2014年3月13日木曜日

花より目立ってはならない

  僕が住む宮崎の片田舎では風が強い。春一番か?と思ったりしたが、春一番は通常は宮崎では2月の半ばぐらいであり、春二十番ぐらいが今は吹いているのだと思う。既に梅の季節は終わり、早咲きの桜は満開なようだが、この風で花びらも吹き飛びそうな勢いとなっている。

  大分昔だったとは思うが、日本は『色彩の国』とキャッチコピーを謳ったテレビCMがあったのを覚えている。当時の僕はたぶん高校生ぐらいであったと思うが、当時の僕はぼんやりと『へぇ~、そうなんだ』程度に思っていたが、その後アメリカに留学して、確かに日本は鮮やかな色彩の国だと強く感じるようになった。アメリカはアメリカで美しい国であるとは思うのだが、日本と比べて自然の色は単調であり、自然の美しさと言う点からは日本に軍配が上がるのかもしれないと今は思っている。

  僕の留学時代の知り合いが、サンフランシスコでガイドをやっているのだが、日本の観光客はよく『この花の名前はなんですか?』とか『この木の名前は?』と聞いてくるので名前を覚えるのに大変だと言っていた。またそのような事を聞くのは日本人だけだとも言っていた。確かにそうだ。僕の母親がアメリカに来た時も、やたらと町中にある樹木が気になるらしく僕に聞いてきた。だがもちろん普段から木や花の話をしているわけではないので、僕もわからない。根性がすわっている母親は、近くにいた若いアメリカの姉ちゃんに『なんてネームなの?』といきなり話しかけ、女の子もびっくり。。僕もびっくり。。だが彼女は『美しい木だけど、名前はわからないわ』と答えていた。やはり日本人は花狂いのようだ。

  先日、昔の写真を見る機会があった。その写真は約100年前の写真であり、彩色写真と言われる撮影後に職人さんが色を付けた写真であった。その写真の中でもある屋敷の脇にある桜はとても鮮やかで美しかった。その写真を見ながら、僕は当時の家々は花を美しく見せるための『添え物』としてあるんじゃないだろうかと妙なことを考えたりした。もちろんそのような目的で家を作ったかと言えば、そんな人もいただろうが、多くは単に作ったら自然とそうなっていたという事だと思う。それに当時の建材は今のような均一化され、塗装されたモノではないわけであり、自然に劣化した色だらけであったわけで、意図せずに木々を鮮やかにさせていたのだと思う。

  街路樹として強引に植えられた桜などを見ると、昔と比べ鮮やかになりすぎた現在の家々は、その木々や花を活かしきれているのかと疑問に思ったりする。

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春の陽気のせいで眠い。。

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