2012年5月31日木曜日

駅舎が銭臭い。

  昨夜寝れずにふとテレビをつけるとSL機関車の映像が流れていた。日本のSLには僕は乗った事がないはずだ。うっすら記憶にあるので乗った事があるのかも知れないが、あまりにも幼い頃なので記憶違いなのかもしれない。テレビの中でモクモクと煙を出し走る機関車はなかなか絵になり美しいもんだ。僕の父親の世代はSLを見て育ったせいか結構SLが好きな人が多い。僕の実家にも大きなSLの写真があった。宮崎の国鉄が最後にSLを走らせた時の写真なんだそうだ。その当時、主に昭和40年代の映像であったが、地方の映像には美しい自然と街並みが残っていたのだが印象的だった。

  その映像の中に出てくる民家などはほとんどが勾配屋根。瓦を積み整然と家々がそこにはあった。電柱もまだ木製の時代だし、それに余計な看板がない。全国にチェーン展開している電気量販店もなければ、高層ビルだって見えてこない。駅舎はもちろん木製で、野口五郎の『私鉄沿線』などがはやっていたのがよく分かる。ふと映像と同じ場所は今どうなっているんだろうかとGoogle Mapで調べてみた。そしたら案の定、街並みは一律に近代化し、余計な看板が並び立ち、立派な普通のさえない田舎となっていたのが悲しい。

  駅舎の映像が出てきたのだが、歴史を感じてなかなか良かった。当時の駅舎はもちろんだが木造だ。現代と違い、銭の臭いがあんまりしない。確かに現代の駅は便利だ。例えば僕が住む練馬の駅には『SEIYU』さんが入っていて、電車で帰宅ついでに物は買える。しかしあまりにもごちゃごちゃしているので、昔あったような物語はできそうにない。最近の若手の設計屋はデザインに物語りを入れたがる。駅という物は町の中心地となるものだから、色々なイベントなどをし易いようにプランニングしているのだ。そんなコンペ作品をよく見かける。やはりどこか商業ビルだけ入れる現代の駅に、違和感を感じているのかも知れないとふと思った。

  地元の駅ぐらい一度は設計してみたい。以前北海道のとある駅の設計を手伝った事があるが、あまりにも前衛的すぎて、僕の中では黒歴史となっているからだ。もちろん自分で設計するときには自分の考えを詰め込みたい。そんな事を考えていたら、寝過ごした。

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2012年5月30日水曜日

夢見るアパートメントの暮らし。

これが世界の品質です
  宮崎から練馬に出てきて4ヶ月ぐらいたつ。現在はシェアハウスに住んでいるのだが、老朽化のための8月には出て行かねばならない。しかし、そろそろシェアハウスにも飽きてきたので、アパートを借りようと思うのだが、これが中々決まらない。なぜかと言うと僕がわがままだからだ。できれば自分で設計したアパートに入りたいのだが、そんな金はないし、関東で作ったアパートは横浜に集中しているためどうしても無理だ。そんな事を最近考えていたためか、妙な夢を見た。ロフト付きの部屋で、作り付けの棚がたくさん有り、風呂はどことなく開放的。調べてみたら近い家はたくさんあるが、どことなく普通だ。う~んやはり作らないと無いのだろうか。

典型的アメリカさん
  日本のアパートはもちろんのだが、靴を脱いで使う。しかし、僕は別に靴脱がないという選択肢だってあって良いのではないかと最近考えている。アメリカに住んでいた頃は日本人だからと思って靴を脱いで生活していたが、アメリカ人と一緒に住むようになってそれは辞めた。アメリカのフローリングは本物のフローリングを床に釘付けしている。なので靴で歩くときは、ギシギシいって心地よい。日本と違い向こうのアパートはクォリティーが高く、そして住みたくなる工夫があちらこちらに垣間見れる。例えば、アイロンをかける台が取り付けてあったり、花を生けるポット受けがベランダに最初から取り付けてあったりする。また自転車を壁に止める金具はあるし、浴槽だって日本みたいな安いユニットバスではない。日本と違い設計屋さんもわくわくしながらアパートを作っているのだろうと本当に思う。

典型的日本。。ひどい。。
  では日本の場合どうやってアパートを作るかと言えば、全て採算性が重視。いかに安く作るかといつも考えているので、いつも同じ安いトイレに安いユニットバス。キッチンなんて包丁を使う場所すら確保する必要はない。もちろん安い壁紙を使い色は白以外は許されないし、考える暇すら与えてくれはしない。元々長くそのアパートを運営する気持ちはさらさらなく30年ぐらいたてば取り壊すので、別にかまわないのだ。なのでアパートなどは結局はいつも同じタイプのばかりできるし、それしか作らない。同じ設計事務所、建設会社だと同じものばかり作っている。違うのは外観だけか、法律の規制による高さだけだ。結局は銭儲けのためだけに作るので、20年もたてば人が住まなくなりなおさら価値が下がる。まあそしたら業者がまたリフォームかけませんか?と訪ねてくるわけで、また新しい同じ部屋が出来上がるんだが。。

