2011年12月31日土曜日

余計な看板はお断り

 
余計な看板はいりませぬ。
 今日は大晦日という事で、我が家も大掃除。庭を掃除していたら、ささいな事で父親と喧嘩になり、ふてくされて庭掃除をほったらかして自転車を磨いていた。僕は自転車が好きだ。新しい舗装された若干の下り坂道をゆっくり流す瞬間は至福の時だ。そうだ、自転車に乗って三社参りでもしようと思い高校の先輩に連絡しら、『予定が入っているから、無理』って断られた。既婚者はいろいろと忙しいのだ。

 以前、TBSのプロデゥーサーの疋田さまご飯を食べる機会があった。その方も自転車が好きで、いろいろな記事を新聞・雑誌に投稿されている。ついでに言うなら『自転車ツーキニスト』という本まで出されている。スゴイ!この方が『自転車に乗る事で、東京の町が点でなく面になった』と言われていた。電車で駅から駅までだと気づかなかった風景やお店などが、自転車に乗る事で気づいたという事だそうだ。

 自転車に乗ってると、街道ぞいの風景が目に入って気持ちいい。しかしふと考えさせられる物もある。日本の看板の異常な量だ。たとえばアメリカの場合、通常、街中に余計な看板は一切無い。もちろんお店などにはそのお店の看板はあるのだが、宣伝用の看板という物は皆無に等しい。その代わりフリーウェイは広告の看板だらけだ。しかし日本はどうか。田舎の国道沿いにある看板の酷さは目に余る。せっかくの田園風景の中に、ど~んと看板を立てて、〇○商店は右に400㍍なんて書いてある。そもそも道というのは、企業やお店の広告ではないはずなのだが。。友人に言わせると、『お金になるのだから、しょうがない。みんな必死なんだ』と言われた。しかし僕は、他人の銭儲けのために、自分の目を汚したくはない。
 
 僕は看板に税をかけても良いと思うんだが、どうだろう。もう他人のエゴを見ながら自転車を運転するのはうんざりだ。

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2011年12月30日金曜日

薪ストーブと桜の木

薪ストーブのある暮らし

我が家には薪ストーブがある。まだアメリカにいた時、両親が遊びに来た。アメリカの家庭やアパートには、暖炉が備え付けられている事が、ままある。それを見たせいか、父親が薪ストーブに興味を持ち、実家にも取り付けたのだ。

薪ストーブは石油ストーブと違い部屋中が暖かい。冬の間でも窓を開けててもあまり気にならないし、朝早く起きても薪ストーブがある部屋は温もりが残ってる。それにシーリングファンがあれば部屋中ぽかぽか。どことなく、ブルジュア~な気分にさせてくれる。もちろんカーボンゼロという考えでいえば地球環境にも優しい。我が父は喜び、周りに自慢しまくった結果、知り合いやご近所さんに薪ストーブを備え付ける家が増えてきている。

しかし、薪ストーブには当然の事ながら薪が必要になる。お金をだせばもちろん買えるのだが、大体一束500円ぐらいだろうか。ブルジュアの欠片もない我が家は薪を買うなんて事はせず、どこからか手に入れてくる。どこどこで廃材が出たとか聞けばすぐに出動だ。1年前の冬、町が桜の木を大量に伐採した。聞けば、道路沿いにある桜の木が邪魔で畑の作物が育たないとクレームが来たそうだ。ちょっとそれはいかがなものか。自分の利益のために町の一つの景観を変えるのは。。うんぬん。。

しかしである。実は桜の木は最高級の薪になる。。って事で。。背に腹は代えれないし、そんな気もさらさらない父と僕は、翌日の朝5時半に現場に出向き、抗議の狼煙を上げる訳でもなく、黙々と薪〇棒をしてきた。町役場の役人様方もその辺の事情はよ~く分っていて、ちゃんと切った桜の木は片付けもせず、もちろんその計画も予定もないので、枝も幹も切ったまま放置されていた(エライ!!)。もちろん他の泥〇が狩り場を荒らす前に敏速な行動で薪を軽トラックに入れ、ビニールハウスの中で乾燥させるのだ、もちろん他の家の事も考えほどほどの量をだが。う~ん、我が町もなかなかよく出来ている。

今日はその薪を割ったり、長さを整えるためのせん断作業で1日が暮れた。ブルジュアでない我が家は冬は大変なんです。

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2011年12月29日木曜日

朝飯前の作業

人生が変わります
どうも僕はクリエイティブな作業が好きなのに、得意ではない性分だ。現在、工務店さまのホームページをヒョンな事から作り始めたが、なかなか写真や構図がしまらない。いつもの事だがポスター・商品や建物をデザインする時、僕は人一倍悩み、人一倍苦労する。ができあがりはいったいどうだろう。悩んでも苦労しても、そこにあるクオリティーが問題なんだ。ようは不器用なんだと思う。写真をどう配置すれば美しいのか、どういった文章を書けばググッと来るのかなど、僕の頭の中は煩雑になる。日々、産みの苦しみを味っている年の瀬だ。
 
