2013年9月8日日曜日

スモールハウスを作るかも?

   仕事の帰りがけの事、僕の実家の近くにあるコンビニ。。ぽい酒屋さんでいつものように煙草を買っていた。いつもそこで一服するのが僕の何となくの日課であるのだが、いつも外に煙草を吸いに来る店長さんが出て来ない。どうも女性と話している。変だなぁ~と思っていると、どうも僕を手招きする。。なんね。。と思っていたら、その女性を紹介してくれた。その女性を見るとどこか見覚えのある。すると『〇○君だよね♡』と言われた。頭の中で『この女の人は誰だ。。』という言葉が駆け巡る。困った事に僕は発達障害もちだからか、顔と電話番号は覚えるのに人の名前を覚えるのがとても苦手な不思議な子。こんな時、特に知り合いである女性の名前を間違うと、後々ややこしい。。『この顔は。。この顔は。。』と思っていたら、『小学校の頃、一緒に習字を習っていたよね♡』と言われ、あっ!!と思い出した。『剛田さんだったよね:D』と僕は答えた。すると『違うよ、〇○よ』と違う名前を言われた。。剛田さんとは、彼女の雰囲気がドラえもんに出てくるジャイアンに似ていたので当時の僕が勝手に付けたコードネームであった。。かなりしまったと思った。。だが鉄のハートを持つ剛田さん(仮)は全く意に介さず、『今何しているの?』と聞いてきた。なので建築設計屋をやっていると説明すると、彼女は工務店に勤務していると言った。ああ、同業者かと思ったら、不動産もやっていると言う。『土地が売れないから買って』と彼女はジャイアンのように言った。『どうも小さい土地があって、売れんと』と言ってきた。。えっ小さい土地?なのでスモールハウスでも作ったらと教えてあげた。


   スモールハウスとは、大体3坪~5坪ぐらいの小さな家のことを言う。とても小さい家なのだが、その中にはキッチンはもちろん、お風呂(場合によりシャワーのみ)からトイレまでしっかり入った個人住宅だ。魅力は坪面積が小さいので、人件費も建材も安くつく事である。そして小さいからこそ窓や断熱にお金がかけられるし、小さいからこそインテリアコーディネートも気合いの入ったデザインだって入れる。金額は住宅機器や仕様にもよるのではっきりとは言えない。だが数年で十分ペイできるのがスモールハウスの良いところだ。詳しくはこのブログの右の方の写真をクリックしてもらえれば、詳しく書いている(まだ読んでない人は読もう!)。

   以前から何度かスモールハウスの事を書いてきた。実にありがたい事に、このブログのコメントにスモールハウスの注文が来るようになっている(もちろん非公開にしてます)だが来るのはどうしても関東の方からのみ。宮崎や九州からは来ない。僕が住んでいるのは宮崎なので、九州までは何とか現地に行って僕が対応する事も出来るのだが、さすがに関東は現在のところは厳しい。交通やらその他の諸経費を考えると高くつくからだ。だがこれではせっかく声をかけてきた方にも申し訳ない。なので現在、僕が東京でホームインスペクションのお仕事をやっていた頃にお世話になった先輩と打ち合わせをしている。打ち合わせと現場管理をやってくれと拝み倒し、何とか了承を得た。彼は人間として信じられないくらい素晴らしい人なので、立派に僕の代わりをやってくれるはずだ。

   また、このブログを書いていて何度か質問が来たのが、『キット販売しないのですか?』という質問だ。もちろん出来なくはないが、僕が考えているスモールハウスの理念とキット販売はきっと違う。僕が考えているスモールハウスは、小さいけど家主さんとじっくり考えた家で、単純に僕が規格化しても実際にその土地に合うかどうかは分らないし、家主さんの希望に添えるかも分らない。また設計屋の僕としては、その土地の空気を感じてから設計をしないと、良い家は出来ないと信じている唐でもある。それにキット販売をして商売として成り立つかと言えば難しい気もしている。実際やっている人もいるようだが、どうだろ。。う~ん。。わからない。。微妙だ。。

   宮崎で何故スモールハウスの注文が来ないかと言えば、やはりそれは土地が余っているからというのがある。もちろん小割りした土地などは、都会ならいざ知らず宮崎では売っていない。仮に土地を買うにしてもほとんどの土地は大抵100坪を越えている。スモールハウス自体が坪数小さいので100坪など買ってしまえば、大きな土地にポツンと小さな家。。実にサボしいし明らかに浮くだろう。もちろんスモールハウスの周りを畑にしてしまえば良いかも知れないが。。もちろん店舗ぐらいの土地ならある。だがそこらは交通量の多い土地であり、もちろん土地の値段も高い。そして田舎で作れば、変わり者の扱いをされてしまうのもあるだろうとは思う。。まあ変わり者扱いを気にしなければ、普通の家よりかなり快適な人生設計ができるとは思っているが。。

