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2016年1月10日日曜日

陳舜臣さんが亡くなっていたようで。。

 先ほど、ぼ~とネットニュースを見ていたら、ある政治コメンテーターさんがなくなっていた。名前だけ聞いてもよくはわからなかったので、ネットで検索。すると見たことのあるコメンテーターさんだったのでびっくり。最近までテレビで見ていた人がなくなると、やはり残念だ。ふとそんなことを思いながらそのページを読んでいると2015年に亡くなった方々という欄があり、そこをクリックしながら写真を見ていると陳舜臣さんとあった。。ファンのくせに。。亡くなったのは全く知らんかった。。それも去年の1月のことである。。実を言うと昨年はめちゃめちゃ忙しく、テレビはほとんど見なかった僕は大好きな作家さんでもあった陳舜臣さんが亡くなったのさえ気づいていなかったのだ。。今更ながら、残念だ。。


 今は設計などの仕事をしている僕ではあるが、本来建築業を目指していたわけではなく、大学では政治学を専攻していた。別に政治家を目指していたわけではなく、今世の中で何が起こっているのか知りたかっただけである。政治学を専攻するという事は、やはり歴史を知らなくてはならない。お世辞にも真面目な学生だったのではないのだが、それなりに本は読んでいた。その中でもよく読んでいたのが陳舜臣さんだった。

 確か、最初に陳舜臣さんの本を買ったのが、『琉球の風』であった気がする。買ったのは関西空港。僕がアメリカに留学した96年のことだ。いざ関西国際空港からアメリカへ渡ろうとしたら、飛行機が12時間の遅れ。。よって関空で待ちぼうけしている時、暇でしょうがないから買った。また、なぜその本を選んだかと言えば、単に当時の大河ドラマでやっていて、名前だけ知っていたという単純な理由だ。待ち時間の間ずっと読んでいたのだが、正直、当時の僕には難しかった。なぜなら当時の僕は、男の子は本を読んではならない。。という妙な信念を持っていたため、どうやら漢字が頭に入らなかったようだ。。今でも琉球人の名前って難しかったという事はだけは覚えてる。。


 その後、母親が送ってくれた司馬遼太郎の『竜馬がゆく』に感動し、歴史系の本をアメリカの大学の図書館で借りまくり、読みまくった。そして司馬さんのエッセーなどに陳舜臣さんがよく出てきたので、興味を持ち、それから陳舜臣さんのファンとなったわけだ。今でも僕に中国への興味を持たせてくれるのは陳舜臣さんのおかげだと思っている。

 ホント言えば、今でも歴史系の本だけ読んで暮らしたい僕は、完全にそっち系の人間なのだが、設計屋となり、建築系の本ばかり読む人間になってしまった。なのでこんなニュースを見ると、ファンのくせになさけないと思ってしまう。。ってことで、ご冥福を、今更ながら。。お祈りします。


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書く気力が違います。

2014年3月26日水曜日

島津奔る

  最近、仕事でドタバタしていて、どうも脳みそが安らぐ瞬間がない。まあ仕事なのでしょうがないとは言え、こうも仕事が詰まると脳がトロトロになる。床下に調査に入ってトロトロ。車を運転していてもトロトロである。僕はたいてい、脳みそが疲れた時には本を読む。といっても読み始めて5分もすれば、文字がぼやけだし、すぐに眠ってまうのだが。。昨日は晩飯も食べず風呂も入らず本を開いたのは良いが、1ページも読まずに寝入ってしまった。。まったくどうかしている。。

  本来僕は、脳みそや体を使うのは好きではない。できる事なら一日中本をごろごろしながら読みたいと思うタイプの人間だ。最近、本屋に行く暇も中々ないので、昔読んだ本を最近ゴソゴソ取り出しては読んでいる。。というか開きつつ寝ている。最近、枕元に転がっている本は、池宮彰一郎さんが書かれた『島津奔る』である。10年以上前に本屋で買った本だが、この本はなかなか面白い。僕は宮崎に生まれ育ったせいか、島津びいきだ。だが本屋さんに行けばわかるのだが、島津の本などは信長や秀吉、家康に比べるとまことに少ない。もちろんそれは中央で活躍したとか日本史を根本的に変えたわけではないのが理由だろう。だが島津義弘公など立派な方が埋もれるのも、ちと悲しい。

  ちなみにこの本のことを書くとすれば、現在この本は本屋さんでは買えない。理由は、司馬遼太郎氏が書かれた『関ヶ原』との類似点が指摘されたからだ。まあパクった可能性があるとの事で絶版である。だが僕の感想を言えば、司馬氏の『関ヶ原』よりも断然面白い。和歌で言えば本歌取り、煙草でいえば本物よりうまい北朝鮮のマルボロ、ベルギー人も食べてびっくらこいた銀座のワッフル。まあ、そんなところだ。とにかく面白いし、いかに島津義弘という人が魅力的であったのかがよく分かる。この時代が好きな方は読まれた方が良いと思う。

  この本は本屋さんでは買えないが、アマゾンなどネットではまだ売っている。もちろん中古になるとは思うが、歴史ものでこれだけ面白い本もなかなかないのでお勧めしておく。

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まだ疲れてる。。

2013年9月11日水曜日

狐と狸が出る神社と、狐狸庵先生の話

   僕の友人(ゲームマニア)はとある中堅クラス?の神社の神官さんをしている。神官の仕事はそれほど儲かる仕事ではない。戦前は公務員であったが今は単なる一宗教の職員であり、この神社のようにさほど流行っていない神社などは経営が厳しい。だがこの神社は昔からの由緒ある神社であるので立地条件は素晴らしく、そしてその鎮守の森も青々していて街の景観に大きく寄与している。言わば街のシンボルとしての神社と言えるだろう。ふと自転車でその神社の敷地の横を走っていたら、なにやらコンクリートブロック塀に水に入ったペットボトルが置いてある。また空き缶に棒を差し、風に煽られさぼしい音を出している。きゃつはゲームのやり過ぎで気でもふれたか?と思い、自転車を脇に止めて友人のいる社務所へ向かった。やっぱりゲームをしていた。

   『そう言うけど、猫とか狐や狸が勝手に入ってきて貰った供物をとって行くんよ』と言っていた。彼は大根とか米とかなにやら言っていた。狐や狸とは実に楽しいじゃないか。。とは思うが、彼もそれで何とか生きている。ぶ~ぶ~言うのは筋違いであるのは確かかも知れない。だが、一方で神社は公共の建築でもある。てめえの食い物を守るために敷地を汚く整えるのは何か筋が違う気もする。その後、彼はなにやら言っていたのだが、僕はうわの空で彼が何言っているかよくわからない。。彼だから別に悪いとは思わないが、狐と狸が話題になったので彼のことを無視して、ふと若い頃読みあさった狐狸庵先生を思い出した。遠藤周作先生の事だ。


