2013年10月2日水曜日

竹細工のある生活

   僕は昔からだがプラチックが嫌いである。どうもあの傷がつきやすいプラチック素材を生活道具として使う気にならない。よごれはすぐに目立つし、あの原色のちゃっち感がハンパない。そして気づかない人もいるかもしれないが、僕はあのプラチックの臭いが大嫌いである。まだ僕が保育所に通っていた頃の事、確か白いプラチックの積み木かなにかが全員に配られた。するとそのプラチックの臭いが部屋中に充満したらしく、その臭いをかいだ育ちの良い僕は、すぐに頭がイタイイタイになり嘔吐。僕のファンを前に醜態をさらしてしまった。。だからプラチックは大嫌いなのである。

   つい先ほど、仕事から帰って来たママが『あんた ! ブログどん書いている暇があるなら、柿採りを手伝いなさいよ!』と上品に言ってきた。ふとふり返ると彼女はプラチックのバケツを持っている。どうやらこのプラチックのバケツに収穫した柿を入れるらしい。僕はこのバケツがどうも許せない。底辺にできた傷に土よごれが入り込み、どう洗ってもキレイキレイにはならないし、それにこのプラチックのバケツの色は、僕の幼い頃にどっかの爺さんが、汲取り式便所から人糞を運搬するのに使っていたのと同じ色だからである。柿を採るのにふさわしい色ではない。ふと今は年老いた僕の婆さんが竹籠を背負って柿を採っていたのを思い出した。『あの竹籠はどこにあるの?』とママに聞いた。『あれはこの前私が踏んづけたから、捨てた。。』と彼女は言った。ああ。。勿体ない。。確か僕が生まれる前から現役であったものを。。踏むなんて。。

   プラチックは嫌いだが竹で出来た生活道具は大好きだ。籠に箒、弁当箱に花入れ。実に日本の手作業はクオリティーは高い。あれほどに美しく繊細な物をつくる技術が中国などにあるだろうか?僕は詳しくはないが、日本独特の美しさを持っていると勝手に思っている。僕だけだろうか。。竹の弁当箱に、鮮やかな色をしたおにぎりなど入れた日には、『助さん格さん、参りましょうか~』と言いたくなるのは僕だけだろうか。。


   以前、京都で設計のお仕事をしている時にリフォームを頼まれたとある明治時代に建てられた町家の和室は、全ての調度品が竹で出来ていた。竹のゴザを引いて夏は涼しさを演出していたり、竹のうちわ置きや竹の花入れは秀悦だった。さすが京都さんである。だがその和室には後付けのクーラー(プラチック)がキラリと光っていた(和室にく~ら~も読もう!)だがそれ以外は完璧な日本である。

   僕がまだ幼い頃などは、竹細工の職人さんなどは普通にいた。だが今はどこにそのような人がいるのか、設計のお仕事をしている僕でも知りはしない。僕は宮崎の片田舎に住んでいるが、宮崎の北部の日の影町だったか高千穂町にすばらしい竹細工職人の爺さんがいたと聞いた事がある。今生きてらっしゃるかは分らないが、その爺さん腕は良いのだが世の中プラチック。値段に押されて彼の竹細工は全く売れなかったそうである。廃業も考えたある日のこと、一人のアメリカ人が『売ってくれない?』と商売を持ちかけた。そのアメリカ人は母国に持ち帰ったらその竹細工は高い評価を受け、もの凄い値段がついたが売れに売れたそうである。おかげでその竹細工職人が作る竹細工は、道具ではなく作品として評価が高まり、地元の人々には手がつけれない商品となったと聞いた。日本の竹細工がいかに凄いかよく分る話だ。

   『まだ帰らんと~?』とダダをこねながら母親と柿の収穫をしてきた。もちろん手元にはあの汚ったないバケツでだ。実にテンションが上がらない。これが竹細工だったら気合いが入るのだが。。

   だが我が家の柿はやはりうまかった。

   だって旬だもの~

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子供ためにはプラチックの食器などは
使わない方が良いらしいです。。

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