2013年1月15日火曜日

あっ、家具を輸入しよう !

これです。
   僕の母親は、年を取ってからアニメが大好きになったようで、スタジオジブリの映画などがテレビ放送されると必ずビデオに撮って何度も何度も見ている。今日も先日放送された 『ハウルの動く城』 をまた見ていた。そしてこんな 『家具が欲しい~』 とか 『こんな暖炉が欲しい~』 と夢を見てはる。もちろんそんな立派なもんはこの日本で、しかも宮崎などのど田舎で探すのは難しく、そして映画のような西洋的な家具類を作る人も、まあおらんだろう。仮にいたとしても絶望的に値段が高い。

   僕がアメリカに住んでいた頃、僕はよく家具を買った。今と違い当時は高給取りのご身分だった僕は、部屋の至る所に家具を配置し、一人悦に入っていた。しかし、さすがに高い買い物をしても日本に持ち帰るのは面倒だ。なので、よくロシア人のオヤジが経営する中古の家具屋さんに行って家具を買いあさっていた。そのロシア人のオヤジが女好き。どうも女性がお客だと値段が下がる。これはシタリと露出度が高くチチの大きな女性を2・3人みつくろって連れて行くと必ず半額になったもんだ。絵に描いたようなロシア人だが、まあウォッカ飲めればそれでいいんだろう。どうもそのオヤジはそんな人だった。

ありがとうジャックリーン
   その女好きのロシア人から買った家具の中にトーネット社のロッキングチェアがある。確か1880年代から販売されていたアンティークもんだ。たしか値札では65ドル。だが、チチが大きいジャックリーン 19歳を連れて行ったので30ドルぐらいだった。。ロッキングチェアとは写真のように不安定な椅子の事。本を読んだりするのにちょうどよく、ず~とこの椅子に座ってレポートなどを読んでいたもんだ。その後日本に帰って来て、ふと家具雑誌を読んでいたら、僕が持っていたのと同じのが載っていた。値段は98,000円。。ロシア人が助平だから安いのは分っていたが、取りすぎだろう。。僕のがバッタもんだったんだろうか。。でもまったく一緒なんだが。。

   そんな事はよくあるようで、僕の恩師がイタリア旅行にて見つけた椅子が気に入り購入した。そして船で輸送したんだが、どうも日本にイタリアから送るのと、輸入港である神戸から恩師が住む滋賀県へ運送代はあんまり変わらんかったそうだ。。もう、まったくこの国はどうかしてる。。

   しかし、日本で良い家具を買おうとしたら本当に馬鹿高い。確か僕がアメリカから日本へアコースティックギターを船で運送した時は保険込みで100ドル程度。よくよく考えると懐に100万ぐらい持っていけば、アメリカなどで良い家具なんぞはたくさん手に入る。もちろんそれを日本に運送すれば、日本で買うよりも遙かに安く手に入る。ふと、久しぶりに買い付けに行きたいな~と考えた。まあ、そんな銭もないんだが。。

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2013年1月14日月曜日

自転車レースに参加しました。。スタッフで。。

春はこんな感じ
   昨日書いたように、今日は宮崎県は西都市にある 『じてパラエンデゥーロ4時間耐久in西都原』 にスタッフとして参加してきた。本当は僕も選手として参加したかったのだが、参加費用が高かったのと、仲間が全員仕事だったからスタッフに回った。それに、女子高生もスタッフで手伝ってくれるんですよ~というとある自転車屋さんの甘~い言葉に誘われ、衝動的にスタッフ参加申込書にサインしてしまったからだ。だが、実際参加してみたら女子高生は確かにいたが、ほんの数人。。あとは元女子高生の方ばかり。。予定では、ピット (小休憩などする場所) などでうら若き女子高生に囲まれて選手の皆さんに水配り。。などと思っていたのだが、現実は一日ずっと日陰でただつっ立って、選手がもし倒れたりした時に駆け寄るお仕事だった。つまり事故など無ければ何にもすることがない。。あまりにも退屈、そしてシャぶ~い中でずっとカッパ着てつっ立っていた。。笑顔を選手の皆さんに振りまきながら思った。また西都市に騙された。。

