2013年5月10日金曜日

『月と負け犬』 


   お仕事でブログが遅れがちだ。読んでいる人がいるのは分っているのだが、どうしても仕事が忙しく更新が遅れている。申し訳ないことである。

   今日は入札があった。とある老人ホームの入札だったのだが、見事に落とせなかった。結構良いラインの数字ははじき出したのだが、3位だった。だが2位と1位の差が700万もある。。どうやら落札した業者さんは計算間違いを犯したらしい。僕の計算だと少なくとも材料費だけでも400万ぐらいの赤字だ。これに工務店の儲けや現場の経費などを入れると莫大な赤字になるはずである。ライバル社ながらお可哀想である。きっと担当者はクビを括らねばならない。。またその業者に入っている下請けの職人さんらは給料を2割ほど削られる事になるだろう。。施主さんは大儲けで笑いが止まらないだろうが。。

   って事で落札できず、やけ酒飲んでます。そりゃ2週間働いても銭がビタ1円も出ないで飲むしかないわな。。

   って事で今日は音楽でごまかします。

   椎名林檎さまの 『月に負け犬』 です。まあこんな心境ですね。

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明日から通常営業です。

2013年5月8日水曜日

城からお声が掛ったら、断れない

   昨日のこと、いつものように仕事に追われて宮崎県は高鍋町を車で徘徊していた。ああ~積算急がねば。。などとずっと考えていたせいか、夜は眠れなかったので運転していてどうもテゲテゲ (宮崎弁で適当って意味です。) になっちょる。こりゃイカンと脇にある城跡の駐車場に入った。場所は高鍋町が誇る高鍋城前の駐車場だ。この城は別名舞鶴城と呼ばれ、僕のご先祖さんが出仕していた高鍋藩秋月家のお城。お城といっても小さな小さな藩なので、城といっても普通の公園程度のお城だ。その駐車場は大クスの木が覆い茂り、昼寝には絶好の場所となっている。ふと見渡せば僕だけでなく、営業さんらが仕事をさぼって昼寝していた。実にけしからん。。しかし贅沢なことだ。石垣を間近に眺めながら寝れる場所などはそうない。石垣を愛す僕からしたらこれほど素敵な場所はない。マイナスイオンが出ているような気さえする。実に素晴らしいと、ニヤつきながら寝た。30分ぐらい寝ただろうか。さあ、いざお仕事 ! 参らんマクドさんへ ! などとは思ったが、どうもお城さんが追いで追いでしている。どうも寄って欲しいらしい。仕事があるからまた来ますね~と心の中では思ったのだが、それでも来いと言う。もうしょうがない ! って事でご先祖さんがお勤めしたお城へと向かった。

   まず石垣を20歩ほど駆け上ると、いきなり神社がある。名前は舞鶴神社という。まんまである。きっと秋月家が作ったのでろうか、家紋が秋月家のそれだ。通り過ぎるのは簡単だが、昔はお世話になったお家なので拝んできた。しかし立派な神社なのである。ふつう神社は、以前にも書いたが、鎮守の森に囲まれているので神社自体は鳥居から木々が邪魔して見えないのだが、鎮守の森という程のものはないこの神社はとても威厳がある。さすが武家さんの神社や~と妙に感心してしまった。そしてやはり堂々としているのが素敵だ。日本の神社はちん小まい (※読み方注意 宮崎弁で小さいの意味) ものがほとんどだが、この神社はとても大きい。この宮崎には少ないカッけ~神社だ。

   神社の鳥居横には民家がある。神主さんの家だろうか。実に素敵だ。お城の石垣が完全に自分の庭である。かっけ~。。周りはお堀に囲まれているじゃないか。。ええの~。。実に住みたくなるような素敵な場所にある家である。またその横には小さな喫茶店。。雑貨屋 ? そんな感じの店がある。 『Open』 と一応は書いてあるのだが、電気がついていないところをみると、きっと 『頼もう~』 と言わねば家人がでてこないシステムのような気がした。

   『止めてくれるなご先祖さん、カバンの図面が泣いている ! 』 と仕事の事が頭をよぎったが、まだお城が僕を呼ぶ。『もうちょっとでイイちゃが、上がってキぃ ! 』 そう言われている気がした。ママよ ! ご先祖さまが受けた恩は山より高く海より深い。行くしかないよな~と自分に言い聞かせ、山城 (一応。。) を競歩でお尻をぷりぷりしながら上へ上へと登った。