  う~ん何とかならんだろうか。。やっぱり自分で設計せな住む来さえ起きない。やっぱりわくわくしたいのだ。

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2012年5月29日火曜日

腹黒い道路の作り方

  日本の凄いところと言えば、どんな小さな集落にもちゃんとした舗装道路があると言う事であろう。僕は仕事で動物用医薬品会社の貿易部にいた事がある。貿易といってもたいした貿易ではなく、ほとんど営業周りのどさ周り。つまりは地方の豚農家に動物用医薬品を届けるのが大半のお仕事だった。豚農家というものは近所に迷惑がられる。糞尿の処理の問題だ。今は機械化が進み、糞尿は綺麗に処分され水となって排出されている農家が多い。臭いについても、おがくずなどを豚舎の床に敷いているから臭いは大分抑える事に成功しているが、やはり少しは臭う。なので新たな豚舎を作る場合はたいてい山奥に豚舎を設ける事となる。よって営業先は山林の中となるのだが、こんな大して車の量の少ない道まで舗装がばっちりなのはやはり凄い。しかしそこまでする必要が本当にあるのだろうか。また日本の道路は決して合理的ではない気がする。

  人が通らない道まで舗装する理由と言えば、もちろん道路で儲かる人々が多いからだ。かつて青森と秋田を結ぶ産業活性化道路を白神山地のど真ん中に作ろうという計画があった。そのため樹林300年のブナの原生林をそっくり伐採するという乱暴な計画であったらしい。しかし白神山地は11月頃から5月ごろまでは雪で使えない。雪が溶けた後は道路は破損するので1から3ヶ月は修理しなければ使えない。って事で、実際に使えるのは1年で3から4ヶ月。その程度しか使えなくて経済の活性化が図れるとはだ~れも思ってはいないし、本気で経済の事を考えるならこんな計画は立てないのだが、とりあえず計画は立てられた。元々詭弁から作られたこの計画は着工寸前までいったらしいが、何とか反対の狼煙を上げた方々の努力で中止に追い込まれた。そして現在では白神山地は『世界遺産』になっている。こんな道路が日本は山奥まで入り込んでいるのだ。道路が破損するとすぐ修理。工事をしたがる人々があまりにも多いんだからどうしようもない。

  また日本の道路はやたらと金がかかっている。道路の脇にあるスピード表示などがやたらと細かいのだ。例えば僕がいたアメリカの場合。街中は大概40キロぐらいと決まっていた。まあオーバーして走る人もいるのだろうが、あんまり気にしない。しかし住宅街を走る道は40ぐらい出されたら危ないので、道路に段が作ってあった。つまりスピードがあまり出ていると車が吹っ飛ぶ形になるのでスピードが出せないのだ。また小学校の近くになるとスクールと言う標識があり、その学校の周りだけは20キロ走行をせないかん。また高速道路や他の一般道路でもまれにカーブの手前などにスピード表示が書いてある。この表示がなかなかアメリカなのだ。日本の場合だと『この先急カーブ注意せよ!』みたいな看板があり『〇○キロ』とスピードの表示、『大きな矢印』に『赤ランプ』に『大きなガードレール』があり、そして『てげてげ(宮崎弁で適当)運転追放運動中!(東国原英夫)』みたいな看板がいっぱいある。しかしそこはアメリカさん。矢印とスピードの表示だけ(まれにガードレールも)。またそのスピードを10キロ超えると曲がれるが、20キロを超えると曲がり切れない。事故ったらあんたが悪い。そんな風に合理的にできているのだ。さすがグランドキャニオンに手すりを設けない国である。しかし、こっちの方が余計な看板はなくなるし、健康的だと思う。また財政的にも良い。やはり日本の標識などの多さは以上である。

  それにしても道一つとっても日本は細かくできている。しかしやっぱりどことなく癒着をしている脂ぎった人々の影がうろちょろ垣間見える。道路はもっと効率的に合理的につくるべきだと思うんだが。僕はねずみ取りに一度ひっかかった事がある。下り坂を45キロで走っていたら『止まってくださ~い』と言われ15キロオーバーで捕まったのだ。なぜそこが30キロなのかは未だによ~わからん!そんな人をだまくらかす道路が日本中にたくさんある。しかしこういった物はそろそろ整理していかねばならないと思うのが自然な考えと思う。税金をあげようとする前にこの辺りの議論をお国にはぜひやっていただきたい。


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2012年5月28日月曜日

狐の嫁入りがあった時代

黒澤明の『夢』
  所用ができ池袋まで行った帰り、どしゃ降りに襲われた。今日は夕方近くになると雨が降る、不安定な天気となるとテレビで言っていたのだが、『僕は晴れ男だ』という妄想が先立ち自転車で池袋まで出かけてしまったのだ。すこしだけ濡れはしたが、そこはどっこい、ちゃんと雨宿り。何とかすぐに天気は持ち直した。言わば通り雨に遭遇したのだ。通り雨は他の呼び名で狐の嫁入りとも言う。昔の人の想像力には敬服する思いだ。

  昔見た黒澤明の『夢』と言う映画に狐の嫁入りの描写がある。狐の動きとメイク、そして音楽に、いい大人の僕でさえ引き込まれるような感動を覚えた。この映画は短編小説のようにいくつもの物語が一つの映画に入っているのだが、さすがは黒沢さん。すんごい夢を見ているもんだ。やはり世界の黒沢は違うのだ。見られていない方々にはお勧めしておく。現代よりも美しい何かがある気がするからだ。

  狐の嫁入りは地域ごとに違いがあると言われているそうだ。熊本の場合は虹が出た時、愛知では霧が出た時に、狐の嫁入りと呼ぶらしい。また福島では旧暦の10月10日にすり鉢を頭にかぶり、腰にすりこぎを差してマメガキの下に立つと、狐の嫁入りが見えると言う事だ。中々面白いじゃないか。

