2012年9月5日水曜日

完璧鉛筆は良い。

   僕は文房具が好きで、大きな文房具屋さんなどに行くと、じ~と見入ってしまう。しかし宮崎県の片田舎に住んでいるため、なかなか現物を見て買うことができない。なぜなら、大きな文房具屋さんがそれ程無いからだ。あったとしても、もちろんそれ程良い物は売ってはいない。僕は東京に少なからず住んでいた。よって東京の銀座に行った時、文具屋に入ったことが僕にとっては良い思い出となっている。僕は建築デザインというお仕事をしている。なので、文具にはこだわりがある。定規から消しゴム、テンプレートからホッチキスまで大量の文房具が僕の20㎝×30㎝もある大きな筆箱に入っている。その中でも僕は最近鉛筆がお気に入りだ。鉛筆のアナログ感と書き心地や質感がどうしようもなく好きなんだ。

   考えて見ると、僕は鉛筆ではなくペンシルが好きだった。僕が幼い頃は小学校でペンシルを使うと怒られた。字が下手になるというのがその理由だった。今考えると、『迷信じゃね?』なんて思うし、あれほど鉛筆で字を書いてきたはずなのに、僕の字は味があるとはいわれるが、上手いとは言えない。ペンシルをクラスなどで使うと先生に没収されたりした。当時の子供にとってペンシルは宝物。大事にしていた亀仙人のペンシルが没収の憂き目に遭ったときなどは、本当にへこんだもんだ。

   僕が東京で見つけて買い、そして最近無くしてしまった鉛筆がある。パーフェクト・ペンシルという商品だ。これがよく出来ている。鉛筆を筆箱などにそのまましまうとどうしても鉛筆のよごれが筆箱についてしまう。これを防ぐため、このパーフェクト・ペンシルはキャップがついている。またこのキャップの中に鉛筆削りがついていて、先っちょが常にとがっていないとイライラする僕などにはちょうど良い。またこの鉛筆には消しゴムもついている。まあ消しゴムは自分の使うが、いざという時には重宝する。まあどこにでもありそうで無かったもの。作った人は偉い!簡単に作れるじゃん!と思う人もいるかと思うが、これぞコロンブスの卵。簡単なようで最初に作った人はやはり凄い!と思う一品だ。

   しかしだ、宮崎の片田舎。そんな良い鉛筆などは売ってはいない。なぜなら値段が張るからだ。1本で2000円ぐらいはする。しかし、現在は平成の御代。田舎者だってネットがある。早速大人買いしようと、ほくそ笑む。


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2012年9月4日火曜日

ナンバープレート義務化と自己責任。

   ふとニュースを見ていたら、東京都が自転車にナンバープレート装着義務化を検討しているという記事があった。購入したとき預け金制度を導入し、放置自転車を減らす考えだそうだ。都は真剣らしく、有識者会議の提言を受け条例を目指すそうだ。この制度が出来れば、ナンバーから利用者を判明しやすくなり、ひき逃げ事故や放置自転車を減らせることが期待できる。しかしネット上では、役人の席を増やすだけだとか、格好が悪いという意見が多い。

   確かに日本では放置自転車も多いし、自転車によるひき逃げなどの事故も多くなってきた。なのでナンバープレート装着義務化などの意見が出てくることは自然だ。しかし、本来(勝手に思っていることだが。。)自転車は自由な乗り物だ。なので、僕個人としては国の関与は良い気がしない。そのうち田舎の中学生のようにヘルメットの着用義務や、保険の加入義務などがでてくる事もあり得る。また、反射板を必ずつけなければならないとか、黒い服はアカン!とか出てきたら、どこか嫌だ。

   以前から思うのだが、日本は規制を作りすぎる。もちろん作っている方は真剣に安全の事を考えてらっしゃる事はよ~く分かる。しかし、基本的には個人の問題。車のシートベルトを締めていなくて事故して、大けがを負ったらあなたが悪い。バイクのヘルメットをかぶらず運転していて事故して死んだら、あなたが悪い。そんな世の中で別に良いんではないかとも思う。実際にそうやって動いている国は多い。日本は自己責任という物が怖いんだろうか。。

   もちろん放置自転車はいけないと思うし、ひき逃げなどもっての他だ。しかし、日本の町は自転車向けには作られていない。なので色々な問題が起きてきてる事も忘れてはイカンと思う。


