2014年1月24日金曜日

嗚呼、ソ連は遠くになりにけり

  昨日、宮崎市内をうろちょろしていたら僕の携帯が鳴った。親戚のおばさんからだ。『ちょっと姪っ子が高校受験だから、勉強教えてやってくれない?』という電話だった。なにやらその姪っ子は地元の進学校に通いたいらしいのだが、英語と社会ができないらしく、まったく受かる自信がないのだと言う。僕は来週から福岡に行かねばならないのでホントは忙しい。なので『毎日というワケにはいかないよ』とおばさんに言うたら、それでも良いと言うので承諾した。この娘は僕とは血はつながっていないが、よちよち歩きの頃から知っている。また親父に捨てられた娘なので、あまりに不憫なのでよく遊んでやった娘だ。もうそんな年になったのか。。と今更ながら思った。

  自宅に戻ると既にその娘が来ていて、母親と我が家では見たことがないおいしそうなシュークリームを食べいる。『ひょっとして持ってきたん?』と聞くと『そうだよ』と娘は言った。さすが僕が幼いころから教育しただけある。心遣いが憎い。『んで、僕のは?』と言うと『食べちゃった。。』と母親が言った。。テメェー。。お前のじゃないだろ。。そんな感じでお勉強はスタートした。

  彼女が言うには、彼女は明治以降がよくわからないという。まあそうだろう。僕も中学の頃はわからなかった。日本の歴史の教科書はじっくり読んでもピンこない。またどうもそのように作ってある感じさえする。また、明治以降になるとなぜか授業のスピードが異常に早くなるから、そりゃ覚えにくい。先生も日本の近代に対してはいろんな考えがあるので教えづらいのだと思うが、それらが試験に出ることもあるので勉強せなしょうがない。という事で、年表がずらりと書いてある資料集を開き、順序立てて説明してあげた。

  『1968年に五箇条のご誓文だろ』などと説明していると、『年表は覚えなくてはいけないの?』と彼女が言った。別に年表を覚える必要はないが、順序立てて事象は覚えておけば良いと教えてあげた。すると『どうやって覚えたの?』と彼女が聞いてきた。考えてみると、中学の頃僕も年表を覚えるのに一苦労。いろんな本を読んでゴロで覚えたものである。『廃藩置県、武士で迷わぬ人はない(1871)』『日清焼そば、いっぱい食うたよ日清戦争(1894)』『生稲晃子がロシア革命(1917)』と覚えているかぎり教えてあげた。すると、『ロシア革命って何?』と聞いてきた。『1991年まで続いた世界初の社会主義国家だよ』と教えてあげなたら、『社会主義って?』と彼女が聞き返す。う~ん、そこは長くなるから覚えなくてヨロし!!

  だが、よくよく考えてみれば、彼女が生まれたのは1990年代の後半であり、ソ連という人口国家があったことや、冷戦と呼ばれた時代があった事は、彼女にとっては教科書では見知っているだろうが肌身では知らない。物心ついたころにはすでにプーチンという、なんかおっかない人がいる国であり、混沌としたよくわからない国といったイメージなんだろう。思い起こせば、僕が彼女の年頃にソ連は崩壊し、チャウセスクが殺されたわけであり、僕はテレビにかじりつくようにして見て、否応なしに時代の流れを感じさられた記憶がある。ソ連崩壊が今から23年前という事を考えれば、当然と言えば当然だろうが、ソ連も遠くなったんだな。。としみじみ思わされた。

  結構二人ともソ連で盛り上がったりしたが、ソ連だけ覚えてもしょうがないので次に進んだ。

  行くよ一発(いっぱつ)真珠湾攻撃(1941)

  日中仲良ければ、得なはず(だった。。)日中友好条約(1978)

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勉強がんばれ、受験生!!
※ご報告
来週から福岡に出張のためブログを1週間ほど休みます。
すみません。
博多で毎晩飲むようです。。
ただチェックはできる環境にありますので、
建物のご依頼ご相談はメールボックスやコメントまで!!

2014年1月23日木曜日

北九州工場夜景は美しい

  朝方、いつものようにNHKを見ながら朝食をとっていると、北九州市の夜景を紹介していた。なんでも北九州市の工場をライトアップすることによって観光客を呼び込もうという取り組みであるそうだ。実は数年前から僕はこの北九州市の取り組みに注目していた。というのも『夜景サミット』などを開いていたりして、なにやらアグレッシブに夜景を押している感があるからだ。きっと面白く、また活動的な人がこの工場夜景プロジェクトを仕掛けたのだろうと思う。その北九州市の夜景を見ながら、その夜景と仕掛け人は実にカッケーと思った。

  昼間は美しくないという方々が多い工場ではあるが、僕的には狭い日本ではこれはしょうがないと思う。工場がなければ僕らの生活は成り立たないからだ。もちろん細かいことを言えば、いろいろ景観的なおさめ方もあるにはあるのだが、それはそれ。だが夜の工場がこれほど神秘的なのには少し驚かされる。放送をよく見てみると、その工場の明かりは単に明かりとしてあるのではなくスポットライトで演出されている。どうやらプロの手が入っているようだ。以前僕が京都市役所に勤めていたころ、ある一本の電話が入ったのを覚えている。『私、きっとご存じないと思いますが。。夜景専門家の○○です』正直、そのような職業があるという事を知らなかった僕はきょと~んとしてしまった。まあこれは10年前のことなので、そんな夜景を演出するプロの方々も現在では増えてきているのだと思う。素晴らしいことだと思う。

  僕は設計のお仕事をしているのだが、やはり光の演出などは家を構成するうえでとても重要だと思い、設計をする段階で電気屋さんなどに相談にのってもらっていたりしている。僕はそれなりに知識として明かりの演出は勉強はしてるが、やはり収まりや色温度など電気屋さんは電気屋さんなりの考えもあるし、お互いの意識の摺合せは、よい家を作るためには重要だと思うからだ。単に『明るい』だけでは家を作るのに味気ないと思う。仮に北九州の工場群に光の演出が入っていなかったら、やはり夜景サミットを開くまでには至らなかったとは思う。

  最後に、放送では『今後の課題として、ボランティアガイドの育成。。』と言ったらっしゃった。そこに僕はひっかかった。“ボランティアガイド”いう事は、“観光ガイド”ではないので無償なのであろうが、僕は人を動かせたらやはりしっかりと報酬は与えるべきだと思う。その方が街の観光産業の発達にも最終的には貢献すると思うし、無償であると続けること自体がガイドさんにとって負担である場合もあり得るからだ。もちろんボランティアを進んでやりたい人もいるだろうし、本業の片手間でやれるよという人もいるのはよくわかる。だが『ボランティアやられたら僕らとしては参入できないね。。』とぼやく僕の地元の小さな観光業の親父さんを僕は知っているだけに、僕はそんな事を思ったりした。

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いつか行ってみたいな北九州市!!
よっ!夜景観賞受賞!!
さすが、日本五大工場夜景!!

