2014年3月28日金曜日

小屋裏では死にたくはない。。

  最近、枕詞のようになってきて申し訳ないが、実にインスペクションが忙しい。インスペクションとは購入、または、売却予定の建物を、売買前に第三者として調査に入るお仕事だ。であるので、売主さんや買主さん、また宅建業者さんなどからの依頼がよく来ている。引っ越しシーズンでもあるし、また消費税も上がるので忙しさの理由だと思う。ありがたいことだ。僕が住む宮崎は南国らしい天気が続いている。ふと現在の気温を見ると18°である。けっこうな春である。インスペクションをやるものから言えば、今からの季節が一番作業がきつい季節となる。小屋裏というサウナに入らねばならないからである。

小屋裏とはもちろん屋根裏のこと。夏場の小屋裏の温度は60°を超えるのはザラだ。そこに入り、雨漏りや結露の有無、断熱材の取り付け具合、金物の施工方法、動物の糞尿被害、白蟻や蟻道の有無、構造体力上主要な部分の施工精度、木材の含水率(どれくらい水分が含まれているか)の計測など。。まあそんなところを僕らは見ている。

さすがに60°を超える場所でカメラとノート片手に30分もいると、頭はふらふらとなり、体中の水分が一気に湧き出る。一般的なサウナの温度は40°~50°であると言われる。それより熱い60°の小屋裏に、作業着、防護服(福島などで着られている白いつなぎみたいなもの)、頭にはタオルでほっかむり、口にはマスク、手には豚皮の手袋、すね当てにひざ当て、それに計測器をい~ぱい体に縛り付け、ルーメン数の高いライトを何個も焚くのである。かなり熱い男の作業現場である。もちろん小屋裏から降りてきたら、体中が、これはホントに自分のか?ってぐらい酸っぱい。なので依頼者さんが同行している時などは、『小屋裏は終わりましたので、床下に入りますね~』と笑顔であいさつ。競歩で床下点検口まで行き、床下に逃げるようにして入って調査するようにしている。要はクールダウンしたいのと、あまりの汗にドン引きされるのが嫌だからである。

よく小屋裏の温度を下げるにはどんな断熱材が良いのでしょうか?と質問されることがある。多くの方が断熱材は熱を通さないというイメージをもたれているようだが、それは間違いで、単に断熱材は熱の伝導率(熱の伝わりやすさのこと)が低いだけで、熱を通さないわけではない。イメージとして熱を蓄積していると思っていただけると良いと思う。よっていずれは室内にじわじわと熱が伝わってくる。よって夜ぐらいになるとやはり蒸すのである。

やはり小屋裏の温度を下げ、暑い夏場でも直下の室内を快適にするには、『換気』と『遮熱』と『断熱』の組み合わせが重要であると思う。換気はできれば棟換気。棟とは三角形の屋根(切妻屋根)のトップの事。ここに換気口を設ける事により、自然換気を促すというものだ。だがある程度長い棟でなければ十分な換気量はとれない。よって短い棟の場合だと機械を入れて強制換気にした方が良い。また断熱材の外側には『遮熱材』を入れるのをお勧めする。遮熱材とは断熱材と違って、熱を反射して跳ね返す。断熱材の外部に施工することによって、断熱材に熱を送り込まないというものだ。実は外部から建物の内部に侵入する熱の93%は輻射熱といわれている。この輻射熱を、メーカーにもよるし商品にもよるが、9割以上反射できる。これらをうまく使えば小屋裏は涼しくなり、夏も寝苦しくはない。もちろん断熱材で家を包むのを忘れてはいけない。

日本は、こんなに暑い国であるのに、世界的に見て遮熱に関してはホントに遅れている。断熱材は床下に入れないのがまだ常識だし、棟換気って何?って工務店さんらはまだ当たり前にいる。やはりこれは、木造住宅は30年で取り壊して新たに建てる、みたいな考えがまかり通っていたのが理由の一つかもしれない。これが欧米並みのストック型住宅、つまり、いつかは住宅は他人に売るものとして考えられていたら違ったのであろうとは思う。今、国土交通省さまは中古住宅市場を欧米並みのストック型へ移行して行こうと頑張ってらっしゃる。正しい方向だと思う。そのために、僕がやるようなインスペクションは重要なのでもある。

僕がインスペクションで入った中古住宅には、遮熱材や棟換気の家はまだ見たことがない。断熱材がないのも当たり前という感じだ。いずれは出てくるとは思う。ただ小屋裏で心臓発作など起こして死にたくはないものである。いくらなんでもカッコ悪いし、寂しい。それに、死んだら死んだで損害賠償もんだからである。。

早く、ストック型にならないかな。。

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2014年3月26日水曜日

島津奔る

  最近、仕事でドタバタしていて、どうも脳みそが安らぐ瞬間がない。まあ仕事なのでしょうがないとは言え、こうも仕事が詰まると脳がトロトロになる。床下に調査に入ってトロトロ。車を運転していてもトロトロである。僕はたいてい、脳みそが疲れた時には本を読む。といっても読み始めて5分もすれば、文字がぼやけだし、すぐに眠ってまうのだが。。昨日は晩飯も食べず風呂も入らず本を開いたのは良いが、1ページも読まずに寝入ってしまった。。まったくどうかしている。。

  本来僕は、脳みそや体を使うのは好きではない。できる事なら一日中本をごろごろしながら読みたいと思うタイプの人間だ。最近、本屋に行く暇も中々ないので、昔読んだ本を最近ゴソゴソ取り出しては読んでいる。。というか開きつつ寝ている。最近、枕元に転がっている本は、池宮彰一郎さんが書かれた『島津奔る』である。10年以上前に本屋で買った本だが、この本はなかなか面白い。僕は宮崎に生まれ育ったせいか、島津びいきだ。だが本屋さんに行けばわかるのだが、島津の本などは信長や秀吉、家康に比べるとまことに少ない。もちろんそれは中央で活躍したとか日本史を根本的に変えたわけではないのが理由だろう。だが島津義弘公など立派な方が埋もれるのも、ちと悲しい。

  ちなみにこの本のことを書くとすれば、現在この本は本屋さんでは買えない。理由は、司馬遼太郎氏が書かれた『関ヶ原』との類似点が指摘されたからだ。まあパクった可能性があるとの事で絶版である。だが僕の感想を言えば、司馬氏の『関ヶ原』よりも断然面白い。和歌で言えば本歌取り、煙草でいえば本物よりうまい北朝鮮のマルボロ、ベルギー人も食べてびっくらこいた銀座のワッフル。まあ、そんなところだ。とにかく面白いし、いかに島津義弘という人が魅力的であったのかがよく分かる。この時代が好きな方は読まれた方が良いと思う。

