2012年11月30日金曜日

パリ改造とその景観 ついでに 59 ナボリ

   芸術の都パリとは良くいったものだ。昔から、パリには各種あらゆる芸術家が集まり、そしてその力を思う存分発揮してきた。ルノワールにゴッホ、そしてピカソにローレック。多くの芸術家がパリにアトリエを開いて芸術の街を発展させてきた。それはパリという街が、美に対する追求心と、芸術に対する許容力が大きいからだろう。パリの景観は美く、そしてその都市景観は素晴らしい。これはナポレオン三世の時代、日本では幕末だろうか、ジョルジュ・オスマンという政治家が 『パリ改造』 という、とても激しい都市計画を実行したからだ。

   その手法はスクラップ&ビルド。ナポレオン3世の構想に沿って、豚がおっ走っていた非衛生的なパリに、風と光を入れることを主目的として、幅員の広い大通りが設置されるとともに、道路網の整備が行われた。また街区の内側に中庭を設けて緑化を行い、開放的で衛生的な街を整備するというものだ。それを実現するためのスクラップ&ビルド。その道路網の計画地にある建物を強制的に取り壊した。強制的にである。しかしその強制破壊と都市整備によって経済は活性化。もちろん衛生的にもなった。糞尿をよけて歩かねばいけなかったパリはもちろんなくなり、現在の美しいパリとなる。パリ改造は近代都市計画に大きな影響を与え、近代都市のモデルとして今も燦々と建築の教科書には必ず記載されている。が、今はもちろんそんな強制的なスクラップビルドができる時代ではない。そんな事をしたらもちろん批判ぶ~ぶ~。しかし都市景観を考える上で批判を恐れてはパリのような美しい街は作れなかっただろう。しかし、美しい街を作ったナパオレンズは偉い。

   そのパリの景観を守るルールがある。フュゾー規制と呼ばれるものだ。パリ市45カ所に設定されたモニュメントの眺望を妨げないように、高さ規制と壁量規制が設定してあると聞く。これを利用し、行政は街の景観を保護し、良好な都市環境を維持している。もちろんその規制があるからこそ観光としてもキラリと光っている。一応景観法があるが、業者や国民はだれも守る気がない日本と違い、パリの方々はこの規定を良く守っている。もちろんこの規制があるから地味で面白く無いという人もいる。しかし、パリがパリらしく保つためにはこの規約が絶対不可欠だ。さすが法律で全ての建築は公共物と言い切っているフランスだ。日本の意識の低さとは大違いだ。

   ふとテレビを見ていると、『59 ナボリ』 と呼ばれる芸術家により不法占拠されたビルの番組をやっていた。とあるパリ市内のビルを、様々な芸術家が不法占拠し、自分達のアトリエを構えている場所だ。パリ市からは出て行けともちろん言われているが、裁判などして6ヶ月の猶予をもらったら、マスコミなどに注目されだし、パリ市民も許容したためパリ市も諦めたそうだ。写真はその外観だ。どうやらその外観はしょっちゅう変わるらしく、街歩く人々を楽しませている。芸術とは本来ボヘミアン的な物だとすれば、その世界の中でこそ創作している人々こそが本物の芸術家なのかも知れない。厳しい規制がある中でも芸術家はぐんぐんその才能を発揮し反抗して世の中に貢献していくものなのかもしれない。しかし、これはパリだからこそはえる絵だろう。日本のどこの都市でやっても、これほど注目はされないのかも知れない。日本は既に猥雑だからだ。キャンパスが白だからこそ色は映えるのだろうが、雑色の中の芸術は単なる点だ。

   そんな事を考えながら、ワインを飲んでいる。えっ、雪印のチーズに宮崎産のおワインだが、何か?

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2012年11月29日木曜日

残念すぎる選挙の有り様

これ見れば、選挙がわかる
   『選挙の日って うちじゃなぜか、投票行って外食するんだ~』 とモーニング娘が言っていた。僕は投票とは尊いもんだと思っている。なので、いつも投票日は普段は一切着ない背広を着る。そして一等賞で投票所へ出かけ、モーニング娘が言っていたように、外食を食べに行く。その後、家に帰り、選挙速報を見ながら、ぼ~としている。投票の日は大体そんなふうに暮らしている。もちろんそうあるべきだとは思わない。ただ、選挙自体が面白く無いこの国で、どうやって面白くするか考えているだけだ。

   選挙の風が吹いてきた。テレビでは連日選挙の特集をやり、そして各党はその違いを一生懸命説明している。僕は設計のお仕事をしているのだが、大学では政治学を専攻した。なので政治にはとても興味がある。過去にはとある国会議員さんから立候補要請を受けたり、『うちの秘書にならない?』 って誘われた事だってある。もちろん丁寧にお断わり申し上げた。僕のじいさんがずっと町議員だったんで、その大変さはよく分かるからだ。僕は議員さんにだけにはなりたくはない。また議員秘書の気の使いようを見ていると、本当に凄い。僕の発達障害の脳みそには、他人に気を使うというプログラムに欠陥がある。よって秘書さんの気のいようを見ていると、俺には無理だよ ! と思ってしまう。ふとネットを見ていると、『選挙カーがうるさい』 っていうツイッターをがあった。また 『一番静かな議員に一票入れてやる!』 と書いている人もいる。おっ、あんたの言うとおりや!と思ってしまった。外国人が来日し、日本に長く住みすぎたと、どんな時に感じる?ってアンケートで、『選挙が近いんでしょうがないか。。』 と諦めてしまう時ってのがある。。しかし、これで本当に良いんだろうか。前々から思うんだが、日本の選挙のあり様は最低だと思う。そして多くの日本人はそう思っていると思う。なぜ改善されんのだろうか。。

デザイナーのお仕事
   とある一般人が衆議院議員選挙に出馬し落選した。そのレポートを読んだことがある。それは京都の片田舎の方だったと記憶しているが、その選挙のために使ったお金が1400万円なんだそうだ。事務所開設の経緯費やスタッフへの給料。そしてポスター作成やら選挙カーなど、とにかくお金がかかってしまい、ついには先祖伝来の田畑を売り払うことになったと書いていた。しかし、これで本当に良いのだろうか。僕の足りない頭で考えたって、銭がかかる選挙が良いはずがない。日本の選挙には余分なお金をかけている気がする。あのポスターでその立候補者の考え方はよく分からないし、それに選挙カーはどう考えたって単なる騒音だ。第一、車走らせながら政策言われても、聞き流すに気まっている。それに日本の立候補者は必ず拡声器を使う。他人の迷惑を考えないんだろうか。またチラシなど配布する人もいるが、僕は速攻捨てる。邪魔だし、ECOではないからだ。若者が、選挙に行かないと言われる。まあ、そりゃあんな選挙していたら行かんわなぁ~。

