2013年6月18日火曜日

竜馬がいなければ 『少年時代』 は無かったかも


   いやいや、暑くて暑くてたまらない。僕は毎日会社に行き仕事をする人間ではなく、必要な時だけ会社で仕事をしている。会社に行かない時は地元の図書館や公園、またはマックや喫茶店で仕事をするのだが、詳細な図面を書く場合は自宅にこもる。さすがに資料をガン見しながらでないと詳細な図面は書けないからだ。だがクーラーも断熱材も網戸もない僕の部屋はさすがに暑い。シャワーを何度も何度も浴びる日々が続いて困っている。ふと夕暮れ時に仕事をしていたら、近所の子供らが網と虫かごを持って 『イケメンのおじさ~ん、こんにちわ ! 』 と挨拶をしてきた (イケメンのおじさんも読もう ! ) どうやら小学校をさっさか切り上げカブトムシを取りに来たようだ。もうそんな季節かいな。。と思った。僕らが小さいころはカブトムシ取りは夏休みに入ってからという妙な不文律があったのだが、今の子供らにはそんな不文律は関係ないのだろう。カブトムシをとる子供らを見て、夏休みは楽しいんだろうなと、ちと思ったりした。こんな暑い日の夕暮に少女らを見ていたら 『少年時代』 という曲を思い出した。

   幕末の奇跡と言われる坂本竜馬が長崎で亀山社中をやっていた頃の事、土佐から一人の若者が転がり込んできた。中江兆民のことである。フランスの哲学者であるルソーの社会契約論を漢文訳である 『民約訳解』 を世に出し歴史に名を遺した中江ではあるが、その当時はまだペーペーの土佐藩の留学生。藩派遣の留学生ではあるのだが、土佐藩もいい加減なもので、中江は長崎で学校に行く金もないどころか、その日の飯もありつけない始末だったらしい。そこで土佐の先輩であるところの竜馬がいる亀山社中に転がり込んだようだ。中江は向こうっ気の強い性格で、年上であろうと容赦なく批判する人なのだが、坂本竜馬は格別な人物に見えたらしく、竜馬に煙草を買いに頼まれると不思議と不満には思わず、ハイハイと煙草を買いに行っている。中江は生涯、坂本竜馬を尊敬し続けた。

   その兆民の門弟に幸徳秋水という人がいる。この秋水は 『萬朝報』 (ゴシップ紙のはしり) の新聞記者の時に書いた 『自由党を祭る文』 の 『ああ、自由党死すや』 という文はとても有名である。その後、社会主義・無政府主義にかぶれ大逆事件 (幸徳事件) で明治政府により死刑となる。天皇を殺そうとしたということらしいのだが、明らかな濡れ衣。愛人は本当に天皇を殺そうとしていたようだが、そのついでに社会主義者を一掃しようということだったようだ。。めちゃくちゃである。。その秋水は恩師であるところの中江を生涯尊敬していたようで 『兆民先生行状記』 という本さえ書いている。この秋水という名前、実は中江兆民から譲り受けた名前でもある。

   その秋水を尊敬していたのが、井上某(名前はわからない)土佐生まれのこの方は秋水とは懇意にしていたが、秋水が大逆事件を起こしたため、どうも土佐には居たたまれなくなったらしく、土佐を離れた。だが大逆事件で処刑された秋水を生涯尊敬し続け、自分の子供らには秋水の水をとって、水のつく名前をつけたそうだ。そのうちの一人に若水という方がいる。

   その若水という方は戦争で帰還した後に福岡県に住み着き、その地で歯医者を始めた。そのうちに長男が生まれる。その家の決まりごとのように水の名前を付けることになったようだが、幸徳秋水は処刑されたので、水に流れていくような名前は縁起が良くはない。よって水を揚げるで揚水(あきみ)となった。長じてこの少年は日本を代表するシンガーソングライターとなる。井上陽水のことである。本当は揚水(あきみ)なのだが、陽水(ようすい)の方が気に入っているらしい。
 
   もちろん井上若水がいなければ井上陽水はいなかった。そして幸徳秋水がいなければ井上若水さんという人はいなかっただろう。もちろん中江兆民がいなかったら幸徳秋水はこれほど活躍できたか怪しいし、坂本竜馬が亀山社中を作ってなければ中江兆民は長崎で野垂れ死んでいた。

   井上陽水は以前、 『アンドレ・カンドレ』 と名乗っていた時代があった。だが結局泣かず飛ばず。。陽水と名前を変えたのちに 『夢の中へ』 でヒットした。

   陽水という名前は結構なインパクトがあるし覚えやすい。坂本竜馬がいなければこの名前は生まれてこなかったのかもしれない。仮に陽水さんがアンドレ・カンドレで音楽活動をやめていたら、もちろんこの 『少年時代』 という曲が発表されていたかは大分怪しい。。

   そう考えると歴史は楽しくなる。。と思うんですが、いかがでしょう?

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