はんなりした京都駅 |
でんは現在の羅生門である京都駅。あんまりでは無いだろうか。。でかすぎるのである。。別に大きな大きな駅が京都に必要だとは思わない。それにこの駅のおかげで道路が南北で寸断され、京都市民にも評判が悪い。京都に初めて住みだした2002年。僕は京都駅南に降り立った。さあこれから京都ライフだ!なんて思っていたのだが、あまりの汚さと京都駅の大きさに、これからの未来に黒い雲がおりた気がしたものだ。また京都駅の北側の看板の多さは、いかがなものだろうか。観光客が一番最初に見る物が宣伝用の看板になっているのである。その看板の後ろには赤と白の京都タワー。僕のがまだ幼い頃。テレビでウルトラマンが流れていた。ウルトラマンが怪獣と戦うのだが、多くの場合赤と白のしましま模様の塔やコンビナートの周りで戦っていた。なのであの塔を見るとウルトラマンを思い出す。けして京都らしくはないと思うのだ。
風情漂う京都タワー |
以前京都市観光企画課に勤務していたとき、京都の通りに多くのハングルがあった。これは日韓ワールドカップで、韓国から多くの人々が来る事を想定し、京都市の思いやりでできあがったのだが、『そろそろ辞めません?』って僕は上司にとうとうと言った事がある。あった方が良いという意見も合ったのだが、若手を中心として賛同してくれて、『無しって方向で。。』って事になった。京都は日本の古都。ハングルが氾濫していたら、その文字自体が自己主張し風情が一気に日本で無くなる気がしたのだ。僕のような思いやりの無い日本人も、少しは世の中のためになったのだ(と思う。。)共産党の方に怒られるかもしれんが。。立上がる気がさらさら無い世界の労働者の一人である僕には、そう思えてなりません。
京都はもう少し観光を考えた方が良い気がする。タワーや駅だけではない。嵐山に美空ひばりの記念館やジャーニーズショップなどいらない気がするのだ。本当にこれで良いのだろうか?
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