   だがありがたいことに剛田さん(仮)がスモールハウスに興味を持って下さった。ぜひ弊社(うち)の社長と会ってくれないか?という事で、来週お時間を頂き、お会いする事になった。まあ、作るかどうかは分らない。だが彼女は面白いと言うし実際住みたいしという。どうなるか分らないが、まあ地元からやろうじゃないかとは思っている。

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どうにか、関東も対応できそうです。
相談はメールボックスまで

2013年9月6日金曜日

レレレのおじさんも悪くはない

  仕事をしていた夕暮れ時、いつもより父親が早く帰宅した。どこか具合でも悪いのかと聞けば、いつも残業ばかりしているから早く帰ってきたとの事。僕の父親はせわしない。いつも何かしていなければ機嫌が悪いので家族としてはよい迷惑である。そんな父親が急に芝刈りをするから手伝えと言ってきた。こっちも忙しいのだが、やらなければ機嫌が悪い。まあ、今週の週末は僕のひい爺さんの37年忌。なので親戚一同が、我が家に集まるので、やったらなイカンだろうとお手伝いをした。父親が芝刈りを使って庭を駆け回るのだが、我が家の芝刈りは安っぽいコード付き。なのでコードをカメラマンの助手のようにさばくのが僕のお仕事である。ある程度芝刈りが終わったら、今度は竹箒を持ち出しせっせと芝を集める。自慢じゃないが、僕の家の庭は田舎にしても大きい方だ。正直迷惑なくらい大きい。なので結構時間がかかり疲れてしまった。だが僕はこの箒(ほうき)で掃く行為が大好きなのである。掃除は嫌いなのになぜか幼い頃から竹箒が好きなのだ。不思議なモンではあるが。。

   どうも箒で落ち葉や芝などを集めていると僕は集中力がぐんぐん増すようで、仕事に詰まったら箒で庭を掃いたりしている。僕がやっている設計という仕事は、経験も大事だがひらめきがとても大事なお仕事である。間取りなどのプランを練る場合は僕は紙の上に鉛筆でラフプランを書き殴るのだが、必ずと言って良いほど壁にぶち当たる。単純なプランはすぐにきるのだが、家主さんが希望しているものやキラリとしたアイディアが出ないのだ。紙の前でじ~と考えてもアイディアが浮かばない時はどんなにあがいても浮かばないものである。だがさすがに紙の前で数時間考えても出ない時は諦めることにしている。大抵は集中力は落ちてどうしようもないので、庭に出て掃除をはじめる。すると不思議なモノで、頭がリセットされるようで新たなアイディアが生まれる事もある。もちろん出ない時もあるが、少なくとも集中力はアップするようである。

   あと、箒で掃くのが好きな理由は、やはりいい人に見えるからでもある。。ああ僕は何ていい人なんだと思いながら、掃除しているだけで自分にうっとりしてくる。だがいい人に見えるのは僕だけではなく、マーケティング的にも実証されているようだ。確か名古屋かどっかのリーラーが日本で一番TOYOTAの車を売り上げているらしいのだが、そこの店長さん曰く『別にたいしたことはしていない。掃除をみんなでしているだけだ』とおっしゃっていた。なんでもその店舗は、朝一番に掃除をするらしい。男性職員はみんな竹箒をもって店舗の前で掃除をするようなのだが、いつ頃かその店舗の前面道路だけではなく、近くの道へそして他の道へと掃除する範囲を増やしていったら、気が付けば商店街まで掃除をするようなり、いつの間にやら売り上げ日本一になったそうだ。また掃除をよくする会社としない会社では不思議と売り上げが違うと僕の知り合いの中小企業診断士も言っていた。また中小企業診断士は、見えるところで掃除をするってのが重要だとも言っていた。その売り上げ日本一の会社の社長さんが特別そんなマーケティングの難しい理論を知っているわけではないだろう。だがやはりいい人に見えるからこそ車も売れるのだと思う。