 そんな時、ちくま文庫から出ている『思考の整理学』と言う本を思い出した。そこには『朝飯前』について書いてある。作者の外山滋比古さんが書いてある事を要約すれば、ご飯を食べると人間の脳は眠くなるのは当然。なので朝起きてご飯を食べる前に仕事をする。そして朝食ではなくブランチ(朝食と昼食を合わせたものです。)を取り、ガッツリ昼寝をする。そしてまたおきたらすぐに仕事に取りかかると、一日のあいだ効率よく頭が働き仕事もはかどるそうだ。日本には早起きは『三文の得』と言う言葉がある。この言葉があらわすように、先人たちは朝飯前に仕事をすると効率が良い事を本能として知っていたのかも知れない。

 しかしだ、世界にはメキシコ人という方々がいる。僕がまだ外国にいる時に知り合ったメキシコの方々は実に面白い事を言っていた。彼の国には『早起きは三文の得』という慣用句と真逆の言葉があるそうだ。『早起きをしても、夕日は早く来ない』。。。まあそのとおりではあるんだが。。だから遅刻が多かったのか。。それはそれで幸せなんだな。。きっと。。

 工務店さまのホームページを作るにあたり、ひとつだけ決めている事がある。最低ホームページのリニューアルを月1回で行う事である。そのためにトップページには、故意にその季節の言葉を組み込んでいる。なぜなら、今まで工務店さまが手がけた家の施主の皆様に、家を建てた後に何度も工務店さまのホームページを開いてもらい、見てもらい、そして楽しんで頂けたら、作っているスタッフの一人としてこれ以上の幸せはないからだ。なのでトップページの写真も月ごとに変える。言葉も月ごとに変える。決して『朝飯前』って言えるほど楽な作業ではないが、がんばるつもりです


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2011年12月28日水曜日

年の瀬と竹箒

比木神社の正面
 今日は、世間では仕事納め。明日から我が家でも年末の大掃除だ。大掃除の時に活躍するのが竹箒。僕はこの竹箒という物はデザインから見て一つの完成形ではないかと思う。仮に良質なデザインを定義するとすれば、人が使うために完成した『カタチ』をしている製品という事かもしれない。竹箒は自然にて育ってる竹を加工し、人の手を加え、そして使えなくなれば処分できる。これは環境サイクルとして、そして道具としても優れている。もちろん中国産だと、輸送のためにその価値は半減するのだが。。
 
 日本は古来より神社では、その参拝道などを神社の方々が、日々箒を使い掃く。実は箒で掃くという行為は、清めるという事らしい。なので日本人は年の瀬となると大掃除をして、家を清めて新年を迎えるのかも知れない。家を清めてから新年を迎え三社参りをする。これは最近では減ってきたのかもしれないが、美しい伝統だと思う。


 僕は自転車に乗って神社を回るのが好きだ。上記の写真は宮崎県木城町(きじょうちょう)の比木(ひき)神社だ。僕はこの神社がお気に入りで、自転車に乗って遠乗りする時は必ず入口で休憩する。この神社は決して大きくなく、小さくなく、ほどよい大きさだ。入口にある大きな樫の木に脇で休息し、お茶などを飲む。すると、とても安らぐのだ。


 しかしだ、ひとつだけ僕には残念でしょうが無い事がある。この写真にはないのだが、この写真の左側。方位で言うと西側にあるブロック塀。せっかくの神社の趣が損なわれているようでならない。猫よけだと思うが、空き缶に木の枝を差し込んで塀に差し込んでいたりする。そして近隣には米の脱穀機械あり、この神社の美しさをこの地域に生かしきれていない気がするのだ。趣のある神社の脇に、趣のある橋や田園風景。余計な物を入れる必要はないと思うんだが。。

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『絶対景観』について


 このブログを始めるにあたり、このブログの名前にもなっている『絶対景観』という言葉について書こうと思う。
 長い事海外に住んで日本に帰って来た時、ある一つの看板が強烈に僕の脳髄に響いた。
 僕の町と隣町との境に『環境美化宣言の町〇○町』という看板があった(今でもある!)。しかしその看板がとても汚れているし錆びている。
 よくよく考えて見たら、日本にはこのような風景は多いのではないだろうか。海外の町並みと日本のを比べると、看板や文字、政治家のポスター、電線が目立つ。まるで景観の事を考えてない。
 本当にこれで日本は良いのだろうかと思い、設計の世界に入った。だから日頃から、景観の事ばかり言ってる。『これからは、絶対に景観を考えた家造り、街作りが必要だ』っていう具合にだ。
 だから『絶対景観』って名前にした。
 このブログで景観という観点から、街作りや家造り、そして僕がやっているホームインスペクションにて書いて行けたら幸せだ。
 下手な文章で恐縮ですが、末永いお付き合いを。 
 

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