2013年2月28日木曜日

アメリカンコーヒーは、なぜ薄口か?


   婆さんの足の小指と薬指の間に穴が空いたので、正月明けぐらいから病院に連れていっている。最初は水虫かいな?と思っていたのだが、そうではないと美人医者様が言っていた。彼女曰く、婆さまの足の小指が薬指にくっつきすぎているため、空気が入りづらい。よって亀裂が入り、穴となるそうだ。さすがに1月以上病院に通っていると、婆さまの足の穴もふさがって来た。さすが美人医師だ。うちの婆さんは、美人を見るといつも褒める。『美人ですね~』 と今日もその美人医師に言っていた。さすが宮崎県美人協会会長の祖母なだけはある。。婆さまを病院に連れて行く時に必ず僕はコンビニに寄ることにしている。そこでコーヒー、またはコーンスープを買ってあげるととても喜ぶからだ。今日も、ホント素敵な孫だと思いながらコンビニによったら、缶コーヒーの棚の縁のあちこちに 『炒りたてのコーヒーあります』 とあちらこちらメモのように貼ってある。清涼飲料水の値段はそれほど貼っていないのだが、このメモはそこらじゅうにある。そんなに美味しいのだろうかと思いながら、レジのバイト嬢にオーダーした。『アイスコーヒーを一つお願いします』

   彼女はからからと、プラチックに氷がたんまり入った容器を取り出し、『150円です』 と言った。だが僕的にはその量は少ない。テイスティングじゃないんだから。。と思い、もそっと大きな容器はないか尋ねると、無いと言う。しょうがない。種類は何がありますかと聞くと、モカとアイスコーヒーと。。と数種類を教えてくれた。だが、一番最初なのでとりあえずアイスコーヒーだなと思い、頼むと作ってきてくれた。そして婆さんと一緒に車の中でチューチューとストローを使い飲んだのだが、二人ともすぐに飲みきった。えっ、量が少なくない !? 僕はともかく、80代の婆さんがほぼ一気で飲める量はいかにも少ない。。う~ん、なんでだと思ったら答えは簡単。氷の入れすぎ。プラチックの容器一杯に氷がドンと入っていたので、コーヒー自体はその氷の隙間にしか入ってなかったようだ。もの凄く騙された気がした。。

   これでは、なんか悔しい。婆さんをデイケアセンターに連れて行き、それから家に帰ったのだが、まだプラチックの中には氷がたくさん残っている。これでゴミ箱に捨てれば、蟻さんは喜ぶかもしれないが、ゴミ箱はびっしょり濡れる。それに庭に氷を捨てるのは負けた気がする。う~んと考えたあげく、アメリカンコーヒーを作る事にした。あの薄~いコーヒーだ。

   アメリカのコーヒーは薄味だ。アメリカに住んでいる頃、 iced coffee を頼むと、もちろん薄口のコーヒーが出てきたもんだ。確か、Starbucksで 『う゛ぇんティサイズのアイスドコーヒーを、アメリカンでテイクアウトでお願い』 と気取って頼めば、アイスコーヒーに水を足してくれてアメリカンとして出てくるはずだ。ではなぜアメリカ人は薄口のコーヒーを飲むのか?これにはそれなりの理由がある。

   それは、西部開拓時代の名残だ。ゴールドラッシュが起きた1849年辺りより、西海岸はたまたヨーロッパ各地から一攫千金目当てで西部へ人々が押し寄せた。だが、水はあまり良くはなく、そのまま飲めないので鍋に挽いたコーヒー豆を入れて上澄みを飲んだそうだ。だが、濃いコーヒーは何杯も飲めるもんではない。あくまで水代わりに飲むため、そのコーヒーは薄口が好まれたそうだ。その名残でアメリカ人は薄口のコーヒーを飲んでいるわけだ。

   もちろんアメリカ人とて全ての人々が薄口が好きと言うわけではない。フレンチトーストなどのビターなコーヒーを好む人もいるし、アイリッシュ・クリームというブランデーの甘みを好む人だっている。少なくとも日本人よりはコーヒーにうるさい人々だ。だが、やはり伝統はと言えば、薄いコーヒーなのかもしれない。実際、アメリカのコーヒー屋で 『House』 (自家製という意味か?) というコーヒーはとても薄かった。

   家に帰り、アイスコーヒーをもちろんその氷で作ったら、あら不思議、良い感じのアメリカンが出来上がった。これで怒りも収まり一件落着だ。

   ただ、アイスコーヒーだけはコンビニで頼むもんじゃないと学習した一日だった。


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2013年2月27日水曜日

後悔の青いガイトウ

   ふと、洋もんの映像を見ていて思ったのだが、欧米の街灯は美しい。欧米の街灯は単に明かりというだけではなく、その街並みや景観美を最大限に生かすように設計されており、自らが持っている伝統や様式美をその街灯につぎ込んでいるように思える。だがそれらの値段は高いのだろうかと言えば、そうでもないだろう。基本は大量生産の品物なのでそれほどお高き物ではないと思える。それと比べ日本の街灯はどうもさぼしい。伝統は感じないし、感じさせない事こそがデザインと思っているフシがある。また商店街にあふれる街灯などには宣伝文句を入れたがる。 『ようこそ○○商店街へ』 などの挨拶文や、 『○○電気』 などと、その街頭の隣にある店の名前を入れているのが目に付く。そこにあるのは街並みや景観美を引き出す明かりではなく、単なる明るい広告塔だ。という僕も街灯をデザインしたことがある。それも、後悔するデザインの街灯だ。

   ある時、商工会の会長さんから 『商店街の街灯をデザインしてくれないか?』 と尋ねられた。へっ、街灯? 街灯のデザインなどはやったことがないと断ったが、 『街灯自体はパンフレットで既に商店街で決めたから、この絵を看板に入れるだけで良い』と言われた。その絵は町の商店街のロゴマークであり、虎さんの絵が描いてある。どうもそりゃないよという絵で、可愛いのかもしれないが、毎日それを拝まなくてはならないと思うと、町を美しくはしないと思った。 『どう思う?』 と質問されたので、そんな街灯なら町の価値を下げるので辞めた方が良いと思い、そのように提案したら、 『みんなで決めたんだから、そんな事を言うたらイカン』 と返された。それに 『せっかく補助金が出るのだから作らなくては損だ』 と言う。やむ負えないと思い、街灯自体は町の景観に影響を与えないように淡い黒とし提案した。だが出来上がった街灯は鮮やかな青。テッカテカの青だ。どうやら商店街の人々が、黒じゃ夜頭をぶつけるから危ないと言う理由で、こっちに理由を聞かずに勝手に変えてしまった。頭をぶつけるって、それを防ぐための明かりじゃないか。。それに青は昼に目立つだろ。。

   大きな都市の商店街と違い、田舎の商店街はなぜか補助金が出る。選挙などがあると地元の商店街が活性化するために、 『がんばります ! 』 という議員さんらは多い。だが、商店街は特別な存在なのだろうか?僕は違うと思う。確かに田舎の町などの商店街はシャッター通りと化している。だがそれは理由は明快だ。欲しい物が何一つ売っていないからだ。田舎の商店街は新陳代謝がきかない。そこは店舗兼住宅であってモールではないからだ。そこに街灯などを取り付けても、欲しい物があるわけでは無いので町が発展するわけはない。ちょっと飲み屋に人が増えるだけだろう。それに補助金と言っても、それは税金。僕らが払っている血税だ。それを行く魅力のない場所に使って欲しくはない。

   また、基本的に町を美しくすると言う感覚が鈍いと思う。絵や文字の入っている青い街灯が等間隔で並ぶ僕の町の商店街はとても美しいとはいえない。これはやはり都市工学などを勉強している専門家が入っていないからだと思う。自分らは町の商いを一手に担うのだから、その土地には何をしても良いと思うのであり、町を発展させるなどの公共的な考えなどはそこの住人にはまずない。本当は政治家がそれを調整し、そして専門家である建築家などが町の色を決め、そこで初めて商店街が出てくれば、もう少しよい町が出てくると思うし、欧米はそうしているが、どうも日本の田舎町はそんな考えがある事すら知らんようだ。

   僕は事務仕事の一環としてやった町の街灯のお仕事をとても後悔している。これから約30年はそのデザインで行くそうだ。また30年後には補助金が出るだろうから、その時変えるかもねと言っていた。それまでこのテッカテカした青い街灯が建っていると考えると、自分が少しでも携わったこと自体、お恥ずかしい。