   僕が住んでいたアメリカの議員選挙はもっとスマートだった。選挙が近づきだすと、支持者らは応援する議員のプラスチック製の旗(大体30センチぐらい)を庭先に刺す。もちろんその旗は選挙が終われば、さっさか抜き刺さねばならない。ず~と置いていたら、その土地の資産価値がさがるのも一つの要因だが、日本人と違い、アメリカン人は住環境のに対する考えが日本人よりも遙かに深い。その辺よくわきまえている。大統領選ではそうでもないが、立候補者の写真などのポスターはまずない。あったらあったで落書きぐらいはされるだろうし、それにポスター代は馬鹿にならないからだ。新聞では各議員の主張を特集するので、興味がある人は新聞屋さんなどでその新聞を買い、そしてコーヒー飲んで仲間内と議論している。もちろん演説会はあるが、ちゃんと施設を借り切って行う。日本のような街頭演説会などはまずやらない。まあ、危険があるからってのもあるだろうが、やったら反対派が押し寄せ、『ブ~』というからに決まっている。そんな動画をアップされたらマイナスイメージだ。

   選挙の大前提として、新人にも現職にもフェアである事が必要だと思う。また金がある人もそうでない人も、立候補が可能な仕組みを作り上げねばならない。イギリスでは、意見がある人はだれでもスピーチをやって良いという公園がある。自分で勝手にミカン箱のようなケースを持ってきて、拡声器無しで自分の意見をただスピーチしている。そしてとおりすがりの人々はこれを聞く。これが立候補する人の基本的な姿勢であるべきで、無生産的な日本の選挙はもう辞めにするべきだと思う。

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2012年11月28日水曜日

高速道路を自転車で爆走したい

   ま~たく知らんかったんだが、僕の地元 (宮崎県) に出来る新しい高速道路の開通セレモニーのようなもんが、来週の日曜あるそうだ。その一環として新しく出来た高速道路の区間を自転車で走れるようなんだ。先ほど聞いて、へっ!?ってなってしまった。もうエントリーは終わっているんだろうか。。参加するにしても、どうすれば良いんだろうか。。これじゃいかんと、窓口になっていると聞いた都濃町観光協会のホームページを見ているのだが、これが田舎の商工会。。な~んにも記載されていない。よくある事だが、身内だけで走ろうって事だろうか。。それともエントリーの枠を作るのがよだきいため、エントリーなど設けず当日勝手に参加なんだろうか。。決まってないような気がせんでもない。。出来たてほやほやの高速道路を自転車で走るってのは、一生に一度の事だろうと思う。なので、絶対に逃せない。僕が走らなんで、誰が走るんだ ! って思っている。

   自転車という乗り物は、古い道路を走るには根性がいる。古い舗装の道路で走ると、その道路にある凹凸がハンドルを伝わり手に来よる。よって余分な体力を消耗してしまい、楽しくはない。また古い舗装だと自転車はスピードがでない。荒い坂道を下ってみるとそれがよ~く分かる。結構な勾配のある下り坂でも、スピードが20㎞を越さない場合だってある。そんな道路を下っていると腕がしびれてしまうし、第一とても楽しくない。しかし、新しい高速は違う。真新しい舗装が輝き、いかにも走って下さいと言っているようだ。そして山手にあるので景観も良く、きっと海も見えるだろう。気持ちいいに決まっている。当日、歩こう会もあると聞く。きっと地元の料理の振る舞いぐらいやっているような気もする。宮崎県都濃町はワイナリーがあり、結構人気がある。ワインの一本ぐらいくれるような気さえする。う~ん、行かねばならぬ ! さすがに次の次の日曜日だ。ネットでエントリーなど難しいかもしれない。なんとかズルできんもんか、そんな事ばかり考えている。そもそもエントリーなど、ない気もする。だって集計作業をするのが、だるいから。。

   ここからは、ちょっと宮崎の宣伝。宮崎以外の人はあまり知らないが、宮崎の山手には尾鈴サンロードという小さな道がある。宮崎県は南北に長く、そして国道10号線が縦断している。しかし、この国道はもちろんの事信号は多いし、よく渋滞となる。また宮崎で唯一繁栄している道路なので、車デーラーのオンパレード。どうろ横は各種看板だらけで、新聞チラシのような素敵な舗装の悪い道路となっている。僕は宮崎の北部へ行く場合、この国道を通るのはお嫌だ。よって山手にひっそりとある尾鈴サンロードを通る。この道、ず~と信号がない。またず~と山だ。民家も、ぽつりぽつりしか点在しておらず、秘境を走っているようで僕は好きだ。この道、実はバイク乗りや自転車のツーリングとしては、最高の道の一つだと言われている。宮崎の観光地である神話の里 高千穂町あたりから、延岡市を抜けそしてぐんぐん山道を進める。そして西都市の古墳をぐるりと眺めて宮崎に抜けれる。なのでツーリングファンには素敵な場所と言える。宮崎でツーリングしたい人は、ぜひ走って頂きたい道だ。

   う~ん、テンション上がってきた ! 明日、死にものぐるいで調べよう。まあ、仕事もせなイカンのだが、こんな大会などでないと自転車乗りではない気がするんです。

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2012年11月27日火曜日

神社を汚す、罰当たり

   僕は一応、家族的には仏教徒だが、神社をとても愛している。神社の領域にある建物や木々は、1000年以上変わらない形を残しているのが文化史的な興味をそそるし、景観を考える上でも重要なランドマークだからだ。その領域だけ冷たい空気が漂い、そして時間が止まっているようで、心がすさんだ僕でもキリッ背筋を伸ばしてしまう。かといって、美しい寺が嫌いなわけではない。日本の歴史上、芸術や学問に対する貢献は、神社と比べればお寺に軍配が上がるだろう。その庭園や襖絵を作り上げる努力と行動力は、日本の芸術史に大きく貢献してきたと思う。しかし、お寺にはどうしてもお布施がつきもの。まあ経営上やむ負えんとは思うのだが、ふらりと煩悩を取りに行くには少しばかり気合いがいる料金設定となっている。なので、どうしても足が遠のいてしまう。お寺と比べて神社は、銭がかからずそして原始的な日本的美しさを見事に保っている。なので僕は神社の質素な美しさに包まれたくて、自転車などでふらりと神様にご挨拶に行き拝む、儲かりますようにと。特にあのご神木と呼ばれる大きな木々が僕は好きだ。堂々としていて、さすがご神木と思い、とりあえず拝んでしまう。金持ちになれますようにと。ふとタ~リラッとネットをサーフィンしていると、とんでもないニュースを見つけてしまった。この大事な大事なご神木を、単なる銭儲けとしか見ていないヤカラがいるらしいのだ。嗚呼許スマジ !