   どれくらい登っただろうか。。気が付けば1分ほど山道を歩いただけなのだが、息があがった。はぁはぁ言いながら上がったその土地は、山城なのに大きな広場がある。 『きっと本丸跡だ~ ! 』 とだ~れもおらんのを良いことに、一人でキャッキャ言うてもうた。そこには小さな看板があった。看板には 『高鍋城本丸政庁 奧御殿跡』 とある。よ~く見たら、これが結構素敵なんだ。御殿である。御殿とは建築上は明確な定義はない。国語辞典などで調べれば、 『貴人が住む立派な家』 ぐらいしか記載されてはいない。写真にあるように決して整然とした左右対称の建物ではなかったようだ。これは日本建築の特徴で、左右対称を面白いと思わない精神から来ているのかもしれない。欧州などのお城が整然とした左右対称なのと比べれば実に日本的で良い。深みが違うのだ。どうやら教育委員会に行けば図面ぐらいはコピーしてくれそうだ。いつか研究してやろうと思った。

   奧御殿跡の礎石とその横にある色あせたぞうさんの滑り台を見渡しながら、明治政府は実に勿体ないことをしたもんだと思った。この高鍋城は1874年には払い下げされ解体された。つまり材木などは売り渡されたようだ。残しておけば財産だったのに。。とは思う。当時は明治政府が始まったばかり。西南戦争前夜だ。いつ不満分子がお城に籠もって抵抗するかもしれないと考えたのだろうし、実際に不満分子が立て籠もり籠城戦が長引けば、各地で蜂起が始まったであろう。当時の政府が持つ手持ちの軍隊は鎮台さんしかいない。政府は確実に転覆したであろう事を考えると、やむ終えないかもしれない。でも。。見たかった。。象さんの滑り台に座りながらそう思った。

   気が付けば1時間近く徘徊していた。

   って事で仕事は順調に遅れている。

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さあ、今日は徹夜だ。

2013年5月7日火曜日

ツバメが巣を作る家は、良い家なのさ

   現在、宮崎県は高鍋町のモスバーガーでお仕事をしている。先日も書いたがお見積もりの作成のためだ。夕暮れ時に実に憂鬱な作業である。さすがに連日ハンバーガー屋さんでお仕事していると、同じ店には入りがたく、本日はモスバーガーさんでお世話になっている。さあ仕事をしようかの~と、国道を走る車を眺めながら煙草を吹かしていると、背中裏でぴぃ~ぴぃ~何かが泣いてやがる。何ぞな ! と抜き打ちに構えてふり返ったらツバメさんだった。モスバーガーの店の軒裏にあるライトの上に、ツバメが巣を作っていて小鳥が親鳥から餌をもらっているじゃないか。実にのどかである。ファストフード店にはそぐわないとは一応は思ったが。

   ツバメが低空飛行すれば雨が降る。僕が小学校の時に覚えた数少ない知識の一つだ。理科系がウルトラ駄目な僕は、雨が降るとツバメも憂鬱になるのだろうと思っていた。だが中学の理科の教師をやっている、桃尻が唯一の自慢の女教師が教えてくれた。 『餌の虫が雨が近づくと水分で羽が重くなるので高く飛べない。だからツバメも低く飛ぶの ♡ 』 まあ、桃尻が言うのだから本当だろう。。また聞くところによると、ツバメの多くは日本で繁殖し、台湾やフィリピン、遠くはマレー半島などで越冬するそうだ。だが中には日本国内で冬を越すツバメもいるらしく、それらは 『越冬ツバメ』 と呼ばれるようだ。きっと 『ひゅ~るり~ひゅ~るり~らら~』 と泣いている気がする。聞き分けのない女のような気がする。。

ツバメマークはカッコイイ ! 
   僕の家は宮崎のど田舎にあるので、倉庫の天井などにツバメが毎年この時期は巣作りして、小鳥らがぴ~ぴ~泣いていた。だが最近は父親が糞がケ汚い ! とその入口に木戸をつけたため、来なくなってもうた。。というより来れなくなった。。僕から見ればそれは胸くそわるい。ツバメさんらが可愛そうじゃないか。。まったくそんな風流も解さない父親に腹が立つ。

