2013年7月31日水曜日

和室の必要性に疑問を覚えたのさ。。

   昨日も書いたが、急きょ新築の図面を書く事になった。だがまだ家主さんには会ってはいない。なので要望が全く分らない状態でスタートしてる。ちなみに敷地の大きさもぼんやりとしか分っていない。すでにある程度の図面は他人が書いたのがある。それをひねくり回すのは簡単だ。だがそれをやるのは設計屋として心がひけるのでそれだけは辞めようと心に決めた。というわけで今日は喫茶店に籠もりず~とプランニングをしていた。要望がわからないので他人が書いた図面をみながら要望を読み取る。その図面には和室があるのだが床の間がない。う~ん。。どのような目的で和室があるのかが読み取れない。。

   和室の使い方は様々である。よくあるのが仏壇の添え物としての和室である。その場合は大体6畳の和室に床の間と仏壇を置くタイプが多い気がする。また来客者を迎えるためのスペースとしての和室である。例えば子供が小学生などになったら家庭訪問などがある。その時に対応するためのスペースの和室だ。また宮崎などの田舎では飲み方をよくする。知り合いなどを呼びそこで飲むのだが、さすがにプライベートスペースであるダイニングではしゃいで欲しくない。なのでそんな時には和室を使う。その他にも子供の日の鎧兜を置きたいとか、ひな祭りの際にひな壇を置きたいなど色々理由がある。だが一番の和室を必要とする理由は何となくであったり、ごろりとしたいといった理由のような気がする。

   先にも書いたように、まだ会ってはいないので分らないのであるが、今回のお客さんはどうやら LDK と和室がつながったような家を求めているような気がする。他人が書いた図面からはそんなふうに読めるからだ。最近こんなタイプのお客さんが多いから何となくだがそう思っている。だが目的ははっきりしないので苦労している。もちろん、格式が高い和室をつくりたいという願望があるのなら別だが、なんとなくという理由なら、僕は和室自体が必要無いのではないかと思った。例えばお客さんに対応したいというならゲストスペースを設ければ済むし、ごろりとしたいならごろりとするスペースを作れば良い。仮にお客さんに対応するスペースであれば、ウッドデッキを作った方が開放的に出来る。それに宮崎の平均坪単価である40万の和室を作るより、1坪6万で出来るウッドデッキの方がもちろん安くつく。玄関の脇に土間スペースを大きく取っても良いだろう。その方が和室で正座するよりも楽であるし、もっと楽にお話が盛り上がるというものだ。

   今回の敷地は作り手としては絶望的に難しい土地だ。北側入口であるし、その他の方向は敷地ぎりぎりに家が建っている。どう考えたって目線のやり場にこまる土地である。そして光の採り方も大変難しい。仮に6畳の和室に1畳ずつの床の間と押入を160万で作るよりも、そのお金をどこか他に回した方が良いのではないかとぼんやりとだが思っている。まあ会ってみなくてはわからないのだが。。

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さあ、お仕事お仕事。。

2013年7月30日火曜日

住宅設計のタブー


   ありがたいことに仕事を頂いた。といっても良いプランが出来れば採用してもらえるというものだ。つまりダメなプランしか提出できなかったら即ボツ。。もちろん給料などは一円ももらえない。まあそういうシビアな世界だからしょうがない。という事で気合いをいれて作らねばならない。だが今回の敷地はとても難しい。入口は北側の細い車一台通るのがやっとの道路しかない。また東の敷地は家が建っている。それもこの家はごっついお家である。また西側にはマンションが建っている。つまり目線をどう逃がすかが難しい。南は他の家の庭がある。それに敷地は限りなく小さい。現在すでに他人が書いた図面がある程度は完成している。聞くところによると、お客さんが自分でプランニングをされ、それを設計士が書いたようではある。これが結構中々出来ている。これが素人さんなのに良く出来ているのだ。つまりこれを超えねば僕としてはおまんまが食えない。今度の土曜日までには仕上げないといけないので、時間的にとても厳しいのだが、まあがんばるつもりである。設計のお仕事で家主さんとお話をしているとお客さん自らプランニングを提出して来ることがよくある。もちろん良いものもあるのだが、中にはさすがに変更を促さねばならない場合もある。これが結構気まずい事がある。

   一番、やってしまいがちな過ちを上げるとすれば、子供部屋と主寝室がつながっているという事だろう。これが設計の世界では一番のタブーなのである。僕らが設計の資格を取る時などはこれが一番きつく言われたものだ。もちろん合法である配置ではあるので、このような配置をとったところで試験に落ちはしないだろう。だが実生活ではこれではいけない。だがこんな家は結構あると言えばある。せめてクローゼットを一枚ほど入れた方が良い。だが自分でプランニングをされた家主さんらはこのタブーを知らないことが多いため、そんなプランニングをされてくる。その時はさすがにプロとして他のプランを練り上げるのだが、家主さんによっては 『なぜダメなんですか?』 と夫婦共々とても強い口調で言ってこられる事がある。そんな時はさすがに気まずいので、難しい建築理論をしゃべりまくり何とか切り抜けるようにはしている。この気まずさを察してくれればありがたいのだが。。

   さて今回の建物がどういったものになるかはわからない。ぼんやりとは見えているが、まだ線にはなっていない。。さてがんばらねば。。

   という事で、いつものように音楽でごまかします。石川さゆりさんの 『天城越え』 です。

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お仕事がんばります。

2013年7月29日月曜日

スモールハウスでお仕事をする

   僕がやっている設計のお仕事は一人で出来る。もちろん忙しくなればそれなりに人を雇ってでもしなくてはならないが、基本は多くの人は必要ないし、いたらいたで意見が合わなくなったりするので、結局は少人数で仕事をする事が多い気がする。僕の場合は自分の部屋でお仕事をしている。前にも書いたが、クーラーもなく網戸も断熱材もない6帖の部屋でお仕事をしている。その部屋にはベットに机とタンス、そしてコピー機にパソコン机と本棚に本棚に本棚。。設計の仕事はやたらと本や資料集が多くて困る。もちろんそんな部屋にはお客さんは呼べはしない。なのでできる事なら自分の事務所を作りたいという願望を最近持っている。スモールハウスでだ。

   会社にとって事務所はその会社の顔である。日本の会社はとりあえず事務用の机があるだけというものが多い。だが僕みたいな設計のお仕事をする人間はそれなりにこだわらないと生活に関わる。センスと知識が商品であるからだ。だが設計屋さんなんて金を持っていないのが相場だ。仕事をたくさん持っていても同時にやれるのには限りがあるからである。僕もその例にはずれず貧乏設計屋なので大きい事務所などは持てるワケがない。なのでスモールハウスを応用したものを作ろうかとぼんやりと思っている。いわゆるSOHO (small office home office) であるその方が銭がかからないし、こだわれるからである。

   だが閉鎖的な事務所は僕好みでない。正々堂々仕事をしてるのだからそれを外に見せるような事務所にしようかと思っている。なので散らかるわけにはいけない。よって出来れば本棚を外部からは見えない位置に整えたい。そして前面にはデッキをかまえて来客時はそこで対応できるようにすればそれで良い。広さは10坪ぐらいで十分やれる気がする。なので金額も安くでできるし、小さいからこそ窓をLow-Eガラス (特殊金属が塗ってあって断熱効果が高い。。が値段も高い。。) を使う事も出来るだろうし、ウッドデッキの材料もウリンなど使えるだろうと思っている。

   以前、奈良であったか、とあるメーカーの2代目の社長さんが自分の会社に建築デザインを入れ、そして多くの新人を雇ったのだが、その会社は大きく発展したと聞いた。その事務所はとにかく働く人々の快適性と開放性を考慮したデザインであり、そして来客者もウキウキするような事務所となっていた。なので離職率もすくない。せっかく社員教育した若手社員が出て行くのは会社に取っては大きな痛手ある。それを防ぐ意味合いも持つと社長さんは言っていた。日本の会社ほど息が詰まる事務所はない気がする。日本の事務所はどことなく事務所は人が座れればよく棚があれば良い。そして応接スペースはとりあえずあれば良い。事務所に快適性を求めること自体が贅沢と思っている。まあ、そんな感じだ。僕はそれでは勿体ない気がする。

   整理整頓すれば仕事の効率があがると聞く。せっかく設計という小規模貧乏業者なのであるから、楽しくお仕事をがしたいものだと僕の部屋を見て思った。

   かたづけねば。。

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2013年7月27日土曜日

景観街づくりという飲み方

   現在僕が設計を担当している新築の契約がまとまった。ありがたいことである。だが、銀行の関係で確認申請を急がなくてはならないのでぶっ飛ばして仕事をしている。僕が現在設計している宮崎県のとある町にも一応の景観条例がある。確認申請作業を行う前にその景観条例をパスしなくてはならないので、てんやわんやだ。その景観条例はど派手な色はダメですよという程度のものであり、逆に景観条例にひっかかる方が難しいぐらいであるので、それ程たいした問題では無いのであるが、正直なところまだ外壁の色が決まってない。。まあ、景観を悪くする建物は作らないつもりではあるのだが。。景観街づくりというものがある。僕の住む宮崎県でも色んな市町村が景観町づくりというものに参加しているようだ。実に素晴らしい事ではある。だがその景観街づくりにその参加してる方々の中に町づくりのプロがどれくらい入っているかと言えば、全く入っていないことが多い。

