2013年10月31日木曜日

余命1年の背中

   僕はだいぶん昔から設計屋の職業病に悩まされている。設計のお仕事の大半はパソコンの前に座り、ず~と図面を書いている。よって目がかすみ、背は丸くなり、マウスを持つ右手は腫れ上がり、右手の人差し指の付け根は痛い。さすがに設計の世界に入って10年も近くなると、色んな対処法をあみだす。以前にも書いたが、最近は出来るだけ図面はパソコンでは書かずに手書きで書いている。理由はその方が早いし、味が出るからと言うのもあるが、やはりその方が目は疲れないし、マウスを握る右手への負担が少ないからでもある。なので目と手は何とか改善してきているような気がする。だが図面を手書きで書くということは、背中を丸めねばなず、最近は腰痛と肩こり、そして背中の肩甲骨(けんこうこつ)周り、そして座骨神経痛が酷くなってきた。おかげで最近仕事にも支障が出てきだしたので、何とかせなイカンと考えていた。

   そうだ整骨院に行こう!と思いつき、先週末に地元の整骨院へ行って来た。大抵の整骨院も同じだとは思うのだが、まずはベットにうつ伏せになり電気のペッタンコ(名前は知らん)で背中をもんでもらう。だが僕の背中は既に並みのレベルではもみほぐせないらしく、常にレベルをMAXにしてもらわなければ通用しない。大抵の職員さんは、『若いのに。。』と驚かれてこちらとしても軽く恐縮してしまう。その後、場所を移り施術して頂くのだが、あまりの凝りように若い兄ちゃんらだと対応できないようで、大先生をうつ伏せのままじ~と待つ。先生にもまれながら先生がボツりと『こんな背中の硬さだと仕事を続けられなくなるので、背中を日頃から伸ばすように』と言われてしまった。へっ!そんなにやばいの。。『どれくらい持ちますかね。。』とビビリながら聞くと『このままで1年もせんと椅子に座れなくなるよ~』と軽く言われてしまった。。

   別にガン宣告ではないが、これからの長い人生設計で食っていく僕としては余命1年の背中と言われかなりヘコむ。。整骨院の先生が言うにはとにかく背中の筋肉をほぐすことからはじめろとの事。なので家に帰りぼ~と考えた。ふと小学校のグラウンドにあるタイヤ遊具(タイヤの半分が地面に埋まっているカラフルなやつ)を思い出した。あれに仰向けになれば背中は柔くなるんじゃないか!だが自分が背中をタイヤに押しつけている絵を思い浮かべたら嫌になった。よい大人がやることではない。へたすりゃ通報され駐在さんに職務質問を受けてしまう。。

   背中が痛くとも仕事はせなイカン。設計の仕事は寸法をとても大事にする。寸法をおろそかにすると、出来上がりのボリューム感に違いが出てくるからだ。僕の場合はある程度の知識はあるのだが、一応自分の家の庭で実寸をとる。まずはメジャーで寸法を測り、そしてその計った交点に父親のゴルフボールを置いてその寸法を自分の体にたたき込む。ふといつものようにゴルフボールを手にした時に思った。ひょっとしてゴルフボールってマッサージに良いんじゃないか?

   という事で、ためしにいつも仕事の時に使う椅子に置いて座ってみる。これが実に気持ちエエ~座骨神経痛はお尻の尻尾?の周りの筋肉がふぁふふぁふ。。なって痛いのであるが、ここにゴルフボールが良い感じでマッサージしてくれる。う~んこれはエエ!って事は背中にもエエはず。という事で、昨晩に背骨周りの筋肉をほぐすべくベットに合計6個のゴルフボールを置いて寝てみた。これが思った以上に気持ちが良い。背中も真っ直ぐになるし、それに凝った所に手が届くいうかゴルフボールが届くじゃないか~という事で快適な一晩となった。

   朝方の事、何やら忙(せわ)しない。なんだろと思い薄めを開くといつも一緒に寝ている猫が、朝っぱらからゴルフボールに猫パンチをカマしていた。そのゴルフボールは床に落ちゴンゴン跳ねてうるさい。だが毎朝のように痛む背中はそれ程でもなく、どうやらゴルフボールの荒治療は効いているようであった。う~ん、良い事を思いついたもんだ。

   本当にこれで背中が治るかは分らない。だが少なくとも、昨日までの背中の張りは取れている様な気がする。

   嘘だと思う人は試してみましょう!

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拾ったばかりの猫です。

2013年10月30日水曜日

ハロウィンでやらかした。。

  夕方過ぎに母親から電話があった。どうやらお世話になっ方の通夜が入ったため、婆さんの世話を頼むとの事であった。何か婆さんに食べさせるものあるのかなと自宅の冷蔵庫を覗くが、まったく婆さんが好きな食材などはない。しゃあない婆さんのためだという事で地元のスーパーに向かった。

  地元のスーパー(Aコープではない方)の入口には誰が彫ったか知らないが、少しでかいカボチャの人形が置いてあった。ああ、ハロウィンかいな。。とは思ったが無視をした。別にハロウィンに浮かれるような人間でない僕としては、カボチャの彫り物などどうでもよい。僕の婆さんは選り好みが激しい人なので、嫌いなモノは食べない。なので婆さんが好きな寿司ご飯でも作ってあげようと思い、ミツカンの特選すし酢を買い求めた。

  正直に言えば、僕はハロウィンは好きではない。あの浮かれた空気がどうもむりやり騒いでいるようで苦手だ。それにハロウィンで浮かれている人々の多くは、その起源を知らずに騒いでいるような気がして、正直僕は友達にはなれそうにない。という僕もその起源などはよく知らない。まあキリスト教以前のケルト人の文化であるぐらいは知っている。まあその程度だ。

  一般的に日本人が考えるハロウィンとはアメリカのそれであり、モールなどに行けばカボチャの彫り物が置いてあり、そして皆仮装してパーティーをやる。そして子供らは近所にキャンディーをもらいにさるき回る。だが子供らが夜の9時ぐらいにドアを思いっきりノックするのはチト恐い。ドアを開けてびっくり、ごっつい犯罪者かも知れんからだ。なのでいつもハロウィンの晩は、会社から支給されていたP-229(ハンドガン)を僕の桃尻に突き刺し、笑顔で子供らに飴ちゃんをあげていた。

  僕が経験したハロウィンで一番印象的だったのは、ロシア人のハロウィンパーティーである。ルームメイトに誘われ行ったロシア人主催のハロウィンパーティーはまさに恐ロシアであった。ロシアには日本人が考えるようなハロウィンの文化はないのだが、せっかくアメリカに住んでるんだから、ハロウィンで飲んじゃえ的なパーティーである。何故か女達はセクシーなお化けの格好に香水プンプン。だが男共はいつもと同じジーンズにボロ臭いTシャツ。。そんな感じのパーティーだ。よって出るのはカワイイケーキではなく、ウォッカにウォッカ。。とにかくアホみたいに飲む。そして音量MAXで踊り狂う。そして案の定、近所からのクレームが入りお巡りさんが登場。注意を受けるロシア人。そして待ってましたとばかりお巡りさんに適当な英語で喧嘩を売るロシア人。アホのイワンが『Fuck off(うせろ)』と言い放ち、即行連行されてパーティー終了。今考えるだけでも恐ろしい。あれは一体何だったんだろうか。。

  思うのだが、日本でハロウィンで浮かれるのは如何なものか。どうも企業の宣伝に乗らされている感がプンプンするし、その企画している企業側の人もハロウィンの意味を知ってやっている感がないのが僕には嫌だ。普通に収穫祭でもやればええんやないか。。と思ったりする。別に死者を呼び戻さんと普通に豚汁(秋に芋入れて食べると凄く上手い ! )庭で食べてもええんじゃないか。。庭は掃いて焼き芋でもええんやないか。。

  家に帰ると婆さんのために寿司を作ってあげた。婆さんは上手いと大喜び。たまには婆さん孝行をするもんである。ふとテレビを一緒に見ているとCMでもやたらとハロウィンに絡めてきて、見ていてうんざりする。シチューでハロウィン。。ハロウィンとシチューって何の関係があるんかいな。。と思いながら続けてテレビを見ていると、安田成美さまが『お寿司でハロウィン』とやっていた。んっ!お寿司でハロウィン!?ひょっとしてと思う前に『Mizkan♪』とテレビから流れて来た。。

  嗚呼、ミツカンに一本とられた。。

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ああ、豚汁にすればよかった。。

2013年10月29日火曜日

暖かい仕事着

   10月も後半に入り、僕が住む宮崎の片田舎でもだいぶ寒くなってきた。夜間に、ちまちまデスクワークなどをしていると、結構な寒さにびびってしまう。僕の事務所(僕の部屋6帖の事)はエアコンなどの文明の利器はおろか、断熱材さえない素敵な昭和のボロ家。なので今年の冬は寒いとニュースで言うのを聞く度に、どないしよ。。と考え込んでしまう。昨年は足下には電気ヒーターを置いていたのだが、電気代が馬鹿高いので今年は辞めようと思っている。現在、その代替案を模索中だ。

   先週末にふと宮崎の無印に行ってきた。僕は普段それほど買い物はしないし、もちろん遠く離れた宮崎市内の無印には行かない。だが、アホのF君(消費税が上がるよと教えても信じてくれない。。)がどうしても無印の手袋が欲しいという。『Aコープじゃイカンのか?』と僕が聞くと、田舎モンのくせに『Aコープの手袋じゃ~クリスマスにむけて女にモテん!』と髪の毛が薄くなり始めた彼は言い切った。という事で3時間だけと断り僕らは無印へ行く事にした。

