2012年3月31日土曜日

インスタントに桜を愛でる気にはならない。

  先日、春一番が来たと書いたが、昨晩の練馬は凄い風だった。そして今日は雨が強く風も強いとんでもない一日だったが、明日は晴れてもらわねば困る。千葉でお仕事だからだ。風が強く雨が冷たい今日のような日は仕事をしているとつらい。それにホームインスペクションのお仕事は写真をとる。基礎にクラック(亀裂の事)が入っていると0.1㎜でも写真を撮影する。しかしこれが雨が降っていると写真に写りにくいし、ある事も気づきにくい。早く春本番になって欲しい。

  ふと電車移動などしていたら桜が咲いていた。日本人は昔から桜が大好きだ。いつの頃から好きなのかは良くは分からないが、かなり古いと思う。武士政権になった鎌倉あたりか、それより古いのかあまり僕には分からない。海外でも日本の桜好きと言うのは有名だし、最近では海外でもその美しさが分かってきたようだ。ワシントンで桜が満開となったというニュースを見た。この時期に桜を見るため100万人の観光客がワシントンを訪れるそうだ。もちろんその場所は超JAPAN!日本外交の見せ場となる。色々な催し物が各地で開かれ日本一色となる。実は僕が住んでいたカリフォルニアでも各地で桜祭りがある。サンフランシスコではミス桜。。桜クィーンだったか。。そんな人々が選ばれたりする。ちょっとミス桜太りすぎだろうなんて言ってはいけない。。きっと体重70キロ超えの、笑顔の素敵な色黒の女の子が選ばれるのが慣例となっている。まだまだアメリカ人の目線で美しいとは、白人目線で美しい言う事らしい。

  日本各地には桜の名所と呼ばれる場所がある。しかし場所によっては、ただ植えましたって所が多い。本数さえそろえれば良いって物ではないと思うのは僕だけだろうか。以前にも書いたが、ソメイヨシノは確かに早く育つので便利だ。しかし桜とは300種類もある。それを無視してソメイヨシノだけ植えるってのも、もったいない気がするんだ。唯々、公共工事で植えられた整然とした桜を愛でるのは、どこかインスタントのような気がする。日本は花鳥風月の国だ。昔の人は風流とは何かを真剣に考えた。これは現代の人々と比べようも無いくらいだ。風流といった視点考えて見ると、堤防の横にあるライン上の桜を美しいと単純に考える気には僕はどうしてもならない。京都の哲学の道は確かに美しいのだが、同じ色の桜ばかりに感じてしまう。もうちょっと違う演出があって良いと思うので、いつか自分で桜を植えるときは勉強してから植えると決めている。まあ、桜があったらあったで一番きゃっきゃ言っているのは僕なのだが。。

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2012年3月30日金曜日

世界卓球を見ている。

がんばれ石川選手!
  ブログが遅れた。京都の知り合いとこれからの建築について熱く語っていたのと、もちろん世界卓球を応援していたからだ。今日は日韓戦。メダルがかかっている。負けるわけにはいかない。京都ではこのテレビ東京の世界卓球は流れていないらしい。今現在、日本は2-1で勝っているが福原対ソク・ハジュンが戦っている。しかし福原選手が押されている。が彼女の事だやってくれるはずだ。

  今日は仕事で外に出たら風がぶんぶん吹いていた。春一番だと思う。南国育ちの僕には夏の方が仕事がはかどる。やっと春が来たと言った感じだろうか。

  設計をやる場合、風とは重要な要素だ。一般的に言われるのが、夏の風が吹く方向に開口部を設ける事が重要だと言う事。この方向に開口部を設ける事により部屋中に新鮮な空気が流れ込む。風が内部に入ると言う事は結露が出来にくいし、人間の精神的にも良いと言う事だ。建物を見ていたりするとやはり結露の跡を発見する。特に北側の結露などは多くの家で見られる。実は日本は省エネに関しては進んでいる国とは言えない。

  あっ愛ちゃん負けちゃった。。

  省エネとは何だろうか。実は家電では省エネは世界的に見ても結構進んでいる。しかしまだ改良の点は見られる。しかしこれはインフレの問題もあるので今日は書くつもりはない。ではどこが遅れているのか。やはり断熱の問題だ。日本で断熱が一番進んでいるのは北海道だ。そりゃそうだ。北海道は寒いので断熱には気を使って家を作る。しかし古い建物に入ったら断熱材が入っていない家がほとんどだ。元々日本人は冬の生活には手元を暖める火鉢だとかコタツに頼っていた。なので建物自体を断熱には力を入れてこなかったわけだ。しかし日本で一番断熱に力を入れている北海道でも世界でみたらまだまだ。北海道の断熱はアメリカと変わらない。では何位ぐらいだと世界的に見ても10位ぐらい。世界上位はデンマークなどの北欧の国々が占めている。まだまだ改良の余地がある。断熱は入ってるのが常識という時代が来るべきだ。

  快適な暮らしって何だろうなどと常々考えている。断熱などの省エネもこれからの設計では重要だ。現実は断熱を勉強している設計屋さんってどれくらいいるんだろう。あまりみた事がない。

  がんばれ日本代表!

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2012年3月29日木曜日

石川佳純選手のおかげでTPP反対!


