2012年10月6日土曜日

日本の家庭と労働の両立について。

   僕は宮崎県のとある工務店でお仕事をしている。仕事がら宮崎県のホームページを見ながら、何か新しい事をやってはいないかと、検索したりする。ふと宮崎県のホームページを見たら、『仕事と家庭の両立宣言』ってのを見つけた。なんじゃいなと、じ~と見てみた。要は仕事と家庭の両立をする環境を、会社が作る事を宮崎県がサポートするそうだ。それじゃ宣言する事による県のサポートはなんなんだと見てみたら、中小企業労働施策アドバイザーの優先的な派遣や、県広報誌等で紹介するほか、県立図書館で宣言書の展示を行いますとあった。実際に宣言をしている会社を見てみたら、『社員の授業参観を推奨しています!』とか、『金曜日はノー残業デー』などがあった。ほ~、宮崎県も色々考えているなぁ~と思った反面、当然すぎるとも、効果は薄いだろうな。。とも思った。

   多くの人が賛同するとは思うのだが、残業は良くはない。まだ残業して残業代が出る会社は良いが、全く出ない会社が多い。これはすこぶる日本的な働き方だ。僕がいる設計の世界がその典型だ。残業代どころか、給料もでない(本当に1円も出ない。。)そしてもちろん保険もない。風邪などをひいても病院も行けず、アメリカ人のようにオレンジジュースを飲み、そして仕事中に図面を書きながらうとうとと寝る。仕事を辞めたら独立できないから、みんな体をこわしながら仕事をしている。もちろん家庭など持てるわけないし、持っても嫁子供は食べさせる事は不可能だ。建築設計で独立すると言う事は、そういう事を強制される事と言っても過言ではない。制度としてそうなんだから、しょうがない。

   僕がいたアメリカの場合、残業ばかりする人間はワーカホリックという病気だと考えられていた。なのでほとんど残業はしない。仮に会社が命令して残業などをしたら離婚の原因にもなるし、子供がいたら親権をとられる事となる。裁判が多い国なので、仮に親権を取られたりすれば、自分の会社だって訴えるし、多分会社は負ける。もちろんアメリカとて残業もないわけではない。だが残業を命じる人間もいなければそんな空気もない。基本的には成果主義だからだ。僕がいた会社など、朝の7時に出勤し10時までお仕事。そしてブランチタイムが2時間あり、12時から15時までが午後のお仕事。そして退社となる。おかげで役所は行けるし、ゆっくり遊びだって出来る。もちろん、若者が結婚しないなどという問題だってない。僕の認識ではアメリカ人は良いと思った事はすぐに生かす習性がある。周りの顔色ばかり気にする日本人とは基本的に瞬発力が違うと思う。家庭との両立宣言は少なくともアメリカ人からみたらジョークの範疇(はんちゅう)だ。

   前々から思うんだが、ハローワークなどで労働時間の厳守をというポスターをよく見る。あのポスターを作るお金があるのなら、抜き打ちの立ち入り検査をすれば良いと思う。もちろん違反しているブラックな企業の経営者さんらには追加の税金ぐらい請求しても良い。でないと世の中変わらない。もちろん労働局の人々だってそれぐらいは気づいている。だが、動こうとしない。そしてあのポスターはいつもむなしく貼ってあるのを見ながら、いつもそんな事を考えている。

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2012年10月5日金曜日

正々堂々の田舎町で、住み家さがし。

  引っ越しを模索中だ。僕が勤める宮崎県は西都市にある某建設まで通うのに、毎日54㎞を車で往復しているからだ。月に2万5千円のガソリン代はもったいない。なのでできる事なら自転車で通える20キロ圏内に引っ越したい。だが困った事に、ここは南国宮崎のど田舎。家がない。。もちろんあるにはある。ただそれはファミリー用の2LDKなどが主流なので、独身貴族を優雅に過ごしている僕には不必要だ。なんとかならんかとず~と賃貸情報を見ているのだが、どうも住みたくないようなおんぼろしかなくてこまる。できる事なら、補助金がたくさん出る木城町に引っ越したいのだが、この町は本当に住む場所がない。賃貸情報にはほぼ皆無。なのでみんな住宅の紹介を役所に行ってしてもらうんだが、これまたない。。う~ん。。