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2012年9月3日月曜日

山林が泣いている。

   寝坊してしまった。。いつも僕は家を6時40分に出発しているのだが、気がつきゃ~6時38分。携帯電話の目覚ましのセッティングを間違えていたのが原因だ。どえらいこっちゃ!とバタバタして6時50分に家を出た。まあ僕の感覚では6時50分に家を出ても始業時間である7時30分には余裕でつく。しかしだ予想外な事があった。僕は車で会社には通っているのだが、どういう訳だか全然前には進まない。どないしとるんじゃ~!とよ~く前を見たら材木屋さんの大型トラックが坂道を14㎞ぐらいで登っていた。。ヘイ!ここは制限速度40だよ、親父さん!と言いたくもなるが、そのトラックの後ろには10台以上の車も並んでいるので、無論僕の嘆きなど届きはしない。僕の会社へ行く道は急な坂道が多く、トラック乗りには大変なコースとなる。よって多くのトラックはわざと他の道を走ったりするのだが、ず~と会社の前までそのトラックが前にいて非常に焦った。だがえらいもんで会社にはぴったり30分に到着。会社にはすでに誰もいなかったので遅刻扱いになっていないか心配だが、あくまでぴったり7時30分だったのをここに書いておく!

   昨日のニュースで見たのだが、日本の山林を管理する山師さん方には後継者問題があるそうだ。なぜなら日本材木は海外の安い輸入材木に押されて売れない。そして値段も叩かれる。よって収入が割に合わず家業を継がないそうだ。継がないと言うより継げないのだろう。残念な事だ。僕のように工務店に勤める設計士は日々、外材と戦っている。どうしてもハウスメーカーが扱う外材の値段には勝てない。一坪辺り3万ぐらい違ってくるからだ。また近年の円高の影響でハウスメーカーは大量に外材を仕入れて保管している。よって彼らが作る家は普段よりも安く作れるので、僕が勤める工務店のような純日本製品ばかり扱うところは競争にどうしても弱くなる。

   問題は別の所にも起きてきている。山林の興廃だ。日本の山々には材木として使いやすいスギやヒノキを植えている山々が目立つ。こういった山々に人が入らなくなったらどうなるか?大雨の時などに、深層崩壊という恐ろしい土砂崩れなどを起こしやすくなる。なぜなら木々は適切に間引きや手入れをしなければ大きくならない。大きくならないという事は根が張らない。よって土砂崩れを起こしやすい。困ったもんだ。

   僕は思うのだが、もう少し外材に規制をかけても良いと思う。安い家ばかりを求めるおかげで死人を出すのは幸福な社会とは言えない。


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2012年9月2日日曜日

『またも負けたか八連隊』

   ふと考えてみると、8月はお盆休み意外は一切取っていない。って事で、久しぶりの日曜日だった。今のうちにホームインスペクション(住宅診断の事です)の準備をしたり自転車に乗りたいと思っていたのだが、体がどうも動かずぼ~としてしまった。昨日は10時過ぎに寝たのにかかわらず、今日は朝10時に目が覚めてしまい、これじゃせっかくの日曜日がもったいない!って事で久しぶりに本でも読もうかと本屋さんに立ち寄り、司馬遼太郎さんの本を久しぶりに買った。本のタイトルは『手掘り日本史』以前にも読んでいるはずなのだが、僕は司馬遼太郎の文章を読むとほっとするのでまた買ってしまった。その中に大阪人の歴史的気質というものが書かれていた。

   『またも負けたか八連隊』という言葉ある。妙なもんで、幕末から昭和の戦争の戦闘惨烈の極所(軍事用語でとても重要な戦闘という意味)と言われる場面に大阪の兵隊さんが狩り出されているんだが、これがよく負けている。まずは鳥羽伏見の戦い。これは薩摩と長州が主力の官軍と幕府軍の戦いだが、幕府側は大阪で農民などを徴集している。つまり大阪兵が負けて幕府軍の負けとなった。その当時から弱いのは評判だったらしく、当時の外国人が大阪兵は弱腰で。。見たいな文章を本国に送っているそうだ。また明治7年の佐賀の乱、そして明治10年の西南の役での政府軍の主力は大阪の兵隊なのだが、この時も元侍の抜刀隊に散々にやられている。その後の日清日露の戦争でもなぜか極所で選ばれ、結構な痛手をおっている。まあ実際はがんばったようだが、今でもそのイメージはぬぐえてはいない。良い兵隊というものは、守れといわれたらどんなに意味のない場所でも命がけで守る。封建的な影響が大きい地域に育った兵隊は、極端に言えば命令を守らなかったら村八分や家の恥などと考える人が多いが、大阪の兵隊さんはさっさと軍をまとめて撤退した事があったという。