   宮崎市内の一等地にあるデパートの地下1階にある無印良品へ入った僕らは、とりあえずぐるりと店内を一周する。だが周りはエエ感じの女性のお客さんだらけ。無印良品で楽しくショッピング出来る宮崎の人々はさすがに限られ、いかにもな男二人では浮いてしまっていた。こんなヤツと来るんじゃなかった。。と思いながら店をぐ~るぐるしていると、エエ感じの布団がコーナーの一角に置いてあった。これはシタリ!と思いF君をけしかけた。『この布団シブくねぇ?ビクトリア朝風だぞ!』と僕が適当な事をF君に吹き込むと、彼はころりと騙され『ええの~』などとほざいている。近くにいたいかにも無印な女性店員さまを見つけたので、F君にその女性をつけ説明していただく間、僕は一人で店をぐるぐるしていた。


   ふと手袋コーナーを見ていると、なんともエエもんが売っている。名前はハンドウォーマーとある。要は指の部分がない手袋だ。僕の仕事は一日中パソコンの前に座りCADを使う。右手はマウスに、そして左手はパソコンのキーボードに置いて仕事をする。なので冬などは手が寒い寒いとなって、毎年同じ苦労をする。だがこのハンドウォーマーがあれば、実に仕事がぽっかぽかじゃないか~:Dって事で即購入した。ええモン見つけた~とF君の所に行けば、彼は既に布団を買っていた。。なぜに手袋を買いに来て、君は布団を買ってんだ。。だからAコープで十分だと言ったのに。。

   家に帰り、買ったハンドウォーマーはつけてみるとやはり良い。腕は全く寒くないし、キーボードも普通に打てる。そして足には以前に地元のAコープで、390円を3割引きで買ったレッグウォーマー(たぶん女モン)を足首から膝までつけてお仕事をしている。こんな格好だと普通の会社勤務ならぶ~ぶ~言われるだろうが、僕は個人でお仕事をしているのでそのへんは自由だ。太ももが寒くなったら、我が愛猫であるミィ~を太ももにのせている。こいつが実に暖かい。ただこいつはハンドウォーマーが気に入ったらしく、すぐに噛みつく。

   なので頭に来ている。

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写真はミィ~(別名タチアナ)
猫の恩返しの仕込みも読もう!

2013年10月28日月曜日

きっと、楽しいペチカ !

   僕が住む宮崎の片田舎の町もすっかり秋らしくなってきた。まだ紅葉には少し早いようだが、朝晩の温度の低下を鑑みると、そろそろ木々も色づくだろう。我が家には薪ストーブがあり、この季節になると薪泥棒に忙(せわ)しない。『町が街路樹を切ったぞ!』と一報が入ると朝5時には現場へ行く。でないと他の薪泥棒に先を越されるからである。また製材所のおやじさんから『端材たくさんでたぞ~』と情報が入ると、『へいっ!』と腰を低くして出かけなくてはならない。低姿勢でないと、おやじさんが機嫌を損ねて有料にしかねないからだ。薪ストーブは見たくれは良いのだが、薪集めるのは結構な重労働である。薪ストーブの焚き口に入るよう、薪をカットしなければならないし、またその薪はすぐに補充しなければすぐ火は消える。我が家の場合、薪は一晩でミカン箱2つ分(太い薪が10本ぐらい)は消費するだろうか。この重労働を何とか軽減できないものだろうかとぼんやり思っている。僕がぼ~と考えて、たどり着いた答えは『寒さについてはロシア人に聞け!』という事だ。という事で、知り合いのロシア娘であるマリアにメールで質問したら、『ペチカは薪が少なくていいよ~』と返信が来た。ああ、ロシア式薪ストーブの事かいな。。

   ペチカとはストーブ、または暖炉の周りをレンガなどで作った壁面で覆い、そのレンガからの放射熱で暖めるロシア式の暖房方式の事をいう。以前は北海道ではペチカが多く見られたらしいが、石油ストーブが広まることによりその数は大きく減ったようだ。マリアさんが言うにはロシア語で『ペチ』はストーブの事。そして『カ』は前の単語を可愛くする言葉であるらしい(例:足に”カ”を付けて、『あんよ』。。みたいな感じ)実にカワイイ名前であるが、その構造はまったくカワイくなく少しごつい。いかにもロシアンな作りである。


   焚き口に薪をくべると、もちろんその煙がでる。薪ストーブはこの煙は煙突を通して外気に逃がすのだが、ペチカは違う。ペチカの場合、この煙をレンガ壁面内部の排煙道へ流し込みむ。そしてその排煙が壁面内部をぐるぐる回ることにより、熱をその排煙道の周りを覆っているレンガに移し、最終的に煙突から外気へ逃がすようなっている。熱量は多い所から少ないところへ移動する特性をもつ。そしてレンガは蓄熱効果が高い。これらを上手く使った暖房方法がペチカだ。

   ペチカの長所を挙げるとすれば、まず、熱容量が大きいため室温が一定であるという事だろう。寝る時に火を消しても翌朝に室温がぐんと下がることがないという事だ。また放射率は小さく、しかも放熱面積は大きいので、子供がアチチッと火傷を起こすことがない。直接浴びる熱ではなく、レンガに溜めた熱を室内空気へ伝達する輻射熱であるので、その暖かさは柔らかく快適であると言われている。

   また僕として嬉しいのは薪が大幅に節約できるという事だ。薪ストーブの場合、その薪が持つ熱エネルギーの使用量は大体30%~50%と言われるのだが、ペチカの場合は90%を超えると言われる。つまり薪ストーブの場合はその熱の多くを使い切れずに捨てているという事だ。単純に計算すれば、ペチカであれば薪ストーブと比べての薪は2分の1で済むという事である。またペチカの配置を工夫すれば、一つのペチカで数部屋は暖めることが出来るし、また竈(かまど)やオーブンとしても使える。またお湯だって沸かせるらしく、実際お風呂もペチカで沸かしている家もあるらしい。そしてエコなのも魅力の一つである。その出す煙突から排出されるばい煙の量も、1/25~1/50と少なく、環境にも優しいく、煙突掃除も薪ストーブの1/25回以下程度で済むらしい。薪ストーブと比べれば、ペチカは地球に優しいと言えるだろうと思う。

   もちろんペチカにも短所はあるにはある。熱量が大きいため室温調整が難しいこと。また占有空間が大きいので、邪魔と言えば邪魔である。だが室温調整はダンパーを付ければ何とかなるかもしれない。ダンパーとは羽を動かすことにより、空気の方向を調整する。これを上手いことペチカに入れれば熱をコントロール出来るようではある。また大きいので邪魔に見えるかもしれないが、これを使って間仕切り壁にも出来なくはない。うまい事配置すれば、そんなに気になる物ではないはずだ。


   だが一番の短所は、作れる職人がかなり少ないと事。また予算的にも薪ストーブよりも銭がかかること。あと僕的に言えば、宮崎ではペチカなどはあるわけがなく、職人にペチカと言ってもまず『知らん』と一言で断わられる事だ。まあ構造自体は建築の知識さえあれば出来なくはないので、僕は自分で作っても良いとは思っている。

   我が家の薪ストーブは早くも3年目に突入し、すこし暖まり方が弱くなってきた。やはりホームセンターの安モンを買うたのが理由かも知れないし、またお手入れが適当だからなのかもしれない。薪ストーブやペチカはもちろん部屋を暖めるためにあるのだが、それだけの理由で設置する人はあまりいないだろう。やはり人生を楽しむためにあるのではないかと思っている。では薪ストーブとペチカではどちらが楽しいだろうとかと考えた。

   僕ならペチカだな。。

   パンも焼けるので女子力アップにもつながるし。。


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なんとなくペチカの復権も近い気がしている。

2013年10月25日金曜日

土砂災害危険箇所と警戒区域は知っておこう!

   前回の台風被害が大きかった伊豆大島に、また新たな台風が向かっている。現地に住む方々のことを考えると、実にお気の毒である。伊豆大島と言えば三原山のある土地なので、その火山灰が固い岩盤上に堆積している斜面が多いと思われる。前回の台風で起きた地滑りは、きっかけは表層崩壊と呼ばれるタイプの地滑りで始まり、いったん止まったものの、降り続いた豪雨によって土石流の跡に流木を運ぶ激流が生じ、下流域にある元町3丁目を直撃したようだ。山津波と呼べるもので、かなりのスピードがあり実に恐ろしいものである。この表層崩壊などは実に頻繁に起こる類のものであり、とても注意が必要な災害にあたる。

   家の設計のお仕事をしていると、土地探しを手伝うことがある。たいていのハウスメーカーさんや工務店さんなどは、自分の持っている土地などを紹介したり、知り合いの不動産業者をしたりするだろうが、僕らは土地の評価方法や土地により違う設計方法を教えてるようにしている。また僕は、ホームインスペクションのお仕事をしたりするので、依頼者さんにはハザードマップの活用をすすめている。

   ハザードマップはたいていは市役所の建築課や都市整備課などに行けば、たいていは無料でもらえたりする。以前、僕の隣町である某町での戸建住宅の相談を受けた時に、ハザードマップをもらいに建築課に行った事がある。『ハザードマップあります?』と担当の役所の方に聞いたら『何に使うんですか?』と聞かれたので『僕は設計屋なので、土地探しで使います』と答えた。すると『そこまで気にします?』と驚かれてしまった。。そんなこと役所の人間が大きい声で言ってはいけない。。とは思ったが、まあそれだけハザードマップは使われていないのという証左でもあるだろう。ハザードマップは使わな損だし、土地を選ぶ上ではとても重要だと認識をしていた方がよいと僕は思っている。

   今回のような大きな台風がくれば、またどこかで表層崩壊が起きてもおかしくはない。自分の家の近くに土砂災害が起こりやすいと思われる方は、さっさと非難した方が無難だ。だが多くの方は、実は自分の家が危険なのかどうか知らない人もいるだろうと思う。また伊豆大島のケースのように、上流の土砂崩れが下流の地域まで押し流されることもあり得るわけで、自分の町の土砂災害ぐらいは把握していた方が良い。実は国土交通省は土砂災害危険個所と警戒区域をネット上に公開している。僕も土地選びやインスペクションをする際は、こんなサイトを見て依頼者には説明するようにしている。一度は見ておくことお勧めする。

   各都道府県が公開している土砂災害危険箇所と土砂災害警戒区域クリックすると飛びます)

   本当は、恐山のイタコについて書こうと思ったが、なぜか土砂災害について書いてしまった。。


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それではまた来週!

