2013年3月31日日曜日

デザイナーズ犬小屋

   以前僕がまだ中学生の頃だったか、アメリカの政治家か高官だったか忘れたが、日本の家を見て 『まるでウサギ小屋だ』 と言って物議をかもしたことがある。当時、頭に来た僕は英語教師として来日していたアメリカ人教師に攘夷 (カンチョウの事です。。) をかまそうかと思ったりしたが、周りに国際問題になると止められた。だがその後、アメリカで生活し帰国して日本の家々を見て感じたのは、 『まるでウサギ小屋だ』 だった。。多くの人々は家の大きさがアメリカのと比べ日本のは小さいから "ウサギ小屋" と言われたと思っていたようだが、実は違う。実際アメリカの一般的な家は日本の家とほぼ同じぐらいの広さだ。もちろん豪邸は違うのだが。。アメリカ人から見ると (たぶん。。) 日本の家はメンテナンスなどはされてないので、サビやペンキの剥がれがどうしても目立だってしまう。欧米の家々はペンキを塗る文化があるので、数年に1度は必ずペンキを塗り直す。塗り直さないのは "ウサギ小屋" ぐらいだ。だから 『まるでウサギ小屋』 となる。僕の4.5帖の事務所の前で煙草をふかしながら、では日本人にとっての "ウサギ小屋" は何になるんだろう考えていたら、目の前にあった。。犬小屋だ。。

開きます。
   僕は仕事で、耐震診断や住宅改修の仕事をする機会が多い。よって色んなお宅へお邪魔するのだが、犬を飼っているお宅が多い。そして多くの家々にはたいていは同じ大きさ犬小屋がぽつりとおいてある。失礼を承知で言えば、その多くはとても綺麗とは言いがたい。また大抵は鎖につながれた犬が常にそこにいるため、犬小屋の全面の地盤はえぐられているし、どうもそこだけは掃除をした形跡すらないのでフンだらけ。そんなお宅が多い気がする。どんなに庭に花を生けようとも芝生をはろうとも、どうやら犬小屋だけは手入れをしないし、美しくする必要もないと思っているようだ。というより頭の中でそこは見てはイカンものと決めているような気さえする。

   これでは僕は面白く無い。犬は家族同然の家庭が多いと思う。なのでもう少し考えて見ませんか?と設計の一番最初の計画の段階で提案している。僕がいつも考える犬小屋は、外壁に面するように犬用のスペースを設けるというもの。もちろん普通の部室とする必要もないので屋根と風よけの壁さえあればよい。もちろん水洗いも出来るように設定しておけばフンの臭いもしないし、ウッドデッキのような床上に犬部屋を配置し、そしてドックランのスペースを見せるデザインとして設計しておけば、快適な犬様のお家となるし、お客がきてもステキと思うはずだ。それにその方が庭に犬小屋がなくなる分、そのスペースを有効活用だってできると思う。

   また室内で小さな犬を飼う場合、鳥かごのような鉄の柵に入れているところが多い。だがどうも惨めだ。世の中には同じような事を考えている人がいるらしく、ネット上には色んな犬小屋があったりする。またデザイン屋や知り合いの設計屋に頼めば、数万ぐらいできっといいカタチの小さい犬用の柵ぐらい喜んで作ってくれるはずだ。きっと彼らも気合いを入れてデザインしてくれると思う。というのも、とても創作意欲がでる内容のお仕事だからだ。だって犬小屋を発注する人などいないから。。

   設計のお仕事は決して家のカタチを決めれば良いというものではない。庭についてもある程度は考えておかねばならない。なぜなら庭は室内から見えるものだからだ。窓のから見る庭に、ぽつりとある犬小屋とえさ箱ほど寂しいものはない。そんな事を毎度の事ながら思う。

   まあ、そんなこと言っても、我が事務所の前には、おんぼろ犬小屋があるんだが。。

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2013年3月30日土曜日

田の神さぁ~泥棒

   最近、外で作業などしていると、ずいぶん暖かくなったなぁ~と感じる。すっかりカエルがぴょんぴょん跳んでいるし、今日などは、ふと庭先でミミズが早くも干からびかけていたので、良い子の僕は助けてあげた。周りの大人達はそろそろ田植えの準備せなイカンと言っている。僕の地元には田んぼの神様などの石像があちこちに建っている。中には何を祭っているのか近所の婆さんでさえ知らないものも多い。だがとりあえず拝んではる。良い子の僕も、まあ縁起もんだろうととりあえず拝んでいる。僕は昔から苔むす石像が好きだ。道ばたに昔からその場所にずっとその石像があると思うだけで少し嬉しくなる。そんな石像好きな僕が昔から興味をそそる石像がある。名前は 『田の神さぁ~』 という。主に九州南部で見られる石像らしいのだが、宮崎県はえびの市にある田の神さぁ~は独特だ。見た目はどっかの半島の神様のような感じだが、もちろんパクって来たわけではない。仮にどっかの半島からえらい昔にパクって来たとしたら、今頃半島の方々がこっそり盗んで帰り、向こうの方々がマスコット人形を持参して 『友好をはかるニダ』 と来ていたはずだ。なぜ僕がこの石像に興味があるかと言えば 『オットイ田の神さぁ~』 という習慣があったからだ。

   『オットイ田の神さぁ~』のオットルとは、『取る』がなまって盗むのこという方言で、オットイ田の神とは盗まれた田の神の事、または田の神を盗むことを言う。豊作の続く地区の田のご神像を田んぼに置くと米が豊作になるというので、よその田の神像を盗んでたというものだ。また、田を新しく開いたばかりの地域は、もちろん神様などはいない。よってどっかの半島の方々のように石像を盗みに行くそうだ。実際には借りていたようで、地域にもよるが数年たつと返却してたようだ。返却する際は正装した行列が派手に楽器を鳴らしながら他の神様を送り出し、盗まれた村では、村境まで迎えに行って合同で大きな酒盛りを開いたと言われている。

   だが、そんな礼儀正しい人々ばかりではないだろう。盗んだ神様は俺がもんという人々も多かったようで、盗まれないように大きな石像の田の神さまが作られたり、家の納屋の奧に隠していたりもしたようだ。実際僕が幼い頃などは、宮崎県民なら誰でも知っているテレビ 『さんさんサタデー』 という番組(高橋巨典アナ大活躍 ! )で盗んで隠している田の神さまを放送していた。そんな番組を見ながら、良い子の僕は、大人になったら絶対盗んでやる ! と心に誓ってた。

   調べてみたら、田の神さまを石に刻んでつくり豊作を祈願する風習は、旧薩摩藩領内で18世紀初めに始まった独特の文化だそうだ。宮崎県えびの市は旧薩摩藩領内にあたるためそんな石像が多いようだ。また田の神さまはとても温厚な神様らしく、絶対にたたらない神様とも言われている。神無月 (たしか10月。。) になれば日本中の神様が出雲に集まってどっかの国の中央委員会のようなもんを開くのだが、そんな周りの神様が忙しい時も地元で留守居役をされているようで、毎日田んぼを見守ってくれていると言われている。

   農村のあぜ道に立っていて、ただ田んぼと農作業の日常を見守り続けてきた庶民的な神様は、現在は盗まれないようにか、コンクリートの台座の上に祭られている。その表情はユーモラスでく、僕のようやさしい顔をしている。

   だが思うんだ。.