  この本は本屋さんでは買えないが、アマゾンなどネットではまだ売っている。もちろん中古になるとは思うが、歴史ものでこれだけ面白い本もなかなかないのでお勧めしておく。

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まだ疲れてる。。

2014年3月24日月曜日

ワシントンの桜とハナミズキ

  すっかり春である。最近インスペクションの仕事が多くなり、九州をあっちゃこっちゃ飛び回っているのだが、車窓から見える風景はがっつり春。宮崎では桜前線はとうに過ぎゆき、今桜は6分咲きぐらいだろうか?田んぼに水は既に入っていて、実に絵にかいたような田園風景である。やはり日本の春はこうでなければならない。車を走らせながら、外回りが多い仕事で良かったと思えるのも、この季節ならでわである。

  朝方いつものようにNHKニュースを見ていたら、ワシントンの桜祭りをやっていた。ワシントンの桜と言えば、『憲政の神様』『議会政治の父』と呼ばれた、当時の東京市長である尾崎行雄のソメイヨシノである。なんでも日露戦争にて休戦の手助けをしてくれたお礼に桜を送付したのだそうだ。だが残念なことに、1910年に最初にアメリカに渡った2000本の桜の木は害虫や病気が発見されたために焼却処分されることとなった。だがこれではイカンと、また新たに有名な花見処である荒川堤の桜を穂木にして、兵庫県伊丹市東野村の台木に接木した3020本の桜を寄贈することを試み、これが成功。今から100年以上前のことである。これが契機となり、全米各地に桜が植えられ始め今ではサンフランシスコなど多くの日系人が住む町には大抵桜があり、桜祭りが開かれている。


  実はこの桜祭りの期間は、日本外交の独壇場となる。もちろん全米の各政財界の方々、また各国大使館員を招いてパーティーや商談会となる。今日の朝のニュースにも日本大使がスピーチをかましていた。正直、もう少し英語の上手な人を。。とは思ったりしたが、きっと立派な人なんだろうと思う。以前、サンフランシスコで働いていたころ、よく僕もさくら祭りを利用し、接待をした。クライアントの方とJapan centerで一杯飲むのである。そして毎年選ばれる桜クィーンを冷やかす。僕にはその桜クィーンの女性はどうも大味すぎて、なぜクィーンなんだ?と思わないでもないのだが、そこはアメリカ人のクライアント、彼らもだいぶ大味なので、『Whatta beautiful !!』などと言っていた。また、桜祭りなのに、盆踊りと太鼓のパフォーマンスが始まる。まことに強引な日本がそこにあった。もちろんアメリカ人は感動。僕は、なんか違う。。と毎度のことながら思ったりする祭りであった。まあ、うどんにキュウリが入っている国だから、細かいことは気にしていたら時間の無駄である。その後は、吉野家で〆である。日本風に赤しょうがを大量に入れると、中国のおばちゃん店員に『あの子、牛丼の食べ方わかっているのかしら?』と睨まれるのだが、そこはこちらも睨み返しながら食べてやった。

  なんでも100年前に送った桜のお礼にアメリカはハナミズキを送ってきたようで、これが日本でのハナミズキ第一号なんだそうだ。だがそのハナミズキ一号はほんのわずかしか残っていないそうで、ちょっと悲しい。たぶん戦争の影響もあったとは思うが、アメリカには桜が残って日本にはハナミズキが残っていないというのも、少し残念な話ではある。だがそのハナミズキ一号が100年前に日本に渡ったおかげで、一青窈さんがあの名曲『ハナミズキ』を作れたと考えるのは、ちと強引だろうか。ちなみにアメリカのハナミズキはめちゃくちゃ Beautiful!! である。だが英語名は『dog wood』である。もっとほかの名前はなかったんかいな。。と毎度思ったりする。まあ、アメリカ人は無理か。。

  あまり表面化はしていないようではあるが、オバマ政権と安倍政権は今ぎくしゃくしている。この桜祭りがそのギクシャクを少しでも和ませてくれれば良いと思う。どっかの半島が、この桜はわが国が原産の種と言っているが、それは嘘なので、あしからず。。


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明日も遠出だ!!
なのでブログは夜になります。。
すみません。。

2014年3月20日木曜日

インスペクションのメリットを説明します!!

『ボロです』とは診断しない
  最近、実に忙しい。図面も書かねばならないが、インスペクションのレポートも書かねばならない。第一、インスペクションの経験豊富な人間がまだ宮崎にほとんどいない。よって、不動産屋さんにインスペクションの説明を依頼されることだってあるし、そのためのプレゼンボードだって作らねばならない。またレポートも、以前所属していたインスペクション会社のテンプレートを使うわけにもいかず。。というより、ちとジジくさいのと非常にエクセルエクセルしていて見にくいので、僕なりに美しいインスペクション用のテンプレートを制作中である。まあ、最初から美しく完璧なものを作るってのは無理だろうから、指摘されたらその都度直していけば、良いものがおのずと出来上がってくるとは思っている。という事で、昨日はドタバタしながらチラシを作った。そこで今日は、インスペクションのメリットについて、軽く語ろうと思う。

そもそもインスペクションとは、住宅に精通した専門家が、第三者の独立した立場として、専門家の見地から物件について調査・報告するものだ。なので基本的に依頼される建物は新築であっても既存であっても構わないし、依頼者は売主さんでも買主さんでも、また宅建業者さんでも可能である。一番ベストなインスペクションのタイミングは、新築・既存を問わず売買契約前。と言うのも結構な瑕疵が見つかる可能性もある(実際新築でも結構ある。。)わけで、僕らが作るインスペクションの報告書などをじっくり見て購入を検討するのが良いと思われる。また新築の場合であれば、構造体力上主要な部分の瑕疵であれば施工した業者さんには瑕疵担保責任があるわけだが、やはり引っ越した後と前では引っ越し前に修補依頼をかけたほうが、相手も手直ししやすいし、渋りはしないことが多い。

ざっくりとインスペクションのメリットを書くとすれば、 


  • 経験豊富な第三者である住宅の専門家の視点による調 査とアドバイスが可能。 
  • 入居後の想定外の補修費用の発生を可能な限り抑えら れる。 
  • インスペクションの結果次第では、補修費用が負担可能な既存住宅瑕疵担保保証保険への加入も可能。 
  • 住宅やマンションの状況を把握した上での売買が可能 。
  • 見えない瑕疵を限りなく少なくできるので、売買上のリスクを大きく減らせる。
  •  住宅診断報告書を発行することにより、建物の履歴書として残すことが可能。 
  • 住宅診断報告書がある事により、売主様・買主様・仲 介業者様とも同じ情報の上で売買が可能。
  • 長期優良のリフォームの際のインスペクションとしても可能。
そんなことをチラシには書いた。

大体僕が作っているレポートはA4で30~50ぐらいのページ数。一見ページ数は多いようには感じるだろうが、実際には総評と補修を勧める箇所の一覧を見るだけでも十分理解できるようには作っているつもりだ。また料金も、建物の㎡数や場所によっても異なるが、他のところよりは安く設定している。理由は単純に宮崎県民は給料が安いからだ。。

ってことで今日もインスペクション頑張ってきます。

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疲れすぎてる。。

2014年3月19日水曜日

なぜマウスもテンキーも右なんだ?