  最近また寝れない。今回はパソコンのためではなく、仕事のためではない。世界卓球をやっているからだ。ふとテレビをつけたら女子卓球をやっていた。しかし普段はふ~んそうなんだと思っていたが、テレビCMに入った時に目が釘付けにされた。なんなんだこのスマイルは!名前は石川佳純選手と言うそうだ。美人協会の理事を自認する僕にとっては大事(おおごと)だ。早速会員の仲間に連絡したらみんなテンション上がっていた。にしても全農は良いところに目をつけたもんだ。おかげでTPPに反対しようと腹は決まった。
がんばれ日本代表!
  そもそもTPPは環太平洋戦略的経済連携協定と言われている。がどう考えたって、Trance Pacific Partnershipが環太平洋戦略経済協定と訳すのは誤りだ。この誤訳はどこか政治の臭いがしてたまらない。。確か環太平洋ってPan-Pacificだったと思うんだが。。僕にはTPPは理解ができないところが多い。まあ実際お国も、何ができて何ができないか、会議に参加していないので分からないから参加って事だとは分かっている。そんな状態の中で、たいした議論もせずに参加するってのはいただけない。TPPとは、つまるところアメリカとのFTAだと思うのだ。韓国はFTAをアメリカと結んで現在でも揉めている。韓国経済が良いのはどう考えたってウォン安が原因だ。確かに新しい製品などが出てきてはいるが、まだまだ経済的な体力があるとは思えない。それに日本は先進国の中でも関税がどちらかと言えば低い方だ。今さら関税を撤廃しても工業系の企業にたいしたメリットはないのではないだろうか?その反面農業は深刻なダメージを受けるだろう。どう考えたってアメリカの大規模農業には値段で勝てる気がしない。僕がアメリカにいた場所はカリフォルニア。彼のカリフォルニア米の一大生産地だった。ず~と地平線まで田んぼが続いていた(田んぼと言えるようなものではないが。。)そしてどう考えたって他のTPP参加国は移民国だ。労働者を受け入れろだとか言ってくるだろう。僕がいる建築業にも言ってくるかも知れない。多分建築の法律を変えろと言いそうで恐ろしい。他国の企業や政府のせいで、日本政府の締め付けが効かなくなるのは、どうなんだと思うのだ。

  アメリカにとってこれはあくまでゲームにすぎない。旨い事ゲームができれば自分らの利益になる。そう考える国民性だからだ。決して他の国への配慮ができる国ではないと言う事を覚えとかないと、とんだしっぺ返しを喰らう。

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2012年3月28日水曜日

僕と満州国の思い出。

  妙な事だが、僕は以前から『満州国』が気になってしょうがない。行った事もなければ、格段勉強した事もない。しかしどうしても目に入ってくる。不思議な事に以前から何となくだが『満州国』なる物と接触がある。自分でも不思議なくらいだ。

  言わずと知れた満州国。石原 莞爾が主導した満州事変により出来上がった訳だが、現実との乖離(かいり)はあったといえ、そのスローガンは『五族共和』、『王道楽土』となっていた。この『五族』とは日本人(大和民族)・満州民族・漢民族・朝鮮民族・蒙古民族を指す。この他にも白系ロシア人(ロシア革命反対派)などやその他の迫害されていた少数民族やユダヤ系移民などがワンサカと入ってきて大いに盛り上がった。勿論日本人は優越的な特権があったが、治安が良く税金が安いし安定していたため多くの人々が各国から満州に渡った。当時の最先端技術などで作られた近代都市はその当時アジアのどこの都市よりも近代的で最先端の街づくりだった。『特急アジア号』などは今でもファンが多い傑作機関車だ。その後日本が戦争に負けた後ロシアの侵入、そして現在は中国に属し『満州国』なる呼称も実質禁じられている。『偽満州』と呼ばねばいかんそうだ。この『偽』って言葉にどこか漢民族の恨(うら)みが入っている気がぷんぷんする。

  満州国と最初の出会いは、以前にも書いたMetro Cafe(アメリカ素描を読んでね♡)だった。ある時、カフェの外にある椅子に腰掛け、春の陽気を楽しみながらコーヒーを飲んでいた。そしたら『Are you Japanese?』って聞かれた。アメリカなどで『日本人ですか?』とアメリカ人に聞かれると、どこか身構える。『ア~ハン!』と答えたら『Do you know anything about Manchuria?』って聞かれた?最初何のことだか分からなかった。『なぜそんな事聞きたいんだ?』と聞き返したら『歴史家だからさ』なんて言っていた。後で分かったんだが、その50代の紳士は超有名な僕の大学の教授だった。じゃあ、聞く以前に知っとるやろ。。とか思ったが、ず~と質問攻めにあった。『なぜ満州国を作ったんだ?』とか『なぜドイツと同盟を結んだんだ?』気が付けばこの教授と4時間ぐらいしゃべり、とうと~うと日本の正義をひけらかしてあげた。

  その次はまたアメリカでの事。『Are you Japanese?』と仕事パートナーの中国人が主催のパーティーで話しかけられた。今度は顔が中国系。あっ歴史関係で喧嘩しよって考えだなと思い身構えた。しかしど~も中国人らしからず満州の事をべた褒めする。やれ中国人は嘘つきだとか、朝鮮人にエライ目にあったとかず~と大きなお声でまくし立てる。おいおい、ここは中国系のパーティーやぞ。。と思っていたら。上司が来て『あっ、この人満州国を復活させようと運動している〇○さん(名前は伏せます。。)』って言われた。えっ満州国を復活させるん?世の中凄い人もいるもんだとつくづく感じた。彼は本気である。

  その後も満州族の友達ができたり、気が付いたら愛新覚羅溥傑の子供達が住んでる家の隣を仕事で訪れてたりしてびびった。。僕の現在の仕事とは全く関係のない事なんだが、満州がどことなくついてくる用でしょうがない。前世で何か関係があるんだろうか。。


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2012年3月27日火曜日

金持ち用の琵琶湖

現在の大津市
  昨日、琵琶湖一周をしようとして、4日目にして心が折れた事は書いた。僕はこのしょうもない旅のおかげで滋賀県が大好きになった。なによりあの雄大な琵琶湖を見た瞬間は、忘れられない思い出となっている。京都市からひぃ~ひぃ~言いながら歩きたどり着いた大津市の公園から見た夕暮れはたまらなかった。と感動していたのば僕だけで、地元の方々から見れば普段の光景だ。僕だけ『兄さん、琵琶湖でっせ!』というオーラを出していたが、ランニングをしているおじさんらは勿論超スルー。しかし、あんなに美しい風景を持った県を滋賀県以外に僕は知らない。

