2012年8月15日水曜日

僕の戦争経験。

   今日は8月15日だ。いわゆる終戦記念日。いやいや、敗戦の日じゃないの?とか、まあ単に戦争に1度負けたぐらいで。。と思う心もあるが、以前読んだ文藝春秋の『それぞれの8月15日(タイトルはうる覚えです。。)によると、『やっと戦争が終わった』という虚無感を覚えた方々が多くいたらしい。そんな方々の普通の感覚として『敗戦』ではなく『終戦』となったのかもしれない。まあ『敗戦』と言うと怒り出す方々も当時は多くいたので、便宜上『終戦』としたと言う事もあったようだ。

   よく終戦の日になると宮城の前で泣き崩れ、頭を垂れているめがねをかけた青年の映像が流れる。色々資料などを読んでみると、その日の玉音放送を聞いたとき、実際のところ泣きくづれている人もいたが、多くはぼんやりとした感覚に襲われ、ラジオを聞いた集合場所からそそくさと帰った人々が多かったようだ。そりゃそうだ。昨日まで国のために尽くすことを本分としていた生きてきた人々の目指す方向が急になくなったわけだ。悲しむよりも、どうしようだったのかもしれない。僕は6月末まで東京に住んでいた。僕は8月15日は靖国神社に行こうと思っていたが、宮崎に急に帰郷したためかなわなかった。もちろん第一の目的は、英霊に感謝と冥福を祈るため。しかし第二の目的は、あの右翼と左翼の騒動がどんなもんかみたいから。そして第三の目的は、あそこに行けば乃木将軍などの格好をした人々を見れるからだ。そして、すごく下手なラッパ手がぱっぱらぱ~と吹き、そして行進する。あれが妙に好きなんだ。。ごめんなさい。。

   こんな僕にも戦争の思い出がある。僕はアメリカにいたので間接的ではあるが戦争は経験している。初めの戦争は、1999年の3月に起きたコソボ空爆。その時はちょうど住んでいたアパートの退出期限が迫っていたので、街中を車を転がして新しいアパートを探していたときの事。道路に50代ぐらいの方々(後で考えるとベトナム世代)がプラカードを持ってめちゃめちゃ叫んでる。『ヘイッ!おっちゃん、何かあったんかい?』と聞くと『コソボの空爆が始まりおった。おかしいと思わなんか?』と言われた。えっそうなん!?当時のアメリカはクリントンとモニカの不倫騒動(俗称チャックゲート事件!)のまっただ中。なのでコソボの事なんかみ~んな忘れている最中だった。よってすこぶる平和な時に戦闘が始まってしまい、あっ今戦争中なんだ。。といった感じだった。

   その次の戦争は、あの2001年に起きた9.11事件だ。この時は朝6時から大学での授業を受け、その帰りにイタリアンの優雅なブレックファーストを取っていた。そしたら急に知り合いの女性から電話があり、ニューヨークが凄いことになっていると言わた。『へぇ~そうなん?』なんて言っていたのだが、その後、当時所属していた海兵隊関連の会社から緊急メールが入り、すぐに招集。軍服着させられ、拳銃に実弾を込めてモスクの警備に回された。モスクの警備といっても攻めてくるアメリカ人などはいない(まだイスラム過激派の情報は入ってなかったが、うすうすみんな気づいてました。。)警備という名の体の良い監視役という事だ。しかし怖かったのはモスクに入るなり凄い敵視の目をこちらに注がれた事だ。たまたまこの事件の数週間前に映画『ランボー2 怒りのアフガン』を見ていた僕には全員敵兵に見えた。こりゃアカンと思い『トモダ~チ』と言いそうになったが、こちらが日本人だと言うと妙に向こうは上機嫌となった。彼らに言わせれば、日本という国はアメリカと本気で戦争をやった国。異常なくらい尊敬の的だ。よって後は超フレンドリー。しかし大変だったのは、石を投げられて逃げて入ってくる人や、つばをかけられた女性などがいてそのケア。なぜなら何故か彼らは白人より僕を頼りにしていた。おかげで眠れず、それはそれは混乱した。

   僕の経験した戦争といってもこの程度。つくづく妙な経験をしたと今では思っている。しかし、67年前の世代が経験された戦争とはこんなもんじゃもちろんない。色々意見が分かれる戦争ではあるが、今日の日ぐらいはただ頭を垂れて冥福を祈るべきだと僕は思う。

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