2013年3月16日土曜日

建築家とデザイナーと設計屋

   僕はこのブログで自分の事を設計屋と名乗っている。建築家でもなく建築デザイナーでもない。国家資格的に言えば、たんなる建築士。自分を建築家と名乗る人もいるし、建築デザイナーという人もいる。道路の真ん中を歩き 『匠』 と呼ばれている人だっている。だが僕はそんな立派な身分の職業では無いと考えているし、そんなふうに呼ばれたらちょっと気恥ずかしい。実際僕が作る建物は、デザイナーズ○○などと呼ばれたくないし、そんなつもりで作ってはいない。第一そういった建物を目指してはいない。僕はあくまで施主さんが気持ちよく過ごせ、かつ周りの景観の邪魔もせず、その町の価値を高める建物を作れればそれでよい。自分の能力は他人とは違いますよ~と自己主張するつもりはない。

   だが世の中そうでないと納得しないのも事実。そうと言わねば食えないのかも知れない。僕は京都の住んでいた頃、アトリエ系の事務所で設計図面を書いていた。アトリエ系事務所とは普通の設計事務所よりも芸術的な割合が強い場合が多い。仕事は主にコンペなどが多く、一般住宅は高額な家しか対応していなかった。コンペなどに出して受かれば大きなお金と地位が入るのだが、仮に落ちたら1円もでない世界。よってローコストで作らないといけない住宅などは、はなから設計料が稼げないので作りはしない。社長は一応1級建築士でもちろん先生と呼ばないといけないし、世間一般的にも芸術家扱いだ。

   そんな僕がいたアトリエが作る家というのは、とてもぶっ飛んでいる。というよりも、大先生は建築基準法を守るつもりがはなからない。木造建築にはある程度、おきまりのスパン、そしてそれに対応している梁の大きさという物があるのだが、そんな事を守るつもりが最初からなかった。よって僕らスタッフが頭をひねくり回してそれなりに法律上うまく回りそうな建物を作り出す。そんな大先生の作品には僕は納得できないものが多かった。多分、大先生は70代だったと思うのだが、大先生らの世代は近代建築の全盛期に設計士になり、僕らが設計士になったのはモダニズムも終わり、ポストモダンも終わった時代に設計士になったからだろう。大先生らの世代は、家とは外観もふくめ自己主張みたいなものがあるのだが、僕の設計とは周りとの調和も必要と思う。なので、ぶつかることも多かった。だがおかげで建築理論を日々考えるようにはなった。建築理論とは建築の哲学のような物で、こういったカタチであれば、こういった生活が営めるとか、そんな理論の事をいう。

   実は設計事務所を開設する人間は別に建築士の資格は必要はない。だれか、監理設計士を雇ってれば事務所の開設は可能となる。その開設者がデザイナーとか、建築家と名乗るのは実はその人の勝手だし、実際そうしている人はいる。だが建築家とか建築デザイナーなどは法律的に定義が存在するわけではない。

   よくデザイナーズ○○とかいう建物群をみる。それらを京都のアトリエで設計していた僕から見ても、それは住みにくいとか、法律的にどうなん ? と思う事はよくある。アトリエはそういった良い環境の住空間を提供しようという考えで家を作るよりも、建物は芸術品。新しい視点で建物を作るという考えが先走りがちだ。そんな考えが全てダメだと否定するつもりはない。それら前衛的な考えで家々を作り、それらの考えが新しいカタチを提供するのは格段悪い事だとは思えないからだ。しかし、景観を何とかしたいと考えて家造りの道に入った僕としてはそういった考えで家を作るつもり自体がもともとない。

   なので自分の事を設計屋さんだと思っている。それ以上でも以下でもない。

ブログランキング・にほんブログ村へ
良かったら、ご協力下さい。

0 件のコメント:

コメントを投稿

フォロワー

 
;