   僕もまれに懇談会などに参加させて頂く事があるのだが、そのメンバーの中には大学などで都市計画を勉強して来た人間はまずいない。大抵は町役場の建築課の方が数人。そして建設や土木業の若社長に、嫌々参加した町の若者の会の代表さん。そしてなぜか元気がいっぱいのオバちゃん。。まあそんな顔ぶれである。まずは建築課の部長さんらしき人がご挨拶して、その後この町の魅力を言い合う。そしてその魅力を高めるにはどうするかを皆々で話し合う。大体がこんな流れである。

   僕がまだ20代のぺ~ぺ~の設計屋であった頃に参加させて頂いた、というか眺めていたとある町の景観街づくりでは、その町のとある通りの景観について話し合いがされていた。いつものように町の建設課の部長さんのお話が終わると、建設会社の専務さんが現在ある仕様制限を緩和してくれと言い出した。その町は城下町であるので、ある程度のデザインの制限や高さ制限あるのだが、その場所に今住んでいる方が家を作る際の足かせとなるという事であるらしい。つまり景観条例をのっけから否定するため来られたようだ。まあその方が僕らの業界は儲かるのは事実である。土地を小割りしたり、高いビルを作れるからだ。周りのおばちゃんや若者の代表者さんはぽか~んとされていた。そりゃそうだろう。都市計画の事を専門用語でまくし立てられたら素人さんには無理な話である。だが何となくであろうか、 『そりゃそうよね~』 というおばちゃんの声に始まり、初めからとりあえず参加している若者の代表者さんは周りの意見にとりあえず頷き、結局は規制緩和という方向で決まってしまった。何のための景観街づくりかわからない。。

   その後、グループに分かれてお話をする。僕の参加したグループでは、おばちゃんが、 『この通りの一角にケーキ屋が欲しい』 と言い出した。おいおいケーキ屋と景観がどのような関係があるんだと思うのだが、周りはいいですね~と言っている。。 『クリスマスにはみんなでイルミネーションして観光客を集めましょうよ』 とおばちゃんらが言いだし、とりあえずみんなで盛り上がる。だが黙っていた若者の会の代表者さんが反対した。ボランティアをさせられるのが目に見えているかららしい。。景観とイルミネーションはどういう関連性があるのかは僕には理解できないが、やりたければやればいいじゃんと思った。。

   その後、グループで話し合った内容を皆で討論。。ではなく大きな紙に書いて見せびらかす。そして結局は僕からみれば景観という程のものはなった。。だが何かは決めた事にせなイカンらしく、最終的には 『花いっぱい運動』 というという事で落ち着いた。要はパンジーなどの安い花をみんなで植えましょうね ♡ という運動だ。これで町が美しくなるという事らしい。とりあえずまとまったので役所の方も満足。という事で皆さんで夜の町へ飲みに行った。

   現在その町のその通りは、パンジーなどの花などは咲いていない。既にそんな計画があったという記憶さえ消し去られている。町は閑散として、きっとその計画で使われたであろう、元は白かったであろう花用のプラチックのポットがぶらりぶらりと軒下にぶら下がっている。その通りを通る度にあの会は何だったんだと嘆きたくなる。実に無責任な会である。。

   最近、僕が住む宮崎の市町村では景観街づくりが盛んだ。だがそのまとまった景観の条例などを見ると、どうもプロの臭いがせず、とりあえず 『花いっぱい』 的なものになりやすい。僕は思うのだが、都市空間の専門家を少なくとも会の半分は入れた方が良い気がする。日本人はプロを大事にしない。これは間違えていると思う。宮崎県では景観アドバイザーという景観の専門家を派遣する制度がある。これを積極的に利用するべきだ。

   ちなみに景観について高い意識を持つ欧米などでは、市町村が指名する建築家の方々 (設計士やデザイナー) と首長さんらが相談して町の景観を決めている。欧米では建築家と呼ばれる人々は町のカタチを市民から一任されているからである。僕はその方が町のために健全であるとは思っている。多くの日本人が海外旅行で欧米に出かけて町並みが美しいと思うのは、そんな努力をしているからだ。少なくとも 『花いっぱい運動』 は欧米なみの美しい町並みを作る事は難しいのでは無いかと思っている。

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2013年7月26日金曜日

イケメンのおじさんの夏

   子猫が我が家にやって来て (僕が水難救助してあげて) 気が付けば6日ほど経った。その生後2ヶ月ほどの子猫はガリガリに痩せていたので、こりゃ助からないと覚悟はしていたが、僕のナイチンゲールばりの献身的な介護のおかげですっかり元気になり、今ではにゃ~にゃ~うるさい。だいぶ元気になったので、そろそろ、猫の恩返しをしてもらわなイカンなと思っていたら、僕の部屋にある建築資料集の上で小便しやがった。。三味線にしてやろうかと思ったが、優しい僕は辞めてあげた。

   我が家に来て1週間ほどだが、既にアイドル扱いである。僕がお昼に毎日のように食べる納豆かけご飯よりも高いキャットフードを食べ、体がまだ小さいからという理由で、けしからん事にポカリスエットを飲んでやがる。そして動物全般にあまい僕の母親などは、携帯電話で写真を撮りまくり。 『み~ちゃん (僕的にはタチアナ)』 とまさに猫なで声で呼んでいる。そしてその 『み~ちゃん』 抱きながら近所へ散歩。実に良い身分である。

   元気になったのは良いのだが、元は捨てられたであろう猫である。ほぼ野生であったらしく、元気になったとたん暴れまくるので大変だ。すぐに外に出ようとするし、それに昨日などはミミズを食べていた。そしてきっと素敵な我が家にはいないはずのゴキブリをガブリ。母親などは 『そんなの食べてはダメ !!』 と半泣きで叱っていたのだが、もともとは半分は野生なのでどうやら血が騒ぐようだ。

   今日の朝方の事、いつものように爽やかな朝日を浴びながら、ぐ~すかぴ~と二度寝していたら猫がにゃ~にゃ~窓を叩いている。どうしたんだにゃ~と思って窓の外を覗いたら近所の子供と目が合ってしまった。。イカンと必死に隠れたつもりだが、子供らに 『イケメンのおじさ~ん、猫チャンと遊ばせて~』 と言われてしまった。朝の5時半である。。毎年恒例となってしまった朝のカブトムシ取りの時間である。イケメンのおじさんは毎日朝2時までお仕事しているから眠いんだ。。なので帰れと言うワケにもいかず、子猫を抱かせ僕は必死こいて木を蹴ってあげた。それがラジオ体操が始まる寸前まで続いた。。

   今日はお仕事で出かけていたのだが、夕方帰って来たら子供らが来ていた。それも増えとる。。どうやら僕がいない代わりに父親が子供らにカブトムシを捕ってあげたようだ。子供らはカブトムシが捕れたと猫を抱きながらはしゃいでいるのでが、子猫はどうもそのカブトムシが食べたくてしょうがないようだった。だが子供らの夢を壊すのは大人の僕として忍びない。なので僕は98円もする僕の納豆よりも高いキャットフードを無理くり猫の口に突っ込んで食べさせた。そしたら噛まれた。。

   仕事の忙しさで忘れていたが、夏休みはもう始まっている。例年の事だが、これが夏休みが終わるまで続くのである。。

   今、おかげで眠くてしょうが無い。。涙流しながらこのブログを書いている。。

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お休みにゃさい。

2013年7月25日木曜日

思い出ぼろぼろ

   夕暮れ時に、docomoショップへ自転車で出かけた。銭を払わないとイカンからである。その道の帰りに道路脇を見たら鉄柵があった。元々は道路より一段ほど低い畑があったはずだよな。。たしか数ヶ月前に通った時はなかったよな。。などと思いながら、何が出来たんだと覗いてみたらそこは太陽光発電の基地になっていた。正直、自分の町にそんなECOなモンが出来上がっているとは思いもしなかった。なぜなら僕の町はまだ光ファイバーが一部の地域にしか来ていないような町なのである。光ファイバーよりも先に太陽光の畑ができるとは思わんかった。。そんな田舎の町の一角に太陽光がずらりと並んだ風景はとても違和感を感じたと同時に、 『無理するな』 と言いそうになった。 

   その道は僕が中学校の時の通学路であり、もちろんの事ながら沢山の思い出が詰まった道である。いつも一緒に自転車登校するアホの友人 (今では某大手ハウスクリーニング会社の社長) とよく喧嘩した道だ。また、中三のバレンタインデーの日に奇跡のチョコレート13個ゲットだったため、卒業式の日は僕の子猫ちゃんらに制服のボタンをねだられるだろうと、制服の全てのボタンを外して机の上に置き 『さ~来い !!』 と待ち構えていたのにもかかわらず、結局だ~れからも取らず、 『馬鹿やろう !!』 と泣きながら全てのボタンを投げ捨てた思い出深い道である。

   その僕にとっては思い出深い道の脇にある太陽光発電基地は鉄柵で覆われ、全ての敷地は白いセメントで覆われていた。そして事もあろうにその脇にあるあぜ道まで全て白すぎるくらいのセメントで覆われている。あぜに草が生えるのが許せないのだろう。僕は思うのだが、どうせその基地の周りは畑なのであと数ヶ月ほど経てばその白すぎるセメントは黒ずみ汚くなるはずだ。なぜそれが分らないんだろうと思った。まあ、草刈る手間が省けるんでいいんじゃねぇ?という考え程度で作ったのであろう。最初から美しいものをこの町に作るつもりなどとは全く考えていないのだろうが。。だがその鉄柵と白いセメントのあぜ道があることによって、その土地のもともとあったのどかな田舎の田園風景は一気に壊れたと僕は思う。少なくともそんな近所には僕は住みたくはない。

   個人の敷地なら何しても良いと思う人が日本では多い。だがフランスの法律にある 『全ての建築物は公共のもの』 という考えが僕は好きだ。別に太陽光についてぶ~ぶ~言うつもりはないが、やはり町の価値を下げるデザインを採用してはいけないと僕は思う。まあそういった考えは普通の人は持ち合わせてはいないだろうが。。

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2013年7月24日水曜日

快心の空手チョップ !!