葛飾北斎『狐の嫁入り図』
  狐にまつわる日本の物語は各地に残っているのだが、比較的近い時代のものも残っている。昔勤めていた建設会社の上司の爺さんが狐に騙されたという話を、よくされていた。話はこうだ。今から大正時代の話らしいのだが、いつものように仕事の帰りに酒を飲み帰っていると綺麗な女性が話しかけてきた。そして袋に入ったお金をどっさり差し出し、貰って下さいと言うてきかない。断るのだがあまりにも言うので貰って帰ったそうだ。そしたら翌朝にはそのお金が葉っぱに変わっていた。村の人々は信じてくれなかったらしいが、婆さんはその葉っぱを見たらしくずっとその話を孫である僕の上司にされていたそうだ。こんな話は日本中に残っている。なしてだろう。。

  通り雨の後には虹が良く出る。小さい頃など虹が出ている方向には何があるのかなど考えた。よく宝が眠っているなどと言っていたものだ。昔の人はもっと生活に虹が入り込んでいたのは、あまり知られていない。その昔、虹が出るとその場所は聖域となり必ず市を開いていたそうだ。現在のような店舗型の店が出てきたのは室町後期のお話。それまでは毎月違う場所で市は開かれていた。そんな時代に虹が出た場所は特別な感じの市にでもなったのだろうか。僕はそこまでは知らない。しかし、現在でも色々な場所にその市の名残は残っている。四日市などは代表だろうか。きっと虹にも関係してくるのかと、どうでも良い妄想をしてしまう。

  昔はゲリラ豪雨などはあったのだだろうか。そして仮に起きたとしても都市機能は麻痺なんぞしなかったであろうから、狐の嫁入りという優美な考えも生まれて来たなかなぁ。。そんな事を池袋で雨宿りしながらブログにでも書こうかと考えてた。要は書く事が無かったのだ。


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2012年5月27日日曜日

サマータイム制度の導入について考えた。

  ふと外を見るとまだ明るい。だいぶ日が長くなったもんだ。つい最近まで練馬の片隅で、寒さのため縮まっていたのが信じられないくらいだ。大きな声では言えないがパンツ一丁で生活している。ほとんど家では裸族、もとい!叶〇妹のお姉さんみたいな生活をしている。でないと暑くてたまらん。こんなに日が長いと遊びに行きたくなるが、勉強せなアカン。損害保険鑑定人3級の試験を受けるために勉強せなイカンのだ。ふとこんな夕暮れはアメリカのサマータイムを思い出す。あれは良かった。まあ日本に制度を導入するのは僕は反対派だが。

  知らない人のために説明しよう!サマータイムとは時間を一時間早く設定する事。アメリカの場合、3月の半ばから始まり11月まで続く夏時間の事だ。朝に今まで8時に出勤していたのがサマータイムになると、7時に出勤すると言う事。でも時計は8時のまま。始まりの日はアメリカ中の時計屋さんが一番忙しい日となるのだ。だからと言って残業がほぼないアメリカでは早く家に帰れるから素晴らしい。ただでさえ3時に終わっていた僕の会社(6時間労働です♡)ではさっさとみんな帰ってテニスやデートなど、おのおの楽しんでやっていた。サマータイムになると朝は早く出勤せなイカンのだが、夜は9時近くまで明るいので3時に終われば凄いハッピーだったのを覚えている。

  実は日本だってサマータイムを採用した時期があった。アメリカに占領された時期の事だ。当時の記録を見ると多くの日本人が残業で苦しみひ~ひ~言ったらしい。何となく分かる気がする。日本人は未だに残業量は凄まじい。未だに過労働のために自殺してしまう国民だ。ワーカホリックと言ってアメリカで過労働する人は病人扱いされていたのだが、過労働せなぶ~ぶ~言われるこの国ではそれを美徳としているから痛々しく感じてしまうのは僕だけなんだろうか。。最近は下火になったがサマータイム制度を導入する動きが何年か前にあった。残業がゼロなら問題はなさそうだが、日本の残業はそんなにやすやす無くなるとは思えない。

  僕はいずれは会社を作るつもりだ。ホームインスペクションや損害保険や耐震診断をしながら設計をして暮らしていければ僕としてはハッピーなのだ。できれば6時間労働を試したい。アメリカができて日本ができないはずがない。そんな事を考えながら夕暮れを過ごしている。まあ、パンツ一丁だが♡

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2012年5月26日土曜日

お茶と韓国とトムクルーズはん!

  仕事をしている時、またこのブログを書いている時は僕は必ずお茶を横に置いて書いている。そうしないと落ち着かないし、文章が浮かんでこないからだ。以前からそうなんだが、飲み物がないと仕事をする気が起きない。上司にぶ~ぶ~言われようとそこは俄然無視する性分なのである。それくらいでぶ~ぶ~言う日本の職場は僕にとってうざったい。仕事は真面目にやれとよく言われたりするが、真面目に仕事して成功したためしはない。すこし手を抜くわけではないが、ビシっとしない方が万事うまくいく。何でだろう。。