  木城町という町は人口は約8000人の町。宮崎県の中部に位置し、低い建物ばかりの僕好みの町だ。歴史は古く、鎌倉末期には城があったらしい。また市街から山の奧へ行けば、武者小路実篤がつくった『新しき村』や、『絵本の里』という博物館だってある。景観美にあふれた素晴らしい町だ。またこの町に引っ越せば補助金がたくさん出る。子ども手当に引っ越し祝い金。僕の町にはない、あこがれの光ファイバーだって付いている。

  ある僕の木城町の知り合いに言われた。『いつか、建築の世界で成功したら木城町にマンションを建ててね』 確かに木城町には住むとこは少ない。だが、マンションには賛同できない。町の美しさと利便性を同時に良くする事を考えるのが設計屋であって、利便性だけを追求して建物高さの統一感を壊すのはいけないと思うからだ。

  ちなみに木城町は『環境美化宣言の町』をうたっている。町のあちこちに、その看板がある。これからも正々堂々、田舎であってほしい町の一つだ。

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2012年10月4日木曜日

秋晴れの馬鹿野郎!

   僕の会社は朝が早い。朝6時45分に出ないと出社時間である、7時半には間に合わないのでいつもドタバタする。だが天気予報は僕にとってとても重要なので見ている。天気予報のお姉さんが美人だから、もとい!、仕事の有無に関係するからだ。今日の朝の天気予報では、一部台風の影響で天気がぐづつく地方もあるが、おおむね秋晴れのすがすがしい一日となるだろうと言っていた。だがここは南国宮崎。めちゃめちゃ熱いじゃないか。。汗だくだくでたまらん。。

   僕はニュース番組が異常なくらい好きだ。これは僕が幼いころ、我が家で見せてくれた番組が『野球放送』か『NHKニュース』、または、ひいばあさんが好きだと言う理由で『風雲たけし城』のみしか見れなかった。野球もたけし城も全く興味のない僕はニュースが好きになってしまった。よって未だにニュースは大好き。大学では政治学に進み、マスコミにもいた。だが未だ理解できんものがある。天気予報。ぼくは小学生の時の理科の先生が大嫌いだった。よって理科が好きになれず、勉強が大嫌いになってしまった。なのでいまだに天気予報だけは意味がわからない。低気圧に高気圧、いったいこれが何なのかすらわからないし、だからなんなんだ。。って未だに頭が混乱する。

   だが、僕自身は天気予報士に妙な憧れがある。できることなら資格も取りたい。もちろんこの年になって天気予報士になれるわけもないし、なるつもりもない。なぜ資格がほしいかと言えば、あの天気図をみて自分で判断できるってエエやん!思うからだ。以前、石原義純さんが言っていた。天気予報にはロマンがある!なんとなくだが、その意味がわかる。。

   背中にあたる西日のせいで、汗疹(あせも)になってまいそうな一日だ。。誰だすがすがしい一日って決めたのは。。


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2012年10月3日水曜日

郵便ポストは嫌いじゃない。

   ふと昼飯時にコンビニに行った帰り、郵便局の兄ちゃんがバイクに乗って配達をしていた。実をいうと僕は高校の頃、郵便局で働きたかった。郵便バイクに乗って一日中バイクに乗りお仕事。これに憧れていた。僕は高校の頃、遠距離のため原付バイク通学が認められており、あの赤いバイクが妙に好きだったからだ。きっと一日中バイクにまたがり、ばあさん方と、『今日はいい天気ですね~』などと言いながら茶をすする。そんなお仕事と思っていた。今考えれば、どう考えたってアホの子だ。実際はそんなことはなく、これはこれで大変な仕事なんだろう。

   しかし、郵便局のポストの色はなぜ赤なのか。僕は建築士の試験のため色について勉強したことがあるのだが、赤は危険色と呼ばれる。ちゃんとJIS規格でも赤といえば、防火・禁止・停止・高度の危険となっている。また景観としても赤を容認する人は少ない。実際に寿司屋の看板が赤にしたら客が減ったという記事も読んだことだってある。なのになぜ赤なんだ。。