   それにしても体力ある人は凄いもんである。僕がずっと立っていた場所は、一番厳しい坂道を登り切った場所だったんだが、ほぼ僕が自転車で走るフルスピードぐらいでぐんぐん上がってくる。どう考えたって時速20㎞後半は出してバンバン自転車をこいではる。そして大体コース1周4キロなのだが、10分を切るくらいのスピードで回ってきたりする。先頭集団の中には高校生がいたりするのだが、まだそれは分る。明らかに70ぐらいのじいさんが、結構なスピードを出して走り抜けて行く。若干心臓大丈夫か。。と思ったりしたもんだが、本当にたいしたもんだ。あんなかっくいい爺さんになってみたいと思った。

   ただ、僕的にちょっと残念だったのは観客がほとんどいなかった事だ。もう少し派手にやっても良いと思った。テレビ局も来ず、多分新聞社も来てなかったんではないだろうか。確かに新聞広告などを打てばお金はかかるが、お金は1円も使わずに呼ぶ方法だってある。またNHKの報道部さんなどは毎日情報に飢えているので、Faxをながせばすぐ飛んできてくれる。また自転車に乗らない地域住民の皆さんも来て楽しいよう、地域の商工会さんと連携もするべきだと思った。ご近所のおばさん達は来てくれはしたが、30分ぐらいで寒さに負け、帰りはった。。

   とは言いながら、初めての大会にしてはうまくいったんではないだろうか。なかには最初の2周以降は見なくなったおばちゃんもいたが、それはご愛敬。明らかにマウンテンバイク (超重い。。) で走っている中学生のようなジャージのおじさんもいたが、ドント・マインド。ちゃんと皆さん最後は笑って昼食を食べてらっしゃった。まあそんな感じのレースだったが、実に美しい西都原の古墳の脇を走るってだけでも素敵な大会になった。まあ、そう思った。

   来年こそは参加しよう。。出来なかったら、もうちょっと偉くなってピットの中で水を配ろう。。

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2013年1月13日日曜日

明日の自転車大会 in 西都 4時間耐久

こんな中を走ります。
   いや~酔っ払った。。ペロンペロンだ。なぜかと言えば、昨日の朝死んだおじさんの葬式が今日あった。よって普段合わない親戚がそろった。遠くは新潟の親戚がまで来た。って事で、飲まされた。って訳で、ペロンペロン。。まあそんな感じだ。実は明日は朝方5時半には出なくてはならない。実は明日、宮崎県は西都市で 『じてパラ in 西都原エンデゥーロ4時間耐久』 という大会がある。このスタッフとなっているため朝早く出なくてはならないのだ。現在宮崎は超雨が降っているので、まあねぇなっただろうな~と思いながら郵送されて来た文章を見たら、 『雨天時も開催予定です♡』 とわざわざ書いてある。。無理じゃろ。。自転車を雨の中走らせるんわ。。風邪引くぞ ! ってもう風邪は引いてる。。どう考えたって明日は地獄を見そうだ。だが僕は晴れ男。僕のオーラで晴れにしなくてはならんと思っている。って事でてるてる坊主を作った。そしたら『欲しい~ ! 』 とふた従姉妹の子に言われくれてやってしまった。明日は絶対雨が降りそうだ。。じつはこの4時間耐久の自転車レースには因縁がある。

   以前にも書いたが、数年前、僕は西都市が主催する地域興しのメンバー募集に応募した。まあ、地元の人間を優先しますとちゃんと書いてあったため冷やかしで受けたのだが、妙な一文が募集要項に書いてあった。 『西都市の発展させるために何をすればよいか。原稿用紙2・3枚でまとめなさい』 僕のような冷やかしを排除するためだろうか、それとも西都市観光協会さんの嫌がらせだろうかと思いながら、がっつり原稿用紙7枚半も、ちゃんとWordで書いてあげた。もちろん赤い原稿用紙ふうのラインも入れてだ。内容は 『西都市は自転車を活用して町おこしをするべし ! 』 西都市は宮崎県の中央部にあり、県北の延岡から裏道を通れば、それはそれは信号がない素敵な道が続いている。これがバイク乗りや自転車乗りにはちょうどよい。また南にちょっと行けば宮崎市の海岸に出てそこから宮崎の観光スポットである日南まで行ける。そのど真ん中にある西都を使わん手はない。まあ、そんな事を書いた。んだが、これが鮮やかなくらいの落選。まあしかたない。西都市の馬鹿野郎~とちょっとだけ心の中で叫んだ。

