2013年4月5日金曜日

北朝鮮の Twitter が熱い

   北朝鮮がやたらと忙(せわ)しない。やれ開戦の1分1秒前 (昨日あたりに発表。。) や、アメリカさんまで届くミサイル発射台の移動も確認されたそうだ。まったく迷惑な話だ。国民貧乏ったれなのに、そんな危険なお遊びをするもんじゃない。それにまだ沢山の日本人が拉致されとるわけで、まったくもってけしからん国である。新しく金正恩氏 (以下、カリアゲ君) が指導者となった北朝鮮だが、じわりじわりと変化しているようではある。だが、パパよりもちょっとだけ攻撃的な側面もあるようなので注意が必要だ。自分の指導体制を守るために危ない遊びをやっているのかもしれん。全く持ってクソガキである。

   そんなちょっとだけ変化の兆しのある危険な北の将軍様のお国が、何を考えたか Twitter を始めたそうだ。すでに朝鮮中央テレビという世界的に有名なお笑いテレビ局を使い毎日気合いを入れた放送をしているのに、まだ何かつぶやきたかったようだ。だが、さっそく国際的ハッカー集団である 『アノミナス』 様によりハッキングされたようで、表紙がカリアゲ君がブタ様にご変装された絵にかわっていた。胸元にはミッキーマウス。。さぞかし、カリアゲ君もびびっただろう。。

   しかし、この北朝鮮の Twitter はホントに北朝鮮の国が関与して作っているのかはよく分らない。どこかの国の人がいたずらで作っているのかもしれん。そのへんはよく分らない。だが仮に本当に北朝鮮の宣伝部が作ったとしたら、間違いなくカリアゲ君の命令があったからだろう。だがさぞかし、実際に運営していた部署はどやされたに違いない。まあ、いつかはやられるとは覚悟していただろうが。。日本国だってTwitterなどを始めたら、ちょっとの暴言でハッキングされかねないだろう。まして北朝鮮なんぞは世界中敵だらけ。ちょっと考えればハッカーに狙われるくらい分るはずだ。

   ちょっとだけだが思った。。ホントはカリアゲ君自身が Twitter をやりたかっただけなんかもしれない。彼はスマートフォンをご愛用と聞く。台湾の宏達国際電子(HTC)を使っているともっぱらの噂だ。スマホなんぞ持っていたらそりゃTwitterもやりたくなるわいな。。

   まあ、あれ持っていたら、いざ戦争の時、うちらとしては場所分るからありがたい。。

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2013年4月4日木曜日

サクラとノコギリ事件

   ふとニュースを見ていたら、千葉のとある町の桜並木が何者かに切られるというニュースをやっていた。どうも地元のNPOが7年前から子供らとともに毎年植樹し、花を咲かせていたソメイヨシノなどおよそ30本が、のこぎりのような物で幹の半分ほどまで切られ、一部が倒れているのが見つかったそうで、NPOは警察に通報したのだそうだ。NPO法人の理事長さんは 『悪質な行為で、子供達が一生懸命植えて成長を楽しみにしてた桜の木を傷つけるのは許せない』 話してらっしゃった。実にけしからんモンもいるもんである、とは一応は思う。きっと桜に傷を付けようとするのはろくなやつじゃないに決まっている、と一応は思っている。だが正直僕の家の近所に、NPOさんらが子供を連れて来て桜を植えられたらあまり良い気はしない。。もちろん良かれと思ってやってらっしゃるのはよく分るのだが。。

   僕は子供らが町の景観に介入するのがとてもではないが好きにはなれない。僕がたま~に釣りに行く地元宮崎の海辺にはコンクリート製の堤防があるのだが、○○小学校○○年度卒業生作品と銘打った絵がずら~と描いてある。その絵はどうも。。ドッチボールをしているような絵(不明。。)なのだが、200m ほどはある堤防にずら~と描いてある。漁港の方々が許したのかもしれないが、どうもその光景が風景として邪魔だ。美しくはないのだ。原色のペンキをふんだんに使ったよ~わからん絵は、正直やっつけ仕事。子供らだって決められた日数でぱっぱか描いた感がとてもする。とても風景として僕は好きにはなれない。もしその目の前に僕が住んでいたとして、描いている途中で辞めてくれと先生や保護者に言ったところで、 『子供がやっているので。。』 と言われるだろうし、教育委員会に言っても変人扱いだろう。僕の感覚では土地の価値がぐぐっと下がるわけだから、下がった価格代金や引っ越し費用をだしてくれと言っても無理だろう (景観意識の高い海外では当然の行為です) つまり泣き寝入りが関の山だ。