   街灯一つ作るのにもじっくり考えて作りましょう。少なくともその色や形は数十年の間その町に居座るんですから。

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2013年2月26日火曜日

高速道路の、花咲かじじい


   昨年の12月の事だ。僕の住む宮崎の自宅裏に、高速道路が出来た。九州の中でも宮崎県は発展している県とは言えない。理由はやはり宮崎の交通の不便さにあると言える。九州の西側にあたる、熊本方面には福岡から鹿児島へ抜ける高速道路ができたし、新幹線も最近出来ているが、宮崎大分間はまだ繋がっていないからだ。構想からうん十年かかり、あとちょっとの所まで来ているが、その 『あとちょっと』 がいつになる事やら。。昨年末に出来た我が家裏にある高速道路を眺めながらそんな事を思った。だが、その高速道路をじ~と見ていると、既に出来たばかりの頃は白かった橋脚のコンクリート部分にサビ水が出ている。。上部のフェンスからクロ茶色の水跡がはっきりと視認できる。。なぜ錆びる材料を最初から使ったのかは、わからない。そして出来上がって3ヶ月もたってないのに既に汚い。。もう。。そしてその高速道路の脇の土手を見てみると、ウルトラ草ボ~ボ~ 何とかならんかネクスコ西日本。。計画も手入れもなってない。。

   僕の住む宮崎の田舎町では、85年ぐらい前に大山火事があった。僕の死んだ爺さんの妹が生まれてまだ3日の事だったと聞く。山手に住む多くの住民が焼き出され、約30軒ぐらいあった家々が一日で無くなったそうだ。原因は煙草のポイ捨てとも、焼き畑が延焼したとも言われるがよく分らない。ふと考えると、我が家裏の草ボーボーはとても乾燥しており、既にその葉は1メートルを軽く越えている。仮に不届き者の運転手が、煙草のポイ捨てなどされたら明らかに我が家に引火し家ボ~ボ~。う~ん、どないしよと考えていたらふとお伽噺の 『花咲かじいさん』 を思い出した。ふっ、花ゲリラでもやるかのう。

   花ゲリラとは、確か日本では70年代に少し流行した優雅なゲリラだ。汚い場所や、手入れされていない花入れやプランター、また何にもない空き地に勝手に種をまいていく優雅なゲリラ活動だ。そしてその種は撒きっぱなし。手入れまではしない。勝手に育てばそれで良し。花を増やすのが目的ではなく、汚い場所や手入れされていない場所がここにもありますよと宣伝するのが一つの目的だ。現代版の『花咲かじいさん』だ。

   もちろん人の家に勝手に種なんぞ撒いたら怒られる。それに逮捕者だって出ている花ゲリラ。もちろん高速道路の土手に撒いても怒られるはずだ。だが、家ボ~ボ~は何とか防ぎたいし、あまりにも裏の土手が汚さないじゃないか。

   なので、はっきりと言っておく。

   あくまで、妄想しているだけだ。。

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2013年2月25日月曜日

崇徳帝の呪い。。

   久しぶりにびびった。ふとニュースを見ていたら、とあるタレントさんが自分の子供に崇徳(むねのり)ちゃんと名付けたそうだ。おいおい、それは普通だったら、崇徳(すとく)と呼ぶんだ。。どうやら崇徳天皇の事を知らんようだ。知っていたら普通は避ける名前だ。崇徳天皇と言えば、日本最強の祟り神。。鎌倉時代の動乱を描いた『太平記』では魔界の王と位置づけられている、すんごいお方。知らんって事は恐ろしいもんだ。この子の将来に幸あらんことを他人の子だが祈るだけだ。

   崇徳天皇は、第74代・鳥羽天皇の第一皇子として生まれ、5歳で即位し天皇となった。平安末期のお話だ。鳥羽天皇の子供という扱いだが、実は鳥羽天皇の父親である白河法王と鳥羽天皇の奥さんである体賢門院(たいけんもんいん)が浮気して出来た子と当時から噂があったようだ。本当かどうかはもちろんわからないが、『古事談』には、鳥羽は一応第一子である崇徳を『叔父子』と呼んで忌み嫌っていたという逸話が記されている。

 白川が健在な頃は平穏無事に天皇で、当然の白川が亡くなると鳥羽さんは崇徳天皇を退位させ、まだ2歳の我が子である近衛天皇を即位させた。その近衛が若くして急死すると、もう一人の我が子の後白河天皇を即位させ、崇徳は父親(一応?)に無視されて育ったようだ。 

しかし、鳥羽が死んでから後白河と崇徳の権力争いが勃発。お互い側近の貴族や武士を巻き込んで勃発したのが『保元の乱』だ。この戦で崇徳は負け讃岐(香川県)へ島流しとなる。ここで崇徳が始めたのが、乱でなくなった人々への供養と、熱心な写経だった。この日々の暮らしで溜った写経を京都の寺に収めたかったらしく朝廷に打診したのだが、後白河は 『呪いが込められている』 と受け取らず突き返した。この事に崇徳は激しく怒り、 『日本国の大魔縁となり、皇を取って民とし、民を皇となさん』 『この経を魔道に回向(えこう)す』 と血で書き込み、そして髪や爪を伸ばし続け、夜叉のような姿となり、生きながら天狗になったと言われている。

   この後、多くの祟りが京の都で起きたとされる。だが一番の祟りは朝廷の世を終わらせ、武士の時代となった事だろう。崇徳の頃から約700年もの間、朝廷には力はなく、そして天皇の食事も事欠く時代だってあったことを考えると、『皇を民とし、民を皇とす』という崇徳の呪いは達せられたのかもしれない。

   朝廷はこの呪いを本当に信じていたフシがある。武士の世が終わる大政奉還の寸前である慶応4年(1968年8月)、後の明治帝は自分の即位の礼を執り行う前に、勅使を讃岐に使わし、そして崇徳天皇の御霊を京都へ帰還させている。そして京に神社を作らせた。そろそろ許してよという事らしい。

   藤原道真や平将門と並び、『日本三大怨霊』と呼ばれる崇徳天皇。未だにその讃岐にある縁の神社や陵(お墓の事です)などにテレビカメラが入ったらカメラが写らないなど、いろんな恐ろしいトラブルが発生したりするそうだ。そんな名前つけるのは、ちょっとそら恐ろしいと思うんだが。。

   だが、本当に日本を呪って死んだかは分らない。配流先で崇徳が『思ひやれ 都はるかに おきつ波 立ちへだてたる こころぼそさを』と詠んだと記述が残っている。しかし、考えれば寂しい人生だったのかもしれない。おじいさんとお母さんの子供として生まれ、そして父親に嫌われ兄弟で戦い、そして島流し。辛い人生だったのは容易に想像がつく。じゃあなおさら。。

   この新しい命に幸あれと祈るだけだ。

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2013年2月24日日曜日

国力の差を感じたオリーブの塩漬け

   僕がアメリカに留学しだした頃に、一番困ったのは 『食』 だった。僕は好き嫌いのない良い子なので、そんな災難が自分に降りかかるとは、アメリカに行くまで全く想像だにしなかった。だが、アメリカに行き一番最初に入ったレストランで、何とか読めたメニューが、『シチリアン・ブレックファースト』 と 『コカコーラ』 シチリアと言えばあのイタリアの南にある島。イタリアと言えばスパゲッティーの国。きっとこれなら食える。。ではなくオーダーできると思い、 『ヒヒヒィチリアン。。アンド。。コーラ~』と頼んだら、出てきた料理が見た目はシチューにポテト。そして自動販売機で売っている缶コーラ。こんなもん朝から食っとるんかイタリア人は。。と思いながら食べたら、クソまずい。。どうも味が嘔吐物(失礼。。)のような味がするし、とても食べれたもんではない。。困ってしまってわんわんニャにゃんと途方に暮れてしまった。

   次の日からこれは何とかせねばと色んなお店に入るが、とにかくまずい。結局食べれる料理が見つかる前に大学が始まってしまい寮生活となった。僕の大学の寮は大きな食堂が別棟にあり、その食堂を囲むように各寮が並んでいる。そこの食堂で出される料理はもの凄い種類の料理が食べ放題。果物がど~んと建物の中央のテーブルに天高く盛られているし、食事メニューだって40種類ぐらいはあった。とりあえず寮でご飯を食べねばならんと食堂へ向かうのだが、これまた食べれるもんではない。そしてそこにもシチリアンブレークファーストがある。。何食べてるんだアメリカ人は。。と、しょうがなく毎日ハンバーガーの肉だけにケチャップと塩こしょうで味付けしたものだけ食べていた。だが、毎日同じ物を食べてるとさすがに飽きる。これではイカンと町中を散歩していると、どうやらファーストフードがあった。名前はSUBWAY。今ではもちろんサンドウィッチ屋と知っているが、田舎育ちの僕はもちろんSUBWAYなんぞ知らん。恐る恐る入ってみると、店員はインド人だけ。。店内はとても暗く、マクドナルドのようなウェルカムな空気はない。いかん。。騙されると思い、走って逃げようと思ったのんだが、後ろにはアメリカ姉ちゃんが何人も並びだし、きゃぴきゃぴ言うとる。これでは店から出るに出れない。ママよ、ここで逃げたら大和民族の恥と思い、オーダーするはめになった。