  以前住んでいたアメリカの町Sacramentoは韓国系の人々が多く移住していた。なので韓国語の看板が多い。日本人と違い韓国系の方々は英語の看板をあまり出さず、ハングルの看板だけ出している。なぜかはよく分からないが、韓国人とはそういう人々なのだ。僕は仕事がら韓国の方とつきあいは少なからずあった。なのでよく韓国料理屋さんに行った。韓国系の方々の料理は基本は肉料理だ。焼き肉をよく食べたのだが、これがとてもおいしかった。僕にとって焼き肉は日本より韓国系の方がうまいように思える。焼き肉を白菜で巻いてそこに豆板醤のような辛子をのせて食べる。これが中々良い。基本僕は韓国系の人々はあまり好印象は持っていないが、食い物は別だった。その料理屋さんにで食べていると非常においしいお茶が出てきて、僕は一体何んてお茶なんですか?って良く店員さんに聞いてたんだが、韓国伝統のお茶ですとしかいつも返答してくれず、結局分からなかった。昨日スーパーに行った。妙なお茶が置いてあったのでふと買って飲んでみたらまさにアメリカで飲んだあのお茶そのものだった。これは嬉しい。お茶はトウモロコシのひげ茶。読んで名の如くとうもろこしのひげから作ったお茶なんだそうだ。ほんのり香るコーンの臭いが中々の良い。またお肉料理の油っぽさも消えてこれまた良い。久しぶりに、してやられた感があるが、韓国が嫌いでもやはり良い物は良い。

  以前京都市の観光企画課って所で働いていた。観光企画課とは京都の観光を取り仕切る部署なので結構いろんなイベントがある。その観光企画課で働いている時に、トムクルーズさんが来なはった。何故かと言えば、トムクルーズ主演のラストサムライのイベントが開かれたのだ。日頃、やる気があまりない女性の臨時職員さんらは大はしゃぎ。観光企画課でもないのに職員のふりして来たがっていた。そして当日は、朝から誰がトムクルーズはんにお茶を出すかもめていたが、結局ある独身女性が担当する事になった。見合いじゃないんだからと思ったが。。いざ本番、朝から気合いが入りまくった女性職員がお茶をカタカタ鳴らしながらトムクルーズさんにお茶を持って行ったのだが、『 I can not drink green tea』(緑茶は飲めないんだよね。。)と一言われ、すごすごとお茶を持って帰って来たのだ。ちょっとぐらい飲んでやってよトムクルーズはん!彼女の落ち込みようと言ったらすさまじく、あまりにも可愛そうだったので後で思いっきり笑ってあげた。やっぱり僕はいいヤツだ。

  そんなくだらない事を考えながら毎日このブログを書いている。しかし、そんな人間にできているのだからしょうがない。

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今日の練馬はジャズ日和




  アメリカに住んでいた頃、一生懸命ギターの練習をしたもんだ。ある程度の音楽をこなせるようになった頃、音楽学生がジャズを弾いていたのを見て衝撃を受け、ジャズに手を出したくなって初めて購入したCDがWes Montgomeryのこのアルバムだった。僕は小さなステレオを買いこの曲を良く流していた。一生懸命練習したが結局は僕のアコースティックギターでは無理だった。ふとそんな事を考えながらコンビニに煙草を買いに行ってきた。熱くもなく寒くないそんな日はジャズがちょうど良い。


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2012年5月25日金曜日

景観とデザインと見たくれで勝負する。

風の輪 羽目板の傑作です
  僕が所属するホームインスペクションの会社には大体50名近くのパートナーさんがいる。パートナーとは言わば下請けの事。実際にホームインスペクションを事務所の正社員さんがやる事はまれだ。なぜなら絶対的な正社員の人間は少ないし、ホームインスペクションを世の中に広める活動の方が忙しいので、現場には出られる事は少ない。しかし勉強会が毎月最初の月曜日にカンファレンスと言う形であり、僕らパートナーはそこでお勉強をする。その折、事務所に所属するパートナーと一緒にご飯を食べた時に設計について話になった。インスペクションのお仕事も大事なんだが、まだ業界のパイがまだ少ないのでどうしても他の仕事もせなならんのだ。そこで設計の時に外壁について悩むと言ってらっしゃった。そうですよねっと相づちは打っては見たものの、よく考えたら僕は外壁についてあんまり悩んだ事がない。。そんなに迷う事なんかね。。

サイディング
  外壁には色々な種類がある。サイディング・ALC・タイル・セメントモルタル塗り・土塗り・羽目板などが一般的だろうか。一番普及しているのがサイディングと言う物。工場で作られた既製品なので、品質は均一で比較的安価の物が多いと言われている。またデザインも豊富なので、よく使われる。しかし設計屋にはあんまり評判はよろしくない。多分一番の理由は安易すぎるチョイスって所にあるのじゃないだろうか。知り合いの京都の設計屋さんは、『サイディングなんてク〇だよ!』とよく言っている。しかし彼の設計した家だってサイディングだったのはご愛敬だ。僕は思うんだが、サイディングがなぜク〇なのか施主に説明しなかった君の手落ちだ!まあしたくてもできない環境だった事はよ~く理解できるが。。

ALC
  ALCとは軽量気泡コンクリートの事を言う。有名なところで言えば、ヘーベルハウスが採用している物といえようか。よく小さい鉄骨建てのマンションなどに使われていたりする。要はコンクリートなどは耐火性能などに優れた材料なんだが、重くて断熱性能は見込めない。その欠点を解決したのがALCだ。ただ初期費用は高いし、メンテナンスにもしっかりした工務店さんでなければ銭がかかる。またぼくら設計屋からみて、ちと冷たい印象があるので僕はあまり使いたくない素材だ。

