2013年8月5日月曜日

近隣住民説明会の現実と裏側

   設計屋にもいろいろいて、僕みたいに住宅を専門につくるものいればマンションだけ作っている人もいる。また大型建築のコンペばかり狙う野心的な人もいれば、何が楽しいのか分らないが、歯医者さんの建物ばかり作る人だっている。以前僕は何にも知らんと、とある京都の設計事務所に入った。そして2ヶ月ほどですぐ辞めた。今考えればウルトラブラック企業であった。朝8時から夜の3時まで働いてもちろん最低賃金。そして当たり前のように休みも出勤。なので倒れたから辞めた。そこはマンションばかり設計したいた。同じ施工業者からくる同じタイプのマンションを社長さんが間取りをちょちょっと変え、後は最低賃金の社員が必死こいて図面を作る。社長さんは夕方5時には接待のため愛人連れてお買い物。。ろくな設計事務所ではなかった。もちろんデザインなんておざなりで醜い建物ばかり作っていた。だが施工業者さんとおんぶにだっこ。儲かっていたようではある。マンションを作る時には近隣住民へ説明会を開く事が多い。だが近隣住民への説明会は大抵は修羅場となる。

   そのマンションの現場は神戸市の垂水区だったと思う。明石海峡大橋が美しく生えるすてきな場所が敷地だ。話によると、昔からその場所に住んでいた住民が結婚を期にその場所にマンションを建てて、その一室を新居としようという考えである。さぞかし最上階は明石海峡大橋がよく見えるのだろう。なので近隣住民8人ほどと近くの私立学校の女オーナーを案内書片手に施工業者さんが集め、家主夫婦と施工業者の社長さん (リンカーンに乗っている) そして現場監督や職人さら総勢10人程度。そしてうちの社長さんと筆記である僕が出席した。

   のっけから大もめである。近隣住民のおじいさんらは激しい口調で 『頼むから作らないでくれ』 という。思わず僕も頷いた。そりゃそうだろう。僕から見ても美しい明石海峡が台無しになるマンションだ。それに敷地ぎりぎりで建てるために近隣住民の日照権は久しく侵される事になる。だがあくまで説明会なのであって、相談会ではない。近隣住民への配慮はこれくらいしていますよという自己満足の世界である。爺さんらが反対しようが業者は関係ない。近隣説明会はしましたよというカタチが欲しいのである。なのでもめるに決まっている。 『あんたら !! 我々がいくら反対しようが関係なんじゃろ !! 』 実にごもっともである。ハナから反対を受け付けるような美しい心などは業者は持っていない。

   私立学校のオーナーさんが苦情を言ってきた。その地区には線路が走っているのだが、その学校の看板が線路から見えるように建っている。そのマンションが建つ事により看板が見えなくなるのだという。業者一同、それがどうした。。という顔になった。それはこちらサイドとしてはだから !? という事だ。やれ看板が見えなくなるからお金を補填しろとかマンションにその学校の看板を備付けろとか、どうやら言いたげだった。もちろん業者は俄然無視を決め込んだ。

   説明会が終わり、業者の反省会となる。というか女の子がいる店に行く。そしてあの爺さんがうるさいだとか、学校のオーナーが頭がおかしいなどとクダを捲く。もちろん家主もその場にはいないので、もう柄の悪い事ここに極めりである。みんながみんな、くわえ煙草で姉ちゃんの肩に手を回し酒を飲んでいた。ろくなやつらではない。。うちの設計屋の社長も含め人として狂っていると思った。

   その胸くそ悪い説明会で1つだけ強烈に覚えている事がある。業者さんに必死で抗議するおじいさんに 『どうしても建てて欲しくないのでしたら、役所に行って条例を変えて下さい !! 』と強く言った事だ。確かにそのとおりではある。条例上建てて良いのだから建てるのである。いくらその業者が胡散臭くても、設計屋が腕がなく、また美しい建物を作るつもりがなくても条例上建てて良いので建てるのである。そこには景観上の配慮も、そして近隣住民への配慮も全く無い。

   僕は、そろそろ建物に関してすこぶる厳しい条例を作るべきだと思う。町並みから建物をどうするべきか真剣に考えるべきであると思っている。そうでなければお金のために町をボロボロにするような業者がはびこるモトとなるんだと思う。知らない人は知っといた方が良いと思う。すべての設計屋が美しい建物を作ろうとは思っていないことを。