   だがツバメの糞害があるのは確かだ。昔の民家は開けっぱの家が多かった。土間のキッチンの上部の梁の上にツバメが巣を作っていたりして迷惑を被っていたところもあったと聞く。現在ではエアコンなどのスリーブ(穴の事)やシャッターの上部に巣を作り、そこから糞が落ち家を汚すケースが多いようだ。ツバメに巣を作らせない方法は色々ある。一つはツバメの天敵であるカラスを模したモノを置くことだ。黒いビニールでも良いし、アルミホイルのヒラヒラしたものでも良い。またツバメが巣作りしそうな場所を滑 (すべ) る素材でコーティングするのも良い方法だと言える。

   だが、ツバメさんは昔から縁起が良い鳥と呼ばれている。ツバメが来なくなると不幸があるとも言う。なぜ縁起モンなのかと言えば、ツバメは農村では田んぼの害虫を食べてくれる益鳥であった事だ。昔はお米は銭だ。そりゃ大事にしたに決まっている。また昔の商家でもツバメを大事にしたそうだ。ツバメはカラスなどの外敵から子らを守るために人家の軒先などに巣を設けるわけで、お客らが来なくなると自然とツバメが寄りつかなくなるそうだ。遠いところはマレー半島あたりから来るツバメは、それは住環境が整った場所に自分の巣を作りたがるに決まっている。昔も今もそうだが、良い家などは太陽や風の方向を気にしながら設計されている。そんな住環境が整った家にはツバメが巣作りするのは当然と言えば当然だ。ツバメが好む環境は人間にも良い住環境の家と言えると思う。湿度や空気の流れとしても風水的な意味合いでもだ。ツバメはそんなふうに日本人と暮らしてきた。まあ、小鳥がぴ~ぴ~泣いているだけでも、家族が和やかになると僕は思っている。

   糞の被害があるならその巣の下に木箱などをうまく設置してあげれば良い。これが段ボールなどだと意匠として良くはないし、それ一枚があるだけで部屋がチャっちいなる。。自分で色合いなどを考えながら作ったら、それはそれで楽しいと思う。縁起モンである。大事にせなイカンのだ。きっと子供らも喜ぶだろうし、パパの腕の見せどころだと思う。僕の爺さんが糞よけを作ってくれた。そりゃ嬉しかったもんだ。

   ふとこのブログを書いていたら、店の関係者らしい女性が僕の席の前でお話をされていた。これが長身でごっつい美人だった。僕ら宮崎県美人協会でいう 『風水的に美人 ♡ 』 な方だった。分りやすく言えば爽健美茶的な美しさの方の事だ。こんな方がいるからツバメも巣を作ったんだろうと鋭い僕は考察した。

   ツバメも隅にはおけんの~♡

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さあ、お仕事がんばろう。

2013年5月6日月曜日

七面鳥と、猪に狸に鹿

   今日は、祝ゴールデンウィーク最終日だ。周りが休みの中、僕だけ仕事をしているとどうも祝いたくなってしまう。なんでゴールデンウィークに朝4時まで仕事しているのかといえば、先日も書いたお見積もり作成のため、また某紳士服工場の図面作成のためである。実に憂鬱なゴールデンウィークであった。両親らは息子がお家で仕事なのを良いことに、婆さんの世話を僕に押しつけ佐賀に有田焼を買いに旅行に出かけるし、空気を読まない友人は酔っ払って電話してくる。実に楽しくない。だが仕事も一段落した今日の夕暮れ、母親に親戚のお家に買ってきた土産の配達を頼まれた。どうやら茶碗らしい。親戚の家まで約10キロの道のり。車で行くのは簡単だが、せっかくの世の中は皆が浮かれるゴールデンウィークである。自転車で行くに決まっているじゃないか ! とサドルにキュートなヒップを乗せ家を飛び出した。