  仕事が忙しい。鬼のようにタイピングし、高橋名人のようにマウスを35連打はしている。まだ京都の設計事務所で働いていた頃などは、8時から27時まで働いてもそれほどバテるものではなかった。だがあの頃は20代。さすがに最近は体がついていけない。目の奥が重いし、まぶたの痙攣は止まらない。マウスを握る右手と人差し指は腱鞘炎がひどく、今見たら、右手にはエレキバン7個に湿布を張りっていて、どこかの有名アニメ映画監督の手みたいになっている。やはりこれだけガタがくるのは年だからだろうか。。このまま同じような働き方で年をくっていけば、症状は悪化するのは間違いない。これは何とかせなイカンとは思っているが、辞めたらおマンマ食べれなくなるわけで、やめるわけにもいけない。目は薬と眼鏡と気合で何とかするしかないと思う。だがこの右手の腱鞘炎は何とかならないだろうか?そんなことを考えているうちに、妙なことを考え出した。なぜマウスは右で、テンキーも右側にあるんだ?不便じゃないか?

  最初に考えたのは、実はパソコンは左利きの人用に作られたのではないかという事。左手にマウスを握り、右手でテンキーを押せばexcelなどの事務仕事には向いているはずだと思うからだ。だが、僕はアメリカに住んでアメリカの企業で働いていた時期があるのだが、周りのアメリカ人で左にマウスって人は皆無だったような気がする。もちろんその会社は設計事務所ではなく軍関連会社であったので、それほどマウスやテンキーを駆使する会社ではなかったという理由もあるだろうとは思う。確証はないのだが、アメリカでも右側マウスが一般的ではないだろうか?って事で、ん~これはナシ。

  そもそもキーボードの初期型と言えるのはやはりタイプライターであろうと思う。タイプライターの時代には、あるにはあったかもしれないが、基本テンキーはない。なぜテンキーがないのかと言えば、テンキーなどよく使うものを今のようにキーボードの右側のみに配置していれば、右手が異常に疲れるし、それに早打ちをすればインクが滲(にじ)むという理由があったようである。その後、にほんでは1970年代ぐらいからワープロが出てきた。僕が中学校ぐらいがワープロ全盛期であっただろうか?まだシャープが元気バリバリであった時代だ。覚えているのは、僕が蛇口泥棒(なぜかわが母校では蛇口を首にぶら下げるのが流行(流行元は僕。。))をし、職員室で教師にぶん殴られていた時、その脇にはワープロがあり、他の先生らがカチカチと人差し指で華麗なタイピングスキルを僕に見せびらかしていた事である。実に『かっけ~!!』と、ド衝かれながら思ったものだ。今の若い人はよく分からないかもしれないが、ワープロあくまで文章作成のためのものであり、今でいえばオフィスのwordのようなもの。もちろん初期のものにはテンキーなどはない。

  その後、日本では急速にパソコンの普及が進んだ。たぶん僕が高校生の頃だったと思う。当時、excelがあったかどうかはわからない。だがそのころからテンキーが右側に固定化されてきたようである。やはりそれは、以前から八百屋のオヤジさんが使うような計算機が右利き用であったので、テンキーも右側配置で計算機と同じカタチになったのかもしれない。ちなみにアメリカでも計算機は日本と同じく右利き用が一般的だし、高校生の数学(あれは数学ではなく算数程度の問題。。)でも計算機を必ず使う。やはり made in Japan の計算機である。一方マウスは設定を変えるだけで、右利き用・左利き用とできるわけで、メーカー側としては『ご勝手に♡』という事かもしれない。パソコン機器メーカーは妙に保守的なところがあるので、これがなんとなく伝統となって今でも続いているのかもしれないという結論になった。もちろん勝手な思い込みではあるが。。

  だがそのおかげで、僕は腱鞘炎である。これは何とかせなイカン!!という事で、また1分ほど考えた。すぐに後付のテンキーと左利き用マウスを手に入れれば、少しは痛みが緩和するんじゃねぇ?って事に落ち着いた。要は右手だけを使うので痛いのだ。右手でマウスを握る時は左側にテンキーを置き、そして疲れたらテンキーは取り外し、左手でマウスを握り、パソコンのテンキーを使う。もちろん最初は不便であろう。だがなめてはいけない。僕は露も滴る元音大生で、ギターでアメリカ女をブイブイ言わせていた時代だってある。左手の指はは右手のそれよりも、ようけ動くのだ。老後のことを考えるとこれしかないんじゃないか!!と小学生のようなアイディアを思い立ち、いてもたってもいられず昨日電気屋へ向かった。だが買ったのは、手にフィットするマウス(右利き用)。。理由は店員のかわいい女の子が『これ私も使ってますが、いいですよ~』と言ったその笑顔に負けたからだ。。う~ん、情けない。。若い娘の笑顔にだまされるのも年だからだろうか。。

  って事で今も手が痛い。。

  ちなみに、テンキーは買い忘れた。。

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さあ、仕事だ仕事。。

2014年3月17日月曜日

藤巻幸夫さんが亡くなった。。

  昨日、びっくりするニュースが入ってきた。僕が以前から超尊敬していた藤巻幸夫さんが亡くなられたというニュースだ。54歳だという。いくらなんでも早すぎる。。

  僕がこのお方を知ったのは、多くの方と同様に、靴下や足袋などを扱う『福助』に藤巻さんが辣腕をふるって話題になったころからだ。ニュースであったと思うが、インタビューで藤巻さんが『福助の人形ってすごくかわいいでしょ!!』と大きな目をキラキラさせながら答えていた。それまでは福助という人形がかわいいなどと思ったこともない僕であったが、その藤巻さまの顔を見て、意外と福助ってかわいいなと思った自分がいたと同時に、この経営者さんは他の経営者さんらとは何かが違うと僕にはビーンときた。いかにもやり手のビジネスマンといった感じだし、そしていかにも一緒に仕事をしたくなるタイプだと思った。それ以来、この方の言動が気になっていた。。

