2013年8月15日木曜日

里よごし 看板よろこぶ 田舎者

   先日は、お盆のため親戚一同が帰郷したため、どんちゃん騒ぎ。本家の跡取りとしては一族郎党を引き連れて飲まねばならず、ブログをサボりました。。ごめんなさい。。

   親戚一同が集まった昨日のこと、気が付けば知り合いの町議さんや商工会員さんらも加わり飲み方となった。そしたらもちろん町をいかに発展させるかという話になる。そんな席でのこと、実際に案として上がっているプロジェクトをご教授頂いた。なんでも、町を発展させるため、僕の家の近くに昨年末出来たばかりの高速道路の脇に、町のお店の看板をずらりずらりと設置するという。そうすれば町のブランド力が上がると町の方々が騒ぎ出しているとのことだ。おもわず町のお偉いさんらに向かってそんな馬鹿なプランは止めなさいと言ってあげた。そしたら父親に怒られた。

   僕の町に出来た高速道路は、少し高くなった山手にあり町が一望できる素敵な道路である。周りは里山で囲まれていて、そして秋になれば紅葉がたのしめる。そこにずらりと町の特産品やお店の看板を並べて何とか町のブランド力を上げたいという事らしい。だが高速道路脇に幟などを置くのは、高速道路公団さんが認めてくれない。そりゃそうだろう危ないからだ。なので高速道路から見える敷地を借り上げ、看板をずらりずらりと並べるという計画だそうだ。看板を作るという事はもちろん銭がかかる。それをできれば補助金でできないかと考えている人もいると聞く。そりゃなおさら大馬鹿野郎だと言ってあげた。そしたら親戚一同に怒られた。

   あまりにも周りがぶ~ぶ~言うので、こっちも本気で切れてあげた ♡ てめえらの利益のために僕らは毎日その看板を拝まなくてはならんのかい?景色の良い里山を看板だれけにするという事は、もちろんその土地の価値が下がるんだから、そのお店らは補填金を払ってもらえるんだよね?そしたら、もっと日本人らしい意見を言えと言われた。どうやら僕が帰国子女だから反対意見をいうと思われているらしい。。冗談じゃない。あんたらよりもこっちは日本を愛している。里山を汚くするのが許せないだけだ。それもてめえらの利益のためにだ。。

   どうも町を発展させるためには看板を新たに作るのが義務だと思っている方々が多い。こっちかて作ろうとしている人だって、良かれと思ってやっているのは分っている。だがどうも違う気がする。最近僕の町では、 『ここは〇○地区』 という看板が増えてきた。その看板には僕の町の、とても目が死んでいる"ゆるキャラ" がエイ !! と一緒に描かれていて、実に気持ち悪い。。それを僕らはどうやら好きになるのが義務らしい。。だがこれで本当に町が潤うかと言えば違うのだと僕は思うんだが。。

   だが僕だけこんな事を思っているわけではないようだ。先日、仕事で町の建築課に寄ってきた。そこで今度の仕事でつくる新築の都市計画や景観条例の有無を聞くためだ。そこには僕の同級生の弟さんが勤めている。そこで景観条例についてのお話となった。どうやら役所の若手も大抵は厳しい景観条例を求めているそうなのだが、地元の商店街さんらの反対が厳しいそうだ。どうやら看板に対し、厳しい条例を設けると収益が減ると思っているようだ。

   インターネット広告と違い、看板はどれほどの人間がどれだけその看板を見たのかははっきり分らないし、その看板をみた人間がどれほどその店に足を運んだのかはわからない。はっきりとした費用対効果が分らないのが看板広告であると僕は思う。そんなもん作るべきではないと思うんだが。。

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正々堂々と田舎ではイカンのだろうか。。

2013年8月13日火曜日

マグロ丼と光ファイバー

   今日は知り合いが家を建てる方法を教えて欲しいというので、一緒に宮崎県は木城町にある絵本の里の喫茶店へ行って来た。彼は20代後半で工場勤務。そして結婚していて嫁は幼稚園の保母さんだと言う。そして娘が一人生まれたのでそろそろ家をと考えているようだ。今は町営住宅にすんでいるのだが、家賃は39,000円の 3LDK に住んでいるとの事。いくら宮崎が田舎だからと言っても、その値段はやはり安い。なので、我慢したらと言ってあげたが、どうも手狭になってきたと言っていた。通常家を作る場合、どのくらいの収入があるのかは聞く必要がある。なので聞いてみたら月の手取りが12万ぐらいとのこと。まあ、宮崎で工場で働いたらそのくらいではあろう。自分の畑を持っているのであれば、なんとか仕事終わりに畑仕事して、食費だけは浮かせることができるであろうが、さすがに12万のみで畑を持っていないのであれば生活はカツカツであろう。なので正直転職を考えているそうだが、ハローワークで探しても大抵は同じ給料だという。まあ、そうだろう。田舎の若者は公務員か親が会社をやっているなどしない限り、大抵は貧乏である。う~んこの田舎の経済や社会。。何とかならんもんだろうかとつくづく思う。

