2014年1月10日金曜日

寒椿の生け垣

  僕ら設計の仕事はとても集中力を要する。仕事柄、誰にも相談できないワケであり、また時間を自分でコントロールする事が求められる。どちらかといえば自分との闘いのようなお仕事だ。だからと言って僕が集中力があるかと言えば、ビビるぐらい無い。。集中力を高め、一気に仕事を進めたいという願望はあるのだが、なかなかそうはいかない。そんな時、僕の場合は図面はいったん諦めて、箒(ほうき)で庭をを掃いている。どうやら僕にとって、あの一心不乱に一定のリズムで手を動かす動作が脳に心地よいらしく、すぐに集中力がアップするようだ。

  昨日も集中力がすぐに落ち、世の中の四方山(よもやま)ごとをつらつら考えだし、だが、これじゃイカン!!と竹箒を取り出だした。庭をゴソゴソ掃いていると、昨日は風が強かったせいか、さまざまな種類の葉っぱが落ちていた。その中に赤い花が一輪ほどへっしゃげて落ちている。『あっ寒椿だ』と我が家の庭に寒椿があるのをすっかり忘れていた僕は、その花をしみじみ見てしまった。

  椿の花は昔は武家の家では縁起の悪い花としてあつかわれていた。椿の花がトンと無造作に落ちるその姿が、首が落ちる姿を連想させるからなのだそうだ。また赤い花びらなどが地面に落ちると、地面が血に染まるように赤々としているからだと言う人もいる。僕のご先祖は高鍋藩という小さな藩のお侍であったので、母親が椿の花を買ってきたときなどは、曾祖母にこっぴどく叱られたそうだ。だが曾祖母が亡くなり、花好きの母親が堂々と縁起を無視して植えたので、我が家の庭には寒椿が咲いている。

  思うのだが、縁起が悪いと言われ続けた椿だが、なぜ昔からの日本のあちらこちらかで見るのだろうか?椿は生け垣などによく使われていると思うが、どうしてだろうか?あくまで想像でしかないが、寒椿の開花時期は11月から2月だと言われるワケで、あまり花の咲かないシーズンに咲く寒椿は、さびしい色になりがちな季節を彩るのに日本人にとって嬉しかったのかもしれない。銀閣寺の寒椿の生け垣を見るとそんな思いにかられる。しかし、銀閣寺の生け垣の寒椿は本当にため息が出る美しさである。

  最近は家を作る際には、植栽の生け垣という選択肢は少ない。やはりそれはメンテナンスに手間がかかるからというのが理由だろう。工業製品が当たり前の世の中となって久しいが、中にはその建材からくる景観に対するストレスが目につく。ブロック塀などはどうしてもその色からして街を暗くしてしまうし、初めは塗装されて美しかったフェンスなども劣化のため汚く見えてしまいがちだ。

  日本の景観は工業製品があふれる前まではそれほど悪くはなかったと年配の方々はよく言われる。それは地元の植栽や土・木材などで建物や塀を作っていたので、ある一定の統一感があったからだともいう。以前、美の壺という番組だったか、確か鎌倉特集が放送されていた。そこで出てきたのが、鎌倉の生け垣の美しさだ。これが実に美しい植栽で門扉周りを飾っている。美の壺という素敵な番組に取り上げられるという事は、多くの方の共感が得られる美しさと言う事だろうと思う。これなら景観に悪影響も出さないのではないだろうか。

  我が家の寒椿を見ながら、僕は植栽の復権があってもよいのではないかと思ったりしている。と書きながら、多くの方はメンテナンスから敬遠するだろうから、僕の家だけでもそうするぞ!!とちょっとだけ思った。

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