   しかしある時、西都市にある、かっくい~自転車屋 『サイクリングおくぐち』 さんで自転車の商品を見ていたら、僕の代わりに受かったその町おこしメンバーが3人ほど来ていた。けっ、こいつらかいなぁ~なんて思っていたら、 『自転車で町おこしをするんで、自転車屋さんに色々聞きに来たんです~♡』 とのんきに僕にぬかしやがる。。へっ、それって僕のアイディアまんまじゃんけ ! 実にけしからん事に、落選させたにもかかわらず僕のアイディアのまんま街づくりを始めよったわけだ。西都市も一言いってくれれば良かろうもんがそれは完全スルー。。実にけしからんという事で、とある飲み会でたまたま来ていた担当部長さんにやんわりと 『あれっ、僕のアイディアですよねぇ~』 なんて言ったのだが、『へぇ~、そんなのあったっけ?』 なんてほざいている。市長に 『僕のアイディアなんで、西都市名誉市民賞か古墳の一個ぐらいぐらい下さいよ~』 なんていったが、 『おもろいなぁ~、兄ちゃん ! 』 と酔っ払ってらっしゃった。ますますけしからんという事で、あちらこちらで言っている。あれは僕のアイディアだ~ !

   って言っていたら、スタッフに来てくれないかとサイクリング奥口さんに誘われた。まだ西都市は、僕をただで働かせるつもりかと思ったので、やんわりと 『へっ、まだスタッフ足りてないんですか?』 と聞くと、『足りないから女子高生まで手伝ってもらうんですよ~♡』 と言われた。それなら話は別だ。士は己を知る者のために死すべし。言い出しっぺを自称しているかぎり、行かねばならんだろう。 『よ~い、ドン』 ぐらいは西都市だって言わせてくれるだろう。絶対、誘導のお兄さんではないと思っている。

   って事で早く寝ます。

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2013年1月12日土曜日

神官さんもご苦労な事で

   親戚のおじさんがなくなった。急な事だったとはいえ89歳だったので、まあ大往生だろう。僕の死んだ爺さんの妹の旦那なんで。。おじさん。。まあそんな感じだが、僕は本家の長男坊。なのでよくかわいがって下さったのを覚えている。年取るとこんなんが増えてきてどうもこまる。葬儀は神式だった。僕の婆さんの妹の旦那。。おじさん。。は、とある大きな神社の神官さんをしていた。僕の名前の名付け親だ。いまはリタイアされて、自分のご近所の神社の神官。葬儀や祭事のおりに祭主などをしている独立系の神官さん?をやっている。葬儀の時にその神官をやっているおじさんが来た。 『あっ、おじさんだ ! 』 と思っていたら後ろに40代の娘さんが烏帽子をかぶりやって来た。えっ、最近までどっかの会社勤めじゃなかったんかい?なんて思っていたら、その娘さんが 『スサノオノミコト~』 なんて言っている。これが本格的でびっくりした。 『ジェ~イ~エイ~おすず~の何とか~』 という下りにはコブシさえ感じた。神官さんは簡単になれるんかいなぁ~なんて疑問に思いながら聞いていた。しかし、神式の葬儀は未だになれない。分かっているつもりだが、2礼2拍手の時に若干だが音を鳴らしてしまった。。まあ、自分の婆さんの葬儀の時、ロウソクの火をふ~と消しかけたアホのF君よりはまだましだと信じている。

   そもそも葬儀に神道が本格的に出てきたのは明治以降だ。元来、日本固有の葬儀がどういった物だったかというのははっきりは分ってはいないが、古事記などに少しだが出ているそうだ。しかし奈良時代の仏教伝来以降、急速に仏式のものが普及した。江戸時代になると、キリシタン対策のための寺請制度により仏式の葬儀が強制され、その後、国学の興隆によって国学者たちが日本古来の精神・文化に立ち返ろうと訴える中で、神葬祭の研究も行なわれるようになり、日本古来の信仰に基づいた葬儀を求める運動がおこり復活したそうだ。その結果、ぽつりぽつりと神式の葬儀が行われ、明治以降になると国家神道が全面に出てきた。調べてみたら1873年には火葬は仏教の教えだという事で、火葬は神道ではダメってなったらしい。大分神道への回帰運動は激しかったと思われる。たぶん廃仏毀釈運動の最中に神道になったご家庭も多いと思われる。また仏教に比べて経費がかからないから神道に帰る人も増えたと聞く。今日の家もそんな理由で神道になったらしい。まあその程度のもんだ。。しかし、仏教伝来以降、明治まで葬儀はほとんど仏教だったわけで、どうも葬儀は仏教に似ている気が僕はする。。