   狐狸庵先生という名前は勘違いされやすいが、遠藤周作先生が『こりゃあかんわ。。』という言葉からもじった名前であり、先生が朝鮮半島出身者というわけではない。遠藤周作先生と言えば、やはりキリスト教文学が有名であるので堅苦しいお方と思っていたが、あらどっこい、この狐狸庵先生を読んで先生への見方が変わった。実はハニカミ屋であり悪戯っ子で、人に寛容なおじさまと言ったイメージである。そして人生を実に楽しんでいる気がする。その狐狸庵先生であったと思うが、こんなエピソードがある。

   吉永小百合さんと懇意にしていたらしい狐狸庵先生は、ある日彼女の家に電話した。吉永さん本人が電話に出たようで、狐狸庵先生が『こちらは東京都環境事務所ですが、お宅の汲取り式便所がそろそろ汲取りする時期なのですが、明日お伺いしてよろしいですか?』と言われたそうだ。吉永さんがどんな反応をしたかは分らない。今では若干アウト気味のあるお話である。。こんないい大人はやらないどうでもよい事をして楽しんでいる。そんな本である。ダテにネスカフェのCMの『違いが分る男』に選ばれてはいない。

   『だって供物は俺の晩飯だ!』と友人の神職がぼやいた。なるほどこの神社は流行ってい。なので結婚式などもそれほど来はしない。だが歴史は古いので、少しの改善で素晴らしい神社に変わるのではないかと思いアドバイスはしてあげた。


   少なくともペットボトルは撤去して、もっと美しい動物よけを作る必要があるだろう。例えば風ぐるまや竹の風鈴などが良い。少なくとも和様のデザインでなければしっくり来ないのが神社だろう。もちろん色の配置も考える必要があるだろうし、メンテナンスも必要だろうと思う。メンテナンスは近所の小学生ぐらいに任せとけば良いと思う。風車ぐらいは図工の時間に作ってくれそうだ。そすれば結婚する時は利用してくれるかもしれん。。それにやはり神社にコンクリートブロックは似合わない。。なのでそれに変わる美しい何かをすれば、少しは栄えるだろう。『やり方は教えてあげるから、ゲームばかりせず自分で作れ』と言ってあげた。出来るところは自分でやる。そうすれば、ちったぁ~流行る神社にでもなるだろう。儲けも出ればPS4ぐらい買えるだろう。

   友人は、『確かに言われてみれば。。』と乗り気になってきた。彼はPS4を手に入れるためならがんばるだろう。それに彼は別に好きこのんでこの仕事を始めたのではなく、先祖代々そこの神主さんであったので継いだだけ。なので毎日ぼんやりと日々の仕事をこなしていた。もっと楽しい神社があっても良い気がするし、日本の神様は賑やかなのが大好きだ。そうすればきっと神社は繁栄するだろうし、人の出入りが多くなれば、狐も狸も少なくなるだろう。それにその方が彼も楽しそうだし。

   狐狸庵先生の事をぼ~と考えながら出した案であったが、まあよくも次々とアイデアがでたもんだ。。神主さんも狐狸庵先生のように、少しずる賢くそして人生を楽しまなくてはいけない気がしている。その方が街に良い神社を提供できるとも思う。

   まあ、でまかせだが。。

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まあ、いずれ手がけるつもりです。。
この神社の大改装を。。

2013年9月4日水曜日

『粗食のすすめ』で豊かな生活を

 先日も書いたが、僕の部屋は色んな本が散乱している。これではイカンと良い子の僕は毎朝、掃除をはじめた。昨日も書いた10分間清掃のお時間である。だが本を置く場所がないのはやはり致命的という事で、読む本と読まない本を仕分ける作業をもう10分ほどしていた。本を仕分けしていると昔に出会った素晴らしい本が目に入ってきて懐かしい。そんな本をたまには紹介してみようと思う。本のタイトルは『粗食のすすめ』である。

 僕がまだ京都に住んでいる頃は自炊をしていた。一人暮らしの楽しみはやはり好きなモノを自分で料理して食べれる事だと思う。いろんな料理を作った。京野菜をふんだんに使った料理や、イタリアンに中華、そして鴨川の川辺で育った食べれそうな植物のソテー。。自分で料理して自分で食べる行為は実に楽しいモノである。だが毎日自分で研究したものばかり食べていても面白くない。たまには他人が来て、うっとりするモノを作らないと面白くないと思い立ち、本屋さんで物色している時に出会った本が、『粗食のすすめ』である。どうやらかなり有名な本でもあるらしい。

 『粗食のすすめ』は春夏秋冬の4冊があり、季節ごとの料理が素晴らしいレイアウトで別けられている。実際に自然食野菜が都道府県のどこの店で購入できるのかも記載されているのが嬉しい。(※宮崎は、1軒もありませんでした。。)実際料理をする時には、本なので開いたまま料理。。とはいかないのが残念だが、ソファーで寝転びながら読む料理本として最高の1冊であろう。そして粗食というのがシブイ。シンプルで簡単に季節ごとの旬な食材が味わえ、なおかつ見た目も素晴らしい料理が出来る。色んな料理を食べたり作ってきたりした僕としては、最終的にたどり着いた料理本だ。

 いまは宮崎の実家に住んでいる。本当は自分で料理して自分で食べれるものを作りたいのだが、母親が許さない。僕が作る料理は口に合わないようである。どうやら年齢の違いによる味覚の差のようだ。という事で、夕方過ぎに母親にその本を見せた。母親も少しは興味を持ったようで、『ほな作ってみ』と言われた。って事で、『粗食のすすめ 春レシピ』を読みながらニラの納豆あえを作った。やっぱりうまい。僕の鴨川流のお手前は衰えていなかった。

 なぜ『春レシピ』かって?

 銭がなくて春以外は買えなかったからだ。

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フォントをメイリオに変えていますが、
いかがでしょうか?

2013年8月6日火曜日

石垣の事が好きになる本

   どうも熱中症らしく、頭が痛い。といっても外で作業したわけではない。会社の事務所でパソコン仕事をしただけなのだが、大量の汗をかきすぎたようである。今日の宮崎はあたりまえのように気温35℃を越えていた。実に迷惑な夏だ。いつもこのブログを書いた後は仕事をしている僕であるが、さすがに頭が動かない。って事で今日はのんびり建築以外の本でも読もうかと思っている。といいながら、最近は建築以外の本は買っていない。というよりも、建築の本は結構値段がはるので他の本にお金を回す余裕などがないだけだ。。なので僕の事務所の隣にある書庫から以前読んだ本を取り出した。久しぶりに佐々木譲さんの本でも読もうかと思っている。僕は司馬遼太郎さんが好きで週刊・司馬遼太郎を読んでいたほどいい子だ。20代で週刊・司馬遼太郎を読んでいる自分はつくづく変わっているなと思う。。ある程度司馬作品を読み終わった30歳ぐらいから佐々木さんの本を読むようになった。司馬遼太郎さんの文章に慣れ親しんでいた僕は最初は戸惑いを覚えたのだが、面白いのでお勧めしておく。本の名前は 『天下城』 である。