  タイルもよく使われている素材と言えるだろう。未だに何故かは分からないが、年配の設計屋さんにタイル好きが多い。本格的な設計屋(自称建築家!)ともなると、タイルの土からこだわって作らねばならんとか言っていた(元いた所の社長の言葉。。給料をちゃんと社員に払って物を言え!)しかし地震などが起きた場合にはく離などの欠陥が起きやすい。しかし長期にわたって美しさが保てるので好きな人は好きな部材と言える。

下着とモルタルは白が好き♡
  モルタル塗りもポピュラーな方法だ。湿式の外壁仕上げの一種で、元々は隣家の延焼を押さえるために日本で普及したと言われている。読んで字のごとくモルタルを塗っていくのだが、精度は現場の職人の腕に寄るところが大きい。また地震などが起きた場合はクラックなどができやすく、僕自身はお勧めしない。一緒に飲んだ人に地震の損害保険でお金が下りやすいのはどの外壁?と聞かれ、たぶんクラックが見えやすいモルタル系じゃないですかねって答えたら、実際に今作っている家がモルタルとなってるようだ。デザインとはそんな視点で決める物ではない気がするのだが。。

土壁~
  さあここからマニアックである。土塗りだ。今ではすっかり見なくなってしまったが、京都の町にはまだ少しだが残っていた。地震や防火の事を考えるとサイディング等に劣ってしまうし、都心部で建築確認申請を通す事が難しいので採用されにくくなっているのだが、やっぱり素敵だ。その質感といい、また涼しさといったらたまらない。自分の一生で一度あるかないか分からないが、携わってみたいし塗ってみたい。そんな事を考えている。

  最後は羽目板だ。僕は多くのお家で外壁に使用してきた。羽目板は自然の素材だし、それに日本のどの場所に建てても景観に配慮しているように見える。そこは日本の伝統が木材なんだからそう感じてしまうのかもしれない。下手に悩むよりこちらの方が味はあるし、文句を付けようもない美しさがある気がする。勿論メンテナンスフリーではない。しっかり作れば大体30年ぐらいは持つと言われている。でも30年たてばどんな家だってリフォームなどするし、まずかったらちゃんと手直しぐらいはするので僕は積極採用をしている。ある程度大きい厚みがなければ反りの問題もあるのでやっかいではあるが、朽ち果てても美しい物がデザインだとすれば、羽目板は一番なんではないだろうか。一般的には素敵だとは思わないだろうか?いつも最初は渋られるのだが、僕がとうとうと説明すると納得してもらえるのが嬉しい。

やっぱり羽目板が好き♡
  設計屋は色々悩む。これが一番良い外壁だと思っていても『ヨ~ロピアン風にね♡』と奥様に言われるとどうも弱い。しかし僕はいつも多分飽きますよって言って目地板を提案している。なぜならヨーロッパって言われてもよ~くは知らんし、ここは日本だからです。イカン文章長なった。。


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参考になりましたでしょうか?

2012年5月24日木曜日

Skypeはやっぱり使える。

パー子さん(映像処理後)
  便利な時代となったものだ。Skypeがだ。言わずと知れたSkypeは無料のネット電話。以前からやってみようと思っていたのだが、どうも使う相手がいないので遠ざけていた。しかし、さすがに工務店のホームページを更新するのに、使わないといけなくなってきた。なぜならホームページ作成などやっている時にはどうしても電話ばかりする。なので電話代が3万を超えた月だってあるのだ。こりゃイカンって事で入れてみた。そしたら音声クッキリで使えるじゃないか!だれが考えたかは知らないが、無料とはありがたい。作った人にあった時は、ぼんたん飴(宮崎銘菓です)ぐらいあげなイカンのだ。

  以前にも実はSkypeに挑戦した事がある。京都で働いていたときに同僚の男が、誘ってきた。当時チャットを覚えたての僕は、チャットがあるのに別に良いじゃないかと思いSkypeは遠ざけていた。しかし知り合いの外国人から、エジプト大学の日本語学科を専攻しているエジプトの学生に、ネットを通じて日本語を教えてくれないか?と頼まれた。最初はメールやチャットなどを駆使し日本の文化などを教えていたのだが、ある女学生が声が聞きたいからSkypeに入ってくれませんか?と言ってきた。同僚の男はど~でも良いが、女学生にあまい僕は、即快諾し電気屋さんに直行。ヘッドフォン式のマイクを手に入れた。いざ試して見たのだが、相手の声は聞こえるのだが、僕の声は届かない。これは変だって事で色々試してみた。唯一マイクが僕の声を拾ってくれるのは、林家パー子さんみたいに超高い声を出した時。その時だけなんとかエジプトに届く。おかげで週一ぐらいは林家パー子さんみたいに『こんにちは~!』と声をからしていた。多分ご近所さんは相当変なオカマが住んでるんだろうと思われていただろう。

  なので今回もちょっと緊張していたのだが、新しいマイクを買ってきたとたん、ちゃんと聞こえる。要はマイクのせいだったわけだ。。おかげでパソコンを通じてやりとりをしている。これで電話代はかからない。