   僕の携帯代金は月に25,000円ぐらいかかる。そのほとんどは仕事のお電話である。見積もりなどを依頼した時などは、僕の携帯は鳴りっぱなし。困った事に運転している時でさえかかってくる。法令遵守の精神を貫(つらぬ)きとおしている僕はチャンと車を止め、電話に出ていた。だがさすがに面倒なので2ヶ月ほど前に買うてもうたのがブルートゥースのイヤフォンだ。

   正直言えば、買うのには抵抗があった。コンビニなどで話しながら入ってくる人を見る度に、『あんたは帰国子女か ! 』と言いたくなるからである。どうもあの風景が嫌いだった。だが買ってみると、これほど便利なものはない。今考えると、携帯電話を耳にかざしながらお話しするのがこれほど苦痛なものだとは思わなかった。

   買って間もない頃は、さすがに僕のお耳も慣れていなかったので違和感があったのだが、慣れると何も感じない。つけていることすら忘れてしまう。とても便利なモンである。最初は恥じらいがあったのだが、そんなのは3日もすれば吹き飛んでもうた。堂々と話ならコンビニに入り、話ながらコーヒーを選んでいる僕がいる。

   昨晩の事、いつものように夜中に自宅でお仕事をしていると、電話が入った。古い友人からである。気が付けば、久しぶりのプライベートなお電話。結構な長話になってしまった。気が付けば23時過ぎ。男と長話をするのは僕の流儀に反する。こりゃイカンと眠りについた。

   素敵な大人の朝は早い。朝が僕を呼ぶからだ。。ではなく、クーラーもない僕の昭和の部屋では、暑いので窓とカーテンを開けて寝ているため、朝日が僕を直撃するからである。そして近所の鶏(にわとり)が爽やかな朝を告げるからである。だが鋭い僕は気づいた。ぼんやりと目を開けると何かいるのである。。黒い物体。。でたなゴキブリ !! と見事な瞬発力で空手チョップを食らわせた。そして見事に退治した僕は、しっかりカーテンを閉めて素敵な二度寝に入った。

   朝飯を終え、さて仕事するかという時に電話が入った。すでにブルートゥースのイヤフォンが無ければ生きていけない体となっている僕は、イヤフォンを探した。だが無いのである。。いやぁ~な予感がしたので、ベットの横を見てみると、あら無残。。ブルートゥースの耳に引っかける部分が折れ曲がりぶらぶらしていた。。どうやらブルートゥースとゴキブリを間違えて攻撃をしてしまったらしい。。一応は耳につけてはみたが、ぶらぶらしてどうもシックリしない。。とりあえず昨日の友人を恨んでやった。。

   という事で、今日はめちゃめちゃブルーになっている。。今年の2位の落ち込みようである。。

   ちなみに1位は、朝の連続ドラマ 『あまちゃん』 に出てくる唯ちゃんがグレた事である。。ええ子やったのに。。

   もう~ぷんぷん。。

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さあ、お仕事お仕事。。

It' a boy !!


   朝方テレビをつけたら電光掲示板に、 『It's a boy』 とでていた。イギリスのロイヤルベイビーの事である。てっきり以前ケリー夫人が口を滑らせ彼女は(娘は?)と言っていたので、てっきりこっちは女の子だと思っていたのだが、男の子だったようだ。紳士の国イギリスというわりには、めちゃめちゃ口の悪いイギリス人がテンション上がってお祭りムードになっている。実にめでたい事である。普段は王室反対派の方も喜んでいるようだ。通常ロイヤルファミリーと英語で言う場合、イギリス王室の事を指す。1世紀まえぐらいまでイギリスは太陽が沈まない国であったわけで、現在でもイギリス王室は、オーストラリアやカナダなどを含む、54の加盟国からなるイギリス連邦、およびイギリスの王室領土と海外領土の元首である。実にややこしい。。だが考えると、多くの国の将来の国家元首が産まれたわけだ。そりゃ騒ぐだろう。

   以前、まだ僕がアメリカの大学に通っていた2001年の暮れの事、愛子内親王さまがお産まれになられた。確か英語の Reading のクラスであったと思うが40代の女性教師が教室に入って来て 『Congratulation Japanese !! it's a girl』 と言われた。だが言われた日本人はみんなぽか~んとしていた。僕などは、何のこっちゃ、こっちゃ提出課題がまだ終わっとらんとに。。おめでたいやつだ。。と思っていた。日本のニュースがアメリカで流れる事は少なく、情報として雅子さま懐妊されたのは知っていたが、いきなり 『女の子』 と言われてもピンと来なかったわけだ。知っていたら朝から学校に行かずに日本人集めて酒飲んでいるに決まっている。

   そもそもアメリカという国は王室を排除することから産まれた国ではある。だがこの国ほど王室が好きな国もないんではないだろうか。なのでケネディー一族はあこがれの的であるし、モナコ公国の王妃となった元ハリウッド女優のグレース・ケリーも大好きだ。もちろんイギリス王室にも関心があるようではある。そして以外かも知れないが、日本の皇太子妃である雅子さまも人気が高い。というのも雅子さまはアメリカのカレッジを卒業されている。通常カレッジは庶民が行く大学という感覚もあるため、アメリカの一般女性から見たら自分らに近いと感じるようである。その後、外務省の北米2課というめちゃめちゃすんごい所で働いているキャリアーウォーマンというのも、憧れる要素の1つのようだ。

   皇室や王室が嫌いな人々も多い。だが僕は保守的な考えが強い人間なので残しておきたいタイプだ。税金が無駄であるという人もいるが、国家財政からみれば皇室にかかる予算はたいした程ではない。実際、とある作家が昭和天皇と会う機会があったらしく、その手記を読んだことがある。その手記によれば、昭和天皇の靴下は破れていて指が見えたそうだが、気になさらず履いておられたそうだ。さすがに靴下は穴の空いていないものをはかせてあげた方が良いとは思うが、そんな事を気になさらない昭和天皇が僕は好きだ。

   だが、高級外車を乗り回すアラブの王族は嫌いだ。一人知っているが、ろくな奴ではなかったからである。

   とりあえず、おめでとうございます。


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しかし、ケイトさん
身長が178㎝もあるんだね。。
だがこんなに綺麗な白人は
なかなかいない。。

2013年7月22日月曜日

選挙ポスターの後始末をしませんか?

昔のです。。あしからず。。
   昨日、ふと煙草を買いに4キロ離れたコンビニまで僕の自転車ルイガノ 3S を転がしていると、選挙ポスターを貼っている板 (名前は知らん) の前に車を止めている老夫婦がいた。どうやら選挙も終わったのでポスターを剥がしに来ているようだ。剥がしているポスターを見るとどうも共産党の支援者さんらしい。宮崎は自民党王国である。今回の参議院選挙でも当たり前のように自民党の方が当選した。落選した共産党の方がテレビインタビューに答えていた。その方が言うには、宮崎では共産党の組織力は自民党と比べれば歴然としている。次につなげるためにもこれからの共産党は組織力を高める必要があるとおっしゃっていた。ちょっとだけだが僕は好感をもった。多くの落選された方々が、 『自分の力の無さ』 や 『支援して下さった方々に申し訳ない』 とインタビューで答えている中、その共産党の方は冷静に現実を分析している気がしたからだ。自分の力の無さや支援して下さった。。ではお礼をテレビのインタビューを使い言っているような気がして、僕はあまり好きではない。

   選挙が終わり1日が過ぎた。まだその余韻は残っているらしくテレビではねじれが解消されたとか、安倍政権が久々の長期政権になりそうだなどと放送してる。それはかまわない。だが町に出ると未だに当選者・落選者は関係なしに色んな候補者のポスターだらけである。もちろん選挙の時にポスターを貼っている板 (やっぱり名前は知らん) は既に無い。だが支援者さんのお家には塀代わりかと思うほどポスターがずらりと貼っている。僕らはこの人々の顔をその道を通る度になぜ強制的に見なくてはいけないんだと毎度の事ながら思ってしまう。

   実はあのポスターは結構高い。ちょっとやそっとの雨水で紙のインクが落ちてしまわないような紙を使うのは必須だし、それにこのポスターのサイズは結構大きいからだ。もちろん田舎のスーパーのバーゲンのような2色刷りではなく写真である。なので多く刷ったとしても1枚当たり1000~2000円はするそうだ。政治家さんにもよるようだが1つの選挙で1万枚ぐらい刷る人だっているようで、ポスター代だけで1000万ぐらいはかかっているようだ。もちろん支援者が多い立候補者さんらはその支援者に手伝ってもらうようだが、人によっては業者さんを使うようである。実に銭が勿体ない話ではある。