   調べてみたら、郵便局のポストの色が赤いのには理由があった。これはイギリスのポストの色を踏襲(とうしゅう)したかららしい。だから赤。意外と単純な理由だった。。もっと調べてみたら、国によってポストの色は違う。アメリカは青、中国は深緑、ドイツにいたっては黄色だ。お国によって色が違うってのも面白い。

   しかし、ここで懺悔しとかないかんことがある。僕はアメリカに住んでいた頃、僕の家の近くにはマクドナルドがあった。そのマクドナルドの脇には青い郵便ポスト。僕はず~とごみ箱だと思っていた。良いこの僕は、ちゃ~んとごみをポストに捨て、トレイをポストの上において店を出ていた。アメリカの郵便ポストは引き出しを一度ひかねばならない。まるでTUTAYAのあの青いビデオ返却ボックスのような感じだ。そりゃ間違うよ。。

   でも、ごめんね、アメリカさん。。

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2012年10月1日月曜日

月に惚れた日本建築。

   秋である。秋のど真ん中である。僕らが中学生の頃は、枕の草紙と平家物語の始めは必ず暗記をせねばならんかった。なので、ひぃひぃ言いながら暗記したものだ。おかげで一時期、清少納言より紫式部派になってしまうところだったが、大人になり清少納言の言葉がしみてくる。

   秋は夕暮れ。
   夕日のさして山の端いと近うなりたるに、烏の、寝どこへ行くとて、
   三つ四つ、二つ三つなど飛び急ぐさへあはれなり。
   まいて、雁などつらねたるが、いち小さく見ゆるは、いとをかし。
   日入り果てて、風の音、虫の音など、はた言うべきにあらず。

   実に素晴らしい。よく風流と言うが、実際日本人がどれほど風流を現代に残しているのかは知らないが、やはりこの清少納言の言葉はしみる。僕は風の音、虫の音など、はた言うべきにもあらず、これが良い。

   昔から日本人は月に親しんできた。明かりの少なかった時代には月の明かりはさぞかしありがたいモノだったろう。その証拠に現存する建物には、明らかに月を見る事をコンセプトに作られた建物が実は多い。それは桂離宮だったり、伏見城や銀閣寺が有名だ。その多くは、庇を小さめに取り、そして高台に作られるか、もしくは、広い庭園に作られてきた。特に銀閣寺を作った足利義政の執念は狂気に近い。

   現在の銀閣寺は黒漆塗りの渋い建物だが、創建当時はどうやら違うらしい。どうやら白い建物だったようだ。壁がガラス質の白土が塗られていた。またその土には料理でも使うミョウバンが混ぜられていた。これを土に混ぜていたの上に塗ると、光に反射して光るそうだ。なので、池に映った月の明かりが反射し、建物自体も反射するので夜は建物自体が明るかっただろうと言われている。

   ではそのキラキラ銀閣寺でどのように月を愛でるかと言えば、これまた凄い。まず1階で月が山から昇って来るのを楽しむ。やがて月が高い位置になると、庇が邪魔で見えない。よって2階に上がり、池に映った月を愛でるのだそうだ。池の中程には丸い月の形をした岩があり、池に映った月の光はその岩の月と重なるんだそうだ。不必要に芸がに細かい!政治的には無能と言われた足利義政だが、風流を極めた人だと言える。

   また桂離宮も凄い。京都市にある日本最高峰の建築物である桂離宮のある建物は、南東29度の方向を向いている。これは、この建物が建てられた1615年の中秋の名月の出た方向と完全に一致しているそうだ。さすがである。予約を取っても半年後にしか入れんだけはある!

   僕の仕事は建築デザイン屋。宮崎の田舎で必死に設計している。いつかは本物の日本建築を極めた建物を作ってみたい。日本建築とは僕が思うに、こういった月を愛でるような考えを持ちながら作るべきものだと思う。決して、畳があれば日本建築と言い張れるものでは無い。少なくとも、それでは色気はない。


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