   よくよく考えてみると、日本人ほど竹箒で掃除する人々もいないと思う。もちろん外国の人々も掃除はするだろうが、日本人ほど掃く人々もいないのかも知れない。やはりこれは神道と関係があると思う。箒で掃くという行為は穢れを払う行為でもあるからだ。考えてみるといい。僕ら日本人は掃かれていない日本の神社やお寺は美しいと思うだろうか。きっと多くの人々は美しいとは思わないはずだ。仮に海外で箒で掃く人を見て、この人はいい人だと外国人が思うかと言えば、日本人ほど思わないのではないだろうか。実際僕がアメリカに住んでいた時に、箒で掃くアメリカ人はあまり見た記憶がない。大体はメキシコ系の人々がウォークマンを聴きながら庭掃除をしていたが、やはりそれは雇われてやっているという感じがプンプンしていた。やはりこれではいい人には見えないものである。竹箒で掃く時は、やはり気合いを入れて掃く日本人の姿が美しいのだと思う。

   いずれ僕は設計事務所をかまえようとは思っている。そんな時はやはり朝方には竹箒を担いで周りの道路を掃除しようと思う。街は綺麗なるだろうし、それにこちらも集中できる。またいい人に見えれば仕事も増えるだろう。

   僕のエロ筋の友人が、巫女さんが竹箒を持っているとうっとりすると言っていた。何言ってるんだと思っていたが、最近彼の深みが分るようになってきた気もしている。年をとったからだろうか。。


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2013年9月5日木曜日

ゆたかな風を呼び込め ! 

   やっと秋口に入ってきた感がある宮崎である。と言いつつ調べてみたら現在は27℃。。これでも涼しいと感じるのが不思議なくらいである。宮崎などの暑い土地で設計のお仕事をしていると、いかに夏を涼しく過ごせる家を設計できるかが重要となる。今は高気密高断熱の家が流行であるようだ。それは天井や壁そして床に断熱材を隙間なく引き詰める方法である。それはそれで重要であるとは思うが、それ以外にも涼しくする方法もある。宮崎にはゆたかな風が吹いている。これを使わない手はない。


   自然の風を感じる家を作るには、どんな窓を作れば良いのだろうか?多くの人が勘違いしているのが大きな窓をつくれば心地よい風が入ってくるというもの。これはちょっと違う。大きい窓は、確かに空気量の取り入れ効果があるが、心地よい風を生むのとは違う。ではどうすればよいか。大体3つのポイントがあると言われている。①窓が最低2面にあり、その窓と窓は対面していること。②必要な時は常に開けておけること③風が入る主方向にくるいがないこと。一応、僕もこれらは気にするようにはしている。

   だがこれだけではやはり、面白く無いと考えるのも設計屋の性ではある。その風が心地よければ良いが、そうでない風もあるので厄介である。例えば、その風上に畑があったりしたら、土煙が部屋に入って来るわけだし、またドブの臭いがキツイ場所が風上って事もある。それらの時はうまく対処する必要がある。土煙が起こりそうな土地だと、できるだけ家の前にグリーンカーテンを作り、風を浄化したり、ドブ臭いところにはフタをかぶせたりしている。そして臭いの出やすい花や木を植える事をお勧めしている。

   だが僕はもっと風を取り入れたい設計屋だ。どちらかと言えば、窓開ければ家の中ビュンビュンな方がお好みである僕は、なんか良い方法がないかと調べていたら、ウィンドキャッチャーという方法があるのを知った。滑り出し窓という窓があるのだが、この滑り出し窓を風の主方向に、図のように並べることにより、通風量が10倍になるという。ホントかいな。。とは思ったが、LIXILさんと東京大学生産技術研究所さんが調べた結果であるようだ。東大さんが言うのだから間違いないだろう。

   いろんな工務店やハウスメーカーのホームページを見ると、『風を生かす設計』などの文字が見える。どうやら流行であるらしい。だが展示会などに実際に行けば、どこに『生か』したんだとは思う事もあるが、そこは黙ってあげている。設計する人間が風を家に呼び込むために提案したであろう間取りは、家主さんの希望に合わなければボツになる。設計士が『風がこれでは入らないから止めた方がいい』と家主に言ったところで、『それでもいい!』と言い切られたらどうしようもないからだ。よって風を生かせない家が出来上がり、後で家主さんが暑い思いをすることになるのだが、それを分っていながら前に進まねばならないハウスメーカーや工務店の苦労もよく分る。。

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やっぱり10倍は凄いね。。

2013年9月4日水曜日

『粗食のすすめ』で豊かな生活を

 先日も書いたが、僕の部屋は色んな本が散乱している。これではイカンと良い子の僕は毎朝、掃除をはじめた。昨日も書いた10分間清掃のお時間である。だが本を置く場所がないのはやはり致命的という事で、読む本と読まない本を仕分ける作業をもう10分ほどしていた。本を仕分けしていると昔に出会った素晴らしい本が目に入ってきて懐かしい。そんな本をたまには紹介してみようと思う。本のタイトルは『粗食のすすめ』である。