2013年10月24日木曜日

鉛筆に対する愛を淡々と書く

   家を設計する僕は、日なが一日中パソコンの前に座り図面を書く。だが最近は可能であるかぎり、図面は手書きで書くようにしている。ずっとマウスをさわってお仕事するので、右手の腱鞘炎が酷くなってきたのもあるし、手書きの方が圧倒的に早いからでもある。それにその方が図面に味が出るので意外と依頼者さんに設計意図が伝わりやすいものだからだ。もちろん最終的にはCADで仕上げるのだが、基本設計の初めはそれぐらいでちょうど良いと思っている。ここでい言う基本設計とは、家の間取り図や立面図、そして断面図、そして場合によりパースまでを含める。これらの図面は依頼者が気に入らなければすぐにボツとなり、お蔵入りする事が多い。よってボツになる度に、はじめから図面を書き直す必要があり、その度にパソコンで図面を書くのは時間の無駄である。よって手書きの方が設計料を抑える意味合いもある。


   だが困った事に僕は字がお世辞にも上手いとは言えない。正確に言えばよく他人には『すごい達筆だね~』と褒められる。だがすぐに『でも何かいているのか分らない。。』と言われてしまう。若い頃などは字は人を表すなどと言われ続けたので、それなりに字の練習はしたのだが、その後アメリカに留学し、アホらしくなって辞めた。彼の国では字がお上手でもあまり意味はないからである。と言うのもアメリカは人種の坩堝(るつぼ)なので、字の書き方に違いがありすぎる。よってお上手な見本と言う物が成り立たない。なのでなおさら僕の字は下手になってしまった。。


   僕は最近は鉛筆で物を書くようにしている。以前はシャープペンシルを使っていたのだが、肩と手がこるので辞めた。どうも僕の筆圧は軽いのだが、持ち方があまりにも斜めなため、すぐにペンの先がとがりすぎて線が太くなる。これがどうも気持ち悪い。一応、UNIさんの『KURU TOGA』(先っぽがクルンクルンするので、常に芯が尖っているタイプ。。普通に持てば。。)を使ってみたのだが、あまりにも僕が斜めにこのペンを持つので全然クルンクルンしない。よって鉛筆を削り削り使っている。


   鉛筆は間違いなく筆記道具の中でも一番経済的であろう。鉛筆に使われている黒鉛(シンの事)は一本で50㎞は線が書けると一般的に言われている。もちろん削るので50㎞はさすがに書けないだろうが、ボールペン1本で1~2㎞ぐらいしか書けないことを考えれば、十分に経済的だ。また一本あたりはどんなに高くても200円はかからないのは嬉しい。もちろん以前にも書いたパーフェクトペンシル(鉛筆に鉛筆削りとキャップ、クリップ、それと消しゴムがついている)などはお高いが、それなりに高機能なのでぶ~ぶ~言うてはならない。

   また鉛筆は多彩な表現が可能なのも嬉しい。普通の人は使わないだろうが、僕らデザイン屋はなどは平気で10Bなどの鉛筆を使う。10Bなどで書いた線は筆で書いたような書く事が可能で、家の植栽などを書くにはちょうど良い。これがシャーペンなどはそれ専用の10Bのシンを探すのは容易なことではないし、それに太い字などの表現はそれ専用の物を買わねばならない。

   鉛筆だけだろうと思うのだが、これほど周辺グッツがある筆記道具もないだろう。例えば鉛筆用キャップ。クリップがついたものもあれば、ダンディーな大人が使いそうな革製の鉛筆キャップだってある。また鉛筆削り一つにしても、鉛筆をくるんくるんするタイプから機械式のやつまであるし、その削り方にも違いがあって面白い。

   ちょっと前に購入した鉛筆立てが最近の僕の中ではどえらいヒットとなった。Margheritaさまの木製鉛筆立てだ。これがかなりエエ感じに僕の机の上で輝いている。このペンスタンドはなんと60㎝の長さがあり、いっぱいいっぱい鉛筆が入るので、いっぱい鉛筆や色鉛筆を持つ僕にはありがたい。またその仕切りは、自分で変更できるのでメモ帳や電卓なども置けて、ガーリー(意味はよく知らん。。)でロハス(もっと知らん。。)な僕にはちょうど良い。

   またこの鉛筆立ては贈答用にもちょうど良い。ホントに使えるからだ。今年から僕の従姉妹の娘が小学校に通いだしたのだが、記念にこの木製鉛筆立てをその娘にあげたら大喜び。母親などは『これ一生使えるじゃん!』などと娘とキャッキャ言っていた。確かに一生使える鉛筆立てなのである。この鉛筆立てを作っているMargheritaさまは、家具屋ではなく設計屋なんだそうだ。そりゃそうだろう。設計屋ほど鉛筆を使う職業もない。


   実は東京には文房具カフェなるものがある。昨年の7月までは僕は東京の練馬区に住んでいたのだが、文房具好きの僕はもちろん知っていたが、結局行かなかった。場所は表参道。なんとなく田舎者の僕には場違いだと思ったからだ。また東京の知り合いがホームインスペクション仲間のおっさんしかおらず、おっさんと一緒にそのフェミニンな空間でコーヒー飲んでいる絵が僕には耐えられなかったからでもある。もっと糸井重里さまのようになってから行こうと思っているカフェである。

   だ~れも、こんな記事を読むとは思わないが、いきおいで書いちゃった。。

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さて、仕事でもするかの~

2013年10月23日水曜日

『笑っていいとも!』終了で、少し喜ぶ。。


   お昼の人気テレビ番組である『笑っていいとも!』が来年の3月で終了するとの事だ。この番組が始まったのは、僕がまだ保育所でよちよちしていた1982年の事である。31年ものの間、本当にご苦労様だ。僕は昔から司会のタモリさんの人柄とその芸が好きなので、『笑っていいとも!』が終わるのは一抹の寂しさをおぼえるのだが、同時に少しだけ喜んでいる。

   僕は格段、『笑っていいとも!』が嫌いなわけではないのだが、ここ数年は見ていない。その時間はニュースが見たいからでもあるが、どうも最近の『笑っていいとも!』は番組の宣伝ばかりを見るようで、違うなと思っていたからだ。また、番組冒頭のテレホンショッキングが、お友達紹介方式から単なるゲスト紹介に変わった時点で、決定的に見なくなってしまった。フジテレビのプロ-モーションばかり見させられて嫌気が差したからだ。僕が好きなタモリさんの番組は『タモリ倶楽部』であったり『ブラタモリ』であったりする。あのゆる~い感じが、ゆる~い僕にはちょうど良い。実は僕が住む宮崎では『タモリ倶楽部』は以前はあったが、現在は放送されていない。あの桃尻のオープニングが倫理上イカンのだろうか。。そのへんは分らないが、あの昭和のにおいのする番組が宮崎で見れないのは、とても残念な事である。

   NHKが以前放送していた『ブラタモリ』は、タモリさんの旺盛な知識欲が出ていてとても僕は気に入っている。知らない人のために書くとすれば、街歩きを趣味・趣向とするタモリさんが、江戸時代・明治時代などの古地図を手に毎回、実際に東京都内や横浜市各地を練り歩き、独自の視点・目線にてユニークな街歩きを展開する番組だ。簡単に言ってしまえば『趣味のお散歩番組』まあそんなところか。またタモリさんに同行する久保田祐佳アナウンサーの雰囲気も良いし、テーマ音楽も素晴らしい。ただ宮崎育ちの僕としては、東京や横浜の地名にうとく、さっぱり放送されている場所がどんな所か分らない。以前東京には少しだけ住んでいたが、住んでいた練馬区や池袋周辺ぐらいしか知識がない僕としてはチトつらい。なので京都あたりをブラタモリしてくれないか。。と思っていたりする。京都なら僕も少しは分る。

   僕は『ブラタモリ』が放送されだした頃、タモリさんはひょっとして『笑っていいとも!』を辞めるんじゃないかとぼんやり思っていた。タモリさん自体が多趣味で、平日のお昼を拘束されると、趣味のヨットも町歩きもできない。だが昼の番組を辞めて『ブラタモリ』シフトを変えれば、自分の時間も出来るであろうからだ。それに『ブラタモリ』のタモリさんが『笑っていいとも!』よりも生き生きしていてるように感じたからでもある。僕は万人受けするタモリさんよりも、趣味に熱中しているタモリさんの方が好きだ。

   なので心より『ブラタモリ』の復活を望んでいる。

   ついでに『タモリ倶楽部』の宮崎での復活も希望している。

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音楽はエリック宮城さまで『KICK UP』です。
かっけ~

