2013年10月8日火曜日

嗚呼、思い出の京都迎賓館

   まだ僕が京都の建築専門学校の夜間設計科に通っていた頃、京都市にある京都御所、正式には京都御苑(ぎょえん)の敷地内に、国立京都迎賓館が開館した。2005年の春うららの頃の事である。さすがに昼の部の生徒と違い夜間の生徒は年齢層が高く、建築に対する意識は高い。将来のために必死だからである。なので設計科の生徒は色めき立った。迎賓館などもちろん、それ程頻繁に作られる物ではないし、それに京都御苑からは目と鼻の先だからだ。もちろん京都の建設業の人間だけではなく、多くの建築関連業者が注目したらしく、建築系月刊誌などはほぼ全て京都迎賓館の特集をやっていた。

   『行きたいですね~』とむっつりスケベのK君がぼそりと言った。彼はむっつりだがクラスの中ではひときわ建築に対する思いが強い。だが常識的に考えて簡単に入れてくれるとは思えない。総理大臣や天皇陛下が利用する迎賓館である。焼き肉屋の晩餐館とはワケが違うのである。

   製図の時間にふと思い立ち、製図の担当である今は世界的建築家(上海万博のスペイン館を設計したスゲー人)の先生に聞いてみた。すると『意外と館長さんに直訴すると入れてくれるかもしれないよ』とアドバイス下さった。『なるほど、その手があったか!』と手を叩き、すぐさま仲間を集めた。さすがに2人で行ってもケンモホロロになると思ったからである。

   決行当日、京都御苑の前に集まった同志5人はそそくさと迎賓館へ向かう。入口付近まで行くと、迎賓館に勤めているであろう美人職員さんがいらした。だが僕らはそろいに揃って貧乏建築学生、見た目がこぎれいだとは言いがたい。ジーンズは皆破れているし、僕のNマークの靴からは親指がこんにちわしている。だがこういう事もあろうかと、建築学校の昼の部の若くて美しい女性を連れて来ていたので彼女に交渉してもらい、僕らは遠くからそれを見守った。だがあっさり彼女は断られてしまった。交渉したのが男子生徒だと『そこを何とかと押し通せ!』とは言えるだろうが、若い姉さん『ダメでした~♡』と明るく言われたら男共は『そうだよね~』と言うしかない。。まったくケンモホロロである。


   だが、『ここまで来たんだからせめて覗きたい!』とむっつりスケベのK君が言った。と言われてもさすがに迎賓館の周りには高さ1.5間(2.7mぐらい)の塀があり、はしごでもなければ覗くことが出来ない。だがK君は言った。『木に登ればいいんじゃね?』京都迎賓館の周りには、名前は知らないが何やらでかい木が沢山ある。そこに登れば確かに迎賓館はのぞき見ることは出来そうではある。気持ちは分るがここは京都御苑の中である、さすがにそれはイカンだろと止めるのだが、K君は行きたいと言い木に手をかけた。すると背後から『君ら、ちょっと良いかな』と声をかけられた。ふと見ると濃い緑色の制服。。皇宮警察さまである。。どうやら身なりがあまりにも貧相な服をしていたせいか過激派かと目が疑っている。。

   がっつり職務質問を受け、素直に反省した僕らは御苑近くの『餃子の王将』に入った。迎賓館に行ったつもりが、たどり着いたのが餃子の王将とは実に悲しい。。餃子を食べながら、やっぱり偉くならんとアカンの~と皆でぼやいた。だが昼の部の姉さんがぼそりと言った。一般公開があるらしいですよ~。。はよ言わんかい姉さん。。

   その年の初夏であったか一般公開があるとの知らせを建築専門学校から頂いた。『キターー』とばかりに仲間と勇み立つ。応募は一人一枚とあるので、僕は一族郎党を含めた計8枚ほど出させて頂いた。だが落ちた。。聞くところによると倍率29倍の狭き門。。仲間も全員落ちた。。やっぱり偉くなろうと思った。。

   建築仲間からすれば京都の迎賓館はそれほど評判が良い建物とは言えない。和風に作っているが本当は鉄筋コンクリート造りである。そしてもう少しこだわった方が良いという職人らは多い。少なく見積もっても100年以上は使うであろうこの建物に、もう少し手間をかけるべきだと皆声を揃えて言っている。和の建築を極めようとすれば、どうしても手間がかかる。なので予算を抑えるという事は、どこかで手を抜かねばならないのはしょうがない。だが国かて銭がないのでしょうがない。

   京都御苑はさすがに長い歴史があるだけに一見の価値のある場所であり、京都に敢行で必ずよった方が良い場所です。そして御苑の敷地内には京都迎賓館があり、そこは偉くなったりしたら入れると思います。美人職員が今いるかはもちろん知りません。


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