2012年5月14日月曜日

信長の字・秀吉の字・家康の字

信長はんの
  う~ん昨日と同様ブログが遅れてしまった。しかし、昨日のようにブログを書く事自体を忘れていたのではない。ちゃ~んと理由がある。昨日と同様、インスペクションのレポートを書いていたのだ。さすがに先週の金曜と土曜の二日連続でインスペクションに行くと体がきつい。計20キロぐらいの荷物を持ち、一日中不具合を探しながら小屋裏じゃ~床下じゃ~潜っていると、体が言う事を聞いてくれなくなる。家に帰りレポートを書かねばならんのだが、さすがに頭が動かない。って事で今日は朝からずっと、夏休み最後の週の小学生の如く、レポートにせいを出していた。我が社ではさすがにお客さんに見せる文章なので、丁寧にレポートを完成させなくてはならない。よってレポートの完成度を高めるため他人のチェックが入るのだが、如何せん文章力がない、また誤字脱字が多い文章しか書けない僕には大変な作業だ。やれ、こう書けばこういうとらえ方されますよね♡とか宮崎弁じゃねぇか?とかチェックが入ってしまった。この年になって未だにこんな事を言われている僕ってどうよ!ワイルドだろ~

秀吉はんの
  爺さんが死んで羽田空港から宮崎に吹っ飛んで帰る5月3日、羽田空港では信長・秀吉・家康の直筆展みたいなのを無料でやっていた。建築設計よりもどちらかと言うと歴史や政治の方が詳しい僕には、たまらない展示会だ。周りはゴールデンウィークの初日だからか、家族ずれやカップルがカフェの前に並び、コーヒーなどをチュウチュウしている。まったく爺さん死んだってのに不謹慎な奴らだ。。そんな事はまったく考えず展示会へドドスコっと向かった。しかし入っていきなり信長の鎧。爺さんの死んだ事をすっかり忘れ、きゃきゃ言っている僕がいた。さすがにこの渋~い展示会には家族ずれも少ない。そりゃそうだ。歴史通の渋~い人間にしか理解できない深みがこの展示会にはあるのだ。脳みそが軽~い人々には理解せよってのは無理だろう。文章や字には人柄がでると言う。信長・秀吉・家康の字にはそれぞれの性格が見え感慨深~い時間となった。

  信長の字は細くて美しい。信長はうつけと言われていたので荒っぽいイメージがあるが、それは一面的な考えだ。信長は当時の超ボンボン。現在の名古屋を支配していた大金持ちの豪族の嫡男なのだ。親父さんがどのくらい金持ちかと言うと、当時の皇室の館を自費で修繕しているくらいだ。勿論当時としては一流の勉強をしてきているし、教養だってあった。信長の字は線が細く、また突っ込みようがない字に見える。日本の歴史上一番仕えづらい上司と言われる信長。細川幽斎へ当てた書状が主であったが、そんな事を思った。

家康はんの
  次に秀吉。戦国一の出世人である秀吉の字はとにかく大きい。線が太く、墨をすりきる前に書いてしまうのか、どことなく線がぼやけている。だからといって汚いわけではなく、暖かみさえ感じる。例えるならばワープロで書いたような年賀状ではなく、芋判でつくったような年賀状って感じだ。仕えるならこんな字を書く人の方が楽しい。おいしい思いはできそうだし、それに上にごちゃごちゃ言われるのはつまらないからだ。

  最後に家康の字。これが何とも表現しづらいのだが、普通にうまい。どこか地方の議員さんのような安定感と教養の深そうな、どこかの藩の上士のような字を書く。どこにもいそうな丁寧な字だ。『人の一生は、重荷を負うて遠き道を行くが如し、急ぐべからず』といかにも言いそうな字だと感じた。安定感抜群の田舎者って感じがにじみ出ていた。さすがは徳川家300年の安泰を気づいた男だけはある。

  そんな展示会だったが、途中から息子を一人だけ連れてお父さんが入ってきた。年は僕より少し上か?お母さんは全く興味なさそうで外で他の子供といやいやな感じをだしつつ待機されていた。入ってきた息子も興味があんまり無いらしく、すぐに出て行った。まだガキには早いわな~って思った。が一方、お父さん、あんたの教育こそが正しいんだぞ~と思ったりもした。


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