   先週末に僕の家にでっかいマンションの広告が入っていた。好評分譲中なのだという。僕はこういったマンションの広告を見る度に近隣住民説明会を思い出す。その説明会では爺さんらがとても悲しい顔をしていた。日本はそんな町並みこれからも量産していくだろうし、同じように爺さんらが泣く事になるだろう。それが本当に良い国なんだろうかと、好評分譲中というチラシを見て疑問に思った。

ブログランキング・にほんブログ村へ
押して頂けるとありがたいです。
都会ではよくある話だと思います。


2013年8月4日日曜日

メーカーと工務店とわたし

   昨日の夕暮れ、母親に 『展示会の広告が来ていたから見ときなさいね』 と言われた。僕は設計屋なのだが、展示会の広告などはあまり見ない。それが母親からすれば不思議らしい。僕らがいいね ! と思う家は普通に転がっているような家ではなく、しっかり考えられて建築的に間違っていない家だからだ。安いから良いといった家には僕らは正直言えば興味が持てない。だが地元でその工務店は結構元気がある。なのでせっかくの週末であるので、たまには仕事をせんと見に行こうかと出かけて来た。

   なるほど売れるはずだというのが第一印象であった。細かいところにお客さんを惹きつけるものがある。例えばリビング上部にガラスブロックを数個入れていたり、コーナーには棚があったり、LowーEのガラスが標準装備であったり実に良くできている。だが設計屋としての目線で見ればやはり違うなという場所もあったので、まあ勝てるなと少しだがほっとした。家を作る場合、色々なアプローチがある。いわゆるハウスメーカーに頼むのか、地元の工務店に頼むのか、それとも僕のような設計屋と相談してつくるのか。予算や趣味趣向によって様々である。

   例えばハウスメーカーなどは通常は営業さんと話をする事となる。たいていの場合、営業さんが要望を聞き、その方が図面を書く。ハウスメーカーの場合、大抵は雛形が存在する。例えば家族4人で坪〇○畳で、南側入口で、洋風などと選択すればポンと家が出来上がるソフトなどを持っているところが多い。また自社で一度設計屋などに頼んだパターンなどをとりあえず持ってくる。そしてお客さんとお話しして変更するところは変更する。そんな感じで出来上がる。最初は坪28万円などとは書いているが、それはあくまで目安。犬走りを設けたらいくらですといったオプションで値段はつり上がるのがほとんどだ。営業さんらの給料を考えたら最終的には高くつくと思う。だがよいところと言えば、材料を大量に仕入れているのである程度こだわらなかったら安くつくという事。また新しい技術を取り入れる努力はさすがだと思う。

   工務店の場合は、安心感が売りだ。地元の工務店だから逃げれないのである。大抵はハウスメーカーなどのように雛形はない。その家主さんの希望を聞いて、間取りを社員や大工さんが描く。それを錬りつつ平面図を立ち上げる。木造住宅の場合は実は平面図さえ出来れば、家をつくろうと思えば出来る。難しいつくりにしなければ工務店がリーズナブルな気がする。なぜなら営業さんらに払う給料が必要無いからである。また地元の工務店の場合は、補助金がでやすいのも魅力だろう。大抵の市町村の場合、地元の工務店を使えば銭が出る。それをうまく使わな損であるのは確かだろう。

   設計屋の場合はあくまで図面を書くのが仕事だ。設計屋がつくる家の場合はこだわって作る。こだわらなければ設計屋として存在する意味が無いからだ。もちろん自由設計なのでお客の要望をまず聞いて、あとはその敷地から来る諸条件や、いわゆる建築理論を鑑み設計する。通常デザイン性はハウスメーカーや工務店などと比べて高い。それが売りであるからだ。問題は、工務店やハウスメーカーと比べ値段が高く見えるという事。ハウスメーカーや工務店は諸経費や材料費の中に設計料金は含まれているが、設計屋は別にもらう必要がある。つまり設計料金というものが見積りにもろ書いてある。国が定める設計料は大抵は1割ぐらいである。それを別枠で頂くとなるとどうしても高く見えてしまう。なので敬遠される。だがこんな時はコンペをすれば良い。競争をいれれば大抵は1割ほどは安くなる。また設計屋の強みは設計監理まで入るという事であろう。現場に行き、本当に設計図のとおり家が出来上がっているか見張るのがお仕事である。セカンドオピニオンではないのだが、やはりだれかが品質を確保する必要がある。安心をかくほするためには設計屋をいれた方が良い気がする。

   今日訪れた工務店で、宮崎での業界のお話をいろいろさせて頂きありがたかった。都会ではハウスメーカーは安いから人気があるのだが、宮崎ではハウスメーカーはブランドなので人気があると言われていた。そのとおりだろう。実際ハウスメーカーさんのは宮崎では高い。だがCM打っているので安心。。というわけだ。それでええんかい宮崎は。。と思った。