  ある時、ふとNHKの教育テレビ(今ではE-テレって呼の?)を見ていたら、この方のビジネス講座をやっていた。もちろん教育テレビなので派手な演出などはなく、ジミ~な感じの番組ではあったが、なかなか実践的であり、普段の藤巻さまの働き方を映像として見ることができたのでありがたかった。その中で藤巻さまがある工場?アトリエ?に行かれた時の事を覚えている。そこで出されたその相手方の商品に『これは面白い!!』とまた目をぐるぐるさせながら大きな声を出されていた。よく僕も仕事がら、いろんなメーカーの営業さんらとお話をしたりする。中には僕を持ち上げるために褒める人もいるが、藤巻さまの場合はそんな臭いはせず、むしろ心の底からその商品の良いところを見つけているような感があり、またその藤巻さまの感動が相手にも伝わるようであった。ビジネスの極意とはこれである。そんな事を藤巻さまから教わった気がしている。

  その番組でも言われていたのが、『人の長所を見つけ、人を巻き込んで仕事をする』という事だ。確かに利益を上げている会社の社長さんらはとても魅力的な方が多い。僕もインスペクション(住宅診断)などでいろんな不動産屋の社長さんらとお話をするのだが、みなさんとても魅力的だ。今僕の仕事はインスペクションの比率が大きくなってきた。藤巻さまの教えを実践していこうと今回のニュースを見て思ったりした。

  実に惜しい人を亡くしたな。。

  早すぎるわ。。

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合掌

2014年3月14日金曜日

伊予灘の地震でビビった!!

  以前から書いているように、僕は昭和の半ばに作られたボロな離れに住んでいて、そこに父親が趣味で作ったベッドで寝起きしている。もちろん断熱材も入っていなければ、新耐震基準もクリアーしていな住宅だ。その部屋で断熱等級3の冬は暖かく夏は涼しい家を設計するのが僕の商売。もちろん耐震等級も高く設計するよう心掛けてもいる。他人の家となるとやる気がでるのだが、自分の家となるとどうも無頓着。あまりにも現金な自分に呆れかえってしまう事すらある。まあ職業病みたいなもので、年がら年中住宅の事を考えていると、自分のは別に取り急ぎ作る気にはならないのはしょうがない。だが、こんな部屋に寝起きしていると、震度1未満の地震でも揺れを感じる。窓枠が木製であるし、かつ、ガラス窓と窓枠の間に隙間があるような部屋なので、ちょっとの地震でも揺れを実感してしまうからだ。またベッドも木製の束(つか)を釘打ちしただけのものであり、金具がないので剛性が弱く、これまたよく揺れる。

  昨日、仕事から帰ってきたのは夜の11時を過ぎていた。さっさと晩飯を食べた僕はパソコンを開いてまた仕事。だが最近、目の奥が重くてしんどくなっている僕は、『アカン。。寝よ!!』とすぐにダウン。夜1時半にはベッドに入った。どれくらい寝たかはわからないが、すぐに目が覚めた。すぐに『んっ!?なぜ目が覚めたんだ?疲れてたはずなのに。。』と思ったがすぐに理由がわかった。窓ガラスが少しだけ揺れていたからだ。ああ、風が強いのかな。。と最初は思った。昨日の宮崎は風が強かったからである。だがすぐに、それは間違いで、地震だという事に気づかされた。防災無線が鳴り出したからだ。

  『すわっ!!地震だ!!』と普段は007のジェームス・ボンドのようにパンツ一枚で寝ている僕は、ベッドを飛び出しズボンをはいた。仮にパンツ一枚で圧死したりして、嫁取り前の綺麗な体を晒(さら)すのは恥ずかしいからである。揺れが収まらない僕の部屋を飛び出し庭に出ると、意外と庭は揺れてなかった。まあ部屋があ~だからしょうがないと思いながら、防災無線をジッと聞く。思うに、夜中に聞く防災無線ほどビビるものはない。こんな無線がしょちゅう起きている東北の方々の事を考えると、実にお気の毒だである。そんな事を考えながら防災無線を聞こうとするのだが、僕の家の防災無線は母屋にあるので、鍵は占められて全く何言っているか分からない。すると町の消防局?からか防災放送が流れだした。だが、隣町も同じような放送を始めたので声が混ざって、また我が裏山に響き渡って何が何だかよく分からない。何言っているのかわからんがな。。と思いながそれでもジッと聞いていると、『津波』と言う単語が聞き取れた。『へっ!?津波来るの。。』えらいこっちゃ!!とは一瞬思ったが、よくよく考えると僕の家は海から8キロはあるし、海抜30メートルはある。津波が来ても被害は受けることはまずない。ひとまず落ち着きを取り戻した僕は、いつも見る日本気象協会のホームページを見てみることにした。

  昨日の地震は、震源地が伊予灘深さ80キロ。マグニチュードは6.2であり、最大震度は愛媛県西予市で震度5強のようだ。東日本大震災の際に損害保険の鑑定人として東北に行った経験のある僕は朝方のニュースが気になったので見てみたのだが、それほど大きな被害は出ていないようだ。それでも一応気なり愛媛県の西予市のホームページも確認したのだが、土砂崩れが起きているとの事だが人的被害は出ていないようではある。ひとまず良かった。

  だが気象庁震度階級によると、震度5弱で『耐震性の低い家屋では筋交い・火打等の倍率が低い部位を中心に応力が集中し、壁には亀裂が入り、柱の継手部分が破壊する』とあり、震度5強では『耐震性の低い住宅では壁や柱が破壊するものがある』とある。これぐらいの揺れとなると、家財などに保険事故も出るであろうと思われる。今回の地震は愛媛だけではなく、広島や大分など結構な広域が揺れている。という事は損害保険の業界もまた忙しくなるという事だろうか。。南海トラフの地震が近いと言われて久しい。僕の家も備えなくてはと思ったりした、今朝がたであった。

  防災無線を何とかせねば。。防災無線もだが、僕のスマホの地震速報もアップデートしとかなアカンなとつくづく感じた。でもスマホのアップデートってなぜあんなにメンどいんだろうか。。

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耐震診断を受けることをお勧めします。
住宅売買前にはインスペクションもお忘れなく。