   武田信玄がすすめた志賀城攻めという戦いがある。この戦いで信玄有名になったようだ。援軍として来た関東管領上杉家の援軍を打ち破り、その首3,000を城の目の前で晒しているからだ。その後、志賀城は落城。その負けた武士の息子が金山の鉱夫として売られたことから話は始まる。主人公は無名の 『石積み衆』 であるが、彼の目を通じて戦国の世の空気が書かれている。まあそんな作品である。また信長や秀吉、ザビエルなどの宣教師も生き生きと描かれててとても良い。石垣作りから戦国を読めるような本だ。

   僕が住む宮崎では、ある時期、庭に大きな石を置いたりその敷地の境界に石垣を置くのが流行った。大抵は大ぶりの石をドンドンと置いてある。以前に勤めていた工務店の社長さんと車で走ったていた時に教えて頂いたのだが、石垣が道路と敷地の境界にある事によって、その家が引き締まって見えるそうである。なるほど、確かに和風に見えて来る。だが僕にはどうもしっくり来ていない。僕は京都に住んでいたので本物の石垣を見てきたからだ。僕が言う本物とは品があり洗練されている石垣を言う。どうも宮崎の石垣は大ぶりすぎる。多くの石は黄色く、そして石の表とか裏などを気にせずどど~んと置いているような気がするからだ。どうも庭師さんのお仕事ではなく、土木屋さんのお仕事のにおいがする。

   僕はこの本を読んでから石垣がたまらなく好きになった。僕は歴史は以前から好きである。だがお城自体にはそれ程興味は持てなかったのだが、この本を読んでから城に興味を。。ではなく石垣ついでにお城に興味をしめし始めた。いまでも城に行ったら石垣ばかりみている。

   石垣などには普通は興味持てないだろう。だがそんな人に読んでもらいたい本である。本は人の目線を変える良いツールだ。興味が無いものも読んだ方が良いに決まっている。


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う~ん。。頭が痛い痛いである。。

2013年7月4日木曜日

『龍馬』 と 『竜馬』 の違い

   久しぶりに本を読んだ。司馬遼太郎の 『尻くらえ孫一』 である。僕は司馬遼太郎大先生が大好きで、何度も読み返しているのだが、やはり面白い。文章が軽やかで、何と言えば良いかわからないが、サラリと読める。幼い頃、僕は本を読む子は男の子ではないとず~と信じていた。だが今ではすっかり本の虫。結構な量を読んでいる。最近は仕事で忙しく読めてはいないのだが、以前は月に1万円は書籍代に充てていた時期もあった。全ての始まりは僕が貧乏なくせにアメリカに留学した事に始まる。

   『絶対景観男さん~』 とアナウンスで呼ばれのは留学のため旅発つ宮崎空港のロビーで事だった。なんじゃいな姉ちゃんと受付のすましたレディーの元に行くと、 『関西空港からサンフランシスコの便が12時間遅れます』 と軽~く告げられた。。その日の予定では、朝方に宮崎空港出て昼には関西国際空港へ着き、それからすぐにサウスアメリカン航空の飛行機にちゃちゃっと乗り、サンフランシスコ空港へ。サンフランシスコに着いたらサクラメント行きの飛行機に乗ってアメリカ人の迎えが来る予定だったのだが、いきなり予定が全部狂ってしまったわけだ。んな事を言われてもとは思ったが、出発前に言われたのだから、 『それじゃ~辞めっか。。』 孫悟空なみに軽くは諦めるという訳にはいかない。という事で不安だらけの出発となってしまった。気が付けば関西国際空港。。でやっぱり12時間の待ちぼうけ。。周りは宮崎での人生で5人ぐらいしか見た事がなかった外人さんだらけ。。早くも 『宮崎に帰りたい~』 とべそかきそうになっていた。。

   待ちぼうけをするにもやることがない。銭もなければ暇を潰す物もなんも持っていないのでやることがない。ぱっと遠くを見れば本屋さんがあったので向かった。本棚には司馬遼太郎さん追悼フェアと書いてある。誰かいな。。大木凡人のオヤジさんか ? と写真を見て思ったりしたが、どうにもその本のタイトルに覚えがある。 『竜馬がゆく』 『国盗り物語』 『翔ぶが如く』 どれも聞いた事がある。ガラにもなく買ってみようかと一瞬だが思ったりしたが辞めた。銭がほとんどないのと、ちっちゃなリュック程度で留学したため、後で仕舞うのが面倒だと思ったからである。

   アメリカでの生活が始まり、まずは語学学校へ通ったのだが3ヶ月後には暇になった。夏休みである。周りの人間は思い出作りに旅行などに行くのだが、こっちはすでに銭がない本物のホームレス。もちろん旅行どころではない。遊ぶことよりも食うことに必死である。よって学生ビザの分際でバイトに明け暮れるのだが、そんなおりに勝手に居候を決め込んだ韓国女の部屋に母親が 『竜馬がゆく』 を送って来た。最初は本なんて読まないよと思っていたのだが、脳裏に関空での待ちぼうけを思い出し、また日本語に飢えていた僕は、母親に義理もあったのだろう、とりあえず読んでみた。

   これがめちゃくちゃ面白いのである。すらすら読めるし、幕末の歴史に詳しいわけでもなく、単に歴史の成績が良かったので歴史は好きという程度の僕でも、司馬さんの文章が髄脳にビンビン入ってくる。一気に読みほしてしまい、人生で初めて本を読んでじ~んと来た。それからというもの、どっかに司馬遼太郎の本が置いてないか調べまわった。あっさり大学の図書館に司馬遼太郎全集があることを知り、バイトと図書館とに通う日々が続いた。今考えれば、司馬遼太郎さんの本と出会っていなければ、今の自分はいないと思う。また僕の知識の半分ぐらいは司馬遼太郎さんの本から得ているといったら嘘であるが、少なくともその影響は大きいといえる。

   聞くところによると、日本で一番出回っているのが司馬遼太郎さんの本だという。これほど日本人に愛された作家もいないであろう。僕は 『竜馬がゆく』 で司馬作品に触れて人生が変わったのだが、同じ 『竜馬がゆく』 を読んで人生変わった人がいる。武田鉄矢さんだ。愛すべき竜馬かぶれである。なんせ龍馬を勉強したいため、高知大学の文理学部を2度も受けて2度も落ちているから気合いが違う ! 数年前に放送された大河ドラマ 『龍馬伝』 では龍馬の師匠の勝海舟役をやっていた。依頼された際に 『龍馬を育てて下さい』 と口説かれて、その言葉に感激し引き受けたそうである。きっと龍馬かぶれ冥利に尽きた気がする。