   今回の事件はの理由はよく分らない。桜がある事によって人々が多く集まるのが嫌なのかもしれないし、その奧にある風景 (鉄道など) が見えなくなるのが嫌なのかもしれない。また僕のように桜の中でソメイヨシノが一番嫌いな人間の仕業かもしれない。なぜなら桜は300種類もある。地場の桜を愛でずに桜 = ソメイヨシノという方程式で植樹されるのはインスタントな気がして町づくりとしては少し間違えている気がするからだ。桜が切られた町の町づくりや都市景観計画で、ちゃんとその道のプロや市長さんらが計画し、NPOさんらに委託し桜を植えたのなら別に問題はないだろうし、圧倒的に傷を付けた人間が悪い。それならその犯人を罰する大義名分も立つ。なぜならそれらは町の代表らが決めた事柄だからだ。それに反対の意見を持っていれば、反対の意見を出す場所もちゃんとある。そこへ意見を出せばしっかりと協議もできるだろう。だがそんな協議する場所も無しに地主さんらだけの承諾を得ただけで植えていっていたのなら、そのソメイヨシノが許せない人は反対の意見を出す場所がない。

   子供らの楽しみとはそれほど尊い物なんだろうか ? 僕にはよくわからない。ただ子供らはショックを受けただろうなとしみじみ思う。まあ悪質な行為には違いないのだが、どうも僕には釈然としないニュースだった。だが、そのソメイヨシノに反対する人間はどうしたら良かったんだろうか。。よくわからない。。

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2013年4月3日水曜日

スタイリッシュな仏壇。。

   昨年の5月の2日に僕の爺さんが死んだ。もうすぐ1年忌にあたるため我が家は騒々しい。1年忌に使う仏壇の小道具が足りんじゃね~か ! などと一切仏教には興味ない父親が騒いでいる。な~に、坊さんがそんな事を気にするかいなと僕は言っているのだが、ぶつぶつ言ってやたらとうるさい。それに僕の親戚一同ほんと適当な仏教徒 (一家族だけ本気の創価学会員♡) なので道具が揃っとらんぐらいでぶ~ぶ~は言わんし、気づきはしねぇ~などと僕は思っとる。爺さんが生きている頃は、神様と仏様は爺さんが毎朝お供え物を上げ、夕時には下ろしていた。だが父親はそんな事まったくしない。よって僕がその当番となり毎朝お供えをし、神様と仏様を超拝み倒している。そんな1年忌を迎えるにあたり、昔から家族同然に付き合っている仏具屋のおばさんに来て頂いた。そして色々教えてもらった。やれ、 『掛け軸の前には何も置いたらいかんとよ、供えもんはこっちやじっ ! 』 と教えてもらっている。だが、死んだ爺さんは掛け軸の前に供えもんを置いていたんだから、自分が死んだからって今さら天国でぶ~ぶ~言わんじゃろ。。と思っている。だが自分の家の仏壇を見ていて、まあインスタントな事よとつくづく思う。我が家の仏間は普通の家と大体同じで、間口が約半間 (955㎜程度) の柱と柱の間に仏間がちょんと乗っているのだが、どうも様式美として僕は気に入ってはいない。どうもインスタントでちゃっちぃ~気がしている。

   以前にも書いたが東日本大震災の際、僕は損害保険の鑑定人として宮城県へ行った。そこでとある宗教家のお宅を鑑定させて頂いた。その宗教家は神道らしく、2階の部屋にはどど~んと神様の部屋がある。4間(7280㎜)の壁一面が神様となっていて、さすがにびびった。僕はその宗教家の女性にえらく気に入られたようで、 『特別に見せてあげる ♡ 』 と言われて小さな部屋に通された。その4.5畳ほどの部屋には仏像が置かれていて、その神道系のお宅には似つかわしくない仏間となっていた。隠れ仏教徒。。などと思いながらその仏像を拝んだのだが、その仏像がとても美しかった。8頭身の仏像はどこか藤原紀香さまに似ていた。それ以来、仏像が好きになった。

