2013年1月17日木曜日

愛すべき、九州の男の子

   たまには歴史の事でも書こうと思う。

   以前僕は貿易の仕事をしていた。宮崎県に住んでいて貿易業務となると、その内容は牛豚の飼料やその道具が主な物となる。だが、貿易と言ってもそれほど仕事が毎度の事あるわけでは無い。よって営業や配達まで何でもこなしていた。宮崎県外の人らには分りにくいかも知れないが、宮崎は住む場所によって言葉の違いが甚だしい。例えば宮崎県北部だと大分に近く、その言葉はどこか柔らかい。だが、宮崎県南部だと鹿児島に近く激しい趣がある。例えば、鹿児島県との境にある都城は県央に住む僕からすればとても猛々しく、僕が使う言葉とはまるで違う。あの東国原知事が有名にした 『どげんかせんとイカン ! 』 というお言葉。 『どうにかしなくっちゃっ♡』 という意味だが、あの言葉は宮崎弁として全国に有名になったりしたが、県央の僕が言うとすれば 『げんげかせんとイカン (ちゃね~)』 と言う具合になる。その貿易会社時代の事。県南部の都城やえびの市辺りより南 (鹿児島も含む) に営業へ行った時、全く言葉がわからず困った。営業さんが意思の疎通が取れないのは致命的だ。それにどうも人間が強いというか、剽悍 (ひょうかん) だ。それには訳がある (と思う。。) 彼の都城市はあの島津家発祥の地。幕末まで続く島津さんの土地。なので県央や県北と言葉も違えば、人も違うのは当たり前と言えば当たり前の事だ。

隼人の盾らしい
   隼人と言う言葉がある。鹿児島の男性を褒める言葉で 『薩摩隼人』 と言ったりするが、これは現在の宮崎や熊本を含む九州南部にあった国の名前だ。この国 (国の形を取っていたかは分らないが。。) が歴史上いつ現れたかは定かではない。だが、大和武 (やまとたける) が活躍する日本書紀には熊襲 (同意語だろうと思われる) は出てきている。また平安初期の頃まで 『隼人』 という記述が頻繁に出てきているので、大和朝廷とは別の勢力、または人種として存在したのだろう。また昔、本で読んだうる覚えの記憶で恐縮だが、朝廷にもその猛々しい性格はよほど愛されたらしく、その猿叫は朝廷の清めか何かの儀式でも使われていたとある。猿叫とは幕末薩摩武士が戦などで叫んだ、いわゆる 『チェストー』 の事。しかし、当時の薩摩武士が 『チェストー』 と叫んではおらず、本当は 『キエー(声が裏返った感じで。。)』 と叫んでいたようだ。いわゆる示現流だ。だがこれが知らない人から見れば異質な光景に見えたらしい。当の第27代藩主である島津斉興ですら初めて見た時には、 『キ○ガイ剣術だ』 と言って席を立ったと言われている。実はこの猿叫はその異質な声音のせいで、現代でも騒動を起こしている。東京の示現流道場がとある住宅街にあったらしいのだが、これがあまりにもその声が 『キチ○イ』 に聞こえたらしく苦情がでた。困ったあげくその道場は自衛隊訓練場内への移転を余儀なくされたそうだ。示現流を知らない人はそりゃそう思うだろう。。普通の人はあんな声出せば、そりゃビビる。。

実は色白の優男の義弘さん
   またその隼人の方々の行動力も剽悍でとても異質だ。時は天下分け目の関ヶ原の時の事。島津の大将は島津義弘さん。ひょんな事から西軍に参陣する事になった (理由は自分で調べよう ! ) わけだが、当時在郷兵力はたったの200ほど。しかし、明らかに天下分け目の戦いになるので国元の兄である島津義久さんに兵を送るようにと再三手紙を書くが、拒否された。というのも日向の国 (現在のほぼ宮崎県)で伊集院正真という方が庄内の乱を起こして、鎮圧したばかりだったというのもあるが、どうやら兄さんとしては中立という状態にしたかったらしい。しかしこの弟である義弘さんが兵隊がなくては可愛そうという事で、禁止されていたのにもかかわらず約1000人の薩摩武士が関ヶ原に駆けつけた。なかには陸路300里を走って来た中間大蔵という強者もいた。野良仕事をしていた大蔵さん、甲冑を背負っていく人から話を聞くと、その甲冑を奪ってそのまま鹿児島から関ヶ原へ突っ走ったそうだ。電車も車もない時代の事。300里を走って行こうと思うのはとても普通ではない。またその義弘さんの戦ぶりも尋常ではない。島津の退き口はの事だ。西軍が総崩れとなり負け戦と決まったおり、義弘さんの軍勢は300人程度(一説に1000人)になっていたわけだが、敵に背を向けて逃げるのでなく、敵陣 (この時は家康の本陣) へ向けて前進退却。前進退却などは世界史上でもないんではないだろうか。とてもキ○ガイである。

   だが、この異質な方々が僕はどうも好きだ。とても見ていて清々しい。NHKの大河ドラマにでもなってくれんかのぉ~とぼんやりと思ったりもする。この狂気が何度も日本の歴史に影響を与えてきたのは事実だろう。また、その狂気はシビアな面も持っているのも確かだ。だがそのシビアな面もどこかカラリとしていて愛らしい。ここが良い。明治維新などはその狂気とシビアが全面にでた最もよい例だといえるだろうと僕は思っている。

   まあ、こんな事をかくのも、鹿児島銘菓 『かるかん』 をもらったからだ。

   カルカンはうめぇ~

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