2014年3月13日木曜日

花より目立ってはならない

  僕が住む宮崎の片田舎では風が強い。春一番か?と思ったりしたが、春一番は通常は宮崎では2月の半ばぐらいであり、春二十番ぐらいが今は吹いているのだと思う。既に梅の季節は終わり、早咲きの桜は満開なようだが、この風で花びらも吹き飛びそうな勢いとなっている。

  大分昔だったとは思うが、日本は『色彩の国』とキャッチコピーを謳ったテレビCMがあったのを覚えている。当時の僕はたぶん高校生ぐらいであったと思うが、当時の僕はぼんやりと『へぇ~、そうなんだ』程度に思っていたが、その後アメリカに留学して、確かに日本は鮮やかな色彩の国だと強く感じるようになった。アメリカはアメリカで美しい国であるとは思うのだが、日本と比べて自然の色は単調であり、自然の美しさと言う点からは日本に軍配が上がるのかもしれないと今は思っている。

  僕の留学時代の知り合いが、サンフランシスコでガイドをやっているのだが、日本の観光客はよく『この花の名前はなんですか?』とか『この木の名前は?』と聞いてくるので名前を覚えるのに大変だと言っていた。またそのような事を聞くのは日本人だけだとも言っていた。確かにそうだ。僕の母親がアメリカに来た時も、やたらと町中にある樹木が気になるらしく僕に聞いてきた。だがもちろん普段から木や花の話をしているわけではないので、僕もわからない。根性がすわっている母親は、近くにいた若いアメリカの姉ちゃんに『なんてネームなの?』といきなり話しかけ、女の子もびっくり。。僕もびっくり。。だが彼女は『美しい木だけど、名前はわからないわ』と答えていた。やはり日本人は花狂いのようだ。

  先日、昔の写真を見る機会があった。その写真は約100年前の写真であり、彩色写真と言われる撮影後に職人さんが色を付けた写真であった。その写真の中でもある屋敷の脇にある桜はとても鮮やかで美しかった。その写真を見ながら、僕は当時の家々は花を美しく見せるための『添え物』としてあるんじゃないだろうかと妙なことを考えたりした。もちろんそのような目的で家を作ったかと言えば、そんな人もいただろうが、多くは単に作ったら自然とそうなっていたという事だと思う。それに当時の建材は今のような均一化され、塗装されたモノではないわけであり、自然に劣化した色だらけであったわけで、意図せずに木々を鮮やかにさせていたのだと思う。

  街路樹として強引に植えられた桜などを見ると、昔と比べ鮮やかになりすぎた現在の家々は、その木々や花を活かしきれているのかと疑問に思ったりする。

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春の陽気のせいで眠い。。

2014年3月12日水曜日

そろそろ、返してくれんかね。。

  なんでも嫌韓だと本が売れるようで、本屋さんに行けばその手の本だらけだ。はっきり言ってしまえば、韓国の事を褒め称えている本などは、僕が住む宮崎の田舎町でも売っていないようである。思えば僕が高校生ぐらいの頃は、これほど韓国関連の本などは売ってはいなかった。よく海外の方々から日本は右傾化していると言われるが、確かに僕が高校生だった頃よりは右傾化しているのだろう。僕は韓国が好きか?嫌いかと聞かれれば、『不倶戴天の敵♡』程度に大嫌いであるのだが、別に人種としての韓国人が嫌いなわけではない。僕は以前アメリカに留学していたので、彼らのことは少しは知っているつもりだ。実際、今でも仲の良い友達だっている。だが窃盗は起こすし、友達だからと言う理由で勝手にルームメイトの日本人の自転車を売って『一緒にうまい飯食べよう!!』と誘うし、仲良くなったら服を勝手に学校に着てきたりするし、女をレイプしたり、自分の女に包丁突きつけ暴れて刑務所に入れられたり、ホント最低のやつもいたりした。

  僕がアメリカに留学し、まず住み始めたのは寮だった。そこには日本人6人に韓国人10人ほど、タイ人1名の共同生活であった。僕のルームメートは僕より4つほど上の韓国人で、とても気のいいやつだった。当時の僕は全く英語はしゃべれない。やっとこさ覚えた『Nice to meet you(初めまして)』が言える程度だ。もちろんその初対面のルームメートとは『ナナナ、ナイス・トゥー・ミーチュー』とあいさつを交わした。だが荷物をまとめていると、いきなり他の部屋に住む韓国人の男が数人押し入ってきて『お前日本人だろ!!独島はウリのものニダ!!』みたいなことを言ってきた。英語ではなく韓国語でである。こっちはぽか~んとし、へっ!?って顔でご対応。もう何が何だかさっぱりわからない。日本的な『とにかく仲良くしよう』『政治の話は周りの空気を読んでからね♡』という考えはその一瞬で吹っ飛んだ。その後、そいつとは酒を飲み、というか飲まされ、彼は秀吉の朝鮮出兵で勝手に怒り出していたが、かったるいので無視をした。

  当時は日本と韓国が2002年のワールドカップ開催地を争っていた時期であり、両国民は何となくそわそわしていたのだが、韓国人らが勝手に寮や学校のあちらこちらに『World Cup in Korea 2002』というポスターを張り始めたことには幻滅した。さすがに一緒に住みだした寮生活であり、両国民は仲良くなっていたので、日本人は大困惑。。さすがに学校ではアメリカ人の教師が『このようなポースターは学校では禁止します』と剥がされたのだが、寮では剥がしてもすぐにまた張られる。これは注意しないといかんと思い、韓国人らに言うたら向こうはポカーンとしてた。そして『なぜ日本人はポスター張らないの?』と真顔で聞いてきた。っていうか、何であんたらそんなにポスター持ってるんだ?日本サッカー協会はそんなモンくれんかったぞ!!

