2012年3月12日月曜日

100年前の労働と、今を生きる僕。

もちろん昼間撮影♡
  僕の仕事はホームインスペクションという建物のお医者さんのようなお仕事。お医者さんと行っても総合病院のようなその道のスペシャリストと言った様なものではなく、町医者のようなもの。つまり高い機材を使うので無く、できる限り安い機材を使い建物を診断する。よって総合病院と違い料金もさほどかからない。まだまだできたばかりのお仕事なので、どうしても件数が少ないのが厳しいのだが、なんとかがんばっている。まだまだ駆け出しの僕は午前中のみの現場となる事が多い。しかし午後に我が家に帰り、パソコン仕事をしないといけない。まあそんな生活をしている。アメリカにいる時は仕事は3時までの事が多かった。3時に終わるが朝は少し早い。しかし3時に終わると色々できてありがたい。日本に帰って来て『日本ってなぜにこんなに世智が無いんだ』なんて思ってしまう。ネットで今日は何の日か調べたら、今日は明治政府が日曜は休み・土曜は半休と決めた日なのだそうだ。へぇ~。。

  よくよく考えると、日本は昔は日曜日は確かに休みでは無かった。日曜が休みってのはキリスト教の観念。では昔の日本人はよ~く働いたのじゃないか?そんな事は決してない。江戸時代や明治時代の初期の頃の役人は、勤務時間が10時から2時まで(休憩も1時間ちゃんとある♡)と文献でちゃ~んと確認されている。また大工などの民間の職人だって、1日3時間労働。朝早くから出て、1時間働いて2時間休憩を繰り返していたそうだ。なので一口サイズの料理、日本を代表する『寿司』が生まれた訳だ。でもそんなに働かなくて大丈夫なんだろうかと思うが、仕事が細分化されていて上手に回っていたようだ。いわゆるワークシェアリングみたいな物だったんだそうだ。なのでフリーターが多かったらしい。現在農業やっている人々は結構暇を見付けては何かやっていたりする。一日ず~と働いている農家の方々はあまりいない。もちろんそれは一つだけ仕事をしている前提で書いているのだが。。つまりどことなくゆとりはあったと言う事だ。

  昔の方々はなぜにそんなに短い時間だったのだろうかと考えて見る。よ~く考えたら夜は暗かった。ロウソクの明かりで仕事ができるってのは相当お金持ち。夜なべして何とかと言うのはあくまで明治の中頃からの話だ。明治初期に入ってきたランプだってそんなに明るくは無い。せいぜい周囲30㎝が見えれば十分という明るさだ。なので朝が早い。基本的に大工だって起きるのは朝4時ぐらい。朝6時には現場に行っていたそうだ。そして日が沈む夕方には就寝だった。つまり究極のサマータイム制だった訳だ。

  太陽の動きに合わせて行動していた日本人。どこか今より健康的なような気がする。現在パソコンの前に座り仕事をしている平成の僕。。まだ仕事が終わってない。。きっと電気があるからなんだ。。ってのは完全に言い分けだ。『嗚呼、柴漬け食べたい。。』

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