2012年4月27日金曜日

八瀬童子を復活させた方が良い。

八瀬童子のお仕事
  昨日、宮内庁は天皇陛下が逝去した場合の埋葬方法について、土葬から火葬に変更する方向で具体的に検討を進める事にしたとの報道があった。今上陛下と皇后陛下を一緒に埋葬する合葬も視野に入れるそうだ。ふと考えてみれば、歴代の天皇が必ず土葬だった事実はない。確か江戸初期の天皇は火葬をしたって記録があったはずだ。またこの決定は天皇皇后両陛下の意思が反映されているそうだ。国民の負担を考えた場合、小さな祠(ほこら)程度でよいとの考えを持ってらっしゃると聞く。今上陛下らしい考えだと思った。天皇家が埋葬される場所は陵(りょう)と呼ばれ、昭和天皇の場合、東京の八王子市にある。未だ行けていない。このニュースを聞き、風邪が治り次第八王子の昭和天皇陵に行こうと思った。

  以前、京都で寺巡りをしていた頃、ふと脇道をそれたところにある天皇の墓があった。いきなり見えた墓が教科書にも載っている有名な天皇だったりするとびびる。場所は天龍寺。臨済宗天龍派の本山だ。かの有名な後嵯峨天皇だったと思うが、小さな祠のようなお墓だったような記憶がある。後嵯峨天皇は鎌倉時代の天皇。この時代の天皇の墓がまだ普通に残っているのも素敵な事だと思う。

犬神人
  昔は皇族などの気位の高い方々のお墓を守る『墓守』と呼ばれる方々がいた。武士なら下級武士がその任にあたる。話はそれるが、坂本龍馬の祖父と父親は、その主君にあたる山之内家の墓守が主な仕事だった。話を元に戻す。この墓守の仕事は、『非人(ひにん)』と呼ばれる方々がやられていたと聞く。現在では口にするのもタブーとなる時代となってしまった。しかし歴史は今のような単一な物の見方では収まりきれない。非人とは平安時代にある人物が反逆罪に問われ、官位を剥奪されて『非人』の姓を天皇から与えられたのが文献上の初例とされる。当時は別に差別意識で『非人(人に非ず)』と呼んだのでなく、実際に人として扱われず神の下人のような扱いをされていた。つまり武士や公家などと対等なイメージで非人という身分があったわけだ。広義の非人として、墓守だけではなく、犬神人(神社の下級神官)や河原物や放免そして、今でも現役の八瀬童子なども含まれる。初期の非人は囚人の世話であったり、死刑囚の処刑や芸能のお仕事をやって担って来たのだが、中世期になると穢れ思想から差別されるようになったそうだ。

昭和天皇御陵
  先にも現役で八瀬童子も含まれると書いた。八瀬童子とは天皇の葬儀にあたり、棺を運ぶ仕事に従事された方々を指す。現在の京都府左京区八瀬に住み、歴代の天皇の棺を運んできた。こんな話が残っている。時は大正元年、明治天皇の崩御に伴い、その棺を陸海軍どちらの儀仗兵を使うかと紛糾した。調停案として八瀬童子の慣習を復活するとなったのだが、なんせ明治は45年も続いたわけで、当然その時の八瀬童子の当主も高齢だ。しかしみな気合いが入っていた。そりゃそうだ、彼らには誇りがある。実際に運ぶとなった時、政府高官や見守った人々は、明治天皇の棺を落としはしないか本当に心配したそうだ。また昭和天皇の葬儀の際、八瀬童子会(実際にあります)は宮内庁にやらせてくれと要請したが警備上の理由から却下され、実際は皇宮護衛官が古式の衣装を着てその任にあたった。しかし、八瀬童子会からは6名の代表者がオブザーバーとして参加したそうだ。今上陛下の葬儀の際、どんな形になるのかは分からないが、僕個人としてはできるかぎり八瀬童子を使って頂きたいと思う。それが伝統だし格式だと思うからだ。それに誇りをもってやられて来たであろうこの職務を、一公務員に任せるというのも違うような気がする。

  昭和天皇が崩御されたとき、僕は父親に言われ、ず~とテレビにかじりついていた。勿論学校にも連絡し休みとした。どんな形の葬儀やお墓になるのかは分からないが、今上陛下がお隠れになった場合、仕事をせずにテレビの前にいる気がする。その方が日本人として格好が良い気がする。

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