2013年3月11日月曜日

竪穴住居と職人魂

   今はどうかは知らないが、僕が純朴な中学生の頃、社会の授業で一番最初に習うのは縄文時代の事だった。教科書の最初のページにはお猿さんが四つ足で歩き、そして二足歩行になる絵が描いてあり、またカラー写真で竪穴式住居が紹介されていた。僕が中学1年の1学期の中間テストで、この竪穴式住居が質問として出た。 『写真の住居の名称を記載せよ』  まあそんな問題だったと思う。あっ竪穴だとすぐに分ったのだが、この竪という字が出てこない。。う~んと考え、文字を消しゴムでぼかしながら書いた文字は 『堅』 先生にこれじゃ 『カタアナだろ ! 』 とげんこつをもらってもうた。って事で竪穴式住居はよ~知っとる。

   竪穴住居とは、読んで字のごとく地面に掘り下げた穴の家だ。屋根の周囲に土を堀あげ、それを壁代わにする事によって寒さもしのげるし、風もしのぐ構造となっている。そしてその盛った土の高さから約2~2.5メートルの深さに居住空間を設けている。単に穴を掘っただけでは、土の中に染みこんだ雨水が浸入してくるので、家の周囲には家の床面よりも深い溝を掘り、そこに雨水を流し出すものが多いようだ。家の入口は、今を生きる僕らから見れば奇妙だが、天井部分から入っていた。今で言うフローリングレベルが壁の上端よりも低いため、屋根から入っていたわけだ。よって中学校の写真の竪穴住居は屋根しか見えてはいない。まあその方が台風などの風圧力から家を守るにはちょうど良かったのだろうと思われる。別に縄文時代が終わって竪穴式住居がなくなったわけではない。鎌倉の時代でも竪穴式の住居は各地に普通に残っていたと言われている。

   一見、非文明な建物に見えるが、それなりに快適に暮らせたようだ。地面の温度は気温に比べ季節の変動は小さい。よって土間の上の生活であっても、夏は涼しく過ごせただろうし、冬は炉の周りにいればそれなりに暖かかったと思う。天井部分はワラ葺きというよりは、ワラ敷きの屋根だ。ワラはたくさんの空気を含んでいるので断熱効果もある程度だが期待できる。また炉からでるススはワラの表面に付着し天然の防水シートにもなるので、外部の熱気や換気、そして湿気の流入は深刻ではなかったと思われる。とは言っても決して高気密に作る事は出来なかったわけで、冬場のすきま風などは応えたはずだ。

   よく遺跡調査などで集落跡が見つかり、その後、市町村などで当時の生活を再現している場所がある。だが実は屋根の構造などは全くといって良いほど分ってはいない。遺跡調査などで掘っ立て柱の穴跡は出てくるが、屋根などは出ては来ないからだ。よって再現しようにも、だれも厳密には分らない。なので結局は大学の教授らが、こんなんじゃない?って事で絵を描く。それに市などが補助金をだし、それを業者が見積もり、そして大工や職人らが作る事となる。

   そんな時、職人魂に火がつくものらしい。そりゃそうだろう。一生に一度の大仕事だ。当時はきっと無かったであろうチェーンソーを使用し、屋根を綺麗に仕上げ素敵なラインのワラ葺き屋根を仕上げていく。もちろん隅部はカクカクと整え、縄文人もびっくりの光沢のある素敵な屋根が出来上がる。そして建物には詳しくはない市はなんとなく感状だし、それをもらった職人は子や孫に自慢し、田舎のスナックでは超モテる。それをまた知らない一般の人々に公開すれば大反響となり市もハッピー。それが教科書に記載されてテストに出る。そして竪穴という字が書けなくて僕のような純朴な少年達は怒られる。。

   そんなできたてホヤホヤの竪穴式住居の傍らで、大学教授と設計屋はぼやく。

   んな訳無ぇ~じゃん。。

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