   それは、愛知県のある町のご神木が枯れているのが見つかった事に始まる。約1300年の歴史を持つ神社の境内で、2本のヒノキが枯れていたんだそうだ。いずれも樹齢500年を超え、幹周りは4メートルもあったんだが、枯れてしまったのは寿命だと思われていた。ところが1ヶ月後、とある木材業者が訪れ、『枯れた木は危ないから早く切った方が良い。自分たちが伐採して買い取ろう』 と切り出してきた。地元の方々は自分らで伐採する費用も考慮した結果、業者に550万で売却する事に決まった。しかし伐採直前に大きな問題が発覚した。気の根元に、直系5㎜ほどの穴が複数見つかり、不審に思った神社側は警察に通報。警察の調べでその穴には除草剤が注入されていたそうだ。これは木材に詳しい人間が関わると考えるのが自然だろう。その根拠は、木材に彫られた穴の深さが4センチほどだったからだ。木材の表面から4センチほどの場所には根から吸った水分を運ぶ管が通っている。つまりそこに薬剤を入れれば枯れるのは葉だけ。幹の中心部には影響はない。つまりわざと枯らせて買い付ける。とんでもない人間だ。

   昔から、神社のご神木には高値がつくことは知られている。重要文化財の修復などで一定の買い手が常にいるからだ。しかし、この日本にはその需要にあった大木は残されてはいない。昔から、材木業者は苦労していたようで、平安時代末期には、関西方面で大木は取れなって困ったなぁ~と嘆いている日記だって残っている。そして昭和の中頃までは結構大きな木々が残っていたが、そのほとんどは切り倒してしまった。しかし、神社などはその建物を再建するために多くの木々が植えてあり、そして残っている。主に台風などで倒れた時のみ市場にでまわる事がある。1本の大木が600万をつける事だってあるそうだ。なぜそんなに高値がつくかと言えば、もちろん大木って事も関係するが、他の理由もある。他の木材と違い、狩猟の鉄砲弾や、戦国の昔の種子島銃の鉄砲の弾などが入っていない。なので安心して業者も取引できるそうだ。

   昔から神社はみんな~の物。地域の神様を祭り、そして心のよりどころに僕ら日本人はしてきた。そんな聖域に、自分だけの利益のためだけに入る人間だけは許せようはずがない。

   罰が当たればいいのに !

   お巡りさん、がんばって !



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2012年11月26日月曜日

あぁ~ッ、フゥッ !!


   どうやら我が家に野良猫が居着いてしまったようだ。僕がお仕事で使っている4畳半の事務所を開けると、いつも、にゃ~と猫が飛び出てくる。多分寒いんだろう。人間だって寒いんだから猫だって辛抱たまらん。そんなかんじなんだろう。僕の母親は猫を見ると、ぎゃ~と怒り出す。家の台所の食料を食べられるのが嫌なようで、あの泥棒猫などと言っている。そんなに怒らんでも良かろうもんがと思っている。そしたら、先ほど自分の事務所でお仕事してたら、ぶらりと猫が入っていた。最初は警戒していた猫だが、こっちがなんにもしないと分かると寄り添ってきてそれなりにかわいい。さあどうしたもんか、追い出すべきか飼い慣らすべきか、三味線屋に売り渡すか。。かわいいんだがとても臭いのが困る。。

   書きたい事はそれなりにあるんだが、猫のせいで一気に吹っ飛んでしまいました。

   って事で音楽でごまかします。先日書いた 『はじめてのチュウ~』 の同じバンドで、 『1/2』 という川本真琴さんの曲です。これをジャズっています。これがすんげ~良い!最近、これが頭からず~と離れないんです。まあ聞いて下さい。頭から抜けなくなりますよ。

   でも川本さん、アイドルじゃないのにアイドル扱いされてかわいそうだったなぁ。。才能あったのに。。

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あ~、ふ!

2012年11月25日日曜日

イームスのケース・スターディー #8

   設計などのお仕事をしていると、おしゃれな家を求められる事が多い。いわゆるデザイナー住宅だ。僕はこのデザイナー住宅をあまり良しとはしない。どこかデザイナーと言えば、近代的なモダニズムに重きを置きすぎ、良い家にはなりにくい思いがあるからだ。一般的に施主さんは僕ら設計屋のように、建物の事を年がら年中考えている訳ではない。なのでしょうがないのだが、家を作る場合、最初に目が行きやすいのが、まあ、そんなとこなんだろうと思う。一般的に工務店が作る建物に設計屋さんは本気では入れない。それは予算の問題だ。本気設計屋が入れば、その給金が発生する。おおよそ坪辺り5万ぐらいは多めに見ないと採算が合わない。よって建築デザインの本を一冊も読んだことがない大工さん作の一般的な普通の家が出来上がる。これを最近の施主さんはとても嫌う。なので、でざいな~住宅となるんじゃないかと思う。まあ、大工さんがデザインした物が特に悪いとは思わないが、一般的なものじゃ嫌なのかも知れない。思うんだが、おしゃれな人が住む普通の家と、そう出ない人が住むおしゃれな家では、前者の方がおしゃれに見えてくる気がする。家という物はおしゃれで作るのではなく、良い家を建てる方が幸せだと思う。

   アメリカの近代家具デザイナーにイームス夫妻という人がいる。モダニズム・デザインが一気に花開いた時代を代表する作家だ。アメリカが一つの文明として定義できるとすれば、彼らの作品はその文明の影響力を存分に発揮し、世界中の注目を集めた。ある意味デザイン黄金時代の作家と言える。その家具は、合板を曲げて作ったり、強化プラスチックやワイヤーを駆使して作られていたりする。家具デザインで一気に有名になったイームスだが、その原点は建築にあるらしい。そもそも大学では建築学を専攻している。現在のイームスのほとんどの家具は、残念な事に材質を安価な物に変えられてしまい、当時の重くて重厚感のあった素材は使用されてはいない。量産しないと利益が上がらないからだろうと思う。まあしょうがないとは思う。

   僕が設計を始めた頃、とあるテレビ番組でイームスの自宅を特集していた。建築をやっているものからすれば、シンプルに徹しており、強烈に素敵とは思わなかったが、イームスの建物に対する理論のようなものが整然としており、妙に頭に残った。そのほとんどの外部を幾何学的なフレームとガラスで構成された彼らの自宅は、緑に囲まれた閑静な場所にある。1階はリビングとなっており、そのリビングは大きな吹抜け。外部の光を取り入れるためとても明るい。そして2階が寝室などのプライベートスペースとなっている。まあ、ロサンゼルスの温暖な気候だからこそ成り立つわけで、日本で作ったら寒くてたまらないだろう。だが面白いのが、この建物、当時のアメリカに流通していた既製品のみで出来ており、とても安価に作れるという事だ。イームスらしい考えで出来ている家と言えると思う。家具と家、インテリアデザインの融合を実証した家として現在でも多くのファンが訪れると聞く。研究すればするほど良く出来た良い家だ。

