2012年8月28日火曜日

こぼれ話が好き。

   僕が生まれた頃、僕の家にはひいばあさんがいた。そのばあさんは1898年生まれ。単純に計算すれば6才で日露戦争、そして47才で第2次世界大戦が終わった事になる。僕が生まれた頃は80才ぐらいだったはずだ。その婆さんが我が家に嫁いできた頃には、まだちょんまげを結った元高鍋藩士のご先祖さんがいたようで、正月などの門松を作るため山にはいるときは、日本刀を持って行きバッサバッサと竹を切っていたそうだ。仮にその人が僕のひい婆さんから見れば義理のじいさんだとすると、きっと婆さんより40才ぐらい上だと思う。よって1858年ぐらいの生まれ。明治維新が1868年だから10才ぐらいの時に明治維新のはずだ。
歴史に興味の無い方には全く意味の無い話だと思うのだが、僕にはこの時代のこぼれ話などを見つけるとうっとりする。特にこの時代のお話はまだ逸話として生々しく残っているからだ。

   例えば幕末には海外への銀の流出がおき、特に関西辺りでは一揆が多発している。その時に参加した人々のお話などが残っている。多分一気に参加したとしても若くて15才ぐらい。よって日露戦争当時は50代前半だ。これが結構生々しい。イメージとしての一揆は米が取り立てが厳しく、皆やせこけてやむにやまれず竹槍を持ち、領主さまに対してヤー!っというイメージだがそうではなかったようだ。その参加者が言っていたのは『あれほど楽しい物はなかった』という証言という証言だ。他人の物を盗み・犯しやりたい放題。やられた方もやり返す。。というか参加する。。といったものだったらしい。僕らが教科書やテレビで見た一揆とはまた違った視点が見えてくる。それが面白い。

   その他にも、今を生きる僕らから見ると昭和の戦争は相当きつかった。例えば学徒出陣の映像を見る度に、学生さんも大変な時代だよね~なんて思うが、当時の人々から見ると徴兵されると言う事は身体満足な証。徴兵されて出陣の時などは万歳の嵐だ。ご近所さん総出で幟を持って出陣していく。死んだ爺さんも嬉しかったと言っていた。嫌々学徒出陣をやっている人ももちろんいただろうが、嫌々ながらも誇らしい気持ちだったと当時の人は証言している。

   日本人は時代が一変する事と、それ以前の考えを全て否定する性格を持っているようだ。終戦を迎え、あれだけ苦々しくマッカーサーを迎えたのにもかかわらず、マッカーサーが帰るときにはもの凄い送り出し。またたくさんの手紙をマッカーサーに送ったりしている。だがマッカーサーがアメリカの議会で『アメリカ人が20才だとすれば日本人は12才』と証言したとたん、マッカーサーにそっぽを向いた。。

  しかし、その否定された考えや当時の動きを見ることは歴史好きにはやはり、たまらない。


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