   SUBWAYのシステムは、最初にメニューを選び、そしてその料理に入れる野菜を自ら選んでいく。もちろん英語が読めない僕は、ボードに書かれているメニューをガン見し、知っている単語のメニューをオーダーした。 『ミートボール ! 』 と精一杯の笑顔で店員に言った。そしたらインド人が 『ウィ~orホワイト』 と聞いてきた。ウィ~って何ぞな。。フランス語かのう? と思ったが分らない。やむを得んので、フランス人のように 『ウィ~』 と答えるとインド人が黒く焼いたパンを取り出した。ああ、焼いたパンの事ね。。と思っていると今度は 『グリーンペッパー?』 と聞いてくる。緑色の胡椒?あっのり塩の事か ! のり塩はミートボールには合わんだろとは思ったが、アメリカ姉ちゃんの前でまごまごするのはお国の恥。なのでばしっと、 『あ~はん~』 と言うと、ピーマンが出てきた。あっ、ピーマンの事だったのね。。そして最後にインド人が 『オリーブ?』 と聞いてくた。もちろん田舎で育った僕でもオリーブぐらいは知っている。油のコツっだろインド人 ! と思って頼んだらもちろん油ではなく、オリーブの塩漬けがどどっと振りかけられた。どんぶり1杯分ぐらいだろうか。そんなにいれんでも良かろうもんだが。。だが、これを食べたらめちゃくちゃ上手い。ミートボールにオリーブがこれほど合うとは思わなかった。大きい声では言えないが、初めて食べたオリーブの塩漬けはとても美味。それから毎日のようにSUBWAYにお世話になり、アメリカでの7年間の僕のライフラインとなった。もちろん店員とは日印同盟を組み、貧乏な時は余ったミートボールをタダでわけて頂いたし、その店に入る時はちゃんと 『ナマステ~』 となった。

   日本に帰国後、京都に住んでいた僕は、SUBWAYを見つけた。あっ ! 日本にもあるじゃんと、そそくさとお店に入り、 『ミートボール ! 』 と小学生のように言おうとしたが、メニューにはない。日本ではミートボールは売られてないようだった。しょうが無くチキンなんとか。。を頼み、オリーブを入れてね♡ と受付のお姉さんに言ったら、オリーブをとても綺麗に5個並べてくれた。へっ?こんだけ?アメリカのオリーブのどんぶり盛りとは大違いで全くオリーブの味がしないし、塩漬けではなく、どこか水っぽい。。京都のSUBWAYで国力の差を感じた。

   オリーブの塩漬けはアメリカのパーティーなどではポピュラーな食材だ。日本ではそれほど人気があるわけではないし、多くの日本人はオリーブの塩漬けを食べたことがない人もまだ多い。だが僕はこれほど好きな食べ物はない。まあ、日本産の食べ物ではないのだからしょうが無いのかもしれんが、たったの5粒ではとても悔しい。なんとかならんか。。と最近ずっと考えている。僕が住む宮崎の片田舎の町には、もちろんオリーブの塩漬けなどを売っているような洒落た店はない。買いたかったら宮崎市内までいかねばならんし、行っても種類はとても少ないのでおもしろくはない。

   それじゃ、作るかのぅ~って思いつい至った。よくよく考えれば、僕の家には田舎よろしく土地が余っている。その一角にオリーブを植えれば、自分の家で食べるオリーブやその油は自分で生産できるはずだ。作る方法はそれほど難しくはないし、それにせっかく田舎に生まれたんだから、田舎もんの遊びを極めたいと思って来た。

   数年後に、ミートボールサンドウィッチにオリーブを乗せて食べるのが楽しみだ。

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2013年2月23日土曜日

外国人観光客を増やせ !

   朝方、NHKで観光に関する番組をやっていた。東日本大震災以前以降、外国からの観光客はだいぶん減ったようだが、約600万にまで回復してきたそうだ。だが、何が良いのかお隣の韓国は既に1000万人もの観光客が来ているそうで、これに負けじと日本もがんばらなければならない。どう考えてもコンテンツはこちらの方が上だからだ。観光業、実はとても儲かる。市場は約140兆円規模もあるそうで、これは自動車の43兆円を遙かに超える一大市場だ。外国人が日本滞在時に落とすお金の平均は25万。よくよく考えて見ると、とても良いお客さん。地方が冷え上がっている今、これを迎え入れないと面白くはない。

   ではなぜ韓国は1000万人の観光客が来るようになったかと言えば、国を挙げて観光を誘致したからだそうだ。僕の経験で言えば、日本人と韓国人では韓国人の方が英語がしゃべれる。それに、観光に特化した英語のサイトは韓国の方がおさかんだ。また、韓国に行けば外国人は公共の乗り物などは安く乗れる。それに英語の表記も多いし、町の中にはガイドさんがあふれている。なるほど、韓国は日本と違い物価もそれほど高くはないし、それに欧米人から見れば日本も韓国もたいして変わらない。だが、細かく見ていけば日本と韓国では明らかに日本の方が美しいと思う。韓国の路地などはアジア全域で見てもとても綺麗な方とは言えはしないし、独自の文化は正直さぼしい。明らかに勝てる気がするし、勝たねばならんと思う。

   先日このブログにも書いた 『景観町づくりのつどい』 には桜島ミュージアムというグリーンツーリズムなどをやられているNPOの代表さんが講演をされていた。その方が言ってらっしゃったのが素晴らしい。 『自分らで地域の宝物を探して下さい』 とおっしゃっていた。僕らが住む日本にはまだまだ宝物がたくさん眠っている。普段、僕らから見ればあまりにも普通の日常であっても外国の方 (もちろん他県の方も) から見れば、それはお宝。実際見て触れて楽しみたくなるものだ。その NHK の番組では、japan-guide.comさんが紹介されていた。このサイトは日本に訪れる外国人が一番よく見るサイトなのだそうだが、その運営されている方が取材をされていた。行った先は有名な観光地とは言えない小さな町の雪祭り。そして彼が写真を撮っていたのが普通の路地や鮎の塩焼き、また着物コンテスト。日本人なら素通りしてしまいがちだし、僕も行かないような場所だ。もちろん外国人は京都の清水寺などにも興味はあるだろうが、普段の日本人の生活にも興味があるそうだ。よくよく考えれば日本人だってイタリアの一般人々の生活風景をながすテレビ番組はよく見られている。あれで見せれば良いのかもしれない。

   ただ、外国人観光客を受け入れるためだけが目的で町づくりなどはしてはいけない。京都で観光行政に少しだけ携わっていた頃、共産党系の議員さんに言われたのが、 『観光被害』 という言葉だ。その当時は何を言ってはるんですか?とからんだもんだが、今になってその言葉の深さが分ってきた。辺野古という北海道の町は外国人観光客がたくさん来るのだが、いろんな外国人とのトラブルもあるそうだ。観光のために新しい開発などをして、元からあった街並みや日常の生活を壊していくのは本末転倒だ。日常風景が見たいのに、非日常の場所を次々に作るのは明らかに問題がある。 『計画的に観光もできる』 町を作る必要があるという事だろう。

   もちろん英語の表示や両替が全く出来ないATMなどの問題はあるだろう。だが、ハードを整える時代はほぼ終わったと思う。あとはソフトをいかに暖めていくのか考える時代かもしれないと思った。そうすれば勝手に外国の観光客は増えるし、地方だって十分やっていける。

   外国人が歩いてきたら、儲かると思わねば損でっせ !