超昔の大津市
  建築の高さ規制と言う物がある。厳密には道路から計算する斜線規制であったり、まあ色々あってここでは書かないが日本の場合はややこしい。そしてこれが景気の動向で変えられてきた歴史がある。滋賀県はその琵琶湖を中心とし、山々が周りを囲んでいる。つまり平たく言えばすり鉢状となっているのだ。その琵琶湖沿いに国道が通っており、以前はその国道の内側には建築規制があったと聞く。つまりすべての家々から琵琶湖が自然と見れるようになっていたと聞く。しかし現在の大津市は景気対策のせいだろうか、その規制を緩めてしまった。よって『琵琶湖が独り占め!』みたいな宣伝文句のマンション業者により国道より内側が荒らされた。おかげで昔は琵琶湖が当たり前のように見えていた一般の家々からは見えなくなり、一部の高い家賃を支払った方々が独占しんだと、タクシーの運転手から聞いた。本当かどうかは知らないが、日本の行政の景観に関する考えならあり得る気がする。町の発展と言う大義名分をかかげ、景観を無視した典型的な例となっているよう思えてならない。

  これもやはり建築家と呼ばれる人々が町の行政に口を挟まないからだろうか。。海外ではあり得ない事例です。。

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2012年3月26日月曜日

室町の風景が残る安土(あづち)

信長さん(鉛筆画)らしいby西洋人
  以前歩きで琵琶湖一周を企てた事がある。当時建設会社の設計部を辞め、次の仕事が始まるまで時間が合ったので、『いっちょ行ってやるか!』と思い、20代最後の思い出のつもりで断行した。『建築の勉強』という自分に対しての大義名分(言い分け。。)もちゃんと用意。『絶対歩きじゃ無理だよ』と言う輩(やから)には『京都市役所で、サライでも歌って待っとれ!』と言ってやった。計11㎞の荷物を背負い、京都を出発。『こんなに重い荷物を持ってくるんじゃなかった。。』とすごく後悔しながら訪れた安土町で、ふと立ち寄った食堂にて祇園祭の宵山ニュースをやっていた。すでに悟(さとり)を開きそうなくらい疲れていた僕は、このニュースですぐに心が折れ、さっさと京都に電車で帰還。。周りの輩に『この根性なし!』と呼ばれ、泣きながら祇園祭でち~ぱっぱ。そんな良いネタになった旅だった。おかげで京都の仲間には祇園祭の度に、小馬鹿にされる。。

  京都の隣の滋賀県。僕はこのような思い出の深~い旅をするまで滋賀県の事は全く興味がなかった。なぜなら京都の人々はよく滋賀県民を馬鹿にする。これは昔かららしく『滋賀っぺ』なんて呼び、田舎者扱いするのだ。しかしこのど~しようもない旅のおかげで僕は滋賀県のイメージが180度変わり、滋賀県が大好きになってしまった。可能なら移住したいし、金があれば別荘ぐらいは作ったって良いと思っている。

現在は合併されたようだ
  僕がこの旅を終わらせた安土町。かの有名な織田信長さんが気づいた安土城があった場所だ。信長が本能寺で家臣の明智光秀に討たれるまで、この町は非常に賑わったのだが、現在は落ち着いた小さな町となっている。僕はこの町の作りが室町的で気に入った。どこが室町的なのか?例えば地区ごとに家々が固まり、その周りを水田が配置されている。そしてその水田群が隣の地区との境となっているのだ。現在の街並みは、どこまでも住宅があり隣町との境はあまり分からない。しかし安土は違っていた。町として主立った産業がないのかも知れないが、すべての土地が宅地化とか合理化などされていない。この昔の街並みが残っている素朴さが気に入ったのだ。また子供達が小学校に通学用に使うために作られた小さな道があり、小学生が『さようなら~』なんて声がけをしてくれた。専用の通路まであるってのも良い考えだ。室町の風景の中にある小さな近代だとも思ったりした。駅前の信長像はあまりにも大きく、『もそっと何とかならんのか。。』なんて思ったりはしたが。。

  昔の街並みが残っているとは素晴らしい事だと思う。歴史の連続性や町としての呼吸が感じられるからだ。そんなどうしようもない旅をしたからこそ、景観について深く考えるようになったのだと思っている。歴史をスクラップしてから近代だらけを作ったとしても、この国は美しくならないと思える。う~ん前向きだ!

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2012年3月25日日曜日

基礎の内側で這いつくばる日曜日

  今日は仕事で小田原に行ってきた。人生初の小田原。やけにテンションが上がりそうな物だが、いきなり電車を間違えて、テンション上げる余裕も無く。ひたすら小田急でいらいらしていた。間違えた後駅員さんに『小田原行くなら小田急に乗ったらどうですか?』、なんて言われて初めて気づいた。小田原に行くから小田急なんだね。。

  ホームインスペクションのお仕事という物は屋根裏にも登るし、床下だって潜る。屋根裏では釘でけがしないように、また落下しないように気をつけ、床下では戻れなくなる事の無いように気をつけながらやる。今日の物件もそうだったが、以外と建物の表面的には問題ないのだが床下に潜ると気づく事が多い。

  例えば基礎。外部から見たら綺麗な基礎も床下に潜るとまずい物だってある。なぜなら外部の基礎はモルタルなどで化粧されている事があるからだ。外部で美しくても、内部から見たらヒビが入っている場合がある。要は施工する技術が未熟な業者さんが結構おおいと言う事だ。単純な仕事をさぼったためにその家の寿命や耐力に影響する。中古の物件を見る場合は、そんな所にも眼を向ける必要がある。

  まあ一般の人には難しいかもしれない。だからこそ僕らの仕事がある訳だが、僕らの仕事があるって事はあまり社会としては幸福な事ではない。


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2012年3月24日土曜日

ホーム・インスペクターとぶら歩く。

世田谷ものづくり大学でありました。
  今日はホームインスペクターとブラ歩きなる集まりに、『お手伝い』に行ってきた。もちろんお手伝いと言う事はボランティアって事だ。エライ!まだまだ知名度が低いホームインスペクション。要は住宅の現在の状態(劣化や施工不良を含む)を調べるお仕事の事。午前と午後の部に分かれ中古の物件を買う場合、どういった所をみたら良いのか。そんな事を一般の方々と無料で話し合ってきた。そして怪しまれつつ建物を説明しながら歩く。ホームインスペクション協会の長島理事も来られ、非常に役に立つ情報をしゃべられていた。僕からみても『へぇ~』なんて事をしゃべられていた。勉強になった一日だった。

