが、町並みを保全だけでなくちゃんと一つの哲学にそって考えて作って欲しい。白州治郎に気持ちだけ似ている僕から見ると『日本はPrincipleがな~い』と言いたくなるのです。

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2012年2月13日月曜日

地震に備えた家造りと知識

揺れると恐ろしいでっせ。。
  ふとNHKを見ていたら共振による地震の揺れの増幅という現象についてやっていた。共振というのはある特定の地震による地盤と建物の揺れの周期にが同じ場合、想定されている建物の揺れが増幅し2倍以上の揺れを観測したりする事を言う。実際に昨年の東日本大震災で共振を起こした大阪府WTCビルについてやっていたが、揺れ幅は3メートルもあったそうだ。恐ろしい。。しかし現在建設中の東京スカイツリーは被害が出なかった。これは地震が起きた時に発生する共振を防ぐようにちゃんと設計段階から計算しており、心柱と言う建物と別の揺れを起こす柱を入れ、建物の揺れを軽減するよう作られていた。この心柱、五重塔や姫路城に使われているもので、結構日本には古くからあるのだが、近年再注目されている。お城や五重塔などが倒壊しないのはちゃんと訳があったわけだ。

  それじゃあ一般住宅はどうかといえば、共振は短周期の揺れに起きやすい。しかし心柱を入れるスペースなどないし、全く効果がない。じゃあどうすれば良いか?単純に耐震化を進めていくしか効果がないのではない。よく言われる事がある。『この建物は昔の大工が作ったから柱は大きいのを使ってる。だから大丈夫なんだ』 これは完全に偏見で、在来工法の場合(一般的な基礎がある建物の事です) 柱が大きかろうがあまり意味がない。柱が大きい方がよいというのはあくまで伝統工法(基礎が礎石など) の場合。それでは在来の時の耐震はどうすれば良いのか。金物をちゃんと使う事。そして筋交いを入れる事だ。そして出来るならば、耐震診断士にちゃんと見てもらう、または耐震設計を作る前から計算する事だ。これは先に言わなければ通常しないので注意が必要だ。

  知り合いの家に言ったとき、コンクリートの家なのだが、柱にバシバシあなを空けハンガーなどをつるしていた。日本のコンクリートの家やマンションはラーメン構造といって柱で持っている。極論を言えば壁などなくても柱と床だけで建物は持つのだ。なのでこの場合コンクリートの柱に孔を空ける行為はやってはいけない事。ちゃんとせん断破壊の恐ろしさについて、とうとうと言ってあげてきた。せん断破壊とは阪神淡路大震災の時コンクリートで出来た5か6階建ての建物の1つの階がまるまる壊れ押しつぶされていたものがその典型だ。柱が横揺れに耐えきれなくなり、一気に折れて倒壊すると言うもの。これが一番危険な倒れ方わけだ。

  日本の法律では建物が倒壊する時には中の人間は死なないように計算されて出来ている。いきなりぐしゃっと建物が壊れるという風には出来てはいない。その事を知っていると知らないとでは家を作り住むのに大きく違うものだ。

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2012年2月12日日曜日

自転車乗りの休日

太郎・次郎ではない。。
  今日は所用で自転車で渋谷まで行ってきた。渋谷にあこがれも何もない僕は渋谷の事はな~んにも知らない。であるが、世界のセレブリティー様方が知っている渋谷。善良な日本人である僕が行かないわけにはいかん!しかし、まさか人生最初の渋谷を自転車で行くとは思わなかった。僕の住む練馬から渋谷までは16キロの道のり。東京という街は比較的平坦な道が続くので自転車乗りにはそんなにきつくない。しかし交通量がもの凄い。すぐ脇を車ががんがん通る。怖くてしょうがないのでゆっくりゆっくり進んで行く。後で調べたら平均は15キロ。まあしゃあない。

