2013年3月5日火曜日

江戸の昔の勤務時間

   本を読もうとページをめくり、文字をじじっと見るのだが、どうも字がぼやけて見える。どうも目が悪くなったようだ。ひょっとして、年取ったんだろうか。。否 ! 図面の書きすぎだ ! 日長ミリ単位の線をパソコンで描いているとどうしても目が悪くなる。設計屋の職業病のようなものだ。その他にも僕は長い時間CADを使っていると、右手の人差し指の付け根に激痛が走りだし、そして震えだす。そして誤字脱字が多くなり、このブログのように何を書いているのか自分でもよく分らなくなり、頭の中で 『Jupiter』 が流れ出す。そんな時はどうするか。寝るしかない。仕事が詰まっているのは分るのだが、どうも筋肉の事なので精神力ではどうしようもない。嗚呼、江戸時代のお侍のような勤務態勢にしたい。。もちろん無理なのだが。。

   江戸時代の勤務時間は今とはえらい違う。日の出と共に出勤し、そして日の入り前にはお家に帰るのは今とはほぼかわらない。だが、休憩時間が現代とは違い、かなり長い。江戸の大工は昼食以外に10時と15時に休憩があったのだが、その休憩が1時間を超えるなんてざら。2時間休憩なんて事も結構あった。労働時間にすると、昼の短い冬などは実質4時間労働ぐらい。。実に素敵なお話だ。そんな休憩時間でもお金を使ってくれるよう、ぱぱっと食べれるようお寿司が現在のようなカタチになったそうだ。もちろん忙しい時もあり、夜遅くなる時もある。だが今みたいにサービス残業なんて感覚はなかったようで、残業したら日当の半分はプラスされたなんてある。実に素晴らしい。もちろんなかには丁稚奉公の子供らのように11時間労働ってのもあったし、現代の若手設計屋のような、女中悲話なんてものもざらにあったが、今よりもきりきりまいで働く感じは少なかったようだ。

    江戸時代でも一番労働時間が少なかったのはお侍さんだ。朝方10時にはお城に出勤し、そして14時には城を出る。それが基本的な武士の生活だった。だが、戦国の時代には戦闘員としての価値があったお侍も、江戸時代になるとそれほど仕事があるわけでは無い。だが各大名としては、自身が基本的には戦闘員なので、もちろん人員を確保押しておく必要がある。なので4時間勤務。だが一般の人々とお侍の違うのは、日頃から自分を鍛錬しなくてはならないことだろう。勤務を終え帰宅したらそれから学問や武道などの時間となったようだ。もちろん禄高の少ないお侍はそんなわけにもいかず、普段は農業をやり内職をやりなんてのは当たり前だったろうし、何か特殊な役職についているお侍は違う。だが一般的なお侍はそんな生活をしていた。今考えれば贅沢な暮らしだ。

   今やっているのは介護保険の手すり取り付けのお仕事。役所に提出する書類が多い。明日に提出しますと施主さんとケアマネージャーさんに言うてもうた手前、猛スピードで書類づくりをしている。指はぷるぷる、目はしゅぱしゅぱ。頭はガンガン、猫背がニャ~。そして 『Jupiter』 の耳鳴りがしている。。

   嗚呼、早く寝たいな今日は。。

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