   コンクリじゃ盗めんじゃなか。。チクショウ。。

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2013年3月29日金曜日

和風の道場があ~るし~。。

剣道場なら最高だろうな。。
   僕のご先祖さんはお侍だった。日向の国 (現在の宮崎県のほとんど) は秋月家高鍋藩の藩士であり、家老や剣術指南役などを務めていた人もいたようだ。その後、明治維新があり西南戦争に西郷軍として加わわり我が家はウルトラ没落。。その後、ほそぼそと農家や役所勤務などをして細々と暮らしていたそうだ。僕のひい婆さんは明治生まれの人なのだが、ひい婆さんが我が家に嫁いできた時は、まだその西南戦争に従軍した爺さまがご健在だったようで、まだ丁髷を結っていたそうだ。竹が入り用の時は、先祖伝来の刀を腰にちょんと差し、山に入って竹をバッサバッサ切り倒すので、さすがのひい婆さんもびびったというお話が残っている。まだ僕が幼い頃、この明治生まれの婆さんが子守をしてくれた。ある日、母親がふと寝ている僕の頭近くを歩いた時にひい婆さんが激怒したそうだ。ひい婆さん曰く、男の子の頭は敵の大将に渡すためにあるので、頭の近くを歩くものではない。。そんな家庭に育ったため、僕の一族は剣道部に所属するというのが生まれながらにして決まっていた。だが僕は幼い頃、病気ばかりしていたので剣道には進まなかった。だが親戚が剣道ばかりやっているので、幼い頃などは剣道場へ行き応援ばかりさせられていた。なので剣道場への思い入れがちょっとだけだが僕にはある。日本各地に柔剣道場と言われる建物がある。各市町村には必ず一つはあるし、中学校にも必ずと言っていいほどある。だが、柔剣道場などを訪れるといつも違和感を感じる。柔道や剣道は日本古来の武道である。だがその建物は和の空気を出してはいない。それはやはり建物がコンクリート製だからかもしれない。

剣道は美しないといかん気がする
   現代の多くの柔剣道場はコンクリート製 (以下RC) や鉄骨の建物が多い。理由は単純だ。大きな空間をとるためにはRCや鉄骨の方がとりやすいし、設計する人間としても設計計画が簡単だからだ。剣道の場合、試合をする板間は9mないし11mの正方形または長方形のスペースが必要だし、柔道の場合は14m~16mの畳部屋が必要となる。その正方形ないし長方形の空間を木造で作る場合、どうしてもトラス屋根構造にするか、もしくは柱を設けなければそんな大きいスパンは作る事ができない。また室内に観客や応援のスペースを作る場合、木造ならそれなりの工夫も必要だが、RCや鉄骨は簡単にスペースとして確保できる。だがどうも僕としてはRCや鉄骨の柔剣道場は持っている雰囲気がどうも武道には向いていない気がする。

有備館
   もちろん、RCや鉄骨で木造っぽく作る事は可能だ。10年ほど前に完成した京都迎賓館は見た目はがっつり和風だが、内部は鉄筋コンクリートの建物だ。この建物の場合、見えるところは全て木造として化粧している。なのだが、もちろん化粧なのでそれなりに予算がかかるので地方の小さな町の予算でそんな立派な和風の柔剣道場などはハナから無理だろう。また和風のRCで『軍服を着た建物』と呼ばれる帝冠様式の建物もやはり予算上無理だと思う。

   だがどうしても僕にはあの ”あ~るし~” な柔剣道場は武道とはかけ離れている気がするし、景観上もよろしくない。中にはRCで無理くり神社のような梁や柱を作っているものもあるが、結局は白いペンキなどで塗っているため、どうも違う。。何とかならないだろうかと最近江戸時代の剣道場を調べている。江戸時代には柔道はなかったが、剣道は今よりも盛んであった。幕末の志士の多くは剣道場に通っていたのは有名だ。坂本龍馬しかり、近藤勇や桂小五郎も剣道の免許皆伝者だ。そんな彼らが切磋琢磨した江戸時代の剣道場は今は少ないが、あるにはある。例えば山口県は萩市にある有備館などがその典型だ。その建物は試合や観客席のスペースを確保するため建物自体は細長く作られている。試合をするスペースの脇には大きな柱が一直線にならび、そして観覧するスペースはその柱の外に配置してある。明かりはどうしてもその試合スペースの上部にとることが出来なかったようでだいぶ暗い。だがむき出しの梁や大きな柱、そしてもちろん外観は十分に和の剣道場となっておりとても立派な風格を持ってる。

岡山県立倉敷天城高校武道場 昭和2年
   本物の和風の剣道場が僕は見たいしそこで剣道の試合などを僕は見てみたい。どうもあのRCの剣道場では足臭い。。それに道場とはどうしても汗ばむ場所。閉ざしたRCなどの建物では、空気の流れがどよみがちだ。できる限り開放的な空間の木造の道場なら試合や練習をする方も快適だし、お客さんらもそっちの方が良いはずだと思う。道場の庭先から観戦できるような建築計画を立てても面白い。剣道の試合が一種のお祭りのような感じさえ出てくるだろうと思う。調べてみたら木造の道場だからと言ってサイディングで施工している工務店さんもいるようだが、やはり雰囲気は重要なのでサイディングは厳しい気がしている。

   もちろん、そんなお仕事は来ていないのだが、そんなことばかり考えている。

   う~ん、長なった。。

   っていうか、ホントはもっと長かったんで割愛しました。。

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さあ晩飯でも食べようか。。

2013年3月28日木曜日

堀を埋めた瞬間から、後悔は始まる

   以前にも書いたがまだ京都に住んでいる頃、徒歩で琵琶湖を一周するという無謀な一人旅を企画し実行した事がある。すがる女には 『俺のことは忘れてくれ ! 』 と言い、無謀だという友人らには 『京都市役所前でサライでも歌って待っとれ ! 』 と言い放ち京都を後にした。な~に、軍にいる頃は演習で30㎏の装備で20マイルを歩けたので大丈夫さ~と、11㎏の荷物を背負って京都を出たため、結局は滋賀県は安土町まで歩いてヘタリ込み、電車でチャンと座って京都へ帰って来た。友人らには 『この根性なし ! 』 と馬鹿にされ女には本当に忘れられたが、そんな無謀な小旅行でもとても良い勉強となった。さすがは歴史の通り道と呼ばれる滋賀県だけあって興味深い建物を調べる事ができたし、歩きすぎると太ももが痛くなる事も学習した。そんな滋賀県南部の琵琶湖周辺をひいひい言いながら、ぐるりと回っている際に興味を持った町がある。近江八幡市だ。

   近江八幡市は、豊臣秀次が築いた城下町を基礎として、商業都市として発展した。いわゆる近江商人の発祥の地だ。この町は近江八幡市八幡伝統的建造物保存地区という名称で国の重要伝統的建築保存地区として選定されており、時代劇の撮影場所としてもよく使われているようだ。また明治だったか、ウィリアム・ヴォーリズという建築家がこの近江八幡市に住み、そして多くの近代建築作品を残していて、その建物はとても素敵だ。また秀次の時代に整備された堀がとても美しく保存されていて、この近江八幡市には年間300万人の観光客が訪れるとの事だそうだ。今ではその景観が美しい近江八幡市だが、それは住民の努力があってのことだ。その近代を調べれば、いかに多くの住民がこの町を美しくするために努力してきたかよくわかる。

   戦後、車社会へと移行した我が国は、各地の城下町にあった堀を埋め立て車道や歩道、または駐車場へと変えていったのだが、もちろん近江八幡市も昭和40年代になるとそんな要請が住民から上がったそうだ。と言うのもその頃になるとさすがに堀は無用の長物。悪臭が漂うゴミ捨て場となっていたので、そんな要請が市に来るのもまあ分る。実際に48年には埋め立てが始まったのだが、青年会議所の方々が中心となり、堀の保存運動を始めた。そのスローガンは 『堀は埋めた瞬間から後悔が始まる』 全面浚渫(浚渫:川底の土砂などを取り払う工事のこと)を目標に清掃活動を始め、昭和50年には堀の全面浚渫が決定。当時全国に例のない町づくりとしての風景づくりが始まり、そしてその成果が年間観光客が300万人なのである。堀の保存運動を始めた当初 (僕の勝手な想像だが)、保存に反対する人々は結構いたと思われる。景観や町づくりを進めると諸手で賛成する人は少ないからだ。だがその有志の方々のおかげで現在があると言えよう。ホント偉いぞ、近江八幡市青年会議所 !