   なぜそのような一面が大阪にはあるのか?大阪は伝統として封建社会を軽くしか受けていないからだ。お上の怖さを知らないしどこか権力をなめているところがあると司馬遼太郎氏は書いている。氏曰く、『大阪には天井がないが壁が有り、東京には逆に壁がないが天井がある』どことなく東京は厳格なルールに則り動くせいか、どことなく人々はうなだれているが大阪は違う。権力というウェイトが他の地域の人間とは違うようだ。

   江戸の昔、大阪には武士階級は東京などと比べとても少なかった。一応奉行所があるが基本的には商人の自治に任されていた。北組・南組・天満組と3つの、現在で言えば区があり、そこで年寄が選出されて町が動いていた。当時他の場所にも天領はあったが、大阪ほど封建的でない場所は日本にはほとんどないと言って良い。似ていると言ったら長崎ぐらいだろうか。

   そんなことが書いてあるこの本を読んでいる。そして閉塞感がただようこの平成の日本を変えてくれるのは大阪の人かとふと思った。そういえば宇宙に衛星を飛ばした東大阪の工場のおっちゃんたち。あの元気は天井を知っている人たちには出来なかったのかも知れない。まあ戦争になれば弱いかもしれんが。。


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2012年9月1日土曜日

新撰組は月に泣く~♪

   日本という国は音楽であふれている。こんなに街中を歩いていて音楽が流れてくる国もそんなに無い。僕が住む宮崎では夕方5時ぐらいになれば、とても寂しい曲が流れる町が多い。僕はそんなに暗い曲を夕暮れに流したら、鬱病の人が自殺するんじゃないかとさえ思う。疲れている時に聞くと、ど~も涙を流しそうになる。年だからだろうか。。できる事なら辞めて欲しいと僕は思う。税金のムダだと思うし、僕の精神上も良くない。やるなら寺の鐘ぐらいがちょうど良い。あれなら柿ぐらいは食いたくなる。音楽という物は好き嫌いは人それぞれだろうが、強制的に聞かせられる街中の曲はど~も好きになれない。

   以前こんな事があった。京都でのことだ。それは花見のシーズン。仲間とお花見でもしようかと円山公園とう花見のスポットに行った時の事だ。もちろん花は美しく、多くの人々が花を愛でている。本当に日本人で良かったと思える瞬間だ。しかし、そこに一人の外国人がギターをもって曲を弾いていた。曲は何故かイマジンばかり。。どう考えたって花見にはアワン!って事で僕の知り合いの大工のおっさんがが声を荒げた。『ゴーホーム・ヤンキー!!』そしたらその外国人が、『僕はスイス人です!』と返してた。まあ外国人を見るとすぐアメリカ人だと思ったおっさんもどうかと思うが。。それにしてもスイス。日本とはろくに戦争もしていないのに日本が戦争に負けると賠償金をぶんどって行った国だけある。ろくなやっちゃない。。

   また、まだ京都に住んでいた頃、僕は京都の観光企画課に勤めていた。仕事の関係で新撰組の屯所として使われていた場所に行った時の事だ。もちろん場所の雰囲気は良い。新撰組の呼吸さえ聞こえてきそうで歴史好きの僕にはとても素晴らしいところだった。んだが。。誰かが、尊敬する沢穂希選手似の近藤勇像に100円を入れたらしく、三橋三智也氏の『ああ新撰組』が流れてきた。『新撰組は~月に~泣~く♪』僕の中では雰囲気が一気に壊れた。決して僕は悪い曲だとは思わない。勇ましくて良いじゃないかとさえ思う。だが、ここで聞くほどの曲ではない。良い迷惑だった。もちろん悪意はないだろうし、むしろよかれと思っているのだろうが、現実に超ふり戻された気がした僕は、さっさと屯所を後にした。

   そろそろ街中の音楽についても景観同様、日本は見直した方がよい。日本人の精神状態に何らか影響を与えているは確かだ。それも良い方向にではなさそうだ。

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