2013年10月22日火曜日

観光ガイドさんは、つらいよ

   司馬遼太郎氏のエッセイに、とあるお方が『ご先祖様が、ここで手柄を立てたから、今の贅沢な暮らしがある事を忘れてはいけない』と東海道新幹線の中でお爺さんに言われたとあった。そのご先祖様とはひこにゃん(井伊直政)である。そしてこことは関ヶ原の事だ。歴史が好きな僕としては、こんなエピソードを見つけた時はとてもにんまりしてしまう。歴史が生きていると実感するからだ。


   先週の事であったか、ふとNHKさんを見ていると、関ヶ原でのボランティアガイドを特集していた。定年退職をされた地元の方だろうか、訪れた観光客に説明をされていた。また偉いもんで、地元の子供らが外国人相手に英語で説明をしていた。観光客の方々は、地元の方の素晴らしい説明に喜ばれていたし、海外からの観光客も喜んで、『Cute!』と答えていた。実に微笑ましい光景だ。NHKさんも素晴らしい取り組みだと放送されていた。その爽やかな報道を見ながら、でもボランティアってよくないよね。。と思ったりした。僕だけだろうか。。

   以前、宮崎市景観賞の記事のくだりで書いたと思うが、桜島で観光ガイドをされている方が、『日本はガイドにお金を払う文化がない』と言われていた。言われてみれば確かにガイドに金を払うという感覚は日本にはない。これが欧米であれば、ガイドはお金を請求するのは当たり前であり、日本人かて外国でガイドさんを使ったら必ずお金を払うだろう。だが日本国内だとそうとはいかないだろう。山やタクシーならまだしも、観光ガイドには銭を払わないのが当然だと思っている気がする。

   僕は詳しくはないが、仮に海外で関ヶ原のケースのように、地元の観光協会や官公庁?がボランティアでガイドを募集したらどうなるだろうか?まずはクレームは間違いなく来るだろう。なぜならそれでご飯を食べている人々が実際にいるし、ガイド専門の組合だってあるからだ。それにタクシー業界や観光バス業界からも問題視されるのではないだろうか。それに歴史が好きな人が『関ヶ原でガイドをしながら食べていきたい!』と夢を持っていたりしても、『ガイドは無料』と打ち出されたら諦めざる終えないだろう。大きな政府、小さな政府ではないが、少なくとも官公庁などの公共団体が直接入るのは嫌うだろうと思われる。もちろんそういった産業を公共団体がバックアップするのは歓迎されるだろうが。。

   もちろん観光客を増やそうと関ヶ原の方々ががんばっているのはよく分るし、歴史が好きだから同市を応援したいとは思っている。だがガイドさんにはお金を払って頂きたい。歴史に詳しいガイドさんがいることにより、町の飲食業などが潤う。だがガイドさんだけは手持ち弁当ではやはりおかしい気がしている。ボランティアには適切なものと、そうでないものがある気がしている

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日当1万ぐらいは出してあげてね。。

2013年10月21日月曜日

作品に対する敬意 アンパンマン

   ちょっと気になった事を書こうと思う。

   『それいけ! アンパンマン』の生みの親である、やなせたかし氏が今月の13日にお亡くなりになった。僕は知らなかったが『手のひらを太陽に』などの作詞もされていたそうだ。なかなか素晴らしいクリエイターであるのは間違いない。残念だね~と思いながら、やなせ氏のことを調べていたら、数多くのご当地キャラのデザインをされたとある。言われてみれば確かにアンパンマンに似たご当地キャラクターは多い。おお~そうなんだと思い調べたら、なんと高知県だけで50以上、全国で200ものご当地キャラを生み出したという。めちゃめちゃすごい人だったんだ。。と今更ながら尊敬した。だがそのキャラクターを制作した数件を除いてすべてはノーギャラで依頼されたと書いてあった。。へっ、自治体は無償で働かせたの?正直、僕は怒りを覚えた。どうやら怒りを覚えたのは僕だけではないらしく、漫画家・吉田戦車さんも『そこに作品に対する敬意はあるのか?』と怒りをあらわにしている。

   僕は家の設計をするのがお仕事なので、知り合いなどに『ちょっと間取り図を書いて』と簡単に言われることがある。なにやら間取り図などは無料が当たり前と思っているらしい。そんなことを言われると正直困る。というのも、『無料ではちょっと。。』とむげに断るとカドが起つし、『お金がかかるよ』というと『どんだけ大先生やねん!』と思われてしまう。だからと言って『3万でどう?』と言われても、こちらはそれで飯食べているのだし、それに3万だと普通に考えて2日で仕上げねば赤になる。だが知り合いも『責任まで持ってね』とは言っていないだろうが、妙な図面を書いてしまえば、世間様から僕はその程度の設計屋と思われ、その後の仕事に大きく影響しかねない。

   以前、とある町のゆるキャラを作る際に、『君、作ってみない?』と軽~く言われたことがある。僕はあくまで建築設計屋であり、キャラクターデザインの作り方はさっぱりわからない。それにゆるキャラを町が作ること自体、よい考えとも思えなかったので断った。その後、一般公募でだったと思うが、とある方のデザインが採用され、その町のゆるキャラが出来上がった。そのデザイン料は3万であったと聞く。それが高いか低いかは別として、その後、そのゆるキャラはちょっとだけ人気が出てテレビなどでちらほら見るようになった。キーホルダーやちょっとしたグッツは結構な人気があるようだ。もちろん著作権料は無料であり、町のPRに一役買っている。だが思うのだが、これではクリエーターは育つだろうか?僕は育たないと思うし、クリエイターになろうとしている人々を殺す行為だと思う。

   建築のことを言えば、設計屋はもちろん国家資格であり、また資格を取得ししたのちも、毎月高いお金をだして本を買い、それを熟読し自分の設計に役立てようと努力している。またいろんな建物を見て、それを感じ取り、自分のデザインに役立てようと感性を磨いている。ゆるキャラのデザインも同じことであろうと思う。それがプロのデザイナーかアマチュアかは関係はない。それに対して対価を払わず一儲けしている人々を見ると正直うんざりしてしまう。著作権料は実はそれほど高いものではない。なので少なくとも何か利益が出たら著作権料は払ってしかるべきだと思う。これがミ○キーさんだったらどうだろう?ミ○キーさんを怒らせたらすぐに弁護士が飛んでくると思う。だがミ○キーさんは間違えたことをしてるのだろうか?僕はミ○キーさんの姿勢があってしかるべきカタチだと思う。アメリカの著作権期間の引き延ばしはおかしいとは思うが。。

   やなせ氏は、『原稿料なしの。つまりですね、すごく軽く見られているんだよ』とコピーライターの糸井重里氏との対談でおっしゃっていた。やなせ氏もつらかっただろう。その対談を読んでつくづくその気持ちがわかり、僕は同情した。またそのボランティアでゆるキャラを作ったことを褒め称えている記事もあるのに驚いた。そこは褒めるところではなく、問題とせねばならないところでしょうが。。またデザイン料無料を批判した吉田戦車さんが逆に批判にされ、謝罪に追い込まれている。僕は吉田戦車さんは正しいことを言っただけだと思う。

   『あなたよりも大御所の、やなせさんも無料でやっているんだよ~』とつぶやく依頼者の顔が目に浮かんだ。

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デザイン料を払わないとデザイナーは育たない。
ちっぽけな国になると思うんだが。。

2013年10月18日金曜日

『ななつ星』で行こう!!

   ヨーロッパの長距離夜行列車として有名な『オリエント急行』の誕生のきっかけは、一人のベルギー青年の失恋から始まった。その青年は心の痛手を癒やすために米国へ旅行し、アメリカ大陸を突っ走る寝台列車に魅せられた。当時のアメリカは大陸横断鉄道が完成に近づき、鉄道が人々の関心を集めていた時期であり、まさに鉄道黄金時代の頃の事である。のちにそのベルギーの青年は『ヨーロッパ寝台車・大急行国際会社』を設立し、豪華列車であるオリエント急行を走らせる事となる。確か最初はパリ・イスタンブール間6日の旅だったとおぼえている。

   JR九州がはじめた『ななつ星』が注目を集めている。工業デザイナーである水戸岡鋭治氏がデザインの『ななつ星』は、客室14室に定員30名で、制作費は新幹線並みの30億円であるそうだ。九州をほぼ一周する三泊四日と、九州北部を巡る一泊二日のコースがあそうで、来年の六月出発分まで完売しているそうだ。よって僕の地元宮崎でも結構な騒ぎではある。値段は三泊四日の九州一周デラックス・スウィートがお一人で95万円(たしか。。)であり、安い部屋でも38万円(たしか。。)となっている。2月分の給料がぶっ飛ぶと考えれば僕などはお金が勿体ない気がするが、母親などは乗ってみたいと言っている。

   当たり前だがターゲットは時間とお金に余裕があるシニア層であり、若者向けではない。また福岡が起点という事は、海外の富裕層をターゲットにしているのは間違いないだろう。僕はこの取り組みは素晴らしい事だとは思う。以前から思っていたのだが、日本は富裕層が楽しむ場所が少ない。富裕層にお金を払って貰わねば経済がよくなるはずはないし、日本の富裕層が海外でばかりお金を使われるのは一庶民として面白い事ではない。なので流行って欲しいとは思っている。