   設計のお仕事をしていると、日本間を設計する機会がある。最近の若い人々は日本間をそれほど大切には思わないようだ。なので頼まれてもオコタがおける程度。ごろりと寝れればそれで良いと思っている。だが設計屋としてはそこは一番こだわりたい場所ではある。というのも日本の伝統がギュッと凝縮されている部屋が日本間だからだ。日本間はたいていの場合、床の間と仏間と押入がセット。8畳の場合だと1間の床の間に仏間と押入が半間づつといった感じだ。毎度、設計プランを考えていて思うのだが、床の間は日本建築の美の象徴である。そして仏間とは祈る場所。それがごっちゃになっているようでちょっと勿体ない気持ちが僕にはある。
   本来、書院造りの一部屋には床の間と仏間を両立して配置する事はなかった。もちろんそれは全ての部屋が日本間だったからではある。現代では床の間がある日本間は接客のスペースとして使われる事が多い。その部屋の上部からご先祖さんらの写真などがじ~とお客さんを見ている。。お客さんの家に基本設計図をなどを持って行き、日本間で話をしている時など、いつもそのご家庭のご先祖様に見られているような気がして僕は違和感を感じている。これを何とかできないかと最近ずっと考えている。いろいろ調べているのだが、うまいこと解答は出てきていはいない。

   世の中、商売上手な人もいるようで、スタイリッシュな仏壇が出てきたようだ。まあ祈りの場所をスタイリッシュにするのも悪くはないが、その空間である部屋もそれなりに考えて作るべきだと僕は思う。ローズウッドで作られた小さなカワイイ仏壇がリビングの横にある家も増えてきた。

   神棚と間違えていないかと言ったら怒られるだろうか。。

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2013年4月2日火曜日

Google に騙されてもうた。。


   このブログを書き始めたのが一昨年の12月末。考えてみると、よ~こんな毎日書いているモンだとつくづく自分でも感心する。もともと僕は自分からものを発信するような人間でなく、僕はひっそりとおとなしく暮らしたい人間だし、自分で書き始める前などはブログを書く人間の気持ちがち~とも分らなかった。だが書き始めてみると、自分がこんな事を今考えているのか再確認する良いツールとなっている。ブログを書き始めると出来るだけ多くの人に読んでもらいたく、日本ブログ村さんと人気ブログランキングさんに登録をさせて頂いている。日本ブログ村さんの宮崎県のその他の町 (市以外という事らしい。。) のランキングでは常時1位を、宮崎市のランキングでも大抵5位以内には入るようになってきた。自分のブログにどれくらいの人々が訪れるか確認するため、僕は Google Analytics さんを活用している。

   Google Analytics とは Google さんが提供する無料のアクセス解析ツールで色んな事を調べることが出来る。たとえば日本のどこの市 (町や村は表示されないようだ) からアクセスがあったかなどは統計としてすぐ出る (もちろん住所などはでません) またどの記事をどれだけの人々が何分読んだと言うのも分るし、どれくらいの人々がリピートとなっているかも分る。

   大体僕のブログは1日100人前後が読んで下さっている。だが1日だけ480人の方々が訪問された事があった。当時の僕のブログ読者数は1日約80人ほど。なのでとてもびっくらこいた。それは創価学会さんの事を書いた記事だ (選挙と宗教も読もう ! ) 別に批判的に書いたわけでもないのにこの人数。さすがにチビりそうになった。翌日は150人。だがその翌日は通常営業の60人。。一体何だったんだろう。。

   毎日のことだが、このブログを書き終わると Analytics を開きリアルタイムというタグを開く。これは現在どこの市 (町や村は出ません。。) でこのブログを開いているか表示できるもの。そこで、おお~現在6人か~などと数字を見ながらニヤリとするのがブログを書くものの楽しみだからだ。昨日、そのリアルタイムというタグを開いて頭が ?? となった。なぜか南アメリカ大陸の西岸で点滅していた。

   こんな所、ガラパゴス諸島ぐらいしかないぞ。。と思っていたのだが、すぐに今度はオーストラリアの上部に移動している。なんぞな? と思いその点滅しているところにカーソルを合わせたら、 "International Space Station-Control Room" とでてた。インターナショナル。。スペース。。ステーション・コントロールルーム ? うぎゃ。。国際宇宙ステーションの事かいな !