   多くの人々は勘違いをしている。 『龍馬がゆく』 ではなく 『竜馬がゆく』 である。なぜ 『竜馬』 なのか ? これには司馬さんが理由を述べている。司馬遼太郎が書いた坂本龍馬はフィクションであるからだそうだ。できる限りの資料を集めてそしてそれを司馬遼太郎さんが肉付けしたのが 『竜馬がゆく』 であるそうで、司馬さんもそれをわきまえて書いたそうだ。司馬さんの文章にコロっと騙されて僕は今では歴史に詳しい設計屋だし、武田さんは龍馬にかぶれて40年である。まったく罪作りな文章書きである。

   僕の友人の女性は子供が二人いるのだが、子供らが全く本を読まないのでどうやったら読むようになるの ? と聞いてきた。あんたも本は読まないだろうが。。とは思ったが、一応 『竜馬がゆく』 進めておいた。今日の昼過ぎにその女性からメールが来た。 『この本おもしろい ! 』 と書いてあった。あまりにも面白いので寄る読み聞かせているらしい。。えっ、子供小さいの?と聞いたら6歳だという。。

   ガキにはプリキュアの方が良いんじゃねぇ?と一応は進めておいた。

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大人なんで本は読みましょう !

2012年12月4日火曜日

『クラムボンは わらったよ』

   ふと寒空の下、煙草を吸おうと僕の4畳半のおんぼろ事務所を出た。煙草に火をつけ空を見上げたら結構な星空。僕が住む宮崎の小さな街でも、星はあまり見えなくなってきた。僕が幼い頃などは、星空は今より明るく、見ていて楽しい物だったのだが、今はそれほどでもない。カシオペア座が出ていた。小学6年の頃だったか、冬休みにカシオペア座の位置を写生し文章にするという、絵日記のような宿題がでた。毎晩、寒空の下でカシオペア座ばかり見ていると、どうもカシオペア座が蟹に見えてきたりする。今考えて見ると馬鹿げた話だが、カシオペアとは蟹のラテン語か何かだとずっと思っていた。結局、寒いだけで何のお勉強になったのか分からない。そんな宿題だった気がする。。

   ”クラムボンはわらったよ。クラムボンはカプカプわらったよ。” という宮沢賢治の 『やまなし』 という児童小説がある。たしか小学生の頃だったか、そんな劇も学校で見させられたし、教科書か何かで読ませられた。だが、最初から最後まで僕には理解できなかった。クラムボンは誰なんだ。。かぷかぷ笑うってなんなんだ。。そしてなぜ殺されたんだ。。やまなしって何なんだ。。僕が食べている梨とは違うっぽい。。スっぱいんか?僕の発達障害のローテクな脳みそでは、なぜこれが教科書に載るほどのものなのか、しゃ~ぱり理解できなかった。だが困った事に、この 『やまなし』 の作者はどんな気持ちでこれを書いたのかという、正解って一体何なんだっていう問題がテストで出た。答えはみんな適当にありそうな事を書いたようで、みんな正解なのに僕だけペケだった。僕が 『お金がないから、バイト感覚で。。』 とパンチの効いた答えを出したからだ。宮沢賢治だから貧乏に決まっている。なのできっと借金取りに追われてひぃひぃ!と思った僕がアホだった。。

   明治の初め、小学制度が始まった頃の事、明治政府の役人さんらは子供らに国語を教える意味が理解できなかったようだ。当時の役人らは、もちろん江戸時代生まれ。国語じゃなくて論語とかでいいんじゃない?って事になった。彼らは寺子屋などで 『子曰く、過(あやま)ちて改めざる、是れを過ちと謂う。』 などと反復していたクチだ。そう思うのは当然だろう。しかしお雇い外国人が 『国語とは民族そのものであり、学問の中でも一番重要だ。学校で教えないのはおかしい』 なんて事を言われて、方針が変わったと聞く。明治という日本の青春の時代の事だ。国家や民族という言葉を出されたら納得してしまうしかない。お雇い外国人がいなければ、ひょっとして僕らも 『子曰く。。』 などと声を揃えて言わされていたかも知れない。

   当時の日本語はしゃべり言葉と文章言葉は別であった。もちろん宮沢賢治が書いたようなポエムっぽい小説なんてありはしない。宮沢の前には諭吉あり、漱石ありそして子規がいた。彼らのその写生的な文章が今の日本語の分岐点となり、その積み重ねで、昭和の初めに 『クラムボンはわらったよ』 となる。仮に 『子曰く。。』 などと連呼していたら、礼儀は正しくなったかも知れないが、クラムボンは生まれなかったんじゃないだろうか。

   そんな事が分かっただけでも年を取ったかいがあるというもんだ。これを書いた宮沢賢治って人は素敵だと思う。 『かぷかぷ笑ったよ』 という表現などは、僕の頭をぐるぐる回したって出てこないし、作れはしない。もちろん相変わらずクラムボンって何?とは思っているのだが。。

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2012年11月14日水曜日

パースを綺麗に描きたい

   僕は絵が上手くない。下手な方ではないようなのだが、お上手には描けない。しかし、希に上手にかけるらしく、小中学生の頃などはよく賞を頂いた。しかし、上手に書く自信が全く無いので図工の時間などは苦痛で苦痛でしょうが無かった。夏休みの宿題で絵など描いてこいと言われるのが嫌で嫌で、最後までほったらかしにしておき、毎年8月後半になったらカツオ君のように毎度の如く大慌て。とりあえず書いて提出していた。僕は設計のお仕事をしている。この設計の仕事で絵が上手い人は得をする。同じ図面でも手書きで書かれた図面を提出され、それが上手いと何となく出来る設計屋に見えるからだ。それにプランニングをする際は未だに手書きで間取りをねる。僕みたいなのが一生懸命書いても殴り書きにしか見えず、またあとでそれを見てもどうも上手く書けない。これではいけないととある本を買ってみた。忙しい仕事の合間をみて、お絵かきの練習をしている。まあ、相変わらず下手なんだが。。

   デザインの世界にはパースと言われる手法がある。これはある視点から見た建物などのカタチを遠近感を出しながら書く方法だ。この方法の知識を持ち、そして定規さえ使えば紙の上に3Dで書いたような図面が出来上がる。設計の世界は現在はパソコンで作る事が多いのだが、やはり手書きの図面やパースには魅力的だ。仮に3Dをパソコンで作る場合、どうしてもその画像をサクサクと動かしながら描くため、書いている3D画像はチャちくなる。まあ後で、リアルな画像に変換すれば良いのだが、まだまだ味が足りない。なのでサクサクと手書きで書けるパースの技法を身につけたいと思う。

   またパースを書く事には副産物が僕にはある。めちゃめちゃ集中できる事だ。以前にも書いたが僕は貼った障害を持っている。すぐ集中が散漫となるきらいがある。だが、ありがたいことに僕は絵を描き出したらとまらない。別に好きだとは思わない絵描きごとだが、書いているうちに良いアイディアだって浮かんでくる。どうも設計デザインというものはブレイクポイントのようなものがあり、悩みに悩んでもがき苦しんだら、スコンっと良い建物ができる瞬間がある。これを導き出すには、やはりもがく事と集中がとても大事だと思う。