2014年1月22日水曜日

灯台のあるcafe

  先週末、一人夜のドライブを楽しんでいた。と言えばかっこ良いが、宮崎のイオンで買ったユニクロを本屋で起き忘れ、お客様センターまで取りに行った。その帰りのこと。結構な時間となり車を走らせていると、明かりが見えた。『あっ、灯台だ!!』と妙に嬉しくなった。僕は昔からお城の石垣と灯台を見つけたら、飛んで火にいる夏の虫。すぐに近くに行きにやつきたくなる衝動に駆られる。すでに9時半を回っていたし、どうせ行っても入れるものではないとは分かっていたのだが、その灯台の明かりへ向けて車を走らせた。現地についたら案の定、『関係者以外の立ち入りを固く禁じます』という赤くさびた看板がフェンスに貼ってあり入れない。『まあ、しょうがないよね~』と一人灯台へ向かってつぶやき家に帰った。

  昨日、毎月定期購読している建築系書籍を買うため宮崎のイオンまで行ってきた。その帰り道に、先週末に見れなかった灯台が昼間なので見えた。先週は夜だったので見てみようと自分に言い聞かせ、灯台へ向かった。現地に着くとやはり赤い看板があり、夜にはわからなかったが実に草ボーボー。予想はしていたがやはり味気ない。もう少し美しく手を入れてもらったら美しい灯台になるんではないかなと思ったりした。

  僕がまだアメリカに住んでいた頃、友人が画家であったのでよくギャラリーやその手のお店へ行った。当時、僕は建築に対するあこがれは全くなかったのだが、そのお店などに行くと必ずおいてあった灯台に目がいった。どうやらアメリカ人は灯台が好きであるらしく、結構な数の灯台の絵が飾ってある。その絵らはとても美しく見てみたいな~と思ったりしたものだ。ある日、当時勤めてた会社から出張を言い渡された。仕事の場所や内容は忘れたが、そこは有名な灯台があるらしく同僚もテンションあがっている。現地に着くと灯台が遠くに見える美しい街であった。出張とはいえ、やはり見てみたい。同僚も同じことを考えていたらしく、さっさか仕事を切り上げてその灯台へ向かった。

  その灯台は細長い岬の先端にあるのだが、ユニークなのはその灯台の横にcafeがある事だ。どうやら灯台の管理所だったところをcafeとして改修をしたらしい。そしてそのcafe2階と3階は宿泊所となっており、観光客がにぎわっている。そして灯台は現役である。だがもちろん入れはしない。入り口はあるのだが、僕の地元の灯台のように赤くさびた看板で『関係者以外の立ち入り』うんぬんなどはなく、ちょっとした注意書きがある程度であった。良く見るとその灯台の横では中国系らしいカップルが結婚式を上げていた。おもわず出てきた花嫁に対しみんなで起立。そして拍手。そんな出張であった。今では良い思い出だ。

  今考えると、灯台の使い方として面白いと思う。灯台とはもちろんだが背が高い。という事は海からだけでなく町からも見えるわけであり、それを美しくすることによって町にも貢献する何かが作れるのだろうと思う。もちろん山陰にひっそりとある灯台だってある。だがそれらもそれに合った有効活用ができるんではないだろうか。別に『cafeにしろ』とか『ホテルにしろ』と言うつもりはさらさらない。だが草ボーボーよりはましな気がする。機能性だけ追求すればそうなるのだろうが。。警備上の問題もあるだろうが、無人の灯台よりも人が多いほうが警備上良いとも思うんだがどうだろう?

  灯台は夜だけにあるものではない気がしている。

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その方が面白いと思いません?

2014年1月21日火曜日

薪ストーブと地震

  どこで聞きつけたかは知らないが、最近我が家の薪ストーブを見学に来る町内の方が多い。どうやら僕が住む宮崎の田舎町では薪ストーブがブームであるらしい。薪ストーブは暖かさが他の暖房機器と比べてもまったく違う。そして部屋の表情も素敵に変えてくれるので設置する人々が増えたのだろうと思う。だが、他の暖房機器と比べ手間がかかるのは事実だ。もちろん薪を手に入れる必要があり、またメンテナンスも小まめにしなくてはならない。それを惜しまなければ素敵で安全な薪ストーブライフを送ることができるとは思う。来られる方々は、僕が設計屋をしているせいか、設置方法から防火対策などいろいろ聞かれる。本当は専門の業者さんなどにやってもらった方が良いとは思うのだが、我が家に来られる薪ストーブを設置しようとする人々はほとんどが農家さん。大工さんや業者さんに頼もうと思っている人はまずいない。なので知っている限りの情報は教えるようにしている。でないとやはり農家さんは建物に関しては僕らよりは素人さんであり、やはり危ないからだ。先週に我が家の薪ストーブを見学に来られた方から、こんな質問が来た。『薪ストーブに火を入れている時に、東日本大震災のような大きな地震が来たら転倒などして危なくないの?』

  僕は東日本大震災の時には、保険会社の損害保険鑑定人として東京は銀座、そして宮崎は仙台の地震災害対策本部に入り鑑定のお仕事をしていた。保険の鑑定人とは、地震の場合は建物を鑑定して、保険でいうところの『全損』『半損』『一部損』『無責』を保険会社の人間としてではなく第三者として鑑定するのがお仕事だ。僕が仙台に入ったのはすでに地震から2月ほどたった後であったが、まだまだその傷跡はひどく、まったく片付けができていない家は結構な数あった。そんなある日、鑑定に行った宮城のあるお宅で『兄ちゃん~、薪ストーブがずれてんだけど、なすて保険金は無責にされるっぺよ?』と聞かれた。

  見てみると、確かにずれた跡がある。薪ストーブの下にはタイルがあるのだが、その薪ストーブの足場が引きづった跡がタイルにしっかり残っていた。家財の保険支払の場合、薪ストーブなどを単体で鑑定するのではなく、家財の種別にどれくらいの被害がでたのを見るため、薪ストーブだけでは鑑定はしないことを依頼者様には納得して頂き、その親父さんと薪ストーブをしみじみ見つめた。そのお宅はピアノまで倒れていたので、状況から考えると震度は6ほどは出たのだと思う。よく見ると薪ストーブの足場とその下に敷き詰めてあるタイルを固定するボルトなどはない。『よく転倒せんかったもんですな~』と僕が言うと親父さんも『んだな~』と言うた。