   この家の名前は正式には ”case study #8” という。 case study とはデザイン屋が勉強のために空想で設計する事やその試作品をいう。家という物は、おしゃれに作る事を主眼に置く物ではなく、その家具や生活する人が素敵であればそれで成り立つ。そして、その方がおしゃれだと気づかせてくれた。そんな建物なんだ。

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2012年11月24日土曜日

はじめてのチュウっていいよね♡


   仕事で積算を大量にしたからだろうか。頭が痛い。タイピングを一日中していると、どうも指がぷるぷるしだしてタイプミスがやたらと多い。どうも一日中パソコンの前に座り、よくわからん施工法や建築用語を見比べ、そして値段を決めるという作業は、人の体を超疲れさせるようだ。データ入力なので、休みがほとんど取れず、朝からず~とタイピング。大体1000文字2分40秒でタイピングする僕は、どちらかと言えば文字入力は早いほうだ。なので仕事がやたらと回ってきて、てんやわんや。。って事で指の関節がイタイイタイなんです。

   よって、音楽でごまかす土曜日とします。 『はじめてのチュウ~』 です。有名ですよね。ですが知らん人のために、どうぞ。

   嗚呼、大人ってかっこいい。

   CD買ったげて。

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2012年11月23日金曜日

キッチン中心の家で、お幸せ

   設計のお仕事でお客さんと話していると、よく言われることがある。 『カウンターキッチンでお願いします』 最近はキッチン=カウンターといった図式ができあがり、それが標準のものとなってきた。大きなLDKをとり、そしてそこにはカウンターキッチン。天井には排気ファンが回り、そして全面には大きな机が配置されている。理由は多分、日本の台所の歴史と関係する。

   昔から台所は奧の寒いスペースと決まっていた。表であるハレのものではなく、単なる作業場だ。また食品は腐る心配があるので大抵北側に配置されていた。だが戦後いわゆる文化住宅が出てきて、ダイニングキッチンがもてはやされた。これは多分アメリカの影響だと思う。まあアメリカで日本のように、キッチンの凄く隣にダイニングってのは少ないが、当時の日本人には素敵に感じられたのだと思う。それに業者目線からも、その方がスペースをコンパクトに収めるのにはちょうどよかった。その後、カウンターキッチンの登場となる。カウンターキッチンの利点は分かりやすい。文化住宅のようなDKの場合、キッチンは概ね排気を外部に出さねばならないため外壁側となり、食事をとるダイニング側に背中を向け、料理する事となる。それが多くの女性には嫌だった。なのでカウンターキッチンの登場で家族の顔を見ながら料理が出来るし、後ろからの視線を気にしなくてすむ。

   しかし、僕はどうも好きにはなれない。カウンターキッチンの以来を業者がすんなり受け入れる理由は分かっている。簡単に間取りを収める事が容易だからだ。またお客さんもカウンターがベストという思い込みが強く、お互い合意が取れやすいし、すぐに契約もしやすい。だが、そうは分かっていても僕好みではない。工務店に勤務しているので、その方が工務店的には正解だとはよく分かってはいるんだが。。

   僕はインスペクションや耐震診断で多くの家を見てきた。手入れがいき届いてないカウンターキッチンのお家の場合、そのDKはラーメン屋さんのようになるのをよく知っている。カウンターの上には醤油の跡がクッキリと残り、そして雑誌などを机に置いたら、まさにラーメン屋。そして雑誌は醤油でカッピカピ。へたすりゃ、小バエがブンブン飛んでいる。よって、あまり好んで設計するつもりにはならない。よって、 『カウンターじゃない方がいいんじゃないですか?』 と一応聞くことにしている。まあ、予算と延べ床面積の関係で、そんなに簡単にはできはしないのだが。。

   元来、キッチンは女性の城のような存在であった。僕が幼い頃は、男は口を挟んだらいけないような場所でさえあった。しかし、今は違う。男だって料理をせないけないし、しないのは勿体ない事だと思う。なので、僕は台所を大きく取った家を設計するよう心がけている。小学校などには理科実験室というものがある。あの大きな実験台があるようなアイランド型のキッチンがある台所が僕は好きだ。真ん中で洗い物ができ、尚且つ料理だって子供の勉強だってそこで見る。もちろん大勢で料理だってできるし、窓を大きく取り外気をいれ、光を入れよい空間が演出できれば、設計屋冥利に尽きると言うものだ。もちろん、パソコンでネットも出来るスペースもあった方がよいし、本棚だって設けたい。もちろん横には小さな朝食用のダイニングだってあってもよいが、できる事ならダイニングとリビングは別の部屋に設けたい。その方が演出上よいからだ。また外部に出る勝手口などを設け、庭で簡単に食事ができるような配慮だってしたい。昔の台所のように寂しい思いはせず、そして家族に背中を向けた文化住宅とも違う。そしてお客さんからの目線も隠せると思う。

見せるカウンターは難しいし銭がいる
   キッチンは昔の定義で言えば、奧の空間だった。決してハレのスペースではなかった。だが最近の流行で無理矢理ハレのスペースとしておいてある。だから僕には違和感を感じるし、大抵のお客さんはカウンターキッチンを作ったら多くの収納を作り、物を隠したがる。ハレのスペースであるリビングと、ごちゃまぜのキッチンを作るよりは、プライベートで且つ家族とお友達にオープンなキッチンの方がよいと思う。

   それにキッチンを中心の家庭は幸せだと思う。決して今のようにリビングやダイニング中心よりは子供はぐれない。実際には使う事の少ないリビングに大きなスペースを割くのは、もっちねぇ~気がするし、面白く無い。まあ、僕的にはかも知れないが。

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2012年11月22日木曜日

教科書の厚みと、飛び級について

   BS歴史館にちょっとだけはまっている。若い頃、むさぼるように歴史に関する本を読んできた。なので、薄っぺらい歴史番組では飽き足らなくなってきた僕は、ちょっとマニアックな一般向けではないこの番組がお気に入りだ。だが、しょっちゅう見てはいない。なので何曜日に放送しているかまではよくは知らない。ふとテレビをつけて、放送していたら見る。まあ、その程度ではある。今日の放送は生麦事件であった。生麦事件とは幕末に起きた、薩摩藩によるイギリス人殺傷事件の事だ。この事件をきっかけに薩摩とイギリスは戦争となり、その後、薩摩とイギリスは手を結び幕府を倒すこととなる。それほど大きい事件なんだが、教科書では僅か2行程度しか記載されていない。僕の周りには歴史なんて覚える必要はないという人がいる。また、歴史に興味ないからって理由で、家の畑にある古墳を少しずつ削って、古墳がだいぶ小さくなっている罰当たりな人も知っている。歴史は我々共通の財産という事が分かってはいない。僕は以前から思うことなんだが、日本の教科書の薄っぺらさに、その原因の一部だがあると思う。歴史は流れとして覚える必要があるのにかかわらず、日本の教科書はただ出来事を羅列しているだけだ。年表をむりやり文章化しただけ、それが日本の歴史の教科書だと思う。他教科でもこの事は言える。大学の入学試験などは教科書以外から当たり前のように出題され、うんざりしたもんだ。変だとは思わないんだろうか。もっと勉強したい人は参考書を買え、塾へ行けと言われているのと同じだ。

