2012年10月18日木曜日

お米のお話

謙信公の馬上杯
   僕は宮沢賢治の 『雨ニモ負ケズ』 がとても好きで、たまに読み返す。その中に、 ”一日ニ玄米四合ト 味噌ト少シノ野菜ヲタベ" というくだりがある。これは昭和初期に発表された詩集だが、玄米といえども4合は多い。昔は一升飯と言って、よく食べる人は一日に一升食べていた。一升瓶(いっしょうびん)の一升だ。合で言えば10合。仮に現在、それほど食べていたらお相撲さんで無ければ、怒られるレベルだ。

   健康のためにバランスよい食事をと言う考えは、実は戦後に生まれ。ほとんどの日本人は白米を食べることがステータスであり誇りと喜びを感じていた。米ばかり食べておかずはちょっと。おかずの位置づけはご飯を食べるためにあった。しかし、おかずをとらないとビタミン不足となり脚気になりやすい。以前にも書いたが、日露戦争では戦死者以上に脚気で死んでいる人がおおいくらいだ。なんせ明治天皇や大正天皇でさえ糖尿病で亡くなっている。栄養バランスの重要性を宮内庁でさえ気づいていなかったんだから、国民はもっとしらんかったはずだ。

実はとんでもない人。。
   ある書物で、戦国時代には玄米を1日2食5合食べていたという記録を呼んだことがある。だが戦ともなると、消化がよくすぐにエネルギーとなる白米を6合近く食べたそうだ。これは高級武士だけでなく、末端の足軽にも兵糧として米が支給されていた。足軽はこれが嬉しかったらしく、白米目的に参戦しているような人だっていたようだ。確か上杉家だったか。。足軽達に一度に3日分の米を支給するのを禁じていたらしい。理由は勝手にどぶろくを造り、いざと言う時に米が足りなくなるからのようだ。まあトップの上杉謙信は大酒飲みだったが。。

   以前アメリカに住んでいた頃、知り合いのアメリカ人妻(15才。。)が教えてくれた。 『あなたにライスの作り方を教えてあげる♡』 どうやら日本人はお酢を入れないとご飯がを作れないと思っているらしく、 『フライパンに水を入れて~』 なんて言っていた。まあ彼女らにとってはご飯は単なるお野菜。なので日本製の炊飯ジャーをプレゼントしてあげた。そしたら大喜び。彼女は象さんのマークが入った文明の利器を絶賛していた。

   ダテに僕らは、お米を2000年食べちゃ~いねぇ~。

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4 件のコメント:

  1. またまた奇遇ですね!
    宮沢賢治の『雨ニモ負ケズ…』は、うちの壁にかけてありますよ!

    よく、和雑貨屋さんに、『幽石』という方のお地蔵さんをモチーフにした絵葉書が売ってるのをご存知ですか?
    それこそイオンの和雑貨屋さんで買いましたが、この幽石という人が宮沢賢治の『雨ニモ負ケズ…』をお地蔵さんの挿し絵入りで書いている額が、うちにあるんです。

    私は、『あらゆることをじぶんをかんぢょうに入れずによくみききしわかり』、『南に死にさうな人あれば行ってこはがらなくてもいいといひ』という部分が好きですね。

    ちなみに、絵筆文字で書かれていて、味があります。(相田みつをさんみたいな筆文字)

    亡くなる前の人に、状況は分からなくても、大丈夫、怖くないよ…って言うと、物凄く安心するんですけど、それを宮沢賢治は既に悟っていたという事に、ひどく感銘を受けましたm(__)m

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  2. コメントありがとうございます。

    あらゆることをじぶんをかんじょうに入れずによくみききしわかり

    って言える事が素晴らしいと思います。

    僕は相田みつをさんはあまり理解できないんですが、宮沢賢治さんはビビッと来ますね。

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  3. 相田みつをさんは、私も言葉が固すぎて、あまり分からないんですが、筆文字が流行りだしたのは、この人の影響があるような!

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  4. 間違いなく相田みつをさんの影響で、筆文字があふれているんだと思うんですよね。(下手な感じの。。)

    居酒屋さんとかでよく見る文字を見たら、僕はど~も悲しくなるんですよね。。

    まあがんばっているのは、もちろん分かるんですがね。。

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