2012年2月14日火曜日

日本にはPrincipleがない 街の作り方編

後藤新平さん
  昭和初期のカラー映像をたまたまyoutubeで見ている。これが非常に美しい。日本本来の美しさというものが見えてきたりする。昭和初期なので実は本来の美しさとなんて言うと、当時の人々からおしかりを受けるかも知れないが、現代から見たらだいぶ日本的だ。ふと考えて見ると戦争が終わったのが昭和20年(1945年) 今から67年前。二十歳で戦争を終わったとすれば大体87歳ぐらい。では昭和20年に87歳だった方々が生まれたのが1858年。幕末にあたる。明治維新が1968年って事は、昭和の初めにはまだまだお侍を見ていた人々がうじゃうじゃいたわけだ。凄い事だ。その方々から見て激動の明治・大正・昭和はどう見えたのだろうか。江戸時代の町並みなどに興味がある僕は、カラー映像を見ながらそう思った。

  多くの人々が江戸時代の町並みは戦争によって失われたと思っているが、それは違う。東京の場合で言うと関東大震災によって街割(まちわり)は変わった。後藤新平帝都復興総裁による事業が街を変えて行ったのだ。大きな震災が起こった時でないと、人々は街の計画を変える事を良しとしない。たぶんここには大きな心理的ショックがあるのだと僕は思う。復興に際し、その後の防災や来るべき自動車社会への対応という事が後藤の案にはあったのだが、すべては通らなかった。そのせいで後の東京大空襲の被害は広がり、また高速道路整備に支障を来す事になる。この時代に景観への規制も入れて欲しかったが、今となっては詮無き事。。では地方はというとけっして震災や空襲(もちろん少しはある。)などで町並みが変わったかというとそうではない。これは完全に経済がその理由。京都を見てみると分りやすい。京都は大規模空襲を免れた。少しは空襲を受けてはいるのだが中心部は全く受けていない。しかしいわゆる町屋は毎年100件ペースでなくなっている。維持して伝統的な暮らしを追求するより、安易にマンション業者に売ってしまった方が楽なのだそうだ。それは建築的な美しさや、改修する事によりよりよい生活を手に入れる方法を知らない人々が多い事を示していると思うのだが。。僕の恩師が言っていたのだが『日本は一生懸命古い建物を壊して、新しい家を作って来た』 本当にそのとうりなのだ。ちょっと哲学がないような気がするのは僕だけか。。

気持ちはよ~く分る!
  諸外国はどうか。例えば城郭都市などの場合。その城や城壁をどうするか20世紀初頭に建築家のあいだで議論が交わされている。例えばフランスの首都パリ。城壁がぐるっとパリ市内を囲んでいたわけだが、今は高速道路となっている。この城壁を高速道路とタイプの都市計画は世界中の主要な都市でよく使われている方法だ。もちろん反対もあった。なのでがっちり残っている国々だってある。名前は忘れたが、城壁などを残したいため高速は地下に埋めたって国もある。観光に力を入れている国々は昔の町並みをちゃんと残していたりするのだ。またフランスにかぎらず古い町を残すという取り組みは法律や条令で決められている。それに景観を残さなイカン!という団体が多いのだ。もちろんその中にはごっつい圧力団体もいたりする。景観をいびると敵を作るのが諸外国だったりする。しかし諸外国はとにかく議論する。それも市民まとめてではなく、ちゃんとプロフェッショナルな建築家や建築協会だったりする。日本の建築協会といったら見学会や清掃活動。。ついでに焼き肉会だったりするのが現状だ。。外国に負けない日本の建築協会になって欲しいとせつに願う。

  日本はこれからどう往くのかは分らないが、町並みを保全だけでなくちゃんと一つの哲学にそって考えて作って欲しい。白州治郎に気持ちだけ似ている僕から見ると『日本はPrincipleがな~い』と言いたくなるのです。

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