  ふと、僕が所属するS事務所のお偉い方とこのブログの事について話になった。『できればホームインスペクション8で、それ以外が2で書いてね♡』みたいな事を軽~く言われた。それは僕にとってこれは大問題だ。ただでさえ、ひぃ~ひぃ~言っているこのブログ。毎日更新するのもやっとなのに、『じゃなければ、別にもう一つ書くか、S事務所のホームページに載せないかだね♡』ってまた軽~く言われた。実はS事務所には指名制度なるものがある。要は指名された方が仕事が増えるわけだ。まあこのブログみれば僕の大概の性格も分かるし、建物に関する情熱も分かると軽く見ていた僕の考えは一瞬で吹き飛ばされた。。しかし軽々しく情報も載せれない。あくまでインスペクションの情報とは依頼者であるお客様だけに渡す情報。。どうしたらええんやろ。。

ぶら歩きしてます。
  しかしだ、サイは投げられたのだ!ルビコンの河は渡ってもうたのである。男子として生まれインスペクションで飯を食べるのだから、まっすぐ前だけ向いて進まねばならぬ。振りかえっとる暇なんかないのだ。書いてやろうじゃ無いかもう一個ブログを。。まあ不定期更新になる気がせんでも無い。ネタがかぶる事だってあるだろう。やってやろうじゃないか。

  今のところブログをもう一個こさぐつもりです。まあS事務所の気持ちが変わらなければですが。。


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2012年3月23日金曜日

階段の美学

  今日は何の日だと思い、ふとネットで調べてみたら、『世界最初のエレベーター、ニューヨークの5階建てデパートに登場(1857)』とあった。エレベーターの歴史は意外と古い。このニューヨークのエレベータはもちろん電動という意味でだろうが、実はローマの時代からその原型はある。確か剣闘士が戦ったかの有名なコロシアムにエレベーターのような物はあったはずだ。多分奴隷を使ってはいた気もするが、それにしてもローマって凄い。。日本ではまだ稲作が始まったかな?って頃の事だ。昔から人々は、高層の家々ができ、高い階に行くためにどうすれば楽になるか考えて来たんだろうと思う。エレベーターの事を書こうかと思ったが、実はそんなに興味が出ないので、階段について書こうと思う。

  階段を考え設計する場合、蹴上げ(けあげ)と踏面(ふみづら)をどうするか考える。蹴上げとは各階段の高さの事。踏面とは階段の床面の事だ。階段の角度とは、結局はこの蹴上げと踏面の比率によって変わると言う事。もちろん蹴上げが小さいとお年寄りや子供にとっては使いやすい。しかし暖勾配となり小さな家にはなじみにくい。スペースの問題が生じるわけだ。だが暖勾配の階段は大きい建物にはよく使われる。急勾配だと例えば音楽ホールなどでは事故になりかねない。しかしだ、昔勉強した家の階段が非常な急勾配だった。これは建築家がわざとそのように設計したと書いてあった。曰く、『狭い家に階段を設ける時、大きなスペースはもったいないから、急な勾配(踏面が15cm程度!)にしてわざと注意しながら歩かせる』みたいな事を書いてらっしゃった。まあ不便ではあるし、ちと危険だがそれはそれ。人間が注意すれば良いと言う事だそうだ。だから設計の世界は深い。。

  昔の日本の建築物をぶらりぶらりとしていると、城郭や大門の階段の勾配に驚く。例えば京都は南禅寺にある大門の階段。彼の有名な石川五右衛門が、『絶景かな、絶景かな~』と啖呵(たんか)を切った例の門だ。この勾配は非常に厳しい。なんせ脇にある大縄を使わねば間違いなく落ちる。まあ普通は歩く必要のないから、これで良いのだろうが、凄かった。小学生の時に遊んだ遊戯具でもあんなに厳しい物は無かったぐらいだ。逆に昔の階段などで非常に暖勾配の物もある。京都の。。名前は忘れたがあるお寺の庭にある階段。踏面は玉砂利が使用され、段ごとに栗の木がしいてある。多分蹴上げが15cmぐらい。そして踏面が2mぐらいはあったんじゃ無いだろうか。多分昔の人々が馬で上がれるようにだろう。これはこれで非常に美しかった。もちろん馬なんか乗っていない僕らには長~い階段できつかったが。

  階段を考えるってのは設計屋のディーテールとして結構重要だ。まあみんなあんまり考えて設計はしないようだが。。

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2012年3月22日木曜日

虹色のストーンズ


  ど~も、締まりの悪い文章を書いたので自己嫌悪に落ちいてしまった。こんな時は音楽にかぎる。

  僕は妙にRolling Stonesが気になってしょうが無い。このミックジャガーさんが妙に好きなんだ。どことなく生々しいし、歌詞だって深すぎて僕の英語能力を超えている。めちゃくちゃやって来た人なんだが、なぜか許してしまう、そんな人だ。ビートルズのような天才肌では無いが、パフォーマンスで言えばこの人にはかなわないと思う。またあんだけ悪だったのに、最近は健康のために毎朝走っているそうだ。意外といい人じゃ無いか!以前日本にコンサートに来たとき、しゃぶしゃぶがだされ、彼は靴下の下に隠してあったナイフで食べようとして、『はしたないから、やめなさい!』と嫁さんに怒られた事がある。そして10年後、また日本に来てしゃぶしゃぶだされ、またナイフで食べようとして、再び嫁さんに怒られた。まあそんな人だ。彼が死ぬ前に一度で良いから彼のコンサートを見に行きたい。しかし、僕の周りに彼の良さが分かる人が全くいないので、いけてない。。


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寝れん。。

  最近寝れてない。東京に来てからと言うもの、なぜか寝れない。寝たとしてもちょっとでも怖い夢なんか見たら、はっと起きてしまう。いい年なんだから。。と情けないが、今日だって朝1時半に起きてしまい、がんばって寝ようとしたのだが、結局朝まで寝れなかった。寝る前に本を読むのが悪いのか、それともパソコンの前にず~と居座って作業をしているからいけないのか。う~ん、寝れんのだ。しょうが無いから睡眠導入薬を飲む。飲むけどすぐには寝れないが、気合いで寝る。ただ夢を見る事はないようだ。朝はすっきり起きれる。しかし問題は寝過ぎてしまう。なぜか?ベッドが悪いのかも知れない。僕のベッドはアパートに元からあった物を使用している。このベッドがど~も柔い。朝がたになると腰や背中が痛くなり眼がさめるのだ。ベッドではなく畳の上に布団を敷いて寝るべきなんだろうか。そんな事を考えている。