  ではなぜこのお宅の薪ストーブは転倒しなかったのかというと、それは重量があったのと重心が低かったのが理由だと思う。薪ストーブの重さは軽いものでも50㎏ほど。重いものだと100㎏は超える。そしてもちろんだが薪ストーブの上部には煙突があり重心は低い。つまり重量のある本体が下にあり、比較的上部は重量のない。なのでずれただけで転倒はしなかったのだと言えると思う。これが重量があっても重心が高い薪ストーブであったら転倒する可能性もあったのかもしれない。実際にそのお宅のアップライトピアノ(グランドピアノではない、背の高いピアノの事)は倒れていた。ピアノは重量は薪ストーブよりは重い(100㎏~200㎏)だが、アップライトタイプのピアノの場合、重心は比較的高い位置にあるので倒れたのだと思う。

  気を付けないといけないのは、地震の時の薪ストーブの危険性は転倒だけではないのだと思う。多くの薪ストーブは薪のくべ口が横または正面についているタイプのが多いのだが、このくべ口は結構緩くできているタイプが多い。特に安モンである我が家の薪ストーブなどはそうだ。実にペロンペロンとすぐに開く。仮に火を薪ストーブに入れた状態で地震が来て、くべ口がパカっと開いたりしたらどエライ事である。内部は200°ぐらいになっているのでどう考えても危ない。やはり薪ストーブを設置するならちゃんとメンテナンスや防災の知識は重要なのだと思う。

  もちろん消火器も用意しましょう!

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さあ、お仕事お仕事。

2014年1月20日月曜日

仕事と服装

  昼前に煙草が切れたので近くのコンビニまで行ってきた。そのコンビニに行く途中に自販機はあるんだが、僕ら設計屋の仕事は、日によっては誰ともしゃべらない日もあるわけで、コンビニで『ハイを押してください~♡』と若い店員に促される、その会話だけでもちと嬉しい。よって積極的にコンビニで煙草を買うようにしている。実に設計屋のお仕事とは、引きこもりに似ている。。

  お店ではその程度の会話しか普段はしないのだが、めずらしく店長さんが話しかけてきた。『設計屋さん(僕はそう呼ばれてる)、集成材ってどうなの?』と質問された。んっ!?なんぞな。。とは思ったが、あくまで一般論と断ったうえで、いろいろ教えてあげた。すると隣にいた入って数か月の20代の店員さんが『えっ!?建築家さんなんですか?』と言ってきた。『建築家ではなく設計屋ね♡』と断ったうえで、どうでもよい話をしていた。どうやら困ったことに、若い彼女は僕がいつも昼時に煙草を買いに来るので、『プ~』だと思っていたらしい。。『建築家さんってお金持ってそ~』と彼女は言ったので、『金持っていたらもっとエエカッコをしてるって。。』と言うと、『確かに。。』と余計な事を言いやがった。。

  道の真ん中を歩いたら『匠』と呼ばれるテレビ番組がはやったせいか、建築家さんに対する妙なステレオタイプが広がったようだ。大体男性の場合は、無印良品のような服を着たナイスミドルでズボンはジーンズかチノ。髪の毛は染めてはおらずロマンスグレーで、結構値段が張りそうな良さげな時計をはめていたりする。街にいるちょっとした小金持ち。まあそんなイメージだ。

  だが実際に設計をする人々を多く見てきたが、もちろんそんな恰好ばかりしているわけではない。背広を着ている人もいれば、ジャージを着て仕事をしている人もいる。最近ではユニクロ系の服を着ている人もいるだろう。設計というお仕事は普通に戸建住宅を作ったところで儲けが出る職業ではない。やっと自分の日当がでるかな(下手すりゃ日当4000円を切ることもある。。)というぐらいしかお金が出ないので、それほど皆、服装にお金をかけるわけではない。僕らの仕事は、しっかりした服を着れる人が要求されるのではなく、良い建物を設計する人が要求されるお仕事であるので、服装はみなさん好き勝手着ている。まあ、設計の仕事環境とはその程度のモンだ。

  以前僕が京都で設計事務所に就職すべく面接に行った時の事、『うちの事務所は背広だよ』と言われたのでキャンセルを申し出たことがある。面接のときに見渡すとみなよれよれの背広を着てらっしゃる。設計業は拘束時間はバカみたいに長い。もちろん休日出勤は当たり前だと考えると、手取り10万以下で背広だと、アホらしくてやってらんない。まあ社長さんは外車でブイブイだったが。。

  僕はというと、どうせ我が事務所に来るのは業者さんだけだと腹をくくっているので、1280円で買った方位磁石つき時計(方位はとても重要!!)を手に装着し、Aコープで買ったチャンチャンコを着てお仕事をしている。チャンチャンコがあるとないとでは光熱費が違うからだ。チャンチャンコを着て仕事をできる職業につけて幸せだな。。とつくづく感じている。

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さすがにチャンチャンコでコンビニには行きません。
あしからず。

2014年1月17日金曜日

ネオ・城下町が美しい

  僕がまだ高校生の頃、僕が通った宮崎県立高鍋高校ではクラブ活動の時間と呼ばれるものがあった。これは部活動とは違い、ひと月に1時間ほど選択したクラブに所属し、その活動を行うというものである。選択といっても人数枠があるようで、第1候補から第5候補まで用紙に記入させられた。僕はなんとなく、第一候補からテニス・野球・美術・音楽の順で選んで行ったのだが、どうも第5候補が出てこない。う~んどないしよ。。と悩み、とりあえず興味はないが『郷土史研究会』と書いたら、先生の嫌がらせか見事に『郷土史研究会』に選ばれてしまった。。当時は郷土史などには全く興味はなく、困り果てたがとりあえずクラブには出席はせなイカんだろ。。とクラブに顔を出すと、生徒は僕を含めてたったの5人。同学年は一人もいない。。そして先輩方も『余計なモン書くんじゃなかった。。』という顔をしている。それに先生も『なぜ皆さん来たんですか?』とのっけからやる気がない。結局はそのクラスは1人減り、2人減りとだんだん他の生徒も来なくなり自然消滅してしまい、気が付けば『ボンバーマンを隠れてやる有志の会』となってしまったが、最初の方だけはまじめにやった。