 僕がまだ京都に住んでいる頃は自炊をしていた。一人暮らしの楽しみはやはり好きなモノを自分で料理して食べれる事だと思う。いろんな料理を作った。京野菜をふんだんに使った料理や、イタリアンに中華、そして鴨川の川辺で育った食べれそうな植物のソテー。。自分で料理して自分で食べる行為は実に楽しいモノである。だが毎日自分で研究したものばかり食べていても面白くない。たまには他人が来て、うっとりするモノを作らないと面白くないと思い立ち、本屋さんで物色している時に出会った本が、『粗食のすすめ』である。どうやらかなり有名な本でもあるらしい。

 『粗食のすすめ』は春夏秋冬の4冊があり、季節ごとの料理が素晴らしいレイアウトで別けられている。実際に自然食野菜が都道府県のどこの店で購入できるのかも記載されているのが嬉しい。(※宮崎は、1軒もありませんでした。。)実際料理をする時には、本なので開いたまま料理。。とはいかないのが残念だが、ソファーで寝転びながら読む料理本として最高の1冊であろう。そして粗食というのがシブイ。シンプルで簡単に季節ごとの旬な食材が味わえ、なおかつ見た目も素晴らしい料理が出来る。色んな料理を食べたり作ってきたりした僕としては、最終的にたどり着いた料理本だ。

 いまは宮崎の実家に住んでいる。本当は自分で料理して自分で食べれるものを作りたいのだが、母親が許さない。僕が作る料理は口に合わないようである。どうやら年齢の違いによる味覚の差のようだ。という事で、夕方過ぎに母親にその本を見せた。母親も少しは興味を持ったようで、『ほな作ってみ』と言われた。って事で、『粗食のすすめ 春レシピ』を読みながらニラの納豆あえを作った。やっぱりうまい。僕の鴨川流のお手前は衰えていなかった。

 なぜ『春レシピ』かって?

 銭がなくて春以外は買えなかったからだ。

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フォントをメイリオに変えていますが、
いかがでしょうか?

2013年9月3日火曜日

キレイキレイな僕の部屋

   僕がやっている建築設計というお仕事は、やたらと資料を読む。そしてそれらの資料を沢山持っていなければ成り立たない商売でもある。だがおかげで僕の昭和の6畳の事務所。。というより寝室はやたらと散らかっている。こりゃさすがにイカンと反省。少しづつであるがお片付けをしている。だが圧倒的に本の量に対して、棚が足りていない。なのでどうしたもんかと思っている。だが設計資料で散らかっている部屋ではるのだが、僕のベットだけはいつもキレイキレイである。毎朝、起きたら必ずベットメイキングをする習慣があるからだ。もちろん育ちの良さもある。だが僕の微妙な軍隊経験のおかげでもある。

   僕がアメリカの軍関連企業に就職した初日。いきなり拉致された。『ここに迎えに来るから待っててね』と軽く言われたので、指定の場所で待っていると軍服を着た筋肉馬鹿っぽい兄さんらが来て、『この車に乗りなさい』と言われた。『誰ね。。あんたら。。』とは思ったが、まあ乗りかけた船。逃げるわけにはいかない。連れて行かれた場所は明らかに軍のベース。そこで2週間のトレーニングを受けるはめとなった。。後で分ったのだが新人研修らしい。。アメリカと言うより西洋の伝統か、仲間になるには試練を与えると言うものがある。僕に取ってはかなり迷惑な伝統的新人研修ではあった。。

   当たり前だが軍隊生活は規律正しい。軍隊は身につけるものは、すべて支給品である。そして個人の習慣などや動作にいたるまで全てコントロールされる。命令一下、どんなにしんどくても動く体にするには、娑婆っ気を抜く必要があるからだ。朝起きると、さっさか服を着替えそしてベットメイキングをしなくてならない。これも基地外の生活とこの空間は違うのだという事を体にたたき込むためである。

   おかげさまで、僕のベットは。。というよりベットだけ美しい。。ふと思った。別に片付けるぞ~!と気合いを入れて片付けなくても良いんじゃないか。。毎朝10分間だけ片付ければある程度は部屋も片付くんじゃないか。。考えて見れば日本の多くの企業でさえ毎朝お掃除からはじめるところが多い。やはりこれは少しずつ掃除しておけば、仕事場の美しさを保てるという事ではないだろうか。。

   どうやら、悟っちゃったようだ。。

   今まで気づかなかったのも不思議な話ではあるが。。

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