   神官さんは儲かるかといえば、そうでもないだろう。僕の同級生も神社の神官さんだ。その神社はそれなりに大きいくて由緒あるものなんだが、大変だと言っていた。その子は一人っ子だったためしょうがなく継いだらしいのだが、神社の維持管理費というのは馬鹿にはならんらしく、そして収入もそれほど多くはない。毎日のように掃き清めなくてはならんために、けっこう大変なんだという。

   福岡には太宰府天満宮という藤原道真を祭った大きな大きな神社がある。ここは学業成就の神様と知られる場所だ。毎年受験シーズンなどになると多くの受験生やその親御さんなどが訪れる場所なんだが、ここの神官さんの息子さんは大変なんだそうだ。さすがに学業の神様の神社。その神社の子供が受験で落ちたとなると家業に関わる。なのでめちゃくちゃ勉強させられたとラジオか何かで聞いた。

   やっぱり神官さんとこも大変なのね。。

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2013年1月11日金曜日

英国と生け垣のお話

   正月に風邪をひいたのだが、まだ治っていない。ずっと37度台をキープし、鼻水はず~ず~、喉は切ったように痛い。これはイカンと薬を飲んで毎晩さっさか寝るのだが、朝方になるとウェクショ~ン ! と目が覚める。風邪をひいていても仕事はせなならんので、のど飴で痛みを抑え僕が所属する会社のホームページの更新作業していたら、まさかのシステムダウン。どうにもこうにも作動しない。困り切っていつもお世話になっている日向ITサポートさんに電話して復旧をお願いした。って事で急にやることがなくなり、しょうがなくお庭の勉強をしてた。以前から気になっていたのが、イギリスの生け垣。あの総延長50万キロとも言われる生け垣だ。これが気になってしょうがない。お客さんも気になってしょうが無い。なので、少しだけだがお勉強している。もちろんそれが商売になるかと言えば、無理な話なんだが。。

   英国の風景の象徴として緑の田園とがある。その田園風景に大きなアクセントを加えているのが生け垣だ。畑や牧草地の境界として縦横に走る緑の帯が英国の伝統的な風景とされており、この風景を残すための協会さえある。確か、その協会のトップはチャールズ皇太子だったはずだ。生け垣には土地の境界をさだめる役割もあるが、それだけではない。生け垣が作る花はミツバチの蜜源としてちょうどよく、またその大きさは家の風よけにもほどよい。また家畜の逃亡も防げるし、犬を放し飼いにする事もできる。生け垣自体が小さな木の集合体なので焚き物の収集はできるし、そして枯れ葉は畑の肥料としても使える。花は天ぷらや酢の物食べると結構いけるらしい。とても生活に役立っているわけだ。

   また生け垣は貴重な生き物の宝庫となる。枝や葉が複雑に入り組む生け垣の中は多くの小鳥たちにとって絶好の子育ての場。雛を狙う狐や猛禽類を寄せ付けないからだ。またウサギなども生け垣の元に巣穴をつくり、そこに身を寄せて生活している。自然に与え得る影響も考えて作ってある。。というより先人達が色々試行錯誤したら、まあ、こうなったんだろう。

   作り方はそれほど難しくはないが、すこしは手間がかかる。まず土地の周りにぐるりとトゲのあるニセアカシアなどを植えてほったらかす。このアカシアの木は生長が早い。よって4から5年たてば生け垣を作る事が可能な長さとなる。その生長したアカシアの木の幹を斧でで3分の1ほど切り込み、それを倒して隣同士で絡める。またそれをほったらかしておくと、幹から枝がまた生えてくる。それをまた切り込み、隣の幹と絡ませ密度を上げていくそうだ。ある程度大きくなれば生け垣を四角く切り込み形を整えて完成。葉が落ちる冬から春にかけて手入れをする必要がある。結構な重労働となるだろうが、忙しいのは年に何日か程度。作って見るのは面白い気がする。

   手間はそれなりにかかるが、それ以上の実りを与えてくれる生け垣。日本の狭い土地に合っているかは良くは分からない。だが、宮崎に住んでいて思うのだが、草ボーボーで杉の木や電柱で境を作ってる現在のよりは面白いし、実りある生活だとは思うんだ。

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