近所の老人ホームではない。。
   だが今は注目されているこの『ななつ星』だが、これからもずっとうまくいくかと言えば、どうだろう。僕は九州の宮崎に住んでいるからか、九州一周の豪華夜行列車には格段魅力は感じない。九州モンがいつも見ている風景を走り、よく食べる料理を、高いお金を出して乗るかと言えば、乗らないだろう。それにそれ程九州自体がそれほど美しいかと言えば、僕には疑問符がつく。僕には九州の街並みは、他の地方のそれとは変わりばえはしないし、沿線には『イエス!鷹○クリニック!』的な看板が畑の真ん中にガッツリ建っていたりする。『ななつ星』の車体は美しいだろうが、そんな中をひた走るわけで、僕にはリピーターがつくとは考えづらい。

   今回の工業デザイナーである水戸岡鋭治氏は、多くのJR車両などを手がけてきたデザインの世界では有名なお方であるのは知っている。僕は福岡から宮崎に帰る電車などでそのデザインを見させて頂いた事がある。その車両は『何とかデザイン賞受賞作品』と車両内部にポスターが貼ってあった。だが僕にはその内装の色がケバケバしく、本当に賞とったのかと一緒に乗った友人と話をしたのを覚えている。デザインとは、好き嫌いでそのデザインの善し悪しを決めるのは間違いだというのは分る。だが、シートの色が目に痛く、僕にはなぜ賞をとれたのか理解はできなかった。まあ使い勝手が悪いとは思わなかったので、機能性という点では良いとは思ったが。。

   なので、正直今回の車両をデザインしたのが水戸岡さんと聞いた時は、正直またか。。感が僕にはあった。思うのだが、今回の車両を作るにあたりJRはデザインコンペなどはしたのであろうか?若手でも優秀な工業デザインナーは結構いる。もしデザインコンペをしていたら、もっと洗練された空間デザインができた気が僕にはしている。どうもその内装の和風がちと古くさく感じたし、またオリエント急行に程の格式は感じれない。外観はエエ感じだとは思っているが、もう少し若手にも光を当てるJRであって欲しいと思っている。

   とぼろくそ書きながら、いつかは乗るかもな。。とはぼんやり思っている。電車は嫌いではないからだ。まあ、名前が『いつつ星』とか、も少しマイルドになったりしたらだが。。

   青春18きっぷじゃ、乗れんだろな。。

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2013年10月17日木曜日

タンドリチキンとマンゴーピクルスと私

   今日の我が家はカレーライスである。よい年こいて言うのも何だが、カレーライスが一番大好きだ!小学校の頃などは、『明日はカレーよ』と母親に言われた翌日などは、秀吉の中国大返しのようにごっついスピードで家まで駆けたものだ。ナイスミドルとなった今でも、そのへんは成長はしていない。今日は知り合いの印刷屋に呼ばれ、ちょいとした頼まれ仕事(ボランティア)の商品デザインの打ち合わせをしていたのだが、『申し訳ないのですが、カレーがありますので。。』とさっさか印刷屋を出てアクセル吹かせて家路についた。だが困った事に、母親に『あんた風邪でしょ!』と一緒に食べるのを拒否されてしまった。最近僕は風邪気味なのである。婆さんに風邪がうつったらイカンからという理由で、事務所に隔離されてもうた。よって婆さんが寝るまではカレーを食べさせてはもらえない。。なので、はよ婆さん寝らんかな。。と思いながらブログを書いている。

   まだ僕がアメリカに住んでいた頃、大学の隣にはインド人が経営するインドカレー屋があった。お昼はビュッフェ方式(いわゆる食べ放題の事)で、4種類のカレーと、インド特有のバターライスやナン(薄い焼いたパンの事)、そしてタンドリチキンにマンゴーピクルスが5ドルで食べれた。これがどえりゃ~旨い!仕事と大学を辞めてインド人に弟子入りしようかと考えたほどだ。母親がアメリカに遊びに来た時にその店に連れて行った。母親はとてもその味に感動し、ナンを大量に日本に持って帰り、知り合いにお裾分けをしたと後で教えてくれた。よく税関で見つからなかったもんだ。。

   日本に帰って来た僕はそのインドカレーの味が忘れきれず、京都に住んでいる頃は自分でよく作ったものである。インド人が書いたレシピ本を手に入れ、ホールトマトを買う。そしてそれにガラムマサラやコリアンダーシードやターメリックなどのスパイスを入れ、生姜を削り、必死こいて探したマンゴーピクルスをちょいと福神漬けのように置いてよく友人らに振る舞ったものだ。僕には懐かしい味であったが、友人には本格的なインド料理は合わなかったようで、数日はポンポンがおかしかったようだ。それから改良を重ね今では日本人の舌にも合うカレーが作れるようになっている。エライもんである。

   タンドリチキンは大分日本でも浸透してきたと思うが、インド料理屋などで見る紅い骨付きチキンだ。骨なし肉でタンドリチキンと銘打って出しているスーパーなどがあるが、正確にはあれはタンドリティッカと呼ばれる別もんである。タンドリチキンの作り方は様々あるが、きる限り水分をとった取りの骨付き肉に、ヨーグルトと香辛料をまぜた液体に1日ほど寝かせ、そして香ばしく焼き上げる。ただそれだけである。なんならそのスパイスなどは外国食材品を取り扱うスーパーに行けば、タンドリチキンの香辛料が売ってあるので、あとはヨーグルトだけ手に入れればすぐに美味しく頂けると思う。パーティーなどで出せばもの凄く喜ばれるし、骨付き肉なのでそれ程お金がかかるわけではない。ホントおすすめである。

   タンドリチキンは結構日本人にも名前は浸透してきたが、マンゴーピクルスは全くと言ってよいほど知られていない。ましてやこの宮崎などはマンゴー王国なのでピクルスぐらい作ってもよいとは思うのだが、やはり誰も知らない。マンゴーピクルスの味はとても独特で、上手に説明は出来ないが、辛いぬか漬けといった感じであろうか。。あまりにも辛い(と言うよりは臭いがキツイ。。)ので、いきなり大きな塊を口に入れてはいけない。せめて2~3㎜角ぐらいをつまむようにして食べ、そしてカレーを飲む。そんな風に食べる。作り方は。。まあ、自分で調べよう!

   便利になったモンで、インターネットを調べるとマンゴーピクルスがAmazonで売っている。それに作り方まで書いてあるブログさえある。本当に僕が食べていたものと同じマンゴーピクルスになるかどうかは分らない。だが試して見る価値はありそうだ。今から10年前ぐらいはそれ程知られていなかったんだが、ホント良い時代になったものだ。まあ今度パーティーなどで作ってみようかねとは思っている。ポンポンがおかしくなったら、ごめんなさいだが。。

   って言うか。。婆さん、はよ寝らんかね。。

   嗚呼、カレー食いてぇ~


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2013年10月16日水曜日

それゆけ小娘、秋は短し!!

   少し前の事、知り合いの小娘(19歳)が電話してきた。京都に買い物に行くらしい。彼女はいわゆる歴女で、若いのに司馬遼太郎マニア。なんせ僕でさえ買ってはいない、週刊・司馬遼太郎を読んでいるイブシ銀なお嬢である。内容は、僕が以前京都に住んでいたので、おすすめの京都のショップを教えてくれとの事だった。なのでココとココは必ず行きなと教えてあげた。すると『モダンな着物探しているんだけど、良い店知らない?』と言ってきた。と言われても僕かて着物はほとんど着たことがないし、モダンと言われても着物のことはよく分らない。確か京都の三条通りと堀川四条に良いのがあったよなとは思ったが、なんせ僕が京都に住んでいたのは5年ほど前の事。既に街並みは変わっているのかも知れないのでよく分らない。ふと思い立ち、『ちょっと待ってて』と電話を切った。そして裏か表かどっちかの千家でお茶習っていて、今では良い友達である元カノ(歴女、伊達政宗の陣羽織を持っている。。)にメールした。すると『京都の着物は任せとき!』と返信して来たので、その元カノの電話番号を小娘に教えてあげた。元カノは普段着が着物なのである。

   最近では全く見ないが、僕が幼い頃などは親戚のおばさんらは僕の家で餅つきなどをする時などは、着物を着て手伝いに来てくれていたものだ。また僕のひい婆さんも普段着は着物であったし、僕の婆さんも昔は着物であった。むしろ洋服を着ているのが珍しいくらいであった記憶がある。最近は着物を日常的に着ている女性を見ることはない。だが京都にはまだいるにはいる。僕は以前京都に暮らしていた頃は、1日に最低1人くらいは和装の女性を見ていた。だが見ていたと言ってもその程度であり、京都の人々かて普段から着物を着て生活はしてはいない。やはり銭がかかるからであろうか。

   最近、じわりじわりと普段から着物を着る女性が増えてきているようである。僕の周りにはそんな女性はいないが、興味を持っている女性は多いらしく、そんな雑誌をちらほら見る。素晴らしい事ではある。やはり女性が着物を着ていると『かっけ~』と僕などは思ってしまう。また京都などは着物を着ていると、安くなる喫茶店などがあって、その観光に一役買っていると聞く。

   すっかり忘れていたのだが、おやつの時間どきに小娘からメールが来た。僕の家の近くのカフェに来てるから遊びに来いとある。ああエエよ~と、その喫茶店に行ったら彼女は着物であった。よく見ると明るく染めていたその髪も黒に染め直していやがる。馬子にも衣装とはよく言ったもので、小娘はすっかり淑女になっていた。そしてその着物はエエ感じのモダンな柄で、頭にはモガ(モダンガールの略称)が被っているような帽子をかぶっていた。話によると元カノがコーディネートしたらしい。小娘は『ハイ、京都のお土産~』と八つ橋をくれた。だがかなり気まずい。そのカフェにはお客さんが結構いて、『モガじゃ~』みたいな視線がキツイし、ビシッとUNIQLOを着こなした僕には今日の小娘は眩しすぎる。よって30分もせんと仕事に戻るからと店を後にした。