   最近仕事が立て込んでいる。さくさくと仕事をこなさないと正月を迎えることすら出来ない。スピードを上げなくてはいかんのだが、そんな時間つぶしをしている。そんなことをやっているから仕事がさらに忙しくなるのはよく分かっているのだが。。

   ちなみに参考にしている本は、『スケッチ感覚でパースが描ける本』という本です。ご興味のある方はどうぞ。


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2012年11月10日土曜日

景観まちづくりに舵を切る

延岡市都市景観賞
   僕が設計の道に入ったのは、日本の町の景観に絶望したからだ。アメリカに住んでいる頃は建物についてほとんど考えた事が無かった。そして建築という物がそれほど奥が深い世界だとも思ってはいなかった。なので大学の専攻は政治学。現在のお仕事とはまったく畑違いだ。日本に帰国後、宮崎県木城町の町境に必ずある、 『環境美化宣言の町 木城町』 という看板がめちゃめちゃ錆びているのを見つけ、こんな国には住みたくはないと思った。景観と建築について考えるようになったのはそれからだ。日本を捨てるのは簡単だった。アメリカにいた会社からは、戻ってくれないかとのありがたい誘いもあったし、給料もよかった。だが、死ぬ場所は日本と決めていたので、思い切って建築の世界に入った。設計のお仕事をしながら、いかにこの国の景観を美しくするか日々もがいている。

   先日、セミナーがあったのだが、会場には早く到着したので本屋さんに入った。僕は大きな本屋さんに行くと必ず建築コーナーに立ち寄る。大抵そこには、素敵な家といった一般の方が読まれる本や、建築に関する学術書などのお堅い本は並んでいるのだが、景観について書いている本はまずない。日本の景観をなんとかしたいとお思っている人々は多いと聞く。しかしまだ景観学という学術分野の確立がされていないこの日本、その専門書が置いていないのはしょうが無いのかもしれない。仮にあったとしても、フランスなどの景観に関する学術書みたいなお堅いだけの本や、写真が全く載ってない、載っていてもなぜか白黒写真だけの本なので読む気がしない。なんだが、この宮崎という田舎の本屋には珍しく一冊だけあった。名前は 『市民のための景観まちづくりガイド』 というものだ。筆者は藤本英子さんという女性の方だ。筆者の写真を見たら、こりゃびっくりの美人。美人のいう事は常に正しいと信じている僕はあっさり買ってもうた。読んでいると、景観に関する考えが深くて面白い。写真もちゃんとカラーだし、いかに景観を作るには市民の手助けが必要かよく分かる。そんな本だ。久しぶりに出会った名書だと思う。

   僕は工務店に勤めている。主に工務店では設計を担当しているのだが、工務店などに勤めていると景観に配慮した設計という考えなどが日本には皆無だという事がよく気づかされる。僕が勤める西都市には景観条例は一応ある。大きな建物は作ったらいけないとか、派手な色を使ってはならないなどの決まりとなっている。だが、景観先進国の条例と比べてその景観に関するしばりは非常に弱い。そしてもちろん罰則もない。そしてその条例さえ多くの工務店は邪魔くさい対象としか考えていない。基本的に工務店は建物を作ってナンボの世界。多くの工務店の従業員は本さえ読まない人が多い。そりゃ景観に対する配慮なんて元来持ち合わせてはいないし、そんな志などを持っていたら迷惑がられる。そんな世界だ。

   では施主さんはどうか。施主さんも頭から景観に対する配慮などは考えてない。施主さんにあるのは、 ”どの土地に、いかに使い勝手の良いかっこいい建物を安く作るか” が主眼であり、景観に配慮し、その建物をいかに町に参加させるという考えは皆無と言ってよい。多くの施主さんは家のプランニング時、いろんな ”素敵な家” 的な本を持ってこられる。そこにはおしゃれな家が載っているが、記載されているのは個々の家であり、その周りの通りから見た景観良しの家ではない。

   『市民のための景観まちづくりガイド』に載っていたのだが、フランスの法律には、 ”建物は公共物である” という一文が載っているそうだ。実に素晴らしい事だと思う。まだまだ日本の家に対する考えは鎌倉時代からの一所懸命だろうが、そろそろ点で物を考えるのではなく、面で物を考えて行かなくてはいけない時期に入っている気がする。

   最後に、日本の景観に関する法律が出来たのは2004年。しかしこの一年前に出された 『美しい国づくり政策大網』 の中に異例の一文が載っていてちょっと話題になった。この一文が発表された時、僕はしびれたので書いておきます。

  国土交通省は、この国を魅力ある国にするために、まず自らの襟を正し、その上で、官民挙げての取り組みのきっかけを作るよう努力すべきと認識するに至った。そして、この国土を国民一人一人の資産として、我が国の美しい自然との調和を図りつつ整備し、次の世代に引き継ぐという理念の下、行政の方向を美しい国づくりに向けて大きく舵を切ることにした。
   やるじゃないか、国交省。

   かっこいいぞ、国交省!

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2012年11月9日金曜日

みやざきの自然災害について

『よい本です』 by美人
   ブログが遅なった。今日は宮崎市で、社団法人宮崎県地質調査業協会さん主催の津波についてのセミナーに出席してきた。僕のお仕事である耐震診断やホームインスペクションをする際に、必須ではないのだが、地質の状態や津波の危険性を依頼者さんに教えている。なので僕にとっては重要なセミナーとなった。セミナーが終わり、さっさと西都市に帰っていつものダイアナさんでお仕事でもするか~!と思っていたんだが、いい年こいて道を間違ごうてしまった。気が付けばもう少しで綾町。いやいやきっと西都市へ抜ける道があるさ~なんて気軽に思いながら運転していたんだが、ず~と看板なんて現れない。あの針葉樹林のグリーンツーリズムで有名な綾町だ。周りは真っ暗。闇の中を運転しひぃひぃ言いながら西都市の僕の会社に着いた。会社で資料を預かって、週末は平家の里である椎葉村にドライブでもしながらお仕事をしよう!なんて思っていたんだが、社長が事務所で酔っ払っており、とっ捕まってしまった。よって今からお仕事だ。まあチキン南蛮を食べさせて頂いたから文句は言えん。

   教鞭をとってくださったのは、原田先生という方。なにやらコロンビア大学の客員教授をやってらっしゃった凄い先生だ。現在は、宮崎大学大学院農学工学総合研究防災環境研究センター長という、肩書きを聞いただけでひれ伏してしまいそうな、しゅんごい先生だ。先生は災害軽減のエキスパート。僕みたいな診断業務をしている田舎者から見れば神様のようなかた。僕は今回の東日本大震災で津波被害があった女川町などに行き、その津波被害の大きさを直に見てきた。よっていかに住宅の耐震化や津波対策が重要かよく知っている。なのでお仕事として耐震診断をやっているんだが、災害は地震津波だけではなく、地崩れや集中豪雨だってある。実際に起きた場合の非難方法や復旧方法についてもよく知らなくてはいけない。なので今回のセミナーはとても参考になった。