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2013年2月22日金曜日

『景観まちづくりのつどい』 に参加してきた

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   朝方、いつものように皿を洗いながらNHKの宮崎版を見ていると、 『景観まちづくりのつどい』 と言うイベントやると言う。午後1時から宮崎市民プラザで行われると放送してた。えっ。。初耳だ。。景観には人一倍強い思いを持ち、このブログを書き始めたのだが、そういう地域の情報にうとい僕は、朝の8時まで知らんかった。。今日は終わらせないといけない仕事があり、それを一日中やるぞ ! なんて考えていたのだが、設計のお仕事よりも、景観問題の方が僕には大事。って事でどったんばったんしながら、宮崎市民プラザまで車を飛ばした。

   このイベントは、以前にも紹介した 『宮崎市景観賞』 (宮崎景観賞も読もう ! ) の表彰イベントに始まり、 『みちくさ』 というフリーペーパーを発行している会社の社長さんの講演会、そして桜島でグリーンツーリズムをされているNPO法人代表さんのご講演、最後に建築協会の方とコーディネーター、それに市の都市整備局の部長さんを加えた5人でのパネルディスカッションで構成されていた。壇上に上がっている方々が都市景観賞を決めているので、どのような考えで景観賞決めるのか、また景観に対する意識はどれぐらい高いのかとても興味深く、メモをさくさくと取りながら聞いていたのだが、どうも景観に付いてのお話は少ない。どちらかと言えば、いかに町を活気づけるかという物がほとんどだった。地域の人々とのつながりを大事にしていけば、住民は豊かな生活が送れるし、町は綺麗になる。そんな話で少し僕には物足りなかったが、これもちょっとだけだが、前進だと思わないといけないだろう。 『宮崎景観賞』 は今回が第1回目だからだ。だが、一応イベント名は 『景観まちづくりのつどい』 だ。景観の意識が高い人々の講演なので、ちょっとしたお話の中に、良い景観へ町を導くヒントが入っているような気がした。その 『みちくさ』 の社長さんがこんなお話をされていた。

   宮崎県の北部に位置する五ヶ瀬町はヤマメの養殖が盛んなのだが、ヤマメを養殖し、密度が高くなれば本来の性格が変わるそうだ。またある一定の密度を超えると、オスがオスでなくなりメスがメスでなくなる。つまり産卵をやめるのだそうだ。

   実に面白いし、衝撃的でもある。彼女も言われていたが、人間社会でも同じ事が言えるかもしれない。町の人口密度が高い町とそうでない町では自ずと性格も変わってくるだろう。だが少子化の問題は町の都市化が関係するのだろうか。その辺は分らない。また椎葉村の風景についても紹介されていた。椎葉村は平家の落ち武者伝説が残る宮崎中央の小さな村だ。この村の家の配置は、『一つの尾根に一つの家』であり、それが美しいと言われていた。僕は椎葉村には行ったことがないので、本当かは分らない。だがそんな考えで家々が存在してきたのであれば、それは美しい考えだと思えた。

よっ ! 受賞作 !
   また提言として、観光地を新たに作る必要はなく、人々が生活していきたくなる空間を目指す方が良いとおっしゃられてた。僕もこの考えにはとても賛成だ。宮崎はかつてシーガイヤという第三セクター運営のでっかいプールを作ったが、見事すぎるくらいこけた経験がある。美しい海辺の松林を切り開き作った、海の横にある本物の海のようなプールであるシーガイアは、結局観光客もほとんど来ず、今どうなっているか、宮崎県民である僕さえ知らない。そんなシーガイアのような新しい観光施設を作るのでなく、旅人がそこの住民と一緒に生活したくなる場所を提供すれば、人々は勝手に集まってくるし、良い町であり続けることができる。そんな事をおっしゃっていた。

   彼女の言う事は正しい。生き生きとした町と死んだような町では、生きた町の方が美しいからだ。だがそれは、景観ではなく単に町づくりじゃないのか?思ったりもした。苦言を言うとすれば、生き生きとした町づくりは以前から皆やって来た事だと思う。だが宮崎の中央を走る国道沿いの景観の悪さは僕には耐えがたい。決して旅人がふらりと訪れて一緒に生きたくなる田舎の町ではない気がする。実際に 『みちくさ』 さんの写真は景観としては落第点がつく市内より、よい田舎の写真が多いようだ。これを変えて行くのが景観まちづくりだと思う。まあ第1回目だからしょうがない。これから町を美しくしていけばそれで良い。もちろん生き生きとね。

   僕は設計を生業としているので、町を見る視点はあくまで建物から見る。いかに町の色を整えるか、看板を無くすかなどといつも考えているが、こういった違う業種の方々から見る町のあり方もあるのだと気づかされた気がした。また、宮崎市内で景観良しの建物を設計せねばとも感じた。批判ばかりは簡単だ。世の中を変えるには実行していかねばならんからだ。まあ単に市内の方々からの注文が来ないだけなんだが。。

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2013年2月21日木曜日

日本人と髭の歴史

   以前ふと見たニュースにちょっとした抵抗感を覚えた。群馬県のとある市での出来事。その市では髭を伸ばしている男性は市民に対する不快感を与えるという理由で髭が禁止になったそうだ。また別のニュース。郵便局でとある男性が髭を伸ばしたので減俸したところ、男性が裁判に打って出たのだが、男性の敗訴。郵政公社側の言い分が通ったそうだ。別に全ての市民が髭に不快感を覚えたわけでもあるまいし、髭を伸ばした郵便屋さんがいても業務に支障はないと僕は思うのだが、これほど髭を伸ばしている人が増えたこの日本に、まだまだルールとして寛容に行くつもりはないようだ。日本人はどうもお上が決めるか、皆が一斉に始めないとルールとして認めない風潮があるようで、この風潮を僕はあまり好きではない。別にみんな好きに生きれば良いじゃないかと思う。。ふと考えると男の髭には流行期と衰退期があるようだ。ちょっと歴史をふり返ってみたい。 まず奈良時代から始めようか。というのもそれ以前がよく分らんからだ。まあボーボーなんだろうが。。

   奈良時代の偉人と言えば聖徳太子。がっつり髭面である。聖徳太子は隋の煬帝に 『日出処の天子、書を没する処の天子に致す。つつがなきや』 と送り、煬帝をめちゃくちゃ起こらせたのは有名だが、彼の肖像画 (本物かどうかは分らないが。。) には立派な中国風の髭がある。三国志などに出てくる関羽まではないにしても、それは立派な中国風の髭だ。 『つつがなきや(今で言えば、どうよ~元気?ぐらい。。)』 とは書いたものの、この当時の中国は世界1等の先進国。対等にやり合おうとしたが、その影響はやはり大きかった。当時の絵に出てくる男性はとても中国風の髭が多い。もちろん僧侶は別だが。

   その後、中国風の文化が若干だが抜けたのが、国風文化が花開く平安時代。だが髭は中国風のそれは少しすたれたがしっかりと残っている。だがどことなくその髭は整えられだし、手入れがされているような風合いが出てきている。例えば光源氏のモデルとなった藤原道長はすっきりとした髭だ。貴族の方々にも髭も生やしていた人もいるにはいたが、どちらかと言えば髭は武士の象徴のような感がある。だが、後に貴族となった平清盛はやはり貴族風のすっきりとした髭だし、もちろん平家の若君らも綺麗に整えられた髭をもつ。一方、源氏の方々はどちらかと言えば無精髭が多い。頬の髭を剃らない絵が源氏方の武士に多いようだ。幕府を起こした頼朝などは大きな大髭を蓄えている。平家と比べれば頼朝の大髭は威風堂々としており、平家との違いを浮きだたせている。鎌倉の時代から室町時代は髭に関してはあまり変わったようではない。どうも戦乱が多い時代は髭がボーボーになってくるようだ。

   戦国時代になると 『武士たる者、髭の一つぐらいは。。』 などと文献に出てくるようで、髭は男のシンボルだった。血なまぐさい世の中だったのか、皆大きな髭・髭・髭。足軽から大将まで皆大きな髭をドンと生やしている。武田信玄さんはドンと八の字髭。また、髭がほとんど生えなかった秀吉はコンプレックスだったのか、熊の毛で作った付け髭でごまかしていたのは有名な話だ。当時の顔当てなどを見ると、横にボッと伸ばしたような髭が好まれたのか、それは分らない。だがそんな顔当てが多く残っている。

   そんな髭の世に終わりを告げたのが江戸時代。徳川将軍家3代家光の肖像画までは髭を蓄えているのだが、4代目の家綱から全く無い。暴れん坊将軍の吉宗ですらつるりとしているし、これは最後の将軍慶喜まで続く。これは将軍家だけではなく、地方の大名家もそうだ。皆髭を剃りだした。庶民もつるつるが多い。一つのきっかけとして4代将軍家綱がだした 『大ひげ禁止令』 があるだろう。髭を生やしすぎると処罰するぞという法令だ。どれほど取り締まられたかまでは知らない。。時代も戦乱がなくなり落ち着いたので、皆髭を伸ばさなくなったのかもしれないし、それだけ男が軟弱であることが求められ出したのかもしれない。