   店の外に出てふと思った。この小娘は隣町に住んでいて車は持っていない。『あんたココまでどうやって来たん?』と聞くと『カブで♡』とあっさり答えた。『へっ。。カブってあのHONDAの?』と聞くと『そうだよ~』と小娘は言った。『おいおい、裾がハダけて股ぐらパッカパカになるんじゃねぇ?』と小娘に聞くと、『ほら♡』と裾をめくった。ビビリながら股ぐらを見ると、小娘はお父さんの股引をはいていた。小娘が言うには元カノが教えたらしい。。その後、小娘は国道10号線をカブに乗って去って行った。さぞかし対向車線を走る人々はびびったであろう。。

   すぐに元カノにメールした。

   『股引ではなく袴(はかま)でしょうが!』

   すると元カノは

   『だってその方が殿方は好きでしょ♡』

   と返してきた。

   う~ん。。君は正しい事を言っている。。

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2013年10月15日火曜日

『建築模型で小遣い稼ぎ』について

   僕は設計の世界に入ってまず最初のお仕事は、模型作りであった。まだ20代の頃、とある京都の設計事務所の模型作りのアルバイト募集という謳い文句に騙されたからである。アルバイトとは名ばかりの、1円も出ないボランティアであった。まあ設計の世界ではよくある事で、若いモンにはいくら働いてもお金などは出はしないし、払うつもりもさらさらない。勉強させてあげるという名目で人をこき使うのである。最初に作った模型は横浜市にある老人ホームの模型。とはいえ、90度の壁を作る方法と、カッターを直角に入れる方法以外は、だ~れも教えてくれない。まだ図面の読み方もさっぱり分らない頃なので、非常に苦労したのを覚えている。そしてその白いスチレンボード(発泡スチロールに紙を貼ったもの)にカッターを入れ10日程かけて作った模型は、社長である大先生の『う~ん、おもろないわ。。』の一言でボツになりまた作り直させられた。お試しで模型であったわけだ。。


   現在、建築の世界では3D図は当たり前となってきた。工務店やハウスメーカーでさえ3D図を作ってお客さんにプレゼンをする。やはり競争の世界なので、他社がやっていたらせなイカンという事だろう。だがそのデザインが売りである設計事務所などでは3Dも作るが、3Dはあくまで図面集の表紙的な『絵』として捉えているところが多いようだ。というのも3Dはお客さんの目を引くのは確かだが、やはり出来上がりとは質感の違いやボリュームの違いがでやすいし、その太陽光の加減でも見栄えは違ってくる。なので設計事務所の場合は大抵の場合模型を作る事が多い気がする。

   と言っても作る模型はプレゼン用であり、また設計する者のためにあである。決してお客さんである施主さんにプレゼントするための模型ではない。なので別にこった作りの物ではなく、スチレンボードが足りなくなったので、『愛媛みかん』と書いてある段ボールを使った事すらある。いわゆるスタディー模型と呼ばれる物である。スタディー模型とは設計を行う際にボリューム感や周辺の家々との兼ね合いを確認するための簡易的な模型の事だ。大建築家と呼ばれる人々でも、頭の中で考えていた空間を実際に作ると想像していたカタチと異なる事がよくある。なので模型を作る事でその空間的な間違いを修正すために作る。また3Dをプリントアウトした2Dの図面よりも説明がし安く、またがんばった感があるので家主さんにもお見せしたり、それを写真に取り込んでプレゼンをしたりする。通常は白いスチレンボードを使い、格段色は塗らない。というのも、色が塗ってあると一般の方々はそちらの方に目が行きやすく、結局はボリューム感などの判断が難しいからである。


   今日の夕方、とある知り合いの方に図面チェックを依頼され合ってきた。大手のハウスメーカーさんとプランを練っているのだが、第三者としての意見が欲しいという事である。さすがハウスメーカーさん、素敵なキラキラとした3Dを作ってらっしゃった。ハウスメーカーさんには3Dを作る専門の職員がいるので出来る仕事ではある。『実際はどんな感じでしょうか?』と奥さんに聞かれたので『模型を作るとすぐ分る』と答えた。相手がハウスメーカーさんだが、同業者の立場、図面や3Dを書く苦労はよく分る。よってむげに否定はできないからだ。その後雑談となり、奥さんが、『よく新聞で建築模型士講座みたいなのやっているけど、あれってどうなんですか?』と言われた。

   よく新聞で『建築模型士講座を通信教育で!』みたいな募集をやっている。調べてみると、自宅で3万から6万は稼げるみたいなことが書いてある。まあ確かにスタディー模型ではなく、本物の気合いが入った模型であれば、材料代や諸経費、それに作業量に対して時給換算すればそのくらいは安い物だ。だが需要は限りなく少ないと言えるだろう。僕が住む宮崎で自宅で模型を作って稼いでいる主婦がいるかと言えば、まずいない気がする。まず設計事務所自体が本気の模型を外注するほど儲かる仕事ではないし、ハウスメーカーさんや工務店で模型を作る事自体の発想はまずない。あるとすればマンションの展示会場の模型であったり、博物館などの模型であったりする。だがそれらは大手の模型屋が作る100万以上のアクリルの模型であり、主婦が片手間で作れるほどの模型ではないし、そんな設備を持つ主婦はまずいないであろう。ただ、この通信教育は人を騙しているという人もいるが、この通信教育は5万ちょいぐらいの金額であり、模型を作る楽しみを覚えるという感覚なら良いかも知れないとは思う。通信教育を終了し、設計事務所などにスタディー模型を作らせて下さいと営業すれば、少しは作らせてくれるかも知れないが、どうだろう。。

   僕が勤めていた京都の設計事務所の大先生は、とある京都の良い香りのする女子短大で建築についての講義をやっていて、僕はその助手をやっていた時期がある。大先生がお話しし、僕は主にEnterを押すのがお仕事だ。ある日、大先生が北海道に行ってしまったため、僕が教えるハメになった。しょうがないので、その日は模型と建築についての講義をしてあげた。僕が作った『愛媛みかん』葺きの屋根がキラリと光っていた。


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今なら戸建てだと5千円もあれば
自分で模型はつくれます。

2013年10月11日金曜日

美しい街を作る話

   かつての日本は美しかった。幕末に日本を訪れたタウンゼント・ハリスや、明治期に世界に向けて日本を発信した小泉八雲、また多くの外国人が日本の清潔で美しい田園風景や町並みを日記や手紙に書いている。だが現代に生きる僕らからして、そのような美しく清潔な町並みを見つけることは決して容易な事ではない。一部の建築家と呼ばれる方々が、時代の最先端を走っているという自己本位のデザインを強調し景観を台無しにしているのは間違いないし、ハウスメーカーは日本全国同じ建物を作ることによりその仕事が成り立っている。また地域の景観を担うべき地方の工務店には景観美を守るという観念は皆無に等しく、行政も景観をどうにかしたいと思ってはいるようだが、今だ本腰を入れているとは言いがたい。

   奈良時代の歌人である山部赤人が、『田子の浦に、うち出でてみれば白妙の、富士の高嶺に雪は降りつつ』と呼んだ田子の浦から富士山を眺めると、煙突や煙、工場の塀に広告だらけだ。また京都にバスで降り立てば、日本の代表である古都京都の駅ビルの大きさに驚愕するであろう。また、その街並みは京都以外の人々が思うほど京都ではないのは確かだ。また国立公園などに行けば、山の上には送電線が幾重にも走っており、それらを意図的に見ないような努力をしなくてはその景色を楽しめはしない。すこし良さげなリゾート地域に行けばホワイトハウスのような家や、カレーマルシェのような地中海風の家が建っている。それらを見る度に僕はセンスを疑ってしまう。

   先ほどかつての日本は美しかったと書いた。だが昔の日本人が景観を美しくしようと努力して町並みが美しくしたかと言えばそうではない気がする。富士見坂と呼ばれる坂がある。今は富士山は見えないので有名だが、現代の東京にはそのような坂が残っている。実は東京の街路の多くは、江戸時代から街路の延長線上に富士山を眺望できるように作られていた。では当時の人々が富士山の景観を楽しむためだけに、このような街路を作ったかとえば違うだろう。当時はもちろん車もないので交通の便などの問題はそれほど考える必要は無かっただろうし、建物もお侍に怒られるので大きい物は作れなかった。当時、お侍もおらず現代のような高度の建築的な技術を持っていたら、やはり現代のような富士山が見えない富士見坂となっていた気がしている。


   日本の景観が著しく悪化したのは戦後のことである。戦後の経済成長第一主義、効率優先、機能優先主義の考えが基本となっている。現代以前は文化人などがそのパトロンである有力者などに意見を具申し、その有力者が町並みの基準を作り上げていた。なので町並みが美しければその有力者の評判も上がるという仕組みが出来上がっていたわけで、それなりの景観美が担保されていたのだと思う。

   戦前の都市計画法の中には美観地区制度というものがあった。戦後の日本は法改正を繰り返し、この制度を骨抜きしてきた。そして景観の観念がない建築基準法や都市計画法の策定も景観劣化に手を貸してきたと言って良い。経済が悪くなる度に法改正を繰り返し、その度に建物の高層化が進んだのは有名だ。欧米などが美しく見えるのは、早くから歴史的な建築や景観保護の法律が制定され、所有権に対する規制が入っているからである。またその景観に対する意識は非常に高く、建築は単なる財産権の行使ではなく、景観に影響を及ぼす公的な行為であるという考えが浸透している。日本に景観法ができたのは2004年の事である。欧米と比べ遅すぎる。よって景観への意識はまだ建築業界はもとより、一般の市民には浸透はしてはいないのが現状ではあるとは思う。