知事もご愛読
   さて、宮崎県内を襲うであろう地震やその津波高さなどについて、宮崎大学が提供している動画をいつも参考にしている。その情報によると南海地震が発生した場合、新富町や宮崎市はとても被害が大きい。それらの地域は海抜が低い。今回の東日本大震災の津波被害でもわかるが、地震が起きると海岸沿いの土地は地盤が下がる。今回の場合は海岸線の地盤が1.2メートル下がった。つまり仮に3メートルの堤防があっても実質的には1.8メートルの機能しか持たないという事だ。また地盤が下がると水が抜けにくくなり、救助も難しくなるそうだ。宮崎に住む方は宮崎大学のベンチャー企業である (株)地震工学研究開発センターが提供する動画を見られた方がよいと思う。

   セミナーの帰りにロビーにて 『みやざきの自然災害』 という本を買った。これは今回の原田先生ともう一人(きっと偉い先生)そして、先生がいらっしゃる、宮崎大学大学院農学工学総合研究防災環境研究センターというタイプしづらい研究所さんが出した本だ。なんでも宮崎日日新聞さんの2012年の化学賞に選ばれた本らしい。『内容もしっかりしているし、そして読みやすいですよ』 とロビーの美人受付嬢が言っていた。美人が言っているのだからそうなんだろう。

   その先生が言っていたのだが、日本人は防災はお国や自治体の防災センターや災害対策室のお仕事と思っている。しかしそれはおかしい。日本は20世紀以降、1000人の死者を出す地震を9回も経験している。単純に11年に1度大きな地震が来るわけで、自ら対策を知っていた方がよいに決まっている。少なくとも自分の身近な地域の自然災害の頻度とその対策ぐらいは知っていた方がよい。

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2012年10月13日土曜日

3坪のスモールハウスも悪くない。

   今日は、宮崎県西都市で耐震診断のお仕事をしてきた。来月にホームインスペクション(建物診断)の試験があるので、明日から土曜日はお休み下さい~と社長に言っていたのだが、いきなりの反故。お客さんの依頼だ。やむを得ん。。だが耐震診断が3時頃終わったので、さあ家に帰ろう!と思ったりしたが、ふとふらふらと宮崎市のイオンまで出かけてしまった。ホームインスペクションのお仕事には不動産とは縁が切れない。お客さんは不動産購入前にインスペクションを入れる事が多いからだ。試験は、建築士の資格を持っているので、建物の事はある程度は分かる(って言っても、建築士の試験より難しいが。。)。だが、不動産はちんぷんかんぷん。よって今日はレッツエンジョイ週末!という事で、参考書を買いに夕方すぎまで、宮崎のイオンの本屋で立ち読みをしていた。耐震診断で床下を這いつくばっていたので、さぞかし体中がかび臭かったであろうが、きっと周りのお客は気にしてない事にした:D そして、 『わかりやすい住宅瑕疵担保履行法の解説』 というかた~い本を買った。絶対にわかりにくい気がするが、これしか ”らしい” 本はなかったからだ。しかし、仕事柄ふと隣の設計のコーナーも見てみたら、いろんなデザインについて書いてある本があって、僕なんかは楽しい。そんな中にスモールハウスについて書いてある本を見つけた。お勉強をせなイカンと思い、結局はかわなかったがちょっとだけウキウキしたので書こうと思う。

   スモールハウスとは読んで字のごとく小さな家の事。その本にはスモールハウスはエコにつながるし、なおかつ楽しいみたいな事が書いてあるようだ。海外の事例を多く載せていたし、狭い日本にはちょうど良いと目次には書いてあった。ではどのくらい狭いかと言えば、3坪。。言わば6帖だ。6帖と言えば畳6枚分。心身(壁の中心線の事)で言えば、2730㎜×3640㎜の事。まあそこにロフトを構えているので、正確には3坪とは言えないが、確かに狭い家だ。写真を見てみると風呂もあり、キッチンやトイレも付いている。楽しいかどうかは人それぞれだろうが、確かに悪くはなさそうだ。

   以前にも書いたが、僕は最低限度住宅という物を作りたい。最低限度と言っても一人の独身男が豊かに生活できる最低限度という意味なので、スモールハウスとは観念がちと違う。キッチンはタイル敷きの土間で裏庭に抜けるようになっているし、裏庭は洗濯物ぐらいは干せる。そして隣の裏庭との敷居は野バラなどの植栽であふれている。イギリス人のようにティータイムぐらいはできるくらいはないと気に入らない。そして男の子は本を読まねばならん!と思っているので、書斎もついていたりする。それが僕が考えている最低限度の住宅だ。

   しかし、スモールハウスも悪くはない。現在賃貸を探している僕はちょっとだけ気になった。仮に3坪の家を僕が作るとする。僕の地元の家の平均坪単価は40万ちょい。なので普通に作ったら200万ちょい(良いグレードで作ったら。。)ぐらいで作れる。だが僕は設計士だし、工務店勤務。設計料は無料だし、工務店価格で材料を仕入れる事だって出来る。そして僕は現場作業だってちょっとは出来るので、大工さんはほとんど使わなくてよい。よって最低限度の職人さんだけでやればきっと100万台で家は建つ。

   う~んやれん事はないな。。明日は休みなので宮崎のスタバでも行って勉強する。どうせ勉強は飽きるだろうから、スモールハウスでも設計してみようかな:D

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2012年10月10日水曜日

『裏切りご免!』

赤備えはかっけ~!
   とある黒澤明監督の映画に、突然一人の武士が 『裏切りご免!』 と言って馬に乗って走り去るシーンがある。その表情は明るく、日本映画屈指の名シーンと言っても良い。日本人は昔から、新しい時代を迎えるにあたり 『裏切りご免!』 を繰り返してきた。関ヶ原しかり、明治維新しかり、第二次世界大戦しかりだ。一日にして己の価値観や美観を捨て去り、新しい時代に衣替えをする。その衣替えがこれほど上手い民族もいないんじゃないだろうか。もちろん心の中に後ろめたさはあるだろうが、新しい時代に順応する事が正しい。そう日本人は考えて来た。

   徳川時代、井伊彦根(ひこね)藩という藩があった。現在の琵琶湖東部にある”彦根城”と”ひこにゃん”はその名残だ。この井伊家は徳川家にっては世襲の専務理事のような家。多くの譜代大名(三河時代からの家来)の中でも、酒井家と井伊家だけが大老職(井伊大老が有名!)に就ける事からも、いかに徳川にとって重要な藩であったかわかる。初代藩士の井伊直正は、家康の信頼厚く、小牧長久手や関ヶ原、また大阪城攻めでは先方に選ばれてもいる。いざ徳川家に何かあった時は、井伊家が先頭になって戦う。そんなお家となっている。そして井伊の赤備えは、つとに有名だ。そんな徳川恩顧の藩であるが、明治維新の先駆けとなった鳥羽伏見の戦いで、ぶれにぶれた。