  そんな村八分のようなクラブ活動ではあったが、先生にいろいろ教えていただいた。先生が言われたのが、『日本の城下町で、市ではないのは高鍋だけだ!!ワイルドだろ~』ということ。確かに高鍋町は江戸時代には高鍋秋月藩2万7千石の藩都ではあったが、現在も市ではない。現在の人口は2万1千人を少し超える程度の典型的な田舎だ。これといった産業があるかと言えば、酒造が少し有名かな。。(百年の孤独など)という程度。また先生にこの辺りのこの路地が城下町の風情を残しているとは教えていただいた。が、頑張ってそう思わないとかぎり城下町には見えない。。う~ん、城下町ってなんなんだ?という事ばかり考えさせられるクラブであった。

  昨日、ぼ~といつものように夕暮れ時のNHKを見ていると、『ネオ城下町・高鍋町』というものをやっていた。ん!?何ぞなと番組をガン見する。NHKさんが言うには、さびれた商店街を何とかせなイカん!!と有志の方々が集まり、街を新しく城下町風に作り替える取り組みなんだそうだ。確かに、たまに高鍋町に行くのだが、ちらほらそんな城下町風の建物が散見されだした。城下町風の建物といっても厳密には武家屋敷ではなく町家である。その町家もどことなく大味な感じはするが、たぶん同じ人が設計しているのか一定のカタチになっていて、纏(まと)まりがあるようには思える。

  僕の記憶が確かなら、以前高鍋の有志の方々は暖簾(のれん)を作っていたと記憶している。だがそれは不評であった。僕はそれをニュースで知ったのだと思うが、僕は素晴らしい行為だと思い、高鍋のとある店でそんな話をマスターにしたのだが、『なんでそんな事を進められるのかわからん!!』と言われていた。『それに高いし!!』とも言っていた。またとある業者の姉さんとお話しした時は、『古いデザインのものばかり作って。。』と酷い言われようであった。詳しくは忘れたが聞くとその暖簾は、確かに結構な値段がしていた。だがそのデザインはとても美しく、素晴らしいデザイナーがこの高鍋にもいるんだなと思ったのを覚えている。

  最初は、そんな批判的な人もいたのであろうが、少しずつ城下町づくりは進んできたらしく、最近では建て替える時に町家風にすると補助金がでるようにもなったようだ。それに少しづつではあるが、新規参入してきたお店もちらほらあり、街が少しづつではあるが活性化しているようではある。さびれていた街がこのような取り組みで蘇るのは素晴らしいことだと僕は思う。

  僕はこれが景観つくる取り組みとしては良いモデルケースだと最近は思っている。欧米のように一律に法律や条例で街の景観を作るというのは日本では難しいのではないかと思うからだ。なぜなら日本には景観を美しくという志は元からない。なので有志の方々が、『勝手に』美しくしようと動きだし、その動きに賛同する人々がまた動き出し、一定のルールを取り決めだす。そしてそれに市町村が乗っかる。このような動きでなければ日本の景観を美しくする運動は前に進まないのではないだろうかと思っている。ただその運動の中にはデザイナーや設計家は必ず入れたほうが良い気がする。やはりプロの人々はそれなりの勉強をしているので、その方が美しいモノや街を作れると思うからだ。

  近いうちに、有志の方々とお話をすると思うので、その時はまたこのブログに書きます。

  批判する人もいるだろうが、そこは無視してがんばって!!

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よっ『がんばる商店街30選』受賞!!

2014年1月16日木曜日

窓は文化度を測る目安なんだな

  建築設計のお仕事をしていると、必ず立ち止まって考えさせられるのがファザードだ。ファザードとは建物を正面から見た表情のこと。つまり建物の顔の事をいう。もちろん正面とは、その建物が一番よくみられる場所。つまり単に前面道路からであったり、隣地に公園などがあればそこが正面であるのだと思う。そのファザードをどのような表情にするかでその家の評価も全然変わってくるものだ。そのファザードに大きく影響を与えるのが、やはり窓などの開口部だろう。

  窓とはもちろん明かりを取るため、そして空気を入れ替えるために基本的にはある。建築基準法でも、採光率というものがあり、居室の床面積に対して、窓の面積はこれ以上は必要ですという決まりもある。であるので、おのずとその居室から窓の大きさは決まってくる。だが居室がこうだから窓はココね♡、と配置ばかりを考えていれば良い表情が生まれてくるかといえば、違うのかもしれない。やはり窓や窓際の演出が街の景観を美しくするためにも必要なのだと思う。

  僕は妄想でしか行った事はないのだが、スイスやドイツの古い家々には、窓際に花が生けてあるイメージがある。バルコニー等の花は外部から見ても、部屋の中から見ても魅力的な演出だろうと思う。こんな演出があるからこそファザードは美しく、街が美しく見えるわけで、ツール・ド・フランスなどでも自転車で走りたくなるし、ジグソーパズルでも絵になる。

  またあえて演出をするためだけの窓を付けるのもよいのかもしれない。日本の和室には、最近作る人は減ってきたが、床の間という和室を演出するための空間(演出だけでなく光取りでもある)がある。またおしゃれな街を歩くとわかるのだが、お店を気に入ってもらえるような演出をされているところが多い。別に演出だけを大きくする必要はないとは思うが、表情を付ければその家は美しく見えるだろうと思う。まだほかにも暖色系の明かりを入れる、外壁の色を考える。そういった演出をファザードに施すことによりその家だけではなく、街の表情も美しくなるのではないだろうかと思う。

  以前、『窓はインテリアであり、エクステリアでもある』とYKKさんがテレビで言っていた。さすがYKKさんだ。まさに窓ひとつとっても街の表情は変わってくるものだ。

  バルコニーを布団や洗濯物でカラフルに演出している我が町のマンションを見て、そう思ったりした。

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布団や洗濯物は見えないところで干しましょう!!