   僕がアメリカの大学でびっくりしたのは教科書の分厚さだ。一つの科目の教科書のページ数は300ページを軽く超える。確か、アジア史の授業だったと思うが教科書のページ数が500ページを越えていた。もちろん全てを教科書から学ぶのではないが、とにかく本を読まされる。明後日までに指定した本を読んで、レポート10枚以上で提出なんて宿題は毎度の事出る。その本の厚みはもちろん300ページぐらい平気だ。しかし、それを読んでいなければ授業についていけないし、それに簡単に落第する事になる。その教科書は馬鹿高い。大体70ドルぐらいだろうか。だが買わねば、卒業はできない。

   しかし、勉強したい人にはうってつけの教科書と言える。教科書一つ読んでいれば十分学識が身につくからだ。なので彼の国には塾がない。参考書のようなものもほぼない。そして小学校から大学まで飛び級制度なので、さっさか学位を取って稼ぎたい人は、その分厚い教科書を読んでさっさか卒業していく。何人もそんなさっさか進級してきた生徒さんとクラスメートになったが、彼らは本当にお勉強ができるお利口さんだった。もちろんテストなどで教科書意外からの問題などは、通常の学科ではでない。なのでその教科書に穴が空くぐらい読む。もちろん僕が選考していた政治学などは試験があって無いようなもの。日々のレポートで点数が決まるため、すべて教科書からとはいかないが。。

   よく学校とは学問意外の事も学習する場と言われる。だが、たま思う。それって本当だろうか。集団になじむ事を大きな目標にするあまり、本来の学問の向上をおろそかにはさせていないだろうか。日本も飛び級を認め、そして教科書を分厚くする方がワクワクすると思うんだが、どうだろう。少なくとも勉強したい人間のための教科書や学校となるべきだと思うんだが。

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2012年11月21日水曜日

ただ、五方良しの建物を作りたいだけ

   昔、近江商人と呼ばれる人々がいた。今で俗に滋賀県出身の企業家をそう呼ぶ場合もある。その近江商人の言葉に 『三方良し』 という言葉ある。これは単に売り手の利潤のみを求めるだけではなく、買い手も満足し、なおかつ地域に貢献する商売の決まり事。まあそんなとこだろうか。最近お仕事で施主さんとお話をする機会が多いのだが、毎度の事この言葉を思い出している。僕が東京でホームインスペクションという仕事をしていた頃、所属していた会社の社訓が 『三方良し』 だった。何度も書いていて恐縮だが、インスペクションとは新規の建物の場合は施工精度を調べ、そして既存の建物の場合は依頼された建物の劣化具合を調べる。依頼者である買い手も納得し、その診断業務で知識を切り売りする僕らも利益をあげ、そして住宅流通を円滑にする。なので 『三方良し』 といったところだろうか。僕が現在宮崎の片田舎で設計業務をやっている。僕は最近、この『三方良し』ではなく 『五方良し』 でいけたらいいなと思って来ている。まあ理想に現実は追いついてはいないのだが。。

   僕が思っている 『五方良し』 とは、施主さんも納得の金額とデザイン。そして設計屋である僕も納得する良い建物。そして実際に施工する工務店もちゃんと利益をあげ、そしてその工務店の下請けである各職人さんもよい仕事ができる。さらにその地域の景観を美し町への発展へ寄与する。そんな建物を作っていきたい。

   最近の風潮だろうか。施主さんは色々なハウスメーカーや工務店、そして設計屋を競争させる事が多くなった。僕が現在手がけている建物も他7社と競争だった。いわゆる、コンペというヤツだ。僕の経験からするとコンペをすれば確かに値段はぐんぐん下がる。だがそれで良い建物を作れるかと言えば、とても疑問が残る。仮に2ヶ月ぐらいコンペをやったとする。そして他社を出し抜き取れたとしても、利益はほぼない。もちろん下請け業者をたたかねばならず、みな嫌々仕事をする事になる。間取りなどの要求は施主さんの希望を叶えてやりたいので、家の大きさは大きくなりがちだ。という事は、内装や附属設備がとてもちゃっちくなる。大抵の場合、施主さんは景観の事はあまり気にしない。なのでチンチクリンな家が出来上がってしまい、のちに後悔する事が多多ある。もちろんその家だけでなく、地域にも迷惑をかける事だってある。もちろん設計費用など、頭から抜かねば家なんぞ建たない。もちろんそうならないように気おつけてはいるが、中々難しいもんだ。。

   また、コンペの場合、もちろんの事落ちることだってある。施主さんの希望と予算に見合わない場合は、どうしようもないからだ。しかし、そうなったらキツイのは設計する側と下請け業者。仮に1月(大抵2月ぐらい。。)プランニングにかけたとして、そのコンペで落ちたら給料は0円。一円もでない。という事は、落ちることも覚悟の上の食えない設計屋が挑戦する事となる。また、他の利益がでる仕事を優先する必要から、つきあい程度の図面しか書いてあげない。まあそんなところだろう。どこかで保険を担保していないと赤字になるからだ。また下請け業者の職人さんだってつらい。時間をかけて見積もりを作ったところで、お金がでない場合だってあるからだ。施工業者は平謝りだし、みんなすごくへこむこととなる。もちろん出来上がった他社の家を見て、みんなぶ~ぶ~いう。

   世の中、コンペが当たり前となってきた。別に僕はコンペが格段悪いと言っているわけではない。僕はえらいもんで、コンペはほぼ負けたことがない。だが、だからこそよく分かる。勝っても泣き、負けても泣く。そして出来上がっても泣く。そんな場面をよく見てきたからだ。僕が設計業界に入った頃、コンペとは大きな会社ビルなどではあったが、個人宅ではそれほど多くはなかった。価格が大きい場合はそりゃコンペをやった方がよいだろう。だが、個人宅は予算の限度がある。これでコンペをやる場合は注意した方がよいといつも施主さんに注意を促している。五方良しで無ければ、良い家などは作れないし、その家は繁栄などはしない。

   これから家を作ろうと思う方は、こんな裏事情を知っていても損はない。そんな気がする。

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2012年11月20日火曜日

駅として間違えている。。

   普段はあまりテレビは見ない。だが、ふとつけたBS-TBSで 『電車を乗りつくす(確かそんな名前。。)』 をやっていた。電車から見える風景や駅の見所などをただ淡々と放送する。そんな番組だ。その番組で流れていた場所は会津若松辺り。季節は春先だろうか。その路線から見える東北の街々は、日本全国にあるような刺々しい開発はおこなわれていないらしく、その映像は清々しく感じれ良かった。ある町の駅は茅葺きの駅舎を使っていたり、またある駅は岸壁をくり抜いたような場所にあったり、それはそれは素敵だ。もちろん全ての駅がそうではなく、いわゆる古いコンクリートの近代建築の駅(大抵、屋根が赤その他は白のペンキで塗ってある)もあったりしたが、そんなんはテレビ屋さんも興味がわかないらしく名前の紹介のみ。だれもけ汚いものは見たくない。まあそんな気持ちだろう。

