2013年1月12日土曜日

神官さんもご苦労な事で

   親戚のおじさんがなくなった。急な事だったとはいえ89歳だったので、まあ大往生だろう。僕の死んだ爺さんの妹の旦那なんで。。おじさん。。まあそんな感じだが、僕は本家の長男坊。なのでよくかわいがって下さったのを覚えている。年取るとこんなんが増えてきてどうもこまる。葬儀は神式だった。僕の婆さんの妹の旦那。。おじさん。。は、とある大きな神社の神官さんをしていた。僕の名前の名付け親だ。いまはリタイアされて、自分のご近所の神社の神官。葬儀や祭事のおりに祭主などをしている独立系の神官さん?をやっている。葬儀の時にその神官をやっているおじさんが来た。 『あっ、おじさんだ ! 』 と思っていたら後ろに40代の娘さんが烏帽子をかぶりやって来た。えっ、最近までどっかの会社勤めじゃなかったんかい?なんて思っていたら、その娘さんが 『スサノオノミコト~』 なんて言っている。これが本格的でびっくりした。 『ジェ~イ~エイ~おすず~の何とか~』 という下りにはコブシさえ感じた。神官さんは簡単になれるんかいなぁ~なんて疑問に思いながら聞いていた。しかし、神式の葬儀は未だになれない。分かっているつもりだが、2礼2拍手の時に若干だが音を鳴らしてしまった。。まあ、自分の婆さんの葬儀の時、ロウソクの火をふ~と消しかけたアホのF君よりはまだましだと信じている。

   そもそも葬儀に神道が本格的に出てきたのは明治以降だ。元来、日本固有の葬儀がどういった物だったかというのははっきりは分ってはいないが、古事記などに少しだが出ているそうだ。しかし奈良時代の仏教伝来以降、急速に仏式のものが普及した。江戸時代になると、キリシタン対策のための寺請制度により仏式の葬儀が強制され、その後、国学の興隆によって国学者たちが日本古来の精神・文化に立ち返ろうと訴える中で、神葬祭の研究も行なわれるようになり、日本古来の信仰に基づいた葬儀を求める運動がおこり復活したそうだ。その結果、ぽつりぽつりと神式の葬儀が行われ、明治以降になると国家神道が全面に出てきた。調べてみたら1873年には火葬は仏教の教えだという事で、火葬は神道ではダメってなったらしい。大分神道への回帰運動は激しかったと思われる。たぶん廃仏毀釈運動の最中に神道になったご家庭も多いと思われる。また仏教に比べて経費がかからないから神道に帰る人も増えたと聞く。今日の家もそんな理由で神道になったらしい。まあその程度のもんだ。。しかし、仏教伝来以降、明治まで葬儀はほとんど仏教だったわけで、どうも葬儀は仏教に似ている気が僕はする。。

   神官さんは儲かるかといえば、そうでもないだろう。僕の同級生も神社の神官さんだ。その神社はそれなりに大きいくて由緒あるものなんだが、大変だと言っていた。その子は一人っ子だったためしょうがなく継いだらしいのだが、神社の維持管理費というのは馬鹿にはならんらしく、そして収入もそれほど多くはない。毎日のように掃き清めなくてはならんために、けっこう大変なんだという。

   福岡には太宰府天満宮という藤原道真を祭った大きな大きな神社がある。ここは学業成就の神様と知られる場所だ。毎年受験シーズンなどになると多くの受験生やその親御さんなどが訪れる場所なんだが、ここの神官さんの息子さんは大変なんだそうだ。さすがに学業の神様の神社。その神社の子供が受験で落ちたとなると家業に関わる。なのでめちゃくちゃ勉強させられたとラジオか何かで聞いた。

   やっぱり神官さんとこも大変なのね。。

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