2014年1月15日水曜日

里山崩して太陽光発電を作る話

  昨日、いつものように自宅兼事務所でお仕事をしていると、『こんにちわ~』と若い女性の声がした。ん!?宗教の勧誘でも来たのか?と思いながらごそごそ庭に出ると、アラサーの女性が制服らしいジャンバーを着て突っ立っている。『私、太陽光発電の件でお伺いしました』と僕にパンフレットを手渡してきた。ああ、太陽光発電の営業さんね。。

  なんでもその女性が言うには、僕の家の余剰敷地を太陽光発電施設とするために売りませんか?との事であるらしい。別に太陽光発電業者に土地を売るつもりはさらさらないが、一応聞くことにした。彼女が言うには、太陽光発電業者が高額で土地を買い取ると言っていた。値段は一坪20万ほど。僕の住む宮崎の町の街中の土地の値段が2万程度だとすると、どえらいエエ値段である。まあ、それだけお金を払っても赤字にはならないという事だろう。また出資してくれれば、利益も分け与えるとのことだ。う~ん。。うまくできている話だ。

  太陽光発電が嫌いな僕としては、売るよりもゴルフ場の芝生農家などに貸して賃料もらった方がずっと良い。もちろん景観的に他人様に迷惑をかけるわけではないし、お金も継続的に入ってくる。それに芝生だと、僕はきっとやってないが。。ゴルフの打ちっぱもできるだろうし、凧上げだってできるからだ。一応、親にパンフレットを渡すという事で資料を預かり、太陽光発電女と四方山(よもやま)話をしているといろいろ教えてくれた。彼女が言うには、昔と違い太陽光発電の設置料金が下がってきたため、個人の余剰敷地に設置して売電される賢い方々が増えているという事だ。確かに最近増えた。僕の隣町には、自分の家の庭をすべて太陽光発電にした強者までいるくらいだ。そして彼女はつづけた。『あそこの土地も、今度太陽光発電を取り付けることになったんですよ~』と笑顔で彼女は里山を指をさした。。ん!?あそこって。。我が家のすぐそばじゃないか。。

  僕の家は格段『素敵な』というほどでもないが、里山と呼んでもよいところだ。我が家のすぐ裏は山であり、昔からいろんな果樹や雑木林があったりする。彼女が言うには僕のご近所さんが高齢のため雑木林の手入れができないので、ご契約となったそうだ。。という事はその里山の一部が数年後には太陽光発電に変わり、あのギラギラした工業製品感が僕の地区に漂う事となるという事か。。実に僕としては迷惑な話である。

  僕は太陽光発電が景観ストレスを生み、近隣住民の資産が目減りするという理由だけで太陽光にぶ~ぶ~言うつもりはない。どうもあの太陽光発電の促進付加金制度自体がとても胡散臭いと思っているのも一つの理由だ。いくら太陽光発電を促進するという大目標があったとしても、資産に余裕がある人しか太陽光はつけれないのであり、またそのおかげで僕らの電気料金は跳ね上がっている。また太陽光の発電単価は30円~40円と言われており、原子力が8円、福島第一原発事故で発生した補償金を加えても10円ちょいという事を考えれば、どう考えてもまだまだ良いエネルギー源とは言えないとも思う。

  一応笑顔で彼女に聞いてみた。『その里山に太陽光発電できたら、金属バットもって仲間と壊しに行ったら問題あるかな?』すると彼女は、笑顔で『有刺鉄線があるから入れませんよ~』と答えた。。

  里山に有刺鉄線って。。どんだけ迷惑かけるつもりなんだ。。

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法律で規制できないもんかな。。

2014年1月14日火曜日

初めまして、よろしくお願いします。

  日本ブログ村のカテゴリー『街づくり・地域おこし』の皆さま、そして『延岡市』の皆さま、初めまして。今まで『宮崎県』と『宮崎・その他の街』というカテゴリーでブログを書いていた絶対景観男と申します。新年が明け、一歳年をとったことがきっかけで、『今年こそはまじめに景観について考えていくぞ!!』『今の会社はは県北だし。。』まあ、そんな思いでこちらのカテゴリーにお邪魔する事となりました。初めて読まれる方も多いと思いますので、今日はこのブログと筆者である『僕』について説明をしようと思います。

  そもそもこのブログは、昨年の夏まで僕が勤めていた西都市の工務店のホームページのSEO対策のために始めたブログです。わからない人のために書くとすれば、SEO対策とは、GoogleやYahooの検索ランキング上位にそのホームページを記載させるための方法です。もともと『自分から物事を発信するモノなんてない!!』『ブログなんて何が楽しいんだ?(いまだに楽しいとは思ってませんが。。)』とず~と思っていた人間が、急にブログを書くはめになったワケで、大慌てで作ったのがこのブログです。

  このブログ名は『絶対景観ブログ』と言います。これは僕が留学していたアメリカから帰国し、日本の景観に絶句。。これはイカン!!と思い、今までのキャリアをすべて捨てて設計の世界に27歳から入り仕事をしていく中で、『景観を美しくするためには、絶対に守らなくてはならない一定のラインがあるあるはずだ!!』という思いから、『絶対景観ブログ』という名前にしました。。と公式には言ってますが、本当は『ああ。。ブログ名どうしよう。。どうしよう。。』とトイレに座りながら考えていたら、ポンと浮かんだのがこのブログ名です。2秒ほどだけ考えました。。

  僕のお仕事は主に住宅を設計しています。宮崎県の日向市財光寺にある設計事務所に所属していますが、ほとんどは自分の自宅で設計しています。またインスペクションという耳慣れない仕事もしています。これは中古住宅などを売り買いするときに、第三者として建物を診断するお仕事です。インスペクションを受けることにより、既存住宅瑕疵保険などもつける事ができるので、これから増えていくだろうとは思ってますが、まだまだ無名のお仕事です。また損害保険の鑑定人や耐震診断もしていたりします。

  これからも今までと同様、土日と国民の休日以外はこのブログを更新する予定です。また設計やインスペクションのご依頼やご相談がありましたら、右のメールボックスまでお願いします。お仕事の範囲は西日本全域です。

  国語力がないので誤字脱字、句読点のつけ間違いの多い、いい加減なブログですが、皆々様、よろしくお願いします。

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2014年1月10日金曜日

寒椿の生け垣

  僕ら設計の仕事はとても集中力を要する。仕事柄、誰にも相談できないワケであり、また時間を自分でコントロールする事が求められる。どちらかといえば自分との闘いのようなお仕事だ。だからと言って僕が集中力があるかと言えば、ビビるぐらい無い。。集中力を高め、一気に仕事を進めたいという願望はあるのだが、なかなかそうはいかない。そんな時、僕の場合は図面はいったん諦めて、箒(ほうき)で庭をを掃いている。どうやら僕にとって、あの一心不乱に一定のリズムで手を動かす動作が脳に心地よいらしく、すぐに集中力がアップするようだ。

  昨日も集中力がすぐに落ち、世の中の四方山(よもやま)ごとをつらつら考えだし、だが、これじゃイカン!!と竹箒を取り出だした。庭をゴソゴソ掃いていると、昨日は風が強かったせいか、さまざまな種類の葉っぱが落ちていた。その中に赤い花が一輪ほどへっしゃげて落ちている。『あっ寒椿だ』と我が家の庭に寒椿があるのをすっかり忘れていた僕は、その花をしみじみ見てしまった。