   僕は街の景観を形作るのはその町の歴史とアイデンティティーだと思っている。便利性や機能性を追求するだけの町では、元来その町が持っている町としての価値が下がると僕は思う。便利性や機能性だけを追求したのが近代だとは思うが、その結果として新聞広告のような町だらけに日本はなってしまった。これを何とか美しく出来ないかと日々もがいている。

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2013年3月27日水曜日

建築士の製図試験とその小道具

   先日、以前僕が通っていた宮崎県は高鍋町にある東児湯職業訓練校に寄ってきた。というのも受付嬢さまから、 『2級建築士の受験講座が始まるんですが~、どの教科書が良いか教えてくれないですか~?』 と電話が入ったからだ。最近知ったのだが、僕はこの学校で2級建築士の講座は受けて合格した事になっとるらしい。。おいおい、僕はびた一文払ってねぇ~ぞ。。

   数年前のこと。僕は京都の設計事務所を切り上げ、宮崎に帰ってきた。というのも地元のとある社長さんから貿易の仕事を手伝ってくれないかと誘いがあったからだ。以前にも書いたが、僕は設計の世界に入ったのはこの国の景観を何とかしたいから。景観では飯は食えないので、設計をとおして景観の大切さを訴えていきたいと思ったからだ。だが設計だけではこれまた食えないので、貿易の仕事をしながらたまに設計や景観問題でもまあ良いと思ったので京都を切り上げた。だが、帰って来てびっくり。誘ってきた社長さんには中国から来た嫁さんがいるのだが、金で買って来たらしい。。そんなろくでもない人間の会社はこりゃアカンとなり貿易の話はボツ。。そんな途方に暮れて時、職業訓練校がパソコンの生徒を募集していた。訓練校ではExcelやWordはもちろんAccessまで無料で教えてくれると言うので、通っていたのだが、その隣で2級建築士講座をやっていた。僕は以前に筆記試験は受かっていたので、2級建築士となるためにはあとは製図にパスしなければならない。なのでお隣さんのよしみで製図の問題集を頂き、用紙もついでにもらい、何もしらない先生らに質問攻めをしていた。ただそれだけだ。

   2級建築士の資格を取るためには、筆記試験と製図試験がある。筆記試験の合格率は約3割弱ぐらい。そしてその合格者のみが製図試験へ進む事となるのだが、製図試験の合格率は約5割だ。だがどうも合格する人数が都道府県別に振り分けられているようで、宮崎県の場合大抵50人前後が毎年合格している。単純に合法の建物を製図すれば良いのだが、毎年同じぐらいの数の人間が合格するので印象点があるのではと皆が言っている。僕の知り合いは僕が宮崎で製図試験で落ちた時、京都で同じ問題を製図して、子供部屋に窓を作るのを忘れていたのに祝・合格。窓がないという事は採光が取れない。という事は違法な建物。。僕が落ちてなぜ彼が受かったのかは未だに謎だ。。まあそんな試験だ。

   建築士の製図の試験は時間との勝負だ。試験時間は平成24年から5時間となったようだが、僕らの時代は4時間だった。約1時間で問題を読み、そして基本的なプランを作る。1階と2階の平面図を90分で書き上げ、そして矩形図という断面詳細図を30分、小屋伏図を20分に立面図を20分。そして残りの20分で面積表を書き込み、見直しをしなくてはならない。だが図面を手書きするのは結構な作業。慣れていてもそんな短時間で書けるもんではない。なのでとても殺気ばった試験となる。一般に試験官の印象を良くしなくては合格できないと言われているので、美しくそして非の打ち所のない図面が要求される。

   なので受験者は道具にとてもこだわる。製図用の高いペンを買うのは当たり前。三角定規も僕は 3L Griffit という中央が浮いていて製図用紙が汚れない定規を使っていたし、刷毛を持参して製図用紙を10分ごとに数回掃いて、また指先だけない手袋を持参し、腕には女性用日焼け防止の腕まきをしていた。消しゴムは良く消えるMONOを使い、消す時は字消し版を使う。寸法線の端には●を入れなくてはならんのだが、悠長に鉛筆で書いていては時間がもったいない。よってホルダー式鉛筆の先を丸くしたペンを印鑑を押す要領で書く。。と言うより押していた。もちろん4時間の長丁場。口には禁煙パイポをし、朝から水分は一切とらずに受けた。

   だが正直僕らが受かった時の問題は難しかった。問題の日本語が理解できなかったからだ。図面を全て書き終えねば受からない試験なのだが、僕は時間がなかったのでとりあえず書いたが、あちこちで抜けが多い図面を提出した。だが受かった。ようは周りの方々が落ちてくれたかららしい。

   今年も2級建築士の筆記試験が7月に始まる。受験生はそろそろ勉強をしなくてはならない時期だろう。建築士合格者としてアドバイスするとすれば、まあ道具にはこだわりましょうという事だろうか。

   まあ、受かっても仕事はないでしょうが。。

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2013年3月26日火曜日

コロラド・ブルドックの娘


   実は今日はとても忙しい。先日も書いたが、昨年末に宮崎県は木城町の方から800万の家を作って下さいと言われて、のこのこ書いた叩き台の図面を渡したのだが、結局は相談も一切無しに他の工務店にとられてしまった。渡した時の反応は聞くところによると凄く良かったのだが、旦那さんの知り合いに工務店勤務がいるらしく持って行かれたようだ。仮に僕が書いた図面をそのまま使われたら、僕は大損。1000万以下の家の場合、設計料は工事費の6%が相場なので48万円を僕は取り損ねた事になるし、取った工務店は48万円得したことになり、僕が所属する会社は48万円分の坪単価が高いよと宣伝されてしまう。。全くふざけていると思っていたら、新たなお客さんが人伝いに図面が欲しいと言って来た。さすがにまた図面を渡してしまうと、どこかの工務店が 『うちは安いですよ~』 と言ってくる可能性もある。人間学習するのである。もうタダで書いてあげるつもりはない。だからと言ってどんなもんが設計屋さんが作ると出来るのかは絵として見せねばならない。よって3Dパースをバンバン作っている。こうした方が美しいとかブツブツ言いながら作業をしている。これが結構しんどい作業だが、やらねばならぬタダなのに。。だ。

   って事で音楽でごまかします。Mr.Bigさんでコロラドブルドックです。僕が高校ぐらいの頃、洋楽を聴く人はみんな好きでした。そんな中でローリングストーンとかピストルズを聞いていた僕は、全く興味がなかったんですが、この動画を見てちょっとだけ好きになりました。にしても凄げ~絶対領域。。否。。ギター

