2013年2月27日水曜日

後悔の青いガイトウ

   ふと、洋もんの映像を見ていて思ったのだが、欧米の街灯は美しい。欧米の街灯は単に明かりというだけではなく、その街並みや景観美を最大限に生かすように設計されており、自らが持っている伝統や様式美をその街灯につぎ込んでいるように思える。だがそれらの値段は高いのだろうかと言えば、そうでもないだろう。基本は大量生産の品物なのでそれほどお高き物ではないと思える。それと比べ日本の街灯はどうもさぼしい。伝統は感じないし、感じさせない事こそがデザインと思っているフシがある。また商店街にあふれる街灯などには宣伝文句を入れたがる。 『ようこそ○○商店街へ』 などの挨拶文や、 『○○電気』 などと、その街頭の隣にある店の名前を入れているのが目に付く。そこにあるのは街並みや景観美を引き出す明かりではなく、単なる明るい広告塔だ。という僕も街灯をデザインしたことがある。それも、後悔するデザインの街灯だ。

   ある時、商工会の会長さんから 『商店街の街灯をデザインしてくれないか?』 と尋ねられた。へっ、街灯? 街灯のデザインなどはやったことがないと断ったが、 『街灯自体はパンフレットで既に商店街で決めたから、この絵を看板に入れるだけで良い』と言われた。その絵は町の商店街のロゴマークであり、虎さんの絵が描いてある。どうもそりゃないよという絵で、可愛いのかもしれないが、毎日それを拝まなくてはならないと思うと、町を美しくはしないと思った。 『どう思う?』 と質問されたので、そんな街灯なら町の価値を下げるので辞めた方が良いと思い、そのように提案したら、 『みんなで決めたんだから、そんな事を言うたらイカン』 と返された。それに 『せっかく補助金が出るのだから作らなくては損だ』 と言う。やむ負えないと思い、街灯自体は町の景観に影響を与えないように淡い黒とし提案した。だが出来上がった街灯は鮮やかな青。テッカテカの青だ。どうやら商店街の人々が、黒じゃ夜頭をぶつけるから危ないと言う理由で、こっちに理由を聞かずに勝手に変えてしまった。頭をぶつけるって、それを防ぐための明かりじゃないか。。それに青は昼に目立つだろ。。

   大きな都市の商店街と違い、田舎の商店街はなぜか補助金が出る。選挙などがあると地元の商店街が活性化するために、 『がんばります ! 』 という議員さんらは多い。だが、商店街は特別な存在なのだろうか?僕は違うと思う。確かに田舎の町などの商店街はシャッター通りと化している。だがそれは理由は明快だ。欲しい物が何一つ売っていないからだ。田舎の商店街は新陳代謝がきかない。そこは店舗兼住宅であってモールではないからだ。そこに街灯などを取り付けても、欲しい物があるわけでは無いので町が発展するわけはない。ちょっと飲み屋に人が増えるだけだろう。それに補助金と言っても、それは税金。僕らが払っている血税だ。それを行く魅力のない場所に使って欲しくはない。

   また、基本的に町を美しくすると言う感覚が鈍いと思う。絵や文字の入っている青い街灯が等間隔で並ぶ僕の町の商店街はとても美しいとはいえない。これはやはり都市工学などを勉強している専門家が入っていないからだと思う。自分らは町の商いを一手に担うのだから、その土地には何をしても良いと思うのであり、町を発展させるなどの公共的な考えなどはそこの住人にはまずない。本当は政治家がそれを調整し、そして専門家である建築家などが町の色を決め、そこで初めて商店街が出てくれば、もう少しよい町が出てくると思うし、欧米はそうしているが、どうも日本の田舎町はそんな考えがある事すら知らんようだ。

   僕は事務仕事の一環としてやった町の街灯のお仕事をとても後悔している。これから約30年はそのデザインで行くそうだ。また30年後には補助金が出るだろうから、その時変えるかもねと言っていた。それまでこのテッカテカした青い街灯が建っていると考えると、自分が少しでも携わったこと自体、お恥ずかしい。

   街灯一つ作るのにもじっくり考えて作りましょう。少なくともその色や形は数十年の間その町に居座るんですから。

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