  最近、Google Map の竹島の Street View が話題になっている。なんでも竹島の Street View に韓国の方々が横断幕を持っている画像が見れるというものだ。Street View とは Google Car が道路を撮影しながら移動したり、車の入れない場所はカメラを持って移動したりして作られていると聞く。もちろん竹島は車ではいけないので、カメラを持って竹島に行ったかと言えば、Googleさんもそんなに暇ではないし、領土で揉めているところに分け入って入るほど根性があるワケではない。これはPhoto Sphere という機能を使っている。これは球体写真をわざわざあるユーザーが自らアップして、 Street View として公開しているわけだ。実に胸クソ悪い。。そんなに『ウリのものニダ』と言いたいなら、司法裁判所に出て決着すれば良いだけなのに。。そっちの方が向こうだってすっきりすると思うのだが。。

  ただこの画像を見て、『なんで日本人はポスター張らないの?』と真顔で言った韓国人を思い出したりした。まあ、あの頃と変わっていないってことかな。。って言うか、あいつら元気にしているだろうか。。

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さあ、仕事しよ。。

2014年3月11日火曜日

あれから3年

  早いもので、東日本大震災から3年だ。もう3年もたったかと思ったりもする。僕は発生2か月後に宮城県の女川町に保険のための損害を鑑定士に行ったのだが、あの瓦礫の山と、すべてが錆びたにおいは一生忘れないだろうと思う。ただただ犠牲者の皆様のご冥福を祈るばかりだ。

  先日、NHKを見ていたら、津波対策の堤防について放送していた。釜石だったか?津波対策のため、国が予算を出し6mの堤防を海岸沿いに建てる計画があるのだが、これが住民との合意が取れないので前に進まないとのことだ。住民代表者の方が答えてらっしゃったのが、『ここの住民は、今まで海を眺めて暮らしてきたので、6mの堤防を作ると言われても。。』みたいなことをおっしゃっていた。また『東日本大震災で、人間が作ったものが役に立たないかと言うのはよく分かった』『堤防を作るよりも、早く高台に逃げれるように道路を広げてほしい』ともおっしゃっていた。その代表者の話を聞きながら、まあそうだわな。。と思ったりした。結局は海沿いをかさ上げして、その上に家や道路を作り2mの堤防を作るという事で落ち着いたようだ。

  6mの堤防を作ろうとする自治体の気持ちもわからなくはない。ただ思うのだが、コンクリートの堤防を作ったとして、その近くに僕だったら家を構えたくはない。窓を開けるとコンクリートの堤防ってのは、あまりにも味気ないからだ。ただ、防災計画や都市の再生計画がまとまらないと現在仮設住宅に住む人々は家も建てれないわけであるので、どこかで区切りはつける必要はあるだろうとは思われる。この堤防計画がまとまったのが最近だとすれば、『あれから、まだ3年』という事だろうか。。

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毎日更新できずにすみません。
忙しい。。

2014年3月7日金曜日

缶蹴りを知らない子供たち

  ふと思った。最近、町中に空き缶が落ちていないんじゃないだろうか?僕が子供の頃は、子供会などで強制的に空き缶拾いをやらされたものだ。僕はこれが大嫌いであった。せっかくの休みの日に、朝っぱらから1キロ離れた公園に集合、そして歩いて僕の実家近く、つまり1キロの距離を歩いて戻り、自分の集落の捨てられた空き缶を拾う。ついでに空き瓶も回収する。大体集落をぐるりと回るのだが、それだけでも3キロほど歩き、また公園へ1キロの道をてくてく歩いて戻って、ハイご苦労さん。もちろん何もご褒美も貰えないし、それで1日の大半が終わってしまう。いい迷惑である。おかげさまで、空き缶を路上に捨てる人は今でも大嫌いだ。

  だが空き缶は空き缶でなくては困る場合もある。僕の家は小学校から4キロも離れていたため、帰りの道は本当にやることがない。これが空き缶が落ちていたら、僕らクソガキはほっとかない。すぐにサッカーが始まる。缶を蹴る行為はどうも集中できるようで、ず~と家に帰りつくまで一心不乱に蹴りまくったもんだ。もちろん田舎の道なので、車なんて10分に1台通るかな。。ぐらいの交通量なので危なくはない。またよく公園などで集まりがあるとすぐに僕らは缶けりなどしたものだ。だが、よく考えてみると最近は子供らが缶蹴りをしているのを見ていない。だよな。。やってないよな。。

  別に考えても意味のないことだが、なぜ子供らは缶蹴りを辞めたのか考えた。まず、子供がいない。。僕が小さいころは、同じ集落に缶蹴りができるほどの子供は当たり前にいたのだが、今は田舎と言えども少子化がハンパない。缶蹴りに参加できるほどの人数がいないのだ。それは、僕らの同年代が結婚できるほど給料をもらっていない(同級生の結婚率3割以下。。)のと、儲けが出ている人間は都会に行ってしまった。。また子供らも塾などで忙しく、僕らが子供の頃よりも時間がないのは確かだろう。第一空き缶が落ちていない。これは日本人が礼儀正しくなったのか、また僕のように空き缶拾いで嫌な経験を持たされたからかはわからない。またコンビニが多くできたというのも理由の一つだろう。コンビニのごみ箱を見ると『家庭ごみの持ち込みはご遠慮ください』などと書いてあるので、持ち込まれるのはイカンのだろう。だがあれはあれで空き缶が落ちていないことを考えると、景観美化には役立っているという事かもしれない。もちろん僕は良い子なのでコンビニには捨てずに持ち帰っているため、いつも机の周りは空き缶だらけなのだが。。

  だが子供らが缶蹴りをしないってのも、少し悲しい気がせんでもないな。。


  缶を蹴った時のあの放物線は、たまんないんだがな。。

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今日もインスペクション頑張ろう。。
図面も書かねば。。

2014年3月6日木曜日

ガード下もちょっとの工夫で生き返る!!

  僕は普段はNHKをつけっぱで仕事をしている。ガン見するつもりはないが、何となく国民の義務として国会中継ぐらいは聞いとかないとイカンだろうと思っているからだ。もちろんニュース速報や地震情報も気になるからというのも理由ので、つけっぱだ。今も図面を書きながら『あさイチ』を聞いている。何やら今日はあさイチは鉄道のガード下のが美しく変わってきたという事で特集を組まれていた。

  一般的にガード下と言えば、『暗いよ、狭いよ、怖いよ~』の代表的なスペースであるが、最近は新たな集客エリアとしてガード下が注目されているようだ。2020年のオリンピック開催を控え、再開発が進む東京のガード下は、新たな集客エリアとして熱い注目を集めている。なんでも原宿や渋谷に次ぐおしゃれスポットとして変貌を遂げたのが、『御徒町ガード下』と呼ばれる通り。決して大きなスペースとは言えないが、キュートな雑貨屋さんなどが軒を並べ、全国や、なんと海外からもお客さんらが来るのだという。


  またガード下と言えば赤ちょうちんの店。おっちゃんらのオアシスだ。だが通常のガード下の赤ちょうちんのある店などは、とにかく汚い。とても女性がキャッキャ言うて集まる場所ではなかった。ましてやそのトイレなどは、僕が見ても泣きそうなレベルだ。だがこれでは女性の集客に支障をきたすという事で、特集されていたガード下の店舗などは、とてもガーリーに美しく改装されていたし、トイレなどは僕の家のより美しかった。。また狭いからか、はたまたガード下だからかはわからないが、テナント料金も他の場所と比べれば1/3程度で済むという事で、東京に進出しようとする若手にはもってこいの場所なのだという。これを仕掛けたのは鉄道会社の社員さんなんだそうで、なかなかやりおると田舎者なりに思った。

