2013年10月15日火曜日

『建築模型で小遣い稼ぎ』について

   僕は設計の世界に入ってまず最初のお仕事は、模型作りであった。まだ20代の頃、とある京都の設計事務所の模型作りのアルバイト募集という謳い文句に騙されたからである。アルバイトとは名ばかりの、1円も出ないボランティアであった。まあ設計の世界ではよくある事で、若いモンにはいくら働いてもお金などは出はしないし、払うつもりもさらさらない。勉強させてあげるという名目で人をこき使うのである。最初に作った模型は横浜市にある老人ホームの模型。とはいえ、90度の壁を作る方法と、カッターを直角に入れる方法以外は、だ~れも教えてくれない。まだ図面の読み方もさっぱり分らない頃なので、非常に苦労したのを覚えている。そしてその白いスチレンボード(発泡スチロールに紙を貼ったもの)にカッターを入れ10日程かけて作った模型は、社長である大先生の『う~ん、おもろないわ。。』の一言でボツになりまた作り直させられた。お試しで模型であったわけだ。。


   現在、建築の世界では3D図は当たり前となってきた。工務店やハウスメーカーでさえ3D図を作ってお客さんにプレゼンをする。やはり競争の世界なので、他社がやっていたらせなイカンという事だろう。だがそのデザインが売りである設計事務所などでは3Dも作るが、3Dはあくまで図面集の表紙的な『絵』として捉えているところが多いようだ。というのも3Dはお客さんの目を引くのは確かだが、やはり出来上がりとは質感の違いやボリュームの違いがでやすいし、その太陽光の加減でも見栄えは違ってくる。なので設計事務所の場合は大抵の場合模型を作る事が多い気がする。

   と言っても作る模型はプレゼン用であり、また設計する者のためにあである。決してお客さんである施主さんにプレゼントするための模型ではない。なので別にこった作りの物ではなく、スチレンボードが足りなくなったので、『愛媛みかん』と書いてある段ボールを使った事すらある。いわゆるスタディー模型と呼ばれる物である。スタディー模型とは設計を行う際にボリューム感や周辺の家々との兼ね合いを確認するための簡易的な模型の事だ。大建築家と呼ばれる人々でも、頭の中で考えていた空間を実際に作ると想像していたカタチと異なる事がよくある。なので模型を作る事でその空間的な間違いを修正すために作る。また3Dをプリントアウトした2Dの図面よりも説明がし安く、またがんばった感があるので家主さんにもお見せしたり、それを写真に取り込んでプレゼンをしたりする。通常は白いスチレンボードを使い、格段色は塗らない。というのも、色が塗ってあると一般の方々はそちらの方に目が行きやすく、結局はボリューム感などの判断が難しいからである。


   今日の夕方、とある知り合いの方に図面チェックを依頼され合ってきた。大手のハウスメーカーさんとプランを練っているのだが、第三者としての意見が欲しいという事である。さすがハウスメーカーさん、素敵なキラキラとした3Dを作ってらっしゃった。ハウスメーカーさんには3Dを作る専門の職員がいるので出来る仕事ではある。『実際はどんな感じでしょうか?』と奥さんに聞かれたので『模型を作るとすぐ分る』と答えた。相手がハウスメーカーさんだが、同業者の立場、図面や3Dを書く苦労はよく分る。よってむげに否定はできないからだ。その後雑談となり、奥さんが、『よく新聞で建築模型士講座みたいなのやっているけど、あれってどうなんですか?』と言われた。