  日本人は昔から畳の上に布団を敷いて寝ていた。昔と言っても江戸の初期ぐらいからのお話(あくまで庶民です)その後、ベッドが普及しだしたのは昭和になってからだ。朝起きると布団を押し入れにしまう。僕がまだ幼い頃は必ずそうしていた。これがちゃんとできるってのが良い子みたいな感じだったのを覚えている。また夏になると蚊帳を引き網戸にして寝るのが良かった。僕は蚊取り線香の臭いがないと夏を感じないのは、きっとこのせいだと思う。布団などはいつから出てきた物なんだろう。よく時代劇などを見ていると、大きな服をかぶって寝ている物を見る。昔の人々はどんな感じで寝ていたのかが僕には分からない。

  確か日本人で最初に寝たのは豊臣秀吉だと聞いている。何となく信長だってベッドに寝ている気がするのだが、僕は今まで聞いた事は無い。秀吉の作った大阪城にはベッドがあったらしく、それを各大名に自慢していた記録が残っている。自慢していたあたり、なかなか秀吉って感じだ。話はそれるが秀吉は朝起こしに行ったら死んでいた。日本の歴史上一番の独裁者とも言える秀吉だが、だれも看取られず死んだ訳だ。って事は日本で一番最初にベッドで死んだのは秀吉って事になるのかも知らない。しかし江戸時代に入ってベッドでどれくらいの人々が寝ていたのだろうか。その辺りは実はあまり詳しくは資料として残っていない。結局日本人にはなじまなかったのだろうか。それともキリスト教を忌み嫌う幕府にはばかったからだろうか。

  今でこそ介護のため、またフローリングであるためベッドを敷く。が昔はアパートだって畳だった。なので昔の一人暮らしはほとんどの人が布団だった訳だ。畳敷きのアパートに引っ越した方が腰に良さそうだ。その方が何となく寝れるきがして、今日も寝れない。


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2012年3月21日水曜日

日米の住み方の違い(アパート編)

[賃貸物件] ブログ村キーワード
6万あれば借りれます。町にもよりますが。。
  僕はアメリカではホームレスから身を起こした事は書いた。母親に『VISAカード送って』と頼んだら、VISAカードが分からない母親が、郵便局のキャッシュカードを送ってきたので、留学の身分で一文無しになってしまったのだ。なので色々な家を転々とした。結構本気のホームレスをしていた。ちゃんと煙草を拾い、人の家に好意で泊めてもらっていた(ちゃんと飯も♡)その後なんだかんだで収入を得て、ちゃんと家付きに住んでいたから偉い!しかし、よく考えてみたら、13回も引っ越ししているから、恐ろしい。。仕事のため、短期間の家とかも含めただが。。

  日本のアパートを借りる場合とアメリカのそれでは違いがある。言うところの礼金がない。そして更新のための料金も取られる所は少ない。そして敷金が、普通のグレードのアパートだと家賃の1ヶ月が目安だ。英語で言えばDepositにあたる。日本では出て行くとき結構とられて困るのだが、良い環境のアパートで無いかぎり、半分ぐらいは返ってくる。そして何より大きいのは中間の紹介業者がほとんど入らないと言う事だ。

よくあるタイプの家です
  ではどこで探すか。僕がまだアメリカにいる頃、ネットはもちろんあったのだが、新聞で探すのがまだ主流だった。アメリカでは日曜日の新聞は平日のそれと違い、車の販売情報だったり、バンド募集だったり、まあ色々な募集情報や販売情報などが記載されている。ちなみに日曜日の新聞は基本的にそんな情報しか載っていない。その中のRentやLease情報の欄をにらめっこする訳だ。ちなみにRentとは月単位の契約となり、Leaseは年単位の契約となる。また新聞の募集広告が面白い『ビクトリア様式のワンベットルーム!』なんて載っている。なんか良さげだ。

  新聞を見て、実際にそのアパートに行く。そして気に入ったら電話を入れる。その後マネージャーが事務所などからやって来て部屋を見せてくれ、そして契約する。これが一般的だ。アパートによってはオーナーまたはマネージャーが実際に住んでいる場合があり、その場で見せてくれたりする。この場合マネージャーは家賃を安くしてもらっていたりする。じゃあマネージャーは常にお客さまのために部屋にいなくてはならないか?そんな事はない。ちゃんとポストがあり、そこに手紙を入れとくのだ。また場合によっては鍵だけ渡され、『勝手に見てきて下さい』なんて言われる。要は合理的なのだ。日本の仲介さんを非難するわけでは無いが、彼の国は家祈祷ではあるが、これはこれで合理的にできている。

寮生活はこんな感じです。
  以前僕が土曜日だったか。。車に乗って家々を見回っていた。ちょうどコソボ空爆が始まった。デモの方々が騒いでいるのを見て、空爆を知った僕は、『へぇ。。よ~く考えたらこの国は戦争してるんだな。。』なんてしみじみ思ったものだ。別の日だったと思うのだが、『部屋をみせてもらえませんか?』とマネージャーに聞いたら、マネージャーが『チャックゲート裁判をやっているから別の日にしてくれ』と言われた。チャックゲートとはクリントン大統領とモニカ・ルインスキーの不適切な関係の裁判の事。ウォーターゲートは有名だが、チャックゲートとはチャックを下げた疑惑という意味(当時アメリカではやったジョークです)この辺がアメリカンだ。客が来ても大統領の裁判が気になるアメリカ人。まあアメリカ人はそんな人々だ。

  日本も礼金不要のアパートが出てきだした。これも競争が激しくなってきたからだろうか。しかしまだまだアメリカのアパートには負けている気がしている。プールはないしジムも無い。まあそれはしょうが無いとして、彼の国は基本的に1年に1度ぐらいはペンキを塗り替える。駐車場のアスファルトだって塗り替える。アパートによっては大工が住み込みで働いている。まあメンテナンス対する考えが違いすぎる。このメンテナンスの部分はかなり負けている気がする。TPPを締結したら、そんなアメリカの不動産業界がそのやり方で入ってくるかも知れない。そしたらぬるま湯につかった日本の不動産業界は負けるのじゃ無いだろうか。ちと不安だ。