   以前、民主党が『コンクリートから人へ』という事を提唱した。僕はこの考えが嫌いである。コンクリートとは公共工事の事だと思うのだが、公共工事とは将来の日本人への投資だ。投資を辞めて現代へ生きる人々へお金を入れるだけでは、将来の日本人へ申し訳ない。だからといってコンクリートが良いとは全く思わない。建設や土木業界を食べさせるだけの公共工事ではなく、将来の日本人へ誇れる国にするための公共投資であって欲しいと思っている。


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2013年10月10日木曜日

家を安く 価格の見える家づくり 分離発注方式

   昨日書いたように、戸建て住宅を建てる場合の分離発注方式とは、工事全体をまとめてハウスメーカーや工務店に頼む一括発注方式ではなく、大工さんや建具屋さんや板金屋などのような実際に工事を行う専門業者に、依頼者が直接頼んで建設する手法だ。CM(Construction Management)分離発注方式とも言う。通常ハウスメーカーや工務店の場合、図面が出来上がると下請け業者である内装屋や左官屋などから見積もりをとる。そしてその上がってきた見積もりに一定の割合をかけて見積もりを作る。この一定の割合がHMや工務店の儲けであり、営業さんや設計料金や現場管理料(いわゆる現場監督の給料)、そして何か問題があった場合の保証料金も含まれる。分離発注方式の場合、その一定の割合を省くことにより家を安く作るのがメリットである。だが家とは誰かがスムーズに工事が進むよう音頭をとる必要がある。では誰がやるかと言えば基本は家主本人である。

   と言われても一般の方々は建物の建て方の知識があるわけではない。ではどうするかと言えば、設計事務所が家主をサポートするカタチが多いようだ。なので分離発注方式を採用する場合、設計事務所の通常業務である設計・監理に加え、CM契約をするのが一般的である。このCM契約により設計事務所が依頼主をサポートし、どの専門業者にどのタイミングでどのような順番で現場に入ってもらうかなど各専門業者のとりまとめや調整を行う事となる。もちろん保険などの加入などもその時に設計事務所から説明を受けることとなる。

   一般的に言われる事だが、一括発注方式とは違い、各専門業者に分離して発注するわけで、責任の所在が曖昧になる危険性がつきまとう。なので分離一括方式の場合は通常の契約とは違い、独自の契約をとるスタイルが多いようだ。例えば、戸建て住宅などの工事とは、基礎が終わると木工事、そして屋根工事へと。。のようなリレー作業である。工事中に後から入る業者が前の工事結果を見て問題がある場合は、すぐに申し出をする義務を持ち、前の業者に無償で是正させるという契約になっていたりするようである。また万一のための専門の補償も既にあり、依頼主が困らないように整えてあるようではある。

   また請け負う設計事務所の人間がどれほど現場の流れに慣れているのか、または、CM自体のサポートに精通しているのかも重要だ。だがそのノウハウを教えている業者は既にあるようで、皆さんそこでよく勉強をされているようではある。だが結局は人が家を作るわけで、請け負う設計事務所の力量がとても問われる事となるとだろう。また通常設計事務所で家を作る場合は、設計事務所が図面を作り、値段で勝った工務店が現場管理をし、設計事務所が設計監理(図面通り作っているか第三者としてのチェック作業)をするのだが、分離発注の場合は直接発注方式と違い、実質上依頼者が現場監督となるわけで、設計事務所が動くウェイトがとても大きい。よって、第三者としての設計事務所でいれるのかはとても疑問が残ると僕は思っている。


   また分離発注方式の場合は家主が相当動かなくてはならない。契約だけでも通常1社とするところを20社ほどとせねばならず、依頼者に相当な時間的な手間がかかるのはやむを得ない。また現場を仕切る工務店を外すわけであり、流れがスムーズに行かず工期が長くなるだろう事は予想される。また分離発注方式に慣れていない業者も多く、その選定だけでも結構な時間がとられるだろう。

   だがあり合わせの図面とカタログで家を買うという意識の方には向かないだろうが、一生に一度の事であるので、自分も家造りに参加したい、自分の家を徹底的に知りたいという方々には向いている方式かも知れない。また建材を直接家主が仕入れる事も可能ではあるし、すでに分離発注方式に向いたフラット35もある。また、それ専用の補償もあるしサポートする業者もいる。それに家自体が安く出来上がるのは確かだろう。

   経験した事がある方はよく分るだろうが、家造りにはもの凄いエネルギーが必要である。明らかに一括発注方式の方が楽ではある。だが『値段が見える家づくり』をするにはこの分離発注方式意外にはありえないとは思っている。

   以前は日本でも分割方式が結構な割合であった。だが昔から日本は建築家が家を作るという慣習はなく、大工の棟梁が家を建てるという意識が強かった事、またその責任の曖昧さや家主の負担が大きいなどの理由で廃れたのだろうと思う。

   最近、設計の人間と話すとポツリポツリとこの方式の話題が出る。どうやら皆興味はあるらしい。また知り合いの非工務店所属の一人大工もこの方式に興味を持っているようで、色々僕に聞いてくる。工務店やハウスメーカーにもよるが、彼らは『この家の大工工事はいくらでお願いね』と言われ家を作らせられる。彼らは見積もりを出して競うのはかまわないが、これだと給料を叩かれるだけなので嫌なようだ。分離発注方式だと、下請けではなく元請けになるので自分の名前が上がるからやりたいと言っていた。

   これから欧米のようにこの方式が主流になるのかは分らない。だが一つの選択肢としての分離発注方式だとは思っている。

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昨日と同じ漫画です。
http://www.iehito.co.jp/comics/book.html

2013年10月9日水曜日

価格が見える家づくり 分離発注方式

   僕がアメリカに住んでいた頃、僕の上司が家を建てた。その当時の僕は建築設計の仕事をいづれ携わるとは夢にも思っていなかったので、新築のパーティーに呼ばれた時などは単にわーきゃー言っていただけだ。その家は実にこだわっていて実に美しく、僕の同僚などは上司に建築家の名前や聞いていた。すると上司が『彼もパーティーに来るよ』と言った。人生で初めて見た建築家は笑顔が爽やかな方であった。彼が来ると同僚などが、『どうしてこんなプランなの?』などと聞いている。その後、僕はその建築家の方とお話させて頂いた。僕が日本人だと聞くと彼は日本の建築事情について聞いてきた。日本の建築家のこと、そして日本はどんな流れで家づくりをしていくのか?そんな事を聞かれた。だが当時僕はあくまで駆け出しの記者であり、建築に対してはズブの素人。また家を作るなど考えた事はないし、興味もないので日本の建築家については1人も知らない。だが日本で家を作るなら”might be Home Builder(工務店の事) or House Maker" じゃね?と答えた。

   すると日本勤務が長がく、日本で中古住宅をリフォームして暮らしていた僕の上司が話に乗ってきた。『日本は工務店かハウスメーカーが普通だね』と彼は言った。すると建築家が不思議なな顔をした。『工務店とかハウスメーカーって多いの?値段が高くなるじゃん?』と僕に向かって聞いてきた。だが僕はそんな事を聞かれても"really?"としか答えられない。すると上司が『アメリカやヨーロッパは日本と違い、工務店やハウスメーカーで新築を作ることは少ない』と教えてくれた。言われてみれば、確かに僕はアメリカに7年住んでいたが、工務店とかハウスメーカーの店舗は1度も見た事がない。

   日本で家を作る場合、頼む相手はハウスメーカーさん、工務店さん、または設計事務所。まあこの3つであろう。ハウスメーカーの場合、大抵は家主はその展示会場へ行き、自分の理想の家を作ってくれるハウスメーカーはどこか物色して、それからご相談となる。それから営業さんと間取りを決め、見積金額を持って来てもらい契約が終われば着工となる。工務店の場合は、今まで作った家を見たり評判を聞いたりして間取りを叩き上げ、そして見積もりを作り着工。設計事務所の場合は、まず相談を受け、基本設計で間取りを決めたり模型を作ったりし、実際に入れる住宅機器を一緒に見たりしてそれを詳細図面に反映させ、そして数社の工務店さんに見積もり依頼し家を作っていく。まあ大体このような流れだ。これらを通常、一括発注方式という。


   だが欧米の場合は日本のような一括発注方式は少ない。新築を作る場合、ハウスメーカーや工務店には行かず、設計事務所にご相談という場合が多い。そこでまず基本設計を作り上げ、そして詳細設計を作り上げる。ここまで日本の設計事務所と流れは同じだ。だがここからが違う。先ほども書いたが日本の設計事務所の場合は価格競争を工務店にして頂き、その工務店が作った見積もりをもって工事契約となる。その工務店の見積もりの中には、その下請け業者である左官さんや建具屋さんが、元請けである工務店に提出した金額に一定の割合をのせて提出している。それが工務店さんの儲けである。だがアメリカの場合は、その元請けとなる工務店がいない。つまり大工工事の見積もり、左官さんの見積もり、そして建具屋さんの見積もりが直接家主に来る。つまり中間の儲けをなくして安く作るという事である。この方式を分離発注方式という。

   分離発注の大きなメリットとして中間マージンがかからないという事である。直接見積もりが各専門家から来るわけで、またその専門家に相見積もりをかけるからなおさら安くなるのは確かである。つまり『価格が見える』というのが大きなポイントだ。また設計事務所が本気を出せるのも分離発注の大きな特徴かも知れない。