   ただただ、男の娘でない事を祈るのみです。

   さあ徹夜でがんばろう。

   エイ・エイ・オー

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2013年3月25日月曜日

絶望の宮崎 Google Glass


   今でこそ仕事でパソコンは使うしスマートフォンをスマートに使いこなす僕だが、元々は機械音痴。細かい事になるとな~んも分らなかった。だが設計のお仕事を始めだしたらと、んなこつ言っちゃおれん。。よって日々進化する ”でばいす” に対応するように体を慣らそうとしている。やれユビキタスなうんぬん。。時代はクラウドやじ !! と宮崎の片田舎で叫んでそんな事をブツブツ言いながらお仕事をしている。ふとネットをた~りらとサーフィンしていたら、おっ!というニュースにぶつかった。あの Google Glass が既に完成していて、今年中には一般向け販売開始されるそうだ。う~ん実に楽しみだ。

   以前にも書いた(Project Glassが凄い、凄すぎる!! も読もう ! )がGoogle Glassは Wi-Fi もしくは Bluetooth でネット上へ接続し音声もしくは側面での指操作でコントロールするデバイス。 Glass といっても通常のメガネの上に取り付けることも可能らしいが、メガネのバランス上厳しいかもしれない。どうも 『O.K Glass』 と言えばその視覚画面の右上に小さなウィンドウが開き、そこにスケジュールや時刻、ニュースなどのネット情報に繋がることが出来るという物だ。またメールの送受信やテキストメモも可能なようだし、画像認識で個人の情報とリンクさせることもできるそうだ。う~ん実に欲しい。

   今年中の販売となるというが、それはやはりアメリカでの事だろう。それが日本語で作動することが出来るのは来年だろうか。。まだ僕が住む宮崎では、町中でサクサクとネットなどは出来はしないので、日本で発売されてもまだ宮崎ではすぐには使えないだろう。まあ、田舎なんだからしゃあない。。

   音声錦機能を最大限につかうこのメガネだが、困った事に僕は音声認識はあまり得意ではない。僕はスマートフォンを使うので音声認識はメールなどでよく使うのだが、どうも僕の発音が悪いのか。。それとアクセントが悪いのかはよく分らんが、スマートフォンが僕の言葉を認識してくれないんだ。。 Wikipedia で宮崎弁を調べると、

   宮崎弁は無アクセントのため、全くと言っていいほどアクセントに無頓着であり、「飴」と「雨」、「蜂」と「鉢」、「橋」と「箸」などの読み方に区別がない(どのように読もうが関係ない)。そのため、宮崎県民が他県に行くと意思疎通に困る事がある。実際宮崎県民にはその概念がないので、文脈により内容を判断する。
   と書いてある。。って事は、アクセントが間違えていると認識してくれない可能性が大きい。。

   絶望した。。

   『Google Glass 宮崎版』 とか出らんじゃろか。。アプライド辺りで。。

   そんげ思わんね、あんたドン !!

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2013年3月24日日曜日

スキップフロアーの魅力

   設計をやっていていると、どうも自分が作る家に癖が出てくる。同じ人間が作るので同じ感じの家になりがちなのはしょうがない。どうも作っていて単調になるのは嫌なので、何かしら新しいカタチを常日頃から求めている。僕が京都で勤めていた設計事務所ではコンクリートの建物を設計するのが多かった。だが僕が住む宮崎ではあまりコンクリートの建物は作ることはない。まあそれに、周りの家々が木造の家が多い中でコンクリートの家を作っても景観としては良くはない。また木造には木造の作り方の決まり事がもちろんあるので、コンクリートの手法は安易には使えない。だがその要素を木造に入れるのは悪くはない。スキップフロアーという手法はどうだろう。

   スキップフロアーとは字のごとく一律に平坦な床ではなく、部分的だが大きく分割されたエリアに段差がある住宅をいう。床に高低差がある事で動きのある楽しい空間が広がるわけだ。木造の家の弱みは大きな空間を作りにくい事だ。それをスキップでカバーする事により気持ちの良い空間を演出できないかと思っている。そのスキップフロアーの床の高低差は様々で、その室の用途によって自ずと異なってくる。あえてフローリングラインを他の室より低くし、子供らが遊ぶプレイルームを作っても良い。もちろん子供らが成長すればそこを勉強部屋にすればよい。またフローリングから1.5メートルぐらいの高さに主寝室を設けてもよい。ベットメイキングが出来ていなくても、他の部屋からは見えはしない。

   実は一度提案してボツになったスキップフロアーのプランがある。それは敷地自体が小さいのだが家族は4人構成。なので収納をたくさん作らないといけないのだが、正直収納だけで結構な広さとなる。だからといって収納をコンパクトには出来はしない。よってスキップフロアーの収納を階段の隣に配置し、2階建ての家に3つのフロアーをもつ 『収納Towerのある家』 的な家を提案した。だがボツだった。理由はお客さんと直接話す機会がなかったので、図面だけ渡したからだ。つまり、よく理解できんかったようだ。まあ3Dのパース図とか提出したんだが、どうもピンと来なかったようなんでしゃあない。。

   もちろんスキップフロアーにはネガティブな面もある。段差があるので、バリアフリーにはとても向いてはいないという事だ。年取った時に大きな段差はしんどいだろう事は簡単に想像できる。また空調計画が難しいという事もある。通常、部屋は壁で仕切られる。もちろんスキップフロアーも壁で仕切ることはできるのだが、それではスキップの魅力である、空間の広がりが感じる事が出来ない。

   技術的にはもちろん難しくはない。設計をする僕らは平坦な家よりも頭を捻くり回すため結構大変なんだが、お客さんの喜ぶ顔を見たいから。。否。。良い家を作りたいので設計に取り入れたい。。だが一番の問題は、田舎の工務店の大工さんがぶ~ぶ~いう事なんだ。。そんな家見た事がねぇ~し、意味ねぇ~じゃん。。って言われるだろうな。。

   まあ、無視して作るんだが。。

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2013年3月23日土曜日

実は 『ものづくり』 は嫌いなんだ。。

   今、僕が設計した建物を西都市の穂北という地区で施工中だ。僕は大工ではないので現場には行く必要はない。だが西都市に通った際などはふらりと寄っている。かといって特に用はない。今どのくらいまで完成しているのか、見に行く程度だ。設計という仕事をしておきながら言うのも変だが、どうも僕はいわゆる 『ものづくり』 というものが昔から興味はない。美術の時間は大嫌いだったし、それに中学校であった技術の授業では木工製品などを自分で作らねばならんのだが、常にサボっていた。僕がものづくりが嫌いになった理由はちゃんとある。日曜日に開かれる 『子供会』 のせいだ。

   僕が小さい頃などは、地域の子供は強制的に集められ色んな行事に参加させられていた。やれ空き缶拾いだ、キャンプだと子供らは大人の言うとおりに動かねばならんかった。僕の家は小学校から4㎞あったので、正直休みをそんな行事にとられるのが苦痛でしょうがなかった。そんな忌々しい 『こども会』 で年に何度か必ずあるのが 『ものづくり教室』 凧や竹馬、わらじに木製品を地域の大人と作るというものだ。僕の家から5㎞の運動公園でそれはあるのだが、実に参加したくなかった。だからと言って参加しなくては父親にぶん殴られるので、嫌々参加し、しょうがなく作っていた。僕が興味があったのは、そういった昔の遊び道具などを作る事よりも、その道具がいつ頃まで普通に使われていたのかなどの歴史や、何故凧は飛ぶんだという原理的な事。だがそんな事を聞いたら 『黙って作れ !!』 と大人達に怒られ、またやる気を無くす。今考えたら、大人達も知らんかったんだろうと思うのだが、いまだになぜ怒られなければならんかったのかよく分らん。。ある時など、あまりにも頭に来たので作業をほったらかし帰ったった。だが5㎞の道をてくてくと歩いていたら結局近所のオヤジに見つかり、怒鳴られて引き戻され、また同じ作業をさせられてしもうた。そりゃものづくりが嫌いになるわいな。。