  椿の花は昔は武家の家では縁起の悪い花としてあつかわれていた。椿の花がトンと無造作に落ちるその姿が、首が落ちる姿を連想させるからなのだそうだ。また赤い花びらなどが地面に落ちると、地面が血に染まるように赤々としているからだと言う人もいる。僕のご先祖は高鍋藩という小さな藩のお侍であったので、母親が椿の花を買ってきたときなどは、曾祖母にこっぴどく叱られたそうだ。だが曾祖母が亡くなり、花好きの母親が堂々と縁起を無視して植えたので、我が家の庭には寒椿が咲いている。

  思うのだが、縁起が悪いと言われ続けた椿だが、なぜ昔からの日本のあちらこちらかで見るのだろうか?椿は生け垣などによく使われていると思うが、どうしてだろうか?あくまで想像でしかないが、寒椿の開花時期は11月から2月だと言われるワケで、あまり花の咲かないシーズンに咲く寒椿は、さびしい色になりがちな季節を彩るのに日本人にとって嬉しかったのかもしれない。銀閣寺の寒椿の生け垣を見るとそんな思いにかられる。しかし、銀閣寺の生け垣の寒椿は本当にため息が出る美しさである。

  最近は家を作る際には、植栽の生け垣という選択肢は少ない。やはりそれはメンテナンスに手間がかかるからというのが理由だろう。工業製品が当たり前の世の中となって久しいが、中にはその建材からくる景観に対するストレスが目につく。ブロック塀などはどうしてもその色からして街を暗くしてしまうし、初めは塗装されて美しかったフェンスなども劣化のため汚く見えてしまいがちだ。

  日本の景観は工業製品があふれる前まではそれほど悪くはなかったと年配の方々はよく言われる。それは地元の植栽や土・木材などで建物や塀を作っていたので、ある一定の統一感があったからだともいう。以前、美の壺という番組だったか、確か鎌倉特集が放送されていた。そこで出てきたのが、鎌倉の生け垣の美しさだ。これが実に美しい植栽で門扉周りを飾っている。美の壺という素敵な番組に取り上げられるという事は、多くの方の共感が得られる美しさと言う事だろうと思う。これなら景観に悪影響も出さないのではないだろうか。

  我が家の寒椿を見ながら、僕は植栽の復権があってもよいのではないかと思ったりしている。と書きながら、多くの方はメンテナンスから敬遠するだろうから、僕の家だけでもそうするぞ!!とちょっとだけ思った。

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ご報告
いつも上記のブログ村のバナーをクリックして頂きありがとうございます。
昨年末に書きましたように、現在所属しているブログ村のカテゴリー『宮崎・その他の街』と『宮崎県』からは本日をもちまして抜けようと決めました。
新しいカテゴリーは『街づくり』と、『日向市』もしくは『延岡市』もしくは『住宅診断』を予定しています。
どうぞこれからも、ごひいきによろしくお願いします。

2014年1月9日木曜日

街を小さく美しく

  こんなブログを書いているせいか、稀に『景観まちづくり』をされている関係者さまにお呼ばれする事がある。そんな時によく聞かれるのが、どうして日本はこんなに景観が悪くなったのか?また、どうすれば景観が美しい街を作れるか?という事だ。別に僕は景観に関するブログを書いているからと言って景観アドバイサーだというつもりはないし、その自覚もない。だが一応僕なりの意見を言わせて頂いてはいる。

  なぜ日本の景観はこれほど悪いのか?日本の景観という事は、対比としてヨーロッパなどの景観先進国があるのだと思うが、ヨーロッパなどの古くからある景観がある一定の基準を持ち統一感のある街並みが良好な景観だとすれば、日本は当初から景観への『志』自体を持ち合わせていなかったというのがその答えなのかもしれないと僕は考えている。

  ヨーロッパなどの景観先進国とよばれる国々では、個人の建物も含むすべての建物は公共物という観念が強い。たいていの場合、街並みはその地域の建築家と行政が協議し、ある一定のラインを決めたり、国が関与しているところが多いようだ。だが、日本は景観への意識が元よりないに等しいので、個人住宅を作るという事は単なる財産権の行使であったりする。

  この日本的な街づくり。これ自体が悪いのか?と言えば、そうとも言い切れないと僕は設計屋のくせに思っていたりする。ヨーロッパの家などはもともとは石造りであり、これを大型化するために建築家と呼ばれる専門的な職業が必要とされたからこそ、この建築家が街づくりにも携わる事へのコンセンサスがとれ、ある一定の景観的な基準を保ってきたのではないかと思う。また政治的、社会的、そして宗教的な要求もあったのだと思っている。だが日本の場合だと木材が豊富なわけであり、木造が中心だ。石材などと比べ比較的簡単に作れる木造建築は建築家という専門職を必要性はそれほどなく、また基本的には地域の木材や土などを使用していたわけであり、統一した景観的な基準を作る必要性自体がなかったので、ヨーロッパ的なコンセンサスは必要なかったのだろうと思う。

  ではどうすれば美しい景観のある街並みを作ればよいのだろうか?これが実に難しい。景観先進国のように、昔から景観へ対するコンセンサスが取れている国々なら、市などの景観条例を触ればよいだろうが、日本の場合はそうはいかないだろう。日本の場合だと景観へ対する考えは意識の高い人々の中でもかなりの違いがあるし、もちろんその意識を持っていない人々だって普通にいる。それにこれ自体が悪いことだとも僕には思えない。八百万の神々が住む国にコンセンサスの統一自体、ガタい無理がある。

  最近僕が考えているのは、街全体を一つのルールで縛るのではなく、一つの地区、もしくは一つの通りだけ、本気で美しくしようという事だ。別に大きい通りである必要はなく、できるだけ参加する人間も少なくてよい。大勢いるとコンセンサスは取るのも難しいし、嫌だって人だってもちろん出てくるからだ。なので人間は少くなく、有志だけで良いと思う。その指定した地域には、もちろんそこだけの基準を作り上げ、それにしたがって街並みを作っていく。そうすれば、自然と人々も面白いことをやっているグループがいると注目をしてくれるだろうし、そうすれば自然発生的に他の地区や通りも真似をしてくれるのだと思う。