   通常は嫌がる同業者を快く入れていただいて本当にありがとうと言いたい。

ブログランキング・にほんブログ村へ
良かったら、ご協力下さい。
書く気がちゃいます。

2013年8月3日土曜日

ダメだこりゃな土曜日。。

ボツの1階
   実についていない。。

   今週の始めに頼まれ、家主さんの要望も聞かされずに急きょねって提出した新築のプランがボツになってしまった。先日提出したのだが、結局は家主さんに会わしてもらえず、今日ボツの報告を受けた。家主さんに会わせていただければ僕がなぜこういったカタチにしたのか説明できたんだが、残念だ。まあ、会わせていただけないと聞いた時点で無理だろうなとは思ってはいたが、僕の4日間と作り上げた10のプランはむなしいものとなってしまった。。もちろん1円も貰えない。。今回の敷地は厳しいものがあった。北側道路のみに接している敷地は東に大きなRCの住宅。そして西には2階建てのアパートが建っている。どうしても敷地ぎりぎりに建てねばならず、他者の目がとても気になる場所だ。またどう考えたって日がとれない。なので作り手としては苦労するが、やってやろうじゃないか ! と燃える物件だっただけにむなしい週末となってしまった。。せめて家主さんに説明をさせて頂きたかった。。

ボツの2階
   へこんで家に帰ったらおじさんが来ていた。僕の婆さんは85歳なので息子であるおじさんはよく遊びに来てくれる。毎回来る度に婆さんの大好きなまんじゅうや羊羹を持ってきてくれる。今日は水ようかんだった。僕も水ようかんは大好きなので、大変美味しく頂いた。ふと母親の足下を見たら羊羹が落ちていた。母親に 『もうちょっと礼儀良く食べなよ』 と苦言を言い、拾い上げた。そしてゴミ箱へ持っていったのだが、何かが違う。。水ようかんのはずなのに、ちょっと暖かいのである。。ふととある言葉を思い出した。

色・カタチは違わねども   臭いで気づけよ   うんことあんこ  
(詠み人知らず)

   猫の糞であった。。先々週に僕が水難救助をしてあげた我が家のミィー (別名タチアナ) は子猫の分際で便秘なのである。なので人の気も知らないで母親は 『出てよかったねぇ~』 などと猫を褒めていた。

   三味線にしたろうか !!

   実についていない1日であった。。

違うボツ
これもボツ

ブログランキング・にほんブログ村へ
押して頂くと励みになります。。
はぁ~。。

2013年8月2日金曜日

若冲はロックな感じ ♡

   以前まだ僕が京都で雅びていた頃の事、いわゆる歴女と呼ばれる女性と付き合っていた時期がある。 『週末どっか行くか?』 と聞いたら 『佐和山城 ! 』 と即答するような娘だ。知らない人のために書くとすれば、佐和山城は現在の滋賀県彦根市にあった石田三成のお城だ。石田三成が関ヶ原の戦いで敗れその数日後に落城している。その後に家康により佐和山城はひこにゃんに与えられ、ひこにゃんの息子が彦根城を築城し移った事により廃城となっている。つまり現在はな~んにもない草むす城跡である。なので全力で断った。。確か彼女は20歳ぐらいだったと思うが、どこで手に入れたのかは知らないが伊達政宗の陣羽織を持っているような妙な娘であった。だが、そんな娘に教えて頂いたものの中に伊藤若冲というとんでもない絵師がいる。

   ある日の昼時のこと、 『私を美術館に連れてって』 と言って来た。美術館に行くような体質でなく、給料がほとんどでない設計屋であった僕としては渋ったのだが、彼女はどうしても行きたいのだという。 『天下一品でいいんじゃねぇ?』 と聞いたが 『ラーメンよりも若冲』 だと言う。泣きそうになってたので大人の僕は、渋々連れて行った。だが、京都で開かれていたその若冲展に行ってみたらあらびっくりの大盛況。少しは若冲の事は知っていたが、これほど多くの人が若冲に夢中になっているとは知らなかった。だが本物はやはり違う。僕の方がテンション上がってもうた。。

   若冲はその生涯で多くのすぐれた作品を残しているのだが、明治以降は忘れられた作家であった。だが大正に入り研究が始まり、昭和45年(1970年)に辻惟雄の 『奇想の系譜』 が出版され再評価された。またアメリカ人収集家ジョー・プライスのコレクションにより飛躍的にその知名度と人気を高めている。そのジョー・プライスさんは昨日のNHKクローズアップ現代にも出ていたが、若冲という名前で絵を集めたのではなく、若冲の技量に惚れて絵を集め出したそうだ。その彼がまだ収集を始めた頃などは、若冲はほぼ無名 (現在でもアメリカでは無名に近い) なので 『なぜ若冲を認めないんだ。。』 という思いを多くしてきた言っていた。