   よく新聞で『建築模型士講座を通信教育で!』みたいな募集をやっている。調べてみると、自宅で3万から6万は稼げるみたいなことが書いてある。まあ確かにスタディー模型ではなく、本物の気合いが入った模型であれば、材料代や諸経費、それに作業量に対して時給換算すればそのくらいは安い物だ。だが需要は限りなく少ないと言えるだろう。僕が住む宮崎で自宅で模型を作って稼いでいる主婦がいるかと言えば、まずいない気がする。まず設計事務所自体が本気の模型を外注するほど儲かる仕事ではないし、ハウスメーカーさんや工務店で模型を作る事自体の発想はまずない。あるとすればマンションの展示会場の模型であったり、博物館などの模型であったりする。だがそれらは大手の模型屋が作る100万以上のアクリルの模型であり、主婦が片手間で作れるほどの模型ではないし、そんな設備を持つ主婦はまずいないであろう。ただ、この通信教育は人を騙しているという人もいるが、この通信教育は5万ちょいぐらいの金額であり、模型を作る楽しみを覚えるという感覚なら良いかも知れないとは思う。通信教育を終了し、設計事務所などにスタディー模型を作らせて下さいと営業すれば、少しは作らせてくれるかも知れないが、どうだろう。。

   僕が勤めていた京都の設計事務所の大先生は、とある京都の良い香りのする女子短大で建築についての講義をやっていて、僕はその助手をやっていた時期がある。大先生がお話しし、僕は主にEnterを押すのがお仕事だ。ある日、大先生が北海道に行ってしまったため、僕が教えるハメになった。しょうがないので、その日は模型と建築についての講義をしてあげた。僕が作った『愛媛みかん』葺きの屋根がキラリと光っていた。


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自分で模型はつくれます。

2013年10月11日金曜日

美しい街を作る話

   かつての日本は美しかった。幕末に日本を訪れたタウンゼント・ハリスや、明治期に世界に向けて日本を発信した小泉八雲、また多くの外国人が日本の清潔で美しい田園風景や町並みを日記や手紙に書いている。だが現代に生きる僕らからして、そのような美しく清潔な町並みを見つけることは決して容易な事ではない。一部の建築家と呼ばれる方々が、時代の最先端を走っているという自己本位のデザインを強調し景観を台無しにしているのは間違いないし、ハウスメーカーは日本全国同じ建物を作ることによりその仕事が成り立っている。また地域の景観を担うべき地方の工務店には景観美を守るという観念は皆無に等しく、行政も景観をどうにかしたいと思ってはいるようだが、今だ本腰を入れているとは言いがたい。

   奈良時代の歌人である山部赤人が、『田子の浦に、うち出でてみれば白妙の、富士の高嶺に雪は降りつつ』と呼んだ田子の浦から富士山を眺めると、煙突や煙、工場の塀に広告だらけだ。また京都にバスで降り立てば、日本の代表である古都京都の駅ビルの大きさに驚愕するであろう。また、その街並みは京都以外の人々が思うほど京都ではないのは確かだ。また国立公園などに行けば、山の上には送電線が幾重にも走っており、それらを意図的に見ないような努力をしなくてはその景色を楽しめはしない。すこし良さげなリゾート地域に行けばホワイトハウスのような家や、カレーマルシェのような地中海風の家が建っている。それらを見る度に僕はセンスを疑ってしまう。

   先ほどかつての日本は美しかったと書いた。だが昔の日本人が景観を美しくしようと努力して町並みが美しくしたかと言えばそうではない気がする。富士見坂と呼ばれる坂がある。今は富士山は見えないので有名だが、現代の東京にはそのような坂が残っている。実は東京の街路の多くは、江戸時代から街路の延長線上に富士山を眺望できるように作られていた。では当時の人々が富士山の景観を楽しむためだけに、このような街路を作ったかとえば違うだろう。当時はもちろん車もないので交通の便などの問題はそれほど考える必要は無かっただろうし、建物もお侍に怒られるので大きい物は作れなかった。当時、お侍もおらず現代のような高度の建築的な技術を持っていたら、やはり現代のような富士山が見えない富士見坂となっていた気がしている。


   日本の景観が著しく悪化したのは戦後のことである。戦後の経済成長第一主義、効率優先、機能優先主義の考えが基本となっている。現代以前は文化人などがそのパトロンである有力者などに意見を具申し、その有力者が町並みの基準を作り上げていた。なので町並みが美しければその有力者の評判も上がるという仕組みが出来上がっていたわけで、それなりの景観美が担保されていたのだと思う。

