奈良時代の偉人と言えば聖徳太子。がっつり髭面である。聖徳太子は隋の煬帝に 『日出処の天子、書を没する処の天子に致す。つつがなきや』 と送り、煬帝をめちゃくちゃ起こらせたのは有名だが、彼の肖像画 (本物かどうかは分らないが。。) には立派な中国風の髭がある。三国志などに出てくる関羽まではないにしても、それは立派な中国風の髭だ。 『つつがなきや(今で言えば、どうよ~元気?ぐらい。。)』 とは書いたものの、この当時の中国は世界1等の先進国。対等にやり合おうとしたが、その影響はやはり大きかった。当時の絵に出てくる男性はとても中国風の髭が多い。もちろん僧侶は別だが。
その後、中国風の文化が若干だが抜けたのが、国風文化が花開く平安時代。だが髭は中国風のそれは少しすたれたがしっかりと残っている。だがどことなくその髭は整えられだし、手入れがされているような風合いが出てきている。例えば光源氏のモデルとなった藤原道長はすっきりとした髭だ。貴族の方々にも髭も生やしていた人もいるにはいたが、どちらかと言えば髭は武士の象徴のような感がある。だが、後に貴族となった平清盛はやはり貴族風のすっきりとした髭だし、もちろん平家の若君らも綺麗に整えられた髭をもつ。一方、源氏の方々はどちらかと言えば無精髭が多い。頬の髭を剃らない絵が源氏方の武士に多いようだ。幕府を起こした頼朝などは大きな大髭を蓄えている。平家と比べれば頼朝の大髭は威風堂々としており、平家との違いを浮きだたせている。鎌倉の時代から室町時代は髭に関してはあまり変わったようではない。どうも戦乱が多い時代は髭がボーボーになってくるようだ。
戦国時代になると 『武士たる者、髭の一つぐらいは。。』 などと文献に出てくるようで、髭は男のシンボルだった。血なまぐさい世の中だったのか、皆大きな髭・髭・髭。足軽から大将まで皆大きな髭をドンと生やしている。武田信玄さんはドンと八の字髭。また、髭がほとんど生えなかった秀吉はコンプレックスだったのか、熊の毛で作った付け髭でごまかしていたのは有名な話だ。当時の顔当てなどを見ると、横にボッと伸ばしたような髭が好まれたのか、それは分らない。だがそんな顔当てが多く残っている。
そんな髭の世に終わりを告げたのが江戸時代。徳川将軍家3代家光の肖像画までは髭を蓄えているのだが、4代目の家綱から全く無い。暴れん坊将軍の吉宗ですらつるりとしているし、これは最後の将軍慶喜まで続く。これは将軍家だけではなく、地方の大名家もそうだ。皆髭を剃りだした。庶民もつるつるが多い。一つのきっかけとして4代将軍家綱がだした 『大ひげ禁止令』 があるだろう。髭を生やしすぎると処罰するぞという法令だ。どれほど取り締まられたかまでは知らない。。時代も戦乱がなくなり落ち着いたので、皆髭を伸ばさなくなったのかもしれないし、それだけ男が軟弱であることが求められ出したのかもしれない。

この髭に再び転換期が来た。昭和20年の終戦だ。終戦以前も髭はやさない人は多かった。特に若者は髭を生やしている人は少なかったようだ。だが、偉い人は髭を生やしてた方々が多い気がする。だがその髭の皆様も一気にそり出した。戦後アメリカの影響もあるだろう。そして平成の御代の現在では、生やすだけで市民に不快感を与えるし、減俸だってされる時代とまたなったようだ。
僕は髭を生やす生やさないは個人の自由だと思うし、そもそもそれ自体が流行なのだから別にルールで縛らなくても良いと思う。最初のニュースで見た群馬県のある市に、髭面の外国人が英語の先生として来たら注意するんだろうか。。まあしないだろう。職員の髭を管理する前にもっと他にやることがあるんじゃないと思う。とても馬鹿馬鹿しい話だ。
あっ、長なった。。
良かったら、ご協力下さい。
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