   時代が来た。。というより、時代が僕に追いついた ! ついに春が来たのだ。。英語で言えば " A Spring has come !! " というところか。。だてにNASA音頭が歌える僕ではない ! ついに位人臣(くらいじんしん)を極めてもうた。。嗚呼、1円も無いのにアメリカはカリフォルニアに留学し、路上生活者から身を起こした僕である。気が付けばしがない設計士。だがちゃんと人は宇宙からも見ているのである。たまには英語でこのブログも書いてやらないかん。

   とテンション上がっていたら、エプリルフールという事に今日気づいた。。

   Google さんに見事に騙されてしもうた。。

   って事でNASA音頭でもどうぞ。。

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2013年4月1日月曜日

里山に青い橋

   明治29年だったか、河が各地で氾濫し多くの近代的な堤防や橋が流され大きな問題となった事がある。元来、日本人は河に堤防は普請したが橋が架けられるのは希であった。堤防を作るのはお米の収穫量を上げる上で重要だ。戦国末期に完成した信玄堤(しんげんつつみ)は良く出来ているし、今でも現役なのがちょっと嬉しい。だが現代の我々見れば不思議な事だが、武家政権が長く続いた日本では架橋する発想自体がなかった。武士らにとっては河は天然の堀である。自分の領内の道幅を広くした事でも知られるあの革新的な織田信長でさえ橋普請したという話は聞いたことがない。もちろん小さな橋ぐらいは作っているだろうが、大きな橋という発想はなかったようだ。もちろん技術的に大きな橋を作るのは難しかっただろうが、当時は船橋と呼ばれる浮き橋を場合により使っていたので、それほど必要性は感じなかったのかもしれない。明治初めから文明開化という西洋の学問が津波のように押し寄せた日本は、それら西洋の土木技術を駆使して堤防や橋を普請した。それらが流されて明治政府は面目丸つぶれで、新聞は今と同じように政府批判を繰り返したようだ。明治29年と言えども、まだ武士階級の人々が普通に暮らしていた時代だ。そんなご時世にあの元幕臣である勝海舟が新聞のインタビューに答えている。『なんだい ! 天明や天保の大洪水でも、何の屁の河童と幕府は済ましていたものの、ちょっと山が放尿したぐらいで手も足も出ないって ! 』 山が放尿って。。

   宮崎の田舎町などを車で走っていると、戦前に作られた橋を通る機会が多い。コンクリートで作られているのだが、既に苔むした表面を見れば石橋と見まごうてしまうほどだ。僕の勝手な憶測だが、戦前はそれほど車は走っていない。なので車がこれほど走ると設計段階で想定はしていないと思う。もちろん全てがそうとは言い切れない。軍の道路もあったようで、それなりには作っていた。だが当時の戦車や装甲車は今ほどには重量があるわけではない。よってそんな石橋のような橋を渡る際は結構びびっている。落ちる時は万歳言いながら。。などと思いながら走っているのだが、一般の人々は全ての橋などは国や市町村の現況診断などが入っていると思いがちだ。だが、予算の関係で全ての橋はされていない。特に地方の零細市町村などは大分怪しい。

こんなん多すぎる。。
   なので自民党政権が国土強靱化を進めるのは当然だと思うし、すべき事だと僕は信じている。お金を回すわけだから経済も良くなるはずだ。こんな所にお金は使うべきだよねと今更ながら感心している。どこかの政党が、公共工事ばかりに金をばらまいて失われた20年にうんぬん。。なんて言っているが、少なくとも失われた3年よりはマシだと思う。

   ただ、古い橋をバンバン壊し新たな橋をポンポン作れば良いとは僕かて思はない(近所の土木業者さんはとても期待しているようだが。。) もちろん修復不可能な恐ろしい橋は壊さねばならんだろうが、メンテナンスで十分な橋はしっかり手を入れて使っていくべきだと思う。仮に新たに作る場合でも少しはデザインを練って欲しいと思うし、伝統や景観に配慮して欲しいと思う。田舎などに住んでいると、なぜそのペンキで塗ったのさ。。と言うような原色のペンキを塗りまくった鉄橋が田園風景の中で異様な存在感を出している。こんな橋を作って、町の雰囲気を台無しにしているのが分らないのだろうかと毎度の事ながら思う。これではイカンのだ。

   昔から日本の土木屋さんはあまりデザインや景観への配慮はなかったと思う。機能美だけを追求していたと僕は思う。でなければあのような原色の橋は生まれなかったはずだ。現在、いろんな大学で土木工学科があり、色んな方々が構造はもちろん、土木デザインなどを勉強されていた人々が多い。そんな方々を集めてコンペなどをできる限りするべきだ。そうすればそれなりの水準の橋のクォリティーは担保できる気がする。

   出なければ、あの赤や青~い橋が山里に乱立しかねない。

   そんな気がしている。

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