京都にいたとき、僕は大原によく遊びに行った。京都の中でもあまり発展はしていなく、昔の風情がそのまま残っている。京都の三千院で一つの庵を見たときに気づいたんだが、その建物の入口にはごっつい雨樋があるのだが、入口以外はない。じゃあどうやって雨を受けているかというと、地面に穴を掘り、石か(コンクリート?)で型枠を取り、その中に玉石を入れている。これにより、寺院はすっきり見えていた。これは昔の家とか寺社仏閣によく使われている技法だ。もちろんこれは昔では単純な作業だった事もあるが、音を楽しむという考えもあったはずだ。実は現代の家でも最近増えている技法だ。あら素敵♡
また昔は水を簡単に手に入れる事は出来なかったので、雨水を水桶にためて顔など洗ったり、観賞用の植物や金魚などを入れていたり、猫や鳥などの飲み水にもなっていた。もちろん大気汚染の酷い現代社会で顔を雨水で洗うのは抵抗があるだろうが、それはそれ。先人たちは花鳥風月を大事に風流に暮らしてらしたので、一つ一つの作業がこまめで美しいと思うのです。日本間から見える景色に雨受けがある。すばらしいとは思わないだろうか?
知り合いの設計屋に言ったら 『雨にびしょ濡れじゃ無いか!』 って言われた。しかし自転車乗りの彼も、雨の日まで自転車は乗らない。これと同じで、雨の日に雨樋がない場所を歩かなければ良い。もちろん外壁などにも工夫がいると思う。雨樋が無いと雨天時、雨が風にあおられ外壁にダメージを与えるからだ。
雨樋を省く。僕には美しい考えだと思うんだが。。
知り合いの設計屋に言ったら 『雨にびしょ濡れじゃ無いか!』 って言われた。しかし自転車乗りの彼も、雨の日まで自転車は乗らない。これと同じで、雨の日に雨樋がない場所を歩かなければ良い。もちろん外壁などにも工夫がいると思う。雨樋が無いと雨天時、雨が風にあおられ外壁にダメージを与えるからだ。
雨樋を省く。僕には美しい考えだと思うんだが。。
雨水を利用する考えは、よくEcoの観点から言われるが、僕はEcoより 『みたくれ』 に惹かれるんです。
良かったら、ご協力下さい。
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