   かといって、田舎は田舎で努力はしている。どうにか町を発展させようと官公庁さんらはがんばっているのはよく分っている。だが上手く回っていないのが現実である。例えばよくあるのが、町の商店街を活気つけようと、いろんな名目で県は補助金を入れて下さる。実にありがたいことではある。その補助金で町の商店街さんらは祭りなどをやる。だが補助金は使い切らなくてはならず、また必ず売り物などを作ってはいけない。なので僕の町ではマグロ丼の振る舞いをやっていた。おかげで遠くのお客さんも来て頂き、商店街は潤う。だが思ったのだが、それで新しい雇用が産まれるとは僕には到底思えなかった。なのでその祭りの実行委員会の会議で 『食ったら終わりやんけ~』 と僕は反対したのだが、みんなキョトン !? としていた。空気を読めない僕がどうやら悪いらしい。。

   僕はアメリカに住んでいたのだが、アメリカでは補助金で祭りをやるなど聞いた事はない。もちろんアメリカという国は地方が国の関与を嫌うというのもあるだろうが、その辺はシビアなもので州政府も町も銭は出さない。だしたら住民が怒り狂うだろう。アメリカで補助金を掛けるとすれば、例えば光ファイバーを全土に引くなどの公共のインフラの整備ぐらいだろう。社会の発展させるために何が必要かという事をアメリカさんは実によく考える。アメリカのフリーウェイ (無料です) は遠い昔に完成したが、日本の高速道路はいつ完成するのだろうか。。

   僕は田舎が好きである。田舎には田舎の良さがあり、都会と同じ価値観で生きるべきではないと思っている。だがそんな田舎でも発展は必ず必要だと思う。雇用が全く無いので若者は都会に出るし、そして結婚もしない。月の給料が10万前後に抑えられている現状に田舎は恥じ入るべきだと思う。僕にはどう考えたって 『マグロ丼の振る舞い』 よりも光ファイバーを入れる方が町の発展に寄与すると思う。って商工会の方とお話ししたら、 『どれくらいの町民がインターネット使える?』 と言われてもうた。。僕は思うんだが、なぜ僕らはその使えない人々のために生活やライフスタイルを合わせなくてはならんのだろうか。。そりゃ田舎で起業しないはずだ。。

   僕の町の商店街は僕が幼い頃から全く変わっていない。僕は思うんだが県からは色んな補助金が商店街には補助金が下りてきていたと思う。だが町に発展がいっさい見られない事を思えば、その補助金は死に金だったんではないだろうか。新たに雇用を産み出すという事は、お金儲けの仕組みを作るという事である。補助金はやはり生き金にしなくてはならない。生き金に出来なかった団体には補助金をださないって事にするべきではないだろうか。民間である銀行が儲けのない会社にはお金を融資しない。僕はその方が健全だと思うんだが。。

   と知り合いの青年部の方に言ったら、 『みんな一生懸命やってるんだから、言わんであげて』 と言われた。。どうも一生懸命だったら全て OK らしい。。

   違うと思うんだが。。

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暑すぎて、体壊してしまった。。

2013年8月12日月曜日

チャンスのある働き方

   仕事がら、今日は近くの2つの町の役場へ行って来た。都市計画区域はどうなっているのか?また補助金ってどれくらい出るのかの確認を取るためだ。僕はまったく無いので忘れていたが、もうすぐ盆休みが始まろうとしている。ふと自分の町の役場に行ったら、知り合いの都会に出ていた同級生が、これまた立派に公務員をしている同級生に話をしていた。 『お~久しぶりじゃの~』 と思わず声をかけた。向こうも高校以来の再会で喜んでいた。 『どうや、酒でも飲みに行かないか?』 と東京に染まった同級生が誘ってきた。だが 『公務員は盆休み無いから無理』 と友人が即答した。確かに公務員は盆休みがない。お可哀想な事である。まあ有給が出るらしいので、代わり番こでとっているらしいのだが、やはりお可哀想である。だが僕はと言うと、仕事が忙しいのに貧乏。。なので酒などは飲めない。。なのでもっとお可哀想ではある。。最近色々細かな仕事をしている。銭にはまったくならないので、すこし体がおかしい。。どうやら風邪でもひいたらかしら?と思っている。ゆとりが欲しいモンだ。僕の人生で一番 『リア充』 であったのは間違いなくアメリカで働いていた時の事である。働き方について少し書こうと思う。