   だがまた髭が再流行となる。明治時代に入った辺りから戦国時代さながらの濃い髭が続出する。発端はやはり大久保利通などの欧米を視察した政府要人らだろう。ドイツでビスマルクなどの影響でこぞって髭を伸ばし始めた。明治と言えば帝国主義まっただ中の時代。これほど軍人と外交官が活躍した時代はない。当時の軍人や外交官は髭を蓄えている人がとても多い。僕の地元宮崎の偉人である小村寿太郎は、あまり似合っているとは思えない口髭があるし、長岡外史にいたっては世界で2番目に長い、回したら飛んでしまいそうなプロペラ髭で有名だ。伸ばしてナンボの時代のようで、浮世絵の中の男は髭がビンビン生えている。

   この髭に再び転換期が来た。昭和20年の終戦だ。終戦以前も髭はやさない人は多かった。特に若者は髭を生やしている人は少なかったようだ。だが、偉い人は髭を生やしてた方々が多い気がする。だがその髭の皆様も一気にそり出した。戦後アメリカの影響もあるだろう。そして平成の御代の現在では、生やすだけで市民に不快感を与えるし、減俸だってされる時代とまたなったようだ。

   僕は髭を生やす生やさないは個人の自由だと思うし、そもそもそれ自体が流行なのだから別にルールで縛らなくても良いと思う。最初のニュースで見た群馬県のある市に、髭面の外国人が英語の先生として来たら注意するんだろうか。。まあしないだろう。職員の髭を管理する前にもっと他にやることがあるんじゃないと思う。とても馬鹿馬鹿しい話だ。

   あっ、長なった。。

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2013年2月20日水曜日

スピナッチ・ブリトーは美味

   昨日も書いたが、熱っぽい。しかし、寝てばかりいるほどお暇ではないので、ごそごそ起き出し、お仕事してる。夕暮れ時にふと洗濯物の取り入れのため我が4畳半の事務所を出ると、妙に良い感じの温度となっていた。こんな日は必ずぼやきたくなる。 『嗚呼、夜遊びしてぇ~』 と言っても、まっとうに (女性が付かないという意味で) 夜遊びができるような店など宮崎の田舎町に住んでいると出来はしない。田舎にある店といえば、居酒屋かスナック、もしくはエーコープぐらいしかないからだ。う~ん何とかならんかこの田舎町は。。と毎度のこと嘆きたくなる。やむを得んことなのだが、田舎は遊ぶ場所がない。これは都会で過ごし、帰って来た人間が誰もが陥る病気のようなもんで、元都会組はみな同じ事を言っている。しょうが無い、遊びに行こうにも行く場所がないなら、家で料理でもつくるか ! とごそごそとキッチンへ向かった。僕は現在、実家に住んでいるのだが、僕は約15年ぐらい一人暮らしをしていたので、お料理ができる素敵な男の子だ。またアメリカのカリフォルニアに住んでいたので、いろんなお国の料理に舌鼓を鳴らしまくってきた人間だ。なのでちょっとだけ料理には自信がある。今日のような過ごしやすい日は、ブリトーを作るべし。

   ブリトーは日本では一般的ではなかったが、セブンイレブンが 『ブリトー』 と銘打ち販売しだしてから一般的に知られるようになったそうだ。僕はアメリカで初めて食べた。初めはこりゃ何ぞなと思いながら食べたのだが、最後の方はハンバーガーよりもブリトーの方が好きになった。まあアメリカのハンバーガーはブラックペッパーが振りかけてあるだけで味がない。なのでケチャップをかけるのだが結局はケチャップを食べているようなもんであまり美味ではない。僕がよく食べたブリトーとはいろんな種類があり、作り方もそれほど難しいとは思えない。それにさっさか食べれるので時間が無い時などには重宝したもんだ。セブンイレブンさんが発売開始した時は、一人でバンザイしたものだが、残念な事にセブンイレブンさんブリトーはハムにチーズが載っただけ (ピザっぽいのもあります。。ってピザですが。。) 食べたらそれほど美味しくはなかった。それに、これじゃハム&チーズパンじゃん。。僕がアメリカで食べたシンプルで一番好きだったブリトーは 『スピナッチブリトー』 スピナッチとはほうれん草の事だ。これは単純な料理だが、美味しい。

   作り方はとても簡単。ほうれん草とジャガイモを茹でて若干のバターを付け、それに数種類のチーズをどばっと入れ、ブリトーの生地(名前は知りません)をぐるぐる巻くだけ。この出来上がったブリトーにサルサを付けながら食べるととても爽やかな味となる。チーズはブルーチーズなどが入っていた様な気がするし、若干の香料も入っていた気がするがこれはあくまでお好みでだろう。これは僕がよく足繁く通った我が大学の隣にあるメトロっていう喫茶店で、奥様が子供に母乳をあげながら1ドル25セントで売っていたものだ。いつも冷えたブリトーを買って、そして自分で隣にあるレンジでチーンして出来上がり。以外かもしれないが、これがコーヒーによくあう。小腹が空いた時などには本当にちょうど良い食べ物だった。

   以前、僕の高校の先輩宅でパーティーがあった時に、僕はブリトーを含むメキシカン料理を作ってあげ好評だった。簡単にできて評判も良い。それに僕の中の女子力もアップ。そんな料理だ。だが、ブリトーの生地が宮崎市内まで行かないとないんだよな。。

   さあ、作るかの~と思ってたら、 『昨日の煮付けがまだ残ってるよ』 と母が言った。

   さあ、今晩は煮付けだ ! 

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2013年2月19日火曜日

GILLEさんと東京ガールズコレクション


   どうも昨日あたりから、体の節々がぎこちなく痛いな~と思っていたんだが、どうやら風邪をひいたみたいだ。いつも体温計を見なければ元気なのに、不覚にも朝方見てもうた。これがイカンかった。。急に全てのやる気を無くしてしまい、食欲もまったくない。。まあ、少し寝れば治るだろうと思っていたのだが、どうも様子が変だ。インフル~でなければよいのだが。。まあ、違うと願いたい。

   って事で今日も音楽でごまかします。連日でホントすんません。

   宮崎は西都市出身の歌手Gilleさんで 『Try Again』 です。実は僕は彼女のファンかと言えば格段そうでもない。僕の母親がウルトラ大ファンなんだ。ラジオでGilleさんが流れようものなら、『こんな素敵な娘はいない ! 』 とず~と大声出して歌ってやがる。どうも彼女は母親好みの女性らしい。僕の母親はエアロビクスやダンスがとても大好きな人なので、こういった元気な女性を見ると嬉しくなるようだ。だが、言うだけならまだ良い。実は3月に宮崎で 『東京ガールズコレクション』 なるものがあるのだが、これにどうしても行きたいと言い出した。。僕に 『チケットどこで買うん?』 と聞いてきよった。。あんた60歳だろ。。いくらなんでも、60歳で東京ガールズコレクションへ行くのはお家の恥。 『あれねぇ~母さん、年齢制限があるんだよ』 と嘘を吹き込んでいる最中だ。

   だが母が言った。 『婦人会で行こうかと思うんだよね~』 あんた婦人会でファッションショーへ行くつもりなんかい!?

   うちの母親が東京ガールズコレクションにお邪魔するかもしれません。その折りは、ご迷惑をかける予定です。。 『GILLE~GILLE』と叫んでる絵がそら恐ろしいんで、今なんとか行かないように一族郎党を駆使して説得している最中です。

   なんか、ごめんねGILLEさん。。

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2013年2月18日月曜日

そのままエンスト~:D


   今日の宮崎の夕暮れ時の温度は19℃。ほんのり暖かくとても過ごしやすい。京都に住んでいる頃は、こんな夕暮れは夜遊びしなくては勿体ないと、知り合いを誘い喫茶店などいっていたものだが、宮崎のど田舎に住んでいるので、そんなウキウキしながら行きたくなる場所はまずない。あってもエーコープが関の山。。おしゃれな喫茶店は近くにはないし、知り合いもみんな決まって貧乏。喫茶店でディナーなどというゆとりなどはない。しょうがないから煙草でも買いに行くかと我が愛車を走らせていた。道路脇に満開となっている菜の花を見ながら車を走らせていると、どうも車の音が調子悪い。キーキー鳴っているやがる。う~ん、暖かくなって気でもふれんだろうか?などと思いながら、コンビニの前に車をつけた。いつものように煙草を買い、そしていつものように車のエンジンを回したら、エンジンがかからねぇ。。え !? 音はキンギンと鳴るのだが、あと一歩の所で踏ん張れない。周りにはうら若き女性達がじ~と見ているし、コンビニの真ん前に停めたんでコンビニ嬢からは丸見えだ。これは恥ずかしい。いい男が台無しじゃないか。。ママよ ! と思い何とかしたいのだが、ここはコンビニ、どうしようもない。JAFを呼ぼうかと思ったが、さすがにコンビニの前で頭を下げている自分を想像すると、それはねぇ~という結論に至った。お店に申し訳ないし、それに、よりによって財布を忘れきてもうた。。やむを得ん。ここは最後の手段よ ! と、困った時の神頼み。知っている神様を全て拝み倒し、『南無八幡 !!』 と、キーを回したらエンジンが動き出した。ホント、普段からよい子にしてて良かったよ。。

