2012年7月13日金曜日

水着は水着、山は山!

   現在宮崎県は西都市にある工務店で、主にパソコン関連の仕事をしている。本当は本職であるホームインスペクションの仕事をしたいのだが、だがお仕事が忙しく出来ていない。う~ん何とかならんもんんか。。そんな事を考えながら事務所を出た。車で帰っていると、隣町の木城町の山並を見えてくる。これが疲れた僕の脳みそにちょうど良い。僕は昔から山好きだ。山には色々な形があり、僕は飽きない。険しい山や、街を覆ってしまうような山。これは僕が山の近くで育ったからかも知れないが、『ふるさと』という童謡を聴くと、故郷の山を思い浮かべてしまう。しかしちょっと残念なのが、宮崎の山は杉や檜だらけという事。そこさえなければ、宮崎の山は本当に雄大で美しいと思うんだが。。しかし、盆地に住む人にはちょっと違う目線があるようだ。昔、宮崎県は都城に住んでいた。都城と言えば宮崎市から車で一時間ぐらいの盆地にある。仕事の先輩が、『俺は海が好きだ!山なんて何にもないじゃん、山しかねぇし。。』 見たいな事を言われてた。そうかな。。と思いながら、『都城市は盆地なので、都城の人はそう思うんですかね?』 と聞いたら、『山には水着を着ているやついるか?』 と言われ、納得し、この人について行こう!と思った。。がしかし、水着は水着、山は山だ!男には譲れない一線という物があるんだ。

   杉や檜の針葉樹林はどこまで行っても刺々しく、そして同じ色に僕には見える。商売なんだからしょうが無いとは思うが、やはりちと寂しい。そんな事を考え出したのは僕が京都に住んでいる頃だ。京都の四条通りからは八坂神社の裏山(名前は知らん。。)が見える。その山が昔から人の手が入っていない、広葉樹林で、それはそれは美しい作りとなっている。僕は京都の四条通は京都らしくないので、あまり好きでは無かったのだが、その山をぼんやり見つめるのが僕の密かな楽しみだった。

   また損害保険の鑑定人として仙台へ東京から移動中の事。東北の山々を見つめて新幹線で移動したのだが、この山並みも美しい。東北は昔からの空き地、みたいなのがあるらしく、家々が点々としていて美しい。その隣や裏には綺麗な里山が残っているのだが、この山並みがまた抜群の配置で僕にはたまらない。山も杉や檜のみで構成されているのではないので、どことなく山が生きて見える。

   東北や京都の山が広葉樹林で覆われ、宮崎の山は針葉樹林で覆われている。前者が生きた山に見え、後者が死んだ山に見える。そんな気がするのは僕だけなんだろうか。。

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2012年7月12日木曜日

ご報告


   練馬を去って早くも2週間がたった。と言ってもずいぶん昔に帰って来た気がする。帰って来ていろんな仕事をしているので、どうしてもまだ2週間!?といった感じというのが本音です。

   練馬の方々には大変お世話になりました。このブログは『にほんブログ村』に所属していますが、明日から新しいカテゴリーに移ろうと考えております。

   本業であるホームインスペクションを説明、そして広めるために建物診断のカテゴリーに入ろうと思いましたが、あまりにも見る人が少ないせいか、すぐにトップになってしまうのが若輩者の僕には申し訳ないので、『ライフスタイル』の『心地よい暮らし』と『宮崎市情報』と『宮崎市以外の街情報』へ移行する事となりました。もし見つからない場合は、直接『絶対景観ブログ』まで入って頂けたら、毎日ひぃ~ひぃ~言いながら書いている僕には、これほど嬉しい事はございません。

   今後ともよろしくお願い致します。

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2012年7月11日水曜日

宮崎市景観賞

   ふとネットサーフィンをしていると、宮崎市景観賞というものを見付けた。むむっ!と思い、ガン見してみた。キャッチコピーは『きっとみつかる すてきな宮崎』 なんだそうだ。景観賞の目的は『宮崎市の豊かな自然と調和し、美しく魅力あふれる優れたデザインの建築物や工作物、景観に関わる街づくり活動を表彰することにより、市民の景観作りへの意欲や関心のさらなる高揚をはかり、美しい自然と情景につつまれた景観都市へ推進していくこと』 みたいな事が書いてある。う~んなるほど、僕のためにあるような賞じゃないか!と思い、ずずいっと下の方へスクロールして見ていたら、宮崎市は過去に『宮崎市都市景観賞』なるものをやっていたようで、過去の受賞作品がPDFで入っていたのでそれを見た。こちらは都市景観賞だが、少しは参考になるかもと思い開いて見たが、これがだいぶ微妙~だった。。そこには、ほんの少しの景観と、おもいっきりデザイン屋のエゴが入っている。。う~んなんか違うような気がする。。

