2012年4月22日日曜日

リビングの時代は続くのか?

  最近テレビがおもしろくない。僕が見るテレビは基本的には、ニュースであったりドキメンタリーであったりする。しかしふとバライティーなどをつけて見ても、面白いとはあまり思わない。ネット上でも同じ事を考えている人々がいるらしく、一億総国民の5分の1ぐらいはテレビに批判的な気がする。フジテレビの韓流ごり押し問題や芸人ばかり出てくる番組構成、そして多くの人々が興味ない人気アイドルばかりでネット上ではたたかれている。テレビと言えば娯楽の王様だった時代がある。家族の団らんなどは基本的にはテレビの前に座り、みんなで笑いながら見たりした時代だ。しかし、そんな時代は過ぎ去り、家族の団らんと言う物に変化が見られ出したのは10年前ぐらいからだろうか。もちろんインターネットが一般化したということもあろう。みなが個人として生きたいって事もあるだろう。そんな事を考えていたら、リビングも今の形とは変わって来るのではないかと考えてきている。

  以前宮崎県は都濃町に建物を作るとき、設計プランを考えた事がある。以前にも書いたが風水で駄目だったプランだ。そのプランの大きな特徴として2つの子供部屋をわずか4.5帖としその横に2帖のウォークインクローゼットを配置した。つまり子供部屋は寝るだけのスペースとした。その2つの子供部屋と勉強部屋は玄関の土間を挟んで分けている。そしてこの勉強部屋はわずか2mぐらいの幅しかなくリビングダイニングに隣接している。このプランを計画したときに考えた事は、いかに子供をリビングに引き込むかと言う事。現代の子供に6帖ぐらいの個室を与えそして勉強机やパソコンを与えると、どうしても部屋にこもってしまう。それで良いと施主が言えばそりゃそうなんだが、僕は家族とのつながりを考えると半強制的でもリビングの近くに子供はいて欲しいと考えたからだ。ちょっと奇抜であったって事もあるんだが、結局はボツとなった。説明にいければ通っていたプランだとは思うのだが、勿体ない。

  テレビをみんなで見なくなった今日、リビングに変化が出て来るのではないかとちょっと思っている。実は昔の家にはリビングって部屋はない。昔の金持ちの家には現在のようなリビングは皆無だ。応接間があり日本間があり、食事をする場所があり主人が仕事をする部屋があるが、リビングはない。リビングが出てきたのはやはり昭和からではないだろうか。少なくともテレビがない明治や大正期の家々に現在のような広いリビングってのはなかったであろう。あったとしてもそれは応接間やパーティールームだった。って事はテレビを見なくなった現代は、リビングがなくなるか小さくなっても変ではない。原点回帰が事がおきる気もする。

  リビングは家の顔という人がいる。しかしその歴史的価値は終わったんだろうか?よくよく見つめて行く必要がある。

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