   僕が住む町は宮崎のど田舎にある。トラクターが我が物顔で走り、車の運転速度は前方を走る原付ばあちゃんと同じスピードとせねばならないという暗黙のルールがある。そんな町には幅員 4m ほどの道路があちらこちらにある。そんな田んぼ道を都会派のナウイ僕は、今様のスポーツ自転車でブイブイ転がしていたら前方に何かうごめいている。よ~く見たら七面鳥じゃないか。。いくら田舎だとはいえ七面鳥などを拝む機会などはまずない。。それも10羽ほどいやがる。。その七面鳥が幅員 4m の道路を通せんぼしてやがるんだ。。それも人間慣れしているのか僕を避けたり逃げたりなどはしない。七面鳥の分際で肝がスワってやがる。。ここがアメリカならば手持ちのサイレンサー付きP-229で仕留めて家に持ち帰り、レバーとアボガドとニンニクでディップを作り、蒸した七面鳥でフレンチなパーティーするんだが。。 『悪さをするには他の町内で ♡ 』 という昔からの掟ぐらいはもちろん僕だって知っている。まあ、こいつらもサンクスギビング (感謝祭) までの命よ :D と哀れに思い、動物愛護精神旺盛な僕は、七面鳥に蹴り入れて何とかその場所を後にし、親戚の家へたどり着いた。

   親戚のお家は鉄砲うちをやる。農協に勤めながら山に猟に行かれる。なのでおじさんが 『これもって行け~』 とシシ肉をくださった。シシ肉は都会の方々は苦手な人もいるかもしれないが、田舎育ちの僕には超美味。大根やにんじん、こんにゃくにゴボウなどの野菜を入れ、濃い味噌で味付けしたシシ鍋 (ぼたん鍋の事) などは、本当に田舎に生まれて良かったと思える一品だ。また狸肉の塩漬けを頂いた。狸の肉は普通には食えない。臭いからだ。また量もそれほどあるわけではない。これは食用ではなく、薬になると僕の田舎では昔から信じられている。何の薬になるかと言えば、蕁麻疹(じんましん)だ。か弱い僕は幼い頃によく蕁麻疹になった。そんな時には、婆さんが冷蔵庫から狸の肉 (きっと道路で死んでたやつ。。) の塩漬けを1㎝ぐらい持ってきて食わされていた。だがどんな塩を使っているのかは知らんが、凄~く塩漬け。。とても辛くて辛くて蕁麻疹のかゆみなどすぐに引いていく。。と言うよりかゆみを忘れる。。ありがたく山の幸を頂いたのだが、気が付けば既に18時過ぎ。今日の日の入りは 18:58 だ。なので家路を急いだ。暗いと恐い恐いからだ。

   びんびん自転車をこいで帰っていると、なにやら前方に妙なもんが動いている。。頭は鹿でが2足歩行。。でよったなモノノケ ! 身構えたら近所のオヤジだった。背中に鹿を背負っている。。いくらここが宮崎の田舎だからって鹿を背負っている人などはまずは見ない。どうしたの ? と聞くと取れたのよ。。鹿が。。う~んこの時期。。鹿猟はできるんかな。。などとちょっと思ったのだが、 『肉もってけ ! 』 と言われたので狩猟の時期などのややこしい事は考えないことにした。何度かはやったことがある解体を手伝い、これでもか ! というほどの鹿肉を頂いた。鹿肉は臭いがきついため昔はあまり食べなかったと聞く。だが現在はその鹿肉を薄く (ほんとに薄く) スライスして、生姜醤油で刺身としていただくとこれが美味。特にビールなどのさかなにはちょうど良い。

   って事で現在酔っ払いとなっている。お仕事せなイカンのだが、目の前には鹿肉がならんだら酔っ払うしかない。母親が明日のためにシシ肉を煮込んでいる。実にご機嫌である。

   う~ん茶碗一個でなんか得したゴールデンウィーク最終日だった。

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明日から仕事、がんばりましょ~

2013年5月5日日曜日

神社は町の基軸であ~る

   現在、宮崎の佐土原町にあるマクドナルドでお仕事をしている。今週末に入札があるためその見積もり作成をせなイカンからだ。また以前にも書いたが、紳士服工場の図面作成作業が順調に遅れているからでもある。よってゴールデンウィークなどはどこ吹く風。ここはみんな~のマクドナルドなのでゴールデンウィークをエンジョイされているご家族だらけ。そんな中、青焼きの図面と業者さんらから上がってきた見積もりをデンっと机に置き、ガッツリ仕事している。実に憂鬱だ。気を紛らわせようと外で煙草を吹かしていたら鎮守の森が見えた。こんな町中 (僕から見てという意味で。。) にも鎮守の森があるんだと思った。

