2012年3月26日月曜日

室町の風景が残る安土(あづち)

信長さん(鉛筆画)らしいby西洋人
  以前歩きで琵琶湖一周を企てた事がある。当時建設会社の設計部を辞め、次の仕事が始まるまで時間が合ったので、『いっちょ行ってやるか!』と思い、20代最後の思い出のつもりで断行した。『建築の勉強』という自分に対しての大義名分(言い分け。。)もちゃんと用意。『絶対歩きじゃ無理だよ』と言う輩(やから)には『京都市役所で、サライでも歌って待っとれ!』と言ってやった。計11㎞の荷物を背負い、京都を出発。『こんなに重い荷物を持ってくるんじゃなかった。。』とすごく後悔しながら訪れた安土町で、ふと立ち寄った食堂にて祇園祭の宵山ニュースをやっていた。すでに悟(さとり)を開きそうなくらい疲れていた僕は、このニュースですぐに心が折れ、さっさと京都に電車で帰還。。周りの輩に『この根性なし!』と呼ばれ、泣きながら祇園祭でち~ぱっぱ。そんな良いネタになった旅だった。おかげで京都の仲間には祇園祭の度に、小馬鹿にされる。。

  京都の隣の滋賀県。僕はこのような思い出の深~い旅をするまで滋賀県の事は全く興味がなかった。なぜなら京都の人々はよく滋賀県民を馬鹿にする。これは昔かららしく『滋賀っぺ』なんて呼び、田舎者扱いするのだ。しかしこのど~しようもない旅のおかげで僕は滋賀県のイメージが180度変わり、滋賀県が大好きになってしまった。可能なら移住したいし、金があれば別荘ぐらいは作ったって良いと思っている。

現在は合併されたようだ
  僕がこの旅を終わらせた安土町。かの有名な織田信長さんが気づいた安土城があった場所だ。信長が本能寺で家臣の明智光秀に討たれるまで、この町は非常に賑わったのだが、現在は落ち着いた小さな町となっている。僕はこの町の作りが室町的で気に入った。どこが室町的なのか?例えば地区ごとに家々が固まり、その周りを水田が配置されている。そしてその水田群が隣の地区との境となっているのだ。現在の街並みは、どこまでも住宅があり隣町との境はあまり分からない。しかし安土は違っていた。町として主立った産業がないのかも知れないが、すべての土地が宅地化とか合理化などされていない。この昔の街並みが残っている素朴さが気に入ったのだ。また子供達が小学校に通学用に使うために作られた小さな道があり、小学生が『さようなら~』なんて声がけをしてくれた。専用の通路まであるってのも良い考えだ。室町の風景の中にある小さな近代だとも思ったりした。駅前の信長像はあまりにも大きく、『もそっと何とかならんのか。。』なんて思ったりはしたが。。

  昔の街並みが残っているとは素晴らしい事だと思う。歴史の連続性や町としての呼吸が感じられるからだ。そんなどうしようもない旅をしたからこそ、景観について深く考えるようになったのだと思っている。歴史をスクラップしてから近代だらけを作ったとしても、この国は美しくならないと思える。う~ん前向きだ!

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