   昨年の盆休みの事、近くの子供らが 『イケメンのおじさ~ん(イケメンのおじさんも読もう ! )』 と尋ねてきた。その子供らが言うには夏休みの宿題で自由研究がでたんで、自分の家の模型を作りたいんだそうだ。その子供の家は最近出来たばかり。なのでお家に興味があるんようなんだ。ものづくりが嫌いな僕だが、アトリエ系の設計事務所に勤めていたので模型に関してはプロフェッショナルなおじさんだ。それに僕が 『ものづくり』 が嫌いになったのは大人からの怒声。 『あっち行ってろガキ ! 』 と言うわけには僕の良心がゆるさない。さっそく 『まず、家の間取りを書いてきてごらん』 と言ったら、子供らは家に帰りすぐに書いてきた。だがよく読めんしよく分らん。。しょうがないので、 『パパかママに見せてしっかり書くんだ』 と再度提出させた。その一応の図面をぱっぱかCADを使い1/50の縮尺で図面化してあげ、 『後はこのラインに段ボールで壁を作って、表面にはこれを貼るんだと』 と僕が清書したCADの図面を与えた。 『ありがとう~おじさん』 と感謝され、う~んホント僕は良いおじさんだとご満悦だったのだが、明くる日に半べそかいてまた来よった。 『綺麗に出来ないの~おじさん』 と言ってやがる。しゃあないので、 『1週間後またおいで』 と言って帰らせて、すぐに Amazon でスチレンボード (模型制作でよく使う発泡スチロールに紙をはったもの) やカッター替え刃 (5分もせんと刃を替えるんで。。) を大人買い。それに90度が綺麗にでる定規にカッターマットに専用ノリをご注文。1万円以上使ってもうた。。1万の元はとらんと気が済まんので、小学生相手にプロの模型の作り方をちゃんと教えて、本物の家そっくりの模型を一緒に作った。子供らは大喜び。学校に持っていったら先生に褒められ何かの賞をもらったようだ。実に良いことをした。

   だが、その子らが仕事していると遊びに来る。。また何か作ってほしいらしい。。

   まったく。。イケメンのおじさんはものづくり嫌いなんだぞ。。

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2013年3月22日金曜日

アットホームな事務所なんぞ知らん。。

   僕がアメリカから日本に帰って来て、気が付いたら10年たっていた。早いモンだ。。アメリカではマスコミ関連の仕事をしていたので、日本に帰ったらそっち系に進むかの~と軽く考えていたのだが、帰って来て1月もせんうちに日本の景観をなんとかせなイカンと考えだし、この設計の世界に入ることにした。だが、設計というお仕事は他の業種と違い、働けば普通に給料が支払われる世界ではない。なので色んなお仕事をしながら勉強し、設計事務所になんとか入り込み、なんとなく今もその世界で働いている。今まで勤めた職種の中には建設業界以外や官公庁の仕事などが多かった。だが、海外で働いて日本に帰って来て気付いたのだが、日本のオフィスほど労働環境として快適でない場所はない。まるで人生をつまらなくする箱だ。

   日本のオフィスは一般的に、対面型の配置が多いと思う。日当たりの良い場所に上司の机があり、そしてお客と対する場所には若くて一番給料の安い女性が座っている。机の上にはこれでもかといつ読むのか分らん本が並んでいて、机はねずみ色。そして冬などはお偉いさんはヒーターが足下にあるのだが、平社員は膝掛けマフラーを強要される。壁には何かの事業許可証がぺったんぺったんと壁に貼ってあり、その横にはちんちくりんな啓蒙ポスターがずらりと並ぶ。まあそんな所だろう。

   僕がアメリカで見た事務所とは、もちろん色んなタイプがあるが、大勢の人間が一つのフロアーに勤める事務所などは、簡易のパテーションで社員の仕事スペースを仕切る完全独立型のオフィスがが多かった。その中は基本的には自由空間。みな自分らで整理整頓をしており、来客があってもその中で対応する会社も普通にあった。日本人はこのパテーションがあるアメリカタイプのオフィスは、アメリカ人が個人主義だからと思う人が多いと思うが、それが全ての理由では無い。そうした方が仕事がはかどるという理由がつよいと思う。考えて欲しい。日本的な開放型の事務所では働いていて、他人が当たり前のように立ち話を始めたとする。その会話が気にならないだろうか?それを暗にやらせないために、パテーションがあるわけだ。それに人間囲まれていると目の前の物に集中するという習慣がある。図書館などの机が隣と区切られていたりするのは、その方が集中できるからだ。

   小さい会社などはもちろん大きいスペースは必要無い。よってその多くは中古の家などを改装して使っていた。だがこれが何とも日本と違いよい雰囲気をだしていた。社員が働いていて楽しそうなオーラが出ているような事務所が多かった気がする。もちろん小さな家を使っているので壁で、大きな企業と違いパテーションではなく個室を上手に使っていた。またアメリカの家は綺麗に芝生が手入れされている (業者と契約すれば週一で刈ってくれる) ので簡単なパーティーなどはそこで出来る。またお客様は神様的な待合室ではなく、勝手に庭のベンチに座ってまっている。だからといって不快感を与えるような配置にはなっていないし、木香薔薇などの良い香りの花々が庭にあるのでむしろ快適だ。

   僕が働いていたお仕事はブリーフィングを週に何度もする必要があった。よって日本で言うとこの会議室が当然あった。そのブリーフィングは他に漏れてはいけない事柄を普通に話すのだが、日本のように窓がぽつりとあって穴あきボードのお部屋ではなく、Starbucksのようなガラス張りの大部屋だ。ただし建物の前面には川が流れていたので、のぞき見はできない。たしか30畳ぐらいの広さがあったと記憶している。日本のようにホワイトボードがあり長机にパイプ椅子といったものではなく、作り付けの机が壁にずらっと配置してあり、おしゃれな高椅子が20個ぐらいあった。中央にはソファーとコーヒーテーブル。それに大きな黒板の横には、僕が貼った雛形あきこのグラビア写真 (大好評 ♡ ) そこで和気藹々ブリーフィングタイムをやっていた。もちろんコーヒーを飲みながら、超リラックスしながらだ。

   若い人間が会社をすぐ辞めて責任感がないとよく言う。だが僕からみればそれはその会社が息苦しいから若いモンは辞めるのだと思う。別にもっと高い給料を欲しいからでもなく、責任感がないわけでもない。良い会社だと思わないから働く気力が起きないのだろう。事務所を楽しくすれば、辞めていく若者も少なくなるのは色々な事例で証明されている。よく 『アットホームな雰囲気の会社です』 とハローワークなどの会社紹介で書いてある事例をよく見かける。だが実際面接に行ったら、アットホームで誰かが我慢している会社しか見た事が無い。