   僕は神社が妙に好きだ。というのも、日本の建物は戦後にずいぶん伝統的なカタチを捨てたのだが、神社だけは昔からのカタチを残しているからだ。昔と言っても100年ほどの昔ではなく1000年程度の昔を指す。神社建築は伊勢神宮の式年遷宮 (しきねんせんぐう) のように昔からのカタチをそのまま残す建物である。なので神社にもよるが平安鎌倉の時代のカタチを愛でる事ができる数少ない建築と言える。

   いわゆる鎮守の森は、その神社の式年遷宮のための森である。今では限られた神社のみ、その伝統が残っているが、昔は結構な神社で式年遷宮をやっていた。その遷宮の木材を確保するために作られたのが、鎮守の森だ。だが色々な理由で式年遷宮を早い時期で辞めた神社も多い。だが様式として、神社建築と鎮守の森はセットで考えられていたのだろうと思う。なので大きな森が今でも残っている場所が多い。もちろんその森は風から建物を守る役割もあるし、近隣住民が勝手に焚き物泥棒を働く場所でもある。また切ったら罰当たりそうなので、森はなくならなかったのだろう。日本人はお城や御殿などはその役目を終えたら、さっさか他の建築物のためにその木材を流用する癖がある。鎮守の森や神社が残っていること自体、奇跡だと僕は感じたりする。

   だが、どれほど日本人が神社を大事にしてきたかは微妙だ。一応大事にはしてきただろうが、それが外国のように激しい宗教意識としての神社ではなく、村の寄り合い的な場所だった気がしている。明治期に入り国家による神道が押し進められ、廃仏毀釈のような日本の歴史では特異な一神教的現象もあったが、戦争に負けた昭和20年以降はもとの寄り合いとしての神社に戻った。モンゴル人が元王朝を築いたが、ちょっと調子が悪くなったら全てを捨てて遊牧民に戻った現象と似ている気がせんでもない。

   日本の村々は神社を中心に作られたのではない。もちろんそんな地域もあるが、ほとんどの地域では川の近くに水田ができ、その水田を扱う人間らが住む村々が出来た後に寄り合いとしての神社が出来上がった。その後に鎮守の森が出来上がる。寄り合いのための神社でもあるし地域の要としての神社の登場でもある。

   もちろんお寺にもそんな理由で出来たお寺もあるだろう。だが仏教は地栄えの宗教である神道と違い歴史は浅く、その土地に根を生やしたような宗教とは言いがたい。純粋に寄り合いとしての施設して使われてきたとは感じがたく、どちらかと言えば現世利益の臭いがきつい気がする。もちろん仏教は厳正利益のためではなく、来世のための宗教と言えるだろうが、そのあたりは日本人には向いてはいないようだ。寺内町などは宿泊施設や飲食店などの商店街がひしめき合っているのは、どちらかと言えば商売としての施設とどこか日本人は心の中で規定している気がしないでもない。

   現在は神社は寄り合いの場所ではなくなった。バブル時代以前ぐらいまでは大人達は神社で酒盛りをやっていただろうし、子供らが遊ぶ場所はもっぱら神社だった。寺なら酒盛りしてたらなんか足のないのが出そうだし、子供らだって墓の周りでは遊んだら坊さんに怒られそうだからだ。だが現在ではその習慣はほとんどなくなった。立派な公民館が各地域に出来たし、以前よりも商売たくましい飲食店がその場を貸している。なので神社はすたれる一方で、ほったらかしの鎮守の森も野良猫の住み家と化してしまっている。

   もっと神社を自然に使えるような社会の方が日本人の型としては美しい気がする。現在元気がある神社は特異なお祭りや伝説を持っていなければならず、それらの宣伝のためにテレビ CM を打つなど中々たくましい。そうでない神社は存在価値さえ薄くなっている。だがせっかく地域の中心の場所にある空間を使わない手はないと思う。昔は祭りを作る際は神さまがその中心だった。だが最近は町おこしに一生懸命なのだが、商売人中心でそれが町の形成に本当につながるのか僕にははなはだ疑問だ。町おこしは商売のための町おこしだけなんだろうか。違う気がする。

   祟りモノにさわらないようにぽつりと残る神社を見ながらそんな事をいつも考えている。地域のつながりとしての神社はもっと使われて良い気がする。僕は神社は究極の公共物なんだと思うからだ。

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2日もサボりました。。忙しいんです。。

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