井伊大老。野田首相ではない!
   鳥羽伏見の頃、総勢5万の幕府軍は京都から大阪までの13里に、長い従深陣地をとった。対する薩摩・長州のクーデター軍はせいぜい3~4千。陣地もへったくれもない。もちろん幕府軍の総大将は徳川慶喜。そして薩摩の大将は西郷隆盛。この西郷さん、この戦いで一番心配だったのは、大阪へ攻め上がる際、後方の琵琶湖方面から、井伊家が攻めてくるかという事だったようだ。よって伊藤博文などを使わして説得している。

   この時の井伊家ほど、悲劇的というか、喜劇的な藩はない。家康の時代から先方として活躍していた藩なのに、家臣を集めて入り札(現在の投票の事)とした。大衆討議を開いたという事だ。これは極めて異例で、今まで藩主とその僅かな高級官吏だけで決めていた藩の方針を、『これからどうする?』と、全ての部下の投票にゆだねたわけだ。彦根藩37万石だけあって藩士の数は1万人ぐらいいたらしいのだが、結果 『徳川のために戦う』 と書いた入り札は、たったの3票しかなかった。。徳川家に約300年勤めてきたのに、たったの3票だ。。

   当時の多くの日本人に 『薩長を主体とする京都政権を、あなたは認めますか?』 とアンケートをとれば、にべもなく 『認めない』 に”○”を入れるだろう。では 『京都で天皇を擁する薩長政権が新しい時代をつくると思いますか?』 と聞けば、大方“○”といれると思われる。それでは最後に 『そこで、あなたはどういう行動を取りますか?』 と聞けば、ほとんどの人々が沈黙する。しかし、動かざる沈黙ではなく、無言のうちに新しい時代に参加していく。そんなところが日本人にはある。

”ひこにゃん”には、かなわない。。
   徳川以前には豊臣がいた。だが、関ヶ原では徳川を助け、そして豊臣を滅ばす事に手を貸した人々が多かった。そこには多少の自責と悲しみがあったようで、城内に密かに太閤さん祭っていたりする。祭ればそれで済む。神様は東照権現の家康さまだが、ちょっと流行らなくなったかつての主人の秀吉さんも、豊国神社として祭っている。

   一神教のようにはっきりしろと言われても、そりゃ日本人に無理だ。そんな『裏切りご免!』を続けてきたし、これからもやるだろうと思う。だが、そこには後ろめたさもあるが、明るさだってある。そうやって時代を日本人は押し進めてきた。

   って司馬遼太郎さんの『手探り日本史』って本に書いてありました。。さすが司馬さんだ!

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2012年9月2日日曜日

『またも負けたか八連隊』

   ふと考えてみると、8月はお盆休み意外は一切取っていない。って事で、久しぶりの日曜日だった。今のうちにホームインスペクション(住宅診断の事です)の準備をしたり自転車に乗りたいと思っていたのだが、体がどうも動かずぼ~としてしまった。昨日は10時過ぎに寝たのにかかわらず、今日は朝10時に目が覚めてしまい、これじゃせっかくの日曜日がもったいない!って事で久しぶりに本でも読もうかと本屋さんに立ち寄り、司馬遼太郎さんの本を久しぶりに買った。本のタイトルは『手掘り日本史』以前にも読んでいるはずなのだが、僕は司馬遼太郎の文章を読むとほっとするのでまた買ってしまった。その中に大阪人の歴史的気質というものが書かれていた。

   『またも負けたか八連隊』という言葉ある。妙なもんで、幕末から昭和の戦争の戦闘惨烈の極所(軍事用語でとても重要な戦闘という意味)と言われる場面に大阪の兵隊さんが狩り出されているんだが、これがよく負けている。まずは鳥羽伏見の戦い。これは薩摩と長州が主力の官軍と幕府軍の戦いだが、幕府側は大阪で農民などを徴集している。つまり大阪兵が負けて幕府軍の負けとなった。その当時から弱いのは評判だったらしく、当時の外国人が大阪兵は弱腰で。。見たいな文章を本国に送っているそうだ。また明治7年の佐賀の乱、そして明治10年の西南の役での政府軍の主力は大阪の兵隊なのだが、この時も元侍の抜刀隊に散々にやられている。その後の日清日露の戦争でもなぜか極所で選ばれ、結構な痛手をおっている。まあ実際はがんばったようだが、今でもそのイメージはぬぐえてはいない。良い兵隊というものは、守れといわれたらどんなに意味のない場所でも命がけで守る。封建的な影響が大きい地域に育った兵隊は、極端に言えば命令を守らなかったら村八分や家の恥などと考える人が多いが、大阪の兵隊さんはさっさと軍をまとめて撤退した事があったという。

   なぜそのような一面が大阪にはあるのか?大阪は伝統として封建社会を軽くしか受けていないからだ。お上の怖さを知らないしどこか権力をなめているところがあると司馬遼太郎氏は書いている。氏曰く、『大阪には天井がないが壁が有り、東京には逆に壁がないが天井がある』どことなく東京は厳格なルールに則り動くせいか、どことなく人々はうなだれているが大阪は違う。権力というウェイトが他の地域の人間とは違うようだ。

   江戸の昔、大阪には武士階級は東京などと比べとても少なかった。一応奉行所があるが基本的には商人の自治に任されていた。北組・南組・天満組と3つの、現在で言えば区があり、そこで年寄が選出されて町が動いていた。当時他の場所にも天領はあったが、大阪ほど封建的でない場所は日本にはほとんどないと言って良い。似ていると言ったら長崎ぐらいだろうか。

   そんなことが書いてあるこの本を読んでいる。そして閉塞感がただようこの平成の日本を変えてくれるのは大阪の人かとふと思った。そういえば宇宙に衛星を飛ばした東大阪の工場のおっちゃんたち。あの元気は天井を知っている人たちには出来なかったのかも知れない。まあ戦争になれば弱いかもしれんが。。


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2012年5月18日金曜日

おすすめの日本の論点

  僕がまだ小学生の頃、僕は図書委員長になった。なんで僕がなってしまったんだと思いながらも、その勤めを果たした。ポスターを作ったり、全校生徒集会で発言したりと、まあ図書委員長とは多くの本を読みましょうという運動をするのだが、僕にはどうも似つかわしくないお仕事だと思っていた。なぜなら、僕は小学校の頃一冊も本を借りて読み切った事がないからだ。さすがにこれじゃイカンだろうと思って無理して『忍者の本』と言う物を借りた。しかし結局最初の10ページで心が折れ、さっさと返した。しかしやっぱりそれでは図書委員は務まらないと思い、もう一度『忍者の本』を借りた。しかしやっぱり5ページほど読んでさっさとあきらめた。性に合わない事をするべきではないと悟った小学校6年の春だった。しかし今では完全に本の虫だ。寝る前は必ず本を読む。そうしないと気が済まない。