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2012年3月20日火曜日

眼を細めて見ている 『iPad』


  新型 iPad(アイパッド)が売れている。米アップルは、日米欧など10カ国・地域で16日に発馬した新型多機能端末 iPadの販売台数が300万を超えたと発表したそうだ。最初の3日間で100万台以上が売れた『2』を大きく上回るそうだ。僕は初期の iPad が出た時、誰がこんな物を買うんだろうと思っていた。多くの人々も感じてたと思うが、僕もちと小馬鹿にしていた。しかし、昨年のホームインスペクションの試験を福岡に受けに行った時、結構な人がバスの中で iPad 開いていたのに衝撃を受けた。まだ自分で使った事が無い僕にはその便利さが分からない。周りに iPad を使っている人がいないからだ。って事で僕にはまだまだiPadは遠い存在なのだ。

  しかしもちろんだが使っている人は見たし、一緒に仕事をした事もある。以前僕は地元のある商標登録のお手伝いをした事がある。ま~たく僕には関係ないのだが、その係になってしまった。世の中には商標を登録するスペシャリストの資格がある。弁理士と呼ぶ。商標の取り方などを説明してくれるのだが、その弁理士さんが iPadを使ってらっしゃった。ひげを蓄えた50歳ぐらいの長身の紳士な方が、その指先で iPad を触る。って言うかiPadの上で指が踊る!非常にかっこよかった。おかげで商標の事は頭にま~く入らなかった。。簡単に言ってしまえば、初めて見た iPad にびびってしまったのだ。

  その後、損害保険のお仕事のため銀座で働いていた時、『紙ベースで仕事するのではなく、これからは iPad で仕事するように』と社長から通達があったと、朝礼で言われた。隣のおじさんに『iPadって何?』って聞かれたので、『スマートフォンのでっかいバージョンみたいな。。』って答えた。あっているのか間違えているのかは分からなかった。。しかし言っていた統括の方も、その下の職員も、そして僕以外の損害鑑定人もだ~れも使った事どころか見た事がない。そりゃデータベースなどとリンクすれば仕事は簡易に済むであろうし、事務員の手間も省ける。もちろん被災者にお金も早く支払えるかも知れない。しかし、平均年齢がどう考えたって40代後半の地震対策室メンバーには厳しかった。鑑定人の中で見た事がある・スマートフォンを使っているのは僕だけ。。って事で僕にそのお鉢が回ってきたのだが、やっぱり分からない。なので結局現場では紙ベースで仕事して。事務所に帰り書類を作り直して、その後事務所の女の子にiPad打ち込んでもらった。結局二度手間だ!って事で、みんなの総意で聞かなかった事にしよう!っとなった。社長命令を現場で無視したのだ(本当です!)第一、電源の入れ方さえ分からないだからしょうが無い。現場で『え~と。。』って言っていたら格好がつかないのだ。

  しかし新しい物には飛びついていないと使い方や良さは分からない。僕はデジタルはあまり好きではない。どちらかと言うとアナログが大好きな人間だ。しかしホームインスペクションの世界に iPad など入って来そうな気がせんでも無い。聞かなかった事にしようでは済まされない時代が周りに忍び寄って来る。年をとったって事なんだろうか。。でも、iPadはOfficeソフトは使えるんだろうか。。そんな事さえ知らない。。やっぱり聞かなかった事にしよっ。。

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2012年3月19日月曜日

金吾式建築群は、レトロらしい。

[レトロ建築]
金吾式らしい煉瓦の赤と白
  辰野金吾という建築家がいる。江戸時代生まれで明治・大正を駆け抜けた人で、建築だけで無く当時の日本の文化人に大きな影響を与えている。その堅牢な建物群は『金吾式』などと呼ばれ、未だ人々を惹きつける。有名な建築としては、日本銀行本店や現東京駅。現京都文化博物館別館や奈良ホテルなどそうそうたる建築が現存している。煉瓦(レンガ)を多用したのでどことなく赤い建物が多かったりするのだが、その赤と白のレトロな雰囲気が何とも良い。別に金吾かて、レトロな雰囲気を出すために煉瓦を多用したのでは無く、その当時最新の技術を駆使したらそんな建物になったんだろうと思う。

水野晴朗ではない
  以前京都に住んでいた事は書いた。京都の方々は一見保守的に見えたりするのだが、実はさほどでも無い。勾配屋根が嫌いだって言っている京都人が結構多かったりする。なのですぐに町屋を壊してRCの陸屋根を作ってほしいとか、アメリカンチックな家を作ってほしいとか来る。さすがに断ったが、他の工務店がアメリカンチックな家(アメリカでは見た事が無い感じの。。)を作ってらっしゃったりして困惑する。京都に暮らしているとレトロな雰囲気の物を見かける事はもちろん多い。もちろん町屋であったりするのだが、しかし金吾式の建物が意外と京都によく似合う。煉瓦の建物と町屋はミスマッチのような気がするのだが、歴史のなせる技なのか、はんなりしてはるんですな~これが;D たとえば京都のMizuho銀行。がっつり金吾式の建物なんだが、何の違和感も無い。この銀行を建てるとき一悶着があったそうだ。要は改修するよりも壊した方が遙かに安いと言う事だったらしい。しかしMizuhoはんは、そこをがんばりはった。エライ!受付嬢が超美人だ!って周りの大工に言ったら、みんなMizuhoさんで講座を開設されてた。単純だ!