  戦後の事だ。政府はこれから始まるであろうモータリゼーションを促進するため全国に自動車網を作る事を目指した。具体的には舗装道路や高速道路の事だ。そこで白羽の矢が立ったのが、あるアメリカ人技師。そのアメリカ人技師が日本に来て言った言葉が残っている。『こんなに山ばかりの国では自動車は向いておらず、むしろ電車などを有効利用した方が良い』 まだ戦後は江戸の町の規格が残っていたらしい。そりゃこの国の街の規格自体が自動車に合っているわけがない。それに、こんなに山ばかりの国に自動車というのは無理がある。そんな事を言っても日本は世界一の自動車大国になってしまったわけだが、道路は非常に狭い。また高速道路にもある話が残っている。最初に完了が考えた交通量がその当時の交通量の2倍。しかし政治家から横やりが入り4倍委になったそうだ。しかし現代はその当初の予想を大きく外れなんと8倍の交通量がある。もともと日本には車は向いていない地形なのに、日本人はよくがんばった。しかしだ。。まさか自転車がこんなに走るとはだ~れも思っていなかった。なので自転車乗りにはだいぶ厳しい日本である。

  自転車に乗っていると、見えてくる物が違ったりする。例えば道路境界線と歩道境界線との間にある溝。溝と言っても水はけなのだが、自転車乗りはその溝を基本的には走る。これが結構自転車乗りには厳しい。なぜならその溝は決して舗装が良いわけではなく、がたがた。自転車はがたがたの道を走るのを非常に嫌う。なぜならスピードは落ちるしパンクの原因にもなる。そしてこの溝は若干斜めに設計してある。そりゃそうだ水はけなのだから当然なんだが、おかげで怖い怖い。出来るなら走りたくない場所なのだ。

  また近頃では、歩道を自転車が走るのは敬遠される時代となってきた。歩道は自転車も走って良いのだが、なんせ人が多いのだ。仮に乗っていてぶつかったら何言われるかわからない。そこで気になるのは街路樹という物。どこの街に行ってもある、あの成長しきっていない街路樹。みんな美しいと思っているのだろうか。。僕には悲しいだけで、切なくなる。いっそ切ってしまった方が良い気さえする。そうすればもっと効率的な街が出来るのではないか。もっと植林する場所はい~ぱいあるのだが、何故にそこなのか分らない。景観を普段から考えている僕が見ても、変な気がするのです。

  街路樹と同じだが、電柱も気になってしょうがない。歩道にど~んと電柱を立てて、歩道を歩く人々に強引に貼ってある広告をみせようとする。これが邪魔でしょうがない。もちろん東京は地中化が進んではいるのだが、地方ではその電柱のために歩道がなくなっている場所だって普通にある。小さい子供達が一時的とは言え、自動車が走っているレーンに入るわけだ。何を考えているんだ電力会社と行政は。。ぷんぷん!である。

  そんな事を考えながら渋谷まで行ってきた。往復32キロ。足がガクガクです。。

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2012年2月11日土曜日

ボンバーヘッドな股引(ももひき)

がんばれ!
  僕は宮崎から出てきた時、3日分の服しか持ってこなかった。なので3日に1度は洗濯をせなイカン。男子たるもの、パンツはいつも新しいものを履かなイカン!仮に交通事故などで死んだときに、パンツがカッピカピだったら格好がつかん。なのでいつも新品のパンツをはかないかんのだ。って事で今日も洗濯。しかし下着とズボンではどうも寒い。。未だになれない練馬DAYS、ここは恥を忍んで股引を買いに行こうじゃないか!おしゃれな僕はユニクロに行った。久しぶりのユニクロ。かってにはしゃぎ、そして買い忘れてしまった。。しゃあないので、街に出た。色々回ってきた。さすがに東京。どこに行ってもいろんな店がある。その間に股引の事を忘れていた。まあしゃあない。最後に寄ったのが練馬駅にある西友。塩を買わないかんと思い寄った。なぜならトマトスパゲッティーを作るのに塩を買い忘れていたからだ。そしたらキラリと光る股引を発見してしまった。イカンここで買わねば後がない。。しゃあないと言う事で、西友の股引を買ってしまった。。がっつり爺さんの奴だ。まあ良しとしよう。
  