   僕はアメリカでは軍関連の企業に勤めていた。全体で多分200人ぐらいの会社である。その中で日本人は僕一人。今考えると、つたない英語でよく勤めていたと思う。その会社では通訳から営業事務っぽい事を色々やっていた (ややこしくなるから割愛します) その会社はシフト制であった。僕は夜遅くまで働くつもりは無いので、朝方のシフトで働いていた。朝は7時出勤である。なので朝飯はカフェでコーヒーぐらいすませさっさか通常業務に入る。そして休憩時間が10時に始まる。つまり午前勤は3時間のみ。それからブランチを取る。ブランチは朝食である Breakfast と昼食である Launch を足したもので、朝昼同時に飯を食うというイメージだ。大抵は中華かイタリアン、もしくはカフェであった。それから午後の勤務が始まる12時まで、ぶらぶらする or がっつり昼寝する。そして就業時間である15時にはさっさか家路につく。そんな生活をしていた。

   もちろん朝に働くのが嫌な人々だっている。僕の会社では 10時~13時、そして1時間の休憩の後、14時~17時まで働く人。また12時に来て18時まで働く人の3つのグループがいた。基本は6時間勤務である。なので給料は計算上は8時間労働×75%の分が支払われる。だからといって日本の給料よりは遙かに高い。日本で働く同年代の2倍はもらっていたのではないかと思う。そして大きな仕事を取ればどっどど~んと○百万ぐらい出る。もちろん働く6時間以外は何をしても良い。自分で仕事を始めても良いし、僕などはラジオ番組をやっていた。また会社のビルには幼稚園もあるし、もちろん自分専用の個室がついたオフィスがある。僕が21歳の時には部下もつけてくれた。。32歳の元戦車乗りの軍人であった。。プレイボーイ誌しか読んだことがないアホであるが、まあ元気だけはあった。。そしてバカンス申請すれば3ヶ月ぐらいは会社を休める。実際上司が、急にカリブ海に旅行と結婚式に行ってびびった。。日本では信じられないかも知れないが、アメリカではこんなんはあり得る話である。

   もちろん日本と違って厳しい面もあった。ある朝、同僚の韓国人が電話してきた。朝の6時半の事である。 『 I am fired 』 へっ!? クビになったん。。 『何したん !? 』 と聞くと大統領が変わったからだという。。金大中という大統領に代わったんで、クビと言われてしまったようだ。また事務所には立ち入り禁止と言い渡され、入口で使うカードキーもコンピュータから抹消されたとの事である。事務所に入って備品を取られないため、また盗聴器をつけられたくないという理由であった。さすがにこりゃ問題あるんじゃ無いかと上司に聞いたら、そういう契約になっていたようで、こちらでは何もできはしないとの事。しょうが無いので、仲間と手分けして彼の備品を住所まで郵送する。まあ後で上司が次の仕事の紹介文を書いてくれ、その韓国人は同じ給料で次の仕事へ行けたのでそれなりに納得はしていた。そんなアメリカの会社は、厳しい面もあるが、僕の経験では一番楽しくメリハリのきいた生活を送れていた。

   日本にもこんな会社があっても僕良い気がしている。どうも日本は周りを気にしすぎる。残業するのが当たり前であったり、してないとサボっていると考えるのは僕は間違いな気がする。僕は色んなチャンスが社員にだって良いと思う。6時間勤務だと資格をとるのにも適しているし、勉強したければ大学だって行ける。実際、自分で会社を興したヤツもいた。だからといって彼は会社を辞めるわけでもなく、普通に同じオフィスで働いていた。居心地が良いので残るのだそうだ。日本の現在のような会社勤務の仕方では、社員に金儲けのチャンスもない気がしている。それが良い社会ではない気がするんだが。。

   そんな働き方が日本にあっても悪くはない。   

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さあ、お仕事がんばろう !