  19の春に僕はアメリカに渡った。語学学校で勉強するのだが、夏休みに入ってどうも何もする事が無い。勉強はもちろんし、学生ビザの身分でバイトもしていた(違法です。。) だがそれ以外にする事がないのだ。なので親に本を送ってもらった。送ってもらったのは『龍馬がゆく』 僕が日本を出国する際にちょうど司馬遼太郎先生がお亡くなりになったので、空港ではキャンペーンをやっていた。なので頭の中に残っていたのだろう。って事で親にリクエストしたのだ。そしたら予想以上に面白い。迷惑な事にアメリカ留学中に完全に本の虫となった僕は、大学の日本文学コーナーでは常連となってしまった。

  その後、大学では政治学を専攻し、仕事は軍のマーケティングのお仕事についた。しかし、半分はマスコミみたいな仕事なので、本を読まねば情勢が全く分からない。う~ん英語だけではようわからん。。アジア諸国の情勢を調べるためにサンフランシスコにある紀伊國屋で『日本の論点97』という3000円近くする本を購入し読んだ。これが中々面白い。日本の今をときめくキラ星のような論客が5ページほどにわたりびっしりと自分の意見を書いている。首相からNPOの方々まで、時にはこっちの方から、また時にはあっちの方から論じているのだ。すっかりはまった僕は、97年から2011年までぜ~んぶ読破した。おかげで会社でも情報通として通って、ちゃんと出世もした。やはり元図書委員長は違うのである。

  しかしページが相当あるこの本は、読み切るまで時間が掛かる。毎年冬の初めぐらいに出版されるのだが、それから数ヶ月かけてじっくり読むのが、毎年の決まりのようになってきた。なので僕の枕元にはず~と日本の論点がある。分厚いので枕にも良い。


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2012年4月12日木曜日

水車の本が素晴らしい。


  いぜん妙な本を買った事がある。まだ景観の事を勉強していた頃、本屋さんで一冊の本を見付けてしまった。名前は水車の作り方。今時水車なんて見かけない。僕が幼い頃だってあんまりなかった。しかし僕が生まれる10年ぐらい前にはあちらこちらで見られたそうだ。しかし現在あるのはうどん屋のモニュメントとして置いてあるぐらいだ。しかしそのうどん屋の水車もたまに回っていない。。この本によると水車をつくる職人さんって方々がいらっしゃるそうだ。たしか九州に2人ぐらい。。良くは知らないが、さぞかし仕事は少なかろうと思うのだが、がんばって欲しい。昔から日本人は水車を使用し脱穀をやって来た。しかし今ではコインで脱穀をしている。その方が手間がかからないからだ。しかし日本の山里に水車はよく似合う。洗練されたデザインだと思うのだ。

  特に理由もないのだが、以前黒沢映画の『夢』で水車のある村を見た。これが中々良くできている。本当に綺麗な映像でと音楽で魅了している。僕の中での黒沢さんの映画の中でも好きな場面の一つだ。僕が死んだときはこんな葬式をされたら何となくだが天国に行ける気がする。『こんな夢を見た』で始まるこの映画。あんたどんな夢みとるんじゃ。。と思っていたりしたのだが、このシーンの中に出てくる水車や小川が美しくてならない。オランダという国がある。彼の国は風車で有名だが、彼の国の風車は海水の流入を防ぐためだとも聞いている。しかし実は風車の中を改装して住んでいらっしゃる方々もいる。物好きだな。。なんて思ってしまうが、日本の風車も脱穀機以外になにか使えないのだろうか。もちろんすむ必要はないのだが。。

  この本は中々よく書かれています。水車の作り方から解説まで載っています。今ならアマゾンで6,280円からです。えっ僕が買ったときは確か600円ぐらいだったのだが。。

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2012年4月5日木曜日

コルビュジエのロフトは美しい。

コルビュジエとユニテ・ダビタシオン
  ル・コルビュジエをご存じだろうか?設計の世界で神様扱いをされている、とんでもない建築家だ。かれは第二次世界大戦前後に活躍したフランスの建築家で、近代建築三大巨匠の一人と呼ばれている。どこがすごいのか?それまでのヨーロッパの建築物というものは組積造といってレンガや石などを積み上げて作る者だった。なので窓は縦に長く大きな開口部を設ける事が出来なかった。そんな中コルビュジエはスラブ(床の事)・柱・階段が建築の主流となるというコンクリート製のドミノシステムを提案する。その後、新しい建築の5つの要素を提案。それはピロティ、屋上庭園、自由な平面、水平連続窓、自由な立面という近代建築(モダニズム建築)には欠かせない要素となった。この建築の新しい要素は彼の建築物だけでなく世界中の建築に大きな影響を与えた。日本でも丹下健三などの有名建築家が作った建物に散見できる。

  僕は設計の勉強を始めるまでコルビュジエなんて知らなかったし、コンクリート建築は嫌悪していた。しかし建築を勉強していく中で一つの本にであった。その本は『コルビュジエの勇気ある建築』という。これは安藤忠雄さんが出された本で、初心者でも、そして建築の素人でも読めるような簡単な本なんだが、建物に対する愛がたっぷり注がれているそんな本だ。建築を志す方々、そして家をこれから建てようと考えている方々は読まれると良いと思う。設計屋がどんな事を考えているかなどよく分かるからだ。

一般住居です
  この本の中に出てくる一つのアパートに目が釘づけとなった。この建物の名前はユニテ・ダビタシオン。この建物の1階全部がピロティーとなっている。つまりこの建物は地盤から浮いているようになっていると言う事だ。なのでこの建物の下を人々は通行できるようになっている。そしてこの一見集合住宅に見える建物の中には幼稚園やスーパー、体育館からホテルまでありとあらゆる施設がつぎ込まれている。しかし僕が特に気に入っているのは住居のロフトだ。日本の住宅でロフトと言えば簡単に作ってあり、大きくても人が寝れる程度。しかしこの建物のロフトは広く、寝室にもなるし簡単な勉強スペースにもできる。そして窓側にカーテンさえ入れれば開放的な寝室となる。この建物は1957年の建物。この時代から約55年たったのだが、日本でこの建物よりも素敵なマンションやらアパートって見た事あるだろうか。少なくとも僕は無い。僕が設計したのは別として。。日本が力を入れているのは部材などのようだ。〇○人部屋を作って何畳のリビングがあって、システム〇○で。。設計とはそんな事も必要だろうが、もっと別の次元で物事を考える必要があるのだと思うのだが。。本当によく考えてあるこの建物。かならず泊まりに行こうと決めている。

ロフトから望む
  コルビュジエの事を書き出したら止まらない。が、僕は忙しい。気が付いたら工務店さまのホームページの更新がまだ終わっていないのだ。。って事でまた書きます。





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