   戦前の都市計画法の中には美観地区制度というものがあった。戦後の日本は法改正を繰り返し、この制度を骨抜きしてきた。そして景観の観念がない建築基準法や都市計画法の策定も景観劣化に手を貸してきたと言って良い。経済が悪くなる度に法改正を繰り返し、その度に建物の高層化が進んだのは有名だ。欧米などが美しく見えるのは、早くから歴史的な建築や景観保護の法律が制定され、所有権に対する規制が入っているからである。またその景観に対する意識は非常に高く、建築は単なる財産権の行使ではなく、景観に影響を及ぼす公的な行為であるという考えが浸透している。日本に景観法ができたのは2004年の事である。欧米と比べ遅すぎる。よって景観への意識はまだ建築業界はもとより、一般の市民には浸透はしてはいないのが現状ではあるとは思う。

   以前、民主党が『コンクリートから人へ』という事を提唱した。僕はこの考えが嫌いである。コンクリートとは公共工事の事だと思うのだが、公共工事とは将来の日本人への投資だ。投資を辞めて現代へ生きる人々へお金を入れるだけでは、将来の日本人へ申し訳ない。だからといってコンクリートが良いとは全く思わない。建設や土木業界を食べさせるだけの公共工事ではなく、将来の日本人へ誇れる国にするための公共投資であって欲しいと思っている。


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それではまた来週!

2013年10月10日木曜日

家を安く 価格の見える家づくり 分離発注方式

   昨日書いたように、戸建て住宅を建てる場合の分離発注方式とは、工事全体をまとめてハウスメーカーや工務店に頼む一括発注方式ではなく、大工さんや建具屋さんや板金屋などのような実際に工事を行う専門業者に、依頼者が直接頼んで建設する手法だ。CM(Construction Management)分離発注方式とも言う。通常ハウスメーカーや工務店の場合、図面が出来上がると下請け業者である内装屋や左官屋などから見積もりをとる。そしてその上がってきた見積もりに一定の割合をかけて見積もりを作る。この一定の割合がHMや工務店の儲けであり、営業さんや設計料金や現場管理料(いわゆる現場監督の給料)、そして何か問題があった場合の保証料金も含まれる。分離発注方式の場合、その一定の割合を省くことにより家を安く作るのがメリットである。だが家とは誰かがスムーズに工事が進むよう音頭をとる必要がある。では誰がやるかと言えば基本は家主本人である。

   と言われても一般の方々は建物の建て方の知識があるわけではない。ではどうするかと言えば、設計事務所が家主をサポートするカタチが多いようだ。なので分離発注方式を採用する場合、設計事務所の通常業務である設計・監理に加え、CM契約をするのが一般的である。このCM契約により設計事務所が依頼主をサポートし、どの専門業者にどのタイミングでどのような順番で現場に入ってもらうかなど各専門業者のとりまとめや調整を行う事となる。もちろん保険などの加入などもその時に設計事務所から説明を受けることとなる。

   一般的に言われる事だが、一括発注方式とは違い、各専門業者に分離して発注するわけで、責任の所在が曖昧になる危険性がつきまとう。なので分離一括方式の場合は通常の契約とは違い、独自の契約をとるスタイルが多いようだ。例えば、戸建て住宅などの工事とは、基礎が終わると木工事、そして屋根工事へと。。のようなリレー作業である。工事中に後から入る業者が前の工事結果を見て問題がある場合は、すぐに申し出をする義務を持ち、前の業者に無償で是正させるという契約になっていたりするようである。また万一のための専門の補償も既にあり、依頼主が困らないように整えてあるようではある。