   普段からよい子にしていても、車がいつ止まるか分ったものじゃない。なので一応メンテナンスぐらいは自分でやっているよって自分に言い聞かせたくなり、家に帰り車の前方をパカッと開けた。ティッシュ片手にエンジンオイルの色をチェック。う~ん、まあまあ黒いね♡ 大きい声では言えないが、チェックをしようにも、それでどこが問題なのかはよくは知らん。。僕は男の子なのに車にはうといのだ。というか車自体にあまり興味がない。。なのでわ~黒い ♡ と思っただけでよく分らん。。今年の5月には僕の大嫌いな車検という大出費の季節がやってくる。それまで何とか持たさなくてはならん。。日本の車なので壊れるわけないと神仏に拝むだけだ。

   まあ、色々書こうと思ったのですが、まあ音楽でもどうでしょう。そんな気分なんです。『カローラⅡに乗って』です。小沢さん元気にしとるかな。。

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2013年2月17日日曜日

嗚呼、夢の工作室

   まだホームインスペクションのお仕事を始めた頃、もちろん道具類などは全く持っておらず、全て一から買いそろえねばならなかった。よってAmazonで検索したり、池袋にある東急ハンズをぐるぐるしながら工作器具を買いそろえた。大体20万近くはかかったと思うんだが、道具がそろってくるのは楽しい。床や壁の傾斜を測るレーザーレベルなど高い器具もあるが、壁のクギピッチを調べるための磁石や、意外と使える方位磁針などはもちろん安いく、見ているだけでやったるぞインスペクションなどと思ってくる。あまりにテンション余って知り合いの女性にメールしたのだが、へぇ~と愛想無いご返答。。どうも道具などを買いそろえるのは男しかテンション上がらない行為らしい。昨日も書いたが、お庭で蜂の箱を作っている。大方の木枠は出来たのだが、これで本当に蜂さんが来てくれるのか疑わしい。なんとか仕上げをせなイカンと思っていたら、雨が降ってきてやる気が幻滅してしまった。う~ん、やぱり工作室が欲しい。男の子だからだろうか。

   実は世の中、工作室を欲しがっているお父様方は結構いる。若い内は難しいのかも知れないが、子供が巣立って余った部屋を改装する方は結構いる。それは納屋の一部であったり、ガレージの一部だったりするようだ。作る物も様々だ。人によっては家具だったりするだろうし、プラモデルや模型などするだろう。作る物によってもその室の大きさはもちろん違ってくる。僕にとって普通の部屋の一部を改装し工作室にするのは、僕好みとはいえない。僕は宮崎の田舎に住んでいるので土地だけは余っている。なので田舎の暮らしをエンジョイするためにも独立した部屋をこしらえたいとぼんやり思っている。6畳ぐらいだと100万はかからないしね。

   やはり基本は土足にするべきだろう。足下にクギなどが落ちていて裸足で歩くと、痛い痛いになるに決まっているからだ。だが湿度対策と雨水の浸入を防ぐため少しだけフローリングの高さを調整すればそれで良い。床は土間コンクリートをはり、刷毛引きぐらいはしたい。そうすると様になってくるからだ。また外部の掃き出し窓は、天井から釣るべきだ。実は僕の家にも既に父親が作った工作室 (別名 物置) があるんだが、普通のレールサッシを使っているため、木くずが下に溜まり、これが雨水に触れると汚いからだ。また工具類がすぐに使えるよう、壁に取り付け金具で釣れば良い。また暖炉も付けてみたい。余った木はそこで焼けばそれで済むし、暖かいからだ。その部屋には大きなテーブルがあり、ウマ(大工が木を切る時に使う足場です)などもある。多分見ているだけで男の子ならテンション上がるはずだ。女性にはわからんだろうが。

   昨日も書いたが、家の家具ぐらいは自分で作れば、それなりに楽しいもんだ。ホームセンターに売っている量産品よりはお値段は張るだろうが、おしゃれな家具屋さんで売っている5万ぐらいするものなら自分で作った方が安く出できる。その家具などをどのように作るか、色々考えるだけでも男の子は面白いもんなんです。

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2013年2月16日土曜日

家具ぐらい自分で作りましょう

手作りで十分です
   僕が住む宮崎は大分暖かくなってきた。我が家の梅の木も満開となっているし、桜の種類によってはちらほら花が膨らんでいる。以前にも書いたが蜂蜜取りを始めたいと思っている (蜂蜜を採って小遣いかせぎ ! も読もう ! ) 宮崎で言えば2月の終わり頃だろうか、日本ミツバチさんらは分蜂蜂球という物を作る。これは新たな女王蜂が誕生した巣から、女王蜂さまは働き蜂どもを引き連れ巣を出て新しい巣を探しすんだが、その時に女王蜂さまを護るために働き蜂どもが塊のようになる事を言う。これをせわしく網で取り、巣箱に入れて3日ぐらい蜂らがいてくれれば、後は勝手に蜂蜜を作ってくれるし、町で売れる。1升(しょう)で約2万円ぐらいだろうか。そのための蜜箱を既に1個は作ったのだが、それだけでは物足りず、いろんな形の物を作っている。時期が時期だけに急がないとイカンのだが、お仕事が詰まっているのでやむ負えず後回しになっている。明日がんばろう !

   ふと思ったのだが、日曜大工って言葉が死語に近くなってきた。最近DIYなどと言われている。だが、少なくとも僕の周りでDIYをする人々はとても少ない。僕の親の世代でもそれほどいるような感じはない。僕の父親は自分で勝手に家を作ってしまうような、物好きなのだが、その周りの友人らはそれほど自分で物を作っている光景などは見たことがない。僕は今30代なのだが、それほど周りの友人などもやっていないのではないだろうか。

   仕事がら、作り付けの家具を頼まれることがよくある。それはこんなイメージでうんぬんなどと頼まれるのだが、毎度の事だが一応お客さんには説明する、 『買った方が安いですよ』 そりゃそうだ。大量生産品にはどうしても値段では勝てないし、一から僕らがデザインし、家具職人または手が器用な大工に作らせてはどうしても時間がかかる。って事はそれなりの日当が発生するという事だ。安く作ろうとしたらどこかで手を抜かねばならないし、それではクウォリティーで微妙になる場合だってある。同じ物を安く大量に作る人にはそりゃ勝てない。『そこを安くで~』 と言う人もいるのだが、 『それじゃ作れません』 とお断わりする。その代わり 『自分でネットで調べて作ったらどうでしょう』 と助言している。

   良い時代になったものだ。昔は、お父さんが、自分で色々考え、寸法を出して休みの日などに、のこぎりギコギコしながら作った日曜大工。いろんなDIYの本は出版されているし、なんと言ってもインターネットを検索すれば何でも載っている。もちろんそこには寸法だって載っているし、材料についてもいろんな情報が説明してある。これを使わない手はない。実際僕も仕事で行き詰まった時はネットを検索し、アイディアをパクって、否、参考にしてるんだから。

   自分で家具などを作って見たらどうだろう。意外と簡単なもんです。それにキツイ作業ではないので、女性でも十便出来ます。安い物を買うと結局はすぐにぼろになるんだし。僕らが作る物は日本製。でも買うのは全て中国製。これでは人生楽しくはない気がする。

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2013年2月15日金曜日

部屋のコーディネートの基本のき

   先日、とあるお宅で部屋のインテリアコーディネートについて質問を受けた。僕は建築設計がお仕事なので、インテリアコーディネートについては本業ではない。だが、インテリアコーディネーターを雇って家などを作ると、その分お金がかかってしまうため僕に聞きたいらしい。まあ助言ぐらいはタダだ。もちろん全て図面に書いてコーディネートすれば、お小遣い程度はもらわないとやれないだろうが。専門家ではないが、もちろん基本的な事は知っている。なので教えてあげた。