   僕だけなんかいな。。

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2013年3月21日木曜日

業者サイドから見る、住宅展示会

   毎朝新聞を取っていて思うのだが、何と新築一戸建ての展示会やマンションの内覧会の多いことだろう。世の中そんなにポンポン新築が建ってるんかいなと同業者ながら思う。マンション業者などはまだ建っとらんのに広告を打ち、田舎の工務店はもそっと良い写真はないんかいな。。というデザインで広告を打っとる。僕は工務店に所属する設計士だが、意外と工務店の人間はこの広告などは見ない。見とる人もいるんかもしれんが、僕の周りの職人さんや大工さんらは全くといって見はしない。どうやらそう言う人々は商品を作っているのではなく、家を作っている気持ちが強いので、商品にはあまり興味がなさそうだ。だが僕は京都で設計事務所に勤務している頃、暇があいたら他人が作った家を見にいっていた。あくまで勉強のためだ。正々堂々と自分の職業を言ったら担当する営業さんらに煙たがられるので、もちろん偽名を使うし、職業は大阪に支店がある外資系サラリーマンだ。後輩のインテリアコーディネーター (夜はキャバクラ勤務) の女の子を一日妻とし、 『こんなん使いやす~い♡』 などと言わせていた。もちろん自分の設計事務所が絡んだ建物などを展示会をする場合、お手伝いに行く事がある。というのも小さな工務店などは営業などいない。よって大工さんが展示会にのこのこと出てくるのだが、出てきたところでその家の良さなどを説明するのは得意ではないからだ。まあ大工さんが、 『この家は梁がでかいですよ ! 』 と言ったところで、客は付かんだろう。そんな展示会に来た来客の対応をしていて一番困るのが、僕が外資系のエリートサラリーマンとしてぶいぶい言わせていた時に対応してくれた営業さんが、某大手の商社マンとして来られた時だ。要は展示会を出たところの駐車場で名刺を配ろうという作戦だ。テメー、人ん家の庭で商売するんじゃね~!!

   大きいハウスメーカーなどの展示会に行けば、大体手順が決まっている。まずアンケートなどに記入するコーナーがあり、そしてそこで住所や氏名、そしてどこでこの展示場を知ったのかなどを書かされたりする。だが注意するべきは、そこで個人情報など書いたら営業さんにストーカーをされ、契約まで持って行かれそうになる事だ。住宅メーカーの営業さんは日々戦争だ。給料はとても高いし、契約を取ったら大きなお金がもらえる。例えば、僕の知り合いがとある大手のそっくりさんな営業をやっているのだが、土地にそっくりさんなアパートを作る契約をとれば年収800万。二件目をとれば1,000万の世界だと言っていた。だが半年間で契約ゼロなどの場合は即クビ。なので真剣だし、それだけ粘り強く営業をかけるそうだ。ある知り合いなどは、仕事から帰ろうと会社を出たら会社の外で営業さんが待っていたそうだ。そんな事はざらにある。

   僕の事務所スタッフが展示会を担当していた時などは、インテリアコーディネーター(夜はキャバ嬢)が本領を発揮する。予算を工務店の社長さんらから分捕って来て、家の中を美しく飾り立てる。靴箱にはおしゃれな靴を置き、花を生け、洗面化粧室などはアロマの香り、またソファーや机など、これでもかと買ってきて飾り立てる。結構な予算がかかるので最初は社長さんも渋るのだが、さすが夜の女。上手いこと社長さんをおだてて金を引き出していた。だがそうした方が家が引き立つので新しいお客さんも付き安い。よって最終的には社長さんらも大満足というわけだ。もちろんその家具などはその工務店さんが次回の展示会の際に使うのでとっておいて頂くのだが、次の展示会の時は買っていた物がたいてい少なくなっている。どうやら社長さんが気に入って使っちゃうようだ。その時はまたキャバ嬢が予算を引き出し飾り立てる事となる。

   展示会は結構楽しい。ハウスメーカーによっては温泉券やどっかの宿泊券をくれたりするところもある。だが、そこは戦場。流れ弾に当たらないよう注意さえしておけば良い家が見つかる場合もある。

   だが知っておいて欲しい。大手メーカーの家の間取りは、たいてい同じだよ♡

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2013年3月20日水曜日

京都タワー追分

   僕がアメリカから日本に帰って来て最初に仕事を始めた場所は京都だった。初めて京都に降り立った場所は、京都駅の南口にあるアバンティーというデパート前のバス停留所。最初に出た言葉が、 『汚ね。。』 とだった。まさか京都という日本でも有数の観光都市に舞い降りてそんな言葉が出てくるとは露とも思わなかった。また京都駅の大きさもど想像以上だし、その北側入口をでると看板だらけのビルディング。パチンコに横文字の看板だらけ。どうも 『おいでやす』 的な感じは全く無い。その看板だらけのビルの裏にそびえ立つ一つの塔を見て、びっくらこいた。ウルトラマンが壊すようなタワーがあるじゃないか。。いわゆる京都タワーである。

   家賃が安かったので、京都タワーから200メートルぐらいのおんぼろアパートに住みだし翻訳業をやっていた僕は、毎日のように京都タワーを拝んでいた。当時、僕は建築のけも知らない一般人。ただ景観美については考え出したばかりで、京都タワーはなぜこんなカタチでこんな色なんだとぼんやりとだが眺めていた。その後、夜間の建築学科に通い出し、建築の勉強をしている頃、同期の桜どもと飲みに行く時などこの京都タワーについての論議になった。僕の意見は京都にふさわしくない高さと色なので、ああいった建物は作らない方が良かったというもの。だがあるサクラは違う意見をもっていた。いや下から見上げたら美しいし、既に長年あのカタチを京都に来る人が見上げている歴史的意義を考えると、あれで良いと言っていた。確かに下から見たら美しいと思う。その白い巨塔が空の青に映えるからだ。だがそれじゃ。。京都でなくてもええやないか。。

   実は京都タワーは鉄骨を一切使わず、特殊鋼板シリンダーを溶接で繋ぎ合わせて作ってある。筒状の建物で、下から見上げたら、そのすべすべのお肌はドモホルンリンクルのようで美しい。そのデザインのコンセプトは、京都の瓦葺きの屋根を波に見立て、タワーはその波を照らす 『灯台』 として設計したそうである。

   建物をデザインをする場合のコンセプトに物語性を持たせる手法はよくデザイン屋さんが用いる。不勉強なのかもしれないが、僕から見れば洒落だ。。僕が設計する場合は周りの景観に邪魔をしない事と歴史を鑑みる事を第一にと考えるので、どうもこういった ”まんま” の考えとカタチには賛同はする気が起こらない。例えば東京スカイツリーのコンセプトが 『日本刀』 と発表された時など、朝日新聞だったと思うが、掲載されていた写真が日本刀そのまんま。実際建てられた建物を見て、僕なんぞはほっとしたもんだ。スカイツリーがまんま完成していたら今のように人気はなかっただろう。まんまはイカンよ、まんまは。。