   僕が住む宮崎県中部の駅は太平洋側に沿って配置してある。僕の住んでいる町のなどは町中から3キロほどもある。なぜそんな所にあるのかよく分からない。想像するに、この路線が出来た明治?大正?の頃、僕が住んでいる地域自体はそれほど発展していなっかったんだろうか。今のように路線とは、町を発展させるためのツールとして考えていたのではなく、単なる輸送経路としてしか路線を考えていなかったんだろうか。よく分からない。僕が幼い頃、駅自体は古い自体のまんま残っており、それなりの風合いを残していた。その建物は瓦葺きで、壁は羽目板。どこにでもある古い建物だ。待合室は風ビュービュー。駅員さんは大抵おじいさん。そんな感じだった。トイレは別棟にあり、決して綺麗とは言えない。小便器などは取り付けてはおらず、男どもはコンクリートの壁に向け発車オーライ。そして床に溝が掘ってあるだけで、とんでもなく大きな銀蠅さんがいらっしゃった。

   これではいけない。町の有識者が立上がり、いつの間にやら変わった。町が急に観光に力を入れようと思ったらしく、町の玄関にあたる駅を新築したわけだ。これがなんだかメルヘンチック。なぜメルヘンにしたのかよく分からない。多分担当者に聞いたところで明確な理由はないと思う。ドアがないため相変わらず風ビュービューだし、メルヘンは天井が高くないといかんと思ったか、天井がだいぶ高い。なんだが手入れは適当らしく、常に蜘蛛の巣だらけだし電気の球も良く切れとる。さすがに平成の御代、トイレぐらいはちゃんとせな行かんと思ったらしく、小便器はついた。んだが、横を通る女性視線がとても気になる。角度を考えて使用せないかん。どう考えたって素人設計。まあ駅員さんの部屋には断熱材がついたっぽいが。。

   どうしてこんな妙な建物を作ったんだろうと利用するたびに思う。特別メルヘンな必要は無いし、それにとても寒くて電車を待つ事は厳しい。どうせ特急通ったら2時間待ちなんだから、少しは考えて設計してあげたら良かったんだろうと思う。昔、兼好法師が、 『家は夏をもってむねとせよ』 と書いた。んだから夏でも涼しくとして考えたんだろうか。。だったら冬間などは火鉢の一つぐらいは置いて欲しい。いつも改札の透明ガラスの向こうに見える、駅員さんの石油ストーブの上でふくらんだお餅が、おいしそうでおいしそうで、ず~と恨んでる。誰がこんな駅にしたんだろ。。

   基本的なところで何かが間違えている。。

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2012年11月19日月曜日

踊る小林聡美!


   僕は、小林聡美さんという女優さんが大好きだ。なぜかと言われると、なんか面白いしとてもポジティブなオーラを出してらっしゃるからだ。おとなしい僕はそんな人を見ると、素敵だ!と思ってしまう。ふと、変なブログを書いたせいか、youtubeでネットサーフィンしていた。そしたら、とんでもないもんを見つけてしまった。。

   まあ、景観にもデザインにも関係はないんだが、ちょっと感動したんで自分用の記録として。。

   小林聡美さんでインドダンス、 『super star satomi』 です。

   こんな事ができる女優さんて、小林聡美さんしかいない気がする。

   小林さん、素敵すぎる!

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北欧風って、言われましても。。

かもめ食堂
   今日は少しだけ時間ができたので、耐震診断の営業に行ってきた。営業と言っても知り合いに 『耐震診断かけません?うちは安いんで』 って言うくらいで、後は茶飲み話に花を咲かせてきた。ふと知り合いが髪の毛を切っていたので、どこの美容室で切ったんかいと聞いてみた。そしたらどこどこの~なんたらさんで切ったんだと言っていた。仕事がらそこの店の作りがとても気になる。『女性にとって、おしゃれで行きたい美容室って何?』と聞いてみた。そしたら、『北欧風の~』という答えが返ってきた。う~ん、北欧風と言われてもアバウトすぎてよく分からない。まあ、そんなことは設計の世界ではよくある。第一、お客さんもそして設計屋である僕も北欧はよく知らない。雰囲気で北欧~と答えているだけで、なぜと聞かれても答えはない。

   以前、仕事で淡路島に一軒家を設計することになった。この時、出されたコンセプトが地中海風。そんな時、僕ら設計屋は非常に悩む。地中海にはスペイン・フランス・イタリーにギリシア、ついでにトルコ、色々ある。簡単に地中海風と言われても困るのだ。それにその土地は淡路島の高台にあった。景観的に淡路島に地中海は厳しい気がする。そして、これまた困った事に、施主さんも地中海には行ったことはないらしく、雰囲気で言ってらっしゃる。その設計を請け負う我が設計事務所の貧乏ったれ若手設計屋なんざ、地中海カレーさえ買えんのに、そんな優雅土地なんざ~行けるわけがない。しゃあないからインターネットから適当にダウンロードした写真を施主さんに送ったら、 『これです!』 と電話で言って頂いた。後で気づいたが、あれはポルトガルだった。。まあ世の中そんなもんだ。結局は地中海風よりもおしゃれなのを作ってあげたんで、まあ周りの迷惑だけにはならんかったと思う。


北欧風?
   北欧と言われて僕がぱっと浮かんだのが、映画 『かもめ食堂』 見た事はない。これがおしゃれなのかはよく分からない。しかし、良い雰囲気が映画のポスターからは出ている気がする。このロケ地はフィンランドなんだそうだ。フィンランドと言えば、ムーミンとサウナでスッポンポンぐらいしか僕は知らない。だが良さげな映画のような気がする。北欧の方々がこの映画を見たなら、どう思うんだろうか。僕は、どことなく日本風と答えるような気がする。

   作ってねと言われれば作るのが工務店のお仕事かもしれない。だが、結局は純粋な北欧風というものは作れない気がする。そこに使われている技術は全て日本だし、適当なものは作れないからだ。なので一応聞くことにしている。他に素敵な方法考えませんかと。