  僕は田舎に住み、その田舎の廃れたシャッター商店街を見るたびに悲しい思いに駆られる。僕は以前から商店街の脇などにある路地を生かし、小さな店などが開けるよう改装したら街はもっとイキイキとしてくると思っていて、周りにはずっと言っている。もう少し商店街に新しい店が出店してくれないと、街として哀しいからだ。僕の街の商店街などは、たいていはその2階に人が住んでいるのだが、高齢化が甚だしく、店主が店をやめてしまうと結局シャッター化した店となってしまう。まあ、商店街であってモールでないのでしょうがない。だがそれではなおさら街が廃れていくわけで、これを何とかできないかと思ったりしている。もう少し商店街は新陳代謝は必要だとは思う。

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そりゃ汚いより、きれいな方に人は集まるに決まってる!!
さあ、仕事終わらすぞ!!

2014年3月5日水曜日

宮崎のド田舎でパチンコについて考える

  なんでも宮崎県はパチンコが大好きらしい。2011年の統計だが、1年間の内にパチンコ店へ行った経験があると答えた人に対する人口比率で、彼の愛知県を超え堂々の1位を取ったそうだ。2011年の統計という事は東日本大震災で皆が苦しみ、東京では計画停電をやっていた最中にに何フィーバーやっているんだか。。と嘆きたくなる。

  男の三大悪事として飲む・打つ・買うというものがあるが、僕は飲みも積極的にはしないし、打ちも買いもしない。全くもって綺麗な体の好青年をやっている。だが宮崎の田舎町に住んでいると、全く大人が遊ぶ場所がないのがよくわかる。もちろん僕の街にはショッピングを楽しむ場所もなければ、シアトル系コーヒーなど皆知らない。スターバックスのコーヒーを持ち歩いていたら、『どこのセレブリちーじゃろか。。』と言われかねない。『マクドナルドが隣町にできたから移住しようかな。。』とつぶやくアホな友人に『Aコープのお惣菜があるじゃんか!!』と微妙な切り替えしで説教をした友人がいるくらいのド田舎だ。そんな田舎だがなめてはいけない。ここは宮崎。もちろんパチンコ屋はある。というか町役場よりでかいパチンコ屋がある。これがまったく流行ってないので、汚くて嫌になる。

  僕の街のパチンコ屋は隣町にある体育館ほどあるパチンコ屋に客を取られているせいか、とにかくぺんぺん草が生えているようなパチンコ屋だ。っていうか駐車場にはぺんぺん草が本当に生えている。外部から見ても錆びがやたらと目立ち、なんでこんな錆びやすいものを外部に持ってきたんだろうか。。と設計屋としては考えたくなるくらい錆びている。だがまだ頑張る意識だけはあるようで、幟だけは新しいが、年がら年中その幟は新装開店と書いてある。また、宮崎県が東国原知事ですこし騒がしかった頃、このパチンコ屋には20m×20mぐらいの大壁画を描いた。その壁画はどうやら東国原知事を上部から模した感じのドアップの顔なのだが、言っちゃ悪いがとても美しいとは言い切れない絵柄となっている。。『つぶれればいいのに』とそのパチンコ屋の脇を車で通るたびにため息が出てしまう。

  景観的に言えば、人間を大きくした看板などの広告は慎むべきだと言われている。というのも、人の顔は好き嫌いが激しいため、その看板に選ばれる人の顔によって町のイメージが大きく変わるからだ。もちろんその看板が大きければ大きいほどその街に与える影響は大きい。僕は決してアンチ東国原知事ではないのだが、やはりアカンだろうと思う。まあ当のパチンコ屋は東国原さんではないとは言い張ているらしいが。。まあ確かに絵がへたくそで、宇宙人に見えなくもない(別に東国原さんが宇宙人に似ているって意味ではない)。。だから良いってワケでもないんだが。。

  だが、そのパチンコ屋が仮につぶれたりしても撤去はしないのだろうと思う。ってことはあの決して美しくない壁画はほぼ永遠に残ることとなり、ホント迷惑千万だ。よく田舎町を車で走らせていてつぶれたパチンコ屋を見たりするのだが、とにかく汚い。錆びの塊のくせに町の真ん中をど~んと占めてやがる。またそれが小さいならまだ我慢できようが、これが大抵デカい。。僕はアンチパチンコ屋だから思うのかもしれないが、さっさと規制をかけ、仮につぶれて一年超えたら撤去義務を課してほしいと思ったりする。町の中心地が錆びていると、その町は死んだも同然だと思ったりするからだ。

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パチンコ市場って建築以上、銀行並みって
おかしいだろ。。

2014年3月4日火曜日

富士山よ永遠に!!

  なんでも、鹿児島県と宮崎県の県境にある、霧島連山・新燃岳について、火山噴火予知連絡会さまが地下のマグマだまりが昨年12月ごろから膨張する傾向にあり、今後の推移に注意する必要があると発表されたそうだ。また昨年の12月から今年の1月にかけて付近で小さな地震が発生し、新燃岳の火口直下でも2月20日ごろから地震が増加しているそうだ。現段階では小規模な噴火が発生する可能性があるとしか言えず、またこの先のことは現段階での評価は難しいとの事らしい。他県の人々はとっくに忘れたかもしれないが、東日本大震災のちょっと前にこの新燃岳は噴火した。ちょっとの噴火ではなく爆発的な噴火だ。僕の家は新燃岳から。。だいぶ遠い(100キロぐらいか?)のだが、空振(噴火に伴う空気の振動)で僕のおんぼろ事務所はガラスがガンガン鳴り、びっくらこいたもんだ。その後、噴煙がわが町まで飛来し、車は灰で真っ白になるしエライ迷惑だったのを覚えている。また太陽光発電を洗浄する怪しげな業者がわんさか湧いて出たのも今では懐かしい。だがこのニュースを見て、これが富士さんだったらエライこっちゃとも思ったりした。

  前回、富士が爆発したのは。1707年だ。宝永大噴火と呼ばれる噴火により、江戸の街にも灰が降り、江戸に住んでいた新井白石は『よべ地震ひ、この日の午後雷の声す、家を出るに及びて、雷のふり下るごとくなるをよく見るに、白灰の下れる也。西南の方を望むに、黒き雲起こりて、雷の光しきりにす。』と、その日記に記している。その火山灰には江戸っ子もまいったらしく、微妙な狂歌も詠まれていたりする。



