2012年7月17日火曜日

花を愛で、庭を愛す僕が好き。

   ふと煙草を吸いに外に出てみたら、我が屋の花々が目に入ってきた。僕は花が好きだ。自分だけが認める風流人でもある。京都の建築専門学校では生け花部に所属し、周りの芸術の分からないモンから、生け花のセンスゼロ!などと言われながらも、育ちの違いを見せつけていた。生け花と建築設計には通じるものがあると先生に言われ、そんなこと言われたら気合いを入れなイカン!と思い大胆にバッサバッサと花々を切っていったら切りすぎ、全ての花々がツクシの子ぐらいの大きさになったのは、今では伝説となっている。花々を愛でる宮崎県風流人協会の鑑定人でもある僕としては、色々な花々を植えたり、愛でたりしたいのだが、どうも宮崎では中々手に入れにくい花は多い。

   僕の近くにある花屋はもちろん小さい。売っている花も、どちらかと言えば仏壇用で、鑑賞するためや、お生け花をするものではない。需要がないわけではないだろうが、そんなに気合いを入れた花屋を作ったところで商売が成り立たないのかも知れない。なので、花屋には冷蔵庫とプラスチックのバケツがあるぐらいで、いつもおばちゃんがニコニコしている。これはこれで嫌いではないのだが、どうも欲しい花はない気がする。それじゃ、ホームセンターの花コーナーはと言えば、どことなく悲しい。種類が豊富なのだが、ど~も今ひとつ欲しい花や、おっ!と思えるような、発見する喜びがないのだ。そして、どうしてあんなにパンジーが安く、多く売っているんだろう。。

パンジーは好きにはなれない。。
   そんな事が思えるのも僕がアメリカにいたからかも知れない。アメリカの花屋さんは大きい。イメージで言えば、日本の高速道路のサービスエリア一個分が花などのガーデニング用植物を売っている店舗になっている。そこまで広いと、さすがに発見する喜びもひとしおだ。ハーブってこんなにあるんかいな。。だったり、あっスイレンだ!とか大はしゃぎしてしまう。そして庭に植えたくなる喜びを与えてくれる。そんな花屋さんは日本では見たことがない。日本には庭師というプロフェッショナルがいるが、彼らはどこから花々を手に入れるんだろうか。。こんど合ったら聞いてみたいものだ。

   アメリカさんが大きい花屋なら、日本はこだわり抜いた花や!ってわけでもないのだが、京都人はさすがだと思った事がある。京都の中京に、一つ一つの花が作品のようになって売っている花屋さんがある。京都の丸太町にある hanadayori はんだ。これが良いのだ。一つの花とそして鉢がセットとなって、そして横で生け花を作るように美人の店員が花を植えている。これが素晴らしかった。凛として花を生ける美人!日本には日本の良さがある。それを淡々と主張されているようで、もちろん僕みたいなヤカラなぞお店の敷居を一歩も入れなかったし、注文なんてできはしなかった。生け花部なのにである。あまりの美しさに一見さんお断わりだと今でも信じている。でもどうして花屋の店員は美人が多いのだろう。。

   昨日も書いたが、現在新築のプランニング中だ。間取りや景観の事も考えるのだが、庭ってやはり重要だ。多くの建築会社は家のプランニングはしても、庭のプランニングはしない。必要無いと思っているからだ。しかし、違うと思う。日本人は昔から、庭を見るための家を多く建ててきた。それが日本の伝統的なあり方だ。そこを忘れてお仕事はしたくない。

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