  インターネットは実に素晴らしい。

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2012年5月23日水曜日

あじさいの風景

  僕は仕事の合間、煙草を吸いに外にでる。室内は禁煙となっているからだ。ふと外を見ていると庭にある植栽の緑が落ち着いてきた。それそろ梅雨時に入るような色を出している。僕が通っていた小学校から自宅へは4キロあった。これは小学生には結構きつい距離。特に梅雨時ともなると帰りはともかく、登校は嫌なものだった。傘はさせども靴はがっつり濡れ、それから授業がある。楽しいはずがない。しかし帰りはちょっと行きとは違った。傘はささずひたすら帰っていた。傘をさすと負けた気がしたからだ。僕の家の近くにあじさいが咲く。この季節にあじさいを見るのは一つの楽しみとなっている。

  あじさいは日本によくあう。昔から好まれていたらしく、京都などの多くの寺で植えられていたりする。この時期に京都の大原の三千院などに行けば素敵なあじさいが拝めたりする。三千院のあじさいは植え方が良かった。三千院の裏山を登っていくと杉山となっているのだが、その杉と杉の間にあじさいが所狭しと植えられている。同じ杉山でも我が家の杉山の杉の間は単なる雑草だが、やはり京都のお寺さんは品があるのだ。

  また景観的にもちょうど良い花だとも言えると僕は思う。良く土手を手入れせず、ほったらかしにして看板などを置いている土手があるが、僕には勿体ないと思う。あじさいを植えるだけ手入れは十分であると思う。まあ看板などがあれば台無しなんだろうが。また田んぼの横にあじさい群があれば美しい田んぼにも見えるというものだ。これから設計をするときにアイディアがなかったらあじさいでも植えようか。。

  見て良し香って良しのあじさいだが、食べると食中毒になるそうだ。実際に知らずに出した日本料理店では事件となったケースだってある。まあ美しい植物には毒ぐらいあっても良い。


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2012年5月22日火曜日

基礎から見て家は選ぶべき。

建物の診断をしていると、基礎が綺麗にしあがっている家と、そうでない家がある。もちろん諸事情はあるのだろうが、やはり綺麗に作って引き渡して貰う方がよい。綺麗な基礎とは何か。例えばの外側が土汚れがついていないって事だったり、基礎にクラックが入っていないと言う事だったたり、そのクラックから錆び水の跡がないと言う事だ。

土よごれは基礎を作った後に養生をしていない事が原因の一つだ。通常するかと言えば、ほとんどの工務店ではしないのではないだろうかと思う。またその基礎立ち上がりの横が砂利を敷き詰めていない場合に起きやすい。砂利とは単なる見た目が気に入って入れる方々も多いが、基礎の汚れを防ぐためもあるのだ。その他にも防犯目的で砂利をいれている場所だって多い。昔のお侍の家には砂利が敷き詰められていたのは、それが理由だ。

基礎にはクラックはつきものと言える。例えば最近頻発している地震のせいと思われる基礎のクラックが先週インスペクションをかけた家にあった。そこから錆びの跡のような物が見つかり、施工業者さまに手直しを依頼した。まあぶ~ぶ~言われていたが、物件を渡す段階でヒビが入ってたらやっぱりイカンだろうと思うのだ。

基礎一つで建物の耐久性は変わって来る。基礎からじっくり見て建物を選ぶ事は知っていた方がよい。

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2012年5月21日月曜日

京都のコーヒーが懐かしい

  今お仕事であるホームインスペクションのレポートを手直し中だ。危うく賢者モードに再突入しそうになってきたので、こりゃイカンと思いコンビニにコーヒーと煙草を買いに出かけて来た。一日中パソコンの前に座りやれレポートじゃ~、設計じゃ~、インスペクションの準備じゃ~とやっていると季節の移ろいを感じる事が中々できない。買い出しに出かける時とインスペクションの時だけしか外出しなくなっているからだ。さっき外に出たときも、良い感じの季節になってきたな~と思った。こんな時は外に遊びに行きたいが、東京はだ~れも知らん。おかげでめっきり引きこもり状態だ。アカン!

  今とは違い、京都にいるときは引きこもりなどではなく、良くカフェに出かけていた。京都にコーヒーはよく似合う。知り合いと結構長い間、建築や政治の事をコーヒーを飲みながら話していた。良く通ったのは以前にも書いたが京都市役所の裏にある『Hallo』や三条大橋のすぐ横にあるStarbucksだ。Halloについては以前書いたとおり、町屋を改修して作ったカフェ。店の雰囲気も素晴らしければ音楽だって良い。一つの理想としてのカフェだった。ちょっとコンビニなどにあるおしゃれなカフェ特集とかには必ず載っているのでぜひ見て欲しい。また三条のStarbucksは場所が良い。三条大橋といういかにも京都らしい橋の横に突き出るようにしてある。オープンカフェになっているので、京都の夏の夜などはず~とそこでしゃべっていた。夜風に当たりすぎ、おなかを壊しそうになったのはどうでも良い事だ。

  さあ、さっさとレポートを終わらせよう。既に集中力は落ちて来ているが、そんな事を言っている場合ではない。この仕事をマスターせな宮崎には帰れないのだ。

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賢者タイムに入ってます。。




  朝っぱらから何なんだが、現在スーパー賢者タイムとなっている。昨日の夕方から先日行ったインスペクションレポートを書いていた。気が付けばすっかり朝となっていた。写真にコメント付けて、難しいところは資料を引き出してきて調べたりしていたら、こんな時間となっていた。腰は曲がり、キーボードを打つ手は既に震えている。しかし、頭の中にはず~とQUEENのDon't Stop Me Nowが流れて、がっつり賢者モードとなっている。嗚呼、腹も減ったし、寝ないかん。しかし、テンションがマックスなんだな。。しかし、フレディーマーキュリーさんは長生きして欲しかった。タイツで歌っているコンサートに一度で良いから行きたかったな。。