奈良ホテル
  奈良ホテルも辰野金吾が作ったホテルだ。彼の建築では珍しい和風旅館となっている。このホテルはそうそうたる人々が泊まっている事でも有名だ。皇室の方々から東条英機、映画界では三船敏郎など。また司馬遼太郎を代表する文人。また海外から愛新覚羅 溥儀(満州国皇帝です)からオードリーヘップバーンやリンドバーグまで、なんか歴史上のキラ星が勢揃いと言った感じだ。玄関を入ってロビーにでると、松岡洋右(国際連盟脱退時の全権委任)などが出て来そうな趣(おもむき)さえある。まあ参加した事はないが、国際連盟の会議室とかパリ条約の絵画のような凄いホテルなのだ。いつか偉くなったら定宿にしようと天下一品を建築仲間とすすりながら思った。

メインダイニング『三笠』名前が凄い!
  大正デモクラシーの時代の物は僕にはたまらない。最近そんな人々が増えてきていると聞いている。古い建物を大事に使うって言うのは、景観の継承という意味でも良い事だと思う。そんな事を考えながらサッポロ一番をすすっている。決してまだ偉くはないのだ。。



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2012年3月18日日曜日

線路の柵を見る酔っ払い。。

  先ほども書いたが、今日は高校の先輩と飲んできた。場所はもちろん『俺の歌舞伎町』だ。新宿はアルタ前で待ち合わせたのだが、齢(よわい)3〇で初の新宿。いきなり迷った。新宿駅って広いのね。。僕のスマートフォンで一生懸命GPSを拾おうとがんばったのだが、何故か反応せず、しょうが無いからコンパスで北を確認し、頭の中にある地図を頼りに先輩を発見。こんな時は僕の発達障害が役に立つ。地図ならすぐに頭に入るからだ。

  宮崎生まれの僕にとって電車に乗るという行為は、未だ不慣れな部分がある。なんせ宮崎市内なら中心街に直接線路が通っているから便利は良いだろうが、その他の多くの町の駅は海辺に有り、ほとんどご近所さんぐらいしか乗らない。そして料金も非常に高い。なので僕は宮崎を旅立つ18歳の春まで多分10回ぐらいしか乗った事が無い。なので新幹線が引退しました、とニュースできいてもまったくピンっと来ない。なので路線を未だに間違う。。

  電車で人身事故が多い。年間自殺する人が3万人を超える自殺大国日本。なぜか電車で死ぬ人が後を絶たない。そんな事をされたらダイヤは乱れるし、良い迷惑。なんだけども防止策がまだ足りてないのじゃ無いだろうか。以前路線上に落ちた酔っ払いを助けようと、一人の日本人と韓国人学生が線路に飛び込み、結局3人とも死んでしまったと言う悲劇があった。たしか2,000年代初頭の話だ。それから10年ぐらい経つのだが、ホームの下を掘っているのだろうか。また最近では高さ120ミリぐらいの自動ドア兼柵みたいな物ができている。しかしまだまだ田舎の路線などは整っていない。もちろん赤字だから難しいのだろうが。

  帰るとき酔っ払いをみながらそんな事を思った。まあ僕も酔っ払いなんだが。。ひっく。。あっ、ついでにながら新宿駅の動線はどこか間違いが無いのかな。。人がぶつかりそうで恐ろしい。。

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現代のジャンゴと言われる、Tchavolo Schmitt

video

  今日は高校時代のN先輩と飲み方がある。なんせ待ち合わせが、アルタ前だ。アルタ前と聞いただけで既にびびってる。隣は新宿歌舞伎町、そしてその横には『俺のゴールデン街!』がそびえ立つ。なぜ俺のかって?かつて損害保険の仕事で銀座に来てた時、ゴールデン街で6時間たったの2,000円で飲んだからです。。って事でブログは遅れます。かしこ♡

  代わりに、Tchavolo Schmittさんを紹介します。映画『僕のスウィング』のワンシーンです。弾けそうで弾けない、良い感じのレベルなんです。。

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2012年3月17日土曜日

死に場所は古墳と決めている!

高野山は奥の院。この発想は無かった。。
  我が家は昔お侍をしていた。なので我が家だけの墓地と言う物が昔あったのだが、現在は地区の方々(って言うんかな。。)に解放している。たしか僕が小学生ぐらいの頃までは土葬だった。土葬だったせいか、我が家の家族はみんな火の玉をみている。ひい爺さんに至っては夏祭りの時火の玉が現れ、浴衣の胸に入ってきて消えたなんて嘘くさい話も残っていたりする。僕が高校の頃だったか、お墓をすべて整えると言う事で、土葬していた骨をすべて掘り出し、新しいお墓を作った。江戸時代ぐらいからの骨をかき集めるのが大変だったようだが、現在は整然とコンクリートの上に四角いお墓が並んでいる。ふと考えたのだが、現在の墓石はどことなくインスタントな気がしてならない。これもモダニズムの影響なんだろうか。。

将軍家のお墓、かっけ~!
  昔のお墓は仏教に基づいた塔頭のような形をしている物が多い。京都に行けば分かるんだが、ふとお寺参りなどしていると、古い時代の天皇のお墓などがいきなり現れてびっくりしたりする。また明治維新の立役者の坂本龍馬や木戸などのお墓が一角に集められているのだが、どことなく品があって美しい。もちろん日本には高野山と言う、日本屈指のお墓村とも言うべき場所だってあるのだが、歴史上の日本の有名人のお墓がずらりと並んであり、歴史好きの僕からみたらたまらない。僕には昔のお墓の品格と言ったような物が、最近のお墓からは感じないのだ。お墓って清潔であればそれで良いと言った物では無いような気がするのだが。。

龍馬の墓。今のより品がある。
  僕は実を言えば、お墓に入りたくない。本音を言えば古墳を作りたい。っと言っても大きな古墳ではなく庭先にある小さな墓所ぐらいが理想だ。ちゃんと自分でデザインする。そうしないと子孫にちゃんと祭ってもらえない気がしてちと寂しいからだ。信心深い僕は先祖の墓ぐらいは毎日のように掃除だってしたい。村はずれの一角に何かあったときだけ花を持って行き線香を焚くってものどこかつまらない気がする。それに現在ある墓石の寂しさ(普通の形ですよ、あくまで。。)は、僕には耐えきれない。インスタントな中国製のお墓はど~も極楽浄土に活けない気がしてならない。しかし、法律をよく調べてみたら庭先にお墓を新たに作るのは禁止されていたりするのだ。大きい声では言えないが、法律の抜け穴を数年前から考えている。邪魔する輩は呪ってやろうと思っている。

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2012年3月16日金曜日

『ミセス・ロビンソン』 って凄い



  だからどうしたって事は無いのだが、何となくパンプラムースを晒します♡

  この曲は言わずとしてたサイモン&ガーファンクル(日本名ビージーフォー)の名曲『ミセス・ロビンソン』 彼の有名な『卒業』という映画(みた事はない:D)で使われた名曲中の名曲です。歌詞は実は浮気してしまった女性の話。この浮気を神様目線で歌った曲です。嘘ではなく、原曲を英語でみたらそうなっている。でも日本人にこんな曲を書けるもんだろうか。。アメリカ人だからできるのかも知れませんね。。だって本当に彼の国は何を考えて何を表現しようと自由なんで。。そんな曲を作ったサイモン&ガーファンクルは凄いと思いません?