  西友でふと気づいた。どっかで見た事がある女性がいる。その頭はボンバーヘッド。。昔ニュースで見た、なでしこジャパンで活躍されていた荒川恵理子さんだった。あのボンバーな髪の毛の上にちょんと帽子が乗っていて素敵だ。しかし帽子の意味がない気がしたが、ほっといてやろう。。てきぱきと仕事をしていたのでちょっと尊敬してしまった。気が利かない僕はそんなにてきぱきと仕事は出来ないのでこういう人を見ると『すげ~』と感心してしまう。帰って調べたらけがをされていたらしい。ぜひまたその雄志を見たいものだ。同じ練馬区民として応援しようと思った。

  ふと考えて見ると、なでしことして活躍されていた頃も荒川さんはスーパーで働いていた。もうちょっと日本のプロの世界も選手の収入を改善をしてほしいものだ。人気のプロスポーツの選手は食べれて、そうでないプロは食べれない。それが現実と言えばそれまでの事だが、日本はあまりにもそういったスゴイ人々が食べれない世界が多すぎる。もちろんプロスポーツをメインでやっていく必要はないとは思うが、日本代表となっている方なのだ。ちゃんと食べれるようにして欲しい。応援するときに、お金も払わずに応援している自分がちょっと後ろめたい気がする。何とかできないだろうか。。蓮舫さんよ!

  って事で荒川さんを応援するためにも、西友で股引を買った。。訳ではないのだが、復活を祈ります。股引が暖かいですわ。

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見たくれを気にし、塀を見ず。。

寺院に使われている塀
 僕の部屋は禁煙仕様となっている。このシェアハウスは古いので古い住人さんらは部屋の中で煙草を吸っていのだが、僕は新人。今年から入った住人は部屋で煙草を吸ってはいけないそうだ。そんな。。なんて思ってもしょうがない。って事で毎回煙草を飲む時は外に出なくてはならない。しょうがないのだが納得がいかん。なぜって寒いからだ。九州生まれのこの麗しい体にはたまらない。また僕の部屋から見える風景というのは超ブロック塀。僕はブロック塀はどうにも好きになれない。なぜかって言えば、超近代的で歴史も味も感じないからだ。

 日本は昔から隣との境には木製の塀が使われていた。またちょっとよさげな家々は漆喰の塀を作っていたりする。しかし手入れをする必要がないのでブロック塀に変わってきた。そもそもブロック塀は非常に簡単にできる。配筋を入れてブックを積み上げるだけだから、結構な技術がいる漆喰や木製の塀からその座を奪ってきたわけだ。しかし見たくれがどうも悪い。やはり伝統と歴史のないものは僕には面白く感じない。昔、バイトで交通整理をやっていたほんのちょっとだけある。それは冬初めの京都。めちゃくちゃ寒かったが、まだ若干紅葉が残っていた。整理をしていた道路の横に漆喰塀の古民家があった。これがめちゃくちゃ渋い。なんだか鎌倉時代から変わっていないような(まあ、そんな事はないのだが。。)家に見えた。やはり見たくれって大事なんだ。

武家屋敷の塀
 現代の家を作るときは、さすがにブロック塀などは使わない。さすがに人気がなくなっているのだ。それに設計屋さんがブロック塀などを用意しようものなら、その設計屋は仕事が出来ませんよ~と言っているようなもの。使うわけがない。なので色々なタイプの塀が出てきている。例えば漆喰の物や、築地塀、単なる木製の塀。また竹製の物から樹脂製のもの。いろいろある。実際にこれから家を作る方々は塀一つにもこだわってみた方がよいと思う。

 せっかく家を作るなら設計屋と一緒にじ~くりと考えましょう。塀とは自分の家からも見えますが、他人が道路からも見るものです。自分の顔を大事にするように塀も少し気にすれば、もっと日本は美しくなる気がするのです。

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