   ではそのポスターがどれほどの効果を上げているかと言えば、正直ほとんど効果はないと言えると思う。以前はポスター1万枚貼ったら当選するという神話があったようだが、今は違うようだとある東京都区議会議員さんが分析されていた。その政治家の先生が言うには、あるポスターを貼った議員さんは落選し、ポスター反対派の議員さんは当選したそうだ。まあポスターなんてそれ程効果が無いという証拠であろう。ポスターを貼ったところで落ちる人は落ちる。ポスターで政治家さんを選ぶほど日本人はあまちゃんではない。

   だが議員さんらも辛いものではある。ポスター制作費用もかかるだろうが、作らないは作らないで支援者さんから 『やる気があるのか?』 とおしかりを受けるそうだ。実は立候補者さんの中にも景観への意識が高くそれを売りにしていて、ポスターを作りたくない人も結構いる。だが支援者さんらからそう叱られるのはもちろん応援を受けたい立場の立候補者さんらからみればキツい話だろう。特に知名度と顔が売れていない新人さんらはなおさらだ。

   だがいつまでこの前近代的なポスター選挙をやるんだろうと毎度の事だが思う。今回の選挙からネットが本格的に入ってきた。まだ政治家のブログを読む人は少ないだろうが、意識の高い人はブログなどを読んでその人の考え方に賛同すれば、投票するだろうとは思うっている。だが僕はポスター自体を批判するつもりはない。選挙期間中は大いにやっても良いとは思っている。だが個人の立候補者さんに作らせるのは酷なような気がする。それでは貧乏だが志ある方が立候補しにくいと思うからだ。また選挙が終わったらさっさと剥がして欲しいもんだ。政治家さんが己の当選のために町を汚すのは間違えていると思う。

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でもなんで幸福実現党の女性立候補者は。。
美人なんだ。。

2013年7月21日日曜日

会津が落城してしもうた。。

   夕暮れ時、友人のM君から電話があった。『焼き肉でも食べに行かないか~?』 お互い独身の身、休みなのに格段やることがない。だが断った。今日は大河ドラマの 『八重の桜』 を見なくてはならんからである。何となくだが僕が応援しなければ、このままでは会津城が落ちる気がしたからだ。 『カルビは美味しいぞ~』 と言われた。馬鹿言うちゃならん。我が家にも宮崎牛の霜降りぐらいはあるし、昨日鹿肉だってもろうてきた。 『店員かわいいぞ~』 とかぶせて来た。心が動いた。。だが、 『ならぬ物はならぬのです !!』 と言って電話を切った。だってこのままでは会津が可哀想じゃないか。。

   思うに会津がいなければ幕末の日本は美しくはない。会津ほど旧体制である幕府に忠義をつくし、朝廷のためにも働いた藩はないだろう。だが時代は流転し、気が付けば会津は朝敵扱い。この前まで朝敵であったはずの長州と、最近までお仲間であったはず薩摩、気が付けば敵になっていた土佐に、そして日和見だったその他の諸藩が加わった新政府軍は、ずんずん北上し会津盆地へ攻め寄せた。家老である西郷頼母の一族21人を始め、会津の多くの女子供は足手まといになるからと城に入らず自刃したり、家族の手で殺されている。白虎隊だって町が燃えているのを城が落ちたと勘違いして自刃している。時代が変わるところっと態度を変えるのが日本人の特徴ではあるが、会津は意地を見せた。もちろん松平容保公の恭順が許されなかったという事もあるだろうが、最後まで戦い抜いた会津の方々を見る度に誠にアッパレだと思う。

   我が家の夕時は、焼き肉だった。宮崎牛の霜降りである。そして横には最近助けた猫 『ミィー(別名タチアナ)』 がいる。助けたのは良いが、どうも衰弱しきっているいて死にかけている。獣医さんに見せたらブドウ糖入りの注射を打ってくれた。その獣医さんがポカリスエットを飲ませてねと言うので、晩ご飯を食べながらポカリをむりくり飲ませた。猫の恩返しするまで死なせるわけにはいかんのだ。霜降りもたんまり食べ、そして子猫にかかじられながらも猫飯を食べさせた。後は会津を応援するだけである。

   決戦の午後8時。 『かかって来いや~、薩長肥土 !!』 とテレビをつけた。そしたら 『選挙速報』 と画面には出ている。。ん!? 八重の桜は。。と思い、ぼ~としていたら母親が、『八重の桜は7時過ぎからやってたよ』 と教えてくれた。。ぽか~んとなってしまった。。そしたら母親が 『立派に降伏してたよ』 とこれまた教えてくれた。。一歩間に合わなかったと嘆いた。。なんで早く教えてくれなかったんだ。。

   選挙速報の馬鹿野郎~

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そして安部さんおめでとう。

2013年7月20日土曜日

旅に出よう 2013年の夏

飫肥城です
   う~ん、最近自転車に乗っていない。仕事が忙しく乗る暇がないのだ。忙しいのはありがたいことなのだが、設計のお仕事は拘束時間がもの凄く長い。こまった事に僕はそれ程スピードがある設計屋ではないため、一日机の前にかまえていても間取りがまったく決まらない事はざらにある。設計のお仕事は本当に体がなまる。日長一日中パソコンの前に陣取り、あ~でもないこ~でもないと図面を前にしてブツブツ言っている。運動不足ここに極めり。そんな体になってきてしまった。

   これではイカンザキと最近また自転車熱がふつふつと沸いてきている。以前東京の練馬から宮崎に自転車で帰ろうかと無謀なプランを立てたことは書いた。東京から宮崎まで、建物を研究しながら帰ろうかとぼんやり考えていた。今考えたら恐ろしい事だ。九州に攻め寄せた蒙古軍のように台風の事をさっぱり考慮していなかったので、実行していたら神風吹いてどえらい事になっていたのは想像に難くない。だが有名な建築家は大抵は旅に出ている。そしてそれらを本にまとめて銭稼いでいる。う~ん、文章力もなくどうも下世話にできている僕は銭は間違いなく稼げないが、ブログのネタぐらいにはなるだろう。きっとやるんじゃなかった。。と後悔だらけの手記になっている気もするが。。

   どうも僕は旅行は好きではない。だが旅は好きなようだ。僕がいう旅行とは友人らと観光地へ電車やバスに乗って行き、夜は飲み方のやつで、旅とは一人かもう一人で自分で車や自転車で目的地まで行く事をいう。僕は観光地を訪れるのは好きだが、観光バスなどでその観光地を見るだけというのは好きではない。どちらかと言えば、それまで苦労してそこにたどり着きたいタイプの人間だ。途中にある神社や町並みをじっくり見ながら、休みながら食べながら行きたい。

   きっと自転車で行くことになると思う。ふと宮崎一周でもしようかと思った。考えて見れば、今の仕事を終わらせて次の仕事まで2週間ほどの空きがある。これをうまく使わない手はない。僕は宮崎の中央部に住んでいる。南下して日南海岸でキュートなヒップにずっきんどっきんするのも悪くないし、北上して高千穂へ行き神様に願い事を拝み倒すのもわるかない。周りの人間にはサライでも歌っとれと言い残し行くつもりである。もちろん、現在の仕事で給料が出ればの話だが。。

   テンション上がって来た~

   体を鍛えるため、とりあえず近場のコンビニまで自転車で行こうと思う。まずは、往復4キロに体を慣れさせないといけない。。でないと電車でリターンエースという事だってありえるからだ。。それに周りには根性無し !! と言われるに決まっている。

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今テンションマックスです !

2013年7月19日金曜日

選挙という憂鬱

   選挙戦も後半戦に入って、候補者さんも必死だ。僕は大学では政治学を専攻していた。よって政治には興味はあるし、それなりの知識も持っているつもりである。だが毎度日本の 『選挙』 という物を見る度に、悲しくなる思いがする。いったい選挙カーに乗って彼らがどのような事を訴えたいのかよく分らないからである。名前を連呼しながら走る彼らに向かって毎度の事ながら、ぼ~としてしまう。

   昨日、ふと宮崎県は木城町を車で走っていたら、山田雅彦元農林水産副大臣さんが街頭演説をされていた。このお方は、3年前に宮崎で起こった口蹄疫の際に宮崎県で現地本部長をされていた方だ。よって宮崎では口蹄疫の際には毎日のようにニュースに出てらっしゃった。当時は民主党にいらしたみたいだが、現在では緑の風に席を置き比例で立候補されているようではある。別に山田元農林水産副大臣を非難するつもりはないが、その演説を立ち止まって聴いている人は一人もいなかった。みな日常が忙しいのである。困った事に僕の車が信号で止まり、山田議員の前に止まってしまった。。横でマイクで喋っているので実に気まずい。。僕は以前からこの日本の選挙のあり方に疑問を感じている。もちろん演説自体は民主主義には必要なものだとは分っているつもりだが。。