   また請け負う設計事務所の人間がどれほど現場の流れに慣れているのか、または、CM自体のサポートに精通しているのかも重要だ。だがそのノウハウを教えている業者は既にあるようで、皆さんそこでよく勉強をされているようではある。だが結局は人が家を作るわけで、請け負う設計事務所の力量がとても問われる事となるとだろう。また通常設計事務所で家を作る場合は、設計事務所が図面を作り、値段で勝った工務店が現場管理をし、設計事務所が設計監理(図面通り作っているか第三者としてのチェック作業)をするのだが、分離発注の場合は直接発注方式と違い、実質上依頼者が現場監督となるわけで、設計事務所が動くウェイトがとても大きい。よって、第三者としての設計事務所でいれるのかはとても疑問が残ると僕は思っている。


   また分離発注方式の場合は家主が相当動かなくてはならない。契約だけでも通常1社とするところを20社ほどとせねばならず、依頼者に相当な時間的な手間がかかるのはやむを得ない。また現場を仕切る工務店を外すわけであり、流れがスムーズに行かず工期が長くなるだろう事は予想される。また分離発注方式に慣れていない業者も多く、その選定だけでも結構な時間がとられるだろう。

   だがあり合わせの図面とカタログで家を買うという意識の方には向かないだろうが、一生に一度の事であるので、自分も家造りに参加したい、自分の家を徹底的に知りたいという方々には向いている方式かも知れない。また建材を直接家主が仕入れる事も可能ではあるし、すでに分離発注方式に向いたフラット35もある。また、それ専用の補償もあるしサポートする業者もいる。それに家自体が安く出来上がるのは確かだろう。

   経験した事がある方はよく分るだろうが、家造りにはもの凄いエネルギーが必要である。明らかに一括発注方式の方が楽ではある。だが『値段が見える家づくり』をするにはこの分離発注方式意外にはありえないとは思っている。

   以前は日本でも分割方式が結構な割合であった。だが昔から日本は建築家が家を作るという慣習はなく、大工の棟梁が家を建てるという意識が強かった事、またその責任の曖昧さや家主の負担が大きいなどの理由で廃れたのだろうと思う。

   最近、設計の人間と話すとポツリポツリとこの方式の話題が出る。どうやら皆興味はあるらしい。また知り合いの非工務店所属の一人大工もこの方式に興味を持っているようで、色々僕に聞いてくる。工務店やハウスメーカーにもよるが、彼らは『この家の大工工事はいくらでお願いね』と言われ家を作らせられる。彼らは見積もりを出して競うのはかまわないが、これだと給料を叩かれるだけなので嫌なようだ。分離発注方式だと、下請けではなく元請けになるので自分の名前が上がるからやりたいと言っていた。

   これから欧米のようにこの方式が主流になるのかは分らない。だが一つの選択肢としての分離発注方式だとは思っている。

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昨日と同じ漫画です。
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2013年10月9日水曜日

価格が見える家づくり 分離発注方式

   僕がアメリカに住んでいた頃、僕の上司が家を建てた。その当時の僕は建築設計の仕事をいづれ携わるとは夢にも思っていなかったので、新築のパーティーに呼ばれた時などは単にわーきゃー言っていただけだ。その家は実にこだわっていて実に美しく、僕の同僚などは上司に建築家の名前や聞いていた。すると上司が『彼もパーティーに来るよ』と言った。人生で初めて見た建築家は笑顔が爽やかな方であった。彼が来ると同僚などが、『どうしてこんなプランなの?』などと聞いている。その後、僕はその建築家の方とお話させて頂いた。僕が日本人だと聞くと彼は日本の建築事情について聞いてきた。日本の建築家のこと、そして日本はどんな流れで家づくりをしていくのか?そんな事を聞かれた。だが当時僕はあくまで駆け出しの記者であり、建築に対してはズブの素人。また家を作るなど考えた事はないし、興味もないので日本の建築家については1人も知らない。だが日本で家を作るなら”might be Home Builder(工務店の事) or House Maker" じゃね?と答えた。