  それが日本で景観を美しくしていく手法なのではないかと、最近思ってきている。

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2014年1月8日水曜日

関西ダンディーの死

  昨日の朝方、ブログを書き終わり、さあ仕事のこのこ進めていると、ブログを書いた後の軽い疲れかふとYoutubeが見たくなった。別に朝っぱらからYoutubeを見る趣味はないのだが、なんとなく見ようと思いクリック。別に理由もなく、昨年の12月30日に放送された『そこまで言って委員会』をガン見した。僕はこの番組が好きで、関西に住んでいるころはよく仕事をしながら見ていたもんだ。宮崎に帰ってからは自分の部屋にはテレビがないので見ることが減ったが、この番組の正々堂々とした空気が好きで、たまにYoutubeなどで見ている。夕方過ぎにふとニュースをチェックしようと、ネットを開くと、やしきたかじんさん死亡のニュースが出ていてショックを受けた。

  僕が京都に住みだし驚いたのは26歳の頃。それまで19からアメリカに住んでいたので、また、当時はまだYoutubeなどはないので、知っているのは宮崎のテレビ情報でしか知らない。なので関西に住みだして宮崎では見ることができない面白いテレビが、当たり前のように流れている事にはビビった。

  まずタージンさんという、カメラ下からフレームインしてくるスンごい凄腕のレポーターがいる事。宮崎では『バレエティー生活笑百科』に出てくるNHKのパートさんだと思っていた上沼恵美子さんが、大阪城の3階に住んでいた事。またベストテン辞めてなにやってるんだろ。。と思っていた久米博さんがニュースキャスターやっていた事。田原総一郎さんと言う人が、なんか凄い。。という事。そしてたかじんさんという人が、しゅげ~司会者である事などだ。

  一般的に、暴れん坊のイメージがたかじんさんにはあると色んなニュースサイトにはでているが、僕はその時期のたかじんさんを知っているわけではなく、どちらかと言うと『そこまで言って委員会』のたかじんさんぐらいしか知らない。だがこの番組は堂々と時事問題をタブーなくやってくれるので僕は好きだ。『日本の仮想敵国ランキング』など関東の番組は普通は作らないだろうし、出演者の方々も堂々とした意見を発信してらっしゃる。この窮屈になった日本の中では異彩をはなつ番組だと思う。この番組を立ち上げたのは、やはりたかじんさんがあってこそだと思うし、そのたかじんさんを生んでくれた関西圏の文化的下地にもとても感謝である。また無くなってほしくない数少ないテレビ番組であるとも思っている。

  また、たかじんさんはこの番組は東京では流さないと言ってらっしゃった。この関西的な心意気も素敵だなと思ったりする。少なくともこのような心意気は九州にはないので、カッコいいと感じている。

  そんな事を考えると、やはりたかじんさんが死亡のニュースを聞き、とても残念だ。

  合掌

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ホントに惜しい人を亡くしたね。。

2014年1月7日火曜日

パスタ食べながら、室外機への熱い話

  景観というものは不思議なもので、一度気になり出したらずっと気になるものだ。昨日、同業の建築家さんらとご飯を食べたのだが、みな景観について同じような苦しみを覚えながら設計業務をやっているのに少し驚いた。もう少し美しいもの作れないだろうか。。そんな話をパスタを食べながらお話をしていた。そんな話し合いの中で出てきたのが、エアコンの室外機が街並みに与える影響だ。皆口をそろえて『あれは何とかせなイカン!!』と言っていた。

  住宅に付随する機器の中で一番やっかい者扱いをされるのがエアコンの室外機だ。もちろんその建物の敷地にゆとりがあれば、他人から見えないところに設置するのであろうが、密集した住宅地や集合住宅では、そういうワケにもいかない。だが、それらがその外壁とのミスマッチのため目立って景観上の問題を引き起こし、地域の価値を下げることが多い。特に京都などの古い町並みなどに室外機があるととても目立つ。やはりそれは和風の美しい外観である建物の屋根や外壁に、現代の白い室外機が目に痛いのだろうと思う。

  もちろん対処法はある。たとえば緩やかに室外機を格子等の遮蔽物で囲ってしまうことなどだ。これは戸建住宅などで景観を大事にしている街などでよくみられる手法だと思う。外壁と同系色の格子で“緩やか”に囲うのがポイントで、要は影を作って人の目から室外機を消すということだ。逆にガッツリ板張りをしてしまうと、そこだけ飛び出て見えて少しアンバランスになってしまいがちだと思う。またエアコンの配管も重要であり、いかに目立たせずに隠すか、またいかに配管を配置するかなどを取り付け前に立ち止まって考えると、すっきりとした良い外観が出来上がるとは思っている。まだ他にもいろんな手法があが、知りたい人は景観をとても大切にする街などを歩くととても参考になると思う。本当に美しい街には素晴らしい工夫がされているものだからだ。

  京都などは厳しい条例があるため、だいぶ室外機の問題は解決してきてはいるが、僕が住む宮崎などでは、まだまだ条例はとても緩いため室外機などはとても目立つ。いつかは宮崎でも景観への意識が高まり状況は変わっていくだろうと、仲間の建築家さんらとはお話をしたのだが、同時に、でも格子などを作ると余計にお金がかかるワケであり、難しいよな。。という話にもなったりした。。

  まあ、とりあえず自分が設計する建物は綺麗にまとめようね♡という事になりました。

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既製品があるのは知らなかった。。
安いんだろうか。。

2014年1月6日月曜日

大吉とるぞと勇ましく!!

  今年の正月は酒一杯も飲まんと銭にならん仕事ばかりしていた。別に好きでしているわけではないのだが、そういう職業を選んだのだからしょうがない。元旦から仕事をしている自分が大好きだ!と自分に暗示をかけながらパソコンをいびくっていたら、知り合いのペットフード屋の工場長代理であるM君から電話が入った。『おい、今年は神社めぐりはどうなってるんだ?』と彼は言うた。毎年正月はM君と神社めぐりをするのが、なんとなくだが恒例となっている。『いやいや、今年の正月は仕事が。。』とは彼に行ったものの、神社大好き人間である僕の心はすでに動きまくっていた。そこをM君がたたみかける。『神様が、今年は来ないんか~と思うぞ~』と言われたので『俺、忙しいし。。それにしょっちゅう神社は行ってるし。。』と一応断った。だが『巫女さん綺麗だぞ~』と言われた時には既にズボンを着替えていた。


  ということで、正月恒例となる『怒とうの神社めぐり!!』に行ってきた。向かったのは宮崎県は児湯郡にある神社3か所。本音を言えば、紋付き袴を着て、僕の幼な妻を連れて神社には向かいたいのだが、紋付き袴も幼な妻も持っていないのでしょうがなくM君とである。M君は『おまえ、髭ぐらいそって来いよ~』などと言うが、んな事気にする神様ではないし、神様かて髭ぼ~ぼ~であるのでそこは無視。第一、M君かてドクロアップリケのあるジーンズをはいてやがる。そんなことを言い合いつつ神社へ向かった。