   以前、僕が京都に住んでいる時に京都市議会選挙があった。京都は言わずと知れた共産党がブイブイ言わせていた町だ。今は勢いがだいぶ落ちたと言えども、僕が京都に住みだした頃には、京都市の真ん中にある共産党のビルには 『打倒・天皇制 !!』 というでっかい垂れ幕がぶら下がっていて、そんな事を考えた事も無い僕は、初めて見た時はとても驚いたものである。ある朝、僕と同僚のインテリアコーディネートの女性が徹夜で設計事務所で仕事をしていた時、 『朝から大変ご迷惑をおかけします』 と拡声器から流れるだみ声が聞こえてきた。迷惑をおかけしますと思うのなら、朝からやらんでも良いだろうと思うんだがその20代の共産党の立候補さんはとうとう持論を喋りなはる。こまった事に、僕の設計事務所の下から動かずず~と喋っているのでとても仕事の邪魔でなのである。それも30分近く同じ場所で 『我が共産党は !!』 と拡声器でやっているわけで、迷惑きわまりない。あまりにも迷惑なので、ひょっとして保守系の方が共産党への嫌がらせでやっているんかと思ったほどだ。だが我慢にも限界があるのである。窓を開けてやさしく注意した。『迷惑なんで立候補すな~ !!』

   アメリカに住んでいる頃、もちろん選挙はあった。だが彼の国の選挙はもっとスマートであるが日本よりもお祭り騒ぎである。選挙カーはまずありえないし、街灯演説は見た事が無い。選挙期間中は日本と違い政治家のポスターなどはなく、町中にオバマでいうところの 『Yes, we can !!』 的なプラスチックでできた小さな看板を家々の庭に刺しているくらいで、さほど日常とは変わらない。だがスーパーなどに行くと、支援者さんらがブースを作り、こういう政策をしたいんから賛成してくれと言って来たりする。そのブースには風船がくくりつけられ、どことなくお祭り気分だ。町のカフェでの話題は政治の話が自然多くなる。

   だれもいないところでの街頭演説や自分の名前を連呼している立候補者を見る度に、日本の政治家が哀れに思ってしまうのは僕だけなんだろうか。。知り合いのアメリカ人が言っていた。『日本に長く住みすぎたと感じるのは、選挙期間だからうるさいのはしょうがないよな~と気づいた時だね you know~』 まあそうだろう。僕が思うに政治家とは一番尊敬されなければならない職業である。日本に住む人々の生命と財産、そして運命までも一手に握っているからだ。なのでポツンと立ちマイクを握っている山田元農林水産大臣を見て哀れに思った。気づいていないふりをするのではなく、手ぐらいはふってあげとけば良かったと、今更ながら悪いことをしたと悔やんでいる。支持者ではないんだが。。第一、どんな考えを持っているのかよく分らないし。。

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熱い中、ご苦労さんです。。
とは思ってます。。

2013年7月17日水曜日

猫の恩返しの仕込み

   朝方、どこからかにゃ~にゃ~聞こえる。ふと考えると、昨日の朝もにゃ~にゃ~泣いているのを思い出した。どうも子猫らしい。我が家の敷地にでも野良猫が子供を産んだかなと思っていた。だが無視した。だが昼時、何とか仕事をいったん落ち着かせ、さあ昼飯でも食べようかの~と思って外にでたらまだにゃ~にゃ~泣いてやがる。はらでも減ったんかいなと思ったが、どうもそんな泣き方ではない。僕の家の裏には昨年の暮れに高速道路ができた。その高速の下を用水路が走っているのだが、どうもそこから聞こえる。ふとその用水路まで行き下を見ると青目の白い子猫がにゃ~にゃ~泣いていた。その用水路は幅1m深さが2m近くあり、水かさはそれ程でもないのだがどうもその子猫は出れないようなのだ。昨日は雨が降らなかったから良いものの、仮に夕立などザザ~と降り出しようものならこの子猫は流され水死するに決まっている。にゃんとな ! こりゃ助けてあげねばならん ! という事で、水難救助をやってあげた。

   どうもこの子猫は、産まれてまだ数ヶ月しかたっていないらしく僕のマウスパットよりも一回り小さい。またこれが超ガリガリなのである。どうも長い事、飯らしい飯は食べていないようなので僕の昼飯を食べさせてあげた。だが僕になついたのは良いのだが、どうもとなりでにゃ~にゃ~うるさくてしゃあない。。出て行けと行っても出て行かず、やたらと寂しがっているようだ。捨て猫かどうかはまだ分らない。だがどことなくロシアの猫っぽくてカワイイと言えばカワイイ。。

   最近は僕の幼い頃など、捨て猫なんてよくある話だった。小学校の頃などはよく道路脇の側溝などでよく猫がにゃ~にゃ~泣いていた。それを拾って帰ってはよく怒られたものだ。だが最近は捨て猫自体が少ない。にゃんでかは分らないが、そんな捨て猫を見る機会も少なくなった。だれかが捕って食っているんだろうか。。

   僕の父親などの世代がまだ幼い頃は、道路脇の側溝に猫を捨てているのはあまり少なかったようだ。んで、どうしてた?と聞いたら、みんな川に段ボールに入れて流していたようだよと教えてくれた。。バリバリの動物虐待だ。。だがそれが昔はよくある光景だったそうだ。。

   にしてもこの猫どうしよう。。しっかり猫の恩返しでもしてもらわねばならない。なぜならこっちは命の恩人である。昼飯もくれてやったのだ。恩返しをしないのなら、段ボールに入れて川へと一緒に遊びに行くという事になる。という事で今からばっちりと教育せねばならない。まあ、夕時母親が帰ってくると追い出されるとは思うのだが。。追い出されなくても、立派な野良猫として旅立つだろうとは思っている。

   勝手ながらこのロシア猫にタチアナと名付けてあげた。

   知り合いの尻の軽いロシア女を思い出した。

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さあ、お仕事お仕事。。

2013年7月16日火曜日

プールを作りませんか?

   僕は宮崎の田舎町に生まれた。途中アメリカや東京や京都に住んだが、やはり宮崎が一番だ。。とは思わない。。自分の故郷を客観的に見て、やはり住みやすいとは言いがたい。例えば買いたい物がまったく売っていない事。服などはGAPやユニクロがステータスな世界だ。また宮崎の平均年収が都会のコンビニのバイトと差がない事。なのに車社会である事。また僕の家の前の畑に農業法人が鶏糞をまいたため、鶏糞の臭いが部屋中を充満している事。。この暑さの中でクーラーもなく、呼吸する壁。。ではなく、すきま風を感じる事ができる僕の部屋は窓を閉め切ることができない。。ので怒りプンプンな事。。できればそんな町から引っ越したいのだが、とりあえず地元の宮崎に住んでいる。だがそんな田舎にこれからも住むであろう僕としては、そんなど田舎暮らしをエンジョイしたいし、改善していきたい。少なくとも自分の住環境だけは設計士なのだから理想を貫きたいと考えている。こんな暑い日に思うのは、やっぱりプールが欲しいという事だ。

   僕はアメリカに住んでいたので、プールはよく入った。僕がよく行ったアメリカの公共のプールはたしか75セントであったと思う。物価が日本よりも遙かに安いと言えども、やはり75セントは安い。夏場になるとホームレス留学生であった僕は、そのプール脇にあるシャワー目的でよく行った。全てのアメリカ人がプールを持っているかと言えばそうとは限らないが、多くのアメリカ人はプールを持ちたがる。アメリカ人がパーティー好きだという事もあるだろう。僕もそんなバーベキューパーティーにお呼ばれして、プールサイドでウォウウォウウォーとサマーをエンジョイ。プールはそんな扱いをしていた。

   日本に帰国して思ったのが、日本は明らかにプールがあった方が良いお国だという事。アメリカから日本に帰って来たのが9月だったのだが、成田空港に入ったとたんのあの湿度にはホントびびった。。5年も日本に帰らなかったらさすがに日本の湿度を忘れていたわけだ。僕が住んでいたカリフォルニアは確かに暑いとは思うが、日本のような湿度はない。なので汗臭っと感じるような暑さではない。だが日本は明らかに違う。日本の方がプールが必要な国だという事はあきらかだと思う。

   僕が東京にいた頃、とある設計事務所の方とお話をする機会を得た。その事務所はプールをよく施工している会社で、日本でもプールを作れることを教えてくれた。そしてそれらが決して高くないという事も教えてくれた。その方に聞いたところ、大体2.5m×5mのプールで500万からぐらい(円相場にもよる)ぐらいだと言う。ちょっとした高級外車ぐらいの値段でプールが買えるという事である。500万なら家を作る時にかかる費用としては、それほど高くはない。だがプールはもちろんメンテナンスが必要だ。でないとよくわからないバクテリアなどが発生する気がする。だがメンテナンス料金はそれ程でもなく、多い月でも6000円程度。僕の携帯料金が2万超えなのと比べると遙かに安い値段でちゃぷちゃぷできる。

   僕はアメリカに住んでいたせいか、日本とはとても美しい国だと誰よりも思う。少なくとも僕の周りの人間よりも日本を愛しているつもりだ。だが美しいはずの日本の家々の庭がとても悲しいと感じる事がよくある。これ何年もの?といったプラチックの苔むした白かったであろうプランターがごろごろしている我が家や、ごっつい汚い犬小屋などがある我が家を見る度にどうしようもない悲しみを覚える。それならプールを作ってしまった方が良い人生を送れる気がしている。日本人がプールを作らない理由として、周りがやっていないという事があると思う。プール持ってはるわ。。と言われるのが気に入らないのだと思う。だがそんな意見は無視した方が良いと思う。人生を楽しむのに他人の陰口を気にするほどつまらない物はない。

   ちなみにプールの水は勝手に濾過されますので年に1度3分の1程度の水の入れ替えだけで済むようです。水代金なんて毎日風呂に入る量を考えたらたいした金額でもないと思う。まあ、水代けちって僕なら田んぼの水を引くかもしれないが。。

   宮崎の方なら言うて下されば、僕がつくります。

   コメントに連絡下さい。もちろん非公開にしますんで。

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鶏糞の馬鹿野郎~ !!