   すると日本勤務が長がく、日本で中古住宅をリフォームして暮らしていた僕の上司が話に乗ってきた。『日本は工務店かハウスメーカーが普通だね』と彼は言った。すると建築家が不思議なな顔をした。『工務店とかハウスメーカーって多いの?値段が高くなるじゃん?』と僕に向かって聞いてきた。だが僕はそんな事を聞かれても"really?"としか答えられない。すると上司が『アメリカやヨーロッパは日本と違い、工務店やハウスメーカーで新築を作ることは少ない』と教えてくれた。言われてみれば、確かに僕はアメリカに7年住んでいたが、工務店とかハウスメーカーの店舗は1度も見た事がない。

   日本で家を作る場合、頼む相手はハウスメーカーさん、工務店さん、または設計事務所。まあこの3つであろう。ハウスメーカーの場合、大抵は家主はその展示会場へ行き、自分の理想の家を作ってくれるハウスメーカーはどこか物色して、それからご相談となる。それから営業さんと間取りを決め、見積金額を持って来てもらい契約が終われば着工となる。工務店の場合は、今まで作った家を見たり評判を聞いたりして間取りを叩き上げ、そして見積もりを作り着工。設計事務所の場合は、まず相談を受け、基本設計で間取りを決めたり模型を作ったりし、実際に入れる住宅機器を一緒に見たりしてそれを詳細図面に反映させ、そして数社の工務店さんに見積もり依頼し家を作っていく。まあ大体このような流れだ。これらを通常、一括発注方式という。


   だが欧米の場合は日本のような一括発注方式は少ない。新築を作る場合、ハウスメーカーや工務店には行かず、設計事務所にご相談という場合が多い。そこでまず基本設計を作り上げ、そして詳細設計を作り上げる。ここまで日本の設計事務所と流れは同じだ。だがここからが違う。先ほども書いたが日本の設計事務所の場合は価格競争を工務店にして頂き、その工務店が作った見積もりをもって工事契約となる。その工務店の見積もりの中には、その下請け業者である左官さんや建具屋さんが、元請けである工務店に提出した金額に一定の割合をのせて提出している。それが工務店さんの儲けである。だがアメリカの場合は、その元請けとなる工務店がいない。つまり大工工事の見積もり、左官さんの見積もり、そして建具屋さんの見積もりが直接家主に来る。つまり中間の儲けをなくして安く作るという事である。この方式を分離発注方式という。

   分離発注の大きなメリットとして中間マージンがかからないという事である。直接見積もりが各専門家から来るわけで、またその専門家に相見積もりをかけるからなおさら安くなるのは確かである。つまり『価格が見える』というのが大きなポイントだ。また設計事務所が本気を出せるのも分離発注の大きな特徴かも知れない。

   現在、日本では一括発注が主流ではあるが、だが少し前までは決してそうではなく、結構な割合で分離発注であった。大工さんや職人さんらには直接家主が日当を払っていたからだ。ではなぜその方式が日本で廃れたのか?色んな理由がある。またそれは長くなるので、明日にでも書こうと思う。

   分離発注にはもちろん大きなメリットもあるが、デメリットもある。だがそのデメリットを解消する仕組みも最近は出来上がってきたようである。これから日本は分離発注が増えていくかは分らない。だがこの分離発注は確実に伸びてくると仲間の設計屋とは話をしている。

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参考までに分りやすい漫画を貼っておきます。
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2013年10月8日火曜日

嗚呼、思い出の京都迎賓館

   まだ僕が京都の建築専門学校の夜間設計科に通っていた頃、京都市にある京都御所、正式には京都御苑(ぎょえん)の敷地内に、国立京都迎賓館が開館した。2005年の春うららの頃の事である。さすがに昼の部の生徒と違い夜間の生徒は年齢層が高く、建築に対する意識は高い。将来のために必死だからである。なので設計科の生徒は色めき立った。迎賓館などもちろん、それ程頻繁に作られる物ではないし、それに京都御苑からは目と鼻の先だからだ。もちろん京都の建設業の人間だけではなく、多くの建築関連業者が注目したらしく、建築系月刊誌などはほぼ全て京都迎賓館の特集をやっていた。