   この京都タワーは昭和39年の建設時、大きな論争が巻き起こった。実はこの論争は、日本初の景観論争と言われているようだ。その賛成論者は、 『エッフェル塔も建設当時は反対意見があったが、今はパリのシンボルになっている』 とか、 『京都もこれまでのような寺社仏閣などでは観光客も減る。近代的な物を建てる必要がある。京都らしさはタワーを作ったぐらいではなくならない』 というものが多かったと聞く。また反対派は 『今まで京都は東寺の五重塔より高い建物を作らないという不文律がある』 とか 『タワーの建築自体はよくても、周りとの京都の町並みにはそぐわない』 というもの。主に賛成派は政財界から、そして反対派は学会や文化人らから出ていたようだ。またこの論争は京都市内の規模で行われていたわけではない。建設に反対したノートルダム女子大のJPオシコンヌ教授が反対したのがきっかけで、作家の谷崎潤一郎や川端康成、日本を代表する建築家である丹下健三やあのブルーノ・タウトも反対に回ったそうだ。結局は反対派を押し切り、と言うより無視し、建てることになった京都タワー。いざ建てるには、建物としては法的には厳しかったようで、工作物として作られているようだ。

   京都の知り合いなどに聞くと、旅行から帰ってきたりしてあのタワーを見るとほっとするそうだ。まあ時が慣れさせたのだろう。だが僕からみれば京都の灯火として作られたタワーは、波であるべき伝統的な瓦でできた勾配屋根を消していった張本人である気がしてならない。京都タワー建設を分岐点として京都の景観は乱れだしたような気が僕にはする。これは京都だけではなく日本の景観行政の分岐点のであったと僕は考えている。

   だが、なぜ京都の人に 『ロウソクでしょ?』 と聞くと 『あれは灯台や ! 』 と鬼をとったように言われるのかは未だに分らん。。

   京都の人々があの塔を好きなのか嫌いなのかもよく分らん。。

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2013年3月19日火曜日

砂利道とサクラ8分咲き

   タケノコの季節だ。僕の家の近くには竹林があり、きっと僕の家の土地なのでタケノコを採りに行ってきた。大きいのもあるが、既に夕方6時を過ぎているので気力が起こらず、小さいタケノコの方が美味しいんだと自分に言い聞かせながら掘ってきた。タケノコの堀方はとても簡単。タケノコは上からよく見れば湾曲しているので、その背の部分の土を約30センチほど掘って、あとは持っている鍬を力の限りスウィングする。ゴボって音がすると大当たり、あとは力の限り引っこ抜く。これだけの作業だ。良いタケノコが取れましたと、たぶん僕の家の土地の神様であろう大きな木に拝み倒して、ふと周りを見渡せばサクラが8分咲き。もうこんな季節かいなと感心した。そのサクラは小さな幅の小道の脇に咲いていた。その道路は舗装されてはおらず、砂利道になっている。やはりサクラを見るには舗装道路よりも砂利道の方がよく似合う。だが、よくよく考えてみれば、最近砂利道は少なくなった。

   僕が生まれた昭和50年代の初め、砂利道は結構あった。僕の家の前の道路も砂利道だったし、通学路の脇にある小さな道は、その大方は砂利道だった。砂利の単価はとても安い。住宅など庭を造る際に工務店などが砂利を入れたがるのは、そんな理由もある。その桜の脇にある小道の砂利道は砂利が大きいが、僕らが幼い頃のそれは砂利が小さかった。よってすぐに踏み固められ、雨など降るとドブとなって通学する際などにはよけながら歩いたものだ。そのドブにはアメンボがどこからともなく現れ、水に浮いていた。

   そんな風景はもう僕が住む宮崎でも希(まれ)になった。ほとんどの道路は舗装され、そしてこれでもかと反射板や白いラインが着色してある。その方が便利なんだろうし、安全なんだろう。また月に1台でも車が通れば良い方だと思える道路にも、他と同様、舗装され白い塗料でラインが引いてある。法律上、市町村はそうする必要があるのかどうかは僕は専門家ではないのでよくは知らない。だが、少なくとも砂利で十分いける道路などはたくさんあるように思う。またそんな細い道路などにラインを入れても、町には金が無いのでどうせ周りの植物は切らない。よって草がすぐに伸び、そしてどうせラインは見えなくなる。こんなんのために税金払っていると思うと、泣けてきた。

僕は思うのだが、交通が少ない道は舗装せず砂利で良いのではないだろうか。砂利なんてとても安い。トラック1台分で2000円ぐらいだと思う。税金をたくさんつぎ込んで、だれも通らない場所まで舗装していく必要はないと思う。日本に帰って来て驚いたのはこのどこまでも続く舗装された道だ。山などの中にでも舗装された道は普通にあり、超まれにしか車などは通らないので、杉の葉で埋まっている。。道は常に人の手で手入れが必要だ。別に必要のないものまで、土建屋さんに作らせる理由はない。日本人は自分の家の庭はよく手入れする。だが道の周りの草はほったらかしの所が多い。余計な道路を作るなら、草を刈ってももらえないかと思ったりした。

   8分咲きのサクラを見ながら、日本の奥ゆかしさもこの程度と思った。サクラだけではなくその他の花々も舗装道路よりも、砂利道の脇の方が似合うし美しいと思う。

   でも、タケノコは旨かった。

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2013年3月18日月曜日

風をデザインする

   以前にも書いたが、通常工務店などで家を作る場合、その棟梁が30分ぐらいで叩き台を作る。そしてお客さんと打ち合わせをし、変更する場合はその場で変更し、ハイご契約となる。その図面は大抵お決まりの間取りだ。南側にリビングがあり、そして北側に和室やキッチン水回り。まあそんなスタンダードな図面となる。その図面を元に建材屋さんなどでカタログを借りてきて、玄関やサッシなどの色を決め着工となる。確認申請作業だけが設計屋のお仕事。設計屋は約12万~20万で確認申請作業を請け負うこととなる。僕が住む宮崎などの家はその大方がこんな具合に作られている。大工さんらが作る30分の家はもちろん無料だが、僕ら設計をやる人間はそうはいかない。と言うのも僕らはコンセプトを施主さんからまず頂き、そして土地や町のカタチや色から施主さんにあった家を提案するのがお仕事。なので毎度の事、最低1月ぐらいは悩みましょうと提案している。一生住むであろう家を実は30分で設計している事をほとんどの人々は知らない。そんな家を設計をする際、大工さんらは風水を気にされる方が多い。だが設計屋は通常、風水は全く気にはしない。僕が住む宮崎などでは設計屋が最初に気にするべきは、太陽の角度や風の向きだろう。太陽についてはまたいづれ書くとして、今日は風と家について書こうと思う。所謂、建築設計の基本のキだ。意外と大工さんは知らんのだが。。

   吉田兼好はその著書である徒然草で 『家の作りやうは、夏をむねとすべし。冬は、いかなる所にも住まる。暑き比わろき住居は、堪へ難き事なり。』 と言った。冬はどんな場所でも住めるものだが、夏の猛暑は我慢はできない。なので住宅は夏をもってむねとすべしって事だ。

   僕が設計する場合、風の向きを探ることから始める。一般的にだが、日中の風は海から吹く海風。そして夜間の風は山から吹き下ろす山風と言われている。だが実は建てる家の周辺環境で風は方向を変える。なのでその敷地に吹く風はどちらからが多いか、設計する者はよく見極める必要があると思っている。あくまで参考だが、気象庁のホームページには月ごとの風の向きが、結構細かく市町村ごとに発表されている。この発表されたデータを念頭に入れながら予定敷地に行き、あとはじっくり風を観察している。

   そんな時に忘れてはいけない事が風によって質感が違うという事。たとえば風上に林や芝生などの緑がある場合と、アスファルトの駐車場がある場合はでは、その風の質感は全く違う。夏の夜などに網戸で寝ていたりするとよく分るのだが、緑のゾーンを抜ける風は心地よい。なので網戸と扇風機だけで十分だ。だがアスファルトなどの蓄熱効果が高い人工物の上部を抜ける風は、自然とその温度を吸収するため、室内に入ってきた場合に熱を持っていて不快な風となる。よってクーラーが必要になる。