   インテリアコーディネートの一つの考えとして、物の実面積の割合というものがある。部屋を上部から見た場合、物と何も置いていない床の割合が、5:5が理想と言われている。これはあくまでヨーロッパあたりの基準であるが、理想の形と言えるだろう。日本の場合は、やはり4:6に持って行ければ良い方だ。日本はヨーロッパのそれと比べ物がどうしても多い。また、ヨーロッパあたりの家の面積は日本よりも広めに設定してある。なので4:6ぐらいでちょうど良い。もちろん壁もしかりだ。壁にやたらポスターや写真などを配置すれば、やはりどうしても壁が広告のようになり煩雑になるので、ある程度の落ち着きを持たせた方がよい。

   また、スタイルに合わせた部屋づくりも考えの一つだろう。スタイルと言っても色々ある。エレガントやシンプルモダン、カントリーや和風、またはクラシックなど自分の好みのスタイルを決め、そしてそれに向かって部屋をさわって行けば、理想の形へと自然と近づくはずだ。

   よく知られているのが、家具の色の統一は重要という事だ。だが意外と知られていないのが、家具の色は床、もしくは壁の色に合わせた方が良いという考え。例えば、白い壁の部屋には白い家具を使った方がよい。その方が狭い部屋も広く感じるからだ。仕事で設計する時など、床の色と壁を同じ色で設計する事があった。とある会社の本社オフィスのコンペがあった時の事、社長室は床と壁を同じ色の木で統一した。重厚感を出すためだ。その方が落ち着くし、お客さんに対面する場合の信用度も変わると思ったのでそうした。またこの手法を個人の部屋に持ってきても良いと思う。その方が、床と壁との境界がなくなり、広く感じるからだ。主にモダンな建物に多いデザインだと言えるだろう。多くの方は家具の色を統一するのは知っているのだが、家電製品の色を同じにせず買ってしまう。昔は白物家電と言われたように、家電=白だった影響だろうと思う。だが、今はいろんな色が出ているので、部屋の色に合わせた家電を手に入れるのと煩雑になりがちなキッチンなどは、落ち着いて見えてくるはずだ。

   人によっては壁や家具にペイントを施す人もいるだろう。例えば白っぽいペンキで、手で塗った感じの家具が欲しいとよく聞く。東京などの大都会では簡単に手に入るかも知れないが、僕が住む宮崎などでは通販が関の山だ。それなら自分で塗れば良い。一概に白と言ってもいろんな白がある。例えば白っぽい赤色や、白っぽい青色。本当に白~といった感じの、デザイナーがすまし顔で言うところの 『ピアノホゥワイト』 など、いろんな種類がある。塗装屋に色を指定すれば簡単にできるし、自分でするのであれば、普通にホームセンターに買えば良い。

   以前京都に住んでいた時に、近くまで観察に言ったのだがよう入らなかったケーキ屋さんがある。名前はキル フェ ボン (きっとフランス語♡) 外壁の色から内部の色まで、白を基調としたインテリアコーディネートを施しおり、実に勉強になる。もちろんいろんな白を使っているが、そのバランスがとてもフェミニン。実に勉強なると、学生時代に仲間と入店したかったのだが、そこは女の園。近づくだけで、香水の臭いがプンプンする。また女性が外にまで行列を作っており、入るに入れない。また連れが悪かった。。焼酎顔の大工、塩辛とキャバクラをこよなく愛すペンキ屋ではどうも分が悪い。また大工はお耳に鉛筆を差しているし、ペンキ屋の服にゃ塗装が付いているし。。しょうが無いから業者さんのふりはしたが、やはり並ぶ女性らににらまれ入れなかった。。関西に住まわれている方は行った方が良い。きっと良い店です。

   家を新築する時や改装する時にインテリアコーディネーターを呼ぶのは良いアイディアだと思うが、お金が高くなることを忘れてはいけない。先日、僕の会社でもそのコーディネーターが入った物件を作ったのだが、ちょちょっとお話しただけで、40万も取られたそうだ。ただ途中で降りたってのもあるだろうが、結局色だけ決めて40万は高い。まあ、途中で逃げるって分ったんで、本気で対応はしなかった気がとてもするんだが。。まあ、できあがりがたいしたことがなかったという事です。

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2013年2月14日木曜日

閑谷学校のハートの木

本当に美しい
   ふとネットのニュースを見ていたら、岡山県備前市にある旧閑谷学校にあるハートの形をしたクスノキが話題となっていた。同市に隣接する和気町の有志らが、周辺地域の魅力発信を目的に、このクスノキを 『ハートの木』 と名付けて県内外へPRしようという事らしい。このクスノキは昭和天皇が皇太子だった1926年に、自ら植樹された記念樹なのだそうだ。なんでも2010年に選定された後、自然にハートの形になったのだという。この学校は国の特別史跡にもなっているようで、その木造校舎はとても素敵で、また前面の芝生や、なだらかな傾斜の森はとても美しく、紅葉スポットとしても有名なんだそうだ。なんでも記事によると14日のバレンタインデーを前に、カップルがハートの木を背景に愛を語らい、写真撮影が出来るようにベンチを設置したそうだ。実に行きたくない。。

   恋愛マーケティングはもはや通用しない。これはマーケティング業界などで定説になりつつある。恋愛マーケティングとはカップルを呼び込むための施設や場所を設ける事だ。前提としてカップルはデートに出かけるし、お金も落ちるというものだ。しかし、消費意欲が強かった昔のカップルと違い今の若者は恋愛にはお金をかけないし、そもそもカップルの絶対数がとても少ない。それにカップルが集まる場所には非カップルは行きたくなくなる。もちろん、ニュースにもなったので一時的な訪問客は増えるだろうが、長い目で見たらこの町のために良いとは僕には思えない。

本当に美しい
   もちろん自然に出来た場所ならやむ負えないかもしれないが、町おこし的な運動で作るべきではない物と僕は思う。というのも、そう言う場所を作ったら、その対象でない人々が近寄れなくなるからだ。例えば京都の鴨川の3条大橋あたりの河川敷はカップルが等間隔で座るので有名だ。夕暮れ時になると大学生のカップルが座ってチュッチュしている。その河川敷はとても素敵な河川敷なのでカップルが座りだしたのだろうが、座って夢中でいちゃつくカップル以外の人間からすると良い迷惑だ。そこは公共の場であり、とても素敵な散歩道。また鴨川のほとりをゆっくりと自転車で走るにはちょうど良い場所なのだが、彼らがいるせいでその道を避ける人々が実は多い。

   日本は特定の人々を集めるのが良い町と思っているようだ。もちろん東京などの大都市なら可能だと思う。例えば秋葉原や巣鴨。秋葉原はオタクさんらが集うし、巣鴨は中高年の原宿だ。だが、その秋葉原にはちょっと入りづらい空気がないだろうか?また巣鴨にしかりだ。これは特定の趣向の人々が集まる場所であり、それ以外の人々は足を運ぶのをためらわせる空気があると思う。つまりそこはある特定の人々のための閉鎖的空間であって、万人向けに開かれているわけではないという事だ。もちろんそこは東京なので、それなりの消費があり成り立つのでそれをどうこう言うつもりはないが。

   以前僕が住む、宮崎のある田舎町でも 『恋愛の道(実名は隠します)』 という構想があった。有志の方々が動き、そして僕はその有志らに手伝わないか誘われた。というのも僕は設計屋なので、図面は書くしそれにこのようにブログも書く。またホームページなどを作っているので、ちょうど良いと思われたようだ。もちろんお断わりしたが内容は、他の市町村や県外から人を呼び、合コンをしてデートを楽しめる道を作ろうという物らしい。もちろんよかれと思ってだ。結果は散々たるもので、合コン一つ出来なかったようだ。本当に良かった。。そんな名前の道を付けられたらとてもメルヘンチック。1人で歩いているのを人に見られたら気恥ずかしくてたまらない。。それに合コンを町が推奨する動きもあった。合コン自体が浮かれていて僕は嫌いだと言ったら、『男がそんな事でどうするか ! 』 と怒られた。いやいや、嫌いなもんは嫌いなんだ。そんなものに税金を町が出すなら、僕は町から引っ越したくなる。

確かにハートです
   思うのだが、ヨーロッパなどの先進国ではこのようにカップルらのための場所を有志らが作るのだろうか。日本よりもカップルなどに寛容な国々ばかりだと思うが、そんなに多くはないと思う。それよりは素敵な街並みに力を入れそして、カップルだけでなく多くの非カップルの人々に集まってもらうように努力しているような気がする。その方が自然だし地域のためにも良いと思う。

