2013年9月19日木曜日

いざ!お月見泥棒に参らん!

   我が家では神様や仏壇に僕が毎朝お供えをし、そして晩飯時になると僕がそれらを下ろす。僕が良い子だからというのもあるが、父親がまったくそういったモンをしないからだ。晩飯時、いつものようにお供え物を下ろそうとして和室に行くと、なにやら縁側に柿や栗がお供えしてあり、その横にはススキが生けてある。ん?なんじゃいなと思ったが、見たくれから言えば明らかに十五夜のお供え物。ふと夜空を見渡せばお月さんが出ている。どうりで涼しいはずである。ふと子供の頃の行事である『お月見泥棒』を思い出した。いつも僕の家に『イケメンのおじさ~ん』と遊びに来る近所の子供らの声が聞こえない事を考えると、この風習は僕の地元ではすたれたのかも知れない。それはそれで悲しいモンである。

   僕が幼い頃などは、この日ばかりは泥棒を半ば公認されていた。泥棒と言ってももちろん盗むのはお供え物である。その日ばかりは子供らは神様扱い。いい気分である。朝の登校時に子供らは既にそわそわしだし、どこから行くか、またどうやって盗むかを無い頭で考える。『何時にどこどこに集まり決起集会するぞ!』と年配者が言う。決起集会といっても年配者が幼い子供らに『いいか。。泣くんじゃないぞ!』と教えるだけの事だ。子供らは夜は恐いのである。そこで年配者から指示が出る。あそこを襲いこれこれこういう手順で盗み出す。家人に見つかったらどこに逃げ込む。そういった子供らなりの決まり事を取り決め、そして実行に移す。子供に取っては城取りみたいなもので実に楽しい。



   ある家などは、けしからん事に、お供え物がある和室まで行くのに、門をくぐりそしてリビングわきの庭を通らねば入れない。和室の裏には竹藪があるのでそこを抜ければすぐにたどり着くのだが、子供らにはその竹藪が恐くて、最初から攻め口とは考えていない。なので子供らはリビングわきの芝生を匍匐(ほふく)前進し、和室にたどり着く事になる。これが実に楽しくてしょうがない。だがその家は、事もあろうに窓が閉まっていた。そしてしっかりカギがかかっている。。やっこさんやりおるな。。とは思ったが幼い頃から鋭い僕は、床の間の脇に明かり取りの小窓にカギがかかっていない事を発見し、用意周到に準備していた竹竿を使いお供え物の餅をかっさらった。『おお~、さすがやの~』と頭の悪い年配者に褒められたのを覚えている。これでこの家は縁起がいい。

   中秋の名月や十五夜は外来の文化であり、9世紀ぐらいに中国から来たと言われている。輸入されたばかりの頃は、都の貴族らが池などで船遊びをし、観月の歌などを歌ったりしていたようである。それらの影響もあるのだろうか、どことなく日本の中秋の名月は風流なイメージであるが、現在のお供え物を見ると、輸入以前から日本にあった農耕文化を色濃く引き継いでいるのがよく分る。

   ススキなどはその典型だ。ススキは稲穂に似ているせいか、アジアの多くの国々で霊力がある植物とされている。秋の七草のひとつ(尾花)にもなっており、またススキのカヤは屋根を葺く素材として利用価値の高い大量に利用されていた。また炭焼きの盛んな地域では炭俵を編む材料として使われるなど人々の生活の有用な植物として位置づけされてきた。お月見の歳にお供えしたススキを水田に挿す風習があったと聞く。挿す事により稲もススキのように丈夫に育つという事であるらしい。確かに昔から水田の脇にはススキが生えている。それらが理由かはよく分らない。だが、何となくその理由の方がロマンがある。

   ゴタクは別にいい。。小腹もすいたこの時間、久しぶりにお月見泥棒に出かけようと思う。だがすでに立派な男の子。隣近所の家に盗みに入ったらガチで怒られる。なので我が家の日本間へ向け、今から忍び足である。

   なぜ忍び足か?

   こんな夜中に餅を食べたら、ママがぷんぷんするからである。。
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近所のガキか母親が既に盗んでいる気もするが。。

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