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2012年5月20日日曜日

妙な臭いがする祭り

三社祭
  ニュースを見ていたら、東京は浅草神社で東京三大祭りである三社祭が行われたそうだ。三社祭はその歴史700年。やくざの資金源となっているとも言われるこの祭り、確かに入れ墨の入った方々(大阪の職員様ではないはずだ!)が御輿を担いでらっしゃる。それはそれは『ヨイサー』とのかけ声がかっこよい。僕の地元は開拓された町なので、伝統的な祭りはない。なのでこのような祭りがある地域がうらやましくてしょうがない。実は祭りは日本の観光の歴史とも関係し来る。江戸時代に多くの各地で祭りが始まっているが、これは目的の一つに観光客の誘致と言う面がある。江戸時代は実は観光旅行が流行していて、観光客を地元に呼び込むため祭りを始めた所も多いのだ。もちろん建前は神様のため。そしてみんなでワーワーはしゃぐため。色々あるだろうが、やはり経済が祭りを動かしているのだ。

デービスです
  僕がいたアメリカのカリフォルニアのデービスって町にも祭りがあった。このデービスって町は大学のために出来上がった町。人口は3万ぐらいで歴史は100年ちょっとだろうか。なのに祭りがある。祭りの名前は忘れたが、内容はヒッピーがた~くさん集まって、なにやら踊ったり、ぼ~としている祭りだ。これがこの町で2日ほどあるのだが、やけに町の中が臭くなる。日本のヒッピーっぽい格好をした若者ではなく、彼の国のヒッピーは本気だ。彼らは自分の全ての人生をかけてヒッピーをやっているので、風呂は入らずお香を焚いて臭いを消す。なので町中が半端なくお香のにおい。もちろん若干ではあるがドラックの臭いだってする。そんな祭りの期間中、たまたま母親が遊びに来た。母親は大はしゃぎ。しかし僕はほったらかすと危なっかしくてたまらず、ず~と付き合わされ本当に疲れた思い出がある。しかしあの祭りで食べたメキシカンは本当においしかった。

  僕の地元にもよい祭りがあればいいのになと本気で思う。しかし、どっかで行われているカーニバルのような外国のお祭りのパクリでなく、また北のどっかで行われている四国の祭りのパクリじゃない良い感じの祭りであったら僕として嬉しい。


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2012年5月19日土曜日

小田急でイングリッシュ!

  今日は成城でホームインスペクションのお仕事だった。ホームインスペクションは建物診断のお仕事。今日は内覧会に依頼者様にお付き合いし施工業者さまに指摘するところは指摘するし、補修ができるところは補修して頂く。そんな仕事をしてきた。まあ業者さまには耳が痛い所も言うし、えっそんな事も気にするのって所もあるだろう。逆の立場であれば、知ってるのか兄ちゃんみたいな事も言いたくなるであろう。しかし依頼者様にとっては大事なお家。小さい事でも指摘させて頂いた。小屋裏に登り汗をかき、床下で這いつくばり、出られなくなりそうになり泣きたくなる。しかしおかげでお客様には感謝された。ちゃんとホームインスペクターをがんばっているのだ。

  ホームインスペクションのお仕事は多くの荷物を持ち運ぶ。計25キロぐらいだろうか。電車で移動しているのだが、大きなカバンと大きな脚立で迷惑きわまりない。なのでいつも電車の中で縮こまっている。練馬駅から新宿へ大江戸線で行き、そこから小田急に乗って成城学園前駅まで移動していた。そしたらアラブ系の男性が座っていた。不思議なものだがアメリカに7年近くいたのにもかかわらず、日本で外国人を見ると『外人じゃ!』と未だに思ってしまう。もちろん今日も『外人じゃ!』と心の中で思いながら小さく縮まっていた。そしたらそのアラビックな男性が急に立上がり、すたすたと5メートルほど離れた席からやって来て『Do you have English?』と聞いてきた。そんなもん持っとらんがな。。しかし、何で俺なんだ?と思いながら『ア~ハン』と答えた。よう話を聞いていると『この電車は小田原まで行くんですか?』と聞いている。おいおい小田急は小田原へ行くから小田急だろ!って言いそうになったが、ちょっと前まで僕も知らなかったので控えた(基礎の内側で這いつくばる日曜日も読もう!)しかし大きな声で聞いてくるので、『ア~ハン』と答えた手前、大きな声で英語で答えてあげた。アメリカ7年はダテではない。職業もホームインスペクターと横文字なのだ(でもなんで英語なんだ。。)しかし目立つ。ただでさえ脚立を持って電車で乗っているむさくるしい兄ちゃんが、英語で小田原・箱根の観光案内。目の前のOLはきょとんとしていた。そりゃそうだろう、僕の今日の見かけはがっつり土方の兄ちゃんだ。人は見かけで判断したらイカンのである。

  成城学園という土地はさすがにお金持ちが住む所だけあって、なかなかの面白いインスペクションとなった。小屋裏にも入ったし、床下も潜った。一緒に行った先輩は3ヶ月で15キロ痩せたそうだ。そりゃそうだろう、信じられないくらい疲れるお仕事だ。おかげで今日はよう寝れる。