   建築家と呼ばれる人々がいる。これは国の資格ではなく、基本的にはある程度有名な賞の受賞や、新建築などの建築雑誌に掲載されて初めて建築家と自称できると一般的には言われている。なので世の中には自称建築家や自称匠がた~くさんいる。設計のお仕事で一般にアトリエ系と呼ばれるお仕事は、それぞれの建築理論や空間理論を信じ突き進むお仕事だ。しかし、世の中それほどデザインは求められることが少ない日本では、本当の意味での建築家などは非常に少ないし、なる事は難しい。よって建築家もどきの設計屋がはびこってくる。

   建築といえどもその考え方にブームのようなものがある。RC(コンクリート建築)にはじまるモダニズムに始まり、そのアンチテーゼとしてのポストモダンなど色々と世間を騒がせてきた。ある建築家は現在ではその歴史と伝統と景観を尊重する建物を作ったみたいな事を言っているが、若い頃は京都は西陣の町家をぶっ壊し、タイル張りのコンクリート建築をどっど~んと建て注目された。しかもこれみよがしに建築理論の本を書き、それなりの説得力で賞を取ったりしているから、不思議だ。。まあその程度の人だと思うしか無いが。。まあその恥じらいのなさや、意欲はすげ~なぁと思ったりするが。。

   宮崎市景観賞は今回が初めてなんだそうだ。どんな賞になるかは受賞者の面々やその作品を見てみなければ分からない。しかし上方〇○大賞のように、明らかにキャリアがあるからあげるねって賞にだけはなって欲しくはない。この賞ができる事により、宮崎市民が美しい景観とは何かを考えるきっかけになってくれれば良い。


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2012年7月10日火曜日

ブラック企業大賞2012

  ふとネットでニュースを見ていると、面白い記事を見付けた。『ブラック企業大賞2012』というものだ。ネットをやっている人なら知っていると思うが、ブラック企業とは労働環境が悪い会社の事。パワハラ、セクハラ、残業代未払い、長時間労働、派遣差別、偽装請負などなど、日本企業のあいも変わらない労働環境の悪さから出来たネットスラング?だ。何が驚いたかといえば、記者会見が開かれた場所が厚生労働省記者クラブだからだ。厚生労働省としてこのブラックユーモアたっぷりの賞をバックアップするのか、またまた労働環境が世界でも相当悪いのにかかわらず、取り締まらない事へ対する厚生労働省への嫌みかはよ~分からんが、ついに行動する運動家もここまで来たか~、と感心してしまった。

  日本に帰って来て仕事に就いたときに思ったのが、日本の労働環境の厳しさだ。先輩はやり方を教えず、教育するプログラムは皆無。電話の取り方から企業によって違うのに教えない。また仕事が休みの日も先輩から呼び出しをくらい仕事。特に設計の世界なんて、給料は一円ももらえないのに朝8時出勤の夜3時なんてざら。夜3時から新聞配達のバイトがあるから帰れるだけで、寝る時間もほとんどもらえなかった。しかし朝5分ぐらい遅刻しても、人格から否定される。もちろん社長は夕方6時には帰るのだが。。

  僕がいたアメリカの企業の場合のそれはまったく違っていた。上司は下の人間が認めなければ上司にはなれない。しかし、上司になっても決して威張ることがない、というかできないシステムだった。なぜなら上から目線で進めても部下は言うことを聞かない。それがアメリカ人だからだ。また決して頭が良いから上に昇進できるわけでは無い。実際に参謀役の方が給料が良かったりする。もちろん部下が成績がよく、上司よりも多くの給料を貰ったりもしているので、あくまで上司とは下のまとめ役。上と交渉するのがどちらかと言えばその仕事の3割ぐらいはあった気がする。なのでパワハラやセクハラ、長時間労働などの契約違反などしたら結局自分が首になる。もし社長が社員に対しそんな行動をとろうもんなら、裁判は始まるし、評判を落とし会社の商品は売れなくなる。また株主総会でやり玉にあがり、首にもなったりする。

