2014年2月5日水曜日

古墳泥棒のバカヤロー!!

  ブログが遅れてすまない。今日は朝方に所用で出かけて、帰ってきたのが昼過ぎだったというのと、結構長い文章を書いたのは良いのだが、まったく纏まりが付かないつまらない文章だったので、全消去をかけたため今になってしまいました。ごめんなさい。さあ、何書こう。。

  僕は人と変わっているせいか、車を運転するときなどに、同じ道ばかり走るのがどうも嫌いなようだ。できるかぎり、今まで通ったことがない道を走りたがる。今日も昼まで所用で出ていたのだが、その帰り道は普段はあまり通らない小さな道を走っていた。ふと見渡せば古墳が見えた。普段はあまり気にすることはないのだが、この冬の寒さのせいで黄いろに焼けた古墳が妙にかわいらしく、ぼ~と見いってしまった。

  僕は宮崎県の中部に住んでいるのだが、日本全国でも古墳が多い地域にあたるようだ。有名なのが西都原(さいとばる)古墳群。サイズの大きい古墳がど~んど~んと西都原の台地に広がっている。どうも文献を探ると、昔の人々は自分が住む家々のすぐわきにお墓を立てたわけではないようで、住む地域とは少し離れた場所にお墓を立てたようである。確かに西都原古墳群は川からだいぶ登った台地に古墳はあるし、我が町の古墳群もどちらかと言えば昔は町中であったであろう場所から離れたところにあったりする。

  さあ帰ろうと、自分の家に向かっていたら、以前からあった古墳が小さくなっているのに気が付いた。この古墳はとある開拓者(わが町には多い)の敷地にあるのだが、年々古墳が小さくなっているので、僕の仲間には少しだけ有名な古墳だ。もともとは円形古墳であったのだが、すぐ脇の畑を整備した際に、うっかり機械をいれたようで、半円になってしまったそうだ。そんな事を家主のオヤジは酒飲んで自慢していた。また古墳の表面は通常は草が生えているのだが、そのお宅の古墳だけは草が生えていない生の土だ。どうやら畑の土を作るために使っているらしい。。またオヤジの庭を作った際も古墳は小さくなったようだし、さぞ古墳に眠っている昔の方も、草葉の陰で泣いているに違いない。実に迷惑な方である。

  こんな話はザラにある。僕の町は昭和に多くの開拓者が全国から来た町なのだが、開拓者の一部の方々には、元々縁もゆかりもない土地なので、めちゃめちゃした人もいる。たとえば戦国時代にあった耳川の合戦でなくなった方々の数百のお墓をブルドーザーで一気に壊し植林したアホもいれば、神社のご神域である山を勝手に開拓しミカン畑にして一儲けした人だっている。そのほかにも昭和の初めには古墳泥棒だっていたと聞いている。まったく困った人々だ。古墳らは、たぶん1500年ほど前に建てられたと思うのだが、僕の中にもその墓の主の血が1滴ぐらいは入っているのだと思う。そこを勝手に荒らすのだから、ホント僕からみたらご先祖の墓を荒らすようなもんで、実に腹が立つ。。その墓荒らしをした人を知っている方と飲んだことがあるんだが、全員不遇の死を迎えたと教えていただいた。そりゃそうだろう。。そうでないと、こちらの気もすまん。

  世の中にはひどい人もいるもので、身分をわきまえず、自ら古墳を盗掘したという疑いをもたれた偉い人もいる。税所篤という薩摩生まれの武士がいる。ウィキさんによれば、幕末に薩摩の西郷さんらと同じく行動した精忠組出身者らしいのだが、どうも怪しい人であったようだ。明治時代に堺県令になったのだが、大仙陵という古墳の清掃を政府から命じられた際に、どうやら見つけた宝物を勝手に横流ししていたらしい。さすがに怪しいと明治政府に睨まれたせいか、使っていた清掃のための小屋の撤去を命じられていたりする。のちに米国コスモポリタン美術館に大仙陵発掘とされる装飾品などが保存されていることから、これが陵から出たものとするならば、県令自ら盗掘をしていたと、考古学上の常識となっているそうなのである。これが本当なのであれば実にケシからん話である。

  現在は有名な古墳の手入れは国や県が行っているのだが、やはり小さな古墳はほったらかしが現状だ。しょうがないとは言え、やはりちょっとさびしい気もしている。死んだらお墓に入るつもりは全くなく、自分で古墳を作って入ると決めている僕はそんな事を思ったりした。

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古墳ガールっているらしい。。
ホントかいな。。

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