2014年1月24日金曜日

嗚呼、ソ連は遠くになりにけり

  昨日、宮崎市内をうろちょろしていたら僕の携帯が鳴った。親戚のおばさんからだ。『ちょっと姪っ子が高校受験だから、勉強教えてやってくれない?』という電話だった。なにやらその姪っ子は地元の進学校に通いたいらしいのだが、英語と社会ができないらしく、まったく受かる自信がないのだと言う。僕は来週から福岡に行かねばならないのでホントは忙しい。なので『毎日というワケにはいかないよ』とおばさんに言うたら、それでも良いと言うので承諾した。この娘は僕とは血はつながっていないが、よちよち歩きの頃から知っている。また親父に捨てられた娘なので、あまりに不憫なのでよく遊んでやった娘だ。もうそんな年になったのか。。と今更ながら思った。

  自宅に戻ると既にその娘が来ていて、母親と我が家では見たことがないおいしそうなシュークリームを食べいる。『ひょっとして持ってきたん?』と聞くと『そうだよ』と娘は言った。さすが僕が幼いころから教育しただけある。心遣いが憎い。『んで、僕のは?』と言うと『食べちゃった。。』と母親が言った。。テメェー。。お前のじゃないだろ。。そんな感じでお勉強はスタートした。

  彼女が言うには、彼女は明治以降がよくわからないという。まあそうだろう。僕も中学の頃はわからなかった。日本の歴史の教科書はじっくり読んでもピンこない。またどうもそのように作ってある感じさえする。また、明治以降になるとなぜか授業のスピードが異常に早くなるから、そりゃ覚えにくい。先生も日本の近代に対してはいろんな考えがあるので教えづらいのだと思うが、それらが試験に出ることもあるので勉強せなしょうがない。という事で、年表がずらりと書いてある資料集を開き、順序立てて説明してあげた。

  『1968年に五箇条のご誓文だろ』などと説明していると、『年表は覚えなくてはいけないの?』と彼女が言った。別に年表を覚える必要はないが、順序立てて事象は覚えておけば良いと教えてあげた。すると『どうやって覚えたの?』と彼女が聞いてきた。考えてみると、中学の頃僕も年表を覚えるのに一苦労。いろんな本を読んでゴロで覚えたものである。『廃藩置県、武士で迷わぬ人はない(1871)』『日清焼そば、いっぱい食うたよ日清戦争(1894)』『生稲晃子がロシア革命(1917)』と覚えているかぎり教えてあげた。すると、『ロシア革命って何?』と聞いてきた。『1991年まで続いた世界初の社会主義国家だよ』と教えてあげなたら、『社会主義って?』と彼女が聞き返す。う~ん、そこは長くなるから覚えなくてヨロし!!

  だが、よくよく考えてみれば、彼女が生まれたのは1990年代の後半であり、ソ連という人口国家があったことや、冷戦と呼ばれた時代があった事は、彼女にとっては教科書では見知っているだろうが肌身では知らない。物心ついたころにはすでにプーチンという、なんかおっかない人がいる国であり、混沌としたよくわからない国といったイメージなんだろう。思い起こせば、僕が彼女の年頃にソ連は崩壊し、チャウセスクが殺されたわけであり、僕はテレビにかじりつくようにして見て、否応なしに時代の流れを感じさられた記憶がある。ソ連崩壊が今から23年前という事を考えれば、当然と言えば当然だろうが、ソ連も遠くなったんだな。。としみじみ思わされた。

  結構二人ともソ連で盛り上がったりしたが、ソ連だけ覚えてもしょうがないので次に進んだ。

  行くよ一発(いっぱつ)真珠湾攻撃(1941)

  日中仲良ければ、得なはず(だった。。)日中友好条約(1978)

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