2013年7月15日月曜日

建築理論の初歩の初歩

    設計屋の世界は40歳でもまだ若造と言われる世界である。僕がこの世界に入ったのは28歳。26歳まで外資系企業でばりばり働き、た~くさんの給料をもらっていた。だが日本に帰国し、日本の景観に絶望し、清水の舞台からムーンサルト。。設計屋という業界の奈落の底のような世界で今は生きている。設計事務所に勤務し始めたばかり頃、どうやって家をデザインしていくのか、なんとなくだが先輩や建築家さんらが教えてくれるもんだと思っていた。いわゆる社員教育的な物があると思っていたのだが、あらどっこい、そんな甘い世界ではなかった。アイディアは盗めの世界である。皆が和気藹々、楽しく働いているような世界ではなく、皆が自分のもつ空間論をいかに研ぎ澄ませて行くかという世界である。だがさすがに参った。。図工が一番嫌いだった僕が設計の世界で生きていけるかと、もの凄く落ち込んだものだ。アメリカに残っていれば良かったと少しは思った。同期で入った人間も、食えないのでさっさか辞めていく。だが何とかしがみつき、先輩らのアイディアを盗み盗み、何とか今がある。そんな盗んだアイディア (建築理論の事) の一つに、家主の利き腕はどちらかというものがある。

   実は、右利きの人がデスクでお仕事をするとする時の明かり取りの窓は向かって左側が良いという鉄則がある。同様に右利きの人のデスクライトも左側であるべきだ。なぜなら、右側から明かりが入る場所で物を書いたりすると、右利きの人のノートには影が映るからである。そんな右利きの方々が夜にでもなると、もちろんライトを付ける。そのライトの光源が向かって右側であった場合、大抵の右利きの背中はぐぐっと右にねじ曲がっているはずだ。本人は気づいていないかも知れないが、大抵はそうなっている。

   背中が曲がるのは利き腕だけの問題ではない。あまり知られていないが人間には利き目がある。人間は利き目で物体を判別し、そしてもう一つの目で利き目を補っている。なので文字を書く時に利き目の直下で字を書こうとするため、なおさら背中がよじれるのである。もちろんよじれた背中が健康に良いわけがない。

   利き腕や利き目が影響するのは明かり取り窓やライトだけではない。窓やドアだってそうだし、トイレの紙受けから手摺りの位置。さまざまな場所に関係してくる。

   気にならないと言うなら、別に無視しても良い程度の物ではある。だが、それこそが建築理論ではある。どう考えるかは家主の勝手ではあるのだが。。そんな理論がちがちの世界に僕は生きている。

   だから設計は面白い。。

   だが金にはならない。。

   なぜか出費だけがかさむ。。

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なんで建築の本ってあんなに高いんや。。
本のエンゲル係数がごっつい高い。。

2013年7月14日日曜日

新築を作るのが難しくなる時代

こんな町は住みたくないな。。
   最近、僕が住む宮崎ではやたらとソーラー発電のテレビコマーシャルをやっている。『たみやん♪たみやん♪ぱぱやん♪たみやん♪(そんな感じに聞こえる。。意味はしらない。。)』とよく夕暮れ時に流れてくる。テレビコマーシャルを出せるくらいだから、そんなに儲かっているんだろうかと思ったりしていた。今設計している建物には、助成金をひねり出すために太陽光発電を設けようと思っているのだが、やはり高い。その助成金は最大『165万円』の助成金がでるのだが、決まり事として必ず、人間が出すエネルギーをゼロ以下にしなくてはならない。そのためには断熱材の厚みを増やし、サッシを全てペアガラスにして、なおかつ太陽光発電の取り付けは必要となる。だがざっくりと計算してみたのだが、僕が設計しているお家だと、どうも250万ぐらいは最低かかりそうだ。。まあ満額出るとは思っていなかったが。。断熱材が高すぎるのである。

   聞くところによると、2020年以降は全ての新築にゼロエネルギー化が義務づけられるそうだ。地球温暖化の上昇を防ぐためである。本当は国は今年の4月から義務づけるつもりであったらしいのだが、小さな工務店さんらから苦情が出たようで、2020年からという事になったようだ。そりゃそうだろう。いきなり家の総工事金額が規模にもよるが、250万円ほど高くなるわけだ。宮崎のような平均年収が200万ちょいのような場所にある工務店さんらは仕事がぐぐっとなくなる。そりゃ、ちょっと待ってよと言いたくもなる。

   2009年、時の首相である鳩山由紀夫は2020年までに温室効果ガスの排出量を1990年ベースで25%削減すると国際公約してしまった。これに伴い、政府は原子力発電比率を50%以上とする基本政策を立案した。だが東日本大震災後の福島第一原発事故のあと、政府は2030年代までに原発をゼロにするという方針へ切り替えた。僕の足りない頭ではこれは明らかな矛盾する方針であるが、民主党政権では誰もこれを是正しようとはしなかった。まあ、論理的に考えると、政策が破綻指定してまうのが明らかだからだろう。だがさすがにいつまでも嘘はつけないようで、安倍首相は25%削減目標をゼロベースで見直すと約束した。そりゃそうなるはずだ。。そもそもゼロエネルギー自体に無理がある。。

   だがそのしわ寄せが、2020年のゼロエネルギーだと言えると思う。もちろん温室効果ガスを少なくするために、電力の消費を抑えたほうが良いとは思う。だがそれにより、結果太陽光発電ばかり取り付けるってものどうかと思う。僕の美的感覚から言えば太陽光発電は良いとは言えない。どうも僕だけぶ~ぶ~言っているのかと思っていたら、同じ設計業を営む方々や町の景観に対して意識の高い方々も同じく太陽光発電ににはぶ~ぶ~言っている人々が多い。日本人がこれまで培ってきた町並みの美しさを根本から変えてしまうものだからである。それにどうも電力買い取り制度というもの自体が破綻しかねないようだ。

   以前、ふとニュースを見ていたらドイツ人らがデモ行進をしていた。ドイツは言わずと知れた環境先進国と思われている国である(個人の電力消費量は日本よりも高いらしい。。)もちろん電力の買い取り制度が進んでいる。だがあまりにも手厚い電力買い取り制度のため、国民がワンサカと電力を作り出したため、電力会社がお手上げとなり、国は電力会社へ税金投入を強いられているそうで、世紀の悪政だとデモ参加者らが言っていた。日本も現在電力買い取りの金額引き下げを検討しているそうだ。そりゃそうだろう。電気会社は強制的に買わなくてはならないってのには無理があるからだ。

   2020年に向けてちゃくちゃくとゼロエネルギーが進んでいる。だがそのため貧乏人は新築をするのがますます難しくなる気がしている。

   クーラーのない熱帯夜の僕の部屋で、『たみやん♪たみやん♪』と流れるCMを聞きながらそんな事を思った。ああ。。熱い。。

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休みがない。。

2013年7月13日土曜日

羊のイマイさんが、グッドジョブ !!

   僕が住む宮崎の片田舎の町にやっとこさ高速道路が出来たのは昨年の暮れだ。当初は反対したのであるが、出来たら出来たでいっちゃん盛り上がっている僕である。だが、出来上がって早半年にも関わらず、我が家の裏の高速道路の土手は草ぼ~ぼ~である。まあしょうがないと言えばしょうがないだろう。高速道路をつくり監理しているNEXCO西日本さんもがんばっているだろうが、草なんぞ1週間もあればすぐ伸びるからだ。だがその周辺に住む人間としてはちょっと、それでは困る。秋になればもちろん草は枯れる。仮に高速を走っている人が煙草のポイ捨てなどをしてその枯れ草に火が移れば、我が家にも移り火する事だってありえるからだ。だが、もちろんだが高速道路の周りの土手には入れないように鉄柵があり、僕らのような近隣住民が入って草刈りなどはできはしない。僕らサイドでは NEXCO 西日本さんにぶ~ぶ~言うしかいか仕方ない。どうしたもんかと、勝手に花の種でもまこうかと花ゲリラでもしようかとちょっと考えている。そんな僕だが、昨日の朝方 NHK を見ていたら、とんでもないモンを発見してもうた。。羊のイマイさんである。

   今井宗久という茶人がいる。堺に信長に近づき大きな信頼を得て、本能寺の後には豊臣秀吉とも、まあうまくやった有名な茶人である。その今井宗久の生まれ故郷である奈良県の橿原市今井町にある線路脇が、あまりにも草ぼ~ぼ~だったらしく、これはどげんかせんとイカンと地元の方々が動き出した。名前は『めえめえ除草大作戦 ! 』というらしい。