2013年8月11日日曜日

東日本大震災から2年と5ヶ月


   テレビのニュースを見ていると、東日本大震災から今日で2年と5ヶ月だそうだ。早くない !? と今更ながら思う。報道によるとまだ2000人を超える人々がまだ行方不明でいるという。報道で妻と姉、そして孫を亡くしたおじいさんが出ていた。まだ遺体は見つかっていないが墓は作ったという。爺さんや婆さんが涙ぐんでいるほど辛い事はない。僕はこの東日本大震災では損害保険の鑑定人として東北に行っていた。

   損害保険鑑定人とは地震などの自然災害で起きた損害を鑑定するのがお仕事だ。直接保険会社が行くのではなく、僕らのような鑑定人が第三者として損害を見極めに行く。建物と家財を鑑定するのだが、全損、半損そして一部損を見極める。これら3つに入らなければお金は支払われない。今回は被害が多かったので大抵は一部損以上は出た。まあ中には明らかな詐欺師もいたが。。

   最初は東京は銀座で鑑定をしていたのだが、その後、東北は仙台へと移動となった。僕らが仙台へ移動したのは5月6日だったと思う。宮崎生まれの僕はまだサクラが咲いているのに驚いた。当初は仙台市での鑑定が多かったのだが、確か5月20日に津波被害が大きかった仙台市の北方にある女川町へ行って来た。保険会社が言うには連絡をしたくても電話が繋がらない。なので近くに行ったついでに行ってきてという事だった。。
   東日本大震災から2ヶ月後の女川はまだ建物が道路脇に置かれてままであった。だが一番の印象はその臭いだ。全てのモノが錆びているし、腐った臭いが充満していた。どこの地方でもよくある漁港の臭いを何十倍もきつくした臭いである。とにかく臭いが厳しい。また道路のアスファルトは全て剥がされていた。理由は色々あるだろうが、車が走るのに不便だからだろうか。途中、タクシーのパンクという想定外の出来事もあったが、目的地まで何とかたどり着いた。家は高台にあったので家自体は残っていたのだが、津波の被害は受けていたらしく、コンクリートの基礎の立ち上がりが半分ほど無くなっていた。間違いなく全損である。だが支払いをする対象者は探せどもいない。。やむを得ず写真証拠を残さねばならないので、無礼を承知で家に入って写真を撮らせて頂いた。近くにいた自衛隊の方が明らかに不審者を見る目で僕を見ていた。なので一応、これこれこういう理由で家主さんは知りませんか?と聞いたが、自衛隊さんももちろん知らない。だがよく見たら連絡先を書いた紙が落ちていた。どうやら壁に貼ってあったのだが風雨で剥がれたらしい。連絡してみると隣の石巻市の息子宅に住んでいると言われた。

   テレビなどで見る被災者さんは大抵は暗い顔をしている。だが、僕ら鑑定人が現場に行った場合はそうとは限らない。大抵は 『よく来たな兄ちゃん』 という感じだ。そりゃそうだろう。家を失って途方に暮れていた時に、何の縁もない九州は宮崎の兄ちゃんが2,000万円以上持ってくるのだ。もの凄くありがたがられる。石巻市にあるその息子さんは居酒屋をやっていた。なので 『兄さん、とりあえずビール飲んで行け』 と言われた。もちろん断った。仕事中だからだ。『うんじゃ、おすすはいるか?』と言われた。きっとお寿司だと思った。昼飯を食べていなかったので、ありがたく頂いた。だがもちろん銭は払った。

   ふと東日本大震災のニュースを見る度に、僕が仕事で訪れた方々はどうされているんだろうと思ったりした。いつかまた東北へ行こうかと思っている。もちろん遊びでだ。

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がんばれ、東北 !

36℃のとろけそうな日


   にしてもたまらん。。自分の部屋で仕事をしているのだが、暑くて暑くて仕事にならない。。あまりにも暑いため、額から汗が流れ目に入って困っている。パソコン横には大型の扇風機を用意しているのだが、部屋の温度自体が暑いため、まったく効果を発揮していない。体中に冷却スプレーを吹きかけまくるしか方法はないようだ。。

   昨晩はブログを書けなかった。気が付けばもうお盆。同級生らが都会から帰って来たので飲み方であったからだ。都会から帰って来た同級生らは子供らを連れて川に行くという。東京では味わけない田舎の魅力を見せたいのだそうだ。子供らは 『川で泳ぎた~い !!』 とはしゃいでいた。それを見ている僕も、 『おっチャンも、川でちゃぷちゃぷしたい。。』 と思った。

   部屋で甲子園を流しながらお仕事をしている。よう高校球児はこんな暑い中試合をするモンだとつくづく思う。。そして僕もこんな暑い中、パソコン仕事をするモンだと笑けてきた。。そして子供らは川で泳ぎまくっている事を考えると泣けてくる。。

   って事で、音楽で憂さ晴らしをします。

   日本には珍しい野球の歌 ? です。最近では甲子園でも応援歌として流れていました。たまには恋愛ばかり歌わんと、こんな曲が聞きて~と思うモンです。

   彼らの事は好きだったんだが。。元気にしているだろうか。。センチメンタルバスさんです。

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部屋は35℃越えているじゃないか。。

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