   そんなジョー・プライスさんが福島で 『若冲展』 をやっているそうだ。開かれている福島県立美術館のホームページを見た。これが実に良い。キャッチは 『若冲が来てくれました』 である。実にさわやかなキャッチコピーでないか ! 僕が京都で見た 『若冲展』 はプライスさんのではない。実に見てみたいじゃないか。。だが福島はいかにも遠い。。

   以前、BRUTUS であったか伊藤若冲について特集をやっていた。その中に出てくる一般家庭のお風呂に目が釘付けになった。そのお風呂の壁には伊藤若冲の絵がモザイクタイルで作ってあった。実にかっけ~と思った。そのセンスに酔いしれそうなお風呂である。しかし。。どうやってつくるんだろうとも思った。。ちなみにジョー・プライスさん宅のお風呂も若冲である。若冲の絵はお風呂にも合うようである。富士山のようなヤツである。

   しかし、若冲のようなロックな感じを産み出した江戸の美術界ってのもカッコイイ !!

ブログランキング・にほんブログ村へ
押して下さるとありがたいです。
ああ天下一品が食べたい。。

2013年8月1日木曜日

イタリア大使館別荘という景観美の世界


   設計をする立場のものとして、もちろんの事だが有名建築家が作った家などの資料を買いあさり読むことが多い。以前から書いているように、僕は留学先のアメリカから帰国し日本の町並みや景観に絶望し設計という業界に入った。なので建築家と言われる人々が作るような大きな建物自体には格段の思い入れはない。だがさまざまな資料を読みあさるうちにそういった建物にも興味がわいてきたので、自分の設計に生かそうと僕なりには研究をしている。以前、どの本だったかは忘れたのであるが、ふと開いたページにドキっとした。その建物は日光にある中禅寺湖の脇にたたずんでおり、その開口部は中禅寺湖を見れるように湖側に配置してある。まわりには森林が青々として建物の寸前まで迫っており、自然の中に溶け込んでいるのだが光り輝いている。とにかく美しいのである。その建物は旧イタリア大使館別荘という。アントニン・レーモンドという人の作品である。

   平面図を見て頂ければわかるが、とてもシンプルな作りとなっている。以前にも書いたがとあるが、まだ僕が駆け出しの頃、とある建築家に言われた言葉を思い出す。『君ら若手は良い建物を作ろうと悩んで悩んでぎりぎりになって建物を作るだろ?僕は簡単なのを先に作ってそこから錬っていくんだ。だけど僕の方が君らより良い建物を作っていくよ』 当時はホント嫌な奴だと思ったりしたが、最近、なるほどアンタの方が正しいと思えるようになってきた。

   この建物の間取りもそんな考えで作られているのかも知れないと思っている。正直、考えて考えて作られたという配置ではないように思える。だがその外観や内部の意匠はとてもまねできるものではなく、さすがレーモンドさんといった感じだろう。書斎から居間と食堂抜けるような真っ直ぐな配置。そして中禅寺湖を見るためにあるような広縁。そして食堂脇には休憩室という小部屋が用意されている。この建物は大使館別荘であるので、込みいった話をする時に使われていたのかも知れない。単純な中にもお気に入りとなる空間が用意されているのが嬉しい。

   何でも平成9年まで歴代のイタリア大使が使っていたそうである。現在は栃木県が買い取って一般に公開されているそうだ。なんでもこの別館をイタリアが手放した時には、その大きな開口部のため建物は傾き、危険な状態であったようだ。そりゃそうだろう。なんせ完成したのは昭和3年でる。なので基礎から補修を入れ、再利用できそうな床板や建具、家具などは以前から使われているものを使い、内外装などはできるだけ復元させるという大変大がかりで、お金がいっぱいかかる工事を実行。現在の記念公園の一般公開となっている。本当に栃木さんは偉い !

   僕は設計屋としていずれはこのような建物を作りたいと思っている。その風景を崩さず、そして自己主張もしないが輝いて見えるような建物を作りたい。周りの風景を切り取って建物に反映させるこの建物は秀逸であり、レーモンド建築は僕の目標である。

ブログランキング・にほんブログ村へ
押して頂けるとありがたいです。
いつか自転車で行くつもりです。

フォロワー

 
;