   家を設計する場合、この風をいかに生かすかが、その家の快適性に大きく左右する。風上に大きな開口部を設け、そしてその風がどの方向に抜けるか考えながら設計すれば、自然と良い家のカタチは出来上がってくる物だ。だがそれを無視して高気密高断熱としている所があまりにも多い。というより、宮崎の田舎の新築でもそれしか最近は見ない。大都市なら理解できる。360度人工物に囲まれているので良い風は吹かない場所が多いからだ。しかし、田舎は決してそうではない。やはり自然の風を使うと使わないとでは電気料金ももちろん違うし、健康面でも精神面でも違うだろう。もちろん高気密高断熱もあった方が良い。だが、それが全てではとても勿体ない気がする。太陽光発電を設置するよりは、最初から設計の段階で窓の配置を考えていた方がよい。

   だが一つだけ風について注意することがある。いくら自然の風が良いと言っても、隣が土の畑の場合だ。畑は土が乾燥していたりすると風でその土は巻き上げられてしまうため、網戸にしていても土が家に入ってきてしまう。また外壁に土が付着するとすぐに外壁は真っ黒になり、それをほったらかすと苔が生えたりする。また雨樋にも土が溜まり出すと、水はけが悪くなり、家の劣化を加速しがちだ。もちろんそんな敷地に家を作ると決まっている場合は、それなりの部材を選ぶ必要がある。またその畑がある方向には出来るだけ背の高い樹木を植えることをお勧めしている。少しでも土が入ってこない方が良いからだ。まあ、その前にその敷地はお辞めなさいと言っている。まあ、そんな土地は安かったりするので皆飛びついてしまうのだが。。

   そんな事を考えながら設計している。そりゃ30分じゃ無理だし、お金をもらわねばやれるお仕事ではない。

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2013年3月17日日曜日

工務店バンザイ

   僕は先日も書いたが設計のお仕事をしている。設計のお仕事をするためにはたいした資格はいらない。代表的な物は設計士の資格だ。この設計士の資格は比較的簡単にとれたりする。といっても筆記で約半数は落とされ、そして図面でも結構落とされたりする。合格率は20%ちょいだろうか。その設計士になるためには大学や専門学校に行くか、現場で数年働けば受験資格はカバーはできる。だが設計士の資格を持っているからといって設計事務所に勤める人はほんの僅かだろう。多くは工務店で現場で働いている人や、市役所の建築課に勤務している人が大半のはずだ。今でこそ20%ちょいの合格率だが、昔は結構簡単にとれたらしい。昔の大工さんらに教えてもらったんだが、田舎で設計士になろうとしても先生がほとんどおらず、職業訓練校などで先生を呼んできて図面を教えてもらっていたそうだ。だがそのテストを採点するのもそのその先生。品行が良ければ大抵は受かったそうだ。今と違い、デザインなどでハウスメーカーや工務店を選びはしない時代だった。なので設計の資格は本当のお飾り。どちらかと言えば棟梁の顔で仕事が入った。お客さんと一緒に飲みながら、 『じゃあ、あんた一軒作ってよ』 ってな感じで依頼が来て、 『祝ご契約』 となったそうだ。そこで資格をとった大工兼設計士が、ちゃちゃと図面を書いて、ハイできあがり。なので昔の工務店の設計士兼棟梁さんらが書く図面はちょっと僕らから見れば厳しい。。だが今の設計事務所の人間よりは面白い人が多いのは確かだろう。というよりは、そうでなければ仕事は来なかっただろうと思うし、そうでない人は会社をたたんでいると思う。

   その昔、僕は当時アトリエ系の設計事務所にいたのだが、とある工務店の社長さんから直接僕に電話を頂いた。内容は京都の真ん中にある町家を改修して、長屋風の集合住宅を作るという物。自分とこの設計士では手に終えないと思ったらしく、以前仕事で一緒だった僕に連絡してきたわけだ。そこで僕の事務所と施主さんとで打ち合わせをしたいので、場所はどこが良いか?と僕に聞いてきた。 『それじゃStarbucksでどうでしょう?』 と応えたのだが、 『何ね。。ドイツか?』 と言われた。社長さんは当時80歳を超えた元日本兵。どうも Starbucks という響きがドイツと思ったらしく、元同盟国のならと喜んでいた。 『いやいや社長、コーヒー屋です』 というと、 『それなら俺の行きつけの店の方がよい』 と言われた。嫌な予感したのだが、お迎えに来た社員さんが運転するベンツに乗せられ着いて行った場所は、一見さんお断わりの料亭。いわゆるお座敷だ。

   先に来ていた50代の施主である旦那さんとアルマーニを着こなす元日本兵の棟梁は、すでに酒が入っていて出来上がっている。そして横では舞妓さ~んが踊ってはった。社長と旦那さんは正直もう図面などはどうでも良いらしく、舞妓さんにうっとり。。なぜか酒も入っていない僕もうっとり。。なのでどうも打ち合わせなどする気が起こらない。。もうどうしようもないので、じゃあ次回は Starbucks でという事になり、僕は21歳の女性インテリアコーディネーターに白い目で見られながら、舞妓さんにお酒をついでもらってて上機嫌。そして社長さんの下ネタが冴えまくり、お座敷が盛り上がり、ハイご契約。まだ図面も決まっていないのに。。まあ、社長さんの人柄だろう。

   またある日、僕の設計事務所で別のお客さんと打ち合わせをしていたのだが、知り合いの工務店で施工できないか?と聞いてきた。設計事務所の人間は設計がお仕事なので、施工業者は別にどこでも良い。だがハイと図面を渡せば良いわけではない。また僕の事務所ではその工務店さんとは初めてのお仕事。よって僕は名刺をもってお客さんと一緒にその工務店まで行ってきたのだが、この事務所が異様だった。

   その事務所の玄関はたんなるガラスのサッシ引き戸が2枚あるだけで、工務店としてこれで良いのかという作り。またそのサッシから奧に1.5メートルぐらいの所にカウンターがある。横幅10メートルに1.5メートルなので、設計屋である僕らからみればとても狭い応接のスペースだ。だが異様なのはその壁の部分。サッシ以外は全て写真が貼ってある。その写真はどうやら家が完成し、引き渡しの時の様子なのだが、そこに映っているのは、その工務店の社長さんと事務員さん、そして施主さん夫婦に大工さんら全員が、万歳をしていた。200枚ぐらいはあったと記憶している。その写真の社長さんの目は超輝いているのだが、施主さんと大工さんらは目が超死んでいた。これが事務所の壁という壁全てに貼ってある。。大丈夫かこの工務店。。と思ってたのだが、社長さんのお話が面白い。気が付けば2時間ぐらいはいたはずだ。この社長さん、関西では有名らしく、テレビなどで耐震診断などの特集があれば必ず出演される。どうやってお客さんはこの社長さんを知ったのかは未だに謎だが、まあ仕事が早い社長さんだった。。

   世の中には色んな面白い社長さんらがたくさんいるとは思うが、建築業界ほど変な社長さんらはいないだろうと思う。よう~これで会社やってこれたなという人も多いが、時代がそれを許容したのかもしれない。

   今からの時代は生きにくかもしれないが、僕はそんな方々に恵まれてきた気がする。。

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