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地図のムダ知識。

[竹島]
[地図とコンパス]

軍用が一番使えます。
  国会において、インターネット検索大手のGoogleが運営するGoogle MapやGoogle Earthにおける竹島の記載について、閲覧者に竹島が韓国領であるかのような誤解を与える表記をされている問題で、日本の立場を踏まえた表記に改めるよう申し入れているとする答弁書を決定したそうだ。僕は結構この問題に詳しく、色々な本を読んでいるのだが、韓国の主張という物はどうも疑わしい。勝手に地図にある竹島の位置を移動させたり、どう考えたって嘘くさい人物(安龍福など)の証言を証拠として信じている。李承晩ラインができ、多くの日本人が韓国に拉致された状況で日韓基本条約の締結にこぎ着けたわけで、言わば北朝鮮が日本人拉致を続けたまま、彼の国と平和条約を結ぶような物。竹島の返還より拉致された漁民の返還を急いだ日本政府としては、強くはでれなかったのだ。また日韓基本条約にかってに文章を足して解釈するのもどうかと思うのだが。。ついでに言うなら大阪城や銀閣寺に『独島は我らの物』とハングルで落書きするのは辞めて頂きたい。。

  地図の事を考えて見ようと思う。英語で日本はもちろんJapanだ。多くの人は知らないがこのJapanとは漆器(しっき)の事。漆(うるし)塗りの器などは欧米では日本特産だと思われていた時期があるらしく、その名前自体が日本の英語名となった。中国の殷(いん)の時代にも漆塗りが見つかっているので、中国などにちょっと気恥ずかしい思いがするが、っと思って調べたら意外と北海道で殷の時代より古い時代に漆塗りが見つかっていたりする。それもその漆は日本固有の種類と確認されているようだ。ならば堂々としておこうと思った。。ちなみに中国のchinaはもちろん秦帝国から来ているのだが、磁器もchinaと呼ぶ。何となくだが、先に中国のchinaができ、その対としてjapanになった気がするのは僕の妄想だけだろうか。。

  実は僕は昔、訓練を受けた事があるので地図とコンパスさえあれば世界中どこでも行く自信がある。もちろんある程度精密な地図とちゃんとしたコンパスが必要だ。簡易な地図やの場合、山の頂上が記載されてなかったりすると、コンパスが精度が良くても結局狂いが出てきて、現在の位置が分からなくなる。この技術が何かの役に立つのかと言えば、GPSが発達した現在ではな~んの役にも立たないのだ。が、しかし、僕は小学生ぐらいにはこの技術を教えて良いと思う。コンパスと地図だけで自分の位置が分かるって結構感動する物だからだ。感動って学習にはちょうどよいと思うんだが、どうだろう。

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2012年3月15日木曜日

黒川温泉の街づくり

[景観] ブログ村キーワード

  黒川温泉はご存じだろうか?九州の方なら大概は知っていると思う。言わずと知れた超有名温泉街だ。熊本県の阿蘇郡南小国町にあるこの温泉。全国屈指の温泉街として知られている。Wikiで調べてみると、ミシュラン・グリーンガイド・ジャポンで異例の二つ星で掲載されているそうだ。この温泉は他の温泉街と違い一つのコンセプトを持って地域が作られた。それは『自然の雰囲気』だ。


  多くの温泉街は不況に苦しんでいる。僕の中の温泉街のイメージと言えば、温泉を楽しむと言うより宴会をする場所。ついでに温泉だ。なので行く気がしなし、実際に行かない。以前の黒川温泉は他の温泉街と同じく、どちらかと言えば宴会場だったそうだ。多くの旅館で宴会スペースができ、実際にお客も来たらしい。しかし、ブームはさり借金だけが残った。そんな中一人の温泉宿の店主がノミ一つで洞窟を掘り、また雑木を裏山から運びあるがままの自然を感じる露天風呂を作った。その後その露天風呂は口コミでお客が来だし、変人扱いされていた店主の評判は180度変わり、みな他の店主がまねをしだした。ここから黒川温泉はどこにでもある宴会温泉から脱皮する。ここから重要なのだが、一つ一つの温泉旅館に力を入れ改修してもあまり意味が無いと気づいた温泉宿の店主は、温泉街一帯での発展を目指し出す。そこで試行錯誤の上、街の木を雑記林をイメージして木を植え替えた。そして街中に建てられた看板200本を撤去した。これによりまたお客が増えた。景観に手を入れた(もちろん良い意味で)事による典型的な成功例だと思う。街全体が牧歌的になった場所で温泉に入る。気分は最高だろう。

  もちろん黒川温泉は自然を取り込んだ事により大成功した。しかし僕が思うに重要な事は、大型リゾート会社が入り大金をつぎ込んだりしなかった事による事が大きいのでは無いだろうか。小さな旅館が集まり、生きた街を作る。大きなリゾートホテルができて温泉を売りにしたとしても、街の看板200本を撤去する活動に参加したかは微妙だ。もちろん街の木を植え直す活動もしなかったと思う。所詮大きいホテルの支配人といえどもサラリーをもらう雇われ店長。街全体を考えると言う事も無ければ、考える権限を街に住む他の旅館店主から与えられるとは思わない。大型リゾートには限界と言う物がある。

  街は生き物だと思う。小さな意見が集まり街の景観を変えた事に成功の秘訣があったと思う。実際に黒川温泉は『黒川街づくり協定』を制定して活動している。お客が来る事をみれば、やはり日本人は美しい景観が好きなんだろうと思うが、どうだろう。

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