  なんでもこの時の噴火はすさまじかったらしく、現在の御殿場市から小山町(御厨地方)では、最大3mの石が降ってきた(というか、転がってきた?)というからたまんない。もちろん家屋や倉庫は倒壊または焼失し、食糧の蓄えは激減。田畑は焼けた砂に覆われ耕作不可能となったとの記録がある。また用水路も埋まったため水の供給が絶たれ、被災地は深刻に陥ったそうだ。当時の領主である小田原藩は被災地へ食糧供給などの対策を講じたが、一藩でできる救済のレベルを超えていたようで、こまった藩主は江戸幕府に救済を願い出たそうだ。天災ぐらいでは積極的には動かないのが幕府ではあるのだが、さすがにこの時は小田原藩を一時的だが直轄領とし、責任者を置き、また被災地復興の基金として全国の大名や天領に対して強制的に献金させ、被災地の財源を確保。集められた40万両のうち24万両をちゃっかり財政として流用したそうで、そのへんは実にセコイ話ではある。

  その宝永大噴火からすでに300年たったわけで、いつ富士山が爆発してもおかしくはない。もちろん爆発したらえらい事だし、経済に大きな影響を与えるであろうことは予想される。ただ、頼むから山体崩壊だけは起こしてくれるなと僕は思っている。山体崩壊とは、噴火や地震などで山が一気に崩壊してしまう現象だ。最近ではアメリカのセント・ヘレンズ山の山体崩壊が有名だ。一瞬で山自体が崩れだすのは考えただけで恐ろしいし、残った山はとても美しいとは言えない。なんでも富士山はこの山体崩壊を繰り返し起こし、その後にマグマの隆起によりあのうつくしいカタチになったそうだ。また今から2900年ほど前にも大きな噴火があったそうで、当時の縄文人が見た富士山は、もちろん今の形ではなく、どうやらエグれた富士山を見ていたようだ。エグれた富士山はあまり見たいものではない。という事は、縄文人は現代の僕ら富士山を見て思うように、『富士山ってきれいだな~』とは思っていなかったのかも知れない。

  僕が生きているうちに一度は大きな噴火が起こるとは思うが、今の美しい富士山であってほしいとは願っている。

  といっても僕は、所沢でインスペクションの途中で見て以来、1度も見てはいないのだが。。

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2014年3月3日月曜日

引っ越し前に保険をかけませんか?

  まだまだ肌寒いが、最近は宮崎でも春らしくなってきた。仕事で回っていると軽く汗ばむし、インスペクション(住宅売買前の住宅調査の事)などで小屋裏に入ると既にサウナ状態だ。梅の季節もとうに過ぎ、桜が近くなってきた感もある。早咲きの桜などは先週にはすでに枯れているようだし、つくしの子が恥ずかしげに顔を出している。もうすぐ春ですね。ちょっと気取ってみませんか♪(言いたかっただけ。。)3月に入り、お引越しのシーズンとなっている。よって売買に伴う、引渡し前のインスペクションで僕も忙しい。最近は、依頼者さんや不動産屋さんもインスペクションについて大分理解が進んできたようで、僕らとしては嬉しい悲鳴を上げている。また今年の頭に販売が始まった既存住宅瑕疵担保責任保険に興味を持つ方も多いらしく、僕によく質問が来るようになった。僕は既存住宅現況調査士でもあるからだ。

  既存住宅瑕疵担保責任保険とは、保険をかけた後に構造体力上主要な部分や雨水の浸入する部分に『見えない瑕疵(通常の努力で見つけれない瑕疵の事)』があった場合、その補修費用を調査会社が負担するというものだ。免責金額は5万(つまり小さな瑕疵には支払われないという事)となっている。流れとしては、まず僕らのような調査会社に所属する既存住宅現況調査士がインスペクションをかける。これは僕がやっているホームインスペクションとは違い、保険のためのインスペクションだ。その調査で保険に入れる建物かどうかを判断し、入れる建物であれば保険料を払って保険証書の発行となる。だがこの保険は少し入りずらいのも事実だ。

  なぜかと言えば基準がとても厳しいからだ。構造耐力上主要な部分とは厳密に書くとすれば、基礎・基礎ぐい・壁・柱・小屋組・土台・斜材(筋かい、方づえ、火打材その他これらに類するものをいう。)・床版・屋根版又は横架材(はり、けたその他これらに類するものをいう。)で、建築物の自重若しくは積載荷重、積雪荷重、風圧、土圧若しくは水圧又は地震その他の震動若しくは衝撃を支えるものをいう。これらに何らかの瑕疵があった場合は修補してからでないとこの保険には入れない。だが建物は10年もたつと何らかの支障が出ているのが当たり前であるので、調査したは良いが、結局は入れないという事が多い。もちろん構造耐力上主要な部分だけではなく雨水の浸入の問題もあるわけで、なかなか利用するのに厳しい保険ではある。

  だが単に中古住宅と言ってもいろいろある。中古住宅とは一般的には住宅が完成して実際に人が居住をした場合を呼ぶことが多いが、人が住まなくても1年が過ぎればその建物は中古扱いになる。そんな建物だともちろん新築とほぼ変わらないのであり、保険に入れる可能性はぐぐっと上がる。この保険の料金は、調査(インスペクションの事)料金と保険料も込みで10万前後が一般的だと思う。なぜそのくらいかかるのかと言えば、保険屋さんが要求している機材が結構な値段がするからであり、またレポートにも手間がかかるので、お高く見えるのは止むおえないのだと思う。

  ただ、入った後で『保険の対象にはなりえない建物ですね』と言わねばならない僕らも本当に申し訳ない。なので、そんな時は僕は通常のホームインスペクションに切り替えてやっている。このインスペクションは保険のためのインスペクションとは異なり、より詳しくその家の状態を把握できる場合もある。値段は床下や小屋裏調査抜きの口頭のみの説明で4万から、また床下・小屋裏調査・レポート作成まで含めて10万前後が相場だと思う(ちなみに僕はもっと安くでやっている!!)もちろんオプションにもよるし、調査する場所にもよるので一概には言えない。だが、実際に住む家の本当の情報を把握するためにはこれらのプロを利用した方が良いとは本当に思う。これは僕が調査した経験から、問題があるのを知らずに住んでからでは遅い(というより、やばい。。)というケースがあまりにも多いからだ。

  ってことで今日もインスペクション頑張ってきます。

  今日はインスペクション日和だ!!


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