  ある神社の神主さんは僕の小学校の同級生。『おいっす!』とあいさつを交わす。だが、同級生だからといってもクラスが一緒になったことはないし、中学校は別なのでそれほど知っているわけではない。急に彼が『建築家さんだったよね?』と聞いてきた。べつに僕は建築家と呼ばれるつもりはさらさらないので『いやいや、設計屋ね♡』と、とりあえず答えた。『RC(コンクリート造の事)、それとも木造?』と彼が聞くので、『もちろん、なんでも設計するけど、将来性と予算を考えて木造を薦めてるよ』と僕は答えた。すると彼が『設計料もちゃんと払うから、相談にのって』と言ってきた。。正直、神社に来て設計依頼を受けるとは思わなかった。実にありがたいことである。正月早々縁起がエエじゃないか。。神社も通い詰めるもんだ。

  僕は神社の『おみくじ』がとても大好きで、神社に行けば『大吉当たりますように!!』と気合がハンパない。今年のおみくじは、『大吉』『吉』『小吉』であった。毎度のことながら、『吉』と『小吉』はどっちが縁起がエエのかわからない。ということで、高校生の巫女さんをはべらかしキャバクラ状態で浮かれている同級生の神主に聞いてみた。すると大吉・吉・中吉・小吉・末吉・凶の順番なのだそうである。ということは、何やら今年はどうやらエエ年になりそうだ。


  帰りにM君とうどん屋により、昼飯を食べる。これも毎年恒例のことだ。そしたら、あのおみくじを使って何か商売できないか?という、うさん臭い話になった。このM君は今ではペットフード屋の工場長代理(工場長待遇だが給料は一般社員と変わらないブラック企業に勤めているので、自称代理と言っている)ではあるが、学年に一人ぐらいはいる絵の上手な男の子。ケツのドクロのアップリケだって自分でデザインして貼り付けている。彼が言うには、『俺が絵を書く、お前(僕のこと)が企画しろ』とのことだ。おいおい、儲かるんかいな。。罰当たらんのかいな。。そんなことを考えながらうどんを食べた。

  まあなんとなくだが、おめでたい正月となったようだ。

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2014年1月4日土曜日

元旦は凧上げのお手伝い

  あけましておめでとうございます。昨年はたくさんの方々に訪問いただき、書き手として本当に感謝しております。今年もつたない文章、誤字脱字、句読点の入れ忘れが激しいブログですが、どうぞご愛読のほどをよろしくお願いします。

  今年の正月こそは、『実におめでたい!!』『やっぱりワイハーでチャンネ~と!!』と、本当ははしゃぎたかったのだが、年の瀬に書いたように、普段と変わらず地味~に全力で業務をこなしてた。。『世の中浮かれてて、ホントええの~』などとぶつぶつ言いながら鉛筆をニギニギしていたら、近所の子らが『イケメンのおじさん(そう呼ばしている)!!』と遊びに来た。どうせお年玉セビリに来たんだろうと、無視を決め込み隠れていたら、女の子が半ベソかきだし『イケメンのお兄さん!!』と言い出した。。おいおい。。お兄さんは君らの親戚じゃないんだぞ。。と思いながら、財布中身を確認してみると、万札しかねぇ。。どう考えても小学校低学年の子供らにはもっちない。。う~んと考えていると、『凧が木に引っ掛かったの。。』と言ってきた。。僕は『それをはよ言わんかい!!』と子供らには言ったが、内心ホッとした。。

  僕の近所に地区の集会場である『会堂』と呼んでいる建物がある。どうやら大正年期に建てられたらしいのだが、よくわからない。その近くには社(やしろ)が置いてあり、なんとなく地区の人々は地区の氏神さま扱いをしている。その社の周りには鎮守の森があり、実に大きい杉がある。子供らはそこで凧上げをしていたらしいのだが、案にたがわず凧が引っ掛かったようで、高っかい高っかい場所に凧がぶら下がっていた。。現場について気が付いたのだが、どう考えても10mほどはある。。下から眺めながら、こん杉の木はどう考えても登れんぞ。。と安請負した自分を恥じた。。


  だからと言って、『君らが大人になったら自分で取りなさい♡』などとは言えない。凧上げしてもお母さんにぶ~ぶ~言われないのは正月だけなワケであり、お年玉をあげてない手前、こちらとしても頑張らなくてはならない。ママよ!!ということで、僕がやるインスペクション(住宅診断)用の脚立(8mまではいける!!はず。。)を取り出し、安全用のヘルメット(自転車用)をかぶり、大っきな杉の脇に脚立をセット。いざ参らん!!『見とけ子供ら!!大人の脚立の使い方を!!』と言い放ち、脚立に足をかけた。。のは良かったが、2メートルほど登ってすぐ降りた。。おじさんは高いところが怖いのだ。。

  青い空気に包まれながら『いや。。杉は滑るから登ったら危ないんだよ。。』と正月早々子供らをだまくらかし、上る場所を会堂へ変更。『最初からこっちにすれば良かった。。』とは思いながら屋根に登った。。だが大正年期に作られた屋根はもちろん瓦なのだが、さすがに劣化がひどい。歩くたびにみしみし言って、実に怖い。。どう考えても損害賠償は僕に来るよな。。まあ、もともとはこの会堂は僕の家の建物だったんだし。。(ホントである!)と思いながら、きっと何枚か瓦を割りながら棟(頂上の事)に登った。そして持ってきた物干しざお(竹製)でエイ!と凧をつつく。するとあっさり凧がGL(地面の事)に落ちた。『えがったの~』と子供らに満面の笑顔を送ると、『おじさん。。凧が折れとる。。』と小娘が言った。。おいおい。。

  も~。。とは思ったが、子供らも好きで凧を引っかけたワケではないので、『そこは我慢だ』というワケにはいかず、僕が直すこととなった。。家に帰り、何かないかと建築用模型セットを引っ張り出す。すると模型用の細い木の切れ端があったのでそれを折れた骨組みに添え、木工用ボンドで補強した。もちろん凧とはバランスが良くないと飛ばない。なので折れていない骨組みにもしっかりと同じものを添えてあげる。するとばっちり直ってその凧は天高く舞い上がった。。さすがだ!!と正月早々、自分で自分をほめてあげた。。もちろん子供らには『おじさんってカッコいい!!』と無理やり言わせた。

  本当はもう少し仕事をしたかったのだが、しょうがない。おかげで少しは正月を味わえたと思わんといかんだろう。。という事にしておく。。

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