   要は羊さんを草ぼ~ぼ~の線路脇に放すのである。放された4頭の羊さんらは、柵で囲んだ線路脇の草ぼ~ぼ~の斜面でハッスル。どの程度の広さかは分らないが、め~め~言いながら雑草を食べ尽くしたそうだ。その働きは思わぬところでも注目を集めており、電車の乗客が羊を見て完成上げたり、学校終わりの近所の子供らが雑草を抱えて集まったようだ。動物に無料でふれあえるのだから、結構な事である。この羊は山間部にある観光牧場から来なはったらしいのだが、その観光牧場さんらにとってもありがたい事であるらしい。羊のえさ代が浮くからである。

   もちろん、このプロジェクトを始めるにあたり色んな問題の発生が予想されたようだ。例えば、柵や羊さんらが夜寝る場所はどうするか、羊さんらの飲み水をいかに補給するのか。それらは人間が何とかすれば何とかなるだろうだろう。だが、そもそも羊さんらが電車にびびって草を食べないんじゃないか。。まあ、腹が減れば羊さんらも電車なんて何のそのだろう。また羊さんらが寂しがってめ~め~夜泣きし、近所から苦情が来るんじゃないだろうか。。だがそれは心配ないだろう。羊さんらも自分らを数えればきっとぐっすり寝れるはずだからだ。まあ色々考えたらしいが、試験的に導入した昨年はうまくいったため、今年の6月から本気でGOであるらしい。

   多くの人々はだれでも考えそうなアイディアだと思うだろう。だがそれを実行するのは簡単なようだがとても困難な事が多い。いわゆるコロンブスの卵だ。これを実行した方々は、誠にあっぱれである。

   僕も高速道路に羊を放ちたい。。怒られるな。.

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ああ。。ジンギスカンが食べたい。。

2013年7月10日水曜日

世界をぐるぐる


   仕事がとても忙しい。見積もり作業に取りかかりながら、まだ出来上がっていない机のデザインを錬っている。ごちゃごちゃ僕の部屋は今日のような猛暑日は地獄だが、やらねばならんって事でがんばっている。

って事で音楽でごまかします。すみません。。

   akiko さんで 『Around the World』 です。僕がアメリカにまだいた頃に、この日本人女性のジャズシンガーを知らないのか?と音楽家の先生が言ってきた。当時僕は、彼女の事を知らなかったのだが、それはそれはアメリカで有名な人である。それもがっつり同期の桜。僕と誕生日が20日しかかわらないじゃないか。。って事で応援してます。

   ほな、がんばります。


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忙しい。。熱い。。腹減った。。

2013年7月9日火曜日

文房具を駆使して書いてます

   大人になるほど鉛筆は使わなくなるもんだ。幼い頃は、鉛筆で字を書かないと綺麗な字は書けませんと叱られた僕らの世代は、もちろん宿題で出る漢字ドリルを一生懸命、HBの鉛筆を使いもの凄い筆圧で書いたものだ。だが結果は、めちゃくちゃ字が下手な大人になってしまった。その鉛筆で書かねば字が下手になるのには根拠があるんだろうか。。最近そんな事ふと思った。。文科省に騙されているだけではないかと。。というより何となく大人は言っていたのではないかと。。

   僕は設計のお仕事を始めるまでは、筆箱には鉛筆を入れるような人間ではなかった。鉛筆はどことなく子供の文房具という固定観念があり、持つことにためらいがあったからだ。またそれは、小学生の頃シャープペンシルを持っているだけで、先生に叱られているクラスメートを見たせいでもある。そして中学生になり、カチカチと押すとシンが出るシャーペンを初めて使った時のダンディー感。これが大人なんだという感覚が忘れることが出来なかったからかもしれない。だが設計の世界に入って改めて鉛筆の良さに気づた。そして今では腰にぶら下げたペンケースには必ず数本の鉛筆を持ち歩いている。

   今ではだいぶ設計の世界にもパソコンが入ってきたが、いまだにプランニングはパソコンではやらない設計士が多いと思う。その方が早いからだ。実は僕が設計の世界に入った10年前ぐらいまでは図面は手書きという方々が結構いた。そのため設計士はいろんな文具を買いそろえねば仕事にならなかった。例えば字消し版。これはポイントだけを消すためにできた穴が空いているステンの板である。そんなもの使うのは設計屋ぐらいしかいない。またよく使うのがホルダー芯の鉛筆。鉛筆だと少し書いたら鉛筆削りで削るのだが、ホルダー芯の場合はそれ程芯が丸くなっても気にならないから不思議だ。それにどことなく味がでる絵や字が書ける。僕が所属していた京都の設計事務所の社長さんは典型的な芸術家肌の方で、いかなるコンペでも手書きの図面を持っていくタイプである。その方が風合いが出るからだという。。単にパソコンが出来ないからとは大きな声で言ってはならない。だがその青焼きで出来上がった図面には確かに迫力があった。

   最近、宮崎県の木城町にあるとある喫茶店の図面を見せてもらう機会があった。僕はこの喫茶店が僕が住む地域では一等賞の建物だと思ったので、無理を言って見せてもらったのだが、これが立派な青焼きの図面。大工さんが書いたらしいのだが、すごく立派。いつかはこんな図面をかける人間になりたいと本当に思った。

   設計の世界は、まず最初にお客さんにラフなプランを提出し、納得してもらった上で実際の詳細な図面を書き出すのが一般的な流れである。そのためには良いプランを提出する必要もあるが、それをいかに表現するかも重要な要素である。最近は3DCADが当たり前の時代にはなったのだが、やはり最初は鉛筆書きで図面を書く。絵や字が上手な人は結構そのまま持っていくのだが、どうも絵も字も達筆すぎてよくわからん僕の手書きでは納得してもらうことが少ない。よってパソコンで図面を書いて出している。

   だが、お客さんに頼まれた机を鉛筆書きで設計してる。さすがに3DのCADで書くのは難しいからだ。というのも3Dだとその部品がなかったら、そこに表現さえするのがとても時間がかかるからである。なので鉛筆書きで挑戦しているのだが、やはりどうも苦手だ。色々考えているのだが、自分でもワケの分らない領域に達してきている。。よって紙は真っ黒で、ふとトイレに行って帰って来たらすでに書いたプランは読めなかった。。

   まあ、何とか良い物を作ります。。

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う~ん。。10人が一度に使えるローテーブル。。
う~ん。。

2013年7月8日月曜日

萬歳亭でつらつら考える

   ありがたいことに、お客さんが僕を指名してきた。他社にまずは打診したのだが、どうもうまくいかなかったようで、このブログを見て依頼してこられた。実にありがたいことである。今回は地元の方なのがありがたい。以前、埼玉の方からスモールハウスを作ってと来たことがあったが、さすがに遠いので、また埼玉に行くお金がなかったのでお断わりしたからである (本当は行きたかった。。次は行きます。。) 電話でお話したのだが、 『高鍋にあるばんざい亭のような建物が好きなんです』 と言われた。 『ああ~焼き鳥やさんか~』 と一瞬だが思ったのは内緒だ。そんな店が宮崎にはあるのである。ややこしい。。だがどう考えても違う。焼き鳥屋さんのような家に住みたい人間なんていない気がするからだ。一応その続きを聞いてみた。そしたら 『高鍋城の中にある数寄屋建築ですよ~』 と言われた。ああ、昭和の初めまで秋月氏が住んでいた。。あれね。。って事で、知ってはいるが現場を見なければどうも納得いく設計が出来ない僕は、仕事の帰りにその高鍋の焼き鳥屋ではない 『萬歳亭』 へ寄ってきた。そしたら休館日だった。。

   だがやはり本物はどこか品が違う。空気が澄んでいるのである。休館日なので家の開口部を雨戸がぐるりと締め切っている。よって中は見えないのであるが、さすが元藩主さんらが住んでいた家だけあって素晴らしい質感だ。もちろん当時としても良い部材を使っているのであろうが、どうも漂う空気にマイナスイオンが出ている。その家はたしか10畳の和室に広縁があり、湯殿とトイレに玄関とミニキッチンがある程度の家なのだが、その開放的な日本の家の良い空気感がとても品が良い。こんな良い家を僕ら日本人は大事にしてきたんだと考えるだけでも嬉しくなる。そんな建物である。ふと町並みを見渡せば、もちろんそこは現代の家々。僕的にはこっちの数寄屋の方が、古い(昭和60年代に補修されているが、作られたのは昭和の初めらしい。。)が、こちらに住みたいと思った。

   だが帰り道に現実にふり戻される。だがあれを作ったらやっぱり寒いしな。。蚊が入ってくるよな。。とは思うが、そこは設計のチカラで乗り切らねばならないと思った。また同時に、帰り道にある現代の家々を見てどうしてこう変わったのだろうかとも思った。だがそれが悪い家とは思わない。

   戦後日本は一生懸命、今まであった家を潰してきた。その証拠に戦前の貸し家率はとても高い。だがその率は現代の海外とは変わらない。ベビーブームもあっただろうし、建築産業の発達もだろう。試行錯誤し現代の家となったわけだ。そこには以前にはなかった断熱などの新しい技術も入ってきたし、海外からモダニズム建築という考えも入ってきた。いかにシンプルに既成の物を使い、安くて良い品質の家を作るかに気を配りながらやってきた到達点が今の家々である。もちろん戦前の家と比べれば今の家の方が住環境としては格段に良い。