   『行きたいですね~』とむっつりスケベのK君がぼそりと言った。彼はむっつりだがクラスの中ではひときわ建築に対する思いが強い。だが常識的に考えて簡単に入れてくれるとは思えない。総理大臣や天皇陛下が利用する迎賓館である。焼き肉屋の晩餐館とはワケが違うのである。

   製図の時間にふと思い立ち、製図の担当である今は世界的建築家(上海万博のスペイン館を設計したスゲー人)の先生に聞いてみた。すると『意外と館長さんに直訴すると入れてくれるかもしれないよ』とアドバイス下さった。『なるほど、その手があったか!』と手を叩き、すぐさま仲間を集めた。さすがに2人で行ってもケンモホロロになると思ったからである。

   決行当日、京都御苑の前に集まった同志5人はそそくさと迎賓館へ向かう。入口付近まで行くと、迎賓館に勤めているであろう美人職員さんがいらした。だが僕らはそろいに揃って貧乏建築学生、見た目がこぎれいだとは言いがたい。ジーンズは皆破れているし、僕のNマークの靴からは親指がこんにちわしている。だがこういう事もあろうかと、建築学校の昼の部の若くて美しい女性を連れて来ていたので彼女に交渉してもらい、僕らは遠くからそれを見守った。だがあっさり彼女は断られてしまった。交渉したのが男子生徒だと『そこを何とかと押し通せ!』とは言えるだろうが、若い姉さん『ダメでした~♡』と明るく言われたら男共は『そうだよね~』と言うしかない。。まったくケンモホロロである。


   だが、『ここまで来たんだからせめて覗きたい!』とむっつりスケベのK君が言った。と言われてもさすがに迎賓館の周りには高さ1.5間(2.7mぐらい)の塀があり、はしごでもなければ覗くことが出来ない。だがK君は言った。『木に登ればいいんじゃね?』京都迎賓館の周りには、名前は知らないが何やらでかい木が沢山ある。そこに登れば確かに迎賓館はのぞき見ることは出来そうではある。気持ちは分るがここは京都御苑の中である、さすがにそれはイカンだろと止めるのだが、K君は行きたいと言い木に手をかけた。すると背後から『君ら、ちょっと良いかな』と声をかけられた。ふと見ると濃い緑色の制服。。皇宮警察さまである。。どうやら身なりがあまりにも貧相な服をしていたせいか過激派かと目が疑っている。。

   がっつり職務質問を受け、素直に反省した僕らは御苑近くの『餃子の王将』に入った。迎賓館に行ったつもりが、たどり着いたのが餃子の王将とは実に悲しい。。餃子を食べながら、やっぱり偉くならんとアカンの~と皆でぼやいた。だが昼の部の姉さんがぼそりと言った。一般公開があるらしいですよ~。。はよ言わんかい姉さん。。

   その年の初夏であったか一般公開があるとの知らせを建築専門学校から頂いた。『キターー』とばかりに仲間と勇み立つ。応募は一人一枚とあるので、僕は一族郎党を含めた計8枚ほど出させて頂いた。だが落ちた。。聞くところによると倍率29倍の狭き門。。仲間も全員落ちた。。やっぱり偉くなろうと思った。。

   建築仲間からすれば京都の迎賓館はそれほど評判が良い建物とは言えない。和風に作っているが本当は鉄筋コンクリート造りである。そしてもう少しこだわった方が良いという職人らは多い。少なく見積もっても100年以上は使うであろうこの建物に、もう少し手間をかけるべきだと皆声を揃えて言っている。和の建築を極めようとすれば、どうしても手間がかかる。なので予算を抑えるという事は、どこかで手を抜かねばならないのはしょうがない。だが国かて銭がないのでしょうがない。

   京都御苑はさすがに長い歴史があるだけに一見の価値のある場所であり、京都に敢行で必ずよった方が良い場所です。そして御苑の敷地内には京都迎賓館があり、そこは偉くなったりしたら入れると思います。美人職員が今いるかはもちろん知りません。


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