   現在、日本では一括発注が主流ではあるが、だが少し前までは決してそうではなく、結構な割合で分離発注であった。大工さんや職人さんらには直接家主が日当を払っていたからだ。ではなぜその方式が日本で廃れたのか?色んな理由がある。またそれは長くなるので、明日にでも書こうと思う。

   分離発注にはもちろん大きなメリットもあるが、デメリットもある。だがそのデメリットを解消する仕組みも最近は出来上がってきたようである。これから日本は分離発注が増えていくかは分らない。だがこの分離発注は確実に伸びてくると仲間の設計屋とは話をしている。

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参考までに分りやすい漫画を貼っておきます。
http://www.iehito.co.jp/comics/book.html

2013年10月8日火曜日

嗚呼、思い出の京都迎賓館

   まだ僕が京都の建築専門学校の夜間設計科に通っていた頃、京都市にある京都御所、正式には京都御苑(ぎょえん)の敷地内に、国立京都迎賓館が開館した。2005年の春うららの頃の事である。さすがに昼の部の生徒と違い夜間の生徒は年齢層が高く、建築に対する意識は高い。将来のために必死だからである。なので設計科の生徒は色めき立った。迎賓館などもちろん、それ程頻繁に作られる物ではないし、それに京都御苑からは目と鼻の先だからだ。もちろん京都の建設業の人間だけではなく、多くの建築関連業者が注目したらしく、建築系月刊誌などはほぼ全て京都迎賓館の特集をやっていた。

   『行きたいですね~』とむっつりスケベのK君がぼそりと言った。彼はむっつりだがクラスの中ではひときわ建築に対する思いが強い。だが常識的に考えて簡単に入れてくれるとは思えない。総理大臣や天皇陛下が利用する迎賓館である。焼き肉屋の晩餐館とはワケが違うのである。

   製図の時間にふと思い立ち、製図の担当である今は世界的建築家(上海万博のスペイン館を設計したスゲー人)の先生に聞いてみた。すると『意外と館長さんに直訴すると入れてくれるかもしれないよ』とアドバイス下さった。『なるほど、その手があったか!』と手を叩き、すぐさま仲間を集めた。さすがに2人で行ってもケンモホロロになると思ったからである。

   決行当日、京都御苑の前に集まった同志5人はそそくさと迎賓館へ向かう。入口付近まで行くと、迎賓館に勤めているであろう美人職員さんがいらした。だが僕らはそろいに揃って貧乏建築学生、見た目がこぎれいだとは言いがたい。ジーンズは皆破れているし、僕のNマークの靴からは親指がこんにちわしている。だがこういう事もあろうかと、建築学校の昼の部の若くて美しい女性を連れて来ていたので彼女に交渉してもらい、僕らは遠くからそれを見守った。だがあっさり彼女は断られてしまった。交渉したのが男子生徒だと『そこを何とかと押し通せ!』とは言えるだろうが、若い姉さん『ダメでした~♡』と明るく言われたら男共は『そうだよね~』と言うしかない。。まったくケンモホロロである。


   だが、『ここまで来たんだからせめて覗きたい!』とむっつりスケベのK君が言った。と言われてもさすがに迎賓館の周りには高さ1.5間(2.7mぐらい)の塀があり、はしごでもなければ覗くことが出来ない。だがK君は言った。『木に登ればいいんじゃね?』京都迎賓館の周りには、名前は知らないが何やらでかい木が沢山ある。そこに登れば確かに迎賓館はのぞき見ることは出来そうではある。気持ちは分るがここは京都御苑の中である、さすがにそれはイカンだろと止めるのだが、K君は行きたいと言い木に手をかけた。すると背後から『君ら、ちょっと良いかな』と声をかけられた。ふと見ると濃い緑色の制服。。皇宮警察さまである。。どうやら身なりがあまりにも貧相な服をしていたせいか過激派かと目が疑っている。。

   がっつり職務質問を受け、素直に反省した僕らは御苑近くの『餃子の王将』に入った。迎賓館に行ったつもりが、たどり着いたのが餃子の王将とは実に悲しい。。餃子を食べながら、やっぱり偉くならんとアカンの~と皆でぼやいた。だが昼の部の姉さんがぼそりと言った。一般公開があるらしいですよ~。。はよ言わんかい姉さん。。

   その年の初夏であったか一般公開があるとの知らせを建築専門学校から頂いた。『キターー』とばかりに仲間と勇み立つ。応募は一人一枚とあるので、僕は一族郎党を含めた計8枚ほど出させて頂いた。だが落ちた。。聞くところによると倍率29倍の狭き門。。仲間も全員落ちた。。やっぱり偉くなろうと思った。。

   建築仲間からすれば京都の迎賓館はそれほど評判が良い建物とは言えない。和風に作っているが本当は鉄筋コンクリート造りである。そしてもう少しこだわった方が良いという職人らは多い。少なく見積もっても100年以上は使うであろうこの建物に、もう少し手間をかけるべきだと皆声を揃えて言っている。和の建築を極めようとすれば、どうしても手間がかかる。なので予算を抑えるという事は、どこかで手を抜かねばならないのはしょうがない。だが国かて銭がないのでしょうがない。

   京都御苑はさすがに長い歴史があるだけに一見の価値のある場所であり、京都に敢行で必ずよった方が良い場所です。そして御苑の敷地内には京都迎賓館があり、そこは偉くなったりしたら入れると思います。美人職員が今いるかはもちろん知りません。


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2013年10月7日月曜日

スモールハウスは賢く作ろう!

   以前にも書いたが、スモールハウスとは3坪から大きくても10坪の家である。坪数が小さいという事は家を作る際にかかるコストは通常の家と比べて格段下がる(坪単価は下がることはなく、上がるので注意 ! )それは躯体工事はもちろん、基礎などに使うコンクリート量も少ないし、屋根なども小さいので工事日数がかからないからだ。また窓などにも贅沢な物を使えるし、断熱材も良い物も使える。賃貸の住宅やアパートなどは長年住んだとしても自分の資産にはならない。だがスモールハウスは自分の財産になり得る。しかしながらだ。スモールハウスにももちろんデメリットはある。デメリットをあげるとすれば、物が入らない事。また内部がその家主の家財や生活道具のためごちゃごちゃなりやすいという事だろう。遮離(だんしゃり)という考えを以前も書いた。つまり余計な物は買い込まないという事である。この考えはスモールハウスに住む上でとても重要である。だが最低限度の物を入れればどうしても室面積が小さいためごちゃごちゃ見えてしまう。だがこの問題を防ぐ方法は実はある。

   一番手っ取り早いのが収納で隠すという事だろう。以前ビフォーアフターという番組が流行っていた。僕が設計の世界に入った頃なので約10年ほど前だろうか。僕はこの番組には少し批判的ではある。だがピアノの音楽に乗せて道の真ん中を歩く匠さまらが頭をひねって考えた収納は、やはり物が良く入り秀悦である。スモールハウスはいかに収納を生かすかにかかっていると言っても過言ではないだろう。僕らのような設計屋がスモールハウスを作る場合は、ミリ単位で収納を作り上げていく。通常大きさの家とは違い、『収納(2畳)』というワケにはいけないからだ。またスモールハウスを高床で作った場合は、床下に物置小屋を作るのも1つの手だとは思う。

   だが全てを収納にすれば良いと言う物ではない。やはり日常生活で使う食器などの生活道具は置きたいものだと思う。だが棚などに物を置くという事は人の目にさらす事であり、ごちゃごちゃ見えてしまいがちだ。おしゃれなレストランなどに行くと、食器が美しくディスプレイされている事がある。だがそれが不快に思わないのは何故か?それは色をコーディネートしているからである。


   色をコーディネートする手法の中で代表的なものの中に、メインカラー、ベースカラー、そしてアクセントカラーというものがある。比率で言えば前者から25%、70%、5%ぐらいであろうか。上記の写真の場合メインがグリーンで、ベースがホワイト、そしてアクセントがメインカラーの色素の反対である青紫の彩度と明度を落とし整えている。そしてこの写真の場合はトーンの調整も図ってあり統一感が出ているのが分ると思う。だが上記の色の比率はとても重要でこれらが崩れると室内が散らかって感じるので注意が必要だと思う。そしてこれらの細かい色の調整はやはり壁紙では難しく塗装をお勧めする。だが工務店などは嫌がるだろうと思う。なぜなら下地がボードなどであるから亀裂が出やすいし、塗装は経年劣化で粉を吹くのでクレームとなりやすいからだ。だが最近のペンキメーカーはコンピュータ制御で色を作ってくれたりする。問題起きたら自分で塗り返せば良い。

   僕の考えでは、多くの人々はスモールハウスを建てたとしても、その家には一生は住まないだろうと思う。結婚などして子供が生まれたりしたらやはりスモールハウスでは手狭であるからだ。なので売る事も考えて作らなくてはならないと思う。日本の不動産売買は築年数から売り値を割り出すと聞く。だが個人売買は可能であり、おしゃれに使い勝手が良く設計すれば買値で以上で売れる事だって十分あり得る。これらの手法を使えば良いスモールハウスが出来るのではないかと最近考えている。

   今僕は、このスモールハウスで少し動こうとしてます。というのも依頼や相談が、宮崎の方々からではなく関東や関西あたりから来るので、さすがに無理だとお断わりしてました。ですがありがたい事に、知り合いの東京や大阪の工務店さんらが『手伝うよ』と声をかけて下さりだりました。よって、関東と関西、そして大分と宮崎辺りで作る事が可能となりそうです。その時はお声をおかけ頂けるとありがたいです。

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