   だが現代の家々は昔のように花鳥風月を楽しめるような家は少ない。そもそもそのような目的では家自体を作らないのがその理由だ。だが、 『美の壷』 という番組がある。今は無き谷啓さんが出ていた頃のお家は、それはそれは立派な日本家屋であった。その番組は結構長く続いている。という事は多くの方々がその番組を見てうっとりしているのだと思う。僕のそのうっとりしている一人だ。僕だけではない。多くの設計屋は、 『ああ~いいな~あんなお家を設計したい』 と以前、話していた。どうも近頃、日本回帰が進んでいるようでそんな質問を受けることが増えてきた。僕が設計の世界に飛び込んだ10年前とは明らかに違う家を最近は求められる。町の質感や景観を高めるためには良いことのような気がする。

   さてどのような形になるのか、考えねば。。既にぼんやりとだが浮かんでいる。。だが沈む気もする。。その繰り返しで家はカタチになっていくものだとは思っている。

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さあ、お仕事がんばろう。。

2013年7月7日日曜日

道路の熱を下げる塗料

   今日は暑かった。ニュースが言うには900人以上の方々が熱中症で運ばれたりしたようだ。僕のパソコンのガジェットを見たら、宮崎では30度もある。。そりゃ倒れるはずだ。

   ふと夕方に洗濯物を仕舞っていた。流れてくるテレビ画像に路面の温度を下げる塗料という文字がでていた。番組名は『Cool Japan 発掘 かっこいいニッポン』である。最初から見ていたのではなく、洗濯物入れながら見たのでよく分らないが涼しくなる道路だそうだ。確かに路面温度は夏場にもなると50度をざらに超える。これが少しでも涼しくなれば、ヒートアイランド現象だって少しはマシになるだろう。そして僕の部屋の熱帯夜の夜も少しは減るだろう。

   どうやらそれは道路に塗料を塗るらしい。はっきりは覚えていないがその塗料を塗ると塗らないとでは15度ほど温度が違うようだ。実物を見たことはもちろん無い(東京にしかまだ無いんじゃないかな。。)ので、はっきりとは言えないが、だいぶ違うらしく、外国人の女の方が『 Woo.. Totally different 』 と驚いていた。

   建物にも、以前から書いているが『ガイナ』という塗料がある。屋根の上に直接塗ったり、その下地に直接塗ったりする塗料だ。それにより室内の温度は確実に下がる。その塗料を熱々の缶コーヒーに塗れば、手で握っても熱くない。ダテにNASAさんがスペースシャトルに塗ってはいないのである。

   道路に塗料を塗って本当に大丈夫なんだろうかとちょっと思った。道路の上はもちろん車が走るので、摩擦がずっと起きている場所。なので少しづつ剥がれたりしないんだろうかと思った。またその上を車や自転車で走って滑らないんだろうかとも思った。自転車で走る人は分るだろうが、道路脇の白いライン上を走ると路面の抵抗がほとんどなくなり走りやすい。つまり良く滑るという事だ。そのへんが気になった。

   まあ、実際渋谷で使われているそうなので問題は無いとは思うが。。

   これでヒートアイランドと我が家の熱帯夜が少しでも軽減されればそれで良い。もちろん宮崎の田舎町では僕が死ぬまで、そんな素敵な道路が出来るとは思ってもいないが。。

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2013年7月4日木曜日

『龍馬』 と 『竜馬』 の違い

   久しぶりに本を読んだ。司馬遼太郎の 『尻くらえ孫一』 である。僕は司馬遼太郎大先生が大好きで、何度も読み返しているのだが、やはり面白い。文章が軽やかで、何と言えば良いかわからないが、サラリと読める。幼い頃、僕は本を読む子は男の子ではないとず~と信じていた。だが今ではすっかり本の虫。結構な量を読んでいる。最近は仕事で忙しく読めてはいないのだが、以前は月に1万円は書籍代に充てていた時期もあった。全ての始まりは僕が貧乏なくせにアメリカに留学した事に始まる。

   『絶対景観男さん~』 とアナウンスで呼ばれのは留学のため旅発つ宮崎空港のロビーで事だった。なんじゃいな姉ちゃんと受付のすましたレディーの元に行くと、 『関西空港からサンフランシスコの便が12時間遅れます』 と軽~く告げられた。。その日の予定では、朝方に宮崎空港出て昼には関西国際空港へ着き、それからすぐにサウスアメリカン航空の飛行機にちゃちゃっと乗り、サンフランシスコ空港へ。サンフランシスコに着いたらサクラメント行きの飛行機に乗ってアメリカ人の迎えが来る予定だったのだが、いきなり予定が全部狂ってしまったわけだ。んな事を言われてもとは思ったが、出発前に言われたのだから、 『それじゃ~辞めっか。。』 孫悟空なみに軽くは諦めるという訳にはいかない。という事で不安だらけの出発となってしまった。気が付けば関西国際空港。。でやっぱり12時間の待ちぼうけ。。周りは宮崎での人生で5人ぐらいしか見た事がなかった外人さんだらけ。。早くも 『宮崎に帰りたい~』 とべそかきそうになっていた。。

   待ちぼうけをするにもやることがない。銭もなければ暇を潰す物もなんも持っていないのでやることがない。ぱっと遠くを見れば本屋さんがあったので向かった。本棚には司馬遼太郎さん追悼フェアと書いてある。誰かいな。。大木凡人のオヤジさんか ? と写真を見て思ったりしたが、どうにもその本のタイトルに覚えがある。 『竜馬がゆく』 『国盗り物語』 『翔ぶが如く』 どれも聞いた事がある。ガラにもなく買ってみようかと一瞬だが思ったりしたが辞めた。銭がほとんどないのと、ちっちゃなリュック程度で留学したため、後で仕舞うのが面倒だと思ったからである。

   アメリカでの生活が始まり、まずは語学学校へ通ったのだが3ヶ月後には暇になった。夏休みである。周りの人間は思い出作りに旅行などに行くのだが、こっちはすでに銭がない本物のホームレス。もちろん旅行どころではない。遊ぶことよりも食うことに必死である。よって学生ビザの分際でバイトに明け暮れるのだが、そんなおりに勝手に居候を決め込んだ韓国女の部屋に母親が 『竜馬がゆく』 を送って来た。最初は本なんて読まないよと思っていたのだが、脳裏に関空での待ちぼうけを思い出し、また日本語に飢えていた僕は、母親に義理もあったのだろう、とりあえず読んでみた。

   これがめちゃくちゃ面白いのである。すらすら読めるし、幕末の歴史に詳しいわけでもなく、単に歴史の成績が良かったので歴史は好きという程度の僕でも、司馬さんの文章が髄脳にビンビン入ってくる。一気に読みほしてしまい、人生で初めて本を読んでじ~んと来た。それからというもの、どっかに司馬遼太郎の本が置いてないか調べまわった。あっさり大学の図書館に司馬遼太郎全集があることを知り、バイトと図書館とに通う日々が続いた。今考えれば、司馬遼太郎さんの本と出会っていなければ、今の自分はいないと思う。また僕の知識の半分ぐらいは司馬遼太郎さんの本から得ているといったら嘘であるが、少なくともその影響は大きいといえる。

   聞くところによると、日本で一番出回っているのが司馬遼太郎さんの本だという。これほど日本人に愛された作家もいないであろう。僕は 『竜馬がゆく』 で司馬作品に触れて人生が変わったのだが、同じ 『竜馬がゆく』 を読んで人生変わった人がいる。武田鉄矢さんだ。愛すべき竜馬かぶれである。なんせ龍馬を勉強したいため、高知大学の文理学部を2度も受けて2度も落ちているから気合いが違う ! 数年前に放送された大河ドラマ 『龍馬伝』 では龍馬の師匠の勝海舟役をやっていた。依頼された際に 『龍馬を育てて下さい』 と口説かれて、その言葉に感激し引き受けたそうである。きっと龍馬かぶれ冥利に尽きた気がする。

   多くの人々は勘違いをしている。 『龍馬がゆく』 ではなく 『竜馬がゆく』 である。なぜ 『竜馬』 なのか ? これには司馬さんが理由を述べている。司馬遼太郎が書いた坂本龍馬はフィクションであるからだそうだ。できる限りの資料を集めてそしてそれを司馬遼太郎さんが肉付けしたのが 『竜馬がゆく』 であるそうで、司馬さんもそれをわきまえて書いたそうだ。司馬さんの文章にコロっと騙されて僕は今では歴史に詳しい設計屋だし、武田さんは龍馬にかぶれて40年である。まったく罪作りな文章書きである。

   僕の友人の女性は子供が二人いるのだが、子供らが全く本を読まないのでどうやったら読むようになるの ? と聞いてきた。あんたも本は読まないだろうが。。とは思ったが、一応 『竜馬がゆく』 進めておいた。今日の昼過ぎにその女性からメールが来た。 『この本おもしろい ! 』 と書いてあった。あまりにも面白いので寄る読み聞かせているらしい。。えっ、子供小さいの?と聞いたら6歳だという。。

   ガキにはプリキュアの方が良いんじゃねぇ?と一応は進めておいた。

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