   和気町の有志らさんらがやっている事はもちろんよかれと思っての事とは分っている。だがそれは観光客に開放的な町を作ろうとしているのだろうが、実は閉鎖的な運動だとも言える。ネットのニュースのコメントにも否定的な意見が目立っていた。中には昭和天皇が植えた木のため 『不敬罪だ ! 』 と書く人もいるが、僕はそこまで非難するつもりはない。だがそんなコメントを寄せいる人々はこの場所に行きたがるだろうかと思うのだ。仮に彼らにパートナーがいても、そこには行かないと思う。つまり実際は特定の人々だけの場所を提供すると、その他の人々を排除するんじゃないだろうか。少なくとも、僕の家の近所にそんな場所が出来たら、僕は近づきたくはない。

   町の一部の場所なのだから、特定の人々のための場所として喧伝するのは違うと思う。若い人ばかりが集まるバーに年配の方々が入りにくいように、公共の場所に特定の人々のための場所を作れば、その他の人々は集まりにくくなるからだ。場所という物は、どこかのテレビ局のように、 『嫌なら見るな』 では済まされない物だから。

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2013年2月13日水曜日

高齢者住宅改修での設計のお仕事


   今日は宮崎の佐土原町のあるお宅に、介護保険リフォームの打ち合わせに行ってきた。設計士である僕とケアマネージャーさん2人 (1人は新人さん?) との3人で訪問したのは、80歳ぐらいの夫婦さんのお家。設計屋の端くれである僕も、高齢者用の手すりの位置や高さなどは、もちろん頭の中に寸法などは入っているし、知識としても入っている。だが、対象者であるご主人さんの動きに沿った寸法や高さとした方がもちろん使いやすいので良い。よって、ご主人さんの動きをじ~と観察しながらのケアマネージャーさんらと相談しながらの作業となった。しかし、ご主人さんらはもちろん一般の方なので、ある程度はこちらで考えてあげないといけない。
   
 そもそも介護保険の住宅改修には補助制度がある。正式には高齢者住宅改修費用助成制度といい、20万円を最高額として9割を国が負担してくれる。例を出せば、20万のリフォームだと2万円が実費負担となり、18万円が補助となる。最高限度が20万円なので、25万円のリフォームなら5万円の自己負担だ。内容は手すりの取り付けや段差の解消、滑りの防止及び移動の円滑化のための床材の変更、引き戸等への扉の取り替え、洋式便器等への便器の取替え、その他に住宅改修に付帯して必要となる住宅改修 (下地や配管類の補強の事) などがある。多くの古い住宅などは、そもそもバリアフリーやユニバーサルデザインで設計されているわけではないので、高齢者が同居されている方々は使った方が良い。

   しかし、工務店としては正直嫌がるお仕事だと言える。今回のお仕事が来たのも、僕が(一応)所属する社長からの電話からだった。社長曰く、『やっけなっつよ ! (標準語でおっくう)』 大工さんらからすると、現場に行き現場でさっさか寸法を合わせて工事すれば、1日で終わる仕事なんだが、打ち合わせや図面書きそして申請書類に写真を添付して、見積もりを作ってケアマネージャーさんとご相談。これが宮崎弁で言う 『やっけねぇっつよ ! 』 となる。またこういった諸作業をやる時間を見積もりに反映させると、この安さをウリにしている僕が (一応) 勤める工務店などでは、高いんじゃないかと思われるのを嫌うようだ。

   以前僕の家にこの介護保険を使い手すりの取り付けを行った。たしか8カ所ぐらい付けて合計23万ぐらいしたと覚えている。よって支払ったのは3万円。手すりにはいろんなタイプの物があり、安い物から高い物まである。また付ける場所にもより大工手間が違ったりする。だが僕の感覚では、その費用のうち半分近くは設計代のような気がする。と言うのも、申請書類や図面や打ち合わせ等に要する費用を出せば結構な金額となるからだ。僕のお家をやってくれた大工さんも、こんなに 『やっけねぇ』 仕事はなかったと言っていた。そりゃあなたがパソコンを使えないからだよ。。 

   以前にも知り合いの工務店の社長さんから、介護保険リフォームの打ち合わや図面作成をやってくれないか?と言われたことがある。費用は1万円でどうだ?と言われたので断った。図面作成や打ち合わせでかかる、延べ5日ぐらいの仕事を2万では、女子高生のコンビニのバイトよりも安いからだ。要はピンハネするか、我が社は安いですよと言いたいらしい。そこ大工さんの日当は13000円なのに。。まったくふざけた話だ。

   今回のお宅は娘さんが入院しているらしく、退院してからデザインらを決めたいとの事なので、結構な延べ日数がかかる。だが安くで、使いやすいカタチにしてあげたい。なので、ぶっ飛ばして設計図面を書いている。大工さんが1日で作りあげる現場に、打ち合わせや図面や申請作業で延べ5日はかかりそうだが。。

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2013年2月12日火曜日

ユニットバスより、デザイン風呂

   設計のお仕事をしていると、建材屋さんに行く機会が多い。建材の世界は新しい商品が次々に出るため、こまめな情報交換が重要だからだ。ちょっとした用事があり、宮崎県は西都市にある建材屋さんに寄った。建材担当のマダムといつものように商品の事をお話しをしていた。パンフレットを見ていると、そこにあるのはユニットバスだらけ。ちょっとだけ、なぜ備 (そなえ) 付けの浴槽などは流行らないの?と聞いてみた。というのも僕が京都で設計していた頃、よく備付けの浴槽を使ったお風呂を計画し施工したんだが、宮崎ではまず見ないからだ。マダムは答えた。 『備付けのお風呂は見た目がエッチ~からよ♡』 んなわけない !

   最近建てられる新築の場合、お風呂はユニットバスとなる場合が多い。理由は簡単安いからだ。一番安い物だと、15万ぐらいから販売されている。それにユニットバスは施工がとても簡単。ユニットを買ってきて、部屋の中に収め、給排水や電気をつなげばできあがる。また研究つくされた商品なので、水漏れの心配もほぼないし、設備機器としても申し分はない。

   それまでのお風呂は、タイル張りの場合、どうしても職人さんの手間がかかるため、大きなお金が必要であった。お風呂だけで場合によっては数人の職人が1月ぐらいかかって作っていたそうだ。それに地震などで亀裂が入った場合、水漏れの心配だってある。ユニットバスが一番最初に入ったのが、あのホテルオークラ。ホテルなので、上部の階の水漏れを防ぐためにユニットバスはちょうど良かった。また時期的にも東京オリンピックの開催という時期。施工期間の短縮しないと間に合わなかったようだ。

   設計する立場の人間から言えば、ユニットバスは楽だ。そりゃそうだ。決められた寸法のスペースを確保するだけで終わりだし、図面だってすでにメーカーが作っている。それにある程度のデザインは担保してあるため、お風呂のデザインを考える必要が全く無い。だが、どうも僕はひねくれているのか、あまりユニットバスのお風呂は好きではない。日本人はお風呂が大好きなのに、これほど室としてのお風呂にこだわらないのはどういうことだろう。

   いぜん、個人住宅のコンペに参加したことがある。場所は滋賀県のとある山の上。施主さんの希望で、コンクリート造のお家を設計した。その最上階である3階に、10畳ぐらいの大きな風呂を作った。埋め込み式の浴槽には3人ぐらい入れるし、横から泡だってでる。そしてその部屋にはワインなどを飲むためのスペースもあり、湯船に浸かれば大きな窓から琵琶湖がどっど~んと見える。もちろん外部から、すっぽんぽんは見えない角度で建物自体を設計してある。とても素敵な風景なので、あえて大きく、そして長時間入っても飽きないお風呂に設計した。もちろん、 『エッチィ~』 と我が設計事務所の若い女性職員には言われたりしたが、施主さんにはすこぶる好評で、他社を出し抜きコンペに勝利した。

   現在僕が進めようとしているスモールハウスには出来るだけユニットバスは入れたくはない。一番の理由はそのスペースが限られているのと、どうしてもデザインとしての面白みにかけるからだ。スモールハウスの醍醐味の一つとして、小さい坪数の家だからこそ、デザインにお金をかけれる事。それに小さい家はその内、出て行く事が予想されるため、魅力的なお風呂を作っておけば、売り抜けやすいし家賃収入も高く設定できるからだ。

   いろんなお風呂があっても良いとは思っている。温泉旅館のような陶製の浴槽であっても良いし、僕が設計したように、その他の機能を持たせても良い。もちろんそんなお風呂を作っている設計屋さんはこの日本にもたくさんいる。宮崎でユニットバスが多いのは、施主さんもそういったアイディアを元々持っていないし、ユニットバスが最上の物と思っているからだと僕は考えている。

   マダムよ。備え付けのお風呂は奇異に見えるのも、それは宮崎が田舎だからさ。

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