蔀戸って涼しくみえる。。 |
新年、明けましておめでとうございます。ブログを始めてまだ5日目。まだまだ慣れない作業に戸惑う毎日ですが、何とか続けていけたらと思います。頼りない文章ですが、許して頂けたらと思います。
今日は元旦。宮崎の空は曇りで残念だが初日の出は拝めなかった。しかし、寝正月にするにはもったいないので、知り合いの勝〇君を誘って三社参りに出かけた。出かけた神社は白髭(しらひげ)神社、比木(ひき)神社、そひて平田(へだ)神社。結構な人出で賑わっていた。
僕が住む、宮崎県の児湯(こゆ)郡は、戦国末期に大友氏の侵攻を受け大きな痛手を覆った。いわゆる耳川の戦いだ。日向の国を納めていた伊東氏が島津氏に追われ、親戚筋の大友氏を頼った事からこの戦いは始まった。大友側の当主である大友宗麟は、キリスト教に帰依しており、日向の国をキリスト教徒の理想郷としようと考え、その侵攻時に寺社仏閣を破壊した。おかげで宮崎県の北部の戦国以前の歴史はよく分らない。今日行った平田神社も災難に見舞われた。いい迷惑だ。
僕には神社に行くときの楽しみがいくつかある。一つは伝統の衣装を着た神官さんと巫女さん。烏帽子などをつけていると、昔の人を見るようで楽しい。そして二つ目は、日本的な垂れ幕や色使い。昔では当たり前の意匠が、現代の目で見てもよく出来ていると思う。そして三番目は蔀戸(しとみど)だ。
僕が建築を勉強していたとき、なぜか蔀戸にび~んときた。これは平安時代ぐらいから確立された日本の伝統的な建具で、現代のそれとは違い開放的だ。外の空気を取り入れ、且つ心地よい陰を夏には提供する。構造的には現代のサッシの引き戸と比べて簡単なんだが(たぶん。。)コストの問題で普及してない。現代の家にも取り入れても結構しっくりくるはずだと思う。もちろん庭もセットだが。。
今日行った神社は、残念だがアルミサッシのガラス窓だった。『神社は美しく、透明。且つ、かわいくないといけない!』が僕の設計としての持論だ。そもそも神社建設は奈良や平安時代に確立し、ほぼそのカタチは変わらず現代まで続いてきた。なのでそこにある神社は日本の『原風景』であり、その素朴さは世界に類を見ない。やはりアルミサッシの窓を神社に入れるのは反対だ。もったいないと思うのです。
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