  日本は少子高齢化の時代に入って久しい。その原因の大きな部分が労働環境の悪化に起因するとも言われる。サビ残業などしていて結婚できない人って結構皆さんの周りにもいないだろうか?なので『ブラック起業大賞』さんにはちょっとがんばって貰いたい。できれば全国規模では無く、ブラック企業〇○県代表などを集めて、甲子園風にするのも!!ってやりすぎか。。しかし、ブラック企業だからって日本の場合はテレビは叩かないし、株価は下がらない。その辺が世界とは大きく違う。

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2012年7月9日月曜日

再建されたお城たち(エレベータ付き)

再建された大阪城天守。
  昨日、工務店さんのホームページの作成でふと迷いが出たので、気分転換に昼寝でもしようと車でうろうろしていた。そしたらふと城でも行くかと急に思いたち、車を飛ばした。僕の地元の宮崎県木城町には新納院高城(にいろのいんたかじょう)という名城がある。名城と言っても江戸時代初期に、いわゆる一国一城令によって壊されているので、その城郭の遺構だけが残っているのだが、戦国時代の城の遺構は実戦的で面白い。この城の場合、木城町の調査では切堀(きりぼり)が7段構えであったらしい。しかし現在、僕が目視で確認できたのは3つだが、これがなかなか攻めにくい城だったのがよ~分かる。取り壊しをしたのは、まだ徳川家康が生きていた時代。よって戦国の気風が残っていたわけだで、切堀は残っている事から考えると、いずれ戦闘状態などになった場合には、すぐに使えるように考えていたのかも知れない。う~ん、なかなかやりよる。

  日本には過去に25,000以上のお城があったことが確認されているそうだ。もちろんその中には江戸城や大阪城などの大きな城も含まれるが、これが城か!?って程度の大きさの城もある。これは時代によっても異なるのだが、城の役割は防御施設だけでなく、今で言う市役所的な役割があった事に起因する。なので、天守の無いお城や、石垣の無いお城がある。もちろんそちらの方が圧倒的に多い。天守や石垣があるのは戦国時代から。織田信長を待たねばならない。

天守もどきから見る木城町。
  現在のお城の事を言えば、江戸時代以前から当時のままで残っているお城は少ない。そのほとんどは昭和の時代に再建されたものが圧倒的に多い。どうやらお城にはブームがあるらしい。最初の城再建ブームは昭和初期。そして最後はバブルという金余りの時代だ。最初のブームの時には城再建の第一人者と呼ばれる人がいて、日本中の名城を再建していったと聞く。なので鳥羽伏見の戦いの混乱で焼けた大阪城や、西南の役で焼けた熊本城は当時の再建だ。当時の最先端技術を使い鉄筋鉄骨コンクリート造りとなっているのが多い。そして、その後の改修などでエレベータが付いていたりするものもある。大阪城にいたっては、15年前ぐらい前の改修で、阪神淡路大震災などの地震でも壊れないように補強されているそうだ。あの世で秀吉もびっくりだろう。最後のお城ブームだったバブル時代のは完全に金余りの結果できあがった。よって本当はそんなところにお城など無かったんじゃ。。と言うお城だってあり、今ではかえって迷惑がられている。

  お城は一国一城令や明治の廃城令などでその多くを失った。一国一城令は徳川幕府へ反抗の意思をつむため。明治の廃城令は、もういらないから又は土地の有効活用がその本意らしい。しかし廃城も再建もちと手荒い事をしたもんだ。もちろん当時の人々も色々考えや思いもあっただろうが。残しておけば、色々な使い道だってあっただろうに。もちろん残ることによる弊害もあっただろうが。。

  新納院高城の天守もどきの最上階のベンチに座り、うとうとしながらそんな事を考えた。そしたら、夕方になり急にどでかい音でサイレンが。。夕方5時にはサイレンが高城から鳴るのを忘れていたのだ。。おかげでまだホームページは触れていない。。

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