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2012年5月18日金曜日

おすすめの日本の論点

  僕がまだ小学生の頃、僕は図書委員長になった。なんで僕がなってしまったんだと思いながらも、その勤めを果たした。ポスターを作ったり、全校生徒集会で発言したりと、まあ図書委員長とは多くの本を読みましょうという運動をするのだが、僕にはどうも似つかわしくないお仕事だと思っていた。なぜなら、僕は小学校の頃一冊も本を借りて読み切った事がないからだ。さすがにこれじゃイカンだろうと思って無理して『忍者の本』と言う物を借りた。しかし結局最初の10ページで心が折れ、さっさと返した。しかしやっぱりそれでは図書委員は務まらないと思い、もう一度『忍者の本』を借りた。しかしやっぱり5ページほど読んでさっさとあきらめた。性に合わない事をするべきではないと悟った小学校6年の春だった。しかし今では完全に本の虫だ。寝る前は必ず本を読む。そうしないと気が済まない。

  19の春に僕はアメリカに渡った。語学学校で勉強するのだが、夏休みに入ってどうも何もする事が無い。勉強はもちろんし、学生ビザの身分でバイトもしていた(違法です。。) だがそれ以外にする事がないのだ。なので親に本を送ってもらった。送ってもらったのは『龍馬がゆく』 僕が日本を出国する際にちょうど司馬遼太郎先生がお亡くなりになったので、空港ではキャンペーンをやっていた。なので頭の中に残っていたのだろう。って事で親にリクエストしたのだ。そしたら予想以上に面白い。迷惑な事にアメリカ留学中に完全に本の虫となった僕は、大学の日本文学コーナーでは常連となってしまった。

  その後、大学では政治学を専攻し、仕事は軍のマーケティングのお仕事についた。しかし、半分はマスコミみたいな仕事なので、本を読まねば情勢が全く分からない。う~ん英語だけではようわからん。。アジア諸国の情勢を調べるためにサンフランシスコにある紀伊國屋で『日本の論点97』という3000円近くする本を購入し読んだ。これが中々面白い。日本の今をときめくキラ星のような論客が5ページほどにわたりびっしりと自分の意見を書いている。首相からNPOの方々まで、時にはこっちの方から、また時にはあっちの方から論じているのだ。すっかりはまった僕は、97年から2011年までぜ~んぶ読破した。おかげで会社でも情報通として通って、ちゃんと出世もした。やはり元図書委員長は違うのである。

  しかしページが相当あるこの本は、読み切るまで時間が掛かる。毎年冬の初めぐらいに出版されるのだが、それから数ヶ月かけてじっくり読むのが、毎年の決まりのようになってきた。なので僕の枕元にはず~と日本の論点がある。分厚いので枕にも良い。


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2012年5月17日木曜日

山が恋しい練馬の晩春

  東京に来て仕事やプライベートで外出して思う事がある。山がないのだ。勿論、関東平野だからやむを得ないってのもあるし、景観条例や高さ規制が甘いためってのも理由だ。宮崎の片田舎に育った僕は、山が見えないとどこか不安になる。宮崎の場合、ほとんどの町は西側は山となり、また東がは海となる。なので方向感覚が狂わないので落ち着くのだが、東京は違う。西もビル、東もビルなのでどうも僕には安定感を感じる事ができない。まあ仕事できているのでしょうがない。

  以前京都に住んでいたとき思ったのだが、京都の山は美しい。もちろん観光のためって事もあるのだが、広葉樹林がしげり、春になると青々しく、また秋になると赤く染まる。四条の通りから東山が見えるのだが、これが迫力があってよい。下った道先のドン突きに山がそびえている。素敵じゃないか。また損害保険で東北は仙台に行った時も思った。仙台は森の街と呼ばれるほど街に緑が多い。街の街路樹が至る所にあり、また道路が気持ちが良いくらい広い。これは戦争で空襲された後、当時の仙台市長が街並みを変更しこうなったそうだ。多くの反対の声が上がった事は想像に難くないと思うのだが、僕はよくがんばったと思う。当時の市長様の英断により多くの利益を仙台市民は受けていると思うのだが、仙台市民はどう思っているのだろうか。また東北へ新幹線で移動している時の山並みも美しかった。ほとんどの街の場合、緑が多いって言うのは区画された緑の事。しかし東北の場合、多分江戸時代もあんまり変わらないであろう自然がそのまま残っていて、微笑ましい。つまり家や街の中だけ緑があるってのではなく、普通に一つの場所だけの林が残っていたり、立派な里山を形成している。これは良いと思う。

  ところ変わって我が故郷は宮崎。これがなっちょらん!!宮崎の山はすべて杉か檜。つまり針葉樹林。春や秋になると元気いっぱいの色を出してくれる広葉樹林とかではなく、人工の山だ。勿論、宮崎には綾町と言う、自然がたっぷり残っている素敵な街もあるのだが、その他の街は基本的に杉や檜だ。よって業者が入るので、何年かたつと一気に山がはげ山となる。つまり僕は自然の山を見て育ったわけではなく、工場としての山を見て育ってきた。なので林や森の美しさを宮崎では味わう事はできない。よく自然がいっぱいと宣伝文言がならぶパンフレットを見て思う。それって自然か?と。。

  森は美しい。しかし本当の森って何だろうかと考えてしまう。少なくとも小動物などが暮らせなくなった森は森ではないような気がする。それに見た目も険しい。。

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