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2012年11月18日日曜日

素敵な不動産屋さんが町には必要なはず

カフェ兼、不動産屋ってけっこうある
   先日土地を探すため不動産屋さんに行ってきた。日本中どこでも同じだと思うが、不動産屋さんはどこの町に行ってもすぐに見つかる。大抵、不動産屋さんには大きな看板があり、そしてその看板は赤だったり青などの原色を使用している。またそのお店のガラス窓には、土地や建物の間取りがずらずらりと貼ってあり、広告のオンパレードとなっている。広告のみで出来ている店舗だと言える。僕は以前にも書いたが、海外から日本に帰って来て日本の景観美に対する思いやりの無さに絶望し、設計の世界に入った。なので不動産屋さんの新聞チラシのような刺々しいカタチが好きにはなれない。とても感心できる建物群には見えない。

   日本の不動産屋さんの多さには驚く。そんなにみんな不動産を売買しているかは知らないが、そんなに儲かる仕事なんだろうか。建物を売買する場合、不動産屋さんをとおすと仲介手数料が取られる。アパートを借りる時の手数料が一ヶ月とかいうあれだ。では直接売買すればどうかと言えば、もちろんそんな費用は発生しない。だが、アパートを探している場合、みな不動産屋さんへ直行する。そんなに仲介手数料を払いたいのだろうか。また売り手だって自分でお客さんを探すつもりもないらしい。どうもそのようなツールを知らないだけのような気がする。

素敵な町にあるとは思えない
   アメリカの場合、不動産屋さんは僕が住んでいた7年間で一度しか入ったことがない。というかあまりいない。僕が立ち寄った不動産屋さんは、これが不動産なの?っと言った感じだった。素敵なオフィスにコーヒーの香り。その庭は美しく手入れされており、その不動産屋さんに訪れるだけでステータス。そんな感じだった。ではなぜそんなに素敵な不動産屋さんなのかと言えば、アメリカ人は仲介手数料を払うつもりがさらさらないからだろう。アメリカの家探しは単純だ。アパートに空き部屋などがあれば、 『For Rent』 などの看板が置いてあるので、買い手はそのアパートなどに直接行き、そしてそこの大家さんと直接交渉。これで全てが終わり。余計な仲介手数料などは発生しない。また、アメリカの新聞は日曜日になると 『車を売ります!』 や 『いらなくなった物を売ります!』 といったページわざわざ作って掲載する。約3センチ×6センチぐらいの広告だが、たしか1万円ぐらいは取られると思う。だが、みんなこれで物を探すので問題はない。もちろん新聞屋さんは仲介手数料などはとらない。なので不動産屋に寄る事自体が必要無いし、お金を持ち、そして時間に余裕がある人でないとできはしない。

   僕は不動産屋さんが悪いと言っているわけではない。また、仲介手数料が悪いとは思わない。だが、その広告だらけの商売根性オンリーの建物が、地域の景観や土地の価値を下げている事だけは我慢ならないだけだ。アメリカのような家探し、不動産探しでも良い気がするし、その方が町の価値を上げる気もする。現在のような広告オンリーの建物があるから、その地域におしゃれな建物をつくらないだろうし、作っても意味が無い。どうせ努力してもお隣りがあれではね。。もうちょっと工夫があって良かろうもんだ。

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2012年11月17日土曜日

猟がしたい

   僕にとって田舎に住んでいてよかったと思う瞬間は、シシ鍋を食べている時だ。別名、ぼたん鍋。嫌いな人もいるのは分かっているが、僕にとってはぶっ飛ばして家に帰ってでも食べたい一品だ。僕の親戚が宮崎県の北部にある日の影町という町に住んでいる。この親戚のお家に行くと必ずおばちゃんがシシ鍋を出してくれる。シシ肉を味噌で煮込み、そして大根やにんじん等、白菜などの野菜をおおざっぱに入れた鍋がとてもとおても大好きで、その親戚のおじさんには長生きをしてもらわねばならんと思っている。

   僕が幼い頃、猟犬を飼っている家庭が結構周りにいた。今考えると恐ろしい事なんだが、放し飼いしている家庭だってあった。。子供だった僕はその近所を自転車で走る時などは、必ずポケットに石などをいれ、気合いを入れてペダルをこいだもんだ。仮に猟犬が追いかけてきた時は、ポケットの石を犬の顔面に向けて思いっきり投げ、人間さまの恐ろしさを教えてあげていた。希に石が外れた時などは、必ずかまれる。第一、原付のカブを運転している婆さんだってかまれたんだから、今考えるととんでもない時代だ。

   だが、田舎とはいえ、最近周りで猟をやっている人間はいない。少なくとも僕の世代でやっているのは皆無だ。猟犬を庭先に飼うってのは大変だ。人が来れば犬がワンワン吠えまくるし、それに嫁さんがお強い家庭は、家庭の事情でちょっと無理らしい。。まあ、そんな事情がある。う~んこれではシシ鍋が食べれんじゃないか。。僕は本音を言えば猟をやりたい。あのマタギのようなスタイルがかっこよくてたまらないし、シシ肉や鹿肉ラブだからだ。それに田舎で楽しみって言ったらそれぐらいしかない。だが、家族全員に超反対されている。

   最近、僕がすむ宮崎県中部の町にも猿が現れ田畑が荒らされ困っている。以前、僕の家はお米を山の谷間にある小さな田んぼで作っていた。しかし、猿が30匹ぐらいの群れで荒らしまくり、お米が取れなくなったので辞めてしまった。現在は単なる荒れ地となっている。猿はもちろん賢い。人間が近づくとすぐ森陰にひそみ、そしていなくなったらすぐセデス。。お米などは全滅に近い被害を被る。しかし、猟友会の方々も猿を撃つのには躊躇うらしい。どうも人間を撃つようで嫌なんだそうだ。なので猿がのさぼっている。人んちの米ば~奪っちょる。う~ん、僕は何に撃つのにためらわない気がするんだが。。頭がおかしいんだろうか。。まあ、仕事で忙しいのでそんな暇もないんで諦めているがね。。

   近所に小猿を飼っている夫婦がいる。おばちゃん曰く、 『拾ったの♡』 その小猿に以前お菓子をあげたことがあるんだが、未だ顔を合わせる度に僕を『キ~!』威嚇する。こっちも負けるわけいかんので僕も『ギ~』と威嚇する。全く恩知らずなやつだ!プンプン!

   実は明日、地元の宮崎県立農業大学校のルピナスパークで、鍋合戦というイベントがある。僕は仕事で参加した事があるんだが、あまりにも多いお客さんのため、鍋にありつけなかった。。僕は休みなんで行きたいのだが、疲れているので木城町の石河内で日長本でも読みます。なんで、行きません。結構評判は良いイベントです。近場の方々は、どうぞどうぞ!

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2012年11月16日金曜日

Nataly Dawn さんは素敵


   相も変わらず、宮崎県は西都市の喫茶店でお仕事をしている。仕事内容は積算。予定金額内におさめようと頭を捻くり返している。しかし要求しているものが大きすぎるため中々難しい。う~んどうしたもんかの。。

   明日は世間様は土曜日。本音を言えば僕も世間様と同じくお休みを取りたい。休みをとって自転車に乗りツーリングをしてみたい。来年の1月に西都市で自転車耐久4時間レースがある。そのための体力作りのため自転車に乗って走りたい。だがどうしても積算作業と見積もり作成が必要なため、今日も夜遅くまで仕事をする事になる。そして出来上がった見積書を会社へ送信。だけど、会社から積算資料を持って帰っているので、必ず明日は車で出勤せなならい事に今更ながら気づいた。う~ん。。置いて来ればよかった。。

   って事でとても忙しいんです。。音楽でごまかします。 パンプラムースのボーカルの Nataly Dawn さんで、曲名は分かりません。なんせ喫茶店の中なんで音が出せないんです。僕も音楽を聴きたいんですが、そんな暇はございませんよって。。

   あら、喫茶店ではラストクリスマスが流れている。泣けて来るじゃないか。。

   ん?酔っ払いの親父が入ってきて、『千円で財布を買ってくれませんか?』 と訳分からんことを店員に抜かしている。。寒いってのに窓は開けっぱ、19歳の店員の娘が明らかに困っているじゃないか。酔っ払いはだから嫌いだ。怒鳴りちらす5秒前!4・3・2・1

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コラ~!

2012年11月15日木曜日

知識がないのに土地買ったら損をする

   今日は仕事の関係で、とある不動産屋さんに行き土地の検索と物色をしてきた。普段は不動産やさんに行く時は建物ばかり見ているが、土地をじっくり生々しくみるのは久しぶりなのでそれなりにテンションが上がった。僕は設計屋さんをやっている。しかし、ホームインスペクションのお仕事もやるので土地については少しだが知識がある。通常土地を購入して家を建てようとする一般の方々は、学校から近いとかスーパーが近いとか、そういった利便性で物事を考えやすい。しかし、土地と言う物はそれだけの情報で買う物ではない。本来は不動産屋さんが情報を提供するべきだと思うのだが、ほとんどの不動産屋さんはあくまで仲介するのがお仕事。土地の特性や善し悪し、そして建物を作った場合どうなるかなどは教えてはくれないし、そんな知識もない。僕がインスペクションをする場合、土地の情報を教えるようにしている。

   例えばその土地が国道などの大きな道路などに面している場合。大きな道路に面していると大きなトラックなどがよく通る。仮にその土地が軟弱な地盤の場合は、土地が揺れることだってある。この揺れと言う物は実はやっかいで、建物にじんわりじんわりと影響を及ぼす。場合により地盤沈下だってあり得るから恐ろしい。また場合により窓などがぶるぶる揺れる事だってある。この揺れはあまりよい物ではない。

   また車が多く通ることによって排気ガスを出す。多くの方が忘れている事だが、このガスの影響で白い外壁が黒くなることだってある。道路沿いに建物を建てようとする場合、知っておいた方がよい。

   外壁続きでもう一つ。畑などの隣に家を設ける場合、外壁はとても汚れやすい事を忘れてはいけない。僕の実体験から言えば、以前インスペクションをかけた千葉県のとある新築一戸建て。そのお宅の隣が畑だった。なんだが施工業者曰く、その施主さんのたっての要望でモルタルで塗ったような白い外壁仕上げとなっていた。よって引き渡す前なのに外壁は土だらけ。雨が一度でも降れば外壁には雨の跡がはっきり残る。これをほっとくと苔が生え、劣化の原因にもなりかねない。業者さんや設計屋さんは反対したらしいのだが、施主さんの希望。泣く泣く白い外壁を取り付け、後で施主さんに引き渡す前に 『ちゃんとクリーニングしてくれますよね?』 と言われていた。 『もちろんします!』 と業者さんは答えていたが、後の祭り。どうせまた1週間ぐらいしたら汚れるに決まっている。

   土地に関する情報を上げ出すと切りが無いのでこれぐらいにしておく。一般の人々は駅に近いとか学校に近いとかので利便性のみで土地を選びがちだが、それはとても勿体ないと思う。僕の場合、間違いなく窓から見える景色がどれだけ健康的かで選ぶ気がする。その方がいざ売る時にも売りやすい気がするし、住んでいて幸せだからだ。

   僕が田舎者だからだろうか、そんなことを考えた。

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2012年11月14日水曜日

パースを綺麗に描きたい

   僕は絵が上手くない。下手な方ではないようなのだが、お上手には描けない。しかし、希に上手にかけるらしく、小中学生の頃などはよく賞を頂いた。しかし、上手に書く自信が全く無いので図工の時間などは苦痛で苦痛でしょうが無かった。夏休みの宿題で絵など描いてこいと言われるのが嫌で嫌で、最後までほったらかしにしておき、毎年8月後半になったらカツオ君のように毎度の如く大慌て。とりあえず書いて提出していた。僕は設計のお仕事をしている。この設計の仕事で絵が上手い人は得をする。同じ図面でも手書きで書かれた図面を提出され、それが上手いと何となく出来る設計屋に見えるからだ。それにプランニングをする際は未だに手書きで間取りをねる。僕みたいなのが一生懸命書いても殴り書きにしか見えず、またあとでそれを見てもどうも上手く書けない。これではいけないととある本を買ってみた。忙しい仕事の合間をみて、お絵かきの練習をしている。まあ、相変わらず下手なんだが。。

   デザインの世界にはパースと言われる手法がある。これはある視点から見た建物などのカタチを遠近感を出しながら書く方法だ。この方法の知識を持ち、そして定規さえ使えば紙の上に3Dで書いたような図面が出来上がる。設計の世界は現在はパソコンで作る事が多いのだが、やはり手書きの図面やパースには魅力的だ。仮に3Dをパソコンで作る場合、どうしてもその画像をサクサクと動かしながら描くため、書いている3D画像はチャちくなる。まあ後で、リアルな画像に変換すれば良いのだが、まだまだ味が足りない。なのでサクサクと手書きで書けるパースの技法を身につけたいと思う。

   またパースを書く事には副産物が僕にはある。めちゃめちゃ集中できる事だ。以前にも書いたが僕は貼った障害を持っている。すぐ集中が散漫となるきらいがある。だが、ありがたいことに僕は絵を描き出したらとまらない。別に好きだとは思わない絵描きごとだが、書いているうちに良いアイディアだって浮かんでくる。どうも設計デザインというものはブレイクポイントのようなものがあり、悩みに悩んでもがき苦しんだら、スコンっと良い建物ができる瞬間がある。これを導き出すには、やはりもがく事と集中がとても大事だと思う。

   最近仕事が立て込んでいる。さくさくと仕事をこなさないと正月を迎えることすら出来ない。スピードを上げなくてはいかんのだが、そんな時間つぶしをしている。そんなことをやっているから仕事がさらに忙しくなるのはよく分かっているのだが。。

   ちなみに参考にしている本は、『